ワコールにお邪魔して

 

●ワコールの紹介

株式会社ワコールホールディングス(以下、ワコール)は、1946(昭和21)年の6月15日に、 塚本幸一が復員直後に婦人洋装装身具の卸商として和江商事を創業したのが始まりです。業種は繊維製品製造業であり、事業内容としては、インナーウェア(主に婦人のファンデーション、ランジェリー、ナイトウェア及びリトルインナー)、アウターウェア、スポーツウェア、その他の繊維製品及び関連製品の製造、卸売販売及び一部製品の消費者への直接販売を主な事業とされており、更にその他の事業として、飲食・文化・サービスおよび店舗内装工事といった幅広い事業を展開されています。

 

参考: (ワコールホームページの企業情報トップページ

 ワコールの本社は京都府京都市南区吉祥院中島町にあります。プロジェクトのメンバー達は事業企画課のH. M. さんに案内と説明をしていただきながら、本社内の展示場を見学させていただいたり、DVDを見せていただいたりしました。

○展示場見学

 〈ブラジャーの進化の大まかな流れ〉

最初のブラパットは洋服に縫うタイプのものだった→そこからブラジャーができる→アメリカの製品の真似をして生産→お腹をひっこめるタイプの下着を開発し、特許取得→伸縮性のある素材を使用→つけているのが目立たないシームレスカップ→後ろにあったホックが前にできる→色のバリエーションが豊富に→ワイヤー部分に形状記憶合金を使用→「寄せて上げる」というコンセプトを作る→縫製を失敗→分業、流れ作業で生産→女性の体の研究を始める、ダミーの体を作ってそれに合わせてブラジャーを作る。

創業者の遺言が、数年前掘り起こされたタイムカプセルの中に入っていたそうです。相互信頼を大切にというメッセージが込められていました。

○DVD鑑賞

ワコール創業者塚本幸一の略歴とワコールの成長についての、とても分かりやすく為になる内容でした。以下は私たちなりのまとめです。

創業者である幸一氏の家系は、近江商人の家系で、父も京都で繊維業を営んでいましたが、大成はしなかったそうです。幸一氏は商業学校を卒業後、戦争に兵隊としてかりだされましたが、復員したその日、日本でおしゃれを楽しんでいる女性を見て平和な時代が戻ってきたと実感しました。これからは和服ではなく洋服の時代になると予想し、即日ネックレスやブローチなど女性装身具を売り始めたそうです。幸一氏が復員した6月15日がワコールの創業記念日となりました。
 雑貨を売り始めてしばらくすると、幸一氏は知人からブラパットを紹介されます。海外のデータを調査し、外国では大規模な市場があることを知り、「これはいける」と直感し、50年後には世界的な企業になることを目標とした「50年計画」を打ち立てました。百貨店への積極的な販路開拓、ブランドの形成を行っているさなか、アメリカのランジェリー会社が日本に進出するという情報をつかみ、いち早く独占契約を結び、提携を結ぶことに成功しました。結局その会社は日本から撤退するものの、ワコールは外国から多くの知識を吸収することとなります。メーデーに悩まされる時期もありましたが、幸一氏は「まず社員を信頼しなければならない。裏切られたらそこまで」と言い切り、タイムカード廃止や月収定額制、きちんとした文書を提出すれば社員からの要望は必ず受け入れるといった方針を打ち出し、「相互信頼」の精神で和解することとなりました。ワコールでは現在もこの「相互信頼」の精神が大切にされており、低賃金の労働力のためではなく、需要にこたえるために韓国、タイ、台湾などにも海外店舗を設けるようになっています。