ROUND5 〜西軍の反撃〜
浄花院跡現京都御苑内土御門にあった三宝院、土御門烏丸の西にあった浄花院における合戦は、東軍総大将足利義視が京都を脱出し、西軍が勢いづいたことに始まった。 1467年9月、士気のにぶる東軍に対し、西軍の猛攻撃が始まる。 東軍2千の兵に対し、西軍は5万。 何度か持ちこたえたものの、最終的には三宝院、浄花院を占領され、細川勝元邸も攻められることとなった。 洛中合戦から約4ヶ月で、両軍の戦況はまさしく逆転したのであった。
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