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IPEのタネ 7/19/2004

出張講義ということで二つの高校を訪れ,「経済学」のことを話しました.また大学では,ゼミ紹介の時間がありました.ゼミの説明を終えてブースで待っていると,何人かの学生が質問に来てくれました.どこでも,自分なりに話を考えてみるのですが,なかなか上手くいきません.

高校生には,レスリー・チャンの映画『流星』,ボストン・グローブの論説から「感謝祭の七面鳥」,ロサンジェルス・タイムスの論説から「石油の呪い」,そしてNHKドキュメントで観た「麦客(マイカ)」の話をしました.

子供と社会,というのが講義のテーマでした.『流星』に出てくるミン少年は4歳です.子供が笑うのは,彼・彼女の周りに善意が満ちている証拠です.美味しいものや,きれいな服,美しい景色を見たとき,親・大人であれば,それを子供たちに与えてやりたいと思うでしょう.家族や仲間に仕事や収入があり,将来,希望がかなえられると信じて今日を生きているとき,子供たちはより多く笑うでしょう.子供は,その将来の一部です.もし彼・彼女たちが悲しみ,苦しむなら,その社会は深刻な問題を抱えているはずです.

「感謝祭の七面鳥」では,「七面鳥の帝王」も「偉大な計画者」も出てきません.地上の富を増やし,地の果てまで人類の住処を拡大したことについて,私たちは神に感謝するより,市場の働きにこそ感謝するべきです.しかもそれは,帝国の軍隊や巨大工場,官僚国家,などの手を借りずに,一人一人の自由な発想と勇気によって獲得できたわけです.表現の自由,結社の自由,武器の放棄が,無数の小さな感謝祭で,将来,祈りの対象となるでしょう.

石油であれ,ダイヤモンドであれ,金や豊富な資源,土地であれ,「富」はしばしば社会を貧しくしました.アダム・スミスが主張したように,富を独占することは,その社会を豊かにしないでしょう.政府や反政府の民兵たちが住民を襲い,その手足を切り落としたのも,家族を殺して子供たちを鉱山の奴隷や兵士にしたのも,富を生産するためではなく,独占するためでした.国民が貧しくなるほど独裁者は富を蓄え,権力の移譲に失敗すれば亡命するか,クーデタによって殺されます.

「麦客」では,中国が改革開放で市場を拡大し,革新を取り込む姿勢に転換した結果,新しい富と昔からの貧困が重なって現れた場面が描かれます.トラクターと鍬では,全く勝負になりません.出稼ぎの農民たちは,労働の成果以上に,彼らの誇りを傷つけられます.私は,駅に溢れる「黒い人々」を見ました.もし新しい機会が彼らに示されないなら,社会的争乱が起きるでしょう.しかも,革新の過程は止まりません.

再び,『流星』の冒頭.そこには,アジア通貨危機が背景として描かれます.1997年7月2日に,タイが外国為替レートを介入によって固定することを放棄したことから危機が表面化します.インドネシアではスハルトの独裁政権が崩壊し,韓国では民主化の指導者であった金大中大統領が危機の収拾に翻弄されます.日本で続いていたバブル破綻後の金融・経済疾患も,旧社会主義圏やラテン・アメリカで模索されていた市場型改革の暗転も,次々に,世界的な危機の連鎖に加わります.

冷戦が終わっていなければ,インドネシア政府に対して,アメリカはもっと早くIMFによる救済融資を行ったのではないか,と言われます.ロシアには大量の核兵器があるから,融資を続けるしかなかった,とか,アルゼンチンに地球規模のミサイル防衛網の拠点を建設すれば,アメリカの強い政治的関与を認めて通貨危機が収まるだろう,とか言われました.タイ政府が介入を諦めた前日の7月1日には,香港返還の記念式典が行われていました.アルゼンチンと違って,香港のカレンシー・ボードは維持され,株式市場にまで介入しました.

もし世界に一つも国家が無ければ,あるいは,また,もし国家が一つしかなければ,IPEは必要ないでしょう.もし市場が完全で,常に円滑に均衡化や調整を進めるのであれば,また,すべての人々がそれを完全に理解しているのであれば,やはりIPEは必要ないわけです.さらに,もし人々が望むことを,誰とも対立することなく,常に協力して平和的に実現できるなら,また,さまざまな制度や法律,習慣? 文化?などで妨げられることなく,人々が望むものすべてを,合意した方法で利用し,消費できるのであれば,IPEは存在しないでしょう.

大小,強弱,貧富,さまざまな多くの国家に分割され,市場によって統合されながら,その機能は不完全で,人々に理解できることは限られ,それゆえ,互いに自分の利益を守り,自分の主張を通すために,脅迫や買収,武力による争乱も辞さず,結果的に秩序を破壊し,富も平穏な暮らしも失ってしまう危険な選択を,自らすすんで行う可能性がある.そんな矛盾した世界に生きているからこそ,私たちは深く考える必要があるのです.

「IPEって何ですか?」 と聞かれて,しばし苦しみ,昨年末の果樹園に少し書いたから,それを読んで欲しい,と言いながら,ふと思いついて「カレーうどん」みたいなものだ! と断言しました.「カレーうどんはカレーではない.」 「カレーうどんはうどんでもない.」 ・・・すると,来ていたゼミの3年生が,「だから,カレーうどん,でしょ?」 と言った.「そう! カレーでも,うどんでもなく,カレーうどんなのだ.IPEは,政治学でも,外交・国際関係でも,国際経済学でも,もちろん経済学でもない.IPEなんだ.」 「・・・」 まったく変な先生だ,と頭を振りながら,学生は帰ってしまいます.

フランスの農民やアイルランド移民の暮らしを描いた映画『木靴の木』と『アンジェラの灰』を観ました.貧困は,何よりも,人々の可能性を奪います.資源の無い,貧しい,辺境の国で生まれた王子もしくは王女となって,あなたも自国の民とともに,豊かな,そして平穏な暮らしを実現するため,子供たちの未来に向けて方策を考えてみてはどうでしょうか?

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