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IPEの風 8/11/08

週末の合同ゼミ合宿で、すっかり体調を崩してしまいました。夏バテ、プラス、合宿バテ!?です。あまり食べることができず、消耗し、疲れて寝ているか、漫画を読んでいました。居間のテーブルに積み上げられてあった浦沢直樹の『20世紀少年』です。

オリンピックの開幕とともに、グルジアとロシアの戦争が始まりました。犠牲者1000人?を超す、本物の戦争です。

チベットの騒乱、聖火リレーへの妨害、ボイコット論争、愛国運動の過熱、四川大地震、などを超えて、オリンピックは開幕しました。北京オリンピックの開会式を観て、その世紀のショーに感銘を受けました。計画の規模、つぎ込まれた資金、素晴らしい技術(ハイテクから、ローテクまで)、前近代的な人海戦術と、(豊かな国の若者には受け入れられない)厳しい訓練、大衆へのアピール(つまり、ポピュリズム)、めまぐるしい色彩と光、夜空の花火(空中を歩む巨人の足跡、ただしCGの合成写真であったとか?)、芝居を観るような、ビジュアルな構成、歴史的な遺産(万里の長城、シルク・ロード、紙・漢字・活版印刷・羅針盤、大航海)、そして歴史の前面から消えた(戦争・半植民地化・集団農場・人民公社)時代を一気に飛び越し、現代の超近代的な繁栄。この歴史的瞬間に参加したい、と願う国民の熱意を集める演出でした。

これは、内外に向けた、中国という政治・経済的なアクターの自己アピールです。警備体制の強化や、予防的な拘束、人権抑圧、などがあったと聞きます。チベットや新疆ウィグル自治区では暴力的な衝突、テロもありました。少数民族との調和を説くメッセージが、そのまま、説得的であったとは思いません。しかし、オリンピックは偽善だ、と断定することが、何か特別な真理を発見するわけでもないのです。オリンピックは、もちろんその時代の支配的な政治表現であり、支配者の権威を高める舞台として大規模に利用されます。

グルジアの(超自由主義)改革派大統領、サーカシビリMikheil Saakashviliが示すポピュリズムと権力濫用の危険な兆候は、すでに大統領になる前から懸念されていました。オリンピックの機会を利用したのは、プーチンとメドヴェージェフよりもサーカシビリであったでしょう(たとえば、FTの記者がインタビューしたGideon Rachman, "Lunch with the FT: Mikheil Saakashvili," FT April 25 2008;「今週のReview」2008年5月5日)。

ロシアの軍事介入に大きな衝撃を受けているのは、台湾やチベットの独立派でしょう。サーカシビリの軍事的挑発は、オリンピックにもかかわらず、世界の少数派に対する大国の弾圧を公認させました。グローバリゼーションの下では、大国同士の戦争が回避されても、大国の認めない周辺領域の独立運動は弾圧される、というわけです。そうであれば、ウェストファリア以後の国民国家が終わった後、新帝国主義(超帝国主義)による「平和の時代」が誕生します。オーウェルが描いたように、「戦争は平和である。」

EUやフランスが仲裁するのは、ロシアからの石油・天然ガスに大きく依存した自分たちのエネルギー政策について不安を感じるからでしょう。この殺戮ショーは、旧ソ連圏のNATO加盟にはロシアの同意が必要だ、カスピ海の油田を開発するにはロシアの参加が必要だ、というメッセージであり、それを逸脱したグルジアのサーカシビリ(アメリカの支援)に対する懲罰戦争なのです。

さて、『20世紀少年』を21冊も飛ばし読んで、不満が残りました。サイバー空間でナショナリズムや戦争を求める若者が増える時代だから、このような空疎なユートピア漫画も人気を得たのでしょうか。サーカシビリは、もっと苛烈な現実が生み出した「21世紀少年」の一人です。

夏休み。あらゆる生物が地表から蒸発してしまいそうな炎熱都市を抜けて、たどり着いた海遊館を子供と一緒に回りました。歓声を上げたり、目を丸くしたりする子供たちの様子に、私は満足しました。生き物が示す、想像を超える面白さは、北京オリンピック開幕式にも劣りません。グルジア懲罰戦争で犠牲となった母子たちが、この楽しさを共有する道はないのでしょうか?

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