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「豊かに実るまで−就職活動をめぐるジレンマ−」
父母会会報(No.95)

この原稿を執筆している4月現在、新4回生の就職活動がたけなわである。通年採用が一般化してきたとはいえ、ほとんどの大学生が3回生の秋から新卒採用に向けて就職活動を開始している。1996年に就職協定が廃止されて以来、その前倒しに歯止めがかからず、その分長期化が著しい。すでに内定も出始めているが、入社1年以上も前に採用を内定する必然性があるかという素朴な疑問に、明確に答えられる人はどれだけいるのだろうか。

教育現場では、むしろ弊害ばかりが目につく。ゼミなどの専門教育が本格化するのは通常3回生からであるが、ようやく研究体制がととのってきたところで就職活動に気をとられ、学生がすっかり浮き足立ってしまう。最近では、3回生の夏休みにインターンシップに参加する学生も増え、より一層その傾向に拍車がかかっている。

就職活動のために4回生のゼミが成立しないとは大学教員からよく聞かれた話であるが、今は3回生でさえもままならない。大学側も、学生の将来を左右すると思えば、学事優先を無理強いできない弱みがある。これでは、大学教育は実質2年余りで終わっているといっても過言ではない。就職活動が終わる4回生の半ばには、学生も疲弊しきっており、卒業論文作成にもなかなか集中できないというのが実状である。

早い段階から就職を意識することは、決して悪いことではない。これまでの大学教育は、職業教育の部分を全く考慮してこなかったことにこそ問題があった。大学によっては、入学時点からの就職指導やキャリアプランニングを目的とする授業などを実施し始めたところもあり、本学も例外ではない。学生の就職に対する意識も、不況を背景として、危機感中心とはいえ総体的に高まっている。留学や資格取得に躍起になる学生も多い。

事態に対応しようとする学生はまだいいだろう。深刻なのは、周囲に流されるまま就職活動を始めても、最後まで全うできない学生、内定してから迷い出す学生が目立ち始めていることである。若年層の早期離職や不安定就労が懸念されて久しいが、学生時代にじっくり腰を落ち着けて学び、生き方を考え、働くことを覚悟できるだけの十分な時間を確保することで、これらのミスマッチが緩和される部分はあるのではないだろうか。

大学での学問がそのまま社会で通用するかといえば、もちろんそうではない。しかし、学びの様々な場面を通じて、学生が深みを増すのもまた事実である。専門的知識はいうまでもなく、論文を書く場合の文章力や論理的思考力、調査をする場合の対外折衝力や実行力、研究成果を報告する場合のプレゼンテーションやディスカッションなど、すべて職場に直結する能力の土台となり得る。学びの場面でなし遂げたことは、就職活動でも正当に評価されるべきであるし、その自信をつけるための「ゆとり」が大学生にも欲しい。

たとえば実に単純であるが、現行を1年遅らせて、すべての学事を修了した4回生が2〜3ヶ月集中的に就職活動をすることは考えられないだろうか、と夢想する。面接で卒業論文の内容を尋ねられても答えにつまることなく、堂々と4年間を振り返って自らをアピールできるだろう。どう?と学生に問うてみたところ、そんなことになれば選考日程が重なって選択肢は限定されるし、卒業までに間に合うかどうかでプレッシャーはかかるし、最後の春休みに遊べなくなるし、とにべもない。

より優秀な人材を求め、生かすことを企図するならば、まだまだ成長する可能性の芽を摘むような青田買いではなく、学生が豊かに実るまで待つ。そのような新卒労働市場は、あくまで理想論に過ぎないのだろうか。昨秋、経団連の「新規学卒者の採用選考に関する企業の倫理憲章」に署名を求める動きがあり、630社の経営者が賛同したそうであるが、今のところその波紋を実感することは難しい。

ごまめの歯軋りには違いない。だが、大学生活を疎かにすることなく就職も決めたいという、至極当たり前の望みを持ったがために、想像を絶するストレスを背負い込んでいる学生の姿を目の当たりにすると、ただただかわいそうで腹立たしい。だから、毎年春になりかけの頃思うのである。せめて歯軋りする音が世間に届くように、やれることをやり続けてみよう。学生と一緒に、共同戦線で。



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