Asano Seminar:Doshisha University
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オスプレイと強かん事件に怒る沖縄で調査
浅野ゼミ19期生合宿




 浅野健一ゼミ19期生中心の17人は、10月21日(日)から24日(水)まで沖縄県で合宿を行った。浅野ゼミ19期生は12年春から「沖縄密約問題と報道」をテーマに西山太吉氏の闘いを受け継ぐ現代の記者たちに焦点をあて研究を行っている。
 合宿の目的は、沖縄の人々の生の声を聴いてくること、そして沖縄のメディアと本土のメディアとの報道の温度差を体感してくることであった。
 合宿では、琉球新報や沖縄テレビ放送(OTV)を訪問、佐喜眞淳・宜野湾市長、「海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」の安次富浩代表委員への聞き取り調査、琉球大学法文学部・我部政明ゼミとの討論会、辺野古・普天間・嘉手納基地、糸数アブチラガマの見学などを行った。
 現在、沖縄県では10月16日未明の米兵2人による強かん致傷被疑事件と、オスプレイ配備という2つの問題が大きく取りざたされている。今回は、強かん事件の報道について各地で聞き取り調査を行った。
 琉球新報は22日に「同志社大教授 浅野健一氏に聞く 根底に安保の矛盾」、23日には「基地、本土と温度差も 琉大×同志社大、学生が意見交換」(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-198385-storytopic-1.html)と浅野ゼミの活動を報じた。大城周子記者が取材してくれた。
 23日午前中、名護市辺野古沿岸で新基地建設反対の座り込みテントで活動する安次富氏を訪問した際、米軍の垂直離陸型輸送機MV22オスプレイが飛行しているのが2回見えた(写真)。飛行モードで飛んでおり、CH型など従来の輸送ヘリに比べて速度が極めて速い。


 その日の午後7時ごろ、那覇市内などで沖縄配備後初めての夜間飛行訓練が約2時間強行された。
 安次富氏は「米軍基地を抱えているところでは暴行事件は多発している。戦争して人格がおかしくなって、帰ってきて、性暴力に走る人がいる。今回の二人の米兵は今からグアムに行くところだった。グアムに行ってしまえば逃げ得。だからこれは計画的犯行だ」と語った。
 琉球新報では、今回の強かん致傷被疑事件の報道に被害者の女性に対する配慮が行われていた。滝本匠氏は「所轄の警察署の名前を報道するとかなり絞られてくるから、所轄の名前も出さずに『沖縄県警は~』という形でずっと通している」、「警察情報だけでは不十分なので、現場のホテルなどへ取材にも行くが、取材活動すると、その現場が事件に関係する場所だと明示してしまう逆の意味もあるので、なかなかこの問題は難しい部分がある」と語った。ライバル紙の沖縄タイムスは警察署の名前を出している。
 OTVの船越龍二・報道制作局長は、強かん事件報道について質問したところ、地元メディアと本土メディアとの受け止め方に感覚の隔たり、いわゆる“温度差”を感じた体験を挙げた。「沖縄国際大学にヘリが落ちた際、ネットのキー局側が『被害はどんなんですか』と聞いてきたので、不幸中の幸いで人身に被害はないと報告した。結果、「沖縄から生中継は要らない」との回答であった。当然沖縄から生中継するものと構えていただけに当初、どういうことなのか真意がつかめなかった。結局、ネットの全国ニュースは当時、渡邊恒雄読売新聞会長の問題などがあって、この報道は終わりの方で短いニュースとして伝えられた。キー局では人身に被害がないとニュースの質が落ちるのか、県民が一人二人怪我をしていたら扱いが違ったのだろうと思った。ネットの会議で、この問題で発言したら、系列局の多くも我々の意見に賛同してくれた」と語った。
 また、佐喜眞淳・宜野湾市長は、「このような犯罪って言うのは、起こってはいけないし、ましてや今回は女性の方ですからね。強かんされそのような事件が起こるのはきわめて遺憾です。あってはならないことが起こった」と述べた。
 今後の防止対策などについても聞くと、「本来なら日本人でも外国人でも犯罪をしてはいけないという教養っていうか、その身に染みたものがないといけないと思うし、そういうカリキュラムって言うものを米軍もしっかりと作るべきだとも思いますし、またそのカリキュラムを作るときにアメリカ人の思想って言うか、考え方だけではなく日本人のやっぱり努力まぁ日米両政府が話し合いの中でいろんな再発防止のカリキュラムを徹底させること。だから、法律的なこと壁があるだろうと思うし、あるいは外国人という壁もあるだろうしそこはもう私が、一市長がそんなこと言える立場ではないのでね。やっぱり政府がしっかりと政府間でしっかりと話し合って決めてもらいたいですね」と語っていた。
 琉球新報の松元剛・政治部長は次のように語った。
《オスプレイ配備の際、ニューヨークタイムズが「沖縄の古い傷に塩を塗るようなものだ」と書いのだが、私もその通りだと思う。結局オスプレイが配備されたので、古傷のかさぶたが剥がれた。そこから血がにじみ出してポタポタと落ちている時に、今回のレイプ事件が起きたのだ。このように、古傷ではなく生身の傷に塩を塗るような事件が今回の事件だと思っている。事件以降、保守系の県知事が「基地をなくす」と主張するくらい、沖縄の民意が刺々しくなっている。そこにジャーナリズムがどう寄り添うかという話だが、私たち(琉球新報)はやはり沖縄目線で報道を続けていく》


 安次富浩氏は「米兵二人による今回のレイプ、性暴力事件は氷山の一角だ。実際は表に出ないレイプ事件というのは、実際はたくさんある。しかも韓国でも(米兵による正犯罪が)二日後ぐらいに起きている。そのような(性犯罪を起こす米兵のいる)米軍基地を抱えているところではそのような事件は多発している。それはなぜか。それは戦争で人格が狂い、(戦地から)帰還したときに、性暴力に走る人がいるからだ」と語った。  我部ゼミとの討論では、沖縄県外出身か学生は「またかという感じ。でも今回は大きく報道されていることに驚いてしまった。自分の感覚がマヒしているのかなと感じた」と沖縄に引っ越してから感覚が変化してしまった葛藤を話した。別の学生は「日米安保体制と日米地位協定に問題があるから事件が起こる。軍隊は戦争で人を殺す存在だから、弱いものが犠牲になる。基地がある限り弱い女性や子ども、広く言えば沖縄の人が犠牲になる」と語った。「報道は客観的な立場ではなく、苦しむ沖縄の人の立場に立ってほしい」と訴える学生もいた。


 今回、実際に沖縄を訪れて、さまざまな視点から沖縄が現在抱えている問題に向き合うことが出来た。中でも一番印象に残っているのは、ガマを訪れた時のこと。実際にガマの中に入って、真っ暗中で恐怖におびえていた人、そして傷付き苦しみ亡くなっていった人たちの事を思うと胸が苦しくなった。そして同時にこの悲しい歴史を風化させてはいけないと強く思った。沖縄で、実際に目で見て感じたことはこれから自分たちが研究を進めていく中で重要になるものだと思う。また自分たちが教室の中でどんなに多くの本や資料を読んでも得られなかったものを得ることが出来た。 このような貴重な経験の中で多くのものを学ぶことができ、この合宿に協力してくれた方々、浅野先生、先輩方、ゼミ生のみんなに感謝したい。

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 この合宿の初日に、琉球新報が浅野教授にインタビューし、10月22日朝刊・第二社会面に《2米兵女性暴行/同志社大教授 浅野健一氏に聞く/根底に安保の矛盾》との見出しで記事が掲載された。
 [ 元共同通信社記者で同志社大教授(メディア学)の浅野健一さんは、報道と人権の問題について提言を続け、2001年に県内で起きた米兵女性暴行事件では報道による二次被害を取材した。16日に発生した米海軍兵による集団女性暴行致傷事件について21日、琉球新報の取材に自身の考えを語った。
 「日米安保条約をなくさない限り、こうした暴力は止まらない」。浅野さんは米国の影響力を許容した安保が問題の根底にあるとする。「憲法で軍隊を持たないと定めておきながら、よその国に守ってもらおうというのはおかしい。日本は憲法を守り、東アジアの中で非核・非戦の先導役になるべきだ」と主張する。
 性犯罪については米軍における指導体制にも原因があるという。「軍隊という力を競う集団にいることで、ゆがんだ性意識や人間観を持たされる」。今回の事件で再発防止策として実施されている深夜外出禁止も「米軍のポーズでしかない。物理的には事件が減るかもしれないが、意味がない」と批判し、実行力や継続性、処分内容など県民の監視が重要だと訴える。
 被害女性の二次被害については、過去の事件が取り上げられることでフラッシュバックを起こす懸念もあると指摘。「政治問題に発展することで、通常の刑事事件とは違う意味合いを持ってしまう」とし、匿名性の保護と同時に、精神面と経済面の両面のケアを続けていくことが重要とした。
 21日は、1995年の少女乱暴事件後に開かれた10・21県民総決起大会から17年の節目。浅野さんは「本土の人の政治的関心が希薄化する一方、沖縄の人たちの中には『差別』という意識がはっきりし、その差はより先鋭化した。次の選挙では安保の見直しについて真剣に考えるべきだ」と述べた。(大城周子) ]


<了>

報告:浅野ゼミ3年生・森本こずえ

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参加学生の感想
(1)
 沖縄の人々に根付く強い問題意識と、鋭い批判精神。それはやはり、沖縄がかつて中国、日本、アメリカ、そしてまた日本とさまざまな国に統治されてきた歴史と、もっと単純に“生活の問題”として諸問題が捉えられていることを実感した合宿となった。
 沖縄密約を研究対象としインタビューの質問事項にそれを盛り込むなかで、これほどまでに密約と現在の基地問題や地位協定に話が及ぶとは思わなかった。特に琉球新報や沖縄テレビといった報道に携わる人は、密約問題と今話題となる米兵の強姦事件やオスプレイの問題、基地周辺の住民の被害を表裏一体と捉えているという印象を受けた。この精神は、事件や物事を個として見るのではなく、その根底にある構造の問題や日本の問題として見抜く力は、西山太吉氏が今もなお、国民のために裁判に挑み続ける姿勢に通じるものがあると私は考える。
 とはいえ、基地の周りに住む人々が同じように感じているわけではない。琉球新報の松元氏の話で、密約に関する集会を開いたときに基地周辺の住民の声で「それどころではない。私たちは目の前に基地がある。生活の問題なんです」というものがあったと聞き、これがまた沖縄の背負う辛い現実であり、両者とも間違いのなく、行き場のないどうしようもない気持ちになった。沖縄密約事件を許されない国の隠ぺいであり国民への罪深い行為であるという意識を持って発信する沖縄の地方紙と、目の前が基地であり恐怖や騒音と戦う住民とのやりとり。住民の「それどころではない」という言葉が鋭く胸に刺さるのは、この問題が沖縄のなかだけで熱く取り上げられ、本土では取り上げられることのないむなしさからくるものではないだろうか。そのあとに聞く、子どもが初めて覚えた言葉が「コワイ、コワイ」だったという話を、私は申し訳ない気持ちで聞いた。本当に私たち日本人が共有するべき苦しみを、沖縄県民が背負っている。それをわたしたちは他人事のように捉えているのだ。
 また、沖縄県内でも温度差というものを感じた。それは、基地からの遠さだけではなく、個人個人でもそうだ。沖縄県民のほとんどが、基地をもつアメリカや日本政府、本土の温度差に対し鋭い批判意識を持っているわけではないようだった。とくに、若い世代の間では、怒りよりも諦めが強いように感じられた。これは、生まれたときから沖縄には基地があり、報道されない米兵犯罪、変わらない日米関係を見てきているからだろうか。毎日毎日報じ続ける沖縄の新聞と本土の新聞の違いに諦めの気持ちを感じざるを得なくなってしまう気持ちは想像できる。そうした感情を作り出したのはメディアの責任であり、また奮い立たせあげることができるのもメディアであると信じたい。
 そのために、沖縄密約に端を発しジャーナリズムがどうあるべきかを突き止めるというこの研究をより一層深めていきたい。

(2)
 沖縄へ向かう飛行機の中で私は、これから向かう沖縄ではどんな風に基地が存在しているのだろう、実際に空を飛ぶオスプレイが見ることができるのだろうか、会話が成り立たないほどの騒音を聞くのだろうか、と様々な想像を膨らませていた。この合宿で基地問題の実状をしっかりと見てこようと思った。
 琉球新報を訪れて、沖縄には真のジャーナリズムが存在していることを実感した。松元剛記者が基地周辺住民のところまで直接足を運び、彼らの思いを聞いて感じたこと、内間健友記者の沖縄の記者としての覚悟や使命感、社内の内間記者を全面的に支持する雰囲気。基地問題を解決するべくして沖縄のメディアが一丸となって権力と闘うという記者たちのジャーナリスト魂があった。西山氏がいう現在の記者に根本的に足りないのは、こういった部分であり、沖縄のメディアと比べ本土メディアが報道機関として権力と闘うことができない決定的な違いだ。
 また私は我部ゼミとの討論会で次のような発言をしてしまった。「基地の近くに住んでいる人はいますか」すぐに我部ゼミの中から「沖縄はどこに居ても基地が近くにある」という声があがった。基地問題は沖縄県民のみの問題ではなく日本国民全員の問題だと言いながら、こんな当事者意識を欠いた発言をしてしまうことに自分の意識の低さを改めて思い知らされた瞬間だった。基地問題は、私には数ある問題のうちの一つでも、彼らには直接自分たちと関係し、生活をするための非常に重要な問題なのだ。
 合同ゼミの後、基地前で座り込みをしている我部ゼミの人と話をした。彼の話の中で印象的な言葉があった。「政治的なことは分からないが、みんなが笑って過ごせるようになるために座り込みを続けている」この言葉を聞いて、私ははっとした。この言葉こそが大事なのだ。彼らにとって政治的な思想の違いや経済的な問題は関係ない。みんなの幸せのために、という単純な気持ちが根幹にあるから、この人たちはぶれずに対象と向き合っていけるのだ。政治やメディアにも同じことが言えるのではないだろうか。抑止力や経済的な問題を考える前に、最も重要なことは何なのか、沖縄の人々から学ぶ必要がある。
 基地巡りツアーでは、沖縄の美しい海とその上を実際に飛ぶオスプレイを見てとても胸が痛む思いがした。基地の前で沢山の人々が座り込みをして抵抗を続けても、結局オスプレイは沖縄の空を頻繁に行き来している。やるせなさと無力感がこみ上げて来た。この感情は沖縄の人々や一部の本土の基地周辺の住民だけのものではなく、本来は日本国民全員が共有しなければならない感情だ。そのためにも本土メディアがもっと積極的に沖縄の声を本土に伝えるべきなのだと改めて実感した。
 三泊四日の合宿を通して、私は様々なことを学び、沢山の重要なことに気付くことができた。沖縄の人々の想いや闘い、その想いを背負ったジャーナリストとしての使命感などである。私たちの研究目的にあるジャーナリズムの本来のあるべき姿は沖縄にあるように感じた。これらの経験をこれからの研究に活かしていこうと思う。

(3)
 今回、自分たちの研究テーマを深めるために3泊4日の沖縄合宿へ行った。今まで何度か沖縄を訪れたことはあったが、今回は沖縄を全く違った視点から見ることができた。
 まず、合宿2日目に琉球新報の記者の方から、沖縄のメディアと本土のメディアの違いについてお話を聞き、そこで、本土メディアがどれだけ基地やそのほか現在の沖縄が抱えている問題について報じていないかを実感した。本土の人は自分たちとは関係がないから、沖縄の基地問題について感心がないというけれど、私はそれだけではなくメディアもあまり報じないことにも原因があるのではないかと思った。また琉球新報の内間記者からオフレコ報道のお話を聞いて、記者としての使命感を感じた。
 琉球大学で行った学生たちとの討論会では、今の沖縄が抱えている問題についての現地の声を直接聞くことができた。自分と同世代の人がこの現状とどのように向き合って生きているのか知ることができた。その中で、「本土の人は沖縄の問題を他人事のように見ている」という言葉を聞いた。確かに、自分がもし沖縄問題について研究していなければここまで興味を持っていただろうかと思った。しかし、学生の声を実際に聞いてそこでメディアが今後どのように動いていくべきか考えることができたので、非常に貴重な経験だったと思う。
 3日目には、米軍基地を見学した。自分が思っていた以上に基地が広く、沖縄が抱えている負担の大きさを実感した。また、沖縄に数多く残されているガマの一つを見学した。基地を見たあとだったので、戦時中この中でおびえていた人たちが今の沖縄の現状を見たらなんと思うだろうと思った。また、戦争経験者が少なくなっていく中どのように次の世代へ受け継いでいくかが大切だと強く思った。
 最終日には宜野湾市長へインタビューすることができた。市長は、また今までとは違った立場で沖縄の問題への考えを教えてくれた。市長として、この現実をしっかりと受け止め、また現実的に解決していこうとしているなと感じた。
 沖縄は、基地だけでなく、アメリカ兵による犯罪の増加という大きな問題も抱えている。この合宿でお会いした方々に最近も起こった強かん事件についてもお話を伺った。
やはり、このような事件が多いのは基地があることに原因があると思うし、日米両政府の話し合いが不十分であるために起こるのだと思った。大きなものを守っていくためによわい立場の人が犠牲になっている現状は、絶対に変えていくべきだ。
 今回の合宿を通して、私たちが学んでいるメディアが今後どのように真実を伝えていくべく発展していくのかを深く考えさせられた。また、自分たちの共同研究を進めていくにあたって非常に糧になるものを得ることができた充実した合宿だった。

(4)
 ブーンでもない、カタカタ、カラカラと表現すれば良いだろうか。雨の予兆らしい灰色の淀んだ空を舞う、なんとも危ういオスプレイの飛行音は今も耳朶に残っている。望まずともいつの間にか配備され、いつ墜ちるか分からないという不安感をも持ち込んだあの巨体を、私はただただ見上げることしかできなかった。
 10月21日、那覇空港に着き降機するやいなや、もわんとした熱気を含んだ空気が私を包み、文字通り本土との“温度差”を感じた。今思えばその感覚は、のちにオスプレイに遭遇したときに感じた虚無感とリンクするように思う。今まで新聞やテレビなどのメディアを通じて知っていたオスプレイの恐怖と、あのとき沖縄の地で直接肌に刻まれた恐怖はまさしく温度差のあるものであったからだ。
 恐怖は時に人の思考を停止させる。7年前、中学3年生だった私は修学旅行で沖縄を訪れ、今回と同じようにガマのガイドツアーに参加したのだが、当時は薄暗く冷気の漂う洞窟に恐怖心ばかり抱き、思考は完全に停止してしまった。今回改めてガマに足を踏み入れるにあたって当時を思い起こし、譴責の念に駆られた。
 戦争の傷跡はけっして見世物ではない。1941年12月8日に日本が真珠湾攻撃を行ったことにより太平洋戦争が開幕し、45年3月にはついに米軍が沖縄に上陸し悪夢のような地上戦が始まったことは史実である。あのがらんと広いガマに畳をしき司令部で汗を流した人間も、どこまでも遠く闇の広がる第三号室で顔の見えぬ他人のうめき声を聞きながら死を待った人間も、生態的には現代に生きる私たちと変わらない。しかし決定的に違うのは彼らの生きた時代の環境、つまり国政である。それはまるでマリオネットを操るように背後から彼らを翻弄し突き動かしていたのではないか。
 ただ「恐怖」を感じ、それを直列回路で憎しみに変えてしまうのではなく、背景にあるものを並列回路のようにつなぎ合わせ、分析・整理しながら理解してこそ、問題の本質をとらえることができるのだと思う。そしてそのように思考を巡らせることによって、沖縄戦というものがいかにして現代の基地問題や密約問題と繋がっているかが見えてくるのだ。
 琉球新報の松元剛さんは私たちのインタビューの中で、10月16日に起きた「レイプ事件」記事の産経新聞での扱いに関して「沖縄は日本人としてカウントされてないのかな。」と言った。また、琉球大我部ゼミの学生の中には「基地があることは仕方のないことだ。」と溜め息交じりに述べる人もいた。
 日本国憲法前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という文言が書かれている。しかし、この文言はいまやお飾りになっていることは言うまでもない。
 それでも、このようないわゆる「世界平和の実現」に向けた姿勢をとり続けるのがメディアではないか。本土の報道は「沖縄は日米外交上の人質に捕られており、その命は日本政府と米国政府に委ねられている」といった姿勢の報道が多く、沖縄はこの抜き差しならない状況を打開できぬ気がしてならない。たくさんの情報が錯綜する中、完全に沖縄の立場に立って報道しろとは言わないが、せめて“温度調節”することはできないのか。
 今後、こういった視点から研究を進め、西山太吉さんの後継者として沖縄密約問題を追うジャーナリストたちへの取材通して、真のジャーナリズムのあり方を明らかにしていきたい。
 最後に、浅野先生をはじめ今回の合宿でお世話になったみなさん、本当にありがとうございました。

(5)
 沖縄の地に足を踏み入れたのは今回で3度目となる。今までの己であれば沖縄への渡航の目的はいわゆる“青い海、青い空”。しかし沖縄の今、現実を見つめることで、自らの無知さと、無関心さを目の前に突きつけられたように感じた。
 この合宿で、何度も耳にした言葉、それこそが「温度差」だ。メディアの捉え方、問題意識、これらには気候・地図上では見えない「温度差」があった。前者は、琉球新報を訪れた際にインタビューを快く受けてくれた滝本氏の話が端的にその差を現していた。政治部記者として鳩山内閣の県外移設案に揺れる永田町に訪れた際、全国紙の記者たちの視線と注目が基地問題ですらなくなっていたという話だ。この時私は何を思い、何をしていただろうか。それをふと思った。まだ高校生、おそらくこの問題を自身に全く関係のない話と思っていたかもしれない。それ以上に辺野古という場所を日本ではない、どこか遠くの世界のことだと思っていたのかもしれない。しかしこれは特異な話ではなく、もしかしたらこの沖縄以外の基地のないところに住む、平穏な暮らしを営む日本人が共通して心のどこかにある感覚かもしれないとも感じた。実際私にとって、前述したように、沖縄は“青い海、青い空”の理想のバカンスであり、沖縄の“米軍基地”という存在ははるかかなたに薄れていたのであるから。
 しかし、この“差”に対して、マスコミは何が出来るだろうか、合宿を通してこのことを私たちは考えさせられた。その中で印象的なのがガイドを務めてくれた琉球大学非常勤講師の山内氏の言葉である。「メディア・マスコミはこの“溝”を埋めなければならない」―――。その通りだと感じた。決してマスコミは永田町の広報機関ではない。だが同時に自身の勉強不足も痛感したのも事実である。今回の合宿で私自身が感じたこの差と、マスコミの問題を他者に話す機会があった。その時に返された言葉が、「いくら地方紙が言っても届くはずがない。それに話が理想論で、政治の勉強が不十分。もっと煮詰めていかないと」。もちろん、私たちの研究はまだ、料理をつくるのに具材と器具を揃えた段階かもしれない。または料理につかう具材の種を植えたところかもしれない。しかしこの合宿をきかっけにあらたな、私たちの研究の芽が生えればいいと思った。そして同時にこの合宿で種とも言うべき、お話・助言・ガイドその他いろいろなサポートをしてくださった方々に感謝の言葉を述べるとともに、この研究をより実りあるものとなるための努力を一層していきたい。
この合宿を行うにあたり尽力してくださった皆様、本当にありがとうございました。

(6)
 4日間の沖縄合宿でのフィールドワークを通して現地でしか聞くことのできないような様々なお話を聞くことができ、これから研究を進めていくうえで貴重な経験になった。またインタビューをしていく中で、沖縄のメディアと本土のメディアとではジャーナリズムの在り方が違っており、沖縄のメディアの方が本土のメディアよりも民衆に寄り添った報道をしているということを改めて実感した。
 沖縄テレビの船越さんにインタビューした際、地位協定の不平等さに県民はおかしいと思っており、沖縄の市民・県民は本当のことを知りたがっている、だからメディアも県民の声に応えるようにしっかり報道するのだというお話を聞き、本土のメディアもこうあるべきであると感じた。
 メディアはこそこそしている物をウォッチしなければならないという船越さんの考えに共感し、そしてメディアを責め立てるだけでなく、私たち民衆も社会に関心を持ち一人ひとりが意識や考えを持たなければならないのではないかと改めて考えた。また、本土が意識していないだけで本土の報道には構造的な差別があるということについても考えさせられた。基地問題は本土では政治問題として取り上げられているが、沖縄の人々にとって基地問題は政治問題ではなく生活の問題。政治問題ではなく、民衆にとっては生活の問題であるという視点からメディアは報道していかなければならない、という考えを聞き、民衆の声に耳を傾け報道をする重要さを実感した。沖縄の新聞社やテレビ以外にも、高知新聞が沖縄の基地問題について大きく取り上げており、ローカルのメディア同士が繋がることが重用であるとおっしゃっており、今後このようにローカル社が連係することは、国家権力にメディアが立ち向かう一つの手になるのではないかと考えた。
 そして、今回の合宿で沖縄密約の西山さんの事件の時から、現在に至るまでメディアの体制が変わっていないと改めて感じた。当時のマスコミは西山さんのスキャンダラスな部分に点に焦点を当て、民衆の関心をそちらに向けて国家の機密に関しては完全に隠ぺいした。現在の原発や沖縄の基地問題に関しても、どうでも良いことにばかり焦点を当てて重要なことは隠ぺいしており、沖縄密約の時代の記者がやり始めたことが現在の記者にも通じており、日本のジャーナリズムにおける問題が映し出していると感じた。船越さんが組織に属している以上、組織としての限界があるとお話されており、今後組織としてのジャーナリズムをどう変化させるのか、また組織は変わることができるのかという問題を、研究を進めていくうえで議論していかなければならないと思った。
 今回、沖縄で我部ゼミとの討論会や様々なインタビューを通して沖縄に住む方の意見を聞くことができ、また基地を巡ることで問題を目で実際に見てどうするべきか考えることができ、本当に貴重な経験になった。この経験をこれからの研究に活かしていきたい。

(7)
 「市民に寄り添った報道」、それが沖縄のジャーナリズムである。
 沖縄の第一線で活躍するジャーナリストや活動家の方々にお会いして、私は本土メディアにはない情熱を感じた。沖縄の基地問題は、確かに日米外交問題であり、東アジアにおける安全保障の問題と見ることもできる。しかし、沖縄県民にとってみれば、それは同時に生活の問題であり、毎日の暮らしを害する不便さに他ならない。その住民の声を拾い上げ、真摯に代弁し続けてきたのが沖縄のメディアであると再認識した合宿であった。
 琉球新報の内間健友記者は沖縄防衛局長のオフレコ発言を記事にした背景に、懇親会のたびに繰り返されていた、県民を愚弄する発言の数々を黙過して来たことに対する自己嫌悪があったと語った。葛藤の中で記事掲載に踏み切れたのは「読者にとって何が有益か」という視点に立ち返ったからこそだそうだ。内間記者のインタビューを終え、このような記者としての煩悶こそがまさにジャーナリズムの中核なのではないかと感じた。防衛局という巨大権力との関係性や、新聞社という組織の中で報道するというジレンマを抱えながらも、「市民のためになること」を第一優先し、報道を真の意味での「公共性や公益性」に照らし合わせる努力を怠らない、内間記者およびそれを支えた琉球新報の方々の姿勢に大変感銘を受けた。
 沖縄における地上戦、アメリカ施政権下におかれた終戦後、本土復帰後なおも存続する基地問題、それらの全てが本土から"押し付けられた"不幸である。にも関わらず、沖縄の声は本土メディアにはほとんど黙殺され続けてきた。沖縄テレビを訪問した際、船越龍二報道制作局長は「残念だけど、沖縄の問題は『本土との温度差』と『構造的差別』という二つの言葉に集約されてしまう」と説明して下さった。外交問題だからと棚上げされ続けた基地問題は、県民にとってみれば日常生活に関わることであり、論理や思想では解決できない「感覚の問題」であるとの指摘に私ははっとした。無意識的に、外交や安全保障、地政学だけに焦点をあてて問題を捉えようとしてきた自分に気付いたからである。
 また、討論会をした琉球大生の「基地反対運動に賛同してくれる本土の人からよく、頑張って下さいと言われる。しかし、頑張るのはあなたたちも同じなのですよと言いたい。基地問題は、沖縄という"地方"が抱える問題ではなく日本という"国"が抱える問題じゃないのか」との言葉に私は返す言葉が見つからなかった。
 沖縄の二大紙である沖縄タイムスと琉球新報はどちらも基地問題に関しては結託しているし、沖縄では自民党の県連ですら基地反対である。一丸となって受難の歴史と戦い続けた県民のねばり強い抵抗を支えたのは沖縄のメディアだろう。そのような沖縄の人々の努力が実を結ぶためには、本土メディアによる「寄り添う」報道が不可欠であり、それを要請するのは本土に住む私たち自身であると改めて実感することができた3泊4日であった。
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 浅野教授は2012年11月3日、千葉県市川市の八幡市民談話室・第4集会室において、「戦争はいやだ!市川市民の会」主催の講演会で、《「福島」「沖縄」と記者クラブメディア》と題して講演した。

 「戦争はいやだ!市川市民の会」ニュース43号(2012年11月14日)発行の前文を載せる。同会の菊池嘉久さんが書かれた報告文である。 


◆福島原発「事件」で「大本営発表」報道という犯罪を犯し続けた「記者クラブメディア」

 原発爆発「事件」から約2ヵ月間、政府、東電、旧帝大系御用学者たちが「スリーマイル島のようにはならない」「チェリノブイリ事故とは違う」「直ちに健康に害はない」などのウソを言い、そのウソを主要メディアは確認取材を放棄して、垂れ流し続けた。そのために多くの住民は避難が遅れ体内被曝を余儀なくされ、また大気も海も汚染した。
 ニューヨーク・タイムズ東京支局長マーティン・ファクラ―氏は著書『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』で、南相馬市桜井市長が「日本のジャーナリズムは全然駄目ですよ! 彼らはみんな逃げてしまった」と著者に訴えたというエピソードを紹介している。
 このように、「福島報道」は日本の記者クラブメディアがジャーナリズムの権力監視機能を全く果たしていないことを、市民に明らかにした。浅野さんは9月のチェルノブイリ取材の経験から、「旧ソ連の方が民主党政権より、はるかに真面目でオープンだった」と言い切った。

◆「鉄の六角錘」の中の<報道>

 政・官・財、労組、アカデミズム(旧帝大)、そして報道、が「六角錘」。浅野さんは、権力のやりたいことを「前打ち」し、政府の思い通りにしてしまう日本独特の報道に問題があると指摘。例えば関電大飯原発再稼働報道で、朝日新聞は15日に<大飯原発再稼働へ、あす閣僚会合>と見出し、16日には<きょう最終決定>と伝えたが、『主権者・市民が反対の意思を伝え、政権に思いとどまらせない限りそのまま決まる』と書くべきという。
 3・11直後報道にしても、東電現場責任者と政府トップが事故の深刻さに恐怖している時、メディアは戦時中の「大本営発表」に酷似した政府・東電・御用学者のウソ発表を見抜き「住民は外に出るな」「雨に濡れるな」などと伝えるべきだった。
 以上からして、政府と記者クラブメディアの間に、「パニックを起こさないために報道を控える」という申し合わせがあったことは間違いない、と指摘。

◆市民への「情報隠し」を行った日本独特の【記者クラブ(制度)】とは

 そもそも「記者クラブ」は米国がGHQ戦後改革で「解体」を命じなかった三つの内の一つであることが始まり。他の二つは天皇制と帝国大学。いわゆる「戦前」の温存組織である。
 主要官庁における記者クラブの現在の構成は、TV局(NHKと民放ネット5局)、新聞社(全国紙5社とブロック紙の北海道、中日、西日本)、共同通信・時事通信の計16社。 
 これらメディアの立ち位置の象徴は「記者会見場」に表れ、権力の愛玩犬(Lap Dog)と化した記者たちは当局発表を確認はしても質問攻めで「追及」する姿がない。
 なぜそうなるのか? 浅野さんは言う、今の記者たちは「聞き出す力」がない。なぜか?入社前にジャーナリズム学を学んでいない。受験「勝ち組」の裕福な家庭出身の日本国籍を持つ男たちが占める。よって権力批判や社会的弱者に寄せる視点などは希薄といえる。加えて入社したマスコミ幹部の腐敗が目に余る。かつての左翼リベラル派や学生運動等の経験者でも変節し、権力に擦り寄る「御用企業メディア」の“社畜”(北村肇・「金曜日」社長)に成り下がっているから。
 有名大学を出て入社の若者が記者教育もないまま、まず「警察の記者クラブ」へ、そこで「サツ回り」、それが記者教育とされるという。
 以上の他にもたくさんの事例を基に、「今回の原発報道では、日本のジャーナリズムの悪いところが120%全部出てしまった」と、浅野さんは熱弁を続けました。紙面の都合で紹介しきれませんので、御免なさい。
(文責 菊池嘉久さん)




掲載日:2012年12月14日
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