『第三文明』1998年9月号用原稿


『ナチ〈ガス室〉の否定と歴史修正主義の虚妄』

同志社大学教授 渡辺武達


 

  文藝春秋発行の『マルコポーロ』誌が西岡昌紀氏による「戦後世界史最大のタブー。ナチ”ガス室”はなかった」と題した、「プロパガンダ」を掲載したのは一九九四年二月号。世界史の常識に挑戦するものにしては論証が「がさつ」であったから各所で一斉の非難が起きた。はじめは版元側も、後に朝日新聞社の女性誌『UNO!』の編集長となった花田紀凱氏(編集長ーー当時)に「言論の自由であり、反対者には反論の場を提供する用意がある」といわせ、開き直った。しかしサイモン・ビーゼンタール・センター(ユダヤ系)などの世界的人権擁護団体も批判戦列にくわわり形成不利とみるや、その記事が提起した、第一、ナチ「ガス室」の存在否定の正誤、第二、言論の自由観の歴史的生成とその意味という、現代世界のまともな認識にとって肝心な問題を二つとも棚上げしたまま雑誌じたいを廃刊にしてしまった。
 文藝春秋はもともと、@販売政策としてもうかるA結果として記事が市民層を揶揄し、権力層の好む方向での世論形成になる、という条件のいずれかをクリアーしさえすればなんでもしてきた会社だから、この廃刊についても外向けにはユダヤ資本のからむ広告主が圧力をかけたから・・・などと、俗耳に入りやすい説明が流れるままにまかせ、「自分たちは弱者、被害者だ」というカマトトぶりを演じた。広告主・・・については、私もまたそれが廃刊の理由の一つだと思う。が、この文藝春秋は、とりわけその雑誌記事を分析すれば分かるように、新潮社とおなじく公安権力との関係が深く、オーディエンス(読者・視聴者)を誤導する情報提供をしばしばしてきたところであることを私たちは忘れてはならないだろう。
 事実、この会社のやり方は手が込んでいて、「広告減少による経済被害論」だけでは満足しない「謀略史観」好みには別の回答を用意する。たとえば、同社取締役編集総局長の岡崎満義氏は、一九九六年六月一○日の情報化メディア懇談会での講演で、@記事は正しかった、としたうえで、Aユダヤ人団体を「テロ組織」と示唆しこういっている。
 「『マルコポーロ』誌の廃刊の理由は記事内容が間違っていたとか、広告量が減ったことなどによるものではなく、ある筋からいまのままでは日本の海外駐在員がテロにあう危険性があるという情報が入ったためである」(『Iーメディア』一五二号、参照)
思わせぶりに語られる「ある筋」とはどこなのか。これは文藝春秋という出版社が外向き用と内向き用では正反対の「舌」を平気で使い、同時にたえず自己弁護をはかっている、げに恐ろしいところであることをよく表している。 本稿では、最近、ドイツだけではなく日本でも台頭してきた、「歴史修正主義」(「歴史見直し論」、日本では「自由主義史観」とも呼称)者たちの「ナチによるホロコースト(大虐殺)・ジェノサイド(人種抹殺)・ガス室(チクロンB)虐殺の全面否定」論を例に、そうした議論の虚妄性と危険な時代背景についてメディアの社会的使命とメディア・リテラシーの向上という立場から考える。

メディアにおける「言論の自由」と社会的事実


 言論の自由とはアメリカ憲法(一七九一年制定)がその修正第一条でもっとも早く文章化した概念で、起草者のひとり、トーマス・ジェファーソンは「新聞のない政府と政府のない新聞のどちらを選ぶかと問われたらちゅうちょなく後者を選ぶ」といった。それは、メディアが社会の最大権力である「政府」を市民主権の立場からきたんなく批判する自由のことで、現代日本の多くのメディアがやっているような、そしてそれらのメディアが外部からの批判にたいする弁解の常套句として使うようなものでは断じてない。それはまた、人権侵害や不正確情報の提供を恥とする論理と倫理のことでもある。だから松本サリン事件で警察情報のみに依拠して犯人をでっちあげたり、『週刊新潮』のように悪意で河野義行さんの家系図を掲載したり、殺人被害者である某電力OLのプライバシーをあばいたり、『フォーカス』が神戸事件少年容疑者の顔写真を掲載したりするのは言論(表現)の自由とは関係のない商業主義、オーディエンスの劣情に便乗した愚民政策への協力以外のなにものでもない。
この考え方は社会的強者・権力者についての批判にも適用され、市民がまともな社会的判断をするための基礎資料を提供するというメディアの本来的使命から、その内容が「社会的真実・事実」であることが大前提となってくる。大事なのは、民衆がよりよい社会の建設に参加するための道筋を照らすことで、それが、メディアが市民の知る権利に奉仕するためのアカウンタビリティ(社会的存在証明)ということなのである。
 ナチスによるユダヤ人(など非アーリア人や、政治犯・精神障害者・同性愛者・エホバの証人等ーー以下おなじ)への大量虐殺としてのホロコースト・ジェノサイド・ガス室殺害があったかどうかという、「歴史的事件」についていえば、私たちが「人類史をどう見るか」ということに決定的な関わりがあるがゆえに「やらせ」としての「誤導情報」は絶対にゆるされない。
 このことは、放送や新聞といったメディアにおいてだけではなく、すべての情報についていえるのだが、事実には、第一、議論の余地のない「そのことを認めることによってまともな科学や社会観が成立するもの」(たとえば「1プラス1は2」という算数の約束ごとや、「日本の現在の首都は東京である」、「広島と長崎には原爆が投下された」といった情報)と、第二、解釈によって多様な議論が成立し得るもの(たとえば、憲法九条と日本の自衛隊の関係や小選挙区制度の是非、など)がある。後述するように、ナチスによるユダヤ人のガス室大量殺害はたしかな資料と証言、膨大で緻密な研究(たとえば、ラウル・ヒルバーグ著、望田幸男・原田一美・井上茂子訳『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』柏書房、一九九八年)によって認められる第一の事実だから、それを詭弁を弄して否定することは言論の自由とは縁もゆかりもないことなのである。

 ☆ヒルバーグの著書は初版が一九六一年で、日本語版は特別に改訂された最新版。「誰もが最高峰と認める研究だが、ホロコーストにおける、自分の命惜しさのためのユダヤ人側からの「協力」〈ユダヤ人評議会指導者層の道徳観の欠如〉にもふれているため、政治的観点からはイスラエル側による高い評価を受けてこなかった。ここには歴史の真実を見つめる強い信念がある」〈訳者解説〉。とくにその第九章「絶滅収容所」、付録のB「ユダヤ人の死亡統計書」がナチスによるホロコーストおよびガス室殺害証明の決定版である。にもかかわらず、そうした歴史的事実の否定論がなぜしばしばまかりとおるのか。以下、その背景構造を含めて明らかにする。

ユダヤ人虐殺の動機


 大虐殺の動機については、第一、ヒトラーのいびつなアーリア(ドイツ)人種優越観とユダヤ民族劣等視の政策化、第二、対英仏米、そしてソ連戦況の不利な展開の結果として、圧迫したユダヤ人による反撃をおそれてとった抹殺の実行、の二つの重なりがある。
 第一については、ヒトラーの書いた『わが闘争』(巻一は一九二五年刊)にはアーリアとユダヤ人とを対比、後者を「寄生虫」だときめつけた記述がある。「ユダヤ人は・・・常に他民族の体内に住む寄生虫にすぎない・・・かれらは、時々悪用した母体民族によって追い出しを受けた。だが、かれらの自己繁殖は、すべての寄生虫に典型的な現象であり、彼らは常に自己の人種のために新しい母体を探している。」(角川文庫版より)
こうしたユダヤ人観をもつヒトラーがワイマール共和国大統領ヒンデンブルグによって首相に任命された一九三三年とヒトラーじしんの自殺(一九四五年)のあいだに起こったことがヒトラー体制による、ユダヤ人を中心とした人びとのホロコーストであり、ジェノサイドであった。その事実があったから、ドイツのヴァイツゼッカー大統領が敗戦四十周年に際しての国会演説で「強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人、ソ連・ポーランドの無数の死者、レジスタンスの犠牲者、銃殺された人質・・・」(一九八五年)と、自民族の間違いを真摯に反省し、世界に恒久平和を訴えたのである。
 まただからこそ、旧ソ連の在リトアニアの日本領事館に赴任していた杉原千畝氏(領事代理)が、ソ連当局からの立ち退き要求と日本国松岡洋右外務大臣からの再三にわたる拒否回答(昭和一五年八月十四日発電報二一号、同八月十六日発電報二二号など、参照)という困難にもかかわらず、一九四○年八月から九月にかけて、独ソ不可侵条約の裏の「ポーランド分割秘密協定」の結果として侵入してきたドイツ軍の暴虐に追われ生命の危険にさらされた計六千人ものユダヤ人に、人道的立場から本省の意向に背いてまで日本の通過ビザをだし助けざるを得なかったわけである(同氏夫人・幸子氏著『六千人の命のビザ』朝日ソノラマ、一九九○年、など、参照)。何もないのにだれが好きこのんで住みなれた場所を捨て、シベリヤ・日本経由で太平洋を渡り、移住しようとするのか。事実、この杉原氏からビザの発給を受けられずリトアニア(後、ソ連地区に併呑)に残らざるを得なかったユダヤ人の多くは殺害されているから、この地区でも「虐殺」はあった。
ところが、戦争中のそうした日本政府の外国人への冷酷さがあるにもかかわらず、この四月二十九日、NHK教育テレビは『視点・論点』で上智大学教授の渡部昇一氏を起用し、「戦争中の日本政府は英米と違ってユダヤ人への暖かい配慮をしていた」「日本政府は人種差別政策をとっていなかった」「外交官・杉原氏は外務省の方針により多くのユダヤ人に通過ビザを出した」というインチキ番組を制作、放映した。朝鮮・中国などでの植民地政策の実相、それに当の杉原氏が戦後、外務省の命令に背いたかどで辞職に追い込まれた事実を知れば、渡部氏主張の間違いは明らか(先述の第一の事実)。私がNHKにそのことを指摘し、訂正を申し入れると、開設委員室の堀口悟士氏(番組担当者)が「上司と相談のうえ」、あの番組はNHKの取材によるものではないから、論者の主体性が尊重されるという、支離滅裂な文書回答をしてきた。改訂された放送法では、人権侵害やニセ情報等に関連し、その第四条の二で、「放送事業者がその放送について真実でない事項を発見したとき」は「判明した日から二日以内にその放送をした放送設備と同等の放送設備により、相当の方法で、訂正又は取り消しの放送をしなければならない」としているにもかかわらず、である。東條英機氏を英雄視した最近の映画『プライド 運命の瞬間』でも南京大虐殺が「伝聞証拠しかない」として否定されたが。その虚構論者のひとりが渡部昇一氏。この映画の製作委員会委員長・加瀬英明氏とはコンビで、「多くの日本の青年がアジアの解放という夢のために生命と捧げた」などと戦争を美化し、歴史の事実の上に立った平和論を「自虐史観」として蔑んできた。こうした歴史修正主義者たちの策謀とその支持者には劇場用映画をつくり、NHK番組さえ巻き込むという、広大な拡がりと根深い背景があるわけだ。
 さて、ユダヤ人(などの非アーリア人)への絶滅策は「人類史の愚行」であり、その極点としての「ガス室」虐殺はニュルンベルグ反ユダヤ法(一九三五年)制定をてはじめに、ドイツ第三帝国のヒトラー政権が国家政策の一環としておこなったものである。ドイツ本国でさえ、ザクセンハウゼン、ノイエンガンメ、ラーフェンスブリュック、シュトウットホーフ、マウトハウゼン(オストマルク)の各収容所にはガス室が建設され、殺人目的に使用されていた。大規模な絶滅施設としてのガス室がアウシュヴィッツ・ビルケナウなどに建設されたことは「収容所建設本部の文書資料〈帝国保安本部宛報告書、建設計画書、設計・施行企業の送り状、図面、作業日誌、請求書等〉」に明らかである。それらの収容所で実際にガス室殺害作業にたずさわったひとの証言は『ショアー』のみならず、いくらでもある。さらには、ガス室の設計図、その施行予算書、その建設に携わった人たちの作業日誌も見つけられている。(バスティアン、末尾に記載。以下おなじ)。もちろん、「アウシュヴィッツにガス室はなかった」などという、歴史修正主義者たちの詭弁・ゴマカシの構造についてもバスティアンらは事実をもって論破している。

ナチ「ガス」虐殺の実相


 ナチスによるガス室殺人には大別して二種類ある。第一は、トラックの荷台を密閉状の箱形にして、そこへ排ガスを引き込み、中毒死させるもので、この方法はドイツ占領下のソ連地域ではじまった。第二は、青酸性の毒ガス(シアン化水 素酸)「チクロンB」による、いわゆる「ガス室」殺害である。
最初のころのユダヤ人の虐殺は主として銃による射殺であり、その「非能率」「非効率」(ナチの将兵にもおびただしい血をみてノイローゼになるものもあった)によって「排ガス虐殺法」が採用された。この方法では血も流れず、弾薬もいらず、一カ所にあつめれば同時に多数を殺害でき、かつ殺害場所がそのまま死体運搬機になるという残酷な「利便性」があった。アウシュビッツ絶滅収容所でも、本来は不衛生な収容所内での発疹チフス予防用の殺虫剤として開発された「チクロンB」が一九四一年九月三日に第十一ブロックで殺人用に転用されるまでは排ガス法が多かった。
 そして、この毒ガス殺害と死体焼却を機械化したやり方はつぎのようなものであった。「なんの罪もない大勢の人々はぎゅうぎゅう詰めにされ、折り重なるようになっていた・・・扉が閉ざされてから一○分後、室温もシアン化水素酸が気化するのに適当な温度まで上昇した・・・ドイツ式残虐行為に用いられたのは、「チクロンB」、すなわち、二○パーセントの割合で珪藻土に染み込ませたシアン化水素酸だった」(リュビー)
アウシュビッツ収容所長を務めたルドルフ・ヘスの『告白遺録』には、「チクロンB」虐殺の犠牲者についての詳しい数字がある。またこの他にも、「計画的に捕虜の手足を切断して、このような傷の治療に効く薬の研究のために、イペリットガスで傷を汚染したりした(ボグシュ)。つまり、ナチは「イペリットガス」による「医学的実験」まで行っていたわけである。
これら「チクロンB」毒ガス虐殺の指揮命令および処理は「ベルリンの安楽死作業部(T4)の扇動と指揮で行われた」。また「チクロンB」の生産量については「毒ガス製造業のデッソーのテッシュ・ストウベナウ会社(the Tesch and Stubenow Company of Dessau)の業務記録によると、この会社は一万九千キログラムのチクロンBをアウシュビッツ強制収容所に提供した」とポーランド医学会は報告している(ボグシュ)。「非アーリア人一般が害虫として処理された」のである。そしてこの「チクロンB」による「虐殺」作業はつぎのようであった。
 「SS医師たちは・・・それを、ガス室の ドアに空けた、ガスの漏れない先端の穴から観察した。犠牲者が全部死んだと医師が合図をした後だけにドアを開けた。収容所のSS医師全部がこの作業に加わった。ガス室に使った毒ガス(チクロンB)は、S  DG(ナチ親衛隊諜報機関)の衛生兵が助手になってSS医師が、赤十字マークを付  けた救急車で収容所に配達し・・・SS分隊長エルンスト・ローベルト・ファン・グ  ラヴィッツ医師が、各収容所に割り当てた」(ボグシュ)

  歴史修正主義者の虚妄


虚妄論を大きくくると、@アウシュヴィッツにガス室はなかった、Aホロコーストは嘘だった、B六○○万人のユダヤ人ジェノサイド説は情報操作だった、などとなる。
 これらの三点ともすでに完全否定されている。私、渡辺武達もまた@とAの間違いは明らかだと考える。Bについてはユダヤ人「ホロコースト」「ジェノサイド」作戦はあったが、ユダヤ人の犠牲者数は「六○○万人」であったかもしれないが、それがいうところの「ガス室による被虐殺数」かといえば、誇張の可能性大であり、議論の余地は十分にあるという立場をとる。
 その理由は、第一、ヒトラー体制は会議録や用語法に最新の注意をはらい、ホロコーストについて文書による直接記述を残していない。第二、敗戦直前の日本の大本営や七三一部隊などがやったように、ナチスもまた自分たちの悪行の証拠資料を燃やし、ガス室や死体焼却炉などを破壊したから、物証が十分ではない。第三、日本とちがって諸外国では戸籍記録が厳密でないうえに、ユダヤ人など流浪の民の在住名簿記録はさらにあいまいで、犠牲者数を正確におさえられない。そのことは関東大震災のときの朝鮮人にたいする日本人による数千人にのぼる被虐殺人数の確定のむずかしさからもわかることだ。第四、最近、アウシュビッツの非虐殺数が一五○万と少なくされたように(一九九四年)、被害者側にはえてして被害を過大に語る心理がはたらく。第五、被害を受けた側はその被害を政治利用しようと最大の算出値を使おうとする、また被害者のなかにも、ヒルバーグが明らかにしたように自らの生命可愛さに加害者に協力するものがおり、戦後、そうした負の事実を隠そうとする力学がはたらいた。第六、ドイツ占領地域に侵入したソ連が関連資料を持ち去り、戦後はアウシュビッツのあるポーランドなどを自分の衛星国家とし、ナチスの悪行を政治宣伝に使い、一部事実をゆがめたこと、などのためである。
ソ連崩壊後に返還された資料を使った新しい研究(リュビー、一九九五年)では収容所に抑留されたものが五四六万人、そのうち死者総数を四三四万人(死亡率七九・四五パーセント)とする。@非虐殺数をその他の民族も入れ、総計一千万人以上とする推計もある。が、A収容所で、しかも「チクロンB・毒ガスで殺害されたもの」は実数としてはそれよりかなり少ない。おそらくは「一○○万人以上のユダヤ人」という控えめの数字が説得性をもつであろう。もちろん、四○○万も一○○万もともに「大量虐殺」であり、ホロコーストやジェノサイドを否定できるものではさらさらない。
なぜかといえば、イスラエル政府も、対パレスチナ問題でイスラエル側に立つ米英もともに、国家としてのイスラエルの国際的認知のためにナチによる加害を過大に宣伝することによる政治的効果をもとめたこと、さらには、戦後の社会主義諸国のリーダーであったソ連には「ナチを悪者にすることによる宣伝メリット」があり、事実、それを過大におこなったからである。そのことが今、歴史修正主義者たちから「資料捏造」批判を受ける原因にもなっている。ただしこの種の誇大宣伝や捏造は過去および現在のパレスチナ関係者のPR・プロパガンダ活動においてもみられることだし、カンボジア問題にも通じている。かつて私はポル・ポト政権による非虐殺者数の推計をしたことがあるが、餓死・病死などをのぞけば、実数は数十万であったろう。それをベトナム側に立った新聞記者(元朝日新聞編集委員の井川一久氏など)が「カンボジア平原は虐殺された人びとの骨でいっぱいである」(人類六○億人の死体を並べてもカンボジア平原は骨でうずまらない)などと誇張していた。プロパガンダはなにもイスラエル陣営だけのことではなく、すべての政治・経済権力に共通することなのである。
ナチ「ガス室」や南京大虐殺否定の虚妄においてもそうだが、しばしば「社会情報」ということばが「非自然科学的情報一般」という意味で、脱イデオロギー的、ポストモダン的に解釈され、使用されている。問題は、そう主張する人たち(の一部)が、結果として政治・経済の権力に迎合していき、そう理解してみせることによってその矛盾多き立場を合理化し、歴史修正主義や自由主義史観の予備軍となっていることである。だが、その誤りは「科学・学問の没価値性」の否定によってすでに証明済みである。私が「社会情報」というときの意味は、もちろん、「市民主権社会建設に役立つ情報〓公的情報」ということである。
 くわえて、どんな強固な資料にもとずいた議論にたいしても、「ガス室」否定論者たちがかならず言及する「ロイヒター報告」のように、四四年後の、しかも相手にだまってけずりとったガス室の壁の一部に「チクロンB」の残留物がないからといった論理学上の反論は可能だ。ただし、〈詭弁〉としてであるが・・・それにも困れば最後は、「あなたが見たものは幻想であった」とか、「あなたは資料を読み間違っている」といえばいいのだから・・・。だがその種の詭弁は広島の被爆者にたいし「あなたは爆発の瞬間、目をつぶったに違いないから、実際には見ていない」と主張するようなもの。「爆発の瞬間」が問題ではなく、アメリカが原爆をつくり、テニヤン基地からそれを積んだB二九「エノラゲイ」が出発し、どういう乗員によって広島に投下されたかが判明し、その直後に十万人以上が生命を失う事実が発生すれば、爆発の瞬間など見ていなくとも「アメリカの製造した原爆が広島に落とされた」といってよいのである。
大切なことは、社会的強者や権力者たちが「ナチガス室否定」論だけではなく、先にみたNHKの『視点・論点』、映画『プライド』といったように、背後では連携してゆっくりと市民生活を犠牲にするための「情報操作」をおこない、そのパワー力学による利権の維持をはかっていることを見抜くこと。そのためにこそ、私たちは巨大メディアの提供する情報を批判的に読み解き、民衆間の水平交信を活発化しながら日本の情報政策決定に参画していく能力としてのメディア・リテラシーの不断の向上をこころがけなければならない。それが市民主権の恒久平和論の基礎であるのだから・・・。

☆本稿を書くにあたって、英語の文献やビデオならびに本文でふれたもののほかに、以下の日本語文献等を参考・引用した(本文中での引用は著者名のみ)。ルドルフ・ヘス著、片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所ーー私は人間の尊厳を傷つけた・・・所長ルドルフ・ヘスの告白懺悔録』サイマル出版会、一九七二年。ユゼフ・ボグシュ編、金田光雄訳『医学評論・アウシュビッツ』日本医事新報社、一九八二年。クロード・ランズマン著、高橋武智訳『ショアー』作品社、一九九五年。ティル・バスティアン著、石田勇治・星乃治彦・芝野由和訳『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』白水社、一九九五年。マルセル・リビュー著、菅野賢治郎訳『ナチ強制・絶滅収容所ーー一八施設内の生と死』筑摩書房、一九九八年


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