☆この論文は、同志社大学人文学会『評論社会科学』57号(1997年3月刊)に発表した『市民主権原理の情報政策』の一部です。私の情報論・メディア論の基本となるもので、ここに掲載します。
同志社大学 渡辺武達
世界的なレベルでいえば、現代社会の物的動きは、〓軍事、つまり「暴力」と〓商業、つまり「利潤獲得」論理の二つを基本にして動き、〓強大な国家を先頭にした序列的経済単位がそれをささえるという仕組みになっている。情報通信分野においてもこれは例外ではない。
世界像・社会像と社会力学のこのような把握は現代社会の問題、とりわけ世界的問題群の解決に取り組んだことのあるひとには常識である。そしてこの認識は政治・経済だけではなく文化の面においても例外ではあり得ない。その結果、国際連合において教育・科学・文化の面の活動責任をもつユネスコはマスメディアが社会変革に果たす役割の大きさに期待し、一九七八年、「平和と国際理解を強化し、人権を伸張し、人種差別主義、アパルトヘイトならびに戦争宣伝に反対するための、マスメディアの貢献に関する基本原則の宣言」(略称・マスメディア基本原則宣言)を採択した(拙訳のマイケル・クロネンウエッター著『ジャーナリズムの倫理』新紀元社刊、一九九三年、に収録、を参照)。
このマスメディア基本原則宣言は前文でつぎのようにのべる。
国際連合総会が一九四八年に採択した世界人権宣言、とりわけ〈すべての者は、意見および表現の自由についての権利を有する。この権利には、干渉されることなく意見を持つ自由、ならびにあらゆる方法により、国境とのかかわりなく、情報と思想を求め、受け、伝える自由を含む〉と規定する宣言の第一九条、ならびに、これと同じ原則を第一九条において宣明し、第二○条が戦争宣伝、国民的・人種的または宗教的憎悪の唱道、ならびにあらゆる形態の差別、敵意または暴力を非難している……
一九六五年に国際連合総会が採択した、青年の間における、民族間の平和、相互尊重および理解の理想の促進に関する宣言を想起し、新国際秩序の樹立、およびこれに関してユネスコが果たすことを求められている役割についての、国際連合の諸機関が採択した宣言および決議を想起し……
つづいてそれは次のようにいう。
一九四六年に国際連合総会が採択し、「情報の自由は基本的人権であり、国際連合が実現を目指すすべての自由の試金石である……」「情報の自由は、この特権を乱用することなく行使する意志と能力をその不可欠の要素として必要とする。それは、偏見なく事実を追求し、悪意なく知識を広める道徳的義務を、基本的規律として必要とする」と宣言した決議五九を想起し……
以上二つの引用文から分かることは、国連がその創設当初から世界の恒久平和の基礎として〓国境を超えた個々の市民レベルでの思想と情報伝達の自由の尊重、および〓それを保障する権利としての「情報の自由権」を想定していたということである。この考え方は後述する「民衆のコミュニケーションする権利」の基礎として措定しておくべきことだと私は考える。
私が一九六七年に同志社大学の大学院新聞学専攻に入学したときの「マス・コミュニケーション論」のクラス担当者は鶴見俊輔氏であった。氏は社会の根底を支えるものとしてのコミュニケーション・システムとその市民生活レベルのおけるあり方について繰り返し言及された。クラスでのテキストとしてはシュラム編『マス・コミュニケーション論入門』の英文原典(Wilbur Schramm ed.: Mass Communications; University of Illinois Press, 1960)を中心とし、ときにはカール・マルクス『ドイツ・イデオロギー』なども取り入れ、その本のコミュニケーション研究上の重要性について議論した。この『ドイツイデオロギー』の位置づけについてイギリスのピーター・ゴールディングらが一九七六年に取りあげたことが評価されている(デニス・マクウエール『マス・コミュニケーション理論入門・第三版』Mass Communication Theory, The Third Edtion; Sage, 1994, 英語版七六ページ)ことなどを考えると、鶴見氏の議論は当時の世界でも抜きんでたものであったといえる。この視点とアプローチを当然私は引き継いでいるが、こうしたコミュニケーション研究の分野においても、また学説論においても日本ではまだ欧米偏重や社会的強者主導のメディア理論がはばをきかしている。
そのことは現在のコンピュータとマルチメディア社会の構想においても同様である。
たしかにインターネット構想の始まりから各段階での飛躍的発展の着想と初期開発は、軍事と経済という二つの論理には縁遠い学者や研究者、あるいはコンピュータ愛好家たちによるものが多い。が、その実用としての展開はアメリカの国防総省が(旧)ソ連からの奇襲攻撃を受けたときでも、情報中枢がクモの巣のように同じかたちでいくつもあれば、ダメージが少なくすぐ反撃できるネットワークだということで実現されたものだ。〓その軍用技術が〓商業ベースにのるということで民間転用された後、〓それがアメリカで始まった開発ということでそこでの言語が英語主流になり、〓しだいに需要(市場要請)のある他言語用のソフトが開発されてきたという歴史をもつのも経済の自然なながれからきている。
だから、国内、国外を問わず上述の二つの社会・経済力学の中心から遠いところに位置していると、このインターネットや電子メール通信などからは必然的に隔離されることになりやすい。今私が理事長をしている民間の国際交流団体・日本セイシェル協会の作業でも、西インド洋の真ん中にある人口わずか七万人のセイシェル共和国にインターネット・アクセスの国内サーバーが実用化されたのが昨(九六)年十月ということで、それまで私たちの通信はファックスやテレックス、あるいは電話や手紙に頼っていた。
もちろんそれまで何度となく私(たち)はセイシェル政府の関係部局にたいし、電子メールでアクセスできるように要請してきた。そのたびに彼らは、現在の世界の情報ネットワークではセイシェルのような小さな国の「コミュニケーションする権利」(The Right to CommunicateあるいはThe Communication RightもしくはThe Communicative Right)が奪われていると残念がった。情報の幹線を光ファイバーが支える国内通信網、およびそれにリンクする衛星通信網が完備されなければインターネットは十分な効果を発揮しない。ところが、その整備と拡充、ならびに技術輸入に必要な金額はセイシェルのような人口がわずか七万人あまりで、年間国家予算の総額も二五〇億円ほどのミニ国家には簡単にはまかなえない。このことは他の発展途上国でも同じだし、他メディアである出版分野についても同じことだ。軍事的メリットがなかったり、商業利益が見込めなければ、一民間人が本を独自に出すこともむずかしいのである。同時にそれは日本においても売れる本しか出版されず、一年たてばゴミ箱行きという刊行物が市場にあふれることにつながっているのだが││。
私はこのセイシェル国民との民間親善交流を一九八一年からつづけており、すでに四十四回もの訪問経験がある。この国についてのガイドブックさえ書いている(『セイシェル・ガイド』恒文社、一九八三年)のだが、八○年代の初期からアルバート・ルネ大統領はじめ政府要人との会談でこの通信ネットワーク整備に関連し、発展途上にある諸国とその民衆のコミュニケーション権の確保ということを何回となく話し合ってきている。この「コミュニケーション権」という概念は一九七〇年代初めから、国連の一機関であるユネスコなどの議論にも登場しだしたし、その関連文書でも使われだした。それはいわゆる「南北問題」にかかわる国際経済関係とともに、一社会内における経済的弱者がラジオ・テレビ・新聞といったマスメディアに接触できない生活(マスメディア情報受容不可)や電話が経済的に設置できない(情報受信と発信の不可)といったことが社会と情報ネットワークの問題となってきた時期と一致している。
社会を一個の「人間の身体」にたとえれば、電子情報ネットワーク(Telecommunications)は「神経」にあたるとは情報社会論でよく使われる比喩表現である。神経がなければ痛さも熱さも感じないから人間は危険な状態に置かれてもそのことじたいがわからない。同様に、対面コミュニケーションの範囲を超えた社会であるのに情報ネットワークが発達していなければ、たとえちゃんとした情報が、そのチャンネルに提供されていても、それらの情報そのものが社会的に行き渡らない。問題の所在が分からないからそれらを解決することもできない。そうした状態では社会の健全な発達など期待できないわけだ。こうしたさまざまレベルのことをふくんで、世界的な通信問題の議論の前提認識として使われだした概念がここでいう「民衆のコミュニケーションする権利」(The
People's Right to Communicate)である。
この権利概念について、私自身のこれまでの体験やそれらの用例からとりあえずつぎのように再定義しておきたい。
「コミュニケーション権=個人・民衆・市民、企業・団体、自治体・国家、国際団体・地域統合体などが、地球的規模の平和で安定した暮らしを確保するために、市民主権の原理に基づいてそれぞれのレベルにおいて保持している、あらゆる情報に接しあらゆる情報を発信する義務と権利」
何人にも束縛されたくないという願望が自由の概念として、十五世紀のジョン・ミルトンの『アレオパジチカ』によって対権力関係としての「言論の自由」の考えを生んだ。それが十八世紀のスウエーデンやアメリカにおける法制度において「プレスの自由」概念になり、その後の「市民の知る権利」に基づく「報道の自由」や「取材の権利」になっていったことはメディア史の常識である。それが発展して市民・民衆の「知る権利」となり、今度は巨大になってきたメディアそのものの情報政策の形成にたいする市民の参加を保障する権利概念としての「アクセス権」に発展してきたといえる。
そうした言論の自由の概念発達史のなかでこの「コミュニケーション権」という考え方は〓一人ひとりの人間の平等性を基本にして、〓市民主権社会のグローバルな発展にブラックボックスをつくらないという考えとその保障のためにも、〓地球社会の平和と安定のためにも必要な概念であるということができる。私はこのことについて日本マス・コミュニケーション学会の九六年春の大会における発表のなかで言及した。そのとき会場からの質問のひとつは現行のインターネットの進行が世界を発展させると信じているひとからのもので、どうして「コミュニケーション権」などという権利を思いついたのかというものであった。私はそのとき、世界における富と情報の偏在が平和と安定をおびやかすものであり、世界をこれまで百か国以上歩いてきてその均衡ある発展には情報ネットワークのバランスある配置とそれらへのアクセスの保障が不可欠だということが自然にわかるものだと答えた。
昨年からの日本のメディア事業界の最大の話題の一つは、オーストラリア出身のメディアの多国籍事業者、ルパード・マードック氏(米国籍)と日本ソフトバンクの孫正義社長によるテレビ朝日の株式の間接的所有にまつわる件であった。メディアとその運ぶ情報の国際化じたいはこのましいことだ。が、私が本稿でいう市民主権のメディア戦略からすれば、この二人の頭のなかにあるのはメディアへの民衆のかかわりを娯楽産業としての進展によってさらに深めようとすることだけで、そこには「民衆のコミュニケーション権」確保などという考えがまるでないと思われる。マードック氏らの日本のメディア界への参入については、そこのところがいちばん大きな問題となる。このことは日本のコンピュータ事業の草分けの一人であり、マイクロソフト社でビル・ゲイツ氏の片腕であった現アスキー社長の西和彦氏にもいえる。氏もまたコンピュータ産業の発展を事業としての成功としてだけとらえているのだ(九六年七月二十三日の大津市民教養大学での講義『インターネットで社会はどう変わるか』を参照)。
日本政府と産業界がアメリカとアメリカの情報戦略を中心とする世界の動き、ならびに自己の商業利益に基づいておこなっている現行のインターネット構想になんら疑問をもたない人たちにとって、このコミュニケーション権という概念はまだ理解が困難なものかもしれない。さらには、日本政府の「行政情報公開法」の原案が「知る権利」さえ未成熟の用語であると片づけ、記述・定位しないような現況ではなおさら理解がむずかしかろう(本稿第二章第一節)。というわけで、日本で私のいうこの「コミュニケーション権」への社会的理解が深まるまでにはあと十年ほどの時間が必要であるかもしれない。
さて、この「コミュニケーション権」という用語を初めて使用したのは、内川芳美氏によれば、フランスの元国営放送局長で、元世界放送通信機構会長のジャン・ダルシー(Jean d'arcy, 1913-82)であった。彼は一九六九年に書いた『直接放送衛星とコミュニケーションする権利』という論文で、「世界人権宣言は、二一年前にその一九条で初めて規定された情報に関する人権よりも、もっと包括的な権利をみとめなければならない時がくるだろう。それが人権としてのコミュニケートする権利である」と書いているという(「コミュニケートする権利の概念」、内川芳美・森泉章編『法とジャーナリズム』日本評論社、一九八三年、収録)。
本稿執筆の時点ではダルシーの論文そのものについては未見だが、内川氏のこの紹介の仕方には多少の問題があろう。内川氏の論文でもふれられてはいるが、先述のように、ダルシー氏がこの言葉を使うはるか以前に国際連合総会が一九四八年に採択した世界人権宣言がその第十九条で「すべての者は、意見および表現の自由についての権利を有する。この権利には、干渉されることなく意見を持つ自由、ならびにあらゆる方法により、国境とのかかわりなく、情報と思想を求め、受け、伝える自由を含む〉と規定しているその意味は、私が先に「コミュニケーション権」を再定義したように、個々人が地球的規模の拡がりのなかでのすべての情報インフラにアクセスし、受信・発信する義務と権利が保障されなければ世界の平和の問題は語れないことをダルシーの理解よりも「鋭く、かつ広く」とらえているからである。もちろんそう記述しなくてもダルシー自身にはその認識はあるかもしれない。が、その「コミュニケーション権」のなかに個人の市民のほかにあらゆる社会的レベルにおける情報の受容・発信行為が含まれているかどうかについては、内川氏の紹介からはつたわってこない。なぜなら内川氏は前掲論文の最後をこうしめくくっているからである。
コミュニケートする権利は、理念的・感覚的には一定の新鮮な方向性をもっているが、他面で概念があいまいすぎて理論的発展性に欠ける嫌いがある。社会や国家にもコミュニケートする権利があるというのは、場合によっての議論としては理解できるが、それを越えるとコミュニケーションに対する政府の管理・統制権を不当に正当化する論拠として働くおそれがある。全体的にいって、コミュニケートする権利概念の理論化は、あまり進展していず、入り口のところで理念談義が続いており、一箇の文明批評の粋をまだ出ていない。
自分の賛同できない、あるいは理解できない議論を「理念的談義」とか「文明批評」といって片づける内川氏流言い方は学界によくあることだが、内川氏がそう書いた(一九八三年)の十五年も前、それもダルシーの用語使用の前に、日米安保条約の反市民性、アメリカのベトナム戦争参戦は反民衆の行為であることを見抜いていた鶴見俊輔氏はすでにこの「コミュニケーションする権利」に言及していた。また内川氏の論文執筆以前に私(たち)は西インド洋のセイシェル共和国の政府関係者と情報通信分野における、アメリカ中心の世界支配の打破について話しあっていた。そうした切実な情況のなかでの議論は当時の世界各地でなされていたはずだから、そうしたことを知らないで、あるいは故意に無視して内川氏などが「入り口のところで理念談義が続いており、一箇の文明批評の粋をまだ出ていない」などという「度胸のよさ」の背景には、学問は「ペーパー」のなかに独立して存在しているという「悪しき幻想」がある。もちろん、このことは自らに対する反省のよすがともしなければならないのだが││。
さて、この「コミュニケーションする権利」は現在でも執筆者・使用者によって多面的な使われ方がされているのは「言論の自由」「プレスの自由」といった抽象性の高い用語・述語のケースの常である。たとえば、イギリスのブリティッシュ・テレコムなど通信関係企業労組が助成しておこなわれた研究の成果『Richard Collins & Cristina Murroni: Mew Media & New Policies; Polity, 1996』はこの概念についてCommunicative Rightという言葉を用いている。だがそこでの意味は、情報ネットワーク事業における「ユニバーサル・サービスに基づいて、ひとがテレビやラジオ、電話を保持し、それらから情報を取得する権利」ということである。私が本稿で主張しているのはそれだけではなく、ひとはあらゆるレベルのネットワークでやりとりされる情報にアクセスすると同時に、それによる通信に参画していく義務と権利をもっているという基本認識であり、この本の解釈よりもやや広いものである。
さらに先にもふれた公文俊平氏のいう「情報権」(『情報文明論』NTT出版、一九九四年)概念(第一章第一節)は、近代文明の特殊進化の三局面の第三としての、ネットワーク化・情報化・智業化・智場化を特色とする文明段階を「情報化局面」といい、人間の主体権としての「行為の調整活動の側面にかかわる権利としての「情報権」が想定される。そしてその情報権には〓情報自律権、〓情報帰属権と、その派生権としての「情報優先権」、〓情報管理権とその派生権としての「情報プライバシー権」の三つがあると主張される。しかしこの公文氏の情報権も社会のなかで情報ネットワークに参加できない人たちのことを想定していない。
昨(九六)年三月十五日から三日間にわたってアメリカ・セントルイスで開催された市民運動の会議で採択された「民衆コミュニケーション憲章」(The People's Communication Charter)にはつぎのようにある。しいていえば、そこでのとらえ方が私がここでいう「民衆のコミュニケーション権」に運動論としては近いものである。
〓すべての個人と社会の生活にとってコミュニケーションは基本である。
〓すべての人びとはあらゆる社会においてコミュニケーションに参加する資格をもつ。
〓コミュニケーションの手段に対する人びとのアクセスする機会は不平等であり、世界の人びとの大多数はコミュニケーションのために最小限必要な技術的資源さえもっていない。
〓ますます多くの国で、情報と文化が公共サービスとして供給されるのではなく、私的な利益のためのものとなっている。
〓世界におけるコミュニケーション富民とコミュニケーション貧層との間の溝を今日の「コミュニケーション革命」がますます拡大する傾向がある。
この憲章は「コミュニケーションと人権センター」(オランダに事務局)、「第三世界ネットワーク」(マレーシアに事務局)、「コミュニティー・ラジオ放送事業者世界連合」(ペルーおよびカナダに事務局)によって準備されたものであり、圧倒的な力でコントロールを強化するメディア資本と権力に抗して民衆のメディア・コントロールをシステムとして確立しようとする姿勢がここにはある。しかし、こうした市民運動にありがちな認識上の欠陥も随所に見られる。
たとえばこの憲章のなかにある「世界的な運営者の集中が、公共圏(The Public Sphere)を弱め、公共的なメディアにとってかわり、意見の多元性・文化的表現の多様性の提供や少数者の言語(身体言語を含む)の使用を危機にさらしている」とある情況認識を私は共有する。が、そこでの用語法である「公共圏」(エッフェンリッヒカイト)や「公共の……」についてはすでに論証した(同志社大学人文学会『評論・社会科学』第五三号の拙論「メディアの公共性と公益性」)ように、ユルゲン・ハーバーマスのマス・コミュニケーション論・公共圏論はヨーロッパの自由主義知識人のサロン談義的発想であり、そこに市民運動やメディアの市民主権主義による改革論に役立つものはあまりふくまれているとは思えない。
つまりこの「民衆のコミュニケーション憲章」もまた市民運動にしばしばみられる、ある学術語(この場合はハーバーマスの「公共圏」)をよく意味も分からず、風聞にしたがって使っているという欠点をもつ。またそれは、市民が個人としてあらゆるレベルの通信網とコミュニケーション手段に参加する「義務と権利」の両方をもっているという認識には到達していない。
この二月八日から十一日まで南アフリカのヨハネスブルグで開催されたAPC・全アフリカ進歩的コミュニケーション連合(The Association for Progressive Communications, Africa)の戦略会議がその最終日の十一日に採択した「全アフリカ電気通信者の声明」で主張されていることも、以下のように、先の「民衆コミュニケーション憲章」と立場を共有している部分があり紹介しておく。なおこの声明の署名者には、ブラジル・米国・エクアドル三国のAPC事務局、バラザンネット(マリ)、エボネット(アンゴラ)、エコニュース・アフリカ(ケニア)、ENDA(マグレブ)、エプシロン・オメガ(マラウィ)、グリーンネット(イギリス)、ヘルスネット・アフリカ(タンザニア)、ムクラ(ウガンダ)、ワンワールド・オンライン、サザンパートナーズ・プロジェクト(南アフリカ)、南アフリカ・SANGOネット、ザンビア研究開発協会(ザンビア)、などが名を連ねている。
〓インターネット技術はアフリカでの社会、政治、経済に劇的な変化をもたらす可能性を秘めている。
〓安価で相互協力的なネットワーク、質の高い地域情報、最大多数の参加、という我々の到達目標は、いまのインターネットマニアが死に絶えたとしても続くものである。
〓今後の優先作業課題としてつぎの四つを設定する。
・電子ネットワークのサポート、
・NGOコミュニティでの情報コミュニケーション技術の戦略的使用の促進、
・情報の中身とツールの開発、
・ロビー活動と市民の権利主張・擁護活動。
〓アフリカに関連した情報(コンテンツ)が、アフリカの中で生み出され、管理され、適切に配布されなければならないという立場からすると、現在アフリカで実用化されつつあるインターネット・サーバーにはアフリカ人の利益にならない面が多すぎる。
〓規制緩和された市場での個人や会社による投資は、現在のところ大都市に集中し、都市部以外における電話などの通信インフラへの投資が足りない。これは自由化では解決できない問題である。また、技術的なトレーニングと受容能力の養成に対する国際的な投資が非常に少ない。これは女性をネットワーキングに参加させるために特に緊急を要するニーズであるが、アフリカにおいてはあまりにも無視されている。
〓回線提供業者と準国営電気通信会社との間に同盟関係が結ばれつつあり、彼らは各国政府に対して国内の利用可能帯域について圧力をかけている。業者は通信容量を大きくすることにのみ関心があり、人々をつなぐことには関心がない。
〓アフリカにおける電気通信技術の発展を左右するAIF, ANI,
AISI, AFCOM, SDNP, ACACIA, Leland Initiativeといった組織や機関は事前に我われからもっと多くの助言を求めるべきである。我われが安価なアドバイザーとしてこき使われたうえで無視されるのか、あるいは現在進行中の事業プロセスのカギをにぎる者として尊重されるようになるのとでは大きな違いがある。こうしたことを主張していかない限り、アフリカでの情報社会の発展は歪んだものになり、アフリカはまたもや発展の中心から周辺部においやられてしまうことになるであろう。
アフリカの現状にはすべての面でヨーロッパ列強の植民地政策とそれに迎合する国内資本によっていいようにされてきた結果が出ている。情報化の実際でも、アメリカ・ニューヨークのマンハッタン一地区の電話回線数、電気通信量がじつに全アフリカ五十四カ国のそれよりも大きいといわれるほどに情報インフラ整備の格差が出来上がっている。しかもそのネットワークを流れる情報が欧米中心であるとき、このような声明が出されるのも当然なことだ。同時に、
そうした運動が世界的な波となりつつある現状に私は未来社会への希望を感じる。
(以上)