IPEの果樹園2002

今週のReview

5/7-5/12

連休とはいえ、どこにも行かず、末っ子を連れておじいちゃんの家へ行って、3人で近所の銭湯へ行きました。いつもすいているのに、思ったより人が多かったです。日本のゴールデン・ウィークの正しい過ごし方は、@物価が安く、自然も豊かな外国に旅行するか、A近所で風呂に入って、美味しい物を買って帰り、家で食べることです。

有事立法、靖国神社参拝、郵便事業への民間参入、医療保険制度の改革。どれ一つとして、日本のデフレを解消して景気を回復するわけではなく、経済や政治システムの「構造改革」を目指すわけでもなく、銀行システムの抱える不良資産や企業の過剰債務を迅速に処理する見通しを示してもいません。

風呂の帰りに道路を見渡せば、あちらにも、こちらにも、歩道橋が見えました。道路に歩道橋ができたのは、いったい、いつ頃からでしょうか? 歩道橋は、世界でも他に並ぶものが無いほど、無駄になった公共投資ではないでしょうか? 信号があるのに、誰がわざわざ急な階段を上って、また反対側で階段を下りる必要などあるでしょう? 老人や幼い子供たちのような、弱者に役立つものではありません。実際、これらの歩道橋は、ほとんど誰にも使われていないのです。

死亡事故が増えて「交通戦争」に関心が集まりだした頃かもしれません。学校への行き帰りに子供の安全を心配した親が(しかし自分で通学路の安全確保のために朝から通りに立つ当番は引き受けたくないので?)歩道橋を作ると聞いて安心したのか? さらに地方経済への財政刺激策として、何度も道路を掘り返しては労働者たちに埋め直しをさせていた建設業者(あるいは製鉄会社? 支持者への無駄遣いを好む政治家?)が、ガードレール以上に儲かりそうな仕事を見つけたのか?

それがどんな理由であれ、もし歩道橋を作る費用を、その町の納税者が自分の財布から直接支払うとしたら、その数は現在の10分の1か、百分の1になっていただろう、と私は思います。たとえ灯台が公共財であるとしても、野球のナイター中継をするような照明施設を日本中の港に作る必要は無いでしょう。

事前に、「何のためにするのか?」を説明する必要があったでしょう。そして、「それで何ができたのか?」を、費用も含めて、事後的に検証する必要があったでしょう。経済的な投資は、市場で実現できた利潤によって比較され、資本を失えば破産し、責任者は退出します。他方、政治的な投資は、事前に目標に対する多数の支持を得なければならず、それを合理的・効率的に実現しなければなりません。目標が変われば政治主体も交代し、事後的に成果を上げていないことが十分に説明できないようであれば、他の政治集団が支持する政策を採用しなければなりません。

高速道路公団や郵便貯金による財政投融資を廃止するために、何度も選挙する必要はありません。不良債権処理や銀行の整理に公的資金を使うかどうかも、政治家、銀行、官僚が責任を持って行動すれば良いのです。しかし、1.事前の目標、2.事後の検証、3.行動しないことがもたらした損失、について、意思決定の責任を明確にすることです。財務省が、欧米の格付け会社に意見書を送って明確な説明を求めたのは、立派な態度だったと思います。

子供とお風呂に入るのは気持ちいいです。しかし、もう誰かが書いているかもしれませんね。町に銭湯が無くなり、小学生たちが電車で塾に通い、自動車が危ないから家で漫画とゲームに耽り、大人たちと野球を観るより、生意気な(失礼)サッカー選手たちの活躍を話題にし、やっと大学に入れば、何もかも忘れて宴会とサッカーの応援でたらふく酒を飲み、フーリガンをまねて、不景気に悩む大人たちを威嚇し、襲撃するようになったのは、いったい、いつ頃からだったのか? ・・・と。

ただしFTFinancial Times, NYTNew York Times, WPWashington Post, LATLos Angeles Times, STStraits Times, FAZFrankfurter Allgemeine Zeitung, IHTInternational Herald Tribune


LAT April 24, 2002

Immigrant Prejudice, French-Style

By TONI L. KAMINS

フランスでユダヤ人に対する暴力が噴出していることは恐るべきことである。しかも、フランスの指導者たちは、反対しているように見えて、実はさらに酷い。

フランスのユダヤ人は恐怖の歴史を持つ。5世紀頃からフランスにユダヤ人は住むようになったが、彼らはほとんど常に、政府も加わった中傷、大規模な排斥、ローマン・カソリックへの強制的改宗、課税、法的な権利の剥奪、窮屈なゲットーへの隔離、フランス主要都市における居住規制、そして組織的、あるいは偶発的な暴力と殺人に苦しめられた。

現在の暴力を説明するのは、大部分、フランスとイスラム教徒との不名誉な関係である。何十年間も、北アフリカにおけるフランスの旧植民地から、イスラム教徒がフランスに移住してきた。しかしフランス人は、彼らがフランス的でないと思う誰をも、何一つ、受け入れることを非常に嫌っており、イスラム教徒を歓迎することなど決して無かった。

フランス人は北アフリカからの移民流入を望まず、彼らを ‘banlieue’ と呼ばれる郊外へ追放した。そこには政府の住宅施設しかない荒涼とした場所で、住民たちは、感情の無い官僚を除けば、フランス社会と何の関係も無かった。失業率は高く、教育は言い訳程度で、あれこれ理由をつけて逮捕されるのがいつものことであった。

フランス人がこうした人々を軽蔑や侮辱の眼で見ているのは明らかだ。フランスを良く知らない人には、‘banlieue’がどれほど深く疎外されているか、理解することはできない。シラクの大統領選における最終候補に残った、極右の国民戦線に属するル・ペンは、反ユダヤ主義者であり、何よりも反移民を主張している。それはフランスでは反北アフリカ・イスラム教徒を意味する。

 ‘banlieue’の住民には、北アフリカから移住したユダヤ教徒も居る。彼らも社会的に迫害されてきた。ユダヤ人とユダヤ教に対する暴力は、パリの真ん中ではなく、こうした背景から、‘banlieue’で行われる。シナゴーグへの放火、サッカー選手や通学バスへの襲撃は、反社会、反エリート、反フランス的であると同時に、反ユダヤである。

しかし、現在の暴力が再びホロコーストにつながる、と言うのは間違いである。それは恐怖や無知を煽り、現実やユダヤ人コミュニティーに関する単純化された見方を育てる。たとえどれほど多くのフランス人政治家がイスラエルを非難しても、一握りの疎外されたアウトサイダーが犯した犯罪と、政府の公的な政策が反映された犯罪とは、違うはずである。


FT Apr 25 2002

Europe's drift to the extremes

Philip Stephens

ル・ペンに限らず、イタリア、オーストリア、オランダなどにも台頭している極右政治集団の真の理由は、ヨーロッパの政治家たちが冷戦終結の本当の意味を理解できなかったことにある。社会主義圏が崩壊したのは経済における西側の勝利だが、政治の勝利ではない。自由民主主義は勝利したどころか、その右派も左派も、共通の敵を失ったのである。

左派の多くは、同時に、国家が市場に勝てないことを理解した。右派と左派の違いは曖昧になって、政治原則が実用主義に代わった。新しい政治とは経営主義であり、政治家の違いなど無意味になった。

ソビエト連邦崩壊がもたらした楽観とは別に、EUが東へ拡大するのは遅く、近視眼的な旧思考によるゼロ・サム型の苦しい取引であった。西ヨーロッパの市民たちは、冷戦終結の冷酷な成果に気付いたのだ。バルカンの戦争に巻き込まれ、難民が流入し、旧ソ連圏から非合法移民や犯罪組織、麻薬が流入した。さらに彼らは、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキアにEUの補助金を奪われ、雇用が流出していくのを見る。繁栄と安全が約束されたはずであったのに。人口の減少する西欧は、東の労働者を必要としていたはずであったのに。極右の主張する移民排斥が支持を集めないはずがない。

中道右派の政治家が国民に広めたのは、せいぜい無関心であった。しかし投票率の大幅な減少、極右への支持は、政治過程そのものを破壊する。フランスのLe Pen、オーストリアのJorg Haider、デンマークのPia Kjaersgaard、オランダのPim Fortuyn。彼らはすべて自由民主主義の本質的な価値を攻撃している。

彼らは政治を変えると主張する。彼らの無節操な政策に意味は無い。しかし、彼らは政治的信念をハイジャックしたのだ。


The Guardian, Thursday April 25, 2002

Appeasing racists won't see them off

Gary Younge

労働党は、ファシズムや、それを助長するレイシズムへの最善の対応が、きっぱりと対決することではなく、恥知らずに仲裁することだ、と決断した。

ル・ペンの勝利について、ブレアの回答は平等と統合、多文化主義の称揚ではなく、「犯罪と社会慣習」であり、「移民と避難所」であった。ブランケット内務大臣の昨日の発言はさらに踏み込んだものであった。「難民たちの子供が学校を満たす(水浸しになるswamping)」というその言い方は、1979年の選挙前にマーガレット・サッチャーが発言した悪名高い「(イギリスが)異文化の人々で水浸しになるswamped」という言葉とそっくりだ。

問題は、彼らが反レイシズムを賢明な対応と見なさないことだ。彼らはル・ペンの頑迷さを受け入れないが、その人種差別的な移民政策を部分的に取り込むことで、ナショナル・フロントを追い払える、と信じている。彼らはレイシストの犠牲になっている人々を助けずに、レイシズムの法制化を進める。連中を排除して、そのレトリックは受け入れるのだ。

彼らは犯罪や移民に対処すれば、ポピュリスト的な右翼を中立化できると信じている。しかし、ファシズムの「中立化(無効化)」は、二つの意味で狂気の沙汰である。第一に、それは効果が無い。第二に、それは道徳に反する。

昨年のイングランド北部における騒動以来、ブランケットは人種問題で強硬な発言を繰り返し、事件に関わったパキスタン系やバングラデシュ系の若者がイギリス生まれであったにもかかわらず、市民権の教育や英語の強制を主張してきた。こうした10年ぶりの反動的な人種差別的論争の挙句、BurnleyOldhamではBNP(イギリス国民党)が議席を得ようとしている。

税金や公共サービス、EUに関する論争と違って、ファシズムやレイシズムの問題について道徳的な価値を無視することはできない。ファシズムに対して中間的な立場など無い。


WP Friday, April 26, 2002

. . . Racial Blinders

By David Ignatius

奴隷制がアメリカにとっての「原罪」であるとすれば、植民地主義は現代フランスの原罪の一つである、と半世紀以上も前にGunnar Myrdalは指摘した。今日のフランスを1968年のアメリカとみなせば、ル・ペンはGeorge Wallaceのフランス版である。Wallaceは三番目の(民主党でも共和党でもない)アメリカ大統領候補となり、白人の恐怖心を煽ってレイシズムを唱え、13%を得票した。

パリ郊外のbanlieueで、今、植民地時代以後の怒りと怠慢が週末の騒動を引き起こしているように、1968年のアメリカ諸都市には暴動が吹き荒れていた。Kerner委員会は、二つの「隔離された不平等な」アメリカを描き出したが、それは現代フランスの500万人のイスラム教徒にも当てはまる。

しかし、アメリカと違って、フランスは人種問題の解決に真剣に取り組もうとしていない。むしろ政治家たちはル・ペンやその支持者を非難するだけだ。フランスは人種や宗教に関する統計を集めない。超エリート主義の教育システムで育ったフランス官僚は人種問題を無視し、人種差別解消のための介入政策を拒否する。彼らはフランス文化が余りに優秀で、誰をも同化させずにはいない、と信じているようだ。

フランスの政治階層にとって、ル・ペンはウェイク・アップ・コールとならなかった。この国は人種や暴力の問題に対処できないでいる。人種問題なんて、アメリカなど、他国の問題だ、と思っている。アラブ系のギャングがしばしばシナゴーグ(ユダヤ教の教会)を破壊し、北アフリカ系の住民地区が夜間は立ち入れない状態なのに、肩をすくめて知らぬ顔だ。

フランスはますます1960年代、70年代のアメリカ諸都市が示した刺々しい分断された感情に支配されている。パリの地下鉄に乗れば、裕福なフランス人たちの傍らで騒がしい10代のギャングたちが緊張を高めているのが分かる。友人と話せば、公立学校で人種差別的襲撃が起きているのを知るだろう。それでも政府は人種問題など無いと言う。

1960年代の騒乱から、アメリカは長い道のりを経てきた。アメリカが前進できたのは、人種対立を認めて、法律で対処したからである。少数民族を優遇するそれらの法律は、多くの白人たちを憤慨させたが、次第にアメリカ社会の構造を変化させた。何よりも、affirmative actionが少数民族にとってもアメリカを「機会のある社会」として感じることを促した。そして、1990年代のアメリカ経済のブームは少数民族も潤した。

フランス人たちがル・ペンを真剣に考えるなら、彼を産んだフランス社会の泥濘を一掃して、より多くの人が参加する「機会のある社会」を創り出すべきだ。


IHT Monday, April 29, 2002

Japan's Le Pen is bad news for foreigners

Robyn Lim

フランスで起きた政治的地殻変動が、日本でも起きるのか? 石原慎太郎は、人気の翳り始めた小泉首相を打ち倒せるか?

それは考えられないことではない。経済は10年以上も不況の淵に沈み、戦後の政治を支配した自民党は救いがたい腐敗にまみれ、野党には何の希望も無い。人気者の外相を更迭し、政治スキャンダルの続く政府は、支持率を落としている。石原はル・ペンと同じように自民党から離れ、自民党が担いだ表情の乏しい国連官僚を破って東京都知事に当選した。彼は新鮮味を出し、エリート政治家や官僚たちから無視されてきた庶民の支持を得た。彼はポップ・スターたちと交流し、弟も有名な映画俳優であったし、彼の息子は既に内閣に居る。

ワシントンも彼に関心を示すが、石原は中国と同じようにアメリカにも敵対的である。経済が悪化するにつれて、ナショナリストの支持を集めており、日本はアメリカとの同盟関係を破棄して、独自に核武装すべきだ、と提唱してきた。東京都知事として、彼はまた犯罪率の増加を外国人の責任にして、特に中国の犯罪組織を非難した。さらに、東京を襲う次の地震で外国人が暴動を起こすと警告し、1923年に関東大震災で韓国人が多数虐殺された記憶を蘇らせた。

冷戦終結以来、中国は日本の行動や戦争犯罪を非難し、同時に経済援助を求めてきた。ますます多くの日本人が、謝罪を求め続ける中国の姿勢に不満を感じている。日中間の経済的な相互依存は増すばかりだが、軍事的にも経済的にも、日本人は中国を増大する脅威と見なしつつある。

歴史の決定的な瞬間に、日本人は無能で機会主義的な指導者を選択してきた。自民党の幹部たちは、石原を担いで自分たちの道具にできる、と思っているかもしれない。ドイツの保守派が1933年にヒトラーを政権に就かせたときと同じ過ちを、彼らは犯しかねない。

FT April 25 2002

Editorial comment: Koizumi's bubble bursts

松尾芭蕉に言わせれば、「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」であろう。すでに小泉バブルは破裂した。夢一杯の宣言は続くが、結局、小泉は自民党と対決してこなかったのだ。2年目に期待できるとも思えない。


FT Apr 25 2002

A fragile recovery

David Hale

アメリカの景気予測は今までも繰り返し大きな失敗を犯してきた。特に、今回の予測は消費者の動向を誤解していた。しかし、現時点の回復を前提すれば、911日以前の水準まで金融は引き締められるだろうし、政府が今年中にイラク攻撃を開始すると予想されるので、石油価格も不安定である。それは消費を脅かすだろう。石油価格もバレル当り3540ドルに上昇する。2002年から2003年にかけて、アメリカ経済の浮動性は最大となるが、市場の動向が、制御できない軍事行動に懸かっている以上、大幅に相場は割り引かれるだろう。しかし、サダム・フセインが追放されれば、1991年と同じように、石油価格は速やかに下落し、2003年か2004年に世界経済の回復を準備する。


NYT April 25, 2002

The Delusion of Free Trade

By ERNEST F. HOLLINGSa Democratic senator for South Carolina

アメリカ製造業連盟や商工会議所、独立事業者連合は「自由貿易、貿易促進法」を大合唱する。輸入品を売って儲ける小売店も「自由貿易」、小売業者の広告で儲ける新聞も「自由貿易」支持の論説だ。しかし、彼らは自由貿易を支持しているのではなく、経営幹部や企業の利益に自由貿易を役立てているのだ。これは民主主義の経済政策が求める道では無い。

憲法は、議会が外国との通商を規制できる、と明記している。貿易促進法案がこれを打破した。政府がアメリカの労働者を守らなくなったのは比較的最近のことだ。アメリカは独立以来、外国貿易を規制して国内産業を外国との競争から保護し、成長と再編を可能にしてきた。関税は政府の重要な財源でもあった。1913年まで、所得税は無かったのだ。

これが第二次大戦で変わった。われわれは世界の指導的工業国となり、ヨーロッパやアジアの破壊された諸国を支援し、冷戦に勝利するために国内市場を開放した。しかし、われわれの競争相手は市場を開放しなかった。むしろ彼らは自国の製造業を保護したのだ。

アメリカの競争相手は繁栄し、アメリカの経営者たちは別の教訓を学んだ。仕事を海外に移すと儲かる、というわけだ。製造業の労働コストは販売額の30%もある。企業は経営者のオフィスだけアメリカに置いて、清算を海外の低賃金国に移し、販売額の20%も稼いだ。労働省の統計でも、メキシコとの自由貿易協定締結以来、南カリフォルニアから53900の繊維産業の職場が失われた。1979年の東京ラウンド以来、アメリカは500万以上、20%の製造業の職場を失っている。ブッシュ大統領に貿易促進権限を与えれば、これがもっと悪くなる。

ベルリンの壁崩壊以後、無数の人々が世界労働市場に加わり、最低限の生活水準を受け入れた。これと対称に、アメリカは最低賃金、社会保障、医療保険、労働基準機械や空気、水の規制、工場閉鎖の規制を守り、生活水準を保護し、改善し続けた。工場がメキシコに移動すれば、こうした規制を免れ、賃金はアメリカの11%である。

今日、われわれが消費する物の半分以上は輸入品である。「自由貿易、貿易促進法」のマントラ(お経)は、この欠陥を無視している。数年前、ソニーの盛田昭夫は、国民国家となるには強力な製造業を発展させる必要がある、と第三世界諸国に諭した。そして私に向かって、「上院議員。製造業を失うような大国は、大国でなくなるでしょう」と言ったのだ。


ST APRIL 26, 2002 FRI  

World must fight US steel tariffs

By JOSEPH STIGLITZ

アメリカが鉄鋼製品に課した関税は世界に響き渡った。今やアメリカの偽善を打ち破るときだ。

1997-98年の世界金融危機が、アメリカ財務省の指導によるIMFのまずい対応で、鉄鋼製品の輸入増加をもたらした。しかし、事情が違えば、アメリカはそれを市場の調整過程として持てはやしていた。

これはWTOの認めるセーフガードだ、という主張は認めがたい。その主張自体が腹黒い。ヨーロッパは1980年代と90年代の初めに鉄鋼産業をリストラし、概ね成功した。アメリカでもミニ・ミルは育ったが、まだ旧時代の巨大な遺物が残されている。

アメリカの鉄鋼問題の多くはアメリカ製である。アメリカは財政を悪化させ、20年前にレーガン大統領が行った無責任な減税と同様に、ドルの増価を招いた。強い通貨を自慢する国は、それが輸出を妨げ、輸入を促すことを忘れている。

ダイナミックな経済では雇用は新しい分野で生まれる。政府の役割は部門間の労働移動を促し、完全雇用を維持することだ。ブッシュ政権はこれに失敗した。

ブッシュ大統領は就任後に減税の必要性を認めたが、本来の刺激策ではなく、財政的刺激を名目とした逆進的な税制の変更を行った。すなわち、リストラさせるより免税で旧産業を支援し、企業に税制の抜け道を用意してやった。富裕層への税金は減った。民主党がまさに反対したように、雇用は僅かしか生まなかった。

この経済状態の改悪は、結果的に経済を弱体化し、職を失った人々をさらに苦しめた。アメリカが損をし、ヨーロッパも損をし、発展途上諸国も損をした。

グローバリゼーションは、それが上手く管理されれば、すべての国に利益をもたらす。しかし、現状では多くの人が利益を得ておらず、最も貧しい者が損をする。豊かな、先進工業諸国が、自分たちのためにそのルールを書く、不公正なゲームである。アメリカはそれでもまだ足りずに、政治的な関心をルールに持ち込む。自分の都合でルールを捻じ曲げる。

ブッシュ氏のモットーは「貿易は良いが、輸入は困る」である。貧しい発展途上諸国は教訓を学んだ。輸入関税を下げれば、輸入が急増する、と。そこでアメリカは「セーフガード」という関税を再導入する。もしアメリカが6%の失業を心配するなら、10%や20%の失業に苦しむ貧しい国になんと言う気か? アメリカは11月に選挙がある。しかし、発展途上諸国にも広がる民主主義は、有権者に自由化がもっと雇用をもたらすことを必要としている。

アメリカだけが拒否権を持つIMFは、発展途上諸国のこうした政治的関心を考慮しない。これがダブル・スタンダードではないと言うのか? 外国には自由貿易を唱えながら、鉄鋼だけでなく、航空業でも、農業でも、アメリカは国内産業を救っている。それ以前でさえ、アメリカの農業補助金はサブ・サハラ・アフリカの全所得を越えるほど莫大な規模であった。

貧しい国に比較優位がある財について、豊かな国は市場を閉ざす。アルゼンチンの現状は、もしアメリカやヨーロッパが農産物市場を開放していれば、全く違っていただろう。グローバリゼーションは相互依存を深める。世界経済の浮動性を前提すれば、それはリスクを意味する。アメリカのような豊かな諸国が、そのリスクを負う最善の位置にある。

銀行など、多くの分野で世界的基準が議論されてきた。グローバリゼーションが標準化を求めている。アメリカの鉄鋼関税は、アメリカがダブル・スタンダードを好むことを示した。これを許すことはできない。今こそ各国が、特にヨーロッパ諸国が、これに反対するべきだ。自分のために、アメリカのために(たとえ特定の利益やブッシュ政権にとって好ましくなくても)、世界のために、強い手段を採ることだ。


FT April 26 2002

Editorial comment: The dollar's precarious perch

1995年からドルは上昇し始めたが、それ以来、何度もドルの減価が警告されてきた。日本の貿易黒字、ユーロの誕生、アメリカの不況など、ドル減価の引き金として議論されたが、ドルは強いままだ。それは驚くべきことでは無い。結局、通貨市場の短期の予測はコップの中のゲームでしかない。ドルが過大評価だという見方は否定されてきた。その理由は、いつ下落するのか予測できない、と言うだけのことだ。しかし、アメリカは過去6年間に所得以上に支出し続けた挙句、ドルが減価するのは確実である。

どのような国も、これほどの水準で、経常収支の赤字を続けたことはない。世界最大の国が、毎年、世界の総貯蓄の10%、5000億ドルも吸収してしまうとは、とんでもない。アメリカに流入する資本がこれより減れば、自動的にドルは減価する。その場合、ドルの減価が限定的で、秩序正しいものとは決して期待できない。資本流入がドルを押し上げたように、資本流出とドルの減価はアメリカの資産を魅力の無いものにする。アメリカが経常収支の赤字を減らすためにも、ドルの減価は必要である。

その影響を免れる国はどこにも無い。中でも、低成長の日本は、輸出の減少で大きな被害を受けるだろう。ユーロ圏も消費が伸びず、インフレ抑制によっても、悪化は避けられない。それゆえ世界は、調整の時間を持つことができるように、ドルが緩やかに下落することを望むが、通常、貨幣市場はそうならない。

政策担当者にできることは、外需の減少が予測されれば直ちに金融を緩和し、特にアメリカの連銀は、インフレ率に注意して、回復が確かでない内は金融引締めを急がないことだ。ドル高にも、アメリカの経常赤字にも、依存してはいけない。


The Guardian, Tuesday April 30, 2002

Stealing our clothes

George Monbiot

環境保護派やニュー・レフトが耕した政治的土壌を、内部で分裂している隙に、極右が奪った、という批判がされる。しかし、ル・ペンが依拠しているのは、環境保護派やニュー・レフトが創造されたわけでも、分割したわけでもなく、むしろ政府が創り出した不平等である。

しかし、イギリス国民党BNPのホーム・ページを見れば分かるように、環境保護派の伝統的な敵対者である地主協会に属する5万人より、ナショナル・トラストや王立野鳥協会に属する400万人を狙っている。そこで、小農家の没落を嘆き、農薬の使い過ぎや遺伝子操作、景観の破壊に反対する。これが中産層の若者の理想主義に好まれるからだ。BNPのニック・グリフィンは、大企業や世銀、金融資産家、公営住宅問題やスーパーマーケットの支配に反対する。

BNPだけでなく、ヨーロッパ中の極右集団が「真の環境保護派」や「第三の道」を自称する。国民戦線(ナショナル・フロント)は「第三の道」を選択し、これまでの「レイシズムや憎しみの政治」を拒否する。しかし、大規模移民流入から自分たちの文化を守ることは良いことである、と主張する。グローバリゼーションがわれわれを歴史から切り離された根無し草にし、生態系の危機と移民をもたらした、と。BNPのニック・グリフィンも、「第一世界の白人という絶滅に瀕した部族」を擁護するのだ、という。そして彼の好むDr Aidan Rankinは、最近までthe Ecologistの論説編集者であった。

極右集団は、帝国主義的な同質化を拒みながら、同時に、自分たちの文化を優先し、ゲットーをもたらす。左派の政治家たちは、彼らの主張が常に右翼に狙われていることを知るべきだ。そして、より明確に、自分たちは文化的多元性と反レイシズムに基本的に依拠していることを示さねばならない。

FT Apr 30 2002

Argentina on the road to ruin

Martin Wolf

Mr Duhaldeは通貨価値を切り下げて資産と債務とをペソ建にした。この決定は正しかったと私は思う。アルゼンチンは、規律ある変動レート制に向かう段階であったから。しかし、この転換は信頼を傷つけた。もっと思慮に富んだ、できる限り慎重な方法で、行うべきであった。

ところが政府は、銀行預金と債務に異なった交換レートを用いて、強制的に「ペソ化」した。それはあからさまな銀行資本の掠奪であった。銀行のドル準備を奪い、債権者の地位を弱めるような破産法の改悪を行い、背任行為の犠牲者が破滅するような愚かな法律を強制し、予測できないような仕方で税金や規制を変えた。

アルゼンチンは深淵の縁に立っている。ペソの価値は1ドル当り1から3ペソに下落した。まだ、この国が循環的な悪化に落ち込むことを防ぐ方法はある。それは何よりも自己規律であり、先週には希望があった。前経済大臣のJorge Remes Lenicovは、IMF・世銀総会でG7から強い支持を受けた。しかし、彼が帰国すると、議会はペソ建定期預金を国債に転換する彼の提案を受け入れず、彼は辞任した。その後、驚いたことに、州知事たちは大統領と14項目に合意し、IMFの要望を満たした。アルゼンチンの政治家たちも未来を憂慮し始めたのだ。もしそうであれば、Roberto Lavagna新経済大臣には成功の見込みがある。しかし、もちろん問題は深刻だ。

まず、第一の障害は、政治状況である。大統領まで為替レートの固定化やIMFとの交渉放棄を示唆している。前者はドル準備を失わせ、後者は必死に避けようとしている緊縮策を確実にする。当局は連邦政府と地方政府の財政赤字を削減しなければならない。連邦政府は地方政府を救済しないわけに行かないから、地方政府にも月ごとの財政限度が必要である。また破産法を債権者の資産が回復できるように改正すべきだ。銀行を再開し、そのために、規律ある変動制を選択すべきである。

しかし、変動レート制は成熟した国の制度であり、アルゼンチンの政治家たちは無責任な子供でしかない。アメリカ議会の合同経済調査委員会でKurt Schulerが示したように、ドル化が最もましな選択肢かもしれない。250億ペソのマネタリー・ベースに対して、約120億ドルの外貨準備があれば、ドル化は現行の為替レートで十分に上手く行くだろう。アルゼンチン国民はかなりのドル紙幣を持ち、もし信頼が回復すれば、経済は急速に動き出す。その論理的な帰結は、銀行に預金者への対応を自由に決めさせることである。この選択は、自立的な貨幣制度があって初めて意味をなす。

アルゼンチンが信用できる計画を示せば、IMFから25億ドル、世銀と米州開発銀行からも同額の支援を得られるだろう。また、年間80から120億ドルの債務返済を待ってもらえる。問題は、アルゼンチンがその前にハイパー・インフレーションに落ち込むかどうかだ。確かな再建策と国際支援があれば、翌年には輸出指導型の回復が始まる。


ST, APRIL 30, 2002 TUE

IMF is bleeding Argentina to death

JEFFREY SACHS

アルゼンチンの金融危機について、私は主要な責任がIMFのような国際機関ではなく、アルゼンチン自身にあると思っていた。しかし半年が過ぎて、責任の分担は見直す必要がある。少なくともIMFは何の助けにもなっていない。最大の問題は、正しい考えが示せないことだ。

IMFが主張し続けているのは、財政的な浪費を止めよ、ということだ。財政支出の削減を求め、危機が悪化すれば、さらに削減を求める。これは18世紀の医者が、熱のある患者に瀉血(血を抜く治療法)を行い、患者を弱らせて、ますます病気が悪化したのと似ている。大恐慌の過程で、IMFのアプローチ豊かな諸国から追放された。

1936年に、ジョン・メイナード・ケインズが不況の際に財政を均衡させることが無益であると示した。IMFはアルゼンチンに対してこれを無視している。財政赤字が増えるのは1999年以後の不況の結果であって、原因では無い。財政的な浪費はもちろん存在するが、それがマクロ経済の極端な危機をもたらしたのではない。不況は19992月にブラジルが通貨を切下げ、アルゼンチンも競争力を回復するには同様の切り下げが必要だ、と投資家たちが予想した。切り下げを恐れて投資はアルゼンチンから逃げ出し、金利は高騰し、預金は減少した。これが不況を深め、税収が減って、財政赤字を増やしたのだ。

アルゼンチンに対する正しいアプローチは、切下げに対する投機を終わらせることだ。私はペソをドルの変える「ドル化」を支持する。これによって生来の為替レート変化を恐れることは無くなる。しかし、そうではなく、政府は預金をこれ以上ドルに公刊させないように銀行を閉鎖した。

銀行閉鎖はアルゼンチンへの信頼を完全に損なった。ペソの価値は急落し、銀行閉鎖は続いている。経済は死んでいる。今なすべきことは、銀行システムと通貨への信頼を回復させることだ。それは経済をドル化することで達成できる。

国際社会が銀行システムに預金保険を提供するための資金を提供すれば、信頼回復に役立つ。アルゼンチンに展開する国際的な銀行は、政府と協力して、数日で銀行システムを復旧させるだろう。対外債務に対する支払いは1年間延期し、その後大幅に削減すべきだ。

銀行が再開されれば、通貨が機能し、債務返済の停止とIMF融資がアルゼンチンへの信頼を回復し、危機が克服できる。その後に、政府は極端な歳出削減ではなく、責任ある政府支出への転換を図れるのだ。IMFの政策は問題の徴候をなぞるだけで、その原因を捉えていない。

The Economist, April 20th 2002

(コメント)

The Economistの特集記事として期待しましたが、欧米の日本研究そのものが行き詰まっていると感じただけです。日本の停滞は、もはや合理的に説明できないものとして諦められ、無関心になっているのではないでしょうか?

「通りはきれいだし、麻薬の問題も少なく、泥棒もめったに聞かない。電車は時刻どおりに走るし、人々の身なりも立派だ。こんなに繁栄している国で、寿命は長く、税金はそんなに重くないし、失業もヨーロッパよりは少ない。この国の人は丁寧で、無駄遣いせず、好戦的でもない。それどころか、海外援助をふんだんに与え、海外投資を熱心に行い、気前の良い融資家でもある。そんな日本が天国ではなく、新聞が「危機」を伝えるのは、どうしてなのか?」

銀行の不良債権、競争力の無い企業、株価の低迷、失業増加、アメリカの景気後退で輸出も減った。The Economistの基本視点は、「デフレを止めよ!」です。これが本当に、10年余り前には、世界を征服すると恐れられた、あの国なのか・・・?

財政刺激策を繰り返した政府には、もう選択肢が余り無い。富士山のような国家債務。昨年13%も円安は進んだが、貿易相手国を激怒させただけで、効果は乏しかった。もっと金融を緩和する? 銀行を国有化する? 日本がこのままやり抜けることを祈る? もし世界第二の経済大国が危機に陥れば、その被害はおびただしい。

「なぜもっと早く是正策を採らなかったのか? 日本の経済復興を演出した政治システムは、新しい成熟した経済を導けないのか?」

The Economistの答えは、日本社会全体に広がる「政治システムが悪い」ということです。そこで、日本学者たちによって言い古された「鉄の三角形」を思い出し、人口減少と若者文化を付け加え、小泉ブームと地方政府による叛乱、石原慎太郎を並べます。自衛隊は海外に派兵し、中国脅威論も高まっている。けれどクリントンは日本を無視し、ブッシュは日本を友人として持ち上げ、テロとの戦争に協力を要請した。一体、誰が友人なのか?

日本の支配層は、もっと革新を重視した個人に道を開けねばならない。確かに政府も政治システムも変化しつつある。しかし、そのスピードは余りに遅い。日本の国債は国内で消化できるから、改革への圧力が弱いのだ。日本には麻薬問題も、ドイツやイタリアのような下層社会の脅威も無い。だから自民党への惰性はまだ続いている。


5日間にわたって、イスラエルのヘリコプターと戦車が容赦なく1平方キロの難民キャンプを制圧し、その中に居た160人のパレスチナ兵士を降伏させた。15歳から65歳までの男性はラウド・スピーカーで降伏するように命じられ、多数の者が従った。彼らは服を脱がされ、下着になって、手錠を掛けられ、頭巾をかぶせられ、殴られて、やっと近くの村でゴミのように捨てられた。民家に侵入する際、人間の盾として使われた者もいた。女性や子供はジェニンから立ち去るように命じられた。

一人の女性が、「私の夫はハマスの戦士だった」とジャーナリストの群れに向かって叫んだ。「私は彼が殉教したことを誇りに思う。お前たちはどこに居たのか? ユダヤ人たちがわれわれを殺している最中は?」と。一人ぼっちで、彼女は少し落ち着いた。そして壁のなくなった家から外を、かつて難民キャンプのメイン通りであった場所に積み重なる破壊物を眺めた。彼女の息子二人は行方不明だ。彼女の娘の眼は虚ろであった。「彼とは天国で再会できるでしょう。」と、彼女は言う。「でも、彼の結婚指輪を持って行ってやりたい。・・・この瓦礫の下にあるはずだから。」