IPEの果樹園2003

今週のReview

12/29-1/3

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(続き)

なぜ,ガンジーや孫文,ホー・チミン,などの求める完全な民族独立を,抑圧するのではなく,むしろ最初から,支援しなかったのでしょうか? 軍事的に支配する者が,その社会・政治システムを決定する,というスターリンの主張を,ルーズベルトもチャーチルも反対しなかったわけです.

イギリス政府も,日本政府も,フランス政府も,アメリカ政府も,植民地の人民が民主的な政府を樹立することを助けるべきだったでしょう.スターリンがワルシャワ蜂起を煽動し,ナチスによる報復と殺戮を放置したことや,トルーマンが原子爆弾を使って日本を無条件降伏させることに満足したことは,人々の理想から容易に理解しえないものです.民主的な政府が世界に広まる過程は,迷路を進む独楽のように,紆余曲折や後退ばかりに見えます.

l         大学の講義がなんの役に立つのか?

大学の講義を聴いて,それが就職に役立たないとか,金儲けの足しにならない,現実の生活と関係ない,無意味だ,と感じるなら,勉強することは単位を集め,せっかく決めた就職先が無駄にならないように,卒業を確保することでしかないでしょう.できるだけ効率的に単位を集める学生が優秀であり,どのような手段を使っても卒業することが正当な目標になります.

大学で講義をすれば,その内容が彼らの要求をしばしば満たしていないことに,落胆するでしょう.出席を採らなければ受講者は減り,レポートを提出させても,これで単位を取れたと安心して,提出した途端,講義は聴かずに出て行ってしまうような学生を見受けます.就職できたから単位をください,と求められることさえあるわけです.

しかし,大学の講義がどのような意味で役に立つのか,また,内容と切り離して卒業単位だけ集めることにどんな意味があるのか,私は彼らが間違って理解していると思います.

私に限って言えば,IPEの講義を聞いた学生の皆さんが,この講義を聞かなければ得られなかったであろう知識や考え方を得てほしい,と思います.社会に出て,自分はこう考える,と主張できるような材料や考え方を知ったなら,その講義には意味があるのです.自分の考えをもつこと,自分の意見を示して仲間を(あるいは敵でさえ)説得できることは,その人間が駆使する情報や概念,そして,想像力(発想)がもたらす力だと思います.

たとえば,自由貿易を議論しているとき,低賃金や失業を問題にすることは現代の常識です.しかし,貿易自由化と農業や中小企業の保護を討論する際に,「比較優位はどうなっているのか?」と問うことによって,論争の質が飛躍的に深化するはずです.その社会の全体としての利益や,労働の編成をめぐる調整問題,その社会が持つさまざまな富の分配や合意された社会的目標を,私たちは議論しているのだ,という想像力を刺激できるからです.

他方,卒業のために必要だから集めた単位は,最悪の場合,中身の無い証明書(つまり入学金と学費の領収書)です.もし多くの人がそのことに満足するなら,貨幣の悪鋳と同じように,証明書としての価値は急速に失われるでしょう.しかも,同じキャンパスで学ぶ熱心な学生にも,この粗悪な証明書が与えられます.

富裕化とともに18歳人口は減少し,公立高校も,国立大学も,優秀な学生を求めて競争します.塾や予備校,専門学校とも提携し,スポーツ選手や芸能人を集めて広告・宣伝しなければ生き残れない時代となったのです.さまざまな入試制度や実質的な大学全入制の時代に,異なったカリキュラムで単位を集めた学生たちは,出身大学や証明書ではなく,個人の力を問われるでしょう.また彼らも,大学や学部を今までと異なる,予想もしない理由で選択し,入学後も,資格を得るための専門学校や就職活動に多くのエネルギーを注ぎます.こうしてキャンパスは空洞化して行きます.

しかし,学ぶことには意味があります.キャンパスは,知識や理論によって自分の考えを深める機会を提供し,問題を提起して互いの論争を刺激する空間です.

ともに学び,現実を超える可能性を想像する,そんな時間を少しでも共有できたなら,私の講義も無駄ではないわけです.24日の講義の後,質問するために残ってくれた二人の学生と,紅茶を飲みながら話し合いました.

l         時事問題として

「なぜ財政赤字を積み上げて経済の規模を維持しなければならないのか?」と,一人の学生が尋ねました.私は,少しの間,沈黙しました.

私も,なぜバブルが消滅する過程で,バブルによって資産を得たわけでもない人々が苦しまなければならないのか,不満を覚えました.あるいは通貨危機で,投機的な取引がその国の資産を叩き壊し,あるいは銀行や政治家が海外に持ち逃げするのを,なぜ放置しなければならないのか,矛盾を感じました.彼は同じ問題を指摘しているのではないか・・・ と思いました.そして,残念ながら,私にも明確な答が見つからないのです.

私は,少なくとも国内の民間需要が落ち込む中で,政府が財政赤字によって不況の悪循環を回避することには理由があった,と説明しました.しかし,「政府はこの膨大な債務をどうやって返すのか?」と,当然,彼の不可解な表情が大きな疑問符を示します.

もし日本が,不況の際の赤字を好況時に返済するのであれば(特に,長期的な生産性や革新を維持する公共投資であれば),私は苦しい思いをしなかったでしょう.しかし,日本の労働力人口は減少し,工場は海外に流出しており,先端部門を支える優秀な人材が育っているとも言えない以上,将来,金利が高まって経済の成長率を大きく上回るとき,財政は破綻するのではないか,と思います.それ以前でも,政府はインフレによって債務を帳消しにする誘惑を感じるでしょう.しかし資本流出が起きたり,あるいは,経常収支が赤字になって,円安とインフレが悪循環を起こしたりすれば,欧米のメディアが疑い続けてきたように,アルゼンチンやメキシコ,ロシアの危機と日本との違いは消えるわけです.

「自衛隊のイラク派遣は成功するでしょうか?」とも聞かれました.私は,自衛隊の派遣が,それだけで成功するとか,失敗するとは言えない,と思いました.小泉首相が言うように,「戦争をするために行くのではない.国際社会の責任として,イラク国民の復興を助けるために行くのだ」ということであれば,その大儀には共感しますが,もっと違った形が望ましいのではないか,と話しました.

日本が軍隊をもつことや,海外に派遣することも,その目的や形態,決定のプロセスが十分に合意されたとは思えません.フセインをどう裁くか,と同じように,日本がどのように軍隊を持ち,国境外でも活動させるのか,日本国内と国際的な場で,詳しく議論されるべきです.

モスバーガーで私たちの隣の席に陣取った二人の学生は,迷惑なほど,政治や経済の見通しを大きな声で論じ合っていました.いまどき,こんな生硬な政治論議を声高に交わすのは,大学生にとって政治家の評価や国際情勢の解釈が,音楽やサッカーと並んで,手ごろな雑談の一つとなったから? そんな印象を持ったのも,彼らが政治や戦争に関わる者を軽蔑し,自分たちだけの感性やイメージを,断定的な言葉で確かめ合うことに満足していたからです.

IPEは,彼らの尊大な雑談と何が違うのでしょうか? 私は,電車の中で近くに座った,取引がこじれて(多分)恐喝に転じたらしい,若いヤクザの不動産業者を思い出しました.彼は,大きく足を広げて座席を占拠し,小さな携帯電話を手に,傍若無人な罵詈雑言を相手に向かって吐き続けるのです.お店であれ電車であれ,私たちは普通,こうした耳障りな暴言の及ぶ場所から退出することを選びます.

l         IPEの意義,その目標

かつて社会学者のC.W.ミルズは,「社会学的想像力」を提唱しました.また,地理学者のD.ハーヴェイは,それを引き継いで,「地理学的想像力」を提起しました.国境であれ,貨幣であれ,私たちは想像力によって,それを(その原因や背景を)捉えます.それらは現に存在しているとしても,想像力を持たないものには,相互の関係が見えないのです.

「IPEは,これによって何が起きるか分かる,というものではないようですね」と,聞かれて,私も,それはそうだな,と思いました.

IPEは,予測ではなく,現実をより深く理解し,将来のさまざまな可能性を想像し,自分や他の主体が採り得る行動とその意味を解釈する力を与えます.

IPEの考える社会的な秩序形成には,いくつかの類型があると思います.たとえば,ハーシュマンの示した「発言,もしくは,退出」です.あるいは,もしそれが閉じた,宿命的に共有せざるを得ない空間であれば,「強制するか,説得するか,贈賄する」ということです.私は,経済学がCBA(コスト・ベネフィット分析)を重視するのを真似て,IPEではFBIを重視する,と言いました(すなわち,恐怖・利益・理念.もちろん,アメリカ連邦捜査局,からの連想です).

それらの多くは,厳密に証明されるような知識ではないでしょう.しかし,社会の全体を理解するためには概念や枠組みが必要です.私たちが「鯨の腹の中」や「頭も尻尾も無い,ぐにゃぐにゃの怪物」に翻弄されないで,自分の言葉と意志を持つために,こうした概念は役立ちます.

「IPEとは,要するに,何ですか?」 この質問は,学生たちが常に感じているはずです.いろいろな解釈を並べて,どこにも結論は無いの? と,不思議そうな,あるいは不満な顔が,私の教室に残ります.

日本の衰退であれ,ブッシュの戦争であれ,北朝鮮の貧困であれ,変えられない現実はないし,どのような政策も,完全に間違いだとか,絶対に成功するとは断言できません.抽象的な結論ではなく,現実に何が起きているかを知るためには,それと格闘するしかないのでしょう.何が問題なのか? それは誰の利益なのか? あなたがそれを取り上げる理由は何か? その目標は? 結論があるのではなく,一緒に話し合うことで,その問題について深く理解できるわけです.私たちの導く結論が互いに対立しても,自分の考えで選択し,さらに話し合えます.

たとえば,「戦争をしてはいけない」という結論を聞きたいのでしょうか? 残念ながら,私の講義にその結論はありません.多くの人がそう信じていたにもかかわらず,戦争は起きました.今も戦争は続いており,将来も起きるでしょう.なぜ戦争は起きたのか? どうすれば,もっと違った解決策が可能であったのか? ・・・私たちは,決して答えの無い議論を続けます.

それは無駄ではありません.もしIPEを学んで,こうした議論を深めた政治指導者たちが増えれば,彼らは戦争を回避する選択肢をより深く理解し,追求することでしょう.社会に参加するすべての市民がIPEを学べば,戦争や恐慌,人種暴動や通貨危機が無くなる,とは思いません.しかし,私たちはより賢明になり,平和で繁栄した社会を維持できると期待します.

そんなことを話しながら,私たちは御所を歩いて丸太町へ向かいました.彼らが質問してくれたので,今週もReviewを書きました.こうした熱心な受講者が,私にとってのクリスマス・ギフトなのかもしれません.

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