『PUMPKIN』「メデイア・ウオッチング」
1999年9月号
子どもポルノは「表現の自由」にならない 
同志社大学 渡辺武達
五月の国会で、子どもを犠牲にする買春・ポルノ禁止法が成立した。正式名称を「児童買春・児童ポルノに係わる行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」といい、児童に対する性的搾取や虐待の処罰・防止が目的である。
「やっと成立した」というのが私の実感だが、この法案成立日の五月十八日、日本雑誌協会・日本書籍出版協会・日本書籍取次協会・日本書店商業組合連合会の四団体で構成する出版倫理協議会(清水英夫議長)は要旨以下の声明をだした。第一、法案の意義を認めるが、そこには、第二、言論・出版の自由への脅威と、第三、製作過程での検閲の危険性がある。が、第四、定義から絵(マンガやイラスト)を除き、単独所持条項を削除、適用上の注意条項を設置したことなどは評価できる、など。
通販などの闇ルートや、一般市販のポルノ市場のひどさはいうまでもなく、一般紙の広告や電車の中吊り広告にさえ、女性や子どもの尊厳を無視した「表紙絵」などがままあり、顔を背けたくなる。原因には、業界が売れるならなんでも出す体質になっていること、さらには上記出版倫理協議会の非加盟社によるポルノ専門市場さえ成立していることなどがある。にもかかわらず、定義から絵を除外したのは国会議員諸公が実状をよく理解されておられないのではないのかとさえ思う。
今年も訪問したのだが、ネパールのカトマンズやタイのチェンマイには、六・七歳で性産業へ売りとばされ、エイズや結核になり棄てられ、ボランティア施設などで、勉学や職業訓練に励んでいる少女たちが数百名もいる。犠牲者のうち、助けられるのはまだ数百分の一だし、加害者の大半が日本人なのだ。さらには、子どもポルノや暴力描写が性犯罪を誘発しているという報告もある。それに世界中の子どもポルノの八割近くが日本製なのだ。
メディアにとっての言論・表現の自由はもっとも大切な権利と義務だが、本欄でも繰り返しのべてきているように、それは権力者の行動をあますところなく市民・国民に知らせるために存在しているのであって、無定見な自由を容認しているのではない。マスメディアは第二の学校といわれ、人びとの世界観を形成し、人格形成に影響する。その意味でも、私たちが未来を託さねばならない子どもを犠牲にする社会の未来が明るいはずがない。
たしかに、現在でも、自主規制として、映画に「映倫」があり、ビデオには「ビデオ倫理綱領」等がある。放送分野でも、民放連の放送基準には「児童および青少年の人格形成に貢献し、良い習慣、責任感、正しい勇気などの精神を尊重させるように配慮する」などとある。が、実際は私たちが日々目にしているとおりである。昨年末には、郵政省主導による「青少年と放送に関する専門家の会合」報告が出され、この一〇月から午後五時から九時まで、性・暴力表現の自粛をすることをこのほど民放各局が申し合わせた。望むらくは、こうしたことは郵政省にいわれる前に自主的に実行してほしいものだ。(止め)
筆者へのご意見、ご感想をお待ちしております
ゼミのHOME PAGEへもどる