20.マクロ経済学と経常収支

アブソープション・アプローチとは、貿易収支の不均衡を国民生産と総支出との差額として表すものである。この手法は、マクロ変数に影響を与えないような政策は不均衡解消に効果が無いことを示す。

最初は、小国開放経済を扱い、次に、賃金の硬直性と切下げの効果を扱う。最後に、関税などによる調整策を検討する。

ここでは物価と所得との関係が考察される。

20.1 切下げとアブソープション・アプローチ

弾力性アプローチは部分均衡である、という批判に応えるために、より一般的なモデルを示す。しかし、まだ資産市場や異時点間交換を省いているので、完全に一般化されたモデルではない。

基本等式

国民所得勘定の恒等式を変形して、国際収支を決める基本的な等式を示せる。

国民所得(Y)は、国内の最終需要と輸入額(M)との合計である。国内の総支出額(消費:C、投資:I、政府支出:G)をA(総支出)とすれば:

  Y=A+X−M

ただしXは外国からの最終需要であり、輸出額である。貿易収支(今はこれが経常収支でもある)は、X−M=B だから:

  B=Y−A

すなわち、経常収支は総所得(産出)と総支出との差である、ということを意味する。

この等式は二つの意味に理解できる。まず、事前の一致を均衡条件として理解できる。例えば、もし稼ぐ(所得=産出)より多くの支出をすれば、赤字にある、という風に。あるいは、会計上の事後の一致を、均衡のために可能な選択肢として理解することもできる。例えば、赤字を抑制するには、何を、どれだけ削ることが可能か? と。

ただし、この等式には因果関係を示すものは無い。赤字国ではY<Aが言えるだけで、何が原因で赤字が起きているかは分からない。

この式はまた、弾力性分析の欠陥を示している。弾力性分析は、切下げが所得の増加や支出の抑制をもたらすかどうかについて、何も言わない。

それゆえ、支出削減政策支出転換政策とを区別して、国際収支政策を二つに分けるのが適当である。

前者は、Yを変化させずに、Aを減らす政策である。後者は、Yを変化させず、Aの水準も変えないで、Aの中身を輸入財から自国財に転換させる政策である。

  dB=dY−dA

ただし、A=dAD+dAI、AD:所得の変化から直接に起きる支出変化、AI:間接的な支出変化、とする。限界支出性向を?とすると、AI=λdY、であるから:

  dB=(1−λ)dY−dAD

この等式の三つの要因、λ、dY、dAD、を分析する。

(1) 限界支出性向(λ)

限界支出性向は、限界的な所得変化に対する、消費、投資、政府支出の限界変化分の合計である。それは通常1より小さい。ただし、投資ブームなどで、1を超えることも可能である。

切下げが多国籍企業に一時的な投資の急増をもたらすかもしれない。なぜなら、生産が増加する中で、切下げが行われると、その効果が一時的であると思えば、多国籍企業は安くなったその国の生産資源を買い急ぐからである。

McKinnon(1980)による。これは、直接投資本位制、に近い。]

(2) 切下げと直接的な所得効果(dY)

切り下げが所得に及ぼす効果は主に三つある。@余剰資源効果:貿易財部門の拡大に利用されるから所得が増える。A交易条件効果:もし国内生産が一定であれば、切下げは国民所得を減らす。B実質資源効果:もし切下げ前の為替レートが過大評価であれば、それによる資源利用の歪みが解消されて、実質生産量が増える。

完全雇用を前提すれば、所得は増加しない。すなわち、dY=0、である。それゆえ、切下げは直接に支出を減らすか、何か支出を減らす政策を伴わねばならない。

(3) 切下げと直接的な総支出効果(dAD)

切下げは貿易財の自国通貨建価格を引き上げ、非貿易財の価格も上昇させる傾向がある。このことは、いくつかの経路で、総支出を減少させる。

貨幣錯覚:物価が上昇すると、たとえ収入が同じように増加しても、支出を減らす傾向がある。

所得分配:@もし賃金が上がらない場合、利潤に再分配される。資本化の貯蓄率が労働者のそれよりも高い場合、全体として支出が減る。A一次産品などは世界価格が一定であり、他方、専門的な工業製品は需要曲線の傾きがより険しい。それゆえ切下げによって前者の国内価格は(切下げと同じだけ)上昇するが、後者の価格はあまり上昇しない(価格が上昇すると需要が減る)。その結果、限界支出性向の低い一次産品部門に所得が再分配される。B名目所得に対する累進的な直接税があれば、切下げによる物価上昇は納税額を増やし、総支出を減らす。Cもし賃金が物価よりも早く上昇すれば、労働者は実質所得が増える。これは、例え地代・家賃のように法律や契約で規制された固定的な経費があれば、起こる。家主から労働者への所得再分配は、総支出を減らす。

実質残高効果:物価の上昇で、人々の保有する貨幣や資産の実質価値が減少する。人々がこれを一定に保とうとすれば、貯蓄を増やし、支出が減る。

金利効果:人々が債券を保有している場合、自国通貨建債券よりも外貨建債券を多く保有している場合、キャピタル・ゲインが発生する。それは総支出を増やすだろう。(しかし、外人の保有する自国通貨建債券はキャピタル・ロスを生じ、投資が減少する。全体として、資本移動が総支出にどう作用するか、は後述される。)

:(補足として)収支均衡していた小国が切下げたとする。輸出財も輸入財も切下げによって同じように上昇する。数量調整がまったく起きない場合、輸入額は増加し、追加の輸出額と一致する。もし最初に貿易収支が赤字であれば、輸入額の増加が輸出額の増加を上回るから、貿易収支は悪化する。

:(注)完全に世界市場価格を受け入れる小国では、切下げによる相対価格変化では調整が起きない。問題は支出を減らすか、支出を転換するために生産を変化させる(数量調整)か、である。

拡大か抑制か

切下げは国内所得を拡大する効果があると思われている。実際は、余剰資源(特に失業)があれば生産が増加し、所得と雇用は増えるが、もし完全雇用であれば物価が上昇する(インフレ)。

しかし、既述のさまざまな効果を考慮すれば、特に発展途上諸国では、切下げが国内所得を減らす効果のほうが大きいかもしれない。

:(注)その場合、途上国の赤字に対するIMF融資条件は、切下げだけで十分である。

アブソープション・アプローチの通貨的側面

赤字国が不均衡を続ける場合、外貨準備を失う(もしくは借入れが増える)。赤字が継続するのは、政府が赤字を融資できる限りである。

個人の実質残高を回復する過程と同じく、(国際的な条件の変化などで)赤字国も長期的に維持できる水準に赤字を抑制する必要が生じる。それは、必ずしも国内に過剰流動性があるからではないし、その国にとっての最適化でもない。

その国の居住者が望ましいストックの水準を変えたい場合、ストック(商品や資産)市場の不均衡が生じる。例えば、インフレが加速すると人々が信じると、彼らは貨幣保有を減らし、支出を増やす(もしくは商品に投資する)。その結果、経常収支の赤字が増加する。

:ただし、ストックの調整は一時的であり、調整が終われば、不均衡はそれ以上拡大しない。問題は、それを融資できるか(そして長期的に維持・均衡化する)、である。

:今まで問題にしているのは、フローの不均衡である。年々の所得が不均衡を拡大するから、基本政策を変更しなければならない。

ただし、ストックの調整も決して軽視してはならない。なぜなら通貨・経済危機は、通常、ストックの不均衡で生じるからだ。

1972年の変動制下のポンド危機1971年末には外貨準備も多く、経常収支は黒字だった。しかし、景気拡大が続き、港湾ストライキと、野党党首のポンド切下げ予想によって、市場におけるポンドへの信認が大きく損なわれた。そして、たった3日間で、外貨準備の3分の1を失った。これも一時的に人々がポンド建資産を減らそうとした結果であるが、ポンドは1年で20%減価し、国内支出を大きく減らした。

:減価は貿易収支の改善をもたらすが、逆のことも起きる。1973は経常収支が赤字であった。それは減価の効果が遅れていることに加えて、政府が支出抑制策を採らなかったからである。政府は、変動制を採っていれば、国内では自由に成長を実現できると考えた。国内の生産余力がなくなっても、政府は支出を刺激し続けた結果、大幅な赤字が生じ、それはインフレ(とポンド暴落)の加速と、それを抑制するための厳しい引き締め政策を必要とした。

:(注)B=Y−Aは、最初、Aの増加でBを増やし、Bを抑制する大幅な減価か、名目のYを増やすインフレ、どちらも回避するためにAを削減する緊縮財政、が必要となった。

その適用

総支出の変化を示す各弾力性を測定することは不可能に近い。この分析は、アブソープションの変化を予測する要因を分解し、調整の条件を示すことに意義がある。誰かが多く生産するか、誰かが消費を減らさなければならない。

:(注)その意味で、国際収支政策は再分配(所得の移転)・調整(資源の部門間移動)政策である。

20.2 小国開放経済モデルの非貿易財

国際収支の不均衡と調整過程における非貿易財部門の役割は本質的である。

小国開放経済モデル

貿易財と非貿易財の2財を生産する小国を考える。この2財の生産フロンティアと社会的無差別曲線が与えられれば、ある交易条件について、生産点と消費点が決まる。

:消費点が生産フロンティアの外にあるような交易条件が維持された場合、非貿易財の過剰供給と貿易財の過剰需要(もしくはその逆)が発生する。(このような交易条件が政府によって維持されたと仮定する)

:(注)貿易財への過剰供給は輸出、過剰需要は輸入。非貿易財への過剰供給は失業、過剰需要はインフレ、をもたらす。

:非貿易財の価格は低下し、貿易財の価格は上昇するはずだが、その価格が固定されている(世界価格と為替レートが固定)場合、調整のために可能な政策の選択肢は何か?

政策による調整

1.支出削減政策:デフレーション政策。貿易財の過剰需要を抑制するために、増税などを行って、国内の総支出を減らす。

所得水準に応じた両財への支出を示す曲線(エンゲル曲線)に沿って、貿易財の国内需給が一致する点まで国内支出を削減する。

:その場合、非貿易財はさらに大幅な供給過剰になり、大量の失業が発生する。

2.切下げ・支出転換政策:交易条件を変化させて、両財の均衡を回復する。

:この例では、不均衡の原因は交易条件(為替レート)が均衡する水準から乖離したことであったから、切下げだけで均衡を回復できる。支出削減は必要ない。

:(注)世界価格や為替レートが均衡水準から乖離することは常時起こる。

3.支出削減と支出転換の組み合わせ:貿易収支赤字の原因が過剰支出の場合、支出削減が必要である。しかし、非貿易財への過剰需要は(輸入ではなく)価格上昇(さらにインフレ)をもたらしている。それゆえ支出削減だけでなく、切り下げも必要になる。

:このモデルは、なぜ切下げが、交易条件を変えずに貿易収支を改善できるか、を示している。輸出財と輸入財との実質相対価格を変えることで貿易収支を改善するのではなく、切下げは貿易財の価格を引き上げて、非貿易財への支出を増やし、国内資源配分を変えるのである。

:弾力性分析で示された貿易収支改善効果よりも、非貿易財部門を介した調整過程の方が重要である、と最近では考えられている。

価格弾力性

もし非貿易財の価格が完全に弾力的であれば、不均衡は生じず、交易条件は常に内外均衡を達成できる。

:為替レートの代わりに非貿易財の価格が変化すればよい。

現実の世界では、物価下落はコンフィデンスを損ない、債務の実質価値を増やし、所得分配に影響する。価格は長期的に弾力的であっても、切下げの方が容易である。

:切下げの方が物価を長期的に高い水準にする。

:切り下げるべきかどうかは、市場価格の調整に委ねるか、インフレを覚悟して切下げを行うか、調整コストの選択による。前者はマネタリスト的であり、後者はケインズ的である。

20.3 切下げと賃金硬直性

賃金の決定は調整過程と調整コストに重要な影響を与える。

切下げと所得分配

貿易収支の改善には、同じ消費に対してより多く働く(産出を増やす)か、同じ産出をより少なく消費(その多くは賃金から)することで実現しなければならない。

:消費の大部分は賃金からなされているから、後者は実質賃金の低下を意味するだろう。

:非貿易財の過剰需要を削減すると考えた場合、非貿易財がもし相対的に労働集約的であるとしたら、非貿易財の価格低下と貿易財の価格上昇は、賃金の調整が遅れるから、その引き下げを意味するだろう。

賃金硬直性

政府が切下げで均衡化を図る場合、貿易財の価格が上昇し、非貿易財はそのままであるとすると、賃金が同じままであれば貿易財部門の利潤が増加する。それはまた、(コスト上昇で)非貿易財部門の利潤と賃金を減少させる。もし労働者が実質賃金の減少に抵抗し、それを維持すれば、利潤は両部門で減少する。

:切下げによって、貿易財と非貿易財の交易条件は変化し、賃金を維持した結果、利潤は両部門(特に非貿易財部門)で大きく減少する。

するとさらに、貨幣賃金の上昇は非貿易財の価格を上昇させるだろう。他方、貿易財部門の価格は(切下げで国内価格が上昇した後は)世界価格で固定されている。非貿易財部門の賃金も利潤も減らないとすれば、それは結局、非貿易財価格の上昇を意味し、切下げ前の交易条件に戻ってしまう。

賃金と利潤が硬直的な場合、切り下げの効果は急速に(切下げと同じ率のインフレによって)失われる。

貨幣供給

唯一の変化は、貨幣供給に現れる。もし支出総額が貨幣供給と関係し、物価上昇にもかかわらず、貨幣供給が一定に維持されるとしたら、切下げ後、総支出の実質額は減少する。(名目額は一定だから、非貿易財部門の価格上昇によるインフレは、デフレすなわち実質支出額の抑制を意味する。)

:切下げが、貨幣供給の安定化(拡大阻止)という条件で、貿易収支の改善に成功する。

期待とインフレ

切下げがもたらしたインフレを経験した人々は、まだインフレが続くと予想して、貨幣賃金の引き上げやインフレ加速、価格の混乱による実質的な障害が起きる可能性がある。

:現実には切下げを政府が採用しない理由となっている。

貨幣賃金の硬直性

貨幣賃金が硬直的でも、物価水準によって実質賃金は調整される。

:それゆえ、実質賃金が硬直的な場合、デフレによって大幅な失業を招くよりも、切下げによって貿易財の超過需要を削減したほうが良い、という既述の政策選択論に戻る。

賃金硬直性のコスト

実質賃金が硬直的なためにデフレ調整がもたらす社会的コストは、それが弾力的な場合に達成される均衡点(交易条件を変えずに、相対価格と賃金の調整を行った点)とデフレ調整による貿易財の需給均衡点(しかし非貿易財の過剰供給もしくは失業)の差、として示せる。硬直性が続く原因は何か?

@     部門間の賃金調整を協調して行えない場合、誰も犠牲を受け入れない。

A     少数の分離された集団に失業が集中し、社会全体の賃金調整を要求する政治的パワーが無い。

B     住宅市場や雇用機会が制限されており、労働力が移動できない。

C     雇用者の側が労使間の紛争を回避し、既存労働者に追加投資することで賃金調整を行わない。

D     個々の労働者や資本家にとって不合理であっても、これを調整する社会的・政治的な手段を政府が採用する意志を持たない。

推定

厳密な測定は難しい。賃金の弾力性を示す例と貿易収支の不均衡抑制とは関連性がある。

:賃金は物価上昇時と、労働需要が強い時期には引き上げられるが、実質賃金の低下には反応しにくい。

20.4 物価と切下げ

切下げ後の国内価格の動向が、貿易収支を改善できるかどうかにとって、重要である。

物的コスト

切下げによる輸入投入物資(imported material inputs for British industry)の価格上昇が重要である程度は、部門によって異なる。

一物一価法則(LOOP)

貿易財の国内価格が世界価格と為替レートに依存する、という理論とその証拠は非常に強い。問題は、他の要因が働く場合である。

不完全競争の理論化が行われた。しかし、少なくとも中期において、為替レートの変化は価格に影響し、政策手段として有効である。

LOOPが不成立の原因と結果

商品の同質性は保証されず、市場は孤立し、十分多くの供給者がおらず、製品は差別化されている。売り手は価格をかなり恣意的に変える。しかし、たとえLOOPが成立しなくても、これまでの考察はほとんど維持できる。

ただし、何%の切下げで価格が何%上昇し、貿易収支が改善するかどうか、といった予測はできなくなる。

20.5 貿易政策と国際収支

切下げで支出転換が促せない場合、他の政策で、例えば関税でこれを行うのは正しいか? もしx%の切下げを行う代わりに、x%の輸入税と輸出補助金を同時に導入すれば、同様の効果が期待できる。

:ケインズや、Cambridge Economic Policy Groupは、切下げができない・効果が無い場合に、関税を支持した。

:(注)アルゼンチンでも、カレンシー・ボードを維持しつつ競争力を回復するために、カヴァロ経済大臣は関税と輸出部門への減税を導入した。

@     輸入割当やその他の非関税障壁は、効果は同じでも、財政的な意味が異なる。

A     輸入への金融的な抑制措置、例えば、輸入業者に対して、6ヶ月分の輸入額に相当する預託金を中央銀行に置くよう強制する場合は、関税によるコストと無利子の預託金によるコストとを比較できる。

B     二重為替レートは、特定の財の貿易に異なった為替レートを適用する。目に見える貿易に対して固定レートを、その他の取引には変動レートを適用することが多い。

他の政策に比べて、明らかに、切下げは最も効果的な支出転換政策である。なぜなら追加的な取引コスト市場の歪みが発生しないからである。