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冤罪を考える連続講演会
7月10日・免田栄さん、7月11日、布川事件・杉山卓男さん講演会のお知らせ


 浅野健一研究室では、7月10日(水)に免田栄さん、11日(木)に布川事件の杉山卓男さんを迎えて公開講演会を開きます。
 お誘いあわせの上、ぜひご参加ください。

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「マスメディアの現場」公開講演会
“殺人犯”にされた私―人権とメディア再考
【講師】免田事件・冤罪被害者 免田栄氏
日時:2013年7月10日(水)
午前10:45~12:15
場所:今出川校地今出川キャンパス良心館地下1号教室(RY地下1)
 *事前予約不要・直接会場へお越しください、無料

 第二次安倍政権で死刑の執行が続いている。国連加盟の世界193カ国のうち141カ国で死刑制度が廃止されており、先進国で死刑があるのは、日本と米国(17州は廃止)だけ。日本で初めて死刑囚の再審無罪判決を受け社会復帰した免田栄さんが「死刑とメディア」について語る。
 免田事件は四大死刑冤罪事件の一つ。1948年、熊本県人吉市で祈祷師一家4人が殺傷される事件が起こり、翌年、別件で逮捕された同県免田町(現あざきり町)の免田栄さんは公判ではアリバイを主張して否認したが、51年に最高裁で死刑確定。34年間、獄中生活を送った。第六次再審請求で再審が決定し、83年に無罪が言い渡され、解放された。免田さんは冤罪をなくすため、国連人権委員会(ジュネーブ)で証言するなど活動を続けている。
 10年2月14日、NHK教育テレビ「ETV特集」で「裁判員へ 元死刑囚・免田栄の旅」が放送された。足利事件の菅家利和さんらと交流。最近、熊本日日新聞社編「検証・免田事件」の新版が現代人文社から刊行された。
 免田さんは1998年、「年金加入の機会を奪われた」と日弁連に人権救済を求めるなど、年金受給資格の回復を訴えてきたが、拘置中に納められなかった国民年金の保険料を納めれば、年金を受給できる特例法が6月19日に成立した。免田さんは「苦労が無駄ではなかった。今後は人権をしっかり守る国になってほしい」と評価した。

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新聞学原論Ⅰゲスト講義
冤罪とメディア
2013年7月11日(木)
午前10時45分~12時15分
同志社大学新町キャンパス
臨光館201教室(R201)
 新町校舎へのアクセス:
http://www.doshisha.ac.jp/information/campus/access/shinmachi.html
講師:杉山卓男さん
※事前予約不要・無料


杉山卓男(すぎやま・たかお)さん
 1946年8月生まれ。67年8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で発生した強盗殺人事件「布川事件」で、桜井昌司と共に逮捕。78年、最高裁で無期懲役が確定。逮捕から25年の92年、第1次再審請求が最高裁で棄却され、96年に仮釈放、千葉刑務所から出獄。2005年、第二次再審請求が地裁で認められる。09年、再審開始が決まり、11年に無罪判決。
 出所後の杉山さんの生活を追いかけたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)が2010年に公開。2010年度第84回キネマ旬報ベスト・テンの文化映画部門で第一位を受賞した。

■布川事件とは──桜井昌司さん・杉山卓男さんを守る会より
 1967年(昭和42年)8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川に住む一人ぐらしの玉村象天さん(当時六十二歳)が自宅で殺されているのが発見された。足は縛られており、死因は窒息死と判定された。室内には衣類、寝具等が散乱し、机の引き出し、ロッカー、たんすなどが荒らされていた。死体解剖した秦医師の鑑定や 聞き込みなどから、犯行時刻は8月28日午後8時すぎで、犯人は二人連れの男とされた。
前科をもつ者や素行不良者など百数十名を超える人が捜査線上に浮かんだが、十数名のアリバイ不明者を除きシロとされ、犯人割り出しには至らなかった。そこで捜査本部は、数名を逮捕してアリバイを追及することとし、別件を口実に次々と逮捕していった。そのなかで最後に逮捕されたのが桜井昌司さんと杉山卓男さんであった 。
桜井昌司さん(当時20歳)は10月10日、窃盗容疑を口実に逮捕され、厳しい取り調べに耐えきれず、15日、強盗殺人を『自白』。翌16日、やはり、同町の杉山卓男さん(当時21歳)が暴力行為を口実に逮捕され、17日、強盗殺人を『自白』させられた。
二人は同年12月28日に起訴されたが、翌年2月の第1回公判以後、「自白は強要されたもの、強盗殺人はしていない」と無実を訴え続けた。しかし1970年10月6日、水戸地裁土浦支部は、「自白は信用できる、やっていない者が自白できるはずがない」と無期懲役の有罪判決を言い渡した。二人に結び付く物的証拠が何ひとつないまま、『自白』だけを証拠にした判決だった。
その後、高裁をへて1978年7月3日、最高裁で上告が棄却され、千葉刑務所で服役した。5年後の83年12月23日、被害者の死亡時刻についての新たな鑑定などを「新証拠」に獄中から再審請求したが、87年3月31日、水戸地裁土浦支部は棄却。東京高裁も88年2月22日、この棄却決定を支持して即時抗告を 棄却。最高裁も一九九二年九月九日、特別抗告を棄却してしまった。裁判官たちが、「裁判のやり直しを求めるなら、無実を証明する明白な証拠を出さなければならない」という考えに立って審理した結果であった。
1996年11月、逮捕から実に29年の獄中生活の後、二人は仮出獄した。2005年、第二次再審請求が地裁で認められる。09年、再審開始が決まり、11年に無罪判決が確定した。

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問い合わせ:渓水館401号室 TEL:075-251-3457(研究室) E-mail:asanokenichi@nifty.com
以上

掲載日:2013年7月8日
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