鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師
最終更新日 2002年6月23日
坩堝(るつぼ)とは、金属原料を高温で溶かす時に使われる、一般的には椀形の容器のことを言います。
上立売通りに面したトレンチでは、これまでも江戸時代の焼け土を含んだ層の中から、金属を溶かしたときにできるカス(スラグ)の破片がみつかってきましたが、そのトレンチの中で、烏丸通に近いところから、ついにひとつの土坑が発見され、その中から多数の坩堝が出土しました。
土坑は、上から見た形が、南に開いたU字形で、その南側は大学会館の建物の下に続いています。大きさは幅約2m、深さは1m以上あります。あたかも焼き物の窯の一番奥を掘っているような感じです。
土坑の断面を観察すると、複数の炭の層がみられ、少なくとも5回はその底が作り直されたものとみられます。
多数の坩堝は、この底の作り直しの際に敷かれた土に混じって出土しました。
時期は一緒に出土した陶磁器から、江戸時代初期と考えられます。
さてこれらの坩堝ですが、いずれも直径約6㎝の小型のものばかりで、内面には緑青が付着しているものもあります。したがってこの土坑は、ある程度長期にわたり、銅を溶かして小型の製品を鋳造していた工房の中心施設と考えて良いだろうと思います。
ただし、なにを作っていたかを知るための鋳型は、粉砕して再利用されたためか見つかっていません。今後、坩堝に残されている銅の成分分析などからも、製品の同定をおこなっていきたいと思います。
新町北別館の調査で明らかになったように、江戸時代前半の上京には、鏡作りの一大工場がありました。しかし今回みつかった土坑は、そういった金属加工にかかわった人々が新町付近だけではなく、上立売通り沿いに、ずっと立ち並んでいた可能性も示しています。
江戸時代はじめの上京の景観とそこに住んでいた人達の姿について、いろいろ見直さなければならないことだらけです。