松田 度
同志社大学 歴史資料館 調査研究員
同志社大学 大学院 博士課程後期
最終更新日 2003年5月2日
旧第1従規館地点での発掘調査が進み、調査区内での土層(土の堆積)が把握できるようになりました。 また、現在の地表面から約2mで地山に達することもわかりました。
以下、基本的な層序(土の堆積の順番と年代)を、上から順に紹介します。
第3層は、出土遺物の様相と、新町キャンパスの旧北別館地点の調査成果などもふまえると、1730年に生じた享保15年の大火による焼土ではないかと想定できます。 発掘物語3第2回のゆがんだ染付碗も、この火災にともなう遺物です。 第4層の焼土に相当する火災については、現在検討中です。 第5層以下の堆積については、昨年度調査された旧大学会館地点の発掘調査と共通します。
土層の観察と記録は、地味ですが非常に重要なものです。 というのは、このような土層の観察によって、私たちは数百年の歴史の縮図を、そこに垣間見ることができるからです。
私たちが住む京都の町は、その市街地のほとんどが「巨大な遺跡」のうえに成り立っています。 地下2mという土の堆積のなかにも、これだけの歴史が詰まっているということに あらためて歴史の奥深さを感じます。 今後の調査でも、土層のむこうにある「歴史の縮図」を、見つめてゆこうと思います。