発掘物語5 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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第2回 : クラークよもやま話

鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師

最終更新日 2003年9月12日

 今年は冷夏ということで、各地では作物に対する影響が心配されています。が、ここ今出川では、お盆の一斉休暇を除いて、いつもの夏と同じ太陽が顔を出し、また今年も学生君たちと汗だくの夏を過ごすことになりました。

 前回お知らせしましたように、8月の調査は、クラーク館地点と大学会館地点の2箇所でおこなわれました。このうちクラーク館地点の調査は、クラーク館の修復工事に伴うもので、そのために設けられる覆い屋の基礎の一部が調査区で、調査の深度は70センチ(基礎工事の深さ)が求められました。この場所は、中世以降相国寺ー相国寺門前町ー薩摩藩邸という変遷をたどったことが知られており、江戸時代から幕末にかけての遺構・遺物の発見が期待されました。

 下水道管など明治より新しい時期の工事で、幕末以前と思われる層の残りは少なかったのですが、調査の結果、地表下約40から50センチの深さで、2つの生活面をみつけることができました。

 上の面は一角に小石や瓦の細片を敷きかためた床(?)を持ち、下の面は砂利を多く含んだ盛土を基盤としています。またこれらの面にともなって、底に焼けた木材を残し、焼土で埋められた土坑(または盛土の一部?)や、直径20センチ余りの縦長の坩堝などもみつかりました。時期は出土遺物から、江戸時代中期以降と考えられます。これまで何度もお知らせしてきましたが、今出川キャンパス関連の調査では、中世末から近世にかけて、いたるところから鋳造関係の遺物が見つかり、その時期の上京が金属関連産業都市であった可能性が強まっています。今回の調査で、その範囲がここまで広がったことになります。一方薩摩藩邸を直接物語る痕跡を見つけることはできませんでした。遺跡GISを充実させてジグソーパズルを探す努力を続けます。


 今回、発掘調査に加わった学生アルバイトさん(経済学部3回生北脇大貴)の感想です。

 「発掘作業は難しかったです。石出しや壁出しなど、かなり高等な技術がいり、そんな作業を何気なくやってのけてしまう作業員さんのすごさがわかりました。今まで自分がやってきた仕事の中で、一番技術のいる仕事だと思いました。」


 小西沙織さん(文学部社会学科社会学専攻3回生)

 この夏、私は貴重な経験をさせていただくことができ感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。冷夏と言えど、夏の発掘現場はもうすごい暑さで、中学時代の部活以来ではないかという量の汗を流しました。そしてその中で、室町時代の地面に触れたり、江戸時代の火事の跡を見ることができたり、ほんとうに数多くの貴重な体験をすることができました。手際が悪くて迷惑をかけたこともありましたが、海にもプールにも行っていないのに真っ黒に日焼けしてしまいましたが、楽しい夏でした。

商学部2回生 北中達也

 今年もわがままを言って現場に出させていただきました。直射日光の下、手袋・長靴の重装備で「掘る」「撮る」「判断する」ことは本当に大変でしたが、集中したおかげで暑さも何のその、能力・技術でなくもっと面白いものを体験できたことがありがたかったと感じます。発掘は「人手を加え、手を加える」=「壊す」ことだと思うので、二度目がないというシビアさを感じっぱなしの中、手際の悪さ、かけた迷惑は計り知れなかったと思います。でもこれをステップにして、自分の糧にして、少しずつでも考古学を続けていこうと思った今夏でした。にぎやかにフォローしてくれた現場の方々、ありがとうございました。

 今年はあと阪神が日本一になればもう思い残すことはありません。


発掘風景




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