歴史的要因その2
歴史的要因その2
歴史的側面から見た京都企業
(歴史チームは西本くんがまず全体的な流れをまとめ、その後私が部分的に補足する形で進めることにしました。)
○京都の歴史について・補足
※豊臣秀吉の都市改革について
「豊臣秀吉は、京都の街の再区画整備を行い、南北に長い短冊状の町割に改め、周辺を御土居で囲み警備に備えた。また、市中に散在する寺院を東の寺町と西の寺之内にまとめた。さらに、淀川を利用して、京都・大阪間の水運を整備した。」(「」内は参考文献『京都企業の光と影』からの引用部分とする。以下同様)
京都という街は昔から幾度となく崩壊を経験してきたが、その都度再生されている。この部分は地理的側面とも深く関係してくる。
※江戸時代の京都について
「徳川幕府は二条城を造営し、所司代を置いて禁裏を監視・警備し、市政にあたらせた。高瀬川の開削により京都市街と淀川系水運と直結することになった。政治の実質的な中心地が江戸に移ったのに対して、京都は、国民の生活向上にともなう需要増に対応して、これまで培ってきた技術力を生かして繊維、染色、陶器、漆器、工芸品などの手工業がますます盛んになり、工業都市に変貌していった。」
ここで注目すべきなのは、当時の京都はもはや政治の中心地ではないのに、繁栄が築かれているということである。現在の京都企業も、東京の企業と戦うというより、ある意味で別格のポジションを占めているといえる。やはり、歴史に裏付けされた都市自体のブランド力や高い技術力に、京都人が大きな誇りを抱いているからであろう。
※明治維新を経て
「明治という東京遷都によって完全に政治的地位を失った京都市は、地力が低下し、地域活力も極端に低下した。京都を復活させるのは、これまで培ってきた歴史・文化の上に新しい文化を築きあげることと考えて、産業近代化推進のための勧業場設置、西欧先端科学技術導入のための舍密局の設立、琵琶湖疎水の開通と発電所建設、その電気を利用した市街電車の敷設、全国に先駆けての小・中学校の開設、大学・高等学校の導入、国立博物館、美術館などの建設を精力的に実施し、文化的地位の維持に努めた。その上に、経済基盤を形成する方針をとり、高度技術による高級品志向産業の育成に努めた。それが成功し、今日の京都企業と産業都市を形成する基盤ができた。」
明治維新は、京都にとって非常に重大な転機であった。東京遷都にともなった天皇の本拠地移動、堂上公家や有力商人の移転は、京都の政治・経済にとって大きな打撃であった。しかしこの局面でも京都は底力を見せる。伝統を守るだけでは生き残れないことを察知し、新しい文化の振興に力を注いだのである。このようなプロセスを経て、京都企業独自の「伝統の中の革新」や「逆境を乗り越える力」が培われたのではないだろうか。
このように、京都とは歴史的に不利な状況であることが多く、崩壊を幾度となく経験してきた街である。しかし注目すべきことに、そのたびに必ず再建され、人口は常にほぼ一定に保たれ、伝統は失われることなくさらに新しい可能性をもっている。それは長い歴史の中で培われた京都人の「逆境を乗り越える力」「生き残る術」「サバイバル精神」によるものである。そしてそれが、京都企業のDNAの中にも含まれているのではないだろうか。
○京都産業の特徴とその歴史的要因について・補足
※ⅰ)について
「京都企業は、企業規模の無理な拡大よりも、永続的な存続を希求し、財務体質の強化に努力すると同時にリスク分散のための分業と流通システムを工夫して、情報網を確立してきた。しかし、そうしたシステムに組み入れられない企業にとっては、京都は排他的な活動しにくい地域であったことは想像される。」
通常、自己利益だけを追求するならば、自社の経営だけが上手くいけばよいと考えがちである。しかし、京都企業は違う。職人がものづくりをしていた時期から、リスク分散のための分業体制を実施してきたように、地域や周囲の様々な要素との共存をはかり、それが結局自社を守る一番の有効な手段であると理解している(例えば、吉忠が和服から洋服に方向転換しようとしたとき、反対する問屋や取引相手にも「一緒に洋服へ移ろう」と呼びかけたというお話を思い出してもらえると分かりやすいのではないだろうか)。そして京都人は経験として、この手段を体得しているのである。
また、張り巡らされた情報網や発達した流通システムといった部分が、京都企業が保守的であると言われる所以ではないだろうか。
※ⅱ)について
上でも挙げた参考文献によると、「社是・社訓で最も重視する点」とは何かというアンケートを実施し、回答した京都企業の37%が「信用・信頼」を挙げているという。これは2位の「顧客第一」16%に比べてもダントツである。
※ⅳ)について
京都の場合、江戸時代から商家で家訓が作られ、しかもその現象がかなり広がっていたという。そのような歴史的経緯もあってか、参考文献に記載されたアンケートに回答した京都企業のうちの約7割が社是・社訓を備えていたという。
また、京都企業の多くが長い歴史をもっていることも経営理念の浸透に影響を与えている。経営理念の周知徹底法について、通常の上場企業は「社員研修」が最もポピュラーな手段なのに対し、京都企業も直接的手法に重点を置いていることに変わりはないが、「朝礼」を利用する企業が全体の半数以上に及んでいる。「個人企業の歴史が長い場合、どうしても社員と経営者の直接的な接触が多くなるし、経営者の側もそれを維持しようとする傾向がある。その場合、ポピュラーに使われるのが、毎週もしくは毎日のように行われる朝礼である。したがって、そうした朝礼が定常化している企業においては、経営者はそれを通じて経営理念の浸透、再確認を行うことができるからである。」