京都新聞2005年7月19日(火)掲載
良質TV番組
は深夜枠へ
復権に注目したいラジオ
この一か月の昼間のワイド番組は若貴兄弟の確執と家庭事情、今月七日からはロンドンの同時多発テロ問題。そのため、一〇七名もの命を奪ったJR福知山線
事故の本質的解明作業はメディアの上では消えてしまった。失われた命は戻らず、入院者もまだ多くいるのに・・・。
テレビ業界関係者は視聴者の求めるものを放映しているだけという。もめごとや事件報道で不安感をあおり、奇抜な映像、毒舌タレントや占い師を登場させる。
そうした番組では「ピー音」が挿入され、途中でしばしば会話がとぎれる。この種番組の多くは録画だから、不適切な発言や仕草は編集過程でカットされる。そ
れでも「ピー音」が残るのはその映像が必要で、禁止用語だけが消されたからである。私は一度ある局で、元テープ(マザーという)を試聴したが、カット部分
は実名入り悪口か、差別用語であった。
タレントもどういう発言が不適切であるか知っている。が、それがないとスタジオの出演者が盛り上がらず、結果として視聴率がとれない。その考
えは局もおな
じだから不適切発言には局と視聴者の責任もある。つまり、私たちの大半はゴシップや悪口が大好きなのだ。この構造は週刊誌の扇情的な見出しの多用にも通じ
る。が、それが人権侵害がなくならない基本構図だとすれば、放送も罪深い。
一方で、放送は電波法による免許事業であり、「教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組」の適切な配分を義務づけられている。そのた
め、昼間やプ
ライム(午後七時から一一時)の娯楽の過多は早朝あるいは深夜の教養番組で埋め合わせされる。だが、国民の夜更かし傾向が出てきているとき、また高度経済
成長期の七〇年代の深夜には水着女性が登場するピンクものが多かったから、それは悪いことばかりではない。
最近見た深夜枠番組では「くらやみにまけないで〜虐待の記憶との闘い〜」(関西系六月三〇日深夜)が秀逸であった。子ども時代には親や親戚の
暴力に悩み、
結婚してからは夫の暴力の犠牲になり、今、同じ悩みをもつ人たちの相談役として法改正を訴えている女性とその子どもが実名、顔出しで登場、虐待の記憶が薄
れていくさまが実写される。@人があまり知らない社会的事象をA視聴者の心を揺り動かす手法で描きB以後の人生が豊かになる番組がすぐれた作品である。そ
の点で、今評判になっている、自閉症に悩む息子とその母を描いた韓国映画「マラソン」にまさるとも劣らぬ映像文化の神髄とジャーナリストの根性とやさしさ
をそこに見た。
今年も七月一日に日本民間放送連盟賞ラジオ部門近畿地区審査会に出席した。ところが生ワイドなど五部門のうち報道の出品作はわずか四本で最
少。しかし戦後
六〇年を証言でつづるラジオ大阪作品など、いずれの作品もすばらしかった。報道作品が少ない理由は経費節減から来ているが、今すでにテレビ報道にも量的減
少傾向と質的変化が出始めている。私たち視聴者もデジタル化による技術的可能性だけでなく、優れたメディアが健全な社会を維持するという立場からの、内容
への目配りも忘れないでいたい。