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和田喜彦の自己紹介

(2007年1月24日更新)

 1960年代の高度経済成長のさなか、長野県須坂市で生まれました。高等学校まで郷里ですごした後、横浜市立大学文理学部文科国際関係課程に進学しました。国際援助政策を専攻し、カナダの開発NGO(非政府組織)とカナダ政府との協力関係の歴史に関する卒論を執筆しました。その後、長野県立高等学校で教職につきましたが、途上国開発に直接関わるという夢を捨てがたく、財団法人国際開発センターに転職。研修部にて、途上国経済開発に関わる人材育成事業に従事することとなりました。途上国援助は真の意味で住民の役に立っているのかということに疑問を抱き、本当の意味で「持続可能な開発」とは何かということを探求したく留学を決意し、1990年カナダのブリティッシュ・コロンビア大学大学院コミュニティー地域計画学科修士課程に進学しました。トマト生産技術の環境負荷をエコロジカル・フットプリント分析で測定し、修士論文にまとめました。同大学「健全で永続的なコミュニティーに関するタスク・フォース」にて研究助手として1年間勤めた後、同大学コミュニティー地域計画学科博士課程に入り、6年後の1999年11月に卒業しました。博士論文のテーマは、日本の資源消費のエコロジカル・フットプリントです。その間、同大学アジア研究所の研究助手をさせていただきました。途上国の「持続可能な開発」を実現するためには、まず先進工業国の肥大化した資源消費を抑えることが重要ということが、留学で得た暫定的な結論です。

 2000年4月から2003年の9月まで札幌大学経済学部にて教鞭をとりました。その後、2003年10月に同志社大学経済学部に移籍しました。現在、エコロジー経済学を中心に環境関連の講義を担当しています。

 それでは、エコロジー経済学とはどんな学問なのでしょうか。簡単に申し上げれば,以下のようになります。

 21世紀最大の人類の課題は、環境問題と言われていますが、大部分の大人たちはその深刻さに気がついていません。まだ何とかなると考えています。大人たちは、景気が良くないからと言いつつ環境保護は後回しにしてしまいます。貿易を盛んにし経済発展することが人類の進歩だと信じていますが、その結果として地球が温暖化ガスに覆われ始め、有害な放射性物質や化学物質が大気中や地上で増え続け、緑は減少しつつあります。地球が、人類や他の生物にとって住みにくい場所に変化しつつあるのです。これでは進歩どころか原始地球の状態に逆戻りです。このような事態が生じる原因は、大人たちが生産力や経済力の「右肩上がり」をすべて良しとする古い考え方(成長パラダイム)に捕らえられているからです。エコロジー経済学は、こうした古い考え方を打ち破ることによってしか、環境問題の根本的な解決はありえないという立場に立ちます。

 エコロジー経済学は、人間の経済活動を生態系全体の物質循環の一部として有機的に捉えます。その上で、経済活動を「環境収容能力」の範囲内に収めながら、生態系の物質循環のサイクルを壊すのではなくむしろ循環を促しつつ、人々の生活の質を維持・向上させていくためには、どのような社会的・経済的制度が必要かを探究する学問です。同時代に暮らすすべての人々の生活の質を等しく向上させるだけでなく、世代間の資源配分の公平性を達成することもエコロジー経済学の重要課題のひとつです。 

【研究テーマ,関心事】

 以下に、同志社大学経済学部編集発行の『ハンドブック 2007』(近刊)の原稿(案)を載せましたので参考にしてください。


<私の研究テーマ>
 私の専門分野は、エコロジー経済学です。これは、経済学と生態学や熱力学などの自然科学の研究成果を統合しようとする学問分野です。エコロジー経済学のおもしろいところは、45億年の地球の歴史の中で育まれた自然の摂理をよく理解し、それに人間経済システムが適合できるように工夫するところです。たとえば、サケが溯上することで海の栄養分が山林に運ばれ、森林資源を豊かにしてきたことが最近の研究で分かってきました。この結果を受けて、アメリカではサケが溯上できる河川に戻すためにダムを撤去し始めました。私たち人類は伝統的に、自然界の循環の仕組みや原理を上手に利用しながら社会経済システムを築き上げてきたはずでした(里山やコモンズなどがその好例)。最近では自然の摂理をないがしろにしすぎたため、自然資本の劣化が進んだり、かけがえのない命が奪われるなどの問題があちこちで発生しています。また、自然界が処理できないような新しい物質を産み出し、将来世代に負担を押し付けています。水俣病の有機水銀やベトナムでのオレンジ剤(枯葉剤)、劣化ウランなどがその典型です。私は、これらの環境問題を考える際には、実際に現場(フィールド)に足を運び、被害者の立場に立ちつつ、問題を起こした側の根本原因やそれを放置した政府や社会のあり方に鋭い目を向けるという姿勢を身に付けることが重要であると考えています。
 私の専門分野のひとつに、エコロジカル・フットプリント分析があります。これは、経済活動の規模が環境の再生処理能力を超えてないかを判定することで、経済が永続的で環境共生型であるかを判断する手法です。この手法は欧米を中心に環境教育や政策評価に広く採用されつつありますが、アジア、特に日本での普及を目指したいと思います。戦争と環境の問題にも着目しています。一例ですが、コソボ紛争やイラク戦争で米英軍が使用した劣化ウラン弾(前出)の人体や環境への影響は甚大です。劣化ウランは核燃料サイクルの過程で産み出される放射性廃棄物ですが、自然界が処理することができない毒性を持っています。ところで、前の外務大臣は、劣化ウランは人体に影響を与えるという証拠は無いと公言しましたが、これは多くの研究結果と食い違っています。自然界の原理や科学的事実に反する認識を基礎にして日本の政策が決定される事態をどう改めていくか、その方法を考えることも重要であると思っています。

 <若い方たちへのメッセージ>
 経済のグローバル化、環境問題、格差拡大、暴力の連鎖など様々な問題が深刻化する今日、政府や国際機関など公的機関の「機能不全」が目立っています。そこで、市民たちが非政府組織(NGO)をつくり、世界平和や社会的公正さを実現するなど、「地の塩・世の光」として活躍しています。また企業自身も、利益だけを追い求めるのではなく、社会への貢献のための行動を起こしています。皆さんにもこのような潮流の最先端で活躍してほしいと思います。明確な目標を持ち、果敢に挑戦し続け、初志貫徹してください。


 また、何年か前に札幌大学経済学部専任教員紹介冊子、Who/How: Invitation to the Faculty of Economics 2001. に載せていただいたエッセイに若干の修正を加えて添付しました。最近考えていることを心のおもむくまま、学生諸君へのメッセージとして書いたものです。ご覧くだされば幸いです。


 

「価値観の下克上」からの脱却こそ21世紀日本新生、地球環境永続性の鍵である

 みなさんは、長年住んだ土地を離れて別の街で生活をしたことがありますか。いろいろな土地に住んで、土地特有の文化、生活様式、住民の価値観を比較してみると、それぞれの良い面、悪い面、好きな面、嫌いな面がはっきり見えてくるようになります。私自身、過去10年間カナダのバンクーバーという街で生活しました。2000年の3月に帰国し、久しぶりに日本で生活しはじめましたが、10年前には気にならなかったことが、とても気になってしまう自分を発見し、驚いています。

 たとえば、日常生活のなかでびっくりすることは、日本では救急車に道を譲ろうとしない車がたくさんあることです。また、ある時バス停(札大正門前)の目の前に平気で停車している車も見かけました。たまたまバスが通りかかりましたが、やむを得ずセンターラインよりの車線に停車し乗客を降ろしはじめました。その間30秒ほど道路が完全にブロックされました。私が注意すると車の運転手はすぐドクつもりだからいいだろうと言って反省のかけらもありません。ある日、西岡郵便局でひとつの窓口の前に数人の客が列をつくって待っていました。追加的に窓口が開いた途端、列の後ろから突進したおばさんがいました。郵便局の人や整列している人は誰も注意しません。私は、カナダ人の肩を持つわけではありませんが、カナダではそういう人はあまり見かけないのです。むしろ、そういう人がいた場合は周りの人が注意したりします。

 日本は、そういう意味で情けない国になりました。短期的な個人的利益や仲間内だけの都合といったような私的な狭い価値が最優先され、より普遍的な価値(たとえば社会正義、公正さとか、公益など)が軽視されるという現象です。私はこの現象を「価値観の下克上」と勝手に呼んでいます。「下克上」とはご存知のとおり、戦国時代に下位の武将が上位の武将を殺害し、支配力を得ることを意味しています。「価値観の下克上」とは、上層に位置すべき価値が、下層の価値にその座を譲ることを意味します。私は、「価値観の下克上」はなかなか重要な概念であると思っています。世の中の様々な問題の多くは、これが原因ではないかという仮説を持っているのです。交通マナーの問題、列の横入りの問題、薬害エイズ問題、水俣病をはじめとする公害問題、そして地球環境問題などは、本来上層の価値が、下層の価値に乗っ取られたため発生したと考えられるのです。救急車の走行は、急病人やけが人の命を救うという崇高な価値を達成するためのものです。個々人の自動車の走行も目的地に到達するための行為であり、それなりの価値があることは違いないのですが、尊い生命を守るという価値の前では一歩譲るべき価値と考えられます。薬害エイズ事件は、患者の生命を守るという崇高な価値が、ミドリ十字など私企業の経営利益の確保という低次元の価値に凌駕されたことにより引き起こされています。(アメリカでは、非加熱血液製剤がHIVウイルスによって汚染されている危険性が1982年に指摘され、翌年非加熱製剤の回収が始まりました。その問題は日本でもほぼ同時期に認識されていたにもかかわらず、厚生省はアメリカから輸入された非加熱製剤の使用を2年以上も容認しつづけました。ミドリ十字などの製薬会社がため込んでいた輸入血液製剤の在庫の売却を最優先させようとした研究班の答申が、厚生省の判断を誤らせたと説が有力です。このミスにより二千人以上の血友病患者がHIVに感染させられました。取り返しがつかない重大な事態が生じてしまったのです。)

 環境問題についても、同様なことが言えましょう。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のウイリアム・リース教授やアメリカのメリーランド大学のハーマン・デイリー教授は、次のような発言をしています(因みに、二人とも高名なエコロジー経済学者です)。経済活動は、もともと人間の幸せ・福祉という崇高な価値を実現するためのメカニズムにすぎない。しかるに、近頃は経済の拡大という二義的な価値が至上目的化し、他の多様な価値、例えば、文化的価値、地域の運命を地域自らが決めることができる価値、安全で住みやすい環境という価値、豊かな自然が存在する価値などが軽視、または無視されてしまっている。経済的価値の優越性と科学技術の進歩が補完し合うことにより、人間経済の資源需要量は、地球生態系の資源再生能力を超えるほどに肥大化した。その結果、資源の枯渇や環境の劣化が世界中で進み、人間の幸せ・福祉という高次の価値そのものが脅かされていると。彼らの主張することが妥当であることは、Living Planet Report 2002という報告書を見ていただけると一目瞭然です。以下のウェブサイトに掲載されていますのでインターネットが読める人はぜひご覧ください。 http://panda.org/livingplanet/lpr02 この報告書は、アメリカのRedefining Progressという研究機関のマティース・ワケナゲル氏などが中心となってまとめられたものです。Living Planet Index, Ecological Footprintなどの環境指標によって、我々人類の地球環境資源需要がどれだけ地球生態系の再生能力を超過しているかを明瞭に示してくれています。

 日本でも、国内総生産(GDP)の成長があたかも政治的な至上命令であるかのように扱われ、報道されています。資源の無駄使いをしてまで、GDPの拡大を推進すべきだと主張する政治家、経済学者、経済評論家の発言を多く聞きます。このような人たちは、GDPの拡大はすでに過剰となっている資源需要をさらに押し上げ、地球生態系の劣化を早め、結果的に人間の福祉・厚生を引き下げているという生態学的事実を理解していません。(日本国内で捨てられる携帯電話の数は、1日で約6万個です。ゴミの山をつくりだす事によって経済の活性化を図ろうする愚かなことは即刻やめてほしいものです。)

 経済的価値の圧倒的な優位性。最近のこうした社会現象の中で最も際立っているのは、国際政治経済の舞台で、「貿易の自由化」があたかも世界的コンセンサスを得ているかのように「聖域」扱いされている事態です。北米では、北米自由貿易協定(NAFTA)が1994年に発効しました。また世界的には、関税と貿易に関する一般協定(GATT)が拡張され、世界貿易機関(WTO)が1995年に設立されました。これらの協定や機関は加盟国の国内法、条例などの規制が自由貿易を阻害すると判断される場合には、それらを変えさせることができる強大な権力を持っています。自国民の健康や環境を守るための法律が自由貿易優先のために変えさせられた例として、カナダの例を紹介します。カナダ政府は、アメリカのエチル社が製造したガソリン添加剤を使用すると発ガン性物質が排出される事実を突き止め、カナダ国内での販売を禁止する法律をつくりました。エチル社は、これをNAFTA違反であると提訴し、NAFTAの国際紛争パネルで争われました。科学的に法律の正当性を証明してもパネルで認められない可能性があり、そうなれば莫大な賠償金の支払い義務が発生します。これを怖れたカナダ政府は、国内法を撤回し、エチル社に弁護士費用を支払うと結果になりました。健康と環境の価値ばかりでなく、自らの運命を決めることができる価値、民主主義という価値が、圧倒的優位を誇る経済的価値の前に崩れ去った象徴的な事例です。

 話を日本に戻します。みなさんもご存知のとおり、三菱自動車がリコール隠しを30年以上続けていたことが最近になって発覚しました。そのため少なくとも数名の人が傷害を被ったと言われています。会社のメンツや短期的利益という下位の価値が優先され、交通の安全を確保するといより上位の価値が踏みにじられた典型例です。因みに、経済企画庁長官を務めたことのある田中秀征さん(現在福山大学教授)は、この現象を「組織益」が「公益」を凌駕すると表現しています。カナダ日本研究学会という場でこのことを話しましたところ、聴衆の中から「ウォー!」というどよめきが湧き上がりました。私たち日本人にとっても驚かされる事実でしたが、カナダ人にとってもとてもショッキングな話だったようです。

 いずれにせよ、こうした問題の解決のためには「価値観の下克上」状態を克服する必要があるでしょう。具体的にはどんなことでしょうか。まず、価値には上位と下位のもののとの区別があることを自覚します。そして、どの価値が上位か、どの価値が相対的に低いのかを冷静に考え判断します。そして、それに基づき発言し、且つ行動することです。三菱自動車の何万人もの社員のなかに、ひとりもこのことを実践しようとする勇気ある人がいなかったということがあまりにも情けないではないでしょうか。さて、ここでみなさんが三菱自動車の社員であったと仮定して考えてみてください。上層部がつくった会社の方針に反対の意を唱えることは、個人的には(少なくとも短期的には)不利に働く可能性が高いでしょう。社内の結束や和を乱すふとどき者と批判され、いじめに遭ったり、左遷されたりするかもしれません。しかし、それは、顧客の安全を守るという上位価値を実現するために必要な行為です。社内での保身という短期的・個人的な利益という下位の価値観の呪縛から解放されて、社会正義という上位の価値を実現する担い手となる勇気が必要です。

 日本でこうした人々の出現が今ほど強く求められている時代はありません。「価値観の下克上」状態を逆転させ正常な状態に戻すことこそ21世紀における日本新生、地球の永続可能性達成のキーワードであるばかりか、みなさん一人一人が本当の意味で豊かな人生を送るための鍵ではないかと考えています。20世紀後半を支配した逆転のパラダイムを正常なものに戻すために、みなさんの鋭敏で冷静な判断力と勇気ある行動におおいに期待しています。