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「居場所を探して−あるNPO職員の歩みから−」/2002年度文学部就職情報(秋号)

大学を卒業して就職すれば、それで一段落、後は定年まで、という時代では最早ない。学生時代の就職活動は、これから続く長いキャリアへの入口に過ぎず、最初から自分を存分に生かすことのできる仕事や職場に恵まれる人など、ごく僅かである。日々の生活と折り合いをつけながらもあがいてあがいて、「どうしてそこまで?」と訝しく思うくらい努力して……。順風満帆に見える人ほど、実はそんなものなのだろう。

私が担当する「産業調査実習」で調査対象としてNPOを取り上げたのをきっかけに、ゲストスピーカーとして講義していただいたある国際協力NPOに勤務する女性も、凛とした雰囲気を漂わせた方だった。彼女は、高校時代に見たドキュメンタリー番組や、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争など当時の世界情勢から強く影響を受け、外大のタイ語科で学びながら国際政治学への関心を深めていったという。就職先としてJICA(国際協力事業団)などの団体を希望するも叶わず、大阪入国管理局に勤務する国家公務員となり、不法滞在する外国人、特にタイ人売春婦の違反調査を主な仕事として勤務することになる。

不法滞在者の悲惨な状況を目の当たりにするたびに、なぜ故郷で安心して暮らせないのかという疑問にたどり着かざるを得ない。6年間の公務員生活で、恐らく彼女は悩み、苦しみ、そして考え続けたのだろう。何ら具体的な行動を起こしていない、その一見無為な時間と、それでもなお捨て去ることのできなかった志が、結局は安定した公務員の地位を捨て、貯金を使い果たしてまで英国の大学に留学する原動力として昇華したのだといえる。

帰国後、彼女は「幸運にも」現在のNPOに勤めることができたと語った。でもそれは、彼女の努力と実力が引き寄せた必然に違いない。ただし、彼女のような有給の専従スタッフであっても、経済的自立が困難な労働条件しか提示できないのが大半のNPOの現状である。心の充足感を得る一方で、何らかのサポートなしでは生活できない不安定さは、常に「真っ当な考え方」をする周囲との葛藤を生じさせる。それに立ち向かい、乗り越えるだけのものがあるのかどうか。問われるのは、まさにその一点に尽きるように思う。

実は、彼女と私は同世代である。時代を共有してきた者同士の思い入れもあるのかもしれないが、自身の足跡を丁寧に振り返る彼女に接して、あたかも画家がキャンバスに一筆一筆線を描いていっているような、そんな印象を受けた。その積み重ねが、最後にはその人なりの色鮮やかな人生の絵として完成する。そういう意味では、「無駄な線」というのは一切ないのかもしれない。



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