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シンポジウム「死刑とメディア」
河野義行氏講演会の全記録



 2013年3月30日(土)、松本サリン事件の被害者であり、事件発生当初、犯人扱いされた冤罪被害者でもある著述家の河野義行氏による講演会が京都弁護士会館で開かれた。主催は京都から死刑制度の廃止を目指す弁護士の会。
 この講演会は第1部が河野氏による「死刑制度」についての講演、第2部は、コーディネーターの同会副代表の辻孝司弁護士、同志社大学社会学部メディア学科の浅野健一教授が加わってのパネルディスカッションという2部構成で行われた。

全体のまとめはこちら。浅野ゼミHP「シンポジウム「死刑とメディア」河野義行氏講演会」
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2013/20130619_kouno.html

 「京都から死刑制度廃止をめざす弁護士の会」のHPでもシンポの報告が載っている。
http://www7.ocn.ne.jp/~kyo_shmk/1852.html

 浅野ゼミの1997年12月の先輩(現在毎日放送記者の中村真千子氏ら)のインタビューがゼミHPにある;
 http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/KOUNO/kouno-gathering2.html


















 以下はシンポの全記録である。この記録は、河野さんと、主催者の辻孝司弁護士、小原健司弁護士のチェックを受けた。

【文責:同志社大学社会学部メディア学科3年、坂本圭佑・高ハンギョル】

第1部 河野義行さん講演会 

 こんにちは、河野です。私は今、鹿児島に住んでおります。3年になりますけれども、ちょうど自分の人生の区切り、60歳になりましてですね、隠居でもしようかなということで今は鹿児島で割とゆっくりとした生活を送っております。今日はですね、犯罪被害者、あるいは冤罪被害についてという要望がありましたので、私なりの経験をお伝えしたいと思います。

 まず、犯罪被害者ということですから、犯罪によって被害を受けた人ということなんですけども、そんな簡単なものじゃないんですね。

 一体、犯罪被害者は誰が決めるのかという話になります。警察が決めているわけです。じゃあ、警察は的確にですね、被害者を被害者として認定しているかというと、間違う場合もあるということです。

 私は長野県の公安委員をしておりました。その時に起きた事件で、生坂ダム事件、これはですね、昭和55年の3月1日、松本市の運動場で男性が連れ去られたという通報がありましてですね、警察が動くわけですけれども、3月29日、ほぼ一カ月たったころにですね、長野県の生坂ダムというところで男性がロープで縛られて水死体で上がったんです。

 その時にですね、警察は死体がロープで縛られているということですから、他殺ということで動き始めるわけです。そして、捜査が進むなかでですね、この男性は自殺したんじゃないかと、そういう情報がたくさん集まります。たとえば、男性が厭世的な言葉で「自分はもう死にたいんだ」とかそういう言葉を何か所かで吐いているわけです。あるいは、男性はダムから上がったわけだけれども、ダムで死んだのかあるいは他所で殺されて投げ込まれたのか、いろんな手続きを踏むわけですけれども、結果的にですね、警察はこの男性を自殺という風に判断してしまいます。そして、その男性のお母さんは「うちの息子が自殺するわけがない」と独自でいろいろ調べ始めるわけですけれども、限界がありますね。そして、この事件は忘れ去られてしまいました。そして20年が経ったんです。この時にですね、長野県の豊科警察署という警察署があります。ここへ、手紙が届きました。「実は、あれは俺がやったんだ」。そういう自白の手紙ですよね、それが届いたわけです。手紙が届いたから、すぐその人がやったという判断にはなりませんからね。たとえば警察がそういう発表をすぐしてしまった時に、「いや、冗談だよ」と言われたらどうするんだ、という話になるわけです。警察はですね、3年間、事実関係を追っていくわけです。そして、その告白の手紙の主がやったということで、送検できるぐらいのものになるわけです。ただし20年です。民事も刑事も、もう時効を迎えているわけですね。そんな中で、男性のお母さんは「息子の母も朽ちてきている、何とか助けてほしい」、そんな要望もあった。しかし、当時はですね、いわゆる救うための法律が何にもなかったんです。犯罪被害者と給付金制度、こういうものもあるわけですが、これ以前の話なんです。どうすればいいか、公安委員会あるいは警察もいろいろ考えたわけですけれども、法律的に適用できるものが何もないということで、できるのはやはり気持ちを届ける。警友会という組織があるわけですけれど、ここが主になってカンパ運動をしてですね、気持ちを伝えたというケースなんですね。これは、警察が他殺であるのに自殺であると判断してしまった、そういう例です。

 それから、もう一つですね、これは長野県・愛知県連続殺人事件、こういうものも私が公安委員をやっているときに起こっているんです。これはですね、平成16年(2004 年)4月27日、長野県の飯田というところでですね、77歳のおばあさんが殺されたわけです。そして、この時は娘さんが疑われています。ポリグラフをかけられたりですね、あるいは娘さんの娘に、お母さんに自首するように説得させたりとかですね、まさに犯人扱い、そういうことを警察は行ったわけですね。しかし、この事件は、16年の9月27日、半年ぐらいたってですね、真犯人が現れまして、その女性がやっていないということが証明されたわけですけれども、いずれにしてもですね、この女性は警察から犯人扱いを受けた。そういう中で刑事部長が県議会で申し訳ないと言っているだけ、到底納得できない。こういうことを言っていたわけです。私は本人に会って、要望を聞きまして、そしてやはり謝罪あるいは陳謝でもいいですけれど、本人に向かわなければ何の意味もないと、そういうことを県警本部長に言いましてですね、手紙でも電話でもあるいは出向いてでもいいけれども、こういうことに対して申し訳ないと、きちんとやってくださいという要請を出したわけですね。結果的には、所轄の署長、まあ飯田署になりますけれども、この署長がその女性のところに出向いて、陳謝した。謝罪じゃないですね。過失はなかった。だから陳謝という形でおさまりました。

 あるいは、もう一つの例。これはですね、平成14年(2002年)10月12日に起こった事件です。長野県の奈良井川という川があります。その川で、車が燃えていて、男性と女性の焼死体が上がったわけです。警察は、心中と他殺両面で捜査を開始するわけですけれども、結論が出ないんです。どっちかわからない。こういう話もあるわけですね。5年以上結論が出ないわけです。そうしますと、今、たとえば犯罪被害者救済のためにいろんな組織が動いているわけですけれど、どっちか結論が出なければ動きようがない。こんな状況もあるわけです。ですから、犯罪被害者といってもですね、間違う場合もあるし、結論が出ない場合もある。そんな、いろんなケースがあるということです。つまり、警察は間違えもあるということですね。これが現状です。

 そんな中で事件が起こりますと、警察はどこから捜査を開始するかという話になります。基本的にはですね、被害者の周りの人、特に家族とか親族、ここから調べる。なぜかといいますとですね、殺人のような凶悪犯罪と言われているものの犯人はですね、親族間の中で半分ぐらいいる。そういう数値が出ているわけですね。そうすると、一番効率がいい捜査というのはですね、親族から調べたほうが当たる率が多いということです。そんな中で、犯人がその中にいなければ、少しずつ輪を広げていくというのが捜査の基本なんですね。そうすると、自分は犯罪によって被害を受けた者と考えていても、まずは最初に疑われる人、そういう存在になるということです。そんな中で、警察官の経験則、「この人は普通の人とちょっと違う言動・行動をしているな」と警察官がそう思ってしまったとき、警察という組織はですね、この人はほぼ犯人とか、犯人ではないとか、そういうことにはならない組織ですね。犯人ではないということを証明するためには、それなりの立証、それができてないと容疑者から外せないということになるわけです。だから、私は1年近く疑われたというわけですね。

 じゃあ、なんで疑ったのか、私はそんなに怪しい男だったのかという話になるわけですね。私は事件前、割と真面目に生きてきた。そういう自負を持っています。しかし、警察は疑った。これはですね、疑う相当な理由があったということです。その理由というのは非常に、些細なものです。また、些細なものを見落とすようでは事件の検挙には至らないことも事実です。じゃあ、私は何で疑われたのかと言いますとですね、事件が起こりまして、犬が異常を起こし、死んでいく。そして、妻が異常を起こす。そんな中で、私は救急通報するわけですね。そして、妻に対して簡単な救急措置、気道確保するとか、そんなことをしている間に私の体がおかしくなっていく。視覚異常が始まるんです。見える像がゆがんだり、流れたり、あるいは部屋がとても暗く見えたり、そんな状況になります。そんな中で、自分は救急通報したわけです。当然、救急隊員が家に来るわけですね。私がこの時に考えたのはですね、一秒でも早く救急隊員を妻のとこへ誘導して、妻を助けたい。こういう思いがあったからですね、苦しんでいる妻のところを離れている。実はこれが警察から見たときに、不審な行動だと思われてしまったということですね。後の事情聴取で言われました。「河野さんね、普通であれば奥さんが苦しんでいる時に、奥さんのところを離れるということはしないんだ。あんたの行動は極めて不自然だ」。こんな風に言われています。

 あるいはですね、私が病院に運ばれて、次の朝早くに、刑事さんから話を聞かせてくれと言われました。実は、私は断っているんですね。これも言ってみれば、疑惑を増幅した要因の一つです。何で断ったのか。事情聴取なんかできる状態ではなかったということです。熱は39度を超えておりました。体のいたるところが勝手に痙攣を起こしている。目を閉じれば幻覚の世界ですね。サリンというのは神経毒と呼ばれています。瞼を閉じたと同時に、別世界が現れてくる。そして、その世界が現実なのか幻覚なのか区別がつかない。そんなような状況で、酸素マスクをつけられ、体にはモニター発信機をつけてですよ、私の病状を看護士さんがいつも監視をしている。そういう状況です。また、主治医の先生は後のオウムの裁判で、「あの時の河野さんは危ない状況だった」。こういう証言をしております。そんな状態だから、事情聴取をできる状態じゃないから断った。しかし、警察から見たときはですね、警察から見た景色があるということです。やはり、後の事情聴取で言われるわけですね。「河野さんね、一被害者であれば警察の事情聴取を断るというのは不自然だ」。こんな風に言われているんですね。これで小さな疑惑が二つ重なります。さらに疑惑は深まっていく。

 次はですね、同じ日の夕方です。6月28日の夕方ですね。刑事さんが言いました。「昨日は何やっていたの」。こんな風に言われるわけですね。全く答えられなかったんです。ベッドの横にいる息子に、「お父さんは昨日何やっていたのか」。尋ねているんですね。これは警察じゃなくても、ちょっとおかしいと思いますよね。昨日のことが全く言えないんです。普通で考えればですよ、この男は何かを隠しているという風に取るほうが自然だと思います。しかし、この原因も後でわかります。それはですね、サリンを吸いますと、記憶の領域をやられてしまうということです。私は入院当初から、モノの名前が、全く出てこない。そういう状況でした。自分の頭、ちょっとおかしくなってしまったかな、そんな風にも考えていたんですね。そんな中で、「昨日、何やっていたの」と言われたって、全く分からなかったわけです。そんな些細なことでですね、警察官が「この男は何かあるぞ」という風に思ってしまったというわけです。そして、一旦そう思ってしまったら、その人がやっていないということが分かるまで外せない、そういう組織であるということなんですね。

 そんな中で、一番疑惑が大きくなったのは薬品の所持なんです。私は自分の趣味に白黒の写真がありますけれども、現像から引き伸ばしたりということを、自分でやっていたわけですね。あるいは、陶芸の趣味も持っております。茶碗を作ったり、皿を作ったりして色を付けたりするわけですけれども、その着色料に薬品がいるんですね。酸化金属と言われているもので、緑の色を付けたかったら酸化ニッケルを使ったり、青がほしければ酸化コバルトを使う、そんなようなですね、薬品が20数本、家に保管されていたというわけです。そして、その中に警察が関心を引く薬品があったということです。それは、写真の現像液として使うために持っていた青酸化合物です。青酸カリ、青酸銀この2種類です。写真をやる人はそういうことをわかるわけですけれども、事件が起こって警察が来た時にですね、薬品の知識というのはどうもほとんどない、そういう警察官だったようですね。硝酸銀という薬品もですね、押収されております。これは、写真に使うわけですけれども、化学記号がAgNO³。ところが押収していった交付書にはですね、AgNo.3と書いてあったわけです。「これは中学校以下の化学レベルだな」と、息子と笑っていたわけですけれども、まぁ、それは専門が違うわけですから致し方ないことです。

 警察は薬品類を押収しました。そしてですね、夜の記者会見で警察は、実名発表したんです。長野県警としてはですね、マスコミが偏ってしまうかもしれないから、匿名発表を考えていた。しかし、上級庁の警察庁が実名発表をするようにと指導をしたんですね。地方警察は上級庁の言うとおりになるわけですね。だから、そこで実名発表がされる。そのことによってですね、今度はマスコミの経験則が働いていったんです。個人の住宅が強制捜索を受けて、警察がその家の主を実名発表したということはですね、もう決まりということなんです。つまり、あの人が犯人だという方向性がそこで出てきてしまった。そして、あたかも私が犯人であるかのような、そういう報道が繰り返され、そのことによって市民が反応して、私や私の家族に制裁を加える。そういう展開になっていくわけですけれども、じゃあ市民がなんで私の電話・住所がわかるのかということになるわけです。

 これはですね、6月28日、つまり事件の翌日です。号外が出ました。そしてこのときは、まだ私が犯人だとか、そういう状況ではありませんでしたので、号外の中の入院患者一覧表というところに、私や私の家族のフルネーム・年齢・住所も、細かいところまで出たわけですね。つまり、被害者なら、実名報道で問題ないのかという話にもつながっていくわけですよね。浅野健一さんは匿名報道主義ということで、ずっと訴えているわけですけれども、ここで匿名になっていたら、あんなに無言電話や嫌がらせの電話を受けることはなかったわけですが、悪意がなかったけれども、入院の被害者として載って、後からひっくり返ったというわけです。そして、色んな誤報が続いていくわけですけれども、その中に、「フロン押収」という記事が載っています。一番初めはですね、警察は青酸化合物で七名が亡くなったという風に考えていたわけです。ところが、青酸化合物では辻褄が合わなくなった。それはですね、亡くなった方、あるいは負傷して病院に入院した方の全員が、縮瞳という現象を起こしていた。青酸での被害は逆に瞳孔が開くんです。そうすると、猛毒な薬品、青酸カリ・青酸銀を押収したけれども、これは使えないということになるわけですね。なんとか、有機リン系の農薬を探せという指示が出て、裁判所で押収していい期間というのは一週間でした。再度、家に警察官が入ってきてですね、いろいろ捜索するわけです。そして、有機リン系の農薬が二種類出てくる。一種類はスミチオン、そのへんの園芸店で売ってる薬品、殺虫剤ですね。もう一つ、押収した交付書に、有機リン系農薬粉剤って書いてあるわけです、何のことかわからないので刑事さんに聞くわけです。「ここに有機リン系農薬の粉剤と書いてあるけれども、そんなものが家にあったのか」と聞きました。そうすると、あると言うんですね。「一体どんなものですか」と聞いたら、「バルサン」と言うんです。有機リン系の農薬らしいんですね。じゃあ、バルサンて書けばいいじゃないですか。有機リン系農薬粉剤と書くと、少し怪しく思えるんですね。

 そして、「フロン押収」という記事が出たわけですけれども、実は私が京都にいる時に、工業薬品の会社に勤めておりました。フロン缶というのは非常に密閉性がいいんです。それを、灯油を入れるためにもらって、松本市では灯油を入れて使っていたんですね。それを警察が押収して行った。その時に、フロンと書いてあるわけですけれども、中身は確認していないわけです。それをマスコミにリークするんです。なんでフロンということにこだわるかと言いますと、今度は化学の専門家のコメント欄に、フロンと有機リン系の農薬とを化合させると、いわゆる毒ガス兵器並みの毒ガスが出るというコメントが出ているんですね。ここで一つ間違いがあるんです。フロンというのは非常に安定した物質です。そんなに化合しないんですね。本当はフッ化物なんですね。そういうものならすぐ反応して、毒ガスが出るかもしれないですけれども、フロンでは出ないはずなんです。しかしですね、あの男がやった、そして薬品を持っているという一つの方向性が出てしまいますと、プロである学者もそれに合ったコメントを出すということなんです。信州大学の加藤さん、この人もやはりですね、サリンというのはバケツでもできるんだ、日常的にできるんだというコメントを出しております。後にですね、私が事件に関与していないと分かって、松本市で講演した時に、その教授が来ました。そして、言いました。「自分は、あの時は学者ではなくなってしまっていた」。こう言うんですね。学者であれば、警察が押収していたその薬品だけでですね、たとえばサリンができるとか、毒ガスが出るとか、そういう判断をすればいいんです。ところが、あの時は警察があまりにも自信を持っていたから、後で変なものが出てきたときに恥をかくかもしれない。そういうことを考えてしまってですね、結果的に変なコメントを出してしまった。「自分は学者ではなかった」と講演会場で涙を流して謝罪したわけですけれども、それはマスコミの流れがあった時に、それに沿ったようなコメントを出さないと、コメンテーターから外されるといった現状があるんですね。ですから、当時の神奈川大学の常石教授、この人もですね、言ってみれば有機リン系の殺虫剤とフロンでソマンに近い毒ガスができる可能性があるとかですね、あるいは筑波大の内藤教授、スミチオンとフロンと苛性ソーダでソマンに近い毒ガスができるとコメントしているわけです。つまり、引きずられるということなんですね。ですから、たとえば冤罪の裁判においてもですね、鑑定人というのは、なかなかその事件が起こった場所では、いわゆる警察が鑑定した鑑定人以外の人というのはつかないんです。言ってみれば、ボスに逆らえない。そんな現象が起こってくるということです。鑑定人であれ、学者であれですね、プロでなければいけないと思うんですけれど、プロでなくなってしまう。ここが怖いところなんです。そうして、事件発生からたった二日間で、一瞬にして世間から殺人鬼と呼ばれるようになってしまったというわけです。

 そして、犯罪被害者というものを見たときに、まず大変だったのは医療費の問題です。私の家族は三人が入院しました。そして、妻は救急隊員が来たときには心肺停止という状況です。気管支切開をすぐやって、呼吸器を取り付けたり、そういうことをやったわけです。入院して一週間たった時に、請求書が回ってきた。一週間の医療費総額はですね、300万円です。当時、保険は二割負担。それでも一週間に60万円です。「こんな請求書が続いたら、とてもじゃないけど生きていけないわな」、そんな風に考えました。その後はですね、月に15万円ぐらいの負担がずっと続いていく、そういう状況になったわけですね。私はサラリーマンです。普通の給料をもらって、普通にやっていても、いっぱいいっぱいだということが現状です。そんな中で、働けないということですから、給料の六割ですね。それから月々の15万円の医療費の負担です。結構大変ですね。そんな医療負担がのしかかってきます。

 そして、マスコミの取材攻勢というのも半端じゃなかった。これは、当時は加害者としての取材攻勢だったわけですけれども、被害者でもやはり同じことが起こるんですね。取材をとるために記者の人が張り付く、なかなか帰っていかない。あるいは1日に50件や60件の取材の要請が来る。そんな取材攻勢もとても辛いものでした。それから、これも犯罪被害者の共通部分なんですが、「自分の体は元どおりになるのか」という心配もありますよね。例えば、女性が顔を切られたとか、硫酸をかけられたとか、そういう事件もあります。そんな時にはですね、本当に自分の体が元どおりになるのかという心配も出てきます。私の場合はサリンです。臨床例がないんですね。病院に検診に行きますとですね、当時は脳波の異常、あるいは心電図の異常、それから微熱、これは10年以上続きました。後遺症はありますよという話はあるんですけれど、治療方針が出てこない。そういう状況でした。果たして自分は治るのか。そんな負担もあるわけですね。

 それから、多くの人が、例えば犯罪被害によって愛する人を失ったりすると、自分を責めるんですね。あの時こうしていれば、自分の愛する人は死ななくて済んだ。そういう風に、自分を責める。そして、加害者が分かっていれば加害者を恨み、憎む。そういうことになっていくわけですね。実は、私はこのことには踏みとどまっているんです。当時、オウム真理教の犯行ということで、オウムの人たちが次々と逮捕されていきました。新聞はですね、「オウム憎し」を誘導してくるんですね。あるいは、「麻原彰晃は気持ち悪い男でしょ」という誘導もありました。私は法廷で麻原彰晃さんを見ていますけれども、普通の人なんです。マスコミが虚像を作っているんですね。そんな中で基本的には、逮捕されたからと言って、犯人であるとは限らないということです。自分だって、「もう99%、河野は逮捕される」と言われているんですね。ですから、これは裁判によって、どうなっていくかということを見極めようと思いました。

 世間では、ほとんど麻原彰晃さんを、「麻原、麻原」と呼んでいました。私はいつも「さん」をつけています。そして、自分の生き方というものを考えた時に、仮に犯人という風に裁判で判決が出ても、その人を自分が恨み続けることが幸せか、ということを考えたんです。恨んだり、憎んだりする、それはとてもエネルギーがいるんです。そして、得るものは何もないんです。つまり、自分が加害者を恨み続けることは、不幸の上に不幸を重ねるということです。それは、自分はしないぞと決めたんです。そんなエネルギーを使うなら、私は妻の回復、そのために全エネルギーを使おう、そういう風に決めたんですね。ですから、当時はオウムの信者さんたちに、そんなに悪く言った覚えはないし、罵った覚えもないんですね。そういうことが報道で伝わって、オウム真理教の信者さんが、妻の見舞いに毎年来ていただくことになったんです。話してみる、あるいは付き合ってみると、とても真面目な人。いわゆる新聞が言うような、とてつもなく悪い人とは程遠い。そういう人たちなんですね。普通の人より真面目だな。そんな思いで彼らとの付き合ってきたわけです。

 そんな中でですね、次々と刑が確定していくわけですけれども、死刑が確定している井上義浩さんとかですね、遠藤誠一さん、あるいは新実さん、中川さん、こういう人たちともですね、私は東京拘置所に行って、面会しているんです。そして彼らと、入信の動機、あるいは事件の時、どんな状況であったかということを話しました。遺族にとって聞きたい情報というのはですね、たとえば「自分の息子がなぜ殺されてしまったのか」、「自分の娘がなぜ殺されてしまったのか」、その「なぜ」を聞きたいんですね。そんな中で、「なぜ」が一番知りたかったら、伝聞じゃなくて直接聞くのが一番だと私は思っております。どうしてもマスコミの報道ということになりますと、大事なことがカットされてしまったりというケースもあると思うんですね。ですから、東京拘置所に行ってですね、話をしています。そうすると、四人が四人ともですね、凶悪とは程遠いような、そういう人格の持ち主だったわけですね。

 私は鹿児島に移って、児玉さんという方と一緒に住んでいました。彼女は一年半ほど前に救急車で病院に運ばれ、診断は肺がんの末期でした。私は講演等も極力減らし、ずっと看病し続けましたが、今月の16日に亡くなりました。23日に初七日の法要を終えました。その亡くなる一日前にですね、大阪の弁護士経由で、中川さんから手紙が届いています。手紙の内容はですね、「親しい人が肺線がんの末期、ステージ4と聞いております」と、「こんな治療方法がありますよ。また治験では公になっていないけれど、こんな治療方法がある」。そして「銀座のこういうクリニックではこういう先生がやっています。よかったらあたってみたらどうですか」。そんな手紙が、実は届いたんですね。自分は死刑が確定しているんですよ。自分はいつ死刑執行されるか、そっちの心配が先じゃないかと思うんですけれど、そんな私の同居人のことを心配してくれて、文献を整えて、私のところへ弁護士経由で手紙を届けてくれたんです。とてもいい人じゃないですか。立ち直れる。矯正できる。そういう人を本当に殺しちゃっていいのかなって、おかしいんじゃないかなって、私はその手紙を受け取って、そんな風に思ったわけですね。

 大事じゃない命なんて、どこにもないと私は思っております。大事な命を一つ奪う、あるいは二つ奪う。そういうことによってですね、その人の命は大事じゃなくなるのか、じゃあもともと大事じゃないのか、どっちなんだ。そんな思いすらするわけですね。ましてや私のように、何もしていないのにあんな風に報道されて、逮捕は阻止しましたけれども、検察が間違え、裁判官が間違えたということになれば、私にだって死刑の可能性はある。当時は息子とそんな話をしていたんです。「この状態で行けば、お父さんは逮捕が間違いないわな。そして、警察が間違え、検察が間違え、裁判官が間違えた時は、今の罪状で行けば殺人ですので七人殺したということになる。そうしたら死刑求刑されるわな。そしてそれが確定してしまった時、お父さんはこう言うよ」。息子に言いました。「あなたたちは間違いましたね。でも許してあげる。こう言って、刑の執行を受けるんだ」。当時こんな話をしていたんです。これは心のバランスをとるためなんですけどね。何もしていなくても、こういう可能性は誰にでもあるということです。苦しんでいる妻の所を離れただけで怪しい、こういうものが重なって、逮捕されて、体力が持たなくて、自白してしまったらというケースもあるということなんですね。そうすると、何も悪いことをしていない人の、国家が命を奪うということです。確率的には低いです。じゃあ、1000万分の1ならいいのかという話になるんですね。あるいは、2000万人に1人くらいなら、そうなってもしょうがないと思うのかということです。私は許されないと思います。そういう意味でですね、死刑という制度そのものに、私は反対しているわけです。それは誰にでも降りかかってくる可能性があるからということなんです。

 それから、あの事件ではですね、私は加害者として扱われた。それは疑うのに相当な理由があったということなので、しょうがないと思います。そんな中で、私は早くに弁護士にお願いしています。なんでお願いしたのか。テレビ局が、私のことを殺人者扱いしていると息子がそう言ってきた。そして、息子はそのビデオを撮った。つまり、証拠として残っているということです。テレビ局に対して、訴訟を起こそうと思ったんです。息子に指示して、誰か弁護士を紹介してもらってくれと、私の親しい人に言ってほしい。そういう話を出すわけですね。私の知人はとても悩んでいます。それはですね、七人が亡くなって、数十人が負傷した、最終的には六百人です。とても大きな事件です。若い弁護士ではおそらく世間からつぶされてしまう。そういう風に思ったんですね。よほど腹の据わった弁護士でないともたないだろうと。そしてもう一つ。売れっ子弁護士ではとても忙しくて見てくれないだろう。ちょっと暇な弁護士のほうがいいんじゃないかと考えたんですね。永田恒治さん、ここにいたら怒るでしょうけど。腹が据わって暇な弁護士。たまたまですけれども、私の自宅近くに事務所を出していた永田恒治さんのところにお願いに行くわけです。この時に、私の知人の大槻さんという方ですけど、永田さんにお願いに行くわけです。永田さんがまず言った言葉は、「弁護料は払えるんですか」。こう言ったそうです。なんでこんな話が出るのかと言いますとですね、マスコミによると私の逮捕は近々に行われるという状態だったわけですよ。逮捕された人がですね、資金的に余裕があるわけないんですね。普通のサラリーマンだし。だから、そんな話が出たわけです。この時に大槻さんは、こう言ったんです。「河野君が弁護料を払えないとは思っていないけれど、そういう心配もあるかと思って、お金を持ってきたんです」。ポケットから300万円出してですね、着手金として取っといてもらう。そして、「河野君が弁護料払えなかった時は、僕が払うから」と言ったんですね。そして、永田弁護士さんは私の代理人になってくれた。

 しかし、大槻さんがお金を持って行ったからじゃないんですよ。お金はもらってないんです。なんで受けてくれたかと言いますとですね、裁判所の出した令状のあり方なんです。裁判所は6月28日、被疑者不詳の殺人ということで私の自宅の強制捜査の令状を出しているんですね。しかし、この時点で分かっていることは七人が死んだ。これ以外、何もないんです。原因物質も特定されていない。事件なのか事故なのか、それすら分かっていない。そんな中でですよ、裁判官はどうしてこれが殺人だと言えるのか。こんないい加減な令状を出す裁判官が許せない。こういうことで受けてくれたんです。新聞に「会社員に弁護士がついた」。そういう報道が流されました。世の中は一斉反発ですね。一つの反応は、あの会社員は七人も殺しておいて、弁護士を雇って自分の罪は逃げようとしているという反応が一つ。そしてもう一つの反応、そんな奴を弁護する弁護士も弁護士だという反応です。 

 とてつもなく悪い人と言われている人を弁護するとですね、その弁護士も世間からは悪い弁護士と言われてしまうんですね。麻原彰晃さんの弁護士さん、安田さん、弁護主任やっておられましたよね。どれだけ叩かれているか。同じことがやはり起こったんです。永田弁護士さんの事務所にはですね、弁護士を誹謗中傷する電話・手紙・FAXが殺到していました。「お前は知名度を狙った、悪徳弁護士だ」、「おまえは金目的の乞食弁護士だ」。そんなことまで言われているんですね。本当に孤独な弁護だったと思います。弁護士さんが私のところへ来て最初に言った言葉、「僕は黒を白にするそんな弁護はしないよ」。そう言ったんですね。「当然それで結構ですよ」と言いました。引き続いて、弁護士さんは言いました。「河野君は今、事件に関与していないと言っている。もしこれが後にひっくり返った時、おそらく自分の弁護士生命もそこで終わるだろう。そういう意味では君の弁護を引き受けたということは、君と心中する。それくらいの覚悟で引き受けているんだ。決して嘘だけは言わないでほしい」。こんな風に言われたんですね。そして、永田弁護士さんの仕事は、私の疑惑が晴れるまでの一年間、まったく仕事が入らなったんですね。言ってみれば、世間は、そんな悪い弁護士には仕事を出さない。そういう風に動いたんです。まさに、心中覚悟の弁護が始まるわけですけれども、私と永田さんの意見が入院中、噛み合わない。そりゃそうですよ。私はテレビ局に対して損害賠償請求をする民事訴訟を考えていたんです。ところが、永田弁護士さんはもう刑事弁護を考えていたんです。「河野君、僕に依頼するならここに名前を書いてほしい」と書類を持っていらっしゃった。弁護士の選任届ですね。だから噛み合わない。一番噛み合わなかった部分は、警察に対する思いの違いでした。入院中、警察は私を助けてくれる。そういうところだと思っておりました。警察は事件から三日目です。私の病室にずっと張り付いていたんです。病院からは、河野さんを見ると親戚も誰も来ないから、警察にお願いして、いわゆる看病してもらっているんだという説明だったわけですね。「警察は看病までしてくれるんだ。良いとこだな」とまで思っていたんです。実は、これは後から確認しました。十年経った時に、当時の捜査一課長がマスコミの取材に対して、当時、河野さんの病室に張り付いていたのは自殺防止と逃亡防止、このために警察を24時間張り付けていた。こういう件があったわけですね。でも、当時は病院からそういう風に聞いていたんです。口がすぐ乾いてしまう、そういう状況でですね、水は飲んじゃいけないけど口をゆすぐのは良いということで、しょっちゅう口をゆすいでいる。水が無くなると、すぐに刑事さんが水を持ってきてくれる。警察ってありがたいところだなと思っていたんです。これに対して、永田弁護士さんは「河野君、警察が君の潔白を証明してくれる。そんなこと考えていたらそれは間違いだ。警察は犯人を作るところなんだ」。こう言うんです。だから噛み合わない。しかし、退院後の二日間の出来事でやっと噛み合うようになってくるんです。つまり、私は一カ月ちょっと入院して、退院してから二日間の事情聴取を受けているんです。そこで永田さんの言った通りだな、という風に考えが変わったんですね。

 当時、長野県警の私への捜査というものを冷静に見た時に、それは法に従って適切に行われていたと言えるのかと思います。しかし、退院後の二日間の捜査では不適切なものが三つあったと思っています。一つはですね、医師が出した診断書です。警察の事情聴取は二時間以上しちゃいけないよ、そういう内容の診断書を出しているんです。しかし、警察はそれを無視して、七時間半の事情聴取を二回行っております。医師の診断書というものは重たいものです。それを無視したということが不適切なものの一つです。そして二つ目はですね、当時高校一年生の息子に対して、“切り違い”尋問をやっているんですね。当時の捜査本部は私と息子が共犯だと考えていました。ですから、息子に対して、7月30日ですけれども、私が警察で事情聴取を受け、息子が自宅で事情聴取を受けています。同じ時間帯ですよ。その時にですね、刑事さんは息子に対して、「僕、薬品はどこ。どこに隠したの」。そんなような尋問をしているわけです。そんな中でですね、一人の刑事さんがこう言ったんです。「親父はもう吐いた」。こう言ったんですね。「ポリグラフでも反応が出て、お父さん自身罪を認めてる。僕だけ隠してもどうにかなるものでもない。早く本当のことを言いなさい」。こういうことをやっているんです。これは、私にとって非常に危ない橋です。もし長男が、その雰囲気に呑まれてしまって、「お父さん自身罪を認めているならそうかも知れない」という話をしてしまったら、おそらく私は7月30日に逮捕されていた。逮捕する理由がそこで発生するわけです。息子が父親の罪を認めているという、そういう話ですからね。この時に息子は踏ん張ってですね、お父さんがそんなことを言うはずもないし、するはずもないと踏ん張ることができたから帰れた。家に帰ったら息子は泣いていましたよ。「警察は僕に嘘をついた」。泣いていたんですね。何でもありだな、そんな思いだった。 

    そして三つ目。これは自白の強要です。7月31日ですね。もう体がつらくてしょうがなくて、机に肘をついていたんです。そうしたら、担当刑事さんが出て行きました。身なりのきちっとした人が入ってきました。私は担当刑事の上司だと思いました。そしてこう言われると思ったんですね。「河野さん、体が辛い中、捜査協力ご苦労様ですね」。当然こういう風に言われると思った。しかし、彼が言った言葉は「姿勢を正せ」。こう言ったんですね。この言葉は私のプライド・自尊心を剥ぎ取るためのものだったんです。自白の際は、その人のプライドや自尊心を剥ぎ取ることから始めると言われております。私は姿勢を正しませんでした。「こんなつらい体で、捜査協力に来ているのに、あなたにそんなこと言われる筋合いはない」。きっぱり言い返したんですね。そうしたら、その刑事さんは私を指さして、「おまえが犯人だ。お前は亡くなった人に申し訳ないと思わないのか。警察はお前の44年間の生活を全部分かっているんだ。さっさと自分がやったと罪を認めろ」。こういう自白の強要に入っていくわけです。ここからやった、やらない、小一時間続くわけですね。私は我慢の限界が来ました。「こんな失礼な事情聴取であれば、私はもう警察に協力できない。帰らせていただく」と席を立ったんですね。取調室にいた警察三人は、ずいぶん慌てました。なんで慌てるか。私は事件発生から退院までの警察の公式発表の議事録を全部とったんです。そうしたら警察はですね、公の場所では私のことを被害者の一人だと、こういう言い方しかしていないんです。一言も容疑者なんて言っていないんですね。それなのに自白の強要なんです。

 松本警察署の下には100人くらいマスコミが来ています。そこでたった今、自分は自白の強要を受けたとぶちまけた時にどうなるかですよね。つじつまが合わないんですよね。だから説得してきた。「河野さんの潔白は、河野さんが証明しなきゃいけないんだ。だから事情聴取を続けるように」こういう説明だったんですね。当然私も自分の潔白を証明したい。そういう思いがあったから事情聴取を続けたわけですけれども、自分がやっていないという証明をする必要があるかということなんです。警察が私のことを犯人だと言うなら、彼らがですよ、物証を持ってそれを明らかにしなければいけないということになっている。だけど実際の世の中は法律と逆だっていうことです。自分は何もしていない、真っ白だと言った時にですよ、当時マスコミや世間はなんと言ってきたか。「おまえが真っ白って言うなら、白であることを証明しろ」。あるいはマスコミは「我々はあんたに対して、疑問・疑惑をもっている。あんたはそれに答える義務があるんだ」。こんな手紙も届いているんですね。そして自分が白であるということを立証できなかった時、あんたは黒なんだというラベルを世間が貼るということです。推定無罪と全く逆、世の中はそんな風に動いているというわけなんですね。なんて理不尽な世界だな、そんな風に思ったわけです。

 何もしていないのに、体力で負けて、自白をしてしまうのか、当時そんなことも思いました。退院後はですね、警察は別件逮捕をずっと狙っているわけですね。会社のお客さんのところに行ってですよ、「河野に500円でもいいから渡さなかったか」こういう話をしているんです。500円を私が貰ったらですね、業務中得たお金を会社に入れなければならないのに使ってしまったということになる。会社に圧力をかければですね、会社が被害届書けば、動けるんですよ。たった500円の業務上横領です。そんなことまで当時はやっていたんですね。世の中は早く逮捕されたらいい、そういう動きだったわけです。それを逆転する動きを形成したのは、実は市民集会だったんです。今日のような講演会を開きました。そして冤罪とはどういうものなのか、あるいはサリンなんて会社員にできるわけがない。これはプロの仕業だ。そんなような内容で、講演会でぶちまけながら逮捕の牽制をしてきてですね、そういう中で、東京の地下鉄サリン事件がおきまして、マスコミ的には私は白くなりました。しかし、100社のマスコミがですよ、「河野は白だ」って言ったって何の価値もないんです。警察当局がですね、「河野事件に関与せず」と一言言ってくれなければですね、意味がないんです。私は「長野県警に今でも自分のことを犯人だと思っているなら別だけれども、そうでないということが分かったならば公式に発表してもらいたい」。こういう要求を出していたんです。そして6月です。松本サリン事件もオウム真理教の組織的な犯行である。そういうことをオウムの信者からの供述で得た。だから長野県警の刑事部長がですね、6月12日だと思いましたけれども、「河野、事件に関与せず」これを発表したんですね。何もしていない人、その人がですね、何もしていないということを求める、そんな世の中を今からやめてもらいたいですね。原理・原則、こういうことに沿った世の中であってほしい、そんな風に思っております。



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第2部 討論「死刑とメディア報道」

司会:こちらからは、パネルディスカッションという形で進めさせていただきたいと思います。コーディネーターは当会副代表の辻孝司弁護士です。よろしくお願いします。

辻孝司(以下、辻):辻でございます。第2部の方、コーディネートを務めさせていいただきます。よろしくお願いします。本日は、大変良いお天気で…。本日は本当に絶好の行楽日和ということで、京都は多分、1年間の中で、1番人出が多い週末になったんではないかと思いますが、この絶好の桜、快晴の日に、ようこそ、こちらの会にお来しいただきまして本当にありがとうございます。今日、この後もまだ、桜は見ていただけると思いますので、今日のこの会が終わった後にまた。この界隈にもたくさんもう咲いておりますので是非ご覧になっていただければと思います。第1部の方では、河野さん、本当にどうもありがとうございました。貴重なお話を聞かせていただいて、私もずっと聞かせていただいて、これは当事者として、ご経験なされた河野さんでなければ話せない話であり、河野さんだからこその、非常に迫力のあるお話だったという風に聞かせていただきました。河野さん、京都の方はよく何度かいらしたりすることもございますか。

河野義行(以下、河野):私、京都はですね、昭和48年から51年、3年半ぐらい住んでいたんですね。まあ、今日駅を降りますと、随分変わったなという感じはしますね。でもあの、寺町、この辺をぶらぶらしていますと、やっぱり良い風情ですね。京都ならでは、という感じがします。

辻:今日、こうして、今回のですね、講演に来ていただいて、私どもの方でも、初めてこうした形で対外的な講演をさせていただくということに対して、何人ぐらいの方が来ていただけるのか、非常に心配していたのですが、今日こんなに大勢の方に来ていただきましてありがとうございます。河野さん、前半お話になっての、ご感想とか何かございましたら一言いただければと思いますが。

河野:話の内容というのは、自分の体験そのものであるわけですよね。そんな中で、確かにひどい状態ではあったんだけれども、逆に、支援してくれた人も同じぐらいいるわけですね。そうすると、とてつもない悪い奴って言われながらもですね、助けてくれた人がいて。二種類なんですね。まず、助けてくれる人は、お前がやるわけないと言う人が一つなんです。そして、もう一つは、お前がやった、やらない、それはどっちでもいいけれども、お前が困ってんだから助けたいんだと。こういう人もいたわけなんですね。例えば、何か事件が起こって、逮捕されて、世の中からはじき出されていても、やっぱり世の中ってのは依然として支援してくれる人もいるわけですね。そういう意味では、捨てたもんじゃないかな。そんな思いをしながらちょっと話したんですけども。

辻:ありがとうございます。この後も色々、また河野さんのお話を聞いていこうと思います。それでは、ご紹介2番目になりましたが、浅野先生、同志社大学の…。

浅野健一(以下、浅野):浅野「さん」でお願いします。

辻:今日は「さん」付けということで。同志社大学社会学部メディア学科の教授をしてらっしゃいます浅野さんです。私の方から言うのも何ですから、せっかくですから、浅野さんご自身から研究テーマとか河野さんとの関わりとかですね、お話しいただければと思います。浅野さん、よろしくお願い致します。

浅野:今日、私はレジュメを用意しました。2012年12月23日に、同志社大学で安田好弘弁護士と東海テレビの阿武野勝彦さんに来てもらって、「死刑弁護人」の上映会とトークを開催した時の配布資料です。
 先程ビデオを見ていただいたように、河野さんと私は1994年6月の事件直後から関わっていまして。最初に、河野さんに取材したのが江川紹子さんです。信州大学の学生で学内の学生運動に長野県警が介入して冤罪で捕まった人たちがいて、その人たちが私のことを知っていて、福田雅章・一橋大学法学部教授(当時)と私の二人を招いて、松本市で集会を開いたんですね。その時、河野さんの子どもたち三人も会場に来ていらっしゃったんですけども、隠れるようにしていました。1994年の9月のことです。集会の前日、私が河野さんのおうちの前に行ったら、マスコミがうろうろしていた。和歌山カレー事件の林眞須美さんの家の前と同じ状態です。その中に入って行きました。河野さんに往診に来た医者は裏の家から塀を超えて、家の中に入っていく。そういう状況だった。河野さんは無罪っていう、確信を私は持っていました。
 その翌年に同志社大学のチャペルで講演していただいた。だから、まだ疑惑の中で、疑いがあった時に河野さんに講演してもらった。それが浅野ゼミ主催だったっていうのが、今もゼミの誇りというか思い出です。その時に司会した院生は、今は朝日新聞の記者になっています。
 河野さんはその後も毎年のようにゼミに来てくれています。「就職活動で不安になったら、遊びに来なさい」「南の島でゆっくり暮らすという方法もあるよ」って、そういうお話もアドバイスをしてくれました。
 河野さんとは多分50回ぐらい講演していると思うんですけど、河野さんのように自分の体験を社会化して、行動されている人も珍しい。公安になったり、刑務所に行ったり幅広い活動をされている。尊敬しております。あと、河野さんのご家族が素晴らしいんですね。娘さんと息子さんがいらっしゃって。その3人の方は当時高校生、中学生だったんですけど。その時のやっぱり松本の地元の人達の優しさに感動しました。例えば、普通にしてくれるというか。あとはキリスト教団から差し入れがあったりですね、創価学会の人も助けてくれたんですけども。よくマスコミが叩くと、皆でいじめるみたいなことがあるんですが、そうでない人も、優しい人たちもいた。みんな、無罪推定で動いている人がいた。たとえやっていても、それは家族には何の罪もない。

辻:はい。ありがとうございます。浅野さんが、河野さんとこの事件との関わりについて、共著で書かれた御本も今日お持ちいただいております。この会場で販売しております。浅野さんの他のご著書も置いてありますので。

浅野:この本の中で、河野さんの長男の仁志さんの同志社大学での講演録も入っているんですよ。素晴らしい内容です。

辻:今日の短い時間の話の中だけでは、尽きないこともあるかと思いますので、お帰りに1冊お求めいただいて、お帰りになってまたじっくり読んでいただければという風に思います。それでは、進めて参りたいと思います。当会はですね、死刑制度の廃止を目指す弁護士の会ということでございまして、死刑廃止という立場を明確にして、弁護士が活動しているんですけれども。河野さん、浅野さんの方からも、河野さんの先程のご講演でも死刑制度について触れられたお話、あるいはオウムで死刑が確定した死刑確定囚の方との関わりの話も少し出てきたんですけれども。お二人にですね、死刑制度についての考え方とか、あるいはどういった点に問題があるという風に思っておられるのかというところを、順番にちょっとお聞かせいただければと思います。河野さんいかがでしょうか。

河野:私は、人が人を殺すことが良い訳がないということが大前提だと思っています。それは、罪を犯した人であってもそうなんですね。それから、もう一つはまあ、講演の中でも言ったけれども、凄く荒っぽい言い方をするとですね、無実の人だって少数なら殺したっていいんじゃないか、というのが今の世間の話ですよね。人というのは間違えるもの。そんな中で色んな冤罪というものが出てきているわけです。だから、間違いゼロというのは有り得ないわけですよね、人がやっている以上。そういう中で、言ってみれば、死刑制度をそのまま容認するということは、言い換えるならばね、少数の人なら無罪でも殺したっていい。凄く荒っぽい言い方ですけどね、そういうことになるわけですね。と言いながら、命はかけがえのない大切なもの、と言っているから、何か「どっちが本当なの」と、凄く違和感を感じています。制度に対してはですね、そんな風に思うんですが。

辻:今日、我々があえて河野さんにお願いして来ていただいたのは、河野さんが犯人に間違われた、というご経験をお持ちだということも、もちろんあって。今、お話しいただいたような死刑制度があってということは、もちろん。河野さんは、一方では、この松本サリン事件の被害者で、ご家族が大変な被害に遭われたということで。冤罪といった、命がかけがえのないということを、死刑制度廃止の理由として言うと、逆の立場の人達から、必ず「じゃあ殺された被害者の命はどうなるんだ」、「その命こそ大切で、それを奪った人の命を奪うのは仕方ないんじゃないか」というような意見が、必ず反論として出てくるようなところなんですけども。河野さんの立場というのは、まさに犯罪被害者という立場でもおありなんですけれども、そのあたりからすると、どうお考えですか。

河野:例えばですね、死刑が確定して執行されたとしますよね。そうした時に、それじゃあ、自分の家族を殺した人が、死刑執行された時に、その被害者家族って心がすっきりするのかという話ですよね。死刑が執行されたから自分の心が穏やかになるかって言った時は、違うと思うんですね。事件が起こって容疑者が捕まった時には、メディアっていうのは欲しいコメントっていうのは大体決まっているんですよね。「許せない」とか「極刑を求む」とか。こうやってるわけですけれども、そんな中で何年も経っていくとですね、被害者の心情っていうのは変わってくる筈なんです。まずは、一体何だったのっていうものを知りたくなる、というのもあるし。ということになれば、やっぱり加害者と何らかの接触をする、そういうことも望んでくるでしょうし。それから、その人が死刑執行されちゃったということになったら、そこでまあ、切られてしまうわけですね、その可能性というものが。死刑執行された後に、じゃあ本当に被害者の遺族の人たちの心が晴れるかっていったら、やっぱり亡くなった人っていうものはいつまで経っても引きずってくわけですよね。そうすると、やっぱりその悲しみっていうものの中から、何かが出来ないか、社会的にですよ。そういう風に変われる人はいいんだけれども、ずっと引きずってしまうと、やはりその人の人生そのものも本当に気の毒な人生になってしまうわけですよね。そういう意味では、恨んだり憎んだりすることによって、亡くなった人が戻るっていうんなら、大いにやればいいと思うんですけれども。そこは、諦めざるを得ない部分ですよね。やはり、どこかで気持ちの転換を図っていかないと。言ってみれば、自分の人生そのものを自分で悲しいものにしてしまうとか、つまらないものにしてしまうということですから、やはりそういうところを切り替えて欲しいと思うんですね。私なんかは、死ぬことっていうのは終わりじゃないと思っていますから。特に、宗教的に特別な宗教に入っているわけじゃないんだけれども。「終わりは始まり」だと思っているんですよね。ですから、「また会えるわ」みたいなね、そういう思いがあるんです。ちょうど東京拘置所で新実さんの面会に行った時も、最初に言ったのは、新実さん、「終わりは終わりなの。それとも、終わりは始まりなの」みたいな話から始まっているわけですよね。終わりってことは、つまり、新実さんが死刑執行された時に、あなたはそれで終わりと思うのかどうなのかって話を新実さんとしたわけです。そうしたら、新実さんは「終わりは始まりなんだ」と。つまり、命は終わらないんだと彼は信じているわけですね。「それ聞いて安心したよ」と言って帰ってきたわけなんですけれども。だから、どういう風に心を持つかによって、残された自分の人生ってのは随分変わっていくんじゃないかって思うんですね。だから、良い方向に思って、良い方に歩いてく方が楽だと思うから、私はそうしているということなんですね。

辻:ありがとうございます。今のお話は河野さんのお話だからこそ、本当に意味のあるお話で。私が同じことを言ったのでは全く説得力のない話にしかならないのだろうと思います。是非、こういった形で講演されているというのを今後も続けていただければと思います。それでは浅野さん、死刑制度について、問題意識とかそういったところを是非お話しいただければと思います。

浅野:私はやっぱり、死刑は国家による殺人だと思う。国家が人を殺しても罪にならないものが二つあるんです。一つは戦争で、国の命令で人を殺した場合には殺人じゃない。もう1つは、この死刑なんですね。もう一つは、原発を事故を起こしても死刑にならない。三つ目があるかなって最近は思っているんですけど。要するに、国家の命令があれば、許されるというのが死刑の最も特徴的なところだと思います。第二に、やっぱり冤罪は防げない。警察官や検察官や裁判官は間違える。どんなに手続きを踏んでも、間違える。スウェーデンでも誤判があるわけですから。どんなに人権を確立しても冤罪はゼロにはならない。それは率の問題ではない。
 聖書には書いていますよね。1匹の迷った羊を大事にしなければならない。探さなければならない。99人の真犯人が逃げたとしても、1人の冤罪者を出してはいけないっていうのが近代市民社会の、フランス革命があった、1789年以降の人類の知恵なんです。今、日本で色んなことを言っている人は、1789年より前のことを言っているんですね。中世に戻ろうとしている。そういうことです。
 これは、非常に難しいんですね。しかし、これが「疑わしきは罰せず」っていうことです。疑わしきは罰せずっていうのは、浅野健一が疑わしいかどうかじゃなくて、検察官の主張が疑わしいかどうか、ちょっとでも疑わしかったらそれは無罪にするっていうことです。だから、当然真犯人でも無罪になるんです。これは、「そんなこと言ったら、悔しいじゃないか」って言っても、それが人を刑務所に送り込む時の手続き、ルールなんですよ。相撲には相撲のルールが、レスリングにはレスリングのルールがあって、都合が悪いからちょっと広げようかって、そういうことをやってはいけないっていう、それが厳粛な法の支配ということだと思うんです。そういう意味で、イギリスが一人の人を処刑した後に、僕は死刑という言葉を使わないです。これは国家による処刑です。国家による処刑が行われた後に、冤罪だと分かった。この一件をもって、死刑を廃止したんです。一件だけで。つまり、殺してしまったわけですよね、無実の人を。日本でいえば、免田さんとかを殺してしまった。日本には沢山あると思いますよ。無実なのに死刑になった人が沢山いたはずです。日本はですね、1984年に4人の人が死刑囚から30数年ぶりに市民社会に戻ってきたんですね。あの時に、どうして死刑を廃止しなかったのか。四件あったわけですからね。最近だって、菅家さんだって、布川事件の桜井さんも皆、死刑になったかもしれないじゃないですか。死刑になっていたら、あの人たちは絶対に再審闘争できなかったんですよ。色んな人たちが無罪になって戻ってきて、大変だった、大変だったって言っているけど、もし彼らを処刑していたらどうなったのかという想像力を持ってほしい。もし自分の子どもが殺されたっていう時の悲しさの想像力と同じぐらい持つべきだと私は思います。同じじゃないですか。何もしてないのに、何の罪も無いのに殺された、その人の悔しさ。何もやってない人を死刑囚にした人たちって、どうやって償うんですか。弁護士だって悪い人いっぱいいますよ。菅家さんに「早く認めろ」って言っているんだから、当時の弁護士は。柳原さん、富山事件のね。女子高生二人が強姦で捕まった。冤罪だったけど、みんな誰も謝ってない。きちんとした精算をしてないと思いますよ。第三にですね、やっぱり私たち社会は寛容な社会を目指すべきだと思います。これは、社会復帰を目指す。どんな人間も変わり得るっていうことです。レジュメの一番最後に書いているんですけど、人は変われるかっていう、立命館大学の岡本茂樹さんの本を読みました。無期懲役囚になった人とのロールレタリング。手紙を交換したりすることです。こんな悪い奴はいないんじゃないか、っていう人は私にもいるんです、何人かね。いるんだけど、やっぱり生まれつき悪い奴みたいなね、思いたくなる人もいるんだけど、やっぱり、それは赤ちゃんの時に人間は真っ白で、罪深い赤ちゃんって見たこと無いんで、それは、社会の中で、その人がそういう事件を起こす要因を作ってきた。それが、社会の一人一人の人に責任があるという考え方を私たちは持つべきだと思います。その時に、私たち人間は皆変わり得るっていう考え方です。どんな悪い人も変わり得るっていう寛容な社会を目指すべきだと思います。
 それから、死刑制度は犯罪を抑止しているかということです。死刑制度があるから日本は犯罪が少ないんだという考え方がある。確かに少ない。日本ほど凶悪犯罪が少ない国はないんです。NYで1日に起きている殺人事件と、多分日本全体の1週間ぐらいで同じかな。アメリカで人が殺されたとして、よほど殺され方が珍しくなかったら何もニュースにならない。日本では、本当に皆おとなしい。リストラされても、解雇されても、何されても、皆おとなしい。闘わないんだと思うんですけど。リベンジするとかね。そういうことを踏みとどまることが出来る。日本人はそういうところがある。そういう社会に死刑制度がある。まだ死刑制度が必要なのかなって思います。逆に言えばね。これは、犯罪報道もそうなんですけど、事件を起こすと名前が出るから、凶悪犯罪しないように気を付けようとか、万引きすると明日新聞に出るからやめとこうと思う人はあまりいないんです。犯罪を犯すってことは、冷静さを失っているわけですから。どんなことにも冷静さを失う原因があるわけで、そこを考えないといけない。死刑制度があるからじゃない。逆に最近、処刑された土浦の事件とか大阪教育大の事件なんか見ると、要するに、「死刑になりたかった」と。自分で死ねないから、国に殺してもらいたいっていうね。そういうことで死刑にしているっていう、本当に信じられないですね。その人の望みを叶えてあげたんですね。それこそ何なんだと思いますね。世論調査で死刑が支持されているというが、あれは設問が色々問題でね。そういう意味で、あれはマスメディアがですね、不安を煽っているからだと思います。あらゆる死刑制度がまだ必要だという論理は、破綻していると思います。やっぱり、最終的には人間をどう捉えるか。哲学の問題です。社会をどう捉えるか。原発と同じですけど、原発をやめるかどうかを、ドイツでは哲学者や倫理学者が集まって議論しますね。死刑の問題はそういうテーマなんです。宗教の問題でもあります。生き方の問題に関わるので。そういう意味で、私はずっとこれを考えています。絶対に、死刑制度はなくさないといけないと。

辻:ありがとうございます。お二人から、冤罪という言葉が出たんですけども。死刑の判決で冤罪が発生している確率って、皆さんどれぐらいだかご存知ですか。戦後、日本で死刑判決が確定した判決というのは、861件なんですね、今年まで。そのうち4件、いわゆる免田事件とか島田事件とか栄事件、そういった著名な、無罪であることが明らかになって、再審が認められた事件っていうのが4件あるんですよね。861件のうちに4件ということは、200件あまりのうちの1件は、無実の人が死刑判決を受けていたということなんですよね。千人に1人でもない。1万人に1人でもない。1億件に1件でもない。200件に1件、無実の罪で死刑になりそうになっていた人がいる、という。これが、日本の裁判の現実です。それから、冤罪といった時に、もう少し弁護士として補足をしておくと、さっきの4つの再審の無罪の有名な事件っていうのは、全く犯人でない人が犯人とされて死刑判決を受けたという事件ですけども。そうではなくて、誤判での、量刑誤判というのは、もっとたくさんあり得るんですね。死刑になるか、無期判決になるかっていう、分かれ目の事件というのは、実は沢山あります。被害者が2人殺害されているという事件でも、その動機であったりとか、犯人の生い立ちであったりとか、精神能力だとか、更正の可能性とか、そういったことを様々考慮して裁判官は死刑にするか無期にするかということを判断するんですけども、そこの事情が正しく認定されているのかどうかということを考えれば、そこで、正しく認定されてない。場合によっては、弁護士が手抜きをしている、というようなことだって含めて、判決で量刑としての誤判というのは、さっきの全く無実の人が有罪になって死刑になってしまう200分の1よりも、もっとこれは遥かに高い確率で起こっている事象だろうという風に思います。そういう意味で、冤罪とか、誤判とかいうことは、死刑制度において大変な大きな問題であるという風に思います。
 それでは、ちょっとテーマを変えてですね。裁判員制度というのが2009年から始まりました。もしかしたらここに今日おられる皆さんの中にもなったことがあるとかですね、候補者になったことがある、呼び出しを受けて裁判所に行ったという方が実はおられたりするのかもしれませんが。裁判員制度の下でも死刑判決は出ています。今日、ここに来られているような一般市民の皆さんが裁判員になって、その中で、死刑判決という、死刑という判断をされている判決が、今までにですね、17件出ています。2010年、これはまだ制度が始まって間がない時期だったので、そんなに多くはなかったんですが、3件。それから2011年、いよいよ本格的に裁判が始まって、9件。2012年に3件。今年に入って既に、2件。これは全て裁判員裁判の死刑判決の数字なんです。これがですね、これまでの裁判と比べて極端に増えているかというと、必ずしも件数としてはそういうわけではありません。実は2000年代、河野さんには深く関わりのあるところですけれども、オウム事件の判決が相次いで2000年代に出ていますので、その時代は非常に死刑判決も沢山出ていたりします。で、裁判員制度と死刑制度・死刑判決というものについて、何か関わるところがあるのかどうか、というようなところをですね、まず、浅野さん何かお考えになっているところがありますか。

浅野:裁判員裁判制度で、死刑事件ももちろんそうなんですけど、これはやっぱり市民を国家の処刑の共犯者にする、という非常に深刻な問題があるわけですね。死刑事件だけ除いたら良いじゃないかって人もいるんですけど。明らかに、裁判員裁判で私はやっぱり死刑は増えると思っています。最近見ていても、これが死刑かっていうのがあります。特に性犯罪とか。どうしても、一般市民の人が裁判員になると、そういう、特にマスメディアの影響を受けるんじゃないかと思います。特に、裁判員裁判で死刑判決になった場合に、控訴審や最高裁でそれをひっくり返せるかということがあります。市民が参加した裁判で死刑になったのを、プロの裁判官で覆すのはどうなのかという意味でも、控訴・上告をしない。市民が死刑執行の共犯者にさせられる。ただし、私は裁判員制度の良いところは、そういうことも含めて、市民が皆で考えるところだと思います。自分が死刑の判決に関与せざるを得ない、そういう制度ですから。裁判員裁判制度自体に完全に反対という立場ではありません。しかし、多くの変えないといけないところがあって。今のままでは、マスメディアが中心になって作る、単純な絶対的な善と悪という、二元構造の中で、裁判員制度は情緒的な判断になってしまう。
 千葉県のイギリス英会話講師事件の裁判で、これは死刑じゃなく、無期懲役だったんですけども。控訴審は1回で終わりですよね。あれは、千葉県の弁護士が頑張ってですね、殺意があったのかどうかということを議論していたのに、あんなに簡単に裁判員裁判でそれがひっくり返されたのは、見ていて大変危険だと思いました。しかも、被害者参加制度が同時に始まっています。ちょっと前に始まりました。イギリス人のご両親や妹さんが法廷に来て、あるいはイギリスの大使館の人たちが占めていて、本当に被告人はリンチ、集団的リンチを受けているような裁判。結果に対して責任を取れという。法廷がそういう場になっていました。最初の裁判員裁判のFさんの時も同じです。彼も、殺意があったかどうかっていう問題がありました。在日朝鮮人という問題も色々絡んでいたんですけども、そういうことは言わない方が良い、っていう弁護士さんの指導で言わなかったんですけども。私どもの見解は、悔しいと。先程、辻さんが言われた殺意があったのか、それとも、過失致死なのか、傷害致死なのかっていう、そういう争いの中で、そもそも、事実認定と量刑を一緒に、ごちゃまぜにやっている。裁判員裁判はどれも一緒なんですよ。被告人がもう犯人という前提で糾弾するわけですよ、被害者が、遺族が。おかしいですよ。事実認定と量刑は分けないといけない。ごちゃまぜになって、裁判自体がですね、裁判員裁判と被害者参加制度が一緒に始まったために、深刻な問題になりかけている。

辻:ありがとうございます。河野さんは一般市民の立場、ということで考えていただいた時にですね、裁判員裁判ということで裁判に臨む時に、死刑というものを突きつけられる場面になったら、裁判員になった一般市民の方はどういう風な考えをするんだろうとお思いになりますか。もしご自身がなったらというようなことでも結構ですし。

河野:そうですね。私だったら、検察側がその人が本当に罪を犯したか、立証ですね。立証をきちんと出来ているかどうかっていうところだけチェックですね。例えば、状況証拠を並べてね、やるような状況であれば、私は多分無罪を出すでしょうね。今まで色んな裁判の中で、例えば、立証できていないのに、有罪みたいなものあるわけですね。例えば、林眞須美さんの例でもですね、ヒ素の不純物が一緒であるという立証は出来ていても、林眞須美さんが入れたという立証は出来てないわけですよね。それでも、死刑になっているわけですよね。だから、少なくとも、そういうことは防がなきゃいけないと思うんですね。立証できてないものは無罪っていうことに徹したいと思います。鹿児島でもですね、去年、一昨年かな、裁判員裁判で長い裁判がありましてですね。これはあの老女撲殺事件っていうのがありまして。私は初公判だけ、くじ引いたら当たりまして、傍聴出来たわけですよね。そうすると、検察の立証を見ていた時に、被告が被害者の家に行ったという立証までは出来ているんですよね。殺したっていう立証が出来てないから、僕だったら無罪だなっていう風に言っていたんですね。結果的には、これ裁判員裁判ですけど、無罪が出たんです、一審でね。その後、控訴審が始まる前に被告が病気で亡くなってしまいましたけどね。そういう意味では、割と、何ていうのかな、裁判員裁判というのは少なくともしがらみのないっていうんですかね、というところで私は消極的賛成なんで、まだ問題が多いんですけれども。例えば、職業裁判官っていうはどうしても検察とのしがらみとかいうことでですね、自由心証で決めかねるような、そういう環境にあると私は思っているわけですね。そういう意味では、何のしがらみも無い人がですね、検察の出した証拠で正に自由心証で決められるっていう部分では、私は裁判員裁判というのはそこの部分は賛成なんです。少なくとも、鹿児島でどうなるかなと思っていたけれども、私から見たら立証できてないっていうものが無罪になったということですから、真っ向から反対する人もいますけれどもね。言ってみれば、問題あるところを時間をかけながら直していけばいいんじゃないかな。そんな印象を持っていますけど。

辻:今、河野さんがまさに仰っていただいたようなところで、河野さんのような感覚で、いわゆる「疑わしきは被告人の利益に」と言われるようなことであるとか、合理的な疑いを越える証明ということが、きちっと裁判員にも理解されて裁判員制度というものが進んでいくのであれば、有罪馴れした裁判官による、検察と馴れ合ったような裁判の中で行われてきた、これまでの刑事裁判には大きなメスを入れる、一つの大きなきっかけになる制度なんだろうと思います。私自身も何件も裁判員裁判もやっていますけれども、いわゆる裁判官、あるいは弁護士、そのあたりがどれだけ裁判員の人に、そういう「合理的な疑いを越える証明」「無罪推定」ということを分かってもらえるか、というところが非常に大きなポイントになってくるだろうと思います。そういう意味では、私も裁判員制度に肯定的なんですが。逆にちょっと、実際の裁判員裁判なんかで先程からちょっと死刑の話も出ているところで、怖いなと思っている現象としては、量刑の部分で殺人事件であるとか性犯罪について、統計的なデータとして明らかに厳罰化が進んでいるというようなところがあります。それから、浅野さんが先程少し仰ったんですけれども、今後、死刑は増えていくんじゃないか、という風な意見もあって。それは、その厳罰化の流れの中での話なのかと思うんですが。河野さんは裁判員制度、消極的ではあっても賛成だというお立場なんですけれども。この辺りのこう、厳罰化していく…。私はその理由は、一つは被害者に感情移入するような裁判員の方が多いのかなという風には思っているんですけども。そういう厳罰化とか、あるいは究極的な形としての死刑がもしかしたら増えるんじゃないか、というような危惧感みたいなものについては何かお考えありますか。

河野:現状としては、確かに死刑の第一門が何か下がっているような印象はしているんですけども。何ていうんですかね、やはりメディアの影響が大きいんじゃないかなと思うんですよね。いわゆる、憎しみを煽ったり、あるいは遺族の悲しみを煽ってですね。そういう報道が繰り返されるとですね、やっぱり、その被告っていうものが来た時に、一つの虚像になってくるっていうんですかね。普通の人が何か弾みで殺人をやってもですよ、実は、この被告っていうのはとてつもない、とんでもない奴なんだ、みたいな像に変わってくる。それは自分の体験でですよ、私はごく普通に暮らしていて、言ってみれば、三百十名の専任の捜査員がですよ、私を別件逮捕するための別件を探し回っていたんですよね。でも別件が見つからないぐらい、真面目だったんですね。そういう意味ではですよ、警察はとにかく別件逮捕したかったけれども、出来なかった。言ってみれば、真面目でしょう。自分でも真面目と思っていますけど、そういう人間が、メディアによってとてつもない一つの像、悪い奴っていう像が出来上がった時に、市民の反感、これは脅迫状であり、あるいは嫌がらせの電話であり、「お前は死でもって償え」みたいなね、そういう手紙が結構来るわけですね。それは、やはりメディアがその人の像をある程度操作していたっていうことだと思うんですよね。そうすると、この裁判員制度でもですね、裁判員はそういう、言ってみれば事件情報に接しなければいいですよ。例えば、アメリカの陪審員は接しないですよね。隔離されますよね。ところが、日本は普通に情報が得られるわけですね。そうすると、そこでやはり先入観を摺りこまれてもしょうがないみたいな、そういう制度ではあるわけですよね。だから、少なくとも、裁判員が裁判員裁判をやる時には、先入観無し、つまり、外部情報が入らないような、そういうルールを作らないとですね、これは、マスコミによってイメージっていうのが作られていくってのを体験していますのでね。その辺をやはり、考えていかないといけないんじゃないかということですね。

辻:ありがとうございます。メディアによる虚像が作られて、それによって裁判員が影響を受けるというようなお話なんですが。メディアということであれば、浅野さんからもその辺について少しコメントいただければと思うのですが。

浅野:裁判員制度の導入の前に、法務省の方から、裁判員裁判になるので、偏見報道の禁止っていうのが、法案の中にあったのを、報道会が削除させた時に、日本新聞協会などに命じて公約したことが、いくつかあるんですね。自白報道を抑制する、っていうか。例えば、警察の非公式情報、夜討ち・朝駆け、記者会見じゃないところで私的に得た情報についてですね、5つぐらいのことを約束したんですが、今、全くそれが反故にされている。たまに、「朝日新聞の取材に答えた」とかあるんだけど、もうこれ紙面から全部消えましたし。これは、客観報道、いわゆるまともな国のジャーナリズムの原則である客観報道からの完全な逸脱なんです。共同通信で事件の記事を書くとですね、それを海外部は英語に訳すんですね。海外部ってところは、ジャーナリズム教育を受けている人たちが働いているので、それは出せないということになる。なぜその人の名前出さないのか。警察官が言っているんだったら、警察官の名前を出す。京都府警はしゃべらないですよ。「京都府警おーい」って言っても、答えないでしょ。京都府警の誰かがしゃべっている訳で。それは、誰かというのを書けないのは分かります。書いたらね、情報を出さない。外国では少なくとも、30代の警部だとか、この事件をやっている何とかぐらいは書かないといけない。しかもそれは、匿名を条件にしてやっとしゃべってくれたんだと。例えば、色んな事件で誰かが自白したというのがありますよね。あれは、たとえば朝日新聞の記者が、昨夜11時半頃、京都市内の警部の自宅に行って取材したところによると、被疑者がこのようにしゃべっているということを朝日新聞の記者に語ったけども、本人からアポイントが取れない。弁護士は何も言えないと言っている。だからよく分からないっていう記事を書くんですね。ボツですよねこれ。ボツです。巨人と阪神戦が終わって、巨人の広報だけから話を聞いて、記事を書いているようなもんですからね。阪神側で鳥谷がヒット打ったか分からない。こっちの坂本が打ったとか、そんな話聞いて記事書くようなもんですから。じゃあ、もうやめて、裁判ではっきりするまで待とうか。日本では、逮捕数日後に「動機は何か」って追求すること自体がもう犯人視でしょ、これ。犯人だから「動機」って言っているわけですから。そういう形で、犯罪報道が早い段階で展開される。河野さんの場合は逮捕される前ですからね。
 よく河野さんは逮捕されていると思っている人がいるんですけど、実は、逮捕されてないんですよ。逮捕されてないのに、あれほどひどい目に遭っているんです。もし逮捕されていたらと考えるとぞっとしますね。逮捕した警察のメンツですよね。私、警察のメンツって何かよく分からないんですけど。検察官のメンツ。あるいは、一審で有罪を出した裁判官のメンツ。そういうものでずっとどうしようもないことが続いて、大変なことが起こる。逮捕の段階での犯人視。よく、マスコミの人はね、「いや、犯人視していませんよ」と言う。警察が河野さんを疑っている段階なんだから、誰も犯人視してないって言うんだけど。それは、自分で考えたら分かりますよ。誰だって、警察が殺人容疑で逮捕したって書くと、やっぱり家族も含めて、友人も含めてやったと思うのが、人間の社会で。だから、犯罪報道が素晴らしいスウェーデンでも、未だに匿名で報道しているのは、スウェーデンでも捕まった人はみんな犯人と思うからなんですよ。だからよく、スウェーデンのようになれば、別に名前出てもいいじゃないかって言う学者がいるんですけど。上智大学の教授とかいるんですけど。警察に捕まった人を犯人と思う社会が悪いんで、その社会を変えないといけないって仰るんですけど。それは、そんな社会は残念ながら無いんです。人間が人を差別しないとかね、絶対争いが無い社会は有り得ない。だけど、出来るだけそういうのをなくそう、って目標掲げて、一つ一つ前進していく社会を作らないといけない。だから、犯罪報道のことは、私が『犯罪報道の犯罪』を出した1984年よりずっと前のことです。日弁連が76年に、『人権と報道』っていう本を出したのです。それを3年目の共同通信の記者の時に読んで、あ、この通りだと思ったんですよ。神戸弁護士会の北山六郎さんが会長でね。日弁連の中に、人権と報道の委員会を作ってですね。京都の滋賀銀行の事件のこと、女性銀行員のことを取り上げて、凄く良い分析をして、近畿弁護士会もやりました。だから、弁護士たちが頑張って、当時の犯罪報道を変えようとした。私もそれを受け継いで、改革運動をやって、会社で12年間、本当にいじめられました。
 記者職なんだけど、記者職じゃないような職場にね、12年間放り込まれて。本当に辛かった。もう毎日会社やめようと思った。今、いじめとか体罰が問題になっているけど、一番いじめが横行しているのはマスコミです。マスコミの労働者ほど、言いたいことが言えない。上司の命令とかそういう…。そうじゃない会社もあります。そうじゃない新聞社もありますよ、一部。沖縄の新聞とか、毎日新聞とか、東京新聞とかは私はいいと思うけど。大きな、売れている、立派なビルを構えているメディアほどですね、自由な議論が社内で出来なくて。何か昔から決まっている。逮捕されたら名前出すんだ、殺されたら名前出すんだ、それがニュースなんだと。だから、皆が知りたがっているから、それを報道しなきゃいけないっていう因習的な考えから。何も根拠ないですよ。何も根拠ないのに、死刑制度もそうだと思うんですけど、よく考えないで、何かずっと進んでいるような気がします。犯罪報道の問題はですね、最近弁護士会でもあまり取り上げないです。特に若い弁護士さんとか言論学者の人たちも、もうあまり関心がない。少年も実名にすべきだとかね。そういう時代なんですよ。そういう教授もいるんですよ。松井何とかさんとかね。憲法学者でも。その軸がですね、どんどんどんどん後退しているんですね。ここはだから、私、弁護士の皆さんに、特に若い弁護士の皆さんに、もう一度、70年代のこの『人権と報道』の問題、80年代に免田さんのことを取り上げてですね、それを検証していった。そういうことを、そういう努力をもう1回やってもらいたいと思います。

辻:メディアのことをもう少し、浅野さんにお伺いしたいんですけれども。統計的なことでいうと、殺人事件というような凶悪事件は日本では実は激減していて。昭和33年はですね、2683件殺人事件が発生していたんですが、2011年だと、1053件なんですね。ずっと長期的に減少傾向があります。発生率も先程浅野さんからも少しありましたけれども、ヨーロッパの死刑の廃止されている国とか、アメリカには死刑ありますけど、そういった国と比べると発生率は日本は極端に低いんですね。それが、統計的な結論なんです。ただ、実際には、世の中の人の体感治安が悪化している、ということが言われていて。それを受けてか、世論調査でも死刑を支持するという意見が85・6%占めているというような世論調査の結果が発表されたりしている、ということがあるんですけども。この点について、メディアとの関わりについては、どういう風に浅野さんはお考えですか。

浅野:確か去年はもう1000件を切ったんじゃないですかね。

辻:そうですね。

浅野:凄く、殺人事件が減っていて。少年事件も凄く減っているんですね。龍谷大学の浜井浩一先生の本を読んで、僕は本当に驚いたんですけど。私の世代がずっと犯罪やっているんですよ。だから、40年前は少年事件が多いですね。30年前は30代の人が多く犯罪を犯していて。全共闘世代が、団塊の世代がずっと犯罪を増やしてきたんですよ。面白いなと思って。浜井さん、そう書いているんですよ。全共闘世代を取り締まればいいんだと。大体悪いことをしている人は皆そうですよ。原発でも皆、60代の原子力学者とかね。小出裕章さんとかああいう人を除いてですね。ほとんどが元全共闘活動家で、学者しているので。悪い裁判官とかだいたいそうですよね。だから、これだけ犯罪が減っているのに、何か日本の治安が凄く悪くなっているみたいなね、言い方をしているのは、誰ですか、これ。警察と法務省とマスコミだけでしょ。学者の人でもここまで言っている人はいないし。しかし、その人たちの言うことばかりがマスメディアによって報道されるので、皆そう思っているだけなんですよ。これは原発が安全だと思っていたのと同じで。そうじゃないんじゃないのっていう、浜井さんの御本は結構売れていると思うけど。これを全部読んでいる人はそんなにいないので。今日みたいに、皆さんとか多分「こんなに減ってるの」ってびっくりしている人が多いと思うんですね。例えば、無期懲役は、大体もう十数年で出るんだとかね、皆言うんですよテレビで。30年、20年前の話ですよ。今は大体40年。事実上の死刑ですよ。死刑と同じです。30代で捕まった人は出られません、もう。20歳ぐらいで若い時に事件を起こした人は、多分50・60で出るかもしれないけど、もう60で出てもね、ほとんど人生が終わっていますから。死刑をやめて無期にしたらいいのにとか、何かそういう運動をしている人もいるんだけど、ナンセンスですね。無期懲役も残酷だと思います、そういう意味で言えば。更正が出来ない場合にどうするかとか、そういう問題はあると思います。やっぱり、ほとんどの人間は皆社会に戻る。無期懲役も社会に戻れなくなっているので。私、いつも12・3年で出るんだって言うから、すぐ抗議電話するんですよ。辛坊次郎さんとかそういう感じの人は、知らないんですよ。20年前の統計を元にしてですね、今でもそう思い込んでいて。それは違うっていうことを知らないので。マスコミの影響がこんなに大きいっていうのは、大阪の市長を見たら分かりますよ。あの人は、弁護士の活動を妨害してね、「安田弁護士のバッジ外させるんだ」ってテレビでしゃべってですよ、大阪弁護士から2ヵ月の業務停止、懲戒処分を受けているんですよ。その人が、何か超人気があるって何なんですか、これ。ベタ記事ですよ。本人も「大阪弁護士会がなんだ」。「いや俺は悪くないんだ」とか。しかし、弁護士さんの業務が2ヵ月停止されるっていうのは、弁護士として大変なことですよ、これ。それを誰も追求しない。私は懲戒請求の5人のうちの1人なんで、最初の。私は、大阪弁護士会頑張ってくれたなと。もうちょっと早く結論出してくれとも思ったけども。それは、橋下さんに対して悪い情報が流れないからですよね。今のマスメディアの罪は本当に大きいですよ。アベノミクスやなんやも含めて。もう本当に3・11の原発報道の反省もなくですね。それから、犯罪報道の犯罪の再犯を繰り返しながら、累犯ですね。犯罪報道の犯罪の累犯を繰り返しながら、それを警察が発表したまま書いたんだから仕方がないと言って居直っている。そして、若い記者が今も、夜討ち・朝駆けさせられて、警察からの情報を取ることがジャーナリストの基本だという風に教え込まれて。それに対して疑問を持つ記者は、悩んで辞めていく。私の昔教えた学生も次々と、辞めています、記者を。せっかく入ったのにね。その記者たちが私に言うのは、もっと社会に役立つ仕事をしたい、人間らしい仕事をしたい、って言って、NHKや読売新聞を去っていくんですね。あまり共同通信は去りませんけど。それは、みんな犯罪報道の犯罪の現場に悩みながらですね、実名を書かされるわけですよ。河野さんのような事件が今あっても、同じような報道が間違いなく繰り返されるんです。そういう風になってしまっているので、これは本当に、深刻な問題です。世論調査のあの設問を見てください。「死刑が仕方ないと思うか」。冤罪事件の例を出して、免田さんとかそういう人たちの例を出して、「こういうケースもありますけど仕方がないと思いますか」っていう設問じゃないんですね。死刑制度を前提にして聞いているんですよ。死刑制度が無い社会があるんだという、世界の140ヵ国では死刑がもう無いっていうことを皆にちゃんと知らせて、ちゃんと勉強してもらって、どう思いますかっていう風に聞かないと駄目ですよね。いつその調査をやるのか、どういう形でやるのかも含めて、世論調査ほどいい加減なものはないです。安倍内閣の支持率が70%あるとかおかしいですよ、これ。そんなには無いと思うんですよ。だけど、そういうデータが出るでしょ。世論調査のあり方の問題、大体固定電話で昼間に電話して家に居る人に聞いている、大体どんな人が取っているのかなってイメージしてもらったら分かると思います。私は、法務省とか内閣が世論調査するというのはおかしいと思うんです。それこそ、独立した、研究者とか市民運動も入ってですね、そしたらきちんと設問作って本当に死刑制度というのが日本でどれだけの支持があるのかっていう、こう、きちんとした調査をですね、いわゆるこう、死刑とかをやっている部署じゃないところでやって欲しい。

辻:ありがとうございます。海外でのお話も、140ヵ国以上で廃止されているというようなお話もありましたけど、そういったことであるとか、EUとか国連が日本に対して、死刑の廃止であるとか、あるいは執行の停止を勧告しているというようなことも、あまり大きくメディアで取り上げられることはない、というようなことも問題なのかなという風に思います。だんだん時間も迫ってきたんですが、河野さんに、私はこういうことを河野さんにお聞きしてもいいのかな、どうかな、ということを逡巡しながら考えていたんですけども…。今、自民党の政権下になって、谷垣さんという前総裁、非常に大物が法務省大臣になりました。それで、既に死刑が執行されています。色んな噂として、何故この大物が法務大臣になったのかということについては、いよいよ、麻原彰晃事件に対する死刑が執行されるのではないのか、というようなことが噂されていたりもします。河野さんとして、このような、麻原彰晃さんの死刑の執行というようなことについて、何か今お思いになっていることとかございますか?

河野:この話、麻原さんが死刑執行されるなんていうのは、去年からもう、あちこち出ていましてね。谷垣さんが法務大臣になったからいよいよっていうのも、どこからの話か知りませんけれども。別にそういう話っていうのは、前からあって。例えばその、今はアレフですけど。アレフは、光の輪が住んでいる、あの辺の警察からもそんな話が出ているわけですよね。ですから、噂は噂っていうことだと思いますけど、それより何よりですね、麻原彰晃さんの裁判は一審で終わっているわけですよね。いわゆる控訴審っていう時に、弁護側が控訴趣意書を期限内に出さなかった。そのことによって、言ってみればルールで打ち切られているわけですよね。本当にオウム真理教事件の再発を防止っていうような観点があるのであればですよ、いわゆる首謀者の「なぜ」というものを追求しないでですね、打ち切ってしまうっていう方が私は問題だと思うんですよね。言ってみれば、麻原彰晃さんは今どういう状態になっているか知らないですけれども、いずれにしても法的行為能力が無いような状態の中で、「いやいや、ある」というようなことでですね、進めるとか。本当にオウム事件の再発防止っていうことを真剣に考えるのであればですよ。彼が病気であれば、病気をまず治す。そして、聞くべきことをきちんと聞いていくっていう、そういうプロセスを取らないとですね、何かその、消化不良みたいな形ですよね。死刑にするっていうことは、麻原さんからの情報が一切入らなくなるっていうことなんだからね。一番の首謀者っていうんであればですよ、その辺をやって欲しかった。そういう思いはあります。

辻:ありがとうございます。それでは、ちょっとここでですね、皆様から沢山ご質問をいただいたんで、全てをご紹介することは出来ないんですが、いくつかお二人に質問お伺いしてみたいと思います。まず、河野さんに対する質問をいただいています。
犯罪被害者、遺族の方の多くは犯罪者に強い怒りをぶつけ続けます。河野さんがそうならなかった一番大きな理由は何だと考えていらっしゃいますか。他の被害者の方が強い怒りを持ち続けておられるのと、どちらが良いと思いますか。というご質問なんですが。

河野:これは、先程の講演の中で私は言ったつもりでいるんですけれどもね。いわゆるその、怒りをぶつける、あるいは憎むという行為のエネルギーの使い方というのは半端じゃないと思うんですね。そういう中で、エネルギーを使った時に何か良いことがあるのか無いのかって言った時に、私は何もないという思いを持っているわけです。そして、自分の人生だって、あと何年あるかも分からない中でですよ。言ってみれば、恨み続けることによって自分が終わっていったとしたならば、自分の人生っていうのは、あまりにも不幸な人生。それも、自分で選択してそういうことになってしまうというのは、割に合わないということです。私は割と合理的に考えますので、損得で考えた時に、憎しみとか恨みとか、そういう感情から離れて、残りの人生は考え方切り替えてですね、やはり楽しく終わりたい。というのが、自分の素直な気持ちですので、私はそれを実行しているっていうことだけなんです。

辻:続いて、浅野さんに対する質問ですが。マスコミの体たらくは最近特に感じますが、この状況は何が理由だとお考えですか。もともと日本にはジャーナリズムというのは無いと考えるべきなんでしょうか。という、大変厳しいご質問なんですが。

浅野:ちょっと全部簡単には答えられないので、木曜日の2時間目に同志社大学新町校舎の臨光館で、1年間新聞学原論というのをやるので、黙ってそっと後ろの方で聞いてもらえれば、分かってもらえると思います。是非来ていただきたいんですが。やはり、ジャーナリズムはあったと思います。明治時代に、自由民権運動を担った、宮武外骨さんとかね。多くの大正デモクラシーとか。ジャーナリズムはあったし、ジャーナリストは沢山いた。戦争中にもいたと思います。だが、そういう人達が主流になり得なかった。最近でいえば、沖縄、日米密約を暴いた西山太吉さんの社会的貢献度。彼を放逐してしまった日本の新聞界。彼はそれに対して今、逆襲していますよね。だから、西山太吉さんは紛れも無く我々が誇るべき日本人ジャーナリストです。大森実さんもいた。本多勝一さんもいた。松井やよりさんもいた。辺見庸さんもいる。北村肇さん、週刊金曜日の社長もいる。魚住昭さんもいる。だから、そういう人たちがジャーナリズムの本流として、中々なり得ないというだけで、私は絶望してないですね。ジャーナリズムはちゃんとあるし。ジャーナリズムを作るためにですね、市民の皆さんが、メディアにもっと関心を持ってもらいたい。だから、朝日は駄目だ、NHKはもう駄目なんだっていうのを、まあその気持ちは分かるんだけど。そこの中に労働者がいて、悩みながら働いていて、それを支えるのが市民なのです。もう一つは、自分たちでメディアをもっと発信していくこと。原発報道でも、日本の8%の市民はマスメディア以外から情報を得ているんですね、SNSとか。広河隆一さんとか、上杉隆さんたちが発信した情報が流れている。明石昇二郎さんとか。種まきジャーナルもありました。マスメディアの中にもそういう頑張っている人たちがいるので、それは前と違う。戦争時と違うのは、大本営発表に抵抗する数%がいて、その人たちが逮捕されることはあまりない。こういう会もね、誰の妨害もなく開かれている。自由なんですね。憲法21条で日本はまだ支えられている。絶望しないで、やっている。マスメディアの色んな原因があって。賃金が高すぎるとかね。1年で700万とかですね。テレビ局に入ったら、数年で1000万円入るようになる。私が共同通信やめた時の賃金と今、同志社大学に入った19年後の賃金が大体同じです。だから、凄く恵まれた、お金だけは沢山もらえる、大手の報道機関は。
 しかし、こき使われて、まあ、色んな問題がありますね。ほとんど男性が占めているとか。外国人がほとんど職場にいないとか。超有名大学の出身者が多いとか。これは、日本の霞ヶ関の構造、裁判官の構造とも全く同じです。色んな意味で日本の社会が抱えている問題は、全部マスメディアにも関わっているので。マスメディアの中の問題は、なかなか報道されませんので。記者クラブ問題も含めて。大学もそう。大学の中の腐敗って、なかなか外には見えない。弁護士界の腐敗もそうか。弁護士の問題もそうだと思う。なかなか外の世界から批判されない。しかし私は、日本のジャーナリズムがちゃんと息づくように頑張っていきたい。

辻:もう一つだけ質問を。何人の方からか同じようなご質問が、河野さんに。私の方からまとめた形でご質問させていただきたいんですけれども。自分が容疑者にされているということが分かった時、どのような心情だったのか。それから警察に対してどのように、その時、あるいは、今、思われたのか。そういうようなことを、ちょっとお聞かせしてほしいというものが、来ております。

河野:まず、メディアがもうとにかく先走りしているっていう感じだったんですね。それは、例えば記事の内容からするとですね、これはまあ中日新聞だったんですけど。見てびっくりしたのは、妻は事件発生と同時に心肺停止。そういう状況だったわけですが、中日新聞はですね、私が妻と一緒に警察に事情聴取に行ってですね、薬品を混ぜていたら、ぱっと白い煙が上がったっていう記事があるんです。妻が心肺停止したのは復活したんですけれども、事件発生からずっと病院にいるわけで、警察なんか行く時間はなかったわけなんですけれども、そんな記事があって。まあ、何ともひどい記事だな、とそういう思いでですね。悪いのはメディアであって警察ではない、というのが初期の段階です。そして、退院後には正に犯人扱いされました。いわゆる永田弁護士さんがアドバイスしてくれた、「警察は犯人を作るとこ」。そういうものを実感するわけですね。
 それに対して、やはり心情的にものを言っても、これは絶対もう始まらないというのが私の考えでした。闘う場所は法廷ってことですね。法廷ということは、私は逮捕され起訴される。そういう風に思っておりました。ですから、ちょうど、警察の事情聴取、とにかく退院後の2日間の事情聴取で警察は私に対する疑惑というのを全部出した、そういう場所だと思っていました。私は、事情聴取受けている時に、実は最初から最後まで全部メモを取っていたんですね。何時何分、取調室の何号室でどういう刑事さんがこういう質問して、私はこう答えたっていうのを全部実はメモをしていたんです。刑事さんは「1対1の話だから、そんなものを取るな」と言ったわけですね。私はこれに対して、「事情聴取の時にメモを取ってはいけないという法律があるのであれば、私はやめますけどどうですか」と言ったんですね。そしたら、「無い」って言うんです。警察っていうのは法の執行機関だから、法律の無いことは、やめろとは言えないんですね。私は、今はまあ殺人事件ということだから、当時、時効が15年ですか。15年もあるんだから、急ぐことないでしょう、と。こっちが書くまで待ちなさい、みたいな感じでですね、書き続けた。書き続けたその中に、警察は何を疑っているのかが凝縮されているんですね。それを後に全部書き出すわけです。警察は私の何を疑っているか。書き出して、今度はTQCとかQCとかいう手法があります。これは、製造会社がですね、不良品なんかを出した時に、それを再発防止をするために、まず原因を調べて対策する。その手法を使いながらですね、いわゆる警察が私のことを疑っていることをQCの手法で、まずやるのは、すぐ出来てお金のかからないこと。そして、だんだん難しいやつは後に置いとくわけですね。例えば、警察っていうのは、私がダイジストンという農薬を6キロ買ったと言うんですね。覚えないんです。覚えないって言うと、あんたのサインもあるし判子もあると言うんです。じゃあ見せてくれってと言うと、見せられないと言うんです。そうすると、買ったか買わないかっていうのは判断できないわけですよね。私は記憶ないから。弁護士は自分のことだからそんなことぐらい分からないのか、って怒るわけですけれど。やっぱりサリンの後遺症で記憶の部分がやられているわけですから、分からないんです。
 じゃあどうすればいいかって時にですね。仮に私がダイジストンを6キロ買っていたとしてもですよ、ダイジストンで毒ガスが出なきゃ問題無いわけですよね。弁護士がダイジストン6キロと言っただけ現物を買って、東京大学へ持って行って、当時、森さんという化学の権威の教授がいました。そこへ持って行って鑑定してもらうんですね。鑑定して、ダイジストンでは毒ガスは出ないっていうのを押さえておいて、それは公表はしないんです。裁判の時の隠し玉的な使い方をしようということですね。実は、1個1個全部潰しこんでくというような、そういうことをやっていたんです。言い換えるならば当時、私は逮捕され起訴され、闘う場所はもう法廷だ、っていうとこの覚悟を決めていたということです。だから、心情的に思いを訴えることをしなかったのはですね、やはり、その主張に対しての立証っていうのをきちんとつけていかないと、ケンカにならないわけですので、それをやっていたということです。

辻:なかなか弁護士でも出来ない。普通の警察に疑われた人がですね、そういう対応をすることはまあ不可能だと…。
 他にも多数ですね、ご質問いただいていたんですが、ちょっと時間ももう5時をまわってしまいましたので、この辺りで打ち切りにさせていただきたいと思います。多くのご後援いただいております。ちょっとご挨拶いただければと思っております。

(了)


掲載日:2013年6月19日
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