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IPEの風 5/7/2007
5月5日,こどもの日です.確か,・・・マルクスの誕生日.6月5日はケインズの誕生日.
朝日新聞の朝刊を見ると,「貿易の9割自由化」,日本とASEANのFTAが大筋で合意した,という記事がトップです.さらに一面に並ぶのは,「温室効果ガス半減 2050年目標」,「MS・ヤフー,合併交渉」,「少子化 都市で鈍る」,でした.
・・・経済が長期に衰退するのは,交通や情報を遮断し,保護を積み重ねて革新を無視する,自然環境を回復不可能なまで破壊する,そして,個人が目先の安楽さに流されて,あるいは,貧困や生活苦,社会の行く末に絶望して,子どもを減らすような社会でしょう.
E・ホブズボーム『20世紀の歴史』,最終章には,保護貿易を支持する議論がありました.彼は,市場や比較優位を根拠に社会を破壊していく人々を批判します.人には(技術革新を受け入れるためにも)安定した社会がなければならず,そのためには十分な雇用と所得の再分配が必要です.彼らはそれを無視しています.・・・でも,誰にできるでしょうか?
社会的な責任を負う,人々の合意と信頼に依拠した,強力な「国家」が無ければ,富を増やすことそれ自体が暴力や無秩序の入り口です.いつか,安定した秩序や平等な社会の墓穴を掘っていたことに気づくでしょう.どのような「国家」であれば,社会は維持できるのか? どうすれば,私たちは積極的に「政治」に関与して,信頼できる「公的な権威」を回復し,それが暴走することを避けられるのか? ホブズボームはその答えを知らないけれど,次の社会に期待しています.
映画『カンダハール』を観て,その冒頭の予告映像にあった『ブラックボード 背負う人』に驚嘆しました.南アジアか,中東の山岳地です.数人の男たちが,ふちの壊れた黒板を担いで山道を歩いています.村に着くと,彼らは住民に声をかけ,子供たちに文字を教えてあげよう,と言うのです.少しのパンをもらうだけでよいから,と.
この国の子供たち(そして私たち)は,急速に変化する各地の社会,不安定で危険な,しかし,予想もしないチャンスや冒険に満ちた現実の世界を,もっと知るべきだと思います.そして,もしできることなら,世界最貧の国々に住む人々へも,私たちの豊かな社会が与えられる可能な力を届けることです.それは貿易や雇用の機会を開くことかも知れません.知識や技術の移転かもしれません.無償のメガネや医療サービスを届け,井戸や学校を建て,留学生を受け入れ,・・・ 既得権に縛られ,衰退する社会に閉ざされているより,大地を揺るがせて改善し,成長を模索する世界で人と交流する方が,きっと子どもたちも自分の目標や力を見出すでしょう.
夕食後,NHK・BSを観ると,上海から昆明まで,長距離トラックに便乗して中国の現状を伝える話が放映されていました.トラックは3000キロを3日間で走破します.運転席の後ろに二段の寝台があり,3人で交代しながら運転します.また夜は高速道路を使わず,一般道を走って費用を節約します.高速道路は急速に拡大しつつあり,トラックも増えています.
再び新聞記事です.「アジア経済統合 光と影」は,タイとラオスをつなぐメコン川の橋が,かつては戦火によって破壊された土地に活力を与えている様子を伝えます.しかし,通貨危機によって貧困層が大きな苦しみを強いられるから,ADBは彼らを支援している,というメコン流域開発が,逆に,危機を拡大し,豊かになりかけた貧困層を打ちのめす危険もあります.FTAやインフラ投資だけでは,次の危機を緩和できません.
「ACU構想 停滞」は,その意味で,現実政治の重大な限界を示しています.アジア通貨単位(ACU)は為替レートの調整や金融政策の協調,金融市場の整備・統合に向けた重要なアイデアです.しかし,その定義や公表手続きについて,各国は相対的利害や威信を争います.失望する話ですが,当然のことです.これはストレートに実現できる話ではないのです.それでも工夫を重ねれば,きっと実現するでしょう.
三人の子育てをこなしつつ,パートや派遣社員を経て,「ママ企業家」を目指す,という読者の投稿に感心しました.他方,若者の多くが仕事を簡単に辞めています.三浦展氏は,「正社員」と「非正社員」との間に「準正社員」を,また有期の雇用契約を活用し,労働市場を弾力化することで「若者の意欲」を引き出す工夫を求めています.
「起業」や「労働市場の弾力化」は,経済停滞や硬直化を革新するために繰り返し主張される共通テーマです.しかし同じ言葉でも,それが具体的にもたらす社会変化はさまざまでしょう.それが大企業や,国際化する景気変動にさらされて,ますます社会の調整弁,緩衝地帯(ショック・アブソーバー)となり,不安定な暮らしに呻吟する下層集団を形成するだけなのか,社会がダイナミズムと一体感を取り戻す突破口になるのか,指導的な地位にある人々が積極的に発言し,望ましい変化に関与するべきです.
先日,息子の野球部の試合を観に行って,強いゴロをさばく内野手や,打球が飛ぶと即座に移動してボールとランナーの動きに合わせたカバーに走る野手たちに,大いに感心しました.近くで観る本当の野球は,頭脳と肉体の鍛錬,チームや目標への献身,熱い仲間意識に溢れた,すばらしいスポーツです.
たとえ戦争や革命が無くても,社会人ラグビーや少年野球,山岳部,野外研究同好会,などが新しい「社会」を回復し,「政治的な関与」を組織する基礎になる可能性はあります.他方,それを金銭で評価し,短期的な利益を増やすために個人が資産として売買するルールを認めれば,それら(善意や協力を可能にする社会)は壊れてしまう,とホブズボームなら警告するでしょう.
『カンダハール』で驚いたのは,学校を閉じるとき,校長が少女たちに挨拶した言葉です.
・・・今日は学校の最後の日です. 明日はアフガンに帰ります.
アフガンに帰ったら 家から出られません.
でも希望は捨てないでください.
たとえ塀は高くても, 空はもっと高い.
いつか世界の人々が, 助けてくれるでしょう.
もし助けてくれなかったら, 自分で何とかするのです.
・・・家が窮屈に思えたら, そっと目を閉じて
虫のアリになってみなさい. ・・・ 家が大きく思えます.
5月6日の夜,NHK・BSドキュメントは,ミャンマーの軍事独裁政権が今も続けている人権蹂躙,民主化・反体制派への弾圧,誘拐,投獄,虐待,殺害,少数民族への大量虐殺,世界最悪の水準にある子供たちの状態,などを伝えていました.
日本では,こうした支配が行われない,と断言できるでしょうか?
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