鋤柄 俊夫
同志社大学 歴史資料館 専任講師
最終更新日 2002年2月17日
本学ではこれまで今回調査をおこなう場所の東西で発掘をおこなってきました。
西に隣接する調査地は新町別館地点で、調査は1974年におこなわれました。現在の地表面から2.5~3m下で、黄灰色の固い礫層があり、その層から掘り込まれた南北朝期の壕が発見されています。壕は規模が幅3m、深さ1.5mで、東西を軸として東西方向にのびています。壕の中からは土製の鍋・釜や中国製の陶磁器が出土しています。
京都市内で発見されるこのような壕は、おおむね戦国時代以後、館や町を囲むものとしてつくられる場合が多いので、この調査区でみつかった壕がどのような役割を果たしていたのか、京都の都市史に問題を投げかける遺構です。
東側の調査地は、一つの建物を隔てた場所にある育真館地点です。16世紀前半のかわらけ(素焼きの皿)溜まり(直径約1mの土坑から214枚のお皿がぎっしり詰まって出土。これはおそらく式三献などの儀式に用いられたもの)や、17世紀初めの石組貯蔵庫などが発見され、「乾山」銘の陶器や「信光山」銘の信楽焼きの壺などが出土しました。中世から近世へかけて変貌する京都の姿を知る上で大変貴重な資料です。