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IPEのタネ 8/30/2004

(ミッチェル,米大統領)「なんてことだ.保守派からは,ソビエトと軍縮交渉を進めていることで攻撃されているってのに,リベラル派からはソビエトの人権問題と,あのクソいまいましい<壁>に対して逃げ腰になっていると非難を浴びている.一体,わしにどうしろと言うのだ.・・・戦争でも宣言しろと言うのか? それとも降伏しろってか?」

(グロスマン,大統領顧問)「残念ながら,わが国の憲法には,選挙民が首尾一貫した意見をもち,理性的になれ,などと要求する条項はありませんよ,大統領.」

マイケル・ドブズの『ウォール・ゲーム(1990年)』(角川文庫)を読みました.スパイ小説として,ドイツをあつかった優れた作品,ジョン・ル・カレ『ドイツの小さな町』を思い出します.この小説をアジアの文脈に読み替えることもできます.ドイツ問題とは日本問題であり,アジアにおける冷戦終結,中国や台湾,香港,朝鮮半島,「拉致問題」,「北方領土」,などです.

(グロスマン)「ヨーロッパでは今まさに,あらゆる重大な決定が下されつつあります.いったんアメリカ軍の最後の兵隊が引き揚げてしまったら,われわれは交渉のテーブルで席を失ってしまい,事態をコントロールする望みは全くなくなります.軍隊を完全に撤退させてしまうことはできません.間違いなくフランスとイギリスは,防衛費をばっさり削りたくてうずうずしています.そして西ドイツはどこかに真空ができたら喜んで埋めるでしょう.ドイツ再統一の話も出てきています.もしドイツが好き勝手を始めたら,どこで止まるでしょうか? シレジア地方でまた暴動が起きたら,どんな事態になるか予測もつきません.」

「何か問題発生の兆しがあれば,ソビエトの赤軍は数時間以内に現場に駆けつけることができますが,一方,わが米軍は大西洋を隔てた対岸にあるベース・キャンプで身動きできずにいるでしょう.われわれは無力で,無関係な存在になるのです.ライン川の西側は武装解除され,混乱に陥った東側を,ドイツとロシアが仲良く分け合うことになるでしょう.彼らは以前,ヨーロッパ大陸を分け合った前歴があります.」

たとえ小説であっても,現実にラムズフェルドたちの考えるアメリカ軍の世界的な再編において,イラク戦争やNATO拡大,台湾海峡,朝鮮半島,沖縄を,ホワイト・ハウスのスタッフたちがどのように論争しているか,想像力を鋭く刺激します.

(自由経済協会のウェスト嬢)「この街はそうやって何年も生き延びてきた.もしそのゲームに参加しなければ,生き残れなかった.」 それが,いつも,大人たちのいい訳です.

確かに,ベルリンの<壁>もソビエト連邦もありません.ドイツ再統一は,EUやユーロによってドイツを消滅?させることを条件に歓迎されました.しかし,この小説が示した他の<壁>は今も残っています.たとえば,小説の中で,主にトルコ人からなる外国人労働者は,ドイツ人と同じ権利を要求して,酔っ払いのドイツ人失業者たちと乱闘を起こします.移民や失業者の不満を,政治家や警察,反社会的な不満を煽るスパイなどが利用します.

(ベルリン最大の企業の経営責任者)「そもそもわれわれがベルリンに来たのは,補助金が唯一の理由だった.」 今や,ベルリンではなく,旧東ドイツの経済的窮状が,まさに政治的な補助金や企業流出を再現しているように見えます.

(シューマヘル,ベルリン市議会与党党首)「ソビエトとアメリカは,全世界を対象にする平和条約を発表した.しかし,ベルリンは無視された.彼らはアフリカで戦争をやっている部族には数十億マルクの金をくれてやり,互いに殺し合わせ,子供たちを隷属と飢餓へと追いやっている.だが,ベルリンは忘れられたままだ.彼らは中東の宗教的狂信者たちには祝福と支援を与え,狂信者たちがそれぞれの預言者の名において互いに滅ぼし合うのを助けている.それなのに,平和を愛するベルリン市民は断罪されている.」

個々人の成功や失敗の中から,社会的な格差が固定され,さまざまな集団や境界が現れ,その代表たちは敵と味方とを区別し,<壁>を建設して,鋭く対立します.その優劣を誇張し,その条件の不当さを嘆き,あるいは称え,さまざまな不満や不幸に苦しむ人を集めては,他者を非難する理由を与えてやるのです.人々を分割し,戦争するのも,宥和や統合を図るのも,優れた政治的代表たちの本能と技量なのです.

(シューマヘル)「諸君に責任は無い.祖父たちが犯した過ちのために,諸君が非難されるいわれはない.超大国同士が言い争っても,諸君にはいっさいの罪は無い.彼らはベルリンをめぐっていつまでも戦いをやめないだろう.諸君は他人が犯した罪ゆえに罰せられている.だから,今度の平和の新時代をどう思うか,と彼らに訊かれたら,ただ一言,こう訊き返してやればいい.――『いつになったら?』 と.いつになったら,ベルリンは彼らの平和を分かち合えるのか.いつになったら,われわれの街は一つになるのか.いつになったら,われわれは自由になれるのか.いつになったら,われわれにベルリンを返してくれるのか.」

ベルリン市民の心を掴み,アメリカ大統領とソビエト共産党書記長を破滅の淵に追いやる政治家,シューマヘルは二重スパイです.むしろ,だからこそドイツ人の不満や,諸大国に翻弄される生活に絶望した人々の怒りを,よく知っているのでしょう.

ワシントンDCやロンドン,ジュネーブの路上では反グローバリゼーションの活動家たちが投石します.アフリカ諸国の反対でWTOの貿易交渉が決裂しました.ロシアや中国の拒否権でダルフールの制裁は回避されます.チェチェンの反政府軍がロシアの旅客機を墜落させたと言われています.イラクの聖地が爆撃されるときテロリストたちは聖戦を叫ぶでしょう.イスラエルは今もエルサレムを分割する<壁>の建設をやめません.

大人たちが話す,複雑で,嘘に満ちた,無垢な人々を騙すための,自分勝手な作り話.ふと目に止まった,息子が買ってきたらしい新しい本,あさのあつこ『バッテリー』とそのU(ともに角川文庫)を読みました.主人公の原田巧は,相棒のキャッチャー豪の母親に,「もっと勉強させてやって欲しい」と頼まれます.大人の理屈で.「ただ,重苦しかった.目に見えない何かがびっしりくっついたように心が重かった.」

自分の机がコピーやノート・パソコン,雑誌で溢れてくると,私は子供部屋で本を読みます.そこで,野球が大好きな少年たちの躍動する,素晴らしい作品を見つけました.

「そう,わたしは,生の身体と精神を有するたった一人の少年を生み出したかった」と筆者のあさのあつこ氏は書きます.主人公は「まっすぐに生きる」姿勢を大切にし,偽らない激しさや痛みを逃げません.「周りと抗いそれを変化させ,押し付けられた定型の枠を食い破って生きる不羈の魂を一つ,書いてみたかったのだ」,と彼女は回想します.

『ウォール・ゲーム』と『バッテリー』.たまたま同時に読んだこの二つの小説をつなぐテーマは,原初の<政治>,<自由>と<秩序>の葛藤ではないでしょうか? 「大人に頭を下げなくても,うまく折り合おうなんて考えなくても,自分の意志を貫き通すことができるなら,大人,子供,教師,生徒,支配する者,される者,そんな立場を,自分の持っている力で超えていく事が可能なら,すごいじゃないか.」

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