鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師
最終更新日 2002年8月18日
・天下太平
大学会館の中庭だった地区の調査が進んでいます。すでにお知らせしましたように、調査区の南半分は一段低く削られて、江戸時代初めの陶磁器を含んだ炭まじりの土で埋められていました。
一方北半分は、地山のすぐ上まで江戸時代後期以降の整地層で覆われていましたが、その下の面からは、たくさんの柱穴といくつかの土坑がみつかっています。
その中のひとつの土坑から白磁の菊花皿が出土し、その底部外面に2本の圏線と「天下太■」の文字が記されていました。なお一緒に出土した素焼きの土器(かわられ)の時期は、おおむね16世紀中頃から後半頃と考えられます。
佐賀県の九州陶磁文化館の大橋康二さんによれば、これは中国の景徳鎮で焼かれた焼き物で、とくにその菊の花のような形は当時の日本人が好んだものとして中国の文献にもみえ、天文年間ごろ(16世紀中葉)から、このような日本市場を意識した焼き物の生産が中国ですすめられていたこともわかってきています。(小野正敏「物価からみる中世の消費とリサイクル」『歴博』・河原正彦1991「概説-日本人が好んだ中国陶磁」京都国立博物館)
なお時代は、室町殿があったとすれば、足利義晴・義輝の頃にあたります。
・青磁脚付盤
上小立売り通り沿いで、最も烏丸通りに近い調査区から出土しました。石敷きのほぼ中央に南北に長い楕円形の土坑があり、その中からの出土です。一緒にかわらけも出土しました。14世紀後半から15世紀代の製品と言われています。今回は、16世紀前半の遺物を含んだ土坑から出土しました。
なお、この青磁が焼かれた時期に室町殿があれば、足利義教から義政にかけての頃、捨てられた時代は足利義晴の頃にあたります。
・景石
中庭地区の一番北側の調査区から出土しました。大きさは最大長で1.1mです。石の種類はチャートと思われ、きれいな青灰色をしています。出土したのは、室町殿より後の16世紀後半以降とおもわれるゴミ穴ですが、その形状からこの石は庭石の可能性が高く、そうであるならば室町殿の庭を飾っていた石であったことも考えられます。