読売新聞「潮音 風声」第10回(最終回)12月26日(大阪版夕刊)中四は翌日朝刊
 

「新島襄と愛国心」 

同志社大学 渡辺武達


 同志社大学の校祖新島襄が国禁を犯して函館から外国船に乗り込み、アメリカへ密航したのは江戸末期元治元年(一八六四)、二一歳のことであった。安中藩(群馬県)の命で蘭学や数学・航海術を学び、漢訳聖書を読み、日本の将来を憂え、〈愛国の精神〉から広くアメリカに自身の修養の場をもとめたのであった。

 このほど新島の学んだボストン郊外のアーモスト大学を訪れ、広大な敷地に将来を見すえた学術活動の展開を見て、新島が同志社の開学の精神とした「良心の全身に充満した」キリスト教主義がある程度理解できた。今のアメリカは教会でさえ「アフガニスタン空爆の成功を」と祈ることが珍しくなく、国益やビジネスを超越した人間の平等性と結びつきを〈国=人類の故郷〉という枠組みでとらえた新島の愛国思想とは相容れない。歴史が教えるところでは日米だけではなく、ロシアでも中国でも組織宗教の大半はその時代の権力に迎合した布教活動をしてきている。組織の維持と宗教的良心との葛藤が今問われているわけだ。

 国際人が英語能力や外国体験の有無で計測されれば、留学したり商社の駐在員にならなければいけなくなる。そうした従来の思考枠組みもまた問われているわけで、国境の向こうにも自分たちと喜怒哀楽の感情をともにし、その人たちと助け合わなければ地球社会の健全な発展はないと認識している人こそ国際人であり、今求められる愛国者であると私は信じる。