出水通
〜浸水していた通〜

平安京開設当初に開かれた近衛大路にほぼ該当する。

元々は、平安宮の東第二門の大路にあたる。烏丸の西にあった涌泉がときどき溢れて道路に浸水していたが、烏丸川の埋没とともに止み、それ以来この名称となった。

西洞院から油小路にかけては、平安期の獄舎跡として知られる。中世以降、鴨川以東は荒神口などと呼ばれ、志賀越えから近江に通じる道でもあった。

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