真々部 貴之
同志社大学 文学部英文学科 三回生
最終更新日 2003年5月30日
「おりべ」とは、流れるような響きです。そのまんまわたしの中をひととおり、巡って爆発したのです。いろいろな「おりべ」のすがたを見るうちに、おりべはいいな、おりべはすごい、ああおりべ、おりべやおりべ、ああおりべ、と、この三文字のリフレインが完璧な俳句のリズムで襲いかかってきたのであります。と、いうわけで、今回はこの魔物のようなやきものについて皆さんにお伝えする事にいたしましょう。
さて、遺跡をつつけばころころと嬉しそうに出てくる遺物たちですが、中にはこうしたおもしろい物が時おり隠れているわけであります。ここでいうのはデザインそのものでございます。考古学的情報や意義といった本道については、ほとんどコメントができない為二番手以降に回させていただく、というのが私でございます。遺物に関する知識も付け焼刃以下でありまして、私が初めてこの織部の器を見た感想は何と、「へんだ。」という貧弱な三文字でありました。これは吾が無知もさることながら、織部というもののかたちと紋様がユニークを突き抜けて壮絶であり、理論を越えた圧倒的な存在感をもっていたためにえらばれた言葉であります。あの神谷宗湛も、「ヒズミ候也。ヘウゲモノ也。」と。要するに、織部って(変で)いいなという意味であります。
写真をご覧ください。左右非対称の妙な形、緑釉、鉄絵文様という技法で描かれた味のある絵柄等の特徴(近頃は反対に織部のようなかぶき方をしている粋なものや人をさして、オリベイズムという言葉があるそうであります)を見事に備えているこの織部の器であります。これが現在調査中の新町キャンパス南側の近世の火災層から志野や唐津と混じって出土したわけでありますが、ではこの器のどういうあたりがすばらしくて面白いのか、一体どんなものなのか、実測をしながら考えてみました。
まずは織部のこの形であります。一見したところでは小学生の紙粘土作品のようですが、ほかの作品を見て行くうちにそうした思い上がりも破壊されました。茶人古田織部がなぜこれを好んだのかが、やはりこれも思い上がりですが解ったような気になるのであります。どういうことかといいますと、織部という作品群のかたちを見てゆきますと、おやおや、もののかたちが物の型からはみ出しているぞという気がしてまいります。この列島に暮らす人々が受け継いでいる宇宙観≒精神世界のかたちが、桃山というある時代の文法を通り型を破ってあらわれたのでありましょうか、桃山時代の人々が「ヘウゲモノ」と評した感覚は、我々がポップ・アートに触れるような衝撃と似てはいますが、芸術めいたものの嵐が吹きすさぶ我々の時代の状況と比べると、よりプライマルで本質に近いものに思われます。
では次に、釉薬の具合を見て参りましょう。緑釉が変形した四角形の二角を支配して得意げであります。他の織部の器には、もっと大胆に、緑釉が模様の上から器の半分を支配しているものもあり、そこから延長して考えればこのうつわの緑釉もまた精神世界からやって来た者であると言えましょう。器はさらに語ります。写真では見にくいかもしれませんが、右下の釉薬(緑釉)が大きくひび割れ、黒ずみ、ところどころ気泡が生じております。これは完成後に再び火を受けた痕跡だそうでして、まさにそれは火災の証拠なのだそうであります。
最後に、この器から学んだ事を。この器の中央の絵柄を見た私が、ザルに咲く花だ、と思い付き自信満々にしていた時の事であります。突然近くにいた女の子たちがこれはくらげだの火星人だのフェンシングのマスクだのとやりだしたので、はじめはむっとしたものですが、この朴訥にして豪快な器を日々眺めるにつけ、(織部という宇宙を前にしておきながらそれを限定しようとは、何と貧しい私である事か)と思い直し、なるほど逆さまにしてみれば海中をたゆとうくらげがフンをしているようにも見える。織部の花が赤や黄色で描かれなかった事からも世界に制限を設けない宇宙的な思想を感じます。しかし私、一旦そう思い始めると留まるところを知らず止まらず、くらげどころか鼻毛の伸びた虚無僧だったらいいななどと考え始めるに到っては、我ながらひどいものだと、一人で笑ったのでありました。
皆さんもぜひとも織部の世界に行ってみてください。「おりべ」とは美しい響きのおもしろいやきものであります。