ROUND1
〜戦いの始まりは家族ゲンカ?〜

上御霊神社


かつては御霊杜
(ごりょうのもり)と呼ばれ、応仁の乱の戦端が開かれた地である。

創祀は平安遷都の時とも、それ以前とも伝わる。

もともと怨霊を鎮めるため創祀されたというが、なんとも皮肉なことであろう。

戦の発端は、畠山政長と義就との家督継承権による闘争である。
もともと畠山家総領であった義就が、細川勝元の策略により足利義政によって追放され、甥である政長が継承した。
その後、山名宗全が義政を丸め込み、義就が復権。
これに腹を立てた政長が自宅に火をつけ御霊杜に陣を張り、うらみをはらそうとした。しかし戦は義就軍が一挙に政長軍を破り、一日のうちに終わってしまった。
1467年正月のことであった。

写真

アクセス情報

応仁の乱トップへ戻る