ROUND6
〜勝敗の行方は・・・〜
相国寺1382年、臨済宗夢窓派の足利義満が禅寺を創建したいと、仏殿と法堂の建設を始める。
臨済宗相国派大本山の寺院。
国宝、無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語をはじめ、多くの重要文化財が残る。
この相国寺が戦火に巻き込まれたのは1467年10月。
それまで優位に戦を進めていた西軍が幕府の本拠、花の御所の東に隣接する相国寺の奪取を試みたためである。
一日にして東軍は退却することになり、西軍はそのまま幕府を攻め立てるのであったが、東軍は最後の反撃で再びこの相国寺を奪回したのであった。
すでに両軍とも消耗しきり、この戦後10年ほどは各地で小さな争いこそ起きたものの、1473年に細川勝元、山名宗全が死に、1477年11月11日には西軍による西幕府が解散し、終息を迎えるのであった。
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