杉山 拓己
同志社大学 文学部文化学科文化史学専攻 4回生
最終更新日 2003年9月9日
英国の偉大な考古学者、チャイルド(1892~1957)は都市の存在を文明社会の指標と考え、「都市革命」を提唱しました。その発展段階的な理解の是非は別としても、多くの人間が凝集する都市という生活形態が、社会のあり方を大きく規定したことは間違いないでしょう。
京都は現代の大都市であると同時に、その一帯が平安時代以降の連綿と続いた都市生活の蓄積をもつ遺跡でもあるという、特殊な街です。発掘調査では過去の人々の暮らしの痕跡の一つ一つを、上の層から下の層へと、時の流れとは逆にたどっていくわけですが、個々の遺構だけでなく、遺構が掘り込まれている土である整地層や盛り土そして火災層など、そのほとんどが人間の活動の介在を含むものです。このように複雑極まりない堆積は、発掘調査において表れる都市遺跡の特異性といってもよいでしょう。
今回初めてこの発掘調査に参加した私にとって、こうした見慣れぬ光景に最初は戸惑いましたが、その一方でそれぞれの堆積の中にも背後の人々の生活の存在を実感できるという今までにない経験でもありました。
今回の大学会館地点での発掘調査では17世紀代の瓦組の地下蔵が発見されています。最初は瓦がきれいに並んでいて建築物の基礎かとも思いましたが、掘り下げると瓦と粘土を交互に積み上げた壁によって作り出された空間が現れました。片方の壁には階段状の出入り口もつくられています。しかしこの地下蔵もその使命を終えると埋められたようです。埋土の中には18世紀前半代の土器や陶磁器が投棄されていました。このように一つの遺構の中にみられる成立から廃絶へのプロセスも、それをとりまく人々が営んだ生活の移り変わりによるものです。京都で見られるような都市遺跡の景観は、こうした人々の暮らしの集積によって形作られているものです。
都市のなかでくらす私たちは、現在の生活空間もまた、過去のそれが幾重にも複雑に積み重なってできている最終景観なのだということを、つい忘れがちです。地名や道路といった都市構造にあらわれる現代と過去の関係性をしっかりと理解しておくことは、遺跡を考えるためにも不可欠な作業といえるでしょう。