半兵衛麩玉置会長をお招きして

 

4月28日(火)の講演について
 
 まず、玉置会長が、約1時間(15時~16時3分程度)お話をしてくださいました。
以下時系列で進みます。

 ◎玉置会長の本名は玉置 辰次さん。しかし、本名で呼ばれることは少なく、皆から「半兵衛さん」と呼ばれます。ので、玉置半兵衛と覚えて下さい、とおっしゃっていました。
 ◎玉置会長は11代目玉置半兵衛氏ではす。ここまで半兵衛麩は320年の歴史をたどってきました。
 ◎玉置一族は和歌山出身で、豪族であったそうです。そして、天皇家の一族でした。そして約1000年前、玉置一族は御所にて御所護衛と「大膳亮」をするようになりました。「大膳亮」は、御所で出される食事をつくることにあたります。この役目が玉置一族にあてられたのは、彼らが天皇家の一族であるので食事への毒盛りを防ぐことができるからでした。
 ◎のちに、御所で教わった「麩」づくりをはじめるようになります。
 ◎なんでも、「初代」というものは難しいもので、全くご先祖様の培った人脈などがありません。初代半兵衛氏がその点などで非常に苦労しているのを見てきた二代目の半兵衛氏は、麩屋を続けることに嫌気がさし、三味線のお師匠さんをすることで生計をたてていました。しかし彼のお嫁さんは麩屋を続けていたそうです。母の苦労を毎日見てきた三代目半兵衛氏は麩屋を継ぐことを決意します。
 ◎そこからこの時代に活躍した思想家の石田梅岩の話にうつります。
  石田梅岩は丁稚になり、その傍ら、儒教を学び、44歳で決意し、御池の車屋町で、儒教と神道、そして仏教の教えを基に、人の生き方について説く仕事を始めます。
最初のうちは、みすぼらしい佇まいの彼が説教を行っているということで、回りに人が寄ることもありませんでしたが、その説教を聞いたある一人が、その説教を一人で聞いていることに懸念して、彼に問うたところ、「あなたには1000人の後ろだてが見えます、ただ一人聞いてくださるだけでもそれで十分なのです」といったことをおっしゃったそうです(このあたりがあいまいです・・・すみません::)。そこから、石田梅岩は人気となり、日に日に説教を受けに来る人が増え、寺を借りて説教を行うようになります。
 ◎三代目半兵衛氏は、この石田梅岩のお話を聞いて感銘を受けました。そこで、自らも石田梅岩の弟子となり(ここも微妙)宗心という名前を授かります。三代目半兵衛氏は彼の子供の名前を、それぞれ「梅」「岩」とするなど、大変熱心にこの教えを捉えていらっしゃったそうです。
 ◎そこで「先義後益」が家訓となります。梅岩は、程度が低く見られがちの「商」という職業は、ただ人の製作したものを人に売るという点から利益を上げるだけの、何の苦労もないものではなく、「人様の役に立つこと、そして流通に命をかけること」が商人の仕事である、と説きました。つまり、お金儲けをすること自体が商人の仕事ではない、ということです。「先義後益」の意味は、「義を先にして利は後とす」ですが、これは、つまりは「正しいひとの生きる道」であり、「まっとうな商人道を歩む」ことを意味します。
 ◎(他にもいろいろな言葉がこの意味をもって存在しているようですが割愛します。)
 
◎会社は、まじめに働いていても全く他の理由で経営が悪化することもあり、「まさか」という坂が一番恐ろしい。これに負けてはいけない、ということをおっしゃっていました。
◎まず、半兵衛麩のひとつめの「まさか」は、麩を作るための井戸の水がひからびてしまった、という事件でした。井戸の底の石と石の間にわずかに流れる水があることが確認できたゆえに、半兵衛氏は身を清らかにして(当時井戸は大変神聖なものととして考えられていました)井戸の中に降り、井戸を掘り深めました。そうすると水が滾々と湧き出るようになりました。
◎ふたつめの「まさか」は昭和16年に起こりました。当時は戦争がおこっており、小麦粉を正規ルートで入手することが非常に困難を極めていました。11代目半兵衛氏(玉置会長)のまわりの子の親は闇ルートで仕入れた小麦粉を使用し麩をつくり、闇市で売ることで富を得ていきました。しかし、玉置一家は闇に手を染めることなく、今まで住んでいた家、持っていた借家、骨董品などを売って生活していました。玉置会長はまわりの子の生活を見て、なぜ自分の家はこの苦しい生活をしなければならないのか、ヤミで麩を販売すればいいのではないか、と10代目半兵衛氏に問うたそうですが、歴史を持ち、永く続いてきたお店なのに、ヤミで生活するなんてとんでもない、という答えが返ってきたそうです。
◎戦争が終わり、すべて手作りで麩づくりを再開します。
器具もない、資本もない状況からのスタートでしたが、今日のように発展できたのは、
10代の間に築かれた、お客様からの「信頼」、そして玉置一族の「人柄」あってのことでした。義を守って商売をしていると、皆が助けてくれる。お金をもらっても、おごりの気持ちはもってはいけないのです。
◎お互いに話し合うことにより信用が生まれます。このような会社は儲かるのです。

以下、玉置会長への質問、その解答です

◇玉置会長の今後の夢はなんですか?
 →一応役割は果たした、と思っていらっしゃるそうです。安定した会社として続けていきたい、しかし(これからずっと麩をつくりつづけることは間違いないが、)会社は「法人」であり、社会貢献をしていかなくてはならない。そして社員がいなくてはいけない、会社は社員の持ち物であり、法人の形式をとっている以上、世襲制を敷いてはいけない、と思い、社長として任命したのは、玉置会長の息子ではなく、アルバイト時代から熱心に働いていた社員となりました。
ここから、玉置会長の「食」へのおはなしにはいります。
全世界の命の数を太平洋とすると、人間の命の数はたったバケツ一杯分にしかならないのです。「食べる」という行為は「命を殺して食べる」ということで、「いただきます」ということばはそういった観念から生まれたものです。
給料の差こそあれ、命は平等で、人をみな人として扱うことが大事です。
といったことをおっしゃっていました。


◇もし玉置会長が21歳の自分に何かいうなら
→今みたいな時代は長続きしない、ということを言いたいそうです。ありがたい、と思う感謝の心をわすれないように。

                                           (安福)