吉村 駿吾
同志社大学大学院文学研究科
最終更新日 2006年6月10日
二上山は奈良県と大阪府の県境に位置し、古くは「ふたがみやま」と呼ばれていました。サヌカイトという、黒色緻密な安山岩の産地としても知られ先史時代(後期旧石器時代~弥生時代)を通じて、範囲はことなるものの近畿地方において広く石器の原材として使用されました。
また二上山麓にも先史時代の人々の足跡が残されており、特に大阪府羽曳野市・同南河内郡太子町から奈良県香芝市に分布する二上山北麓遺跡群には瀬戸内技法(図)関連資料を伴う後期旧石器時代の遺跡、打製石剣やその製作失敗品などを伴う弥生時代の遺跡がみられます。しかし、縄文時代に関しては明確な遺跡が少なく実態を把握できていないのが現状です。
ただし、縄文時代の人々が二上山麓で活動していなかったのではありません。旧石器時代を除いて日本の考古学は主に土器によって時代を認定しますが、二上山麓では、土器の出土が僅少であるため、石器で時代を認定しなければなりません。そのため他の時代には見られない後期旧石器時代の瀬戸内技法関連資料や弥生時代の打製石剣などの特徴的な遺物が伴う場合を除いてはいつの時代の遺物か判らないことが遺跡の少なさの原因と考えられます。
では、上述した瀬戸内技法について図のみからではイメージしにくいと思うので説明を加えたいと思います。瀬戸内技法は図のように3つの工程を踏まえて、主に国府型ナイフ型石器と呼ばれる利器を製作する技法です。まず、原石から分厚く大きな石のカケラ(盤状剥片)を打ち欠きます(第一工程)。さらにその盤上剥片から連続的に翼状剥片(翼状剥片の名前はこれを上からみると鳥が翼を広げたようにみえることに由来します)を打ち欠いていきます。その際、その打ち欠く部分を山形に調整します(第二工程)。そして、翼状剥片を国府型ナイフ形石器の形に調整します(第三工程)。
このような技法は世界的にも珍しく後期旧石器時代の瀬戸内地方を特徴づける遺物です。また、同様の技法が山形県の越中山K遺跡などからも発見され、人々の移動や文化の伝播があったことがわかっています。