Asano Seminar:Doshisha University
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  浅野ゼミからのお知らせ 
浅野ゼミ20期生を考えてください


























◎4月から浅野ゼミ(20期)がスタート

 2013年度の3年生ゼミの登録説明会が4月初めに開かれます。以下は、今年1月22日に行われたゼミ説明会で配布した資料とメディア学研究会のインタビュー記事です。ジャーナリズムを学びたい学生、報道職を目指す人、国際的に活躍したい人はぜひ浅野ゼミ(メディア学演習Ⅰ―2)に来てください。ゼミについて質問があれば浅野まで連絡ください。

Aゼミ説明
B指導教授インタビュー

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A 13年度3年ゼミ説明会・浅野ゼミ資料(13年1月22日)から;

<初心に戻り、確かな将来を見据えよう>

 4月に3年生となる現2年生のみなさんに、「約2年前、メディア学科に入学したときの初心に戻ろう」と呼び掛けたい。
 本学で新聞学を学ぼうと思って入学した時、できれば将来、報道関係の仕事に就きたいと思っていたのではないでしょうか。今もその志を抱いている学生は、ぜひ浅野ゼミに来てほしい。
 私が共同通信外信部記者をやめて本学に来てから間もなく19年になります。日本において、「官のためではない、人民のための学園」を創った新島襄の建学精神を受け継ぎ、ジャーナリズム学の創成を目指し、輝かしい伝統を持つ「同志社・新聞学」の新時代を作り上げようと、私は大学院と学部の学徒たちと日々努力しています。メディア学科は日本の中でユニークな学府なのです。浅野ゼミはジャーナリズムを調査研究する同志の入ゼミを期待します。
 浅野ゼミはゼミのメンバーが主体になって運営します。ゼミ長、副ゼミ長、共同研究委員長でゼミ執行部をつくり、ゼミの活動の責任を持ちます。3年ゼミの最初の数回の討論で、共同研究のテーマを決めて、2年近く調査研究し、研究報告書をゼミのアカデミックジャーナル『DECENCY』で公表します。また、ゼミのメンバーは個人でテーマを決め、卒論の形で完成させます。

<大学の奨学金を使って海外合宿>
 13年度から大学は外国派遣留学奨学金(海外活動を伴う正課科目履修者を対象)制度を開始します。新4年生浅野ゼミ(19期)はこの制度(一人当たり最高70000円の奨学金)を使って、9月ごろに北欧のフィンランド、スウェーデン両国での合宿を計画しています。ヘルシンキ・ストックホルム両大学の学生との討論・交流、新聞・放送など報道機関の見学、ジャーナリストやプレスオンブズマンなどへのインタビューなどを予定しています。
 20期生はこれに同行するか、独自に他の外国で合宿(学習)するか、ゼミで話し合って決めたいと思います。

<混迷する内外情勢>
 「3・11」の東電福島原発「事件」で、日本の社会、政治、経済体制は根本的な変革を求められたはずなのに、昨年末の総選挙で原発推進、消費増税、憲法改悪、侵略戦争歴史改竄の自公・維新・みんなの各党が勝ち、東条英機内閣の商工相だった元A級戦犯被疑者の祖父・岸信介を心底から敬愛する安倍晋三氏が首相に復帰するという最悪の事態になりました。
 有権者の40%が棄権する中、比例では27%(全有権者の17%)しか得票しなかった政党が、やり放題です。韓国メディアは「極右政治家大量起用…国政の右傾化加速の見通し」(聯合ニュース)などと断じています。中央日報は18人の閣僚のうち11を「右翼性向」と分析しており、「閣僚の60%以上が右翼に満ちていた訳だ」と正確に報じました。
 日本のテレビ・新聞・週刊誌は安倍氏がかつて官房副長官の時、NHKに日本軍慰安婦(国連では日本軍性奴隷)番組の改竄を命じた言論弾圧の張本人であることを全く報じません。テレビでは連日、コメンテーターが揃って安倍政権への「国民の期待感」「経済再生」を伝えるなど異様な報道を続けています。副総理・財務相になった麻生太郎氏ら「みぞうゆう」(未曾有)の極右反動靖国閣僚たちが国政をハイジャックしたのに、何という軽薄な報道界でしょうか。ジャーナリズム機能を喪失した記者クラブメディアの偏向報道の責任が大きいと思います。東電福島原発事件の際の大本営発表報道が今も続いています。記者クラブメディアの大罪です。
 安倍・極右反動靖国派政権はさっそく原発の新規建設・再稼働を明言しました。防衛省は、米軍が沖縄に配備した新型輸送機オスプレイの自衛隊への導入を検討するため、13年度予算案に調査費を計上する方針を固めました。
 フランスのマリ侵攻が原因で起きたアルジェリアの惨事を悪用して、自衛隊法の改悪を狙っています。核兵器を保持する超大国(国際金融資本)とイスラム原理主義の間の抗争が激化しており、軍事力での解決は無意味です。米英のイラク侵略・占領に加担した日本は第三世界の敵になりつつあります。名古屋高裁は空自のイラクでの展開は違憲という判決を言い渡し、確定しています。「自衛隊のイラク派遣以外に日本の選択肢はない」と煽った自公政治家とメディアは猛省しなければなりません。米英ではイラク戦争を煽った政治家やメディアが反省・謝罪しています。
 米軍と共にいつでも戦争ができる国にすするための“クーデター”が進行しています。
 市民的自由と人民統治(デモクラシー)を実現するための全面的な変革の時代です。これまで不問にされてきた日米軍事同盟、市場原理主義、死刑制度、記者クラブ制度・実名報道主義ムラ、権力癒着のアカデミズムが揺らいでいます。金平茂紀・TBS執行役員(「報道特集」キャスター)は原発安全神話を垂れ流してきた「御用ジャーナリスト」を顕名で批判しています。
 私はノーム・チョムスキー教授が03年11月私に語った「自分の住む地域、働く職場で闘うことが最も大切だ」という言葉を肝に銘じています。非戦・平和を希求する日本国憲法を世界に広げ、反ファシズム統一戦線の構築を目指します。

<沖縄・福島を考える浅野ゼミ>
 12年7月28日に西山太吉さんら、29日に小出裕章さんらを招いて沖縄と福島を考える連続シンポを開催。9月中旬、福島と東京で原発報道を考える合宿を行いました。

 9月下旬にはチェルノブイリを取材しました。チェルノブイリツアーを主催した「NPO法人食品と暮らしの安全基金」はツアーの報告書を発行しています。  http://tabemono.info/

 ゼミ3年生(19期)中心の沖縄合宿が、オスプレイ強行配備、米兵による集団強かん事件が起きる中、10月21日から24日まで行われました。琉球大学法文学部の我部政明教授のゼミと討論・交流しました。琉球新報は23日第一社会面に「基地、本土と温度差も 琉大×同志社大、学生が意見交換」の記事が掲載されました。

 ゼミの有志で11月26日から30日までソウルで合宿しました。延世大学言論弘報学科の尹ヨンショル教授やゼミ学生・院生たちと交流しました。浅野ゼミOGソウル支部の元院生らが助けてくれました。ナヌムの家を訪問し、ハルモニたちと交流もできました。

 12月19日には、ベラルーシュでチェルノブイリ原発事故の被災地の子どもたちのための保養所「希望21」所長、マクシンスキー氏の講演会を広河隆一さん(フォトジャーナリスト・DAYS JAPAN編集長)の司会で開きました。12月23日には東海テレビの映画『死刑弁護人』(97分)の上映会&トークを、安田好弘弁護士、東海テレビの阿武野勝彦さん(同志社大学新聞学専攻出身)を招いて行いました。
 浅野ゼミのメンバーは人権と報道・連絡会の定例会で何度か発表しています。光市母子事件、千葉の英国人講師事件などの報道の検証をしました。13年2月8日には、ゼミ学生と私が一緒に、強制起訴された小沢一郎氏の控訴審無罪・無罪確定に関するテレビと新聞の報道の分析結果を発表します。小沢弁護団の弘中惇一郎弁護士も裁判の概要・問題点を報告します。

 今年届いた賀状には記者クラブメディアを批判した記述が目立ちました。企業メディアで働く人たちからも、「くだらない会社になってしまった」「このままでは新聞は存続できない」「原発に関する新・安全神話をばらまいている」という声がありました。マスコミは人民の主要な敵になったという指摘もあります。
 ゼミの学生たちと一緒に東北へ7回出かけ、原発「事件」と報道などについて考えました。その成果として浅野ゼミが総力を挙げて協力した「検証 原発事故報道~あの時 伝えられたこと」(DAYS JAPAN 2012年4月増刊号)が刊行されました。

 ジャーナリズムの役割がますます重要になってきました。こういう時代に、本格的にジャーナリズム論を学びたい人、大学院進学を考えている人、フリーランスも含めて報道機関での仕事を目指す人、国際的な活躍を希望する学生は、ぜひ浅野ゼミを考えてください。 メディア学科の河﨑吉紀准教授は浅野ゼミの2期生で、阪神淡路大震災報道の検証で活躍し、同志社大学で新聞学博士を初めて取得しました。卒業後に、東大、京大、立命館大学の院に進んだゼミ生もいます。
 浅野ゼミOBGはメディア関係就職の輝かしい実績を持っています。良識ある報道機関は、学生がどういう識見を持っているか、文章を書く力があるか、「この人と一緒に仕事をしたいかどうか」などで判断します。大学時代にしっかり学問し、世界を知ることです。
 学部、大学院の浅野ゼミは縦のつながりが深いことも特徴です。2年間、楽しい仲間と過ごせるゼミにしたいと思っています。「教育GP」を活用して、東京の大学(立教、早稲田など)、東北の大学のゼミと討論会を開催しています。浅野ゼミは、学生たちで執行部をつくり、学生が自主的に運営するゼミナールです。3・4年生のゼミは学生生活にとって重要です。浅野ゼミのことをよく知って、判断してください。


<指導教員の専門分野と教育歴>

 私は日本を代表する報道機関の一つである社団法人、共同通信社で22年間にわたり、現場記者、特派員と外信デスクを務めた後、19年前に本学に来ました。人権と報道、東アジアを中心とする国際関係論、ネット・ジャーナリズムなどの分野で調査研究しています。
 教員になってからも、インディペンデント・ジャ-ナリスト(フリーランス)として新聞、雑誌、単行本などで取材、表現活動を続けています。スポーツにも関心があり、サッカーW杯のフランス・日韓・ドイツ大会を取材しました。11年11月に平壌で行われた日本対朝鮮戦も取材しました。10回の訪朝では、朝鮮での撮影映像がNHK、朝日放送などでオンエアされました。

 ゼミ合宿を東京、沖縄、高知、広島、北海道、ソウル、マニラ、ビルマ、NYなどで開きました。ゼミには留学生も多く、国際的です。09年3月末、博士課程後期を満期退学した韓国人留学生の李其珍(リ・キジン)さん=韓国のサンミョン(祥明)大学講師=が10年3月に博士論文を取得。河崎准教授、中国人留学生の韓景芳さん(上海の華東政法大学新聞学専攻准教授)に次いで3人目の博士です。李さんの同期、森類臣(ともおみ)さんは13年2月に博士論文を提出し、審査に入ります。
 浅野ゼミ13期生から4人が新聞記者になりました。14期生からも新聞記者、テレビ制作ディレクターになりました。15期生からも通信社、放送局、大手制作会社(2人)に入りました。16期生は民間会社に入る人、海外留学が3人ですが、続けて記者にチャレンジし全国紙に内定したメンバーもいます。17期生は2人が新聞記者です。18期生では新聞記者、放送局各1人です。
 最近の浅野ゼミには、新聞、テレビ、雑誌などの報道・制作関係の仕事を目指す学生たちが多いのは心強い。学部1年生から院生までのゼミメンバーの活躍ぶりはゼミのHPをご覧ください。

<どんな学生に入ってほしいか>
 活字を読んでほしい。また、英語を完全にマスターしてもらいたい。
 浅野ゼミを出た学生たちのほとんどは、自分たちの力で、メディア関係をはじめ、さまざまな分野で生き生きとして活躍している。「自治、自律、自立」の精神を持って将来を考えてほしい。
教育とは英語でeducateという。eはoutで、ductはbringという意味。学生の持っている才能、可能性を引き出すお手伝いをすることです。ゼミで何をするかは、ゼミを構成する学生たちが自主的に決め、進めてもらう。教員はゼミの学生たちを研究と人生の同志と考え、ゼミ員と共に学ぶという姿勢でいたい。

<ゼミで主に何をするか>
 浅野ゼミでは、卒論を書くための個人研究とともに、ゼミで一つのテーマを決めて2年間をかけて共同研究を行う。最初の数回のゼミで、学生たちが話し合って自由にテーマを決める。
 卒論も同じですが、浅野の専門分野から離れても全くかまわない。日本マス・コミュニケーション学会で認められている分野であれば、テーマは何でもよい。
 浅野ゼミは1994年4月にスタートし、みなさんがメンバーになれば20期生となる。これまでに19期ゼミがありますが、その時々の国際関係、ジャーナリズムのあり方を考える共同研究が多い。先輩たちが取り組んだテーマには、「大震災と報道」「日米犯罪報道比較」「在日朝鮮人とメディア」「少年犯罪とメディア」「雪印事件と報道」「メディア規制法」「イラク戦争とメディア」「海外から見た日本のメディア」「JR尼崎脱線事故とメディア」「人権と報道 秋田事件と外国人犯罪を事例に」「表現の自由と法規制」「裁判員裁判と犯罪報道」「北東アジアの平和とメディア」「NHKはなぜ今ドラマ『坂の上の雲』なのか」など。
 現場で多様な人々に会って話を聞き、自分の目で観察し、それを様々な方法で伝えることに関心のある学生に来てほしい。
 共同研究の成果は、浅野ゼミが毎年発行するゼミ誌『DECENCY』(既に16号発行)に掲載するほか、一般書籍として、『激論・新聞に未来はあるのか』『ナヌムの家を訪ねて』『イラク日本人拘束事件と「自己責任」報道』(いずれも現代人文社)『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)を出版してきました。  個人研究はゼミ員それぞれの進路も考慮しながらすすめてもらう。学生生活の集大成として立派な卒業論文を書いてほしい。内外のジャーナリスト、法律家、NGO活動家などをゲストに招くほか、ゼミでさまざまな話題で自由討論も行う。
 将来、報道ジャーナリスト、映像・文筆関係など「表現者」の仕事を目指す人や、国際的な機関で働く希望のある学生にはゼミ以外の時間にも指導できる。ゼミ学生を中心とする「記者を目指す人のための作文講座」(DSJ)でも私が顧問として指導します。
 フリージャーナリスト、外国人記者、などメディア現場との交流も行う。同志社で、school of journalismの新しい伝統をつくりたい。

<09~12年度卒業論文の主な題名>
 09年度;「『こうのとりのゆりかご』と報道」「女性記者の実態」「沖縄密約とメディア」「ドキュメンタリーの可能性」「自死と報道」「紙としての新聞の未来」「女性週刊誌を通して見る皇室とマスメディア」「大学生の逮捕とメディア」「環境問題と報道」「アジアの貧困をどう伝えるべきか」など。

 10年度;「メディア関連法改定からみる韓国メディアの未来~2009年メディア改定を中心に考察する~」「AFCアジアカップ2004における新聞報道 ―スポーツイベントを通したナショナリズムの高揚と国際理解の促進―」「日本のジャーナリズムと権力―「8・15」新聞社説を手掛かりに―」「新聞とネットの民族差別~朝鮮学校高校無償化報道を中心に~」「NIEとメディア」「日本メディアの安全保障報道―鳩山政権期の米軍普天間基地移設問題を中心に―」「イラク侵攻と日本メディアによる自衛隊報道」

 11年度;「児童虐待報道」「教科書問題とメディア」「韓国ポータルサイトにおける芸能報道~タブロ学歴疑惑事件を通して~」「Twitter時代の言論」「自白と報道~足利事件と布川事件を中心に~」「報道が伝えない死刑」「日本とドイツの戦後補償をめぐるメディアの報道比較」「スポーツ報道におけるマイノリティ」「医療報道の在り方~奈良・大淀病院事件から~」「GHQによる占領下の日本」。

 12年度;「エスニックメディア ~在日ブラジル人メディアはリーマンショックの波をこえたか~」「沖縄の基地問題の行く先と新聞の役割について」「~メディア企業は誰のものか~オーナーシップに関する諸問題~」「現代メディアをめぐる諸問題と私の意見」「外国人居住者と言語問題」「『記者』と『ジャーナリスト』の差異~長谷川如是閑を中心に~」「クロスオーナーシップと韓国のメディア法」「ラジオ放送が果たす役割 ―アナログからデジタルへ―」「女性のメディア業界における社会参画の在り方~更なる社会進出、キャリアの躍進を求めて~」「権力とジャーナリズム―橋下徹氏・出自を巡る報道を中心に―」「日本 の報道が映し出す中国―2009年10月から1年間の新聞社説―」「少年犯罪報道 ―光市事件から考える―」「政治家のメディア利用~橋下徹・小泉純一郎のメディア戦略からみる~」「違法ダウンロード刑事罰化の問題点」


☆4年生(18期生)執行部からのメッセージ
[ 2年生のみなさんこんにちは。みなさんの中に浅野ゼミに対し、「忙しい」、「厳しい」、「大変そう」などの印象を持っている人がいるかもしれません。実際、週に一度のゼミの時間以外に活動することは多々ありますし、楽なゼミではありません。しかし、座学で得るよりも素晴らしいものに出会うことができます。自分の足を使い、実際に見て、感じることは自分の視野を広げ、自分を成長させてくれます。
 18期生は「東日本大震災・東電原発事故とメディア」というテーマで共同研究に取り組んでいます。原発事故を伝える報道を中心に「真実を伝えているのか」、「正しい報道とは何か」ということを日々研究しています。メディア分析を進めつつ、3度の東北・東京合宿やシンポジウムを開催し、当事者の生の声を聞いています。合宿手配や取材のアポ取り、シンポジウムの企画、記録の作成など、全てをゼミ生が行い、社会に出ても通用するスキルを身につけることができます。
ゼミ活動の成果は大学HPのゼミHPと社会学部のサイトなどで見ることができます。
http://ssgp.doshisha.ac.jp/ 
 共同研究の他にも、昨年11月には学年問わず有志で韓国合宿を開催し、現地の新聞社やテレビ局の見学、大学生との討論などを行いました。浅野ゼミでは共同研究のテーマ以外にもその時々の社会の問題について、国内外問わず学ぶことができ、日本にいるだけでは気づかない、国際的な視点を身につけることもできます。広い視野と真実を追い求める姿勢を身に付け、メディア業界など様々な業界で先輩方は活躍されています。
 大学生活の4年間は長いようであっという間です。そのうちの2年が過ぎたみなさんはこれからの2年間をどのようなものにしたいですか。2年間を濃いものにし、「自分を成長させたい」、「広い視野を持ちたい」、「ジャーナリズムについてきちんと学びたい」と思う人には、浅野ゼミをおすすめします。 ](18期副ゼミ長・鹿江美沙)

19期生からのメッセージ
[ 浅野ゼミの一番の魅力は「学生時代にしかできない貴重な体験ができる」ところだと思っています。 例えば私たち19期生は“沖縄密約と現代ジャーナリズム―西山太吉氏の意志を継ぐ者たち”を研究テーマに沖縄合宿を行い、そこで琉球大学の生徒との討論会、新聞社やテレビ局、基地のある宜野湾市長にまでお会いしインタビューをすることができたことは本当に刺激的で学ぶことがたくさんありました。 浅野ゼミでは、「普段は会うことのできない多くの人に会う」ことができます。様々な分野で第一線で活躍されている方を招いてシンポジウムを催し、一からアポイントメントをとりインタビューをすることもあります。引き受けてくださる方々は、何のメリットがないときでも学生の私たちの研究のために多くの時間と労力を割いてくださります。これは社会人になってそうそう経験できることではありません。
 みなさんはゼミを選ぶときどのような基準で選ぼうと考えているでしょうか?「興味のある分野だから」「仲のいい友達がいるから」「尊敬する教授がいるから」など、さまざまな理由があると思います。私の個人的な話になりますが、私はゼミを選ぶときに「学生時代にしかできないことをしたい」という想いを一番大切にしてゼミを選びました。私と同じような観点をもってゼミを選ばれる方がいるなら、浅野ゼミの活動内容にはきっと惹かれるものがたくさんあると思います。
 浅野ゼミにはたくさんの出会いと刺激があります。浅野ゼミに入ったら、きっと学生らしい充実した二年間になると思います。 ](19期ゼミ長・渡辺真季)

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 教授会のない水曜日の午後、木曜と金曜の午前中は研究室にだいたいいます。浅野ゼミについて聞きたいことがある人は、気楽に訪問してください。事前にメールで連絡をくれると助かります。
研究室 KS401, 電話 075-251-3457 ファクス 3066(学部共用)
E-mail:asanokenichi@nifty.com

 
 2013年3月11日現在のプロフィール 浅野健一(あさの・けんいち)

   1948年、香川県高松市生まれ。66~67年AFS国際奨学生として米ミズーリ州スプリングフィールド市立高校へ留学、卒業。72年、慶應義塾大学経済学部卒業、社団法人共同通信社入社。編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部を経て、89年から92年までジャカルタ支局長。帰国後、外信部デスク。77~78年、共同通信労組関東支部委員長。94年3月末、共同通信退社。 94年4月から同志社大学社会学部メディア学科教授、同大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授。2002年4月から2003年6月まで、英ウエストミンスター大学客員研究員。
96年12月から97年12月まで、同志社大学教職員組合委員長。 99年3月から10月まで、厚生省公衆衛生審議会疾病部会臓器移植専門委員会委員。 共同通信社社友会準会員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒168-8691 東京杉並南郵便局私書箱23号)世話人。

 単著 『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫に)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)、『メディア・リンチ』(潮出版)『脳死移植報道の迷走』(創出版)、『メディア規制に対抗できるぞ!報道評議会』(現代人文社)、『「報道加害」の現場を歩く』(社会評論社)、『新版 犯罪報道の犯罪』(新風舎文庫)『戦争報道の犯罪 大本営発表化するメディア』(社会評論社)、『メディア「凶乱」(フレンジー)──報道加害と冤罪の構造を撃つ』(社会評論社)『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(昭和堂)『記者クラブ解体新書』(現代人文社)。

 編著に『スパイ防止法がやってきた』(社会評論社)、『天皇とマスコミ報道』(三一新書)、『カンボジア派兵』(労働大学)、『激論・新聞に未来はあるのか ジャーナリストを志望する学生に送る』(現代人文社ブックレット)、『ナヌムの家を訪ねて 日本軍慰安婦から学んだ戦争責任』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)、『イラク日本人拘束事件と「自己責任論」報道』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)。

 共編著に『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。

 共著に『ここにも差別が』(解放出版社)、『死刑囚からあなたへ』(インパクト出版会)、『アジアの人びとを知る本1・環境破壊とたたかう人びと』(大月書店)、『メディア学の現在』(世界思想社)、『検証・オウム報道』(現代人文社)、『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、講談社文庫)、『大学とアジア太平洋戦争』(白井厚氏編、日本経済評論社)、『オウム破防法事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)、『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)、『新聞記者をやめたくなったときの本』〈北村肇編、現代人文社)、『奇想の源流 島田荘司対談集』(光文社文庫)、『プライバシーと出版・報道の自由』〈青弓社編集部編、青弓社)、「週刊金曜日」別冊ブックレット『金曜芸能 報道される側の論理』(金曜日)、『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』(人権と報道・連絡会編、社会評論社)、『抗う勇気 ノーム・チョムスキー+浅野健一 対談』(現代人文社)、ブックレット『辻元!』(夏目書房)イースト・プレス特別取材班編『徹底検証 NHKの真相』(イースト・プレス)『対論・日本のマスメディアと私たち』(野田正彰氏との共著、晃洋書房)、『「ごめん」で済むなら警察はいらない』(柳原浩氏との共著、桂書房)、『冤罪はいつまで続くのか』(矢澤昇治氏との共著、花伝社)などがある。オ・ヨンホ著『オーマイニュースの挑戦』(太田出版)、斉間満著『匿名報道の記録 あるローカル新聞社の試み』(創風社出版)に解説を書いている。監修ビデオに『ドキュメント 人権と報道の旅』(製作・オーパス、発行・現代人文社)がある。

資格;1968年、運輸相より通訳案内業(英語)免許取得
人権と報道・連絡会
  http://www.jca.apc.org/~jimporen/ 


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B 浅野健一インタビュー

 メディア学研究会が13年4月に入学する新入生に配布する冊子で、8人の専任教員のインタビュー記事を載せるが、字数の制限があり、もともとあった6000字が3000字に減らされた。そこで、HPに削られる前のインタビュー記事をアップしたい。ゼミ選びの参考にしてほしい。

Q.先生がメディア学の道に入ったきっかけは?
 慶應義塾大学経済学部を出て、1972年から日本を代表する通信社である共同通信の記者になって22年働きました。どんな報道機関でも同じですが、まず、警察の記者クラブに入って事件事故の取材をやらされる。私はもともと、ケネディ大統領の暗殺を報じる記者たちの姿に感動し、記者を目指し、外信部記者をやりたくて共同通信に入ったんだけども。最初に事件取材をやらされた時に、警察に逮捕された人を呼び捨てにするのに違和感があった。「浅野を傷害容疑で逮捕」とか。
 まだ裁判を全く受けてないのに、もう悪者扱いをする。氏名、職業、住所、出身地から、年齢、経歴などまる裸にされる。事件が大きければ大きいほど何でもありになる。私はそういう仕事が凄く嫌だった。警察に捕まった人が、後で長い裁判で無実と分かって無罪になるという冤罪事件に遭遇した。犯罪報道のあり方を根本的に変えないといけないと思った。  会社に入って3年~5年目ぐらいの時です。被疑者・被告人の人権を守る犯罪報道に大転換すべきだという主張をした。そうしたら、物凄くいじめられて、人が行きたくない職場に7年間行かされた。要するに、「やめろ」ということですよね。本来の記者の仕事をさせない。私はいじめられている時に、会社をやめることも考えたんですけど、自分は何も悪いことしてないのにやめることはないと思って、自分が疑問に思ったことを研究しようと思った。閑職に追いやられると、凄く時間がある。頭を使わないから。会社が終わって6時過ぎたら、頭を使う。自分の勉強をして、弁護士や学者に会った。北欧にも行って調査した。
 共同通信ですから、人事で冷遇されても、世界中のニュースや新聞や雑誌を全部読める。自然に世界のニュースが入ってくる。ニュースのあり方を研究するには凄く良い環境だった。それで、日本と違って、警察に捕まっても名前を出さない、警察の言う通り記事を書かない国がいくつもあると知った。外国では、それが普通だってことが分かってきた。それで、1984年に『犯罪報道の犯罪』(学陽書房)を出版した。それが、世の中で注目され、本が出てすぐに、朝日新聞と日本共産党機関紙の「しんぶん赤旗」に同じ日に書評が載った。朝日の書評を書いてくれたのは、私たちのメディア学科(旧・文学部社会学科新聞学専攻)の元教授の鶴見俊輔さん。それで、私のことが有名になった。これが会社の面白いところなんですけど、それまで私をさんざんいじめてきた幹部が、「こんなに優秀な記者をどうして冷遇しているのか」といわゆる文化人言われて会社は困って、「浅野君、どこでもいいから人事異動させてやる。1番行きたい職場に行かせる」と言ってきた。「えっ」と思った。その時、もう30代後半だった。今更海外とも思ったが、共同に入った時の最初の志が外信部の記者だったので、外信部に行きたいと言ったら、異動になった。それで、89年から92年までジャカルタの支局長をして、その後、ニューヨークに行くはずだった。ところが、その人事を潰された。私のことを嫌う社内の人間が集まって、私をまた閑職に追いやろうとした。1993年の夏ごろです。その時に、ちょうど同志社大学が新聞学専攻の教員を募集していた。私の尊敬する共同の先輩の新井直之さん(故人、東京女子大学教授)らから、同志社の教員になるのがいいんじゃないか、応募してはどうかと薦められた。『天皇の記者たち』の帯の推薦文を書いてくれた西山武典さん(故人、元共同通信編集主幹)も薦めてくれた。それで、応募した。私が93年秋にニューヨーク特派員になっていれば、同志社に来ていない。人生は面白いものです。そのあたりの経緯は『「犯罪報道」の再犯―さらば共同通信社』(第三書館)に書いています。
 だから、メディア学をやろうと思ってやったわけではない。私がメディアの現場でやってきたこと、本や雑誌に書いてきたことが、メディア学としての業績になるという風に同志社大学が認めた。昔の名前の「新聞学」というのが大事で、今のような「メディア学科」だったら私は採用されなかったと思う。新聞学の教授募集だからよかった。だから、私の講義は「新聞学原論」という科目名です。「メディア学原論」ではない。

Q.先生のお薦めの図書を教えてください
・自分の本としては『犯罪報道の犯罪』
・辺見庸『もの食う人びと』
・鎌田慧『自動車絶望工場』
・本多勝一『戦場の村』『殺す側の論理』  こういう優秀なジャーナリストのノンフィクションを読んだら良いと思います。

Q.先生は大学生の時にどういう学生でしたか?
 当時は学生運動が激しくてね。ほとんど授業が無い。だから、真っ先にやったのは、日吉自動車学校に行って運転免許を取った(笑)。元経産相の海江田万里・民主党代表は同級生です。
 サークルは、英語で新聞を出していた三田英字新聞会。The Mita Campusという英字新聞を出していた。大きなデモとか大学のスト、授業料値上げ反対集会などの記事を書いた。当時、ベトナム戦争の頃で、慶応大学医学部の教授が米軍から頼まれ、生物化学兵器の委託研究をしていることが分かって大騒ぎになって、それも書いた。テニスの同好会に入っていた。
 経済学部では、3年生からゼミがあって、私は社会経済思想史の白井厚教授の門下に入った。白井先生は、アナキズムや女性解放思想、初期マルクスの研究者で、いい仲間に出会った。慶応では、ゼミを3・4年生で、2時間続きで180分ゼミが続くので、3時から6時までゼミです。終わると、慶応の近くの安い飲み屋に行って、そこで「あーだ、こーだ」って議論をする。
 私は学生運動をほとんどしていない。同期の人はすごかった。1974年にシンガポール事件1975年のクアラルンプール事件に参加し、今刑務所にいる和光晴生さんら、同級生の中には、過激な学生運動をやっていた人がいっぱいいますが、非暴力・非戦の私は参加していない。  新聞研究所の研究生もした。慶応にはメディア学科みたいな学科がない。その代わりに新聞研究所があって、3人のメディア学の研究をする教授がいた。毎年100人ぐらいの学生が入所する。メディア現場から講師が来て、将来マスコミに入りたい学生のために、作文教室とか、ニューヨーク・タイムズを読む授業と毎日新聞記者の作文クラスなどかがあった。いまはメディア・コミュニケーション研究所(メディコム)になっている。NHK、TBS、朝日などのベテランの記者が教えに来てくれる。同志社のメディア学科もやればいいと思うが、なかなか実現しない。
 私の同期では、朝日に2人、NHKアナウンサーになった人もいる。私は経済学部卒業プラス新聞研究所修了です。国際報道のジャーナリストになりたくて、そのために、大学時代にできるだけの努力をしました。

Q.学生時代にしておけばよかったと後悔していることは何かありますか?
 高校の時にAFS国際奨学生として米国へ1年留学していたので、大学の時も留学しておいたらよかったなと思う。インドのデリー大学に交換留学で受かっていたのですが、母親が病気になって行かなかった。私がインドに行っていたら、人生が変わっていたかもしれない。お金がないから、1日も早く就職しないといけない。ブラブラする余裕がなかった。1人で四国から出てきて、慶応を卒業したら、自分で生きるしかないですよね。大学でも留学しといたらよかったな、と思います。

Q.人生で1番印象に残っていることを教えてください
 これは難しい。いっぱいあるから。『犯罪報道の犯罪』のテーマになっている小野悦男さんとのことですね。小野さんは女性を11人焼き殺したという記事を書いた。その人が17年後に無罪が確定した。それが1番忘れられない。まだ記者3年目の25歳ごろの事件で、小野さんに出会わなかったら今の私はない。自分が加害者になった。悪い奴だとみんなで報道した。記者は捕まっている人に会えない。逮捕から1年後に初めて接見した。獄中会見をしたのですが、当時は非常に珍しい。今は、拘置所で会える。捕まった人の言い分を聞くのは当然と思って会って、小野さんの「私は殺していない」という言い分を記事にした。捕まえた人がいたら、捕まえられた人の言い分も報道すべきだ。両方の言い分を書くのが当たり前と思った。しかし、原稿が2日間出なかった。小野悦男さんが人を殺したという記事は3万字ぐらい出ていた。なのに、彼がやっていないという声、原稿用紙2枚・800字の記事が出ない。デスクとか支局長とか社会部長とか偉い人たちは、「そんな奴が言っていることは信用できない」と言う。思わず私は「警察が言っていることは信用できるのか」と反論した。そうしたら、「お前は何ていうことを言うんだ」と上司は切れた。「日本の警察は優秀だ」とか「何もないのに逮捕しない」「裁判所が逮捕状を出している」などと言う。「優秀かもしれないけど、間違うことあるでしょう」と言うと、またもめる。
 「警察・検察が間違わないんだったら、裁判所はいらないんじゃないか」と私は言ったわけです。それに対しては、「生意気なこと言うな」となる。
 中学や高校の社会科で司法制度を習ったが、犯人かどうかは公開の裁判で決める、裁判で有罪が確定するまで、被疑者・被告人はすべて無罪を推定されるというのが定理のはずだ。そんなことを言うと、「お前はとんがっている」とか言われた。「青臭い」「理想主義的だ」とかも。今もよく言われる。しかし、「とんがっていること。理想を忘れない。いつまでも青臭く生きる」方がいいと思う。ジャーナリストにはこういう姿勢が必要です。長いものにまかれるのはだめ。
 その後、1984年に死刑囚で33年ぶりに、免田事件の免田栄さんが社会に戻ってきた。この人に会った時も感激した。甲山事件の山田悦子さん、最近では布川事件の桜井昌司さん・杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さん。犯人だと思われた人が、ずっと闘って無実を勝ち取った。そういうことが1番印象に残っている。

Q.人生で1番失敗したことを教えてください
 失敗…、あんまり失敗したことないね(笑)。共同通信の外信部の時に、シフト勤務で、今日は朝8時から昼2時まで仕事で、明日は2時から8時とか。出勤時間を間違えたことがある。午前8時に行かないといけないのに、午後2時からだと思って、2時に行った。冷たい目で見られる。それは辛かった。世界中のニュースを6人でやっているので、1人行かないと大変なんですね。
 丸紅がインドネシアの離島で、マングローブを違法に伐採している時の写真を撮りに行ったとき、ASA400のフィルムでASA100に合わせて撮ったら、露出オーバーになった。
 今でも、外信部の出勤時間を間違えたとか、特ダネ写真を撮ったのに送れないとかの夢を見てハッとして起きることがある。失敗は仕事にまつわること多いな(笑)。
 大きな失敗はあまりない。同僚の記者では、朝鮮民主主義共和国の金日成主席を約5年も早く「死去」させる大誤報をした人もいます。
 人生での失敗というのはないですね。自分で自分の好きなようにやってきたので、あの時こうしていたらよかったとか、あんまりないですね。

Q.今1番したいことは何ですか?
 なんだろう。ブラジルのW杯決勝を取材したい。イチローのインタビューとかしたい。金正恩第一書記のインタビューもしたい。デヴィ・スカルノさんのインタビューもしたい。デヴィさんの一生を聞きたい。インドネシアのスカルノ大統領の第3夫人になった時の話を聞きたい。
 好きなパリとかベルゲン(ノルウエー)に行って、ゆっくりしたい。

Q.今でも苦手なことはありますか?
 みんなに無理に合わせるのは苦手です。大学のいろんな会議も。私は「大学の会議を少なくするための会議」を作ったらどうかと言ったことがある。人にゴマをすったりするのも苦手ですね。何の世話にもなっていないのに、お世話になっていますとか言いたくない。会社からすると、協調性がないということになる。日本的な協調性みたいなものが苦手ですね。韓国とか米国・欧州に行くと、私のような感じの人が多い。はっきりものを言って、嫌いなものは嫌い。相手が間違えていると思ったらそう言う。以心伝心というのが合わない。人と異なることを嫌う社会は苦手です。「空気を読め」というのが一番苦手です。

Q.愛用しているものは何ですか?
 テニスのラケットかな。テニスは中学の時に軟式テニスで、高校は米国で硬式テニスを覚えた。大学で同好会に入って、共同に勤めてからはずっと民間のテニスクラブに入っている。家を借りたり買った時は、必ずテニスクラブがどこにあるかを調べて、そのテニスクラブの近くを探した。大学に来てからも、同志社中学にクレイのコートがあった時、そこで仲間の教職員と一緒にやっていました。
 さっきの1番したいことはテニスかもしれない。グランドスラム(全豪オープン、全仏オープン、全英ウィンブルドン選手権、全米オープン)という4つの大きなテニス大会があるが、全豪だけ見たことがない。他は全部見ている。全豪は1月10日ぐらいから始まって20日頃に終わる。大学を休まないといけない。だから、大学辞めたら真っ先に全豪オープンに行く(笑)。

Q.先生の自慢を1つ教えてください
 共同通信のテニスのシングルスのチャンピオンになったこと。魚住昭記者に勝った。検察取材で1番有名な人で、一橋大学庭球部出身。浅野が共同通信のテニスのチャンピオンになったというので、社内の職場新聞に出た。なぜ勝てたかと言うと、魚住さんは当時社会部の司法担当記者で、残業ばかりで体がボロボロ。こっちは社内で干されているから、体は元気いっぱい。向こうは夜回り取材でクタクタになっていた。
 テニスのダブルスは、10回近く優勝している。1回優勝した人は同じ人と組めないので、毎年パートナーを変えて勝った。だから、「優勝請負人」と呼ばれた。私は共同で、いろんなことがあったけど、1回も処分されていない。もちろんクビにならなかった。その大きな原因は、私が共同通信テニスクラブの事務局長で、千葉とか軽井沢とかで毎年行う合宿などで、社の幹部の家族に好かれたことだと思う。「浅野さんって良い人ね」と社長の妻にも言われた。私が出した本を読んでいる人もいる。「浅野さんの言っていることは正しい」と言ってくれた。それが私の自慢です。テニスが結構私の人生を支えてくれました。
 大学1年の時に、国家試験の通訳ガイド試験(英語)に合格したのも自慢ですね。19才で香川県の歴史上、最年少で受かったと地元の四国新聞に出た。旺文社模試の英語はいつも全国のトップだった。高校時代に英語が1番できたというのが自慢ですかね。今でも英語が好きです。

以上


掲載日:2013年3月11日
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