発掘物語 | 執筆記事|同志社大学歴史資料館

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焼土の中の鬢盥

杉山 俊介
同志社大学 文学部三回生

最終更新日 2002年5月14日

調査区の北の端、上立売通りに近いところから焼けた土や瓦、炭がぎっしり詰まった石組みが出てきました。ここは、「発掘物語」第十四回で触れられた鏡が見つかった所ですが、発見されたのはそれだけではありませんでした。陶器の小さな入れ物が壊れることなく埋もれていたのです。この入れ物、名前を「鬢盥(びんだらい)」といいます。

これは、鬢水と呼ばれる水性の整髪料をいれた小判形の容器で、考古学の分野ではこう呼んでいますが、化粧史の分野では「鬢水入れ(びんみずいれ)」と呼称しているようです。
産地としては瀬戸・美濃、京都・信楽のものが知られており、江戸の遺跡においてはそのほとんどが瀬戸・美濃産の灰釉陶器で占められているようです。出土遺物の大半は陶器ですが、金属製のものも出土しており、蒔絵や螺鈿が施された高級漆器の伝世品も存在します。

さて、遺物がどんな種類のものなのかがわかったら、次にはいつ、どこで作られたのかを考えねばなりません。
まず産地の特定を試みたところ、胎土や形は瀬戸・美濃産鬢盥の特徴と合致する点が多いことがわかりました。
次に年代ですが、瀬戸・美濃産の鬢盥の類例を調べてみると、形や文様の特徴は17世紀末~18世紀半ば頃のものにみられます。したがって、この鬢盥はおおむね18世紀前半に瀬戸・美濃の窯で焼かれ、京都へ運ばれてきたものであった可能性が考えられそうです。

化粧道具である鏡と一緒に出てきた鬢盥。もしかしたら、かつてこの二つは同じ所で同じ人に使われていたのかもしれません。たった一つの器からでも、様々な事が考えられるあたりが考古学の楽しさの一つなのではないでしょうか。


今回発掘された鬢盥(びんだらい)



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