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同大社会学会シンポジウム

真実を知り、社会変革目指し行動を始めよう
~3・11を知る 今、私たちがすべきこと~

 同志社大学今出川校地・新町キャンパス臨光館301教室で12月6日(火)夜、公開シンポジウム「東日本大震災・原発事故~報道・大学・ボランティアができること~」が開催された。社会学部メディア学科・社会福祉学科と社会学会(山田礼子会長)の共催で、一般市民も含め約100人が参加した。
 シンポはメディア学科3年の鹿江美沙さんの司会で始まり、社会福祉学科のマーサ・メンセンディーク准教授が「社会学部の学生たちが行った東北合宿で、仙台で宣教師をしている兄の紹介で宮城学院女子大学での討論会が実現し、そのつながりから今日のシンポが実現した」と開会のあいさつを行った後、大震災の犠牲者を追悼し黙祷を行った。
 その後、被災した石巻市民が撮影した津波のビデオ映像を上映した。本来なら「流れる」はずのないものがいとも簡単に津波に次々と押し流される光景に息をのむ。
 続いて、4人のパネリストが震災時の状況、大学、報道機関、ボランティア、今後の復興について講演した。

 新免貢(しんめん・みつぐ)宮城学院女子大学教授は「今の学生が自分の就職のことしか考えていない一方で、被災地では、地域、命、暮らしが喪失している。今、学問に何ができるのか。嘘の報道ばかりのマスコミ。専門家にものを言わせてはいけない。考えなければならないのは市民だ」と訴えた。



 次に祖父母と母親を亡くした宮城学院女子大学4年生の遠藤仁美さんは次のように訴えた。「私が卒業した被害のひどかった大川小学校では、多くの周辺住民による避難でごったがえして対応しきれなくなったうえに、震災の影響によって校内放送ができなくなった。大きな地震に慣れてしまい、今回のような想像を絶する大きな津波は予想できなくて、行動に移せなかった。それなのに、被災地から離れている人は『危機管理がなっていない』と批判する。何もわかっていないのに、そんなこと言うなと思う」


 武内宏之・石巻日日新聞報道部長が「地域によって起こったことは異なる。被災した人でさえもその体験は限定された地域での部分的な体験で、私たちが全体をつかめないのはなおさらのことであるのに、マスコミはほんの一部しか報道していない」と強調した。武内氏は事実の積み重ねによって真実に迫ることを「ラッキョウの皮むき」に例えた。「マスコミの使命は事実の皮をむき、真実に近づくことなのだ」と話した。


 野田正彰・関西学院大学教授は「問題を具体的に検証せず、矮小化させる社会になってしまった。大学生に直接の責任はないが、この社会の一員であるという責任を感じるべきだ」と強調した。





 休憩をはさんで、メディア学科3年の別所祐典さんがコーディネーターとなり、フロアーの参加者も交えてパネルディスカッションが行われた。初めに、震災津波・原発報道についての議論となった。新免教授は「震災直後は何が起こっているのか分からず、報道を見た他の地域の人から情報で今回の震災の状況を知った」と震災直後の状況について話した。また、「原発事故については、海外メディアの報道の方が裏付けされたしっかりした情報が流れていて注意を払っていた」と述べ、日本のマスコミからの情報だけでなく海外からの情報にも注視する必要があると強調した。被災しながらも取材・報道活動を続けた武内氏は東京発信のの報道について、「被災地の状況を伝える際、感動的な話や、悲しみにくれる様子などの報道ばかりで、同じ報道をする人間として、このような報道姿勢でいいのかと疑問に思った」と述べた。野田氏は阪神淡路大震災と比較して、「阪神淡路大震災では、被災地の近くに新聞社や放送局があり、直接記者が取材に行ける状況にあったため、全国版の報道の中でも被災地からの報道が活発だったが、東日本大震災では、地元メディアが壊滅的な被害を受け、東京側が取材した情報が主に全国版として流れため、深く迫った報道することができなかった」と分析した。そして、「東京からの報道を見ている限り被災者と同じ目線に立つことはできない」と指摘し、東京中心になってしまった東日本大震災報道の問題点を指摘した。
 メディア学科の浅野健一教授は次のように述べた。「東電福島は原発事故ではなく、東電と東電役員を被疑者とする刑事事件である。警察・検察は食品事件や交通事故では、家宅捜索、身柄拘束までするのに、今回は全く動かない。東電幹部の住所、学歴などの個人情報は出ない。東電会長は事件発生時、マスコミ関係者と中国でゴルフなどに興じていたが、記者会見で問題にしない。原発報道は戦時中の大本営発表と似ていたと朝日新聞は10月の新聞週間中に社説などで認めた。二度の水素爆発で大量の放射性物質が福島市や関東を襲っていたのに、枝野幸男官房長官は安全を強調して、多くの市民が被曝した。政府・東電・御用学者とメディアの罪は万死に値する」


 このシンポで、私たち若者がもっと日本のことを考えるべきだと痛感した。震災に対する意識が徐々に薄れているのではないかとも思った。宮城学院女子大学の遠藤さんの訴えは、私と同じ世代の大学生の立場からの意見ということで、その言葉には特別なものを感じる。私たち京都に住んでいる人にとって、決して無関係な問題ではないのだ。
 新免教授は今の大学や学者の在り方に疑問を呈する。そして、今回大きな問題となった報道の在り方。マスコミは表面的な部分しか伝えていないことも問題であった。伝えなければならないのは「これからどうするか」なのに、報道は情緒的な追及のみで、感動や悲劇話しか取り上げない。
 石巻日日新聞の武内さんは、マスコミに全てを求めない、批判的に物事を見る理性の重要さを訴えた。実際に被災し、現場に身を置いたジャーナリストの話は、まさに武内さんのたとえにもある、ラッキョウの「芯」の部分なのだろう。【社会学部メディア学科1年生・宮本梨代】


掲載日:2012年1月24日
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