1.はじめに
クレオールに関心がある人なら、セイシェルという名前に聞き覚えがあるかもしれない。セイシェル人のほとんどはクレオールを母語とする人達である。いったい、セイシェルでの言語生活はどんなものなのだろうか。そこで今回、名古屋大学大学院国際開発研究科に在学中のセイシェル人Jean-Claude
Ahwengさんに、そのあたりのことをたずねてみた。Jeanさんは1965年、マヘ島にある首都ビクトリアで生まれた。1984年に高校を卒業した後、北京言語学院へ留学し、翌1985年から1989年まで中国人民大学で経済学を学ぶ。その後1990年から1993年までセイシェルで外務省に勤務し、1993年から1994年までは香港のセイシェル領事館にも勤務している。1994年に来日、国際大学(新潟県)
の修士課程に入学。1997年4月からは名古屋大学大学院国際開発研究科国際開発専攻の博士課程に在学中である。
Jeanさんの話の前に、セイシェルについての一般的情報を百科事典で確認しておこう。
正式名称はセーシェル共和国Republic of Seychelles。インド洋西部,マダガスカル島北東方にある島国。セーシェル諸島に含まれるマーエ[マヘ]島,プラスリン[プララン]島,ラディーグ島など約40の花崗岩の島と,アミラント諸島,アルフォンズ島など約50のサンゴ島から成り,南緯4°〜10°付近に散在。うち3分の1は無人島。首都は主島の
マーエ[マヘ]島にあるビクトリア。最高点は同島のモルヌセーシェロ山(905m)。10〜11月および3〜5月は高温多湿。12月〜2月に北西季節風が吹く。年平均気温25〜29°C。年降水量2300mm。9世紀にはアラブ人に知られていたが,16世紀にポルトガル人が到来,当時はいずれも無人島であった。1756年フランス領となり,流刑者を含むフランス人,アフリカ人奴隷,東南アジアの商人などが入植。その後78年に始ったフランス,イギリス間の戦争を経て,1815年パリ条約により正式にイギリス領となり,1976年独立。経済の中心はかつてはコプラ,シナモン,バニラ,グアノなどの輸出であったが,近年は観光に重点がおかれ,生産は減少。無人島であったため固有の文化は少い。住民はフランス人,イギリス人,アラブ人,アフリカ人,中国人,インド人などの混血が多く,約80%がマーエ[マヘ]島に集中。大部分がカトリック教徒。公用語は英語とフランス語であるが,クレオール語が広く用いられる(1)。面積453km2。人口7万1000(1992推計)。
─ブリタニカ百科事典小項目版より
*上の引用中の括弧は筆者による。セイシェルでは括弧内のように呼ばれているとのことである。
この百科事典の記述は1976年の独立以降に起こった一連の出来事について触れていないので、Jeanさんから受けた説明をもとに、簡単に補足しておく。
1976年の独立をにらんだ最初の選挙で大統領に選ばれたのは民主党(Democratic
party)の党首James R. Manchamだった。もう一つの有力政党である社会主義政党セイシェル人民進歩党(Seychelles
People's Progressive Front)も、大統領選挙に敗れはしたものの、民主党と進歩党の連立内閣に数人の閣僚を送り込んだ。その中には進歩党の党首Albert
Reneもいた。翌年の1977年6月5日、Mancham大統領が国外にいるときを狙って、クーデターが起こる。進歩党党首Albert
Reneに率いられた、訓練された数十名の武装グループが警察や放送局を次々と襲った。当時のセイシェルには軍隊はなく、あったのはイギリス式の警察組織だけであったため、抵抗らしい抵抗もなく、クーデターは成功する。このクーデターはロシア、キューバ、タンザニアの援助を得て実行されたと言われ、事実、クーデター直後からタンザニアの軍隊がセイシェルに駐留し始める。クーデター当時イギリスに滞在していたMancham大統領は、自らの正当性を訴え、国際的な援助を求めたが、それを得ることはできなかった。80年代の終わりからの東欧諸国の体制崩壊や西側諸国の圧力、国内の民主主義を求める動きの高まりなどから複数政党制を保障する新憲法が90年から施行される。政権を握っているのは現在も進歩党である。
2.Jeanさんへのインタビュー
セイシェルの「国家語」
塚原 セイシェルは複数言語国家であるわけですが、公用語とか国語に関する規程というのはあるのですか。
Jean すくなくとも1990年までは、英語・フランス語・クレオール語の3つの言語が国語として同等の地位を与えられていました。「すくなくとも1990年まで」と言ったのは、1990年に憲法が変わったので、その新しい憲法ではどうなっているか私は知らないからです(2)。
塚原 すると、公文書などもすべて3つの言語で書かれているのですか。
Jean いいえ、そういうわけではありません。公文書はほとんど英語で書かれています。一部フランス語も使われてはいますが、クレオール語が使われることはありません。オフィシャルと見なされる領域ではもっぱら英語が使われ、それ以外の領域ではクレオール語が使われます。こうした使い分けは職場などでも同じです。たとえば、私は
職場では上司と英語で話していました。もちろん、お互いにクレオール語で意思を通じ合うこともできましたが、そうはしなかった。そして、仕事がおわって一緒に飲みに行くとなると、お互いにクレオール語で話すのです。これは、まぁ、習慣みたいなものです。
法廷・議会・マスメディア
塚原 「オフィシャルと見なされる領域」と言ってもいろいろありますが、たとえば法廷では英語しか使われないのでしょうか。そうすると英語ができない、あるいはあまり得意でない場合、不利な状況におかれることがありうると思うのですが。
Jean 法廷では弁護士と裁判官は英語を使います。ですから審理全体は英語によってすすめられることになりま
す。一方、被告人あるいは被疑者は自分が使う言葉を選ぶ権利があります。英語以外の言語、例えばクレオール語を選んだ場合は通訳がつくことになります。
塚原 なるほど、そういう配慮はされているわけですね。ところで、別のオフィシャルな領域である議会での状況はどのようになっていますか。
Jean 議会内では英語が使われています。しかし時々クレオール語も使われます。それはどういう時かというと、テレビでの議会中継があるときです。セイシェルではだいたい月に1回ぐらい、テレビによる議会中継があります。政治家はこれを自分をアピールする機会ととらえ、視聴者である有権者に親近感をあたえるためにクレオール語を使うのです。このように、政治家が国民に話しかけるときは、まずクレオール語が使われます。
塚原 テレビの話がでましたが、マスメディアでもやはり英語がいちばん多く使われているのですか。
Jean そういうわけでもありません。マスメディアでの基本は3言語併用です。例えばテレビのニュースでは、ほぼ同じ内容のニュースを時間を変えて英語・フランス語・クレオール語で放送します。このやり方はラジオでも同じです。新聞の場合は、一つの新聞のなかに、英語の記事、フランス語の記事、クレオール語の記事があります。ある
記事は英語で書かれ、別の記事はフランス語で、あるコラムはクレオール語でといった具合です(3)。
塚原 映画はどうですか。
Jean 映画はすべて輸入されていることもあって、英語かフランス語のどちらかです。英語やフランス語の作品をクレオール語に翻訳するといったことはありません。演劇の場合は、3つの言語それぞれによる作品が上演されますが、英語の作品をクレオール語に翻訳して演じるということはないと思います。
塚原 そうした事情は出版に関しても同じなのでしょうか。
Jean 出版の場合の事情は少々違います。英語による出版物が多数を占めるという点はおなじですが…。1977年以前にはクレオール語による出版物はありませんでした。1977年以降、つまり人民党が政権を奪取して以降クレオール語による出版が少しずつ行われるようになりました。クレオール語出版物が対象としている読者は2種類です。ま
ず子供達、そして十分な教育の機会を持てなかった大人達、とくに高齢者です。高齢者にむけたクレオール語による出版は政府の計画にしたがって行われています。これは十分な教育の機会を持てなかったある特定の世代に対する識字教育の一環なのです。
軍隊・教育・家庭
塚原 セイシェルには軍隊がありますか。
Jean あります。人民党の党首Albert Reneが政権奪取後に創設しました。クーデターがおこった当時は軍隊はなかったのですが。
塚原 軍隊もオフィシャルな領域だと思うのですが、いったい何語が話されているのですか。
Jean クレオール語です。これはおそらく次のような理由からだと思います。入隊する若者は10年間の義務教育だけを終えています。それ以上の高等教育は受けていません。ですから英語の運用能力を高める機会はないのです。そういうわけでより確実なクレオール語が使われているのでしょう。
塚原 教育の話がでましたが、教育機関での言語使用の状況について教えてください。
Jean やはり人民党の政権奪取後、クレオール語が一つの科目として学校教育に導入されました。しかしクレオール語で教育すべてを行うことにしたわけではありません。数学や地理といった科目は英語で授業が行われました。こうした状況は現在も同じだと思います。現在議論となっているのは、初等教育の最初の段階でまずクレオール語を教
えてから英語を教えるのか、あるいは最初から英語だけを教えるべきかという点です。現在はクレオール語を数年学んだ後、英語を勉強し始めるようになっています。これに対し、英語をはじめから学ばせるべきだという立場の言い分は次のようなものです。まずクレオール語は学校以外、つまり家庭などで自然に身につくのだからわざわざ学校で
教える必要はない。またクレオール語を学んでいる生徒が、ある日突然英語を学ばなければならなくなるのは混乱の元である。それだけではなく、クレオール語学習に初等教育の最初の数年をとられることで、英語学習の開始が遅れ、結果的に英語の習得過程全体を遅らせることになる。この議論はいまでも続いています。
塚原 「英語をはじめから学ばせるべき」という意見によれば、家庭ではクレオール語が使われているということになりますが、それはどこの家庭でもそうなのでしょうか。
Jean ほとんどの場合そう言えると思います。私の家庭でもそうでした。しかし中には、自分の祖先の言葉を家庭内で維持している場合もあります。私の友人にフランス系移民の子孫にあたる人がいますが、その家庭ではフランス語が話されていました。他にも家庭内で自分達の祖先の言葉を保っている場合があります。英語や中国語や、インド
で話されている諸言語などです。祖先といっても大昔の話ではなく、3代か4代ぐらい前の話ですが。
塚原 いままで話してもらったことで、ようやくセイシェルでの言語状況の輪郭が見えてきました。ありがとうございました。
3.おわりに
セイシェルに関する日本語の文献というのは、観光案内をのぞけば、ほとんどないのが現状である。セイシェルの言語状況に関するものなどは、さらに少ない(4)と思われる。セイシェルはなかなか興味深い複数言語社会であるのに、残念な話だ。あまりに残念なので自分でちょっと調べてみた。本稿が、セイシェルの社会言語学的状況を知るた
すけになれば幸いである。
インタビューに快く応じてくれたJean-Claude Ahwengさんと、原稿に目を通しチェックしていただいた同志社大学教授渡辺武達氏の協力によって本稿は完成した。ここに記して感謝したい。もちろん、本稿に関する一切の責任が筆者にあることは言うまでもない。
註
(1)Jeanさんと、日本セイシェル協会理事長でセイシェル政府観光局日本代表もつとめる同志社大学教授の渡辺武達氏から私信で教えていただいたことから考えると、この記述は間違っているようだ。正しくは「英語、フランス語、クレオール語が国語である」であろう。渡辺武達氏はセイシェル政府観光局日本事務所のホームページ(http://www1.
doshisha.ac.jp/~twatanabe/watanabe/seychelle/index2.html)を開いている。セイシェルに興味を持たれた方はぜひ一度のぞいてみることをすすめる。
(2)前出の渡辺武達氏に私信で教えていただいたところによれば、新しい憲法でも言語に関する規程に変更はないとのことである。
(3)セイシェルのメディアに関する詳しい情報は、前出のホームページで得ることができる。
(4)セイシェルの言語状況については、田中克彦『ことばのエコロジー』(農山漁村文化協会、1993)に、「セーシェル島とクレオール語 ─白人がつくった奴隷の共通語の現在─」という文章がある。また、渡辺武達『ジャパリッシュのすすめ』(朝日選書229、1983)に、セイシェルのクレオール語に関する記述がある。