塚田真季子
プロ野球選手は引退後の第二の人生をどのように模索していくのであろうか。コンクリー.Jによれば、一流スポーツ選手は少年期からほとんどすべての時間と努力を傾注し、練習を専門的に行う必要があったとしている(コンクリー.J 1982)。そのような一流スポーツ選手であるプロ野球選手たちから野球がなくなった時、その後の人生についてどのように考えるのであろうか。引退選手の中には現役時代にスター選手として一躍注目を集めた選手もいるだろうし、プロ野球界に入っても1軍メンバーになることなく引退していく選手もいる。このように現役時代の状況が異なることによって引退後の進路に対する考え方も大きく異なったものになるであろう。そこで本論文では引退選手の高校時代から現在に至るまでのキャリアパスに着目し、引退選手をひとくくりにすることなく、それぞれの状況や意識が進路選択にどのように関わってくるのか、進路選択を規定している要因は何であるのかについて検討していく。
このように競技引退後の実態に影響する要因について、選手それぞれの状況を踏まえて行われた研究は今までにほとんどない。従来のスポーツ社会学における競技引退に関する研究では、引退選手のその後の社会生活上の明暗もしくは社会的適応・不適応の様相など、引退後の実態に着目するに留まっている。しかし、それでは今後の選手生活のあり方、プロ野球界のあり方を考えていく手がかりにはならないのではないだろうか。
元プロ野球選手で長年監督を務めた野村克也氏は次のように述べている。「引退選手の中には現役時代と引退後の落差に戸惑い、うまく切り換えることが出来ず、競技引退後、物質的、あるいは精神的に惨めな生き方をしなくてはならなかった人たちが数多くいる」(野村・米長1999: 78)。もしプロ野球選手の引退後がこのような現状にあるのなら、現役選手やプロ野球を目指す高校球児たちが今何を考えるべきか、プロ野球界の将来のために球界は何を考えるべきか、本論文はそれらを示唆するものとなるであろう。
まず、なぜこのテーマを選んだかという動機を話したい。それは私自身のスポーツ経験によるところが大きい。私は、中学高校の頃、学校の部活動で陸上競技に打ち込んだ。大学に進学し陸上を続けるかどうか大変悩んだが、結局やめる決意をした。自分でやめる決断をしたのに、何か大事なモノを失ったような無力感を強く感じ、「私は今まで陸上のことばかり考えていたのか」と思うことがあった。しかし、それから数ヶ月、新たな出会いをした。それはフィギュアスケート部との出会いである。大学生活の中でこれまでとは違うスポーツを経験したことが、私にとって今まで見えていなかったことを発見する貴重な経験となった。
そんな時、卒業論文のテーマを考えていると思い浮かぶことがあった。野球選手は引退まで野球一筋であろう、そこから第二の人生を考える際、どのように模索していくのだろうかと。プロスポーツ選手は職業としてスポーツをしている、この点において私の場合とはまったく異なる。しかし、スポーツを志す時点での気持ちは同じなのではないだろうか。
私は来年からは社会人となる。今までのようにスポーツ一筋に打ち込むことはない。だから、私のスポーツ経験の集大成としてこのテーマで卒業論文を書き上げたい。
本論文の趣旨は、プロ野球選手の引退後の進路選択を規定する要因を検討することにある。まず第1章ではその方針について説明していく。次に第2章では、今までイメージで語られることの多かったプロ野球選手の引退後の実態について、整理して示す。その中で、彼らの引退後の進路傾向を見出していく。さらに第3章では、プロ野球選手が引退までどのような生活環境に囲まれていたかということを、野球界の規定や制度、インタビューで得た情報から明らかにしていく。そして第4章においては、5名の元プロ野球選手のそれぞれのキャリアパスをたどっていくことによって、彼らの引退後の進路を規定した諸要因について検討していく。
この調査はプロ野球引退後の進路選択にどういった背景があるか、その進路を規定する要因は何かを検討するために行った。
〔調査時期〕
2002年7月から2002年10月
〔調査対象者〕
過去にプロ野球界に在籍し、現在は現役を引退している元プロ野球選手
〔調査サンプル〕
元プロ野球選手への接近方法としては、土地的に好都合であったことから阪神球団に紹介を依頼した。しかし球団側は球団関係者として残っている引退選手のみしか把握していなかったことから、引退選手の所在情報を得られなかった。ただその糸口となる情報として「ゴルフショップを経営している引退選手もいる」と教えてくれたことから、インターネットやゴルフ関連の雑誌を利用して、元プロ野球選手が経営するゴルフショップを探り当てた。このようにして所在を知ったH氏に直接調査協力を依頼した。O氏、K氏に関しては親類を通して紹介してもらった。D氏に関してはインターネットにてその存在を知り、直接本人に調査協力を依頼した。T氏についてはD氏と面接した際に紹介してもらった。故に、抽出されたサンプルは便利サンプリングとスノーボールサンプリングの併用による非確率サンプルである。このようなサンプルの特性から本調査の目的は母集団の特性の推測を行うものではない。
以下に調査サンプルとなった引退選手の簡単なプロフィールを示す。
以上の質問を面接形式で行い、所要時間は1時間から3時間程度であった。
第2章では、プロ野球選手の引退や引退後の進路について、2001年度・2002年度に引退した選手のデータを元に明らかにしていく。ここで使うデータは、日刊スポーツのサイトを引用し作成したものである。ただし、日刊スポーツが調査した時点では引退選手となっていたものの、翌年にはプロ野球界に復帰した選手もおり、ここではそういった選手は省き実際に引退した選手のみを対象とした。さらに、野球界での引退と一般労働市場での退職とを比較することで、野球界での引退がどのような点で特殊なのかについても検討していきたい。
プロ野球選手が選手活動を続けられるのは、いったい何年くらいなのだろうか。彼らは引退後どのような職業についているのだろうか、プロ野球選手の引退の実態について整理していく。まず、本論文で用いる引退選手とは「日本プロ野球機構に属する球団のうちいずれかの球団を引退し、その後日本プロ野球界において選手としていずれの球団にも属さない選手」と定義する。引退には大きく分けて、戦力外通告を受ける場合と自主的に引退する場合との2パターンがあるが、元プロ野球選手H氏が「続けられるのにやめる人はいないですよ」と述べていることから、自主的引退の場合でも何らかの野球を継続出来ない理由があると考えられる。よってこれらの2パターンの場合はどちらも非自発的な意味を持ち、本論文ではこれらの非自発的引退選手を対象とし、例外的引退つまりメジャーリーグに挑戦するなど、野球は続けるが日本プロ球界からは自発的に引退する選手はその対象外とする。それは2001年度引退の松井秀喜選手、小宮山悟選手、2002年度の木田正喜選手の3選手のみである。
まず始めに、過去2年間のデータより1年間にどれだけの選手が引退し、彼らはどれくらいの期間、プロ野球界でプレーしてきたかを探っていくことにする。
年間でどれだけの選手たちがプロ野球界から去っていくのだろうか。それを示しているのが表1である。これより、2001年度が77名、2002年度が85名と、両年とも80名前後の選手が引退していることがわかる。1球団が保有できる最大選手人数が70名であることを考えると、毎年かなり多くの選手たちがプロ野球界から離れていくことがわかる。
次に、表1に示す162名の引退選手を対象にして、彼らのプロ野球生活や引退後の進路について詳しくみていく。
選手たちはどれくらいの期間プロ選手として活動できるのだろうか、これについて示したのが図1である。2001年度、2002年度の引退選手の実働年数、さらにその傾向を探っていく。
図1 引退選手の実働年齢 (出典:日刊スポーツURLより作成)
図1によると、引退選手数は実働1年から実働4年になるにつれて急激に増えていることがわかる。全体的に見ても2001年度・2002年度の両年において実働4年がピークとなっていることから、プロ野球界に入り4年目でやめていく選手が最も多いことがわかる。実働5年の引退選手数は実働4年のそれより減少しているものの、全体的に見ると高い割合を示している。その後、実働6年・実働7年で引退する選手は少なく、いったん引退人数は落ち着く。しかし、実働8年でその割合は再び増加し、実働9年については、年度によってかなりの差があるが2001年度においてはこの年の引退選手の中で2番目に高い割合を示している。さらに実働10年、実働11年についても両年とも平均して高い割合を示している。その後も、年度によって多少の違いはあるものの実働16年でいったんその割合が落ち着くまで、引退選手数は平均して約6%前後を保っている。
このように引退選手の実働年数を分析してみると、その傾向から実働年数別に3タイプに分類することができる。1つ目は実働1年から実働7年で引退した選手であり、彼らを「若年引退選手」と名づける。図1より「若年引退選手」の中でもプロ入り4年目・5年目でプロ野球界から去る場合が多いことがわかる。次に2タイプ目は、実働8年から実働16年で引退した選手であり、彼らを「中堅引退選手」とする。「中堅引退選手」は、図1の傾向からすると、実働年数による人数の割合には比較的波がなく、「若年引退選手」に見られるような目立った引退のピークは見られない。そして3タイプ目は実働17年以上の引退選手であり、彼らを「ベテラン引退選手」とする。2001年度、2002年度の2年間で見ると、最も長い選手生活を送った「ベテラン引退選手」は22年間プレーしたダイエーホークスの秋山幸二選手である。ここに属する選手は相当な実力者であるといえる。
次に示す表2では、先ほど見出した3タイプの引退選手の人数とその割合を表している。これから、「若年引退選手」は70名、「中堅引退選手」は74名と、この2つのタイプにほぼ同数の引退選手が存在し、さらに全引退選手の約9割を占めていることがわかる。それに対し「ベテラン引退選手」は18人と、全体のわずか11.1%にしか及ばず、17年以上もプロ野球でプレーできる選手は極少数であるといえる。
このように見てみると、いかに現役選手を継続することが難しいかがわかるだろう。引退のピークはプロ入りわずか4年目である。高卒でプロ入りした選手だとおよそ22歳、大卒の場合だとおよそ25歳で職を失うことになる。さらに中堅どころとなれたとしても、そこで実力を認められなければあっさり首を切られ、およそ20代後半から30代後半で仕事を失うことになる。このような引退はプロ野球界のみの特殊的なものなのであろうか。
野球界と一般労働市場全体とを比較してみていく。ここでは、プロ野球選手の引退が一般男性就業者の退職に相当するとしその実態について示す。ここで扱うデータは2002年度、首都圏対象のものとする。
まず、就業者の退職経験の有無を年齢別に示したのが表3である。
表3 就業者の退職経験
(出典:リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査2002(首都圏版)−転職者の転職行動と転職の実態part1−」より作成)
表3によると、正社員・正職員では18歳から24歳での「退職経験あり」が32.9%と他の年齢よりも低い値を示し、25歳以上では多少の差はあるものの50%弱という値を示している。このことより25歳以上の正社員・正職員のほぼ半数が退職を経験するといえる。首都圏の社会移動は他地域より頻繁に起こっていることから、他地域の退職経験数の割合はここで上げたものよりも低い。このことを考慮に入れても、若くしての退職がプロ野球選手だけに特別なものではないということはわかるだろう。
ではその退職が自発的なものであるのか、もしくは非自発的なものなのか、これを示しているのが表4である。一般労働市場においての自発的退職とは、自分の希望・事情で退職したケースを指し、非自発的退職とは勤務先の都合で退職したケース、つまり企業主導の退職命令の場合である。
表4 退職の自発性
((出典:リクルートワークス研究所「ワーキングパーソン調査2002(首都圏版)−転職者の転職行動と転職の実態part1−」より作成)
表4によると、正社員・正職員の25歳〜29歳、30歳〜34歳、35歳〜39歳では、それぞれ79.5%、84.0%、83.1%と、退職者の約8割が自発的に退職していることがわかる。このことから20代後半から30代後半の一般就業者の退職はその多くが自発的なものであるといえる。
このように見てみると、プロ野球選手の引退と一般就業者の退職とではその意味が大きく異なることがわかる。自発的中心の一般労働市場、それに対してほとんどが非自発的な引退であったプロ野球界、この大きな違いから、プロ野球選手の転職がいかに特殊かということが理解できるであろう。さらにほとんどが非自発的な転職であるということから、彼らの引退とは実際は失業を意味しているといえるのかもしれない。
このようなプロ野球界において、選手たちは必ず引退を迎えその後の進路を選択していく。そこで第3節から、引退選手の進路について見ていくことにする。
プロ野球選手を引退した選手は、その後どのような進路選択を行い引退後の人生を歩んでいくのだろうか。さらに先ほど分類した「若年引退選手」「中堅引退選手」「ベテラン引退選手」で何か違いはあるのかにつて見ていきたい。
まず、引退後の進路の全体像を明確にさせるために、引退選手の進路のパターン化を行う。これを示しているのが図2「引退後の進路パターン」である(12ページ参照)。まず、引退選手の進路を大きく野球関係・野球以外・未定者に分類し、野球関係では「選手継続者」「支援的球団関係者」「中心的球団関係者」「マスコミ関係者」の4パターンとした。野球以外ではさらに大きく自営業・被雇用者・学業に分け、自営業では「起業自営業者」「家業自営業者」、被雇用者では「ホワイトカラー」「ブルーカラー」、学業では「スポーツ系資格志望者」「その他の学業志望者」と、計6パターンとし、最終的に「未定者」を合わせて計11パターンに分類した。
それぞれの進路パターンについて詳しく見ていく。まず、野球関係から見ていくと、「選手継続者」とはプロ野球を解雇された後、アメリカのマイナーリーグやアジアの台湾リーグなどの国外リーグ、もしくは国内の社会人野球において野球を継続するプロ引退選手である。次に「中心的球団関係者」とは、球団関係者の中でも、コーチなどの指導者やスカウトのように、その役割が球団運営の中心となる場合を指している。それに対し、「支援的球団関係者」とは、主に打撃投手・ブルペン捕手などであり、球団関係者の中でも選手に対して援助的役割を果たす場合を指している。また打撃投手と兼任でスコアラーも務める人が多いということから、引退後スコアラーになった人も「支援的球団関係者」に含めている。打撃投手について、『打撃選手』の中で澤宮は新宮正春氏(報知新聞者スポーツ記者)の話を用いて「失業対策を兼ねて、オフには自由契約(球団から解雇される)となりそうな投手のうち何人かを打撃投手として(球団関係者という形で)残すようになった」(澤宮 2003: 27)と述べている。つまり、支援的球団関係者とは球界独特の失業対策として存在する職業である。「マスコミ関係者」とは、主に野球解説者、野球評論家を指し、野球の現場からは離れるがメディアを通して野球に関わっていく引退選手である。次に野球以外を見ていくと、自営業とは飲食店かその他の商売を指しており、それを選手自身が起業した場合を「起業自営業者」、家業を継いだ場合を「家業自営業者」と表した。次に被雇用者では肉体的労働かそれ以外かで分類し、肉体的労働の場合は「ブルーカラー」、それ以外の場合は「ホワイトカラー」と表した。具体的には「ブルーカラー」は建設現場やトラックドライバーなど、「ホワイトカラー」は営業マン、会社員などを含んでいる。次に学業ではスポーツ系とそれ以外に分け、マッサージや針灸、プロゴルファーなどの資格志望者を「スポーツ系資格志望者」、消防士や教員免許所得志望、留学志望の学業希望者を「その他の学業志望者」と表した。最後に「未定者」とは引退後の将来がまだ明確に決まっていない引退選手を示している。以上の11パターンを使ってプロ野球選手の引退後の進路について探っていく。
では実際、プロ野球選手は引退後どのような進路を選択しているのだろうか。まず、2001年・2002年の全引退選手を総合的に見ていく。その中で全体的な進路傾向を見つけ出していく。次に、その傾向が実働年数の違いによって変わりはないかを検証するために、「若年引退選手」「中堅引退選手」「ベテラン引退選手」に注目して、それぞれの傾向を見てみていくことにする。
まず、全引退選手の進路を示すデータを元に、引退選手の進路の全体像を把握していく。それを示しているのが、表5「引退後の進路」・図3「引退後の進路」である。表3では引退後の11パターンの進路の度数とそれぞれの割合を示し、これをグラフに表したのが図3である。
図3 引退後の進路
(出典:日刊スポーツURLより作成)
表5より最も高い割合を示したのは「未定者」で、24.7%であることがわかる。この結果は、いかに多くの引退選手の将来が不透明であるかを示している。次に、進路が決定している10パターンの中で最も高い割合を示したのが「支援的球団関係者」で24.1%、続いて「中心的球団関係者」が17.9%、「選手継続者」が13.6%と野球の現場への進路は合わせて55.6%であった。さらに「マスコミ関係者」が6.2%で野球の現場への進路以外では最も高い値を示しており、これはスター選手の登用と考えられる。このことから多くのプロ野球選手は、引退後野球関係の進路を選択していることがわかる。
では、このような野球関係継続の傾向は、若年引退選手、中堅引退選手、ベテラン引退選手のそれぞれのタイプ別でみるとどうなるのか、野球関係とそれ以外で比較するために11あった進路パターンを次のように3パターンにまとめることにする。野球関係の「選手継続者」「中心的球団関係者」「支援的球団関係者」「マスコミ関係者」を「野球関係者」、「未定者」を除いたその他の進路パターンを「非野球関係者」、そして「未定者」は同じように「未定者」とする。
では、実働年数タイプによって、その傾向に違いがあるのだろうか。これを示しているのが表6である。
まず全体として、実働年数が高くなるほど野球関係の進路を選択する傾向があることが読み取れる。その割合について詳しく見ていくと若年引退選手で51.4%、中堅引退選手で63.5%、ベテラン選手においては94.4%と、どのタイプにおいても最も高い割合を示している。しかしその割合にはベテラン選手と他の2タイプではかなりの差があることから、ベテラン引退選手のほとんどは野球関係に進んでいるのに対し若年引退選手ではその半数、中堅引退選手ではその約6割しか野球界に進んでいないことがわかる。また未定者は若年引退選手でその約3割、中堅引退選手では約2割、ベテラン引退選手では存在しなかった。
このように実際のデータから引退選手の実態について整理してみると次のような傾向が見出せた。まず実働年数データからは引退のピークは4年目であり、現役選手の9割は現役16年目までに引退していることがわかった。引退後の進路傾向からはプロ野球引退選手の半数は野球関係の職業を選択しており、中でもベテラン引退選手のほぼ全員が引退後も野球関係の職業に就いていた。また中堅引退選手では約6割、若年引退選手ではその半数が野球関係の職業に就いていることがわかった。引退後の進路が未定の引退選手は、若年引退選手・中堅引退選手でその2割から3割であったのに対し、ベテラン引退選手では引退後の進路が未定である選手はいなかった。以上、2001年度・2002年度の全引退選手のデータの検討を行った。
次の第3章では、すべての引退選手が経験した野球界での生活環境について挙げていく。
プロ野球選手は、野球を始めたころからプロ野球を引退するまでどのような環境に囲まれて生活してきたのであろうか。第3章では、全てのプロ野球選手が経験したと考えられる高校球児時代のプロとの接触規制、プロ野球界の体質、プロ野球界での球団・選手間の関係、プロスポーツ選手の職業威信(社会的評価)の4点に焦点を当てる。そしてインタビューで得た情報を元に、彼らの生活環境がどのようなものであったかについて検討していく。
高校球児とプロとの接触規制とは、日本学生野球憲章がプロ野球の現役監督、選手、OB選手が高校野球でプレーする選手に接触すること自体を禁止しているということである。この規制からプロ野球を引退した選手が母校の高校の後輩に対して話すことをも禁止される。このことについて元プロ野球選手のT氏は次のように話している。「中学、大学、社会人はいいわけ。高校だけだめ。中学生は教えられるんだけど、高校に入ったとたん教えてはいけない。母校行った時でもプロとの接触はだめなわけ。そしたら、近づいちゃいけないと思ったら母校の練習さえ見にいけないわけだよ」。もちろんプロ野球と学生野球の間に一線を引いておくことは重要であろう。しかし、このようにしてプロ野球選手と高校球児の接触を禁ずるということは、入団前の選手に対してプロ野球界についての情報を与えない状況をつくり出しているといえる。
プロ野球界はどういった体質なのであろうか、これを探るために「プロ野球界での経験を振り返ってみて、その体質の特徴について印象に残っていることは何ですか」という質問を行った。これに対し現在社会人野球のコーチを勤めるK氏は「プロは実力の世界だから、いくら真面目に頑張っていても力がなかったらクビになるということですかね、弱肉強食の世界ですから」と答えた。また1軍を経験することなく引退したO氏も「プロの世界の怖さというのは、1軍2軍合わせて70名程度でその中の40名程度もが2軍にいる。2軍でそこそこ実力があっても1軍が強かったら上に上がれない。だから1軍の選手がケガしないかとか飛行機落ちないかとか思うんですよ。1軍と2軍の間にはすごく差があって、移動にしても1軍は飛行機、2軍は鉄道といった感じです」と答え、彼らの話からプロ野球界は実力主義的かつ弱肉強食的な社会であることがわかった。次に、プロ野球で17年間プレーしたH氏は「中学校の野球からプロ野球までずっと縦社会だよ。今のスポーツでここまで縦社会なのはなかなかないんじゃないかな」と答え、野球界には上下関係のはっきりした封建的な性質があるといえる。さらに引退の翌年から生命保険会社に勤めたD氏は「プロ野球界は広そうに見えてすごく狭い世界だということだね、入ってくる情報もすごく一義的だしね」と答え、プロ野球界の閉鎖的な一面を示した。これらのことからプロ野球界は封建的かつ実力主義的社会であり、また閉鎖的性格を持っているといえる。
ではこのような性質を持つプロ野球界において球団と選手との間にはどういった契約がなされ、また選手は自身の立場についてどのように感じているのだろうか。
球団・選手間の契約関係に関して、佐藤鉄男氏(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)は1)スポーツ政策シンポジウムの中で次のように話した。「プロ野球球団の選手契約は球団の労働者という形ではなく球団の請負人という形であり、法的には事業者扱いになる」。このことから球団・選手の間には、契約関係が成り立っているが実際は事業者扱いであるという特殊な契約が結ばれていることがわかる。
次にこのような契約をかつて交わした元プロ選手に対して「球団にとって選手とはどのような存在であると思いますか」という質問を行った。これに対しO氏は「球団にとって選手というのは商品のようなもの」と答え、D氏についても「選手は球団の1商品、だから自分自身がどこまで一流選手になり球団にとって価値ある商品となっていけるか、どこまで自分をPRしてキャッチコピーになっていけるか、勝負はここかな」と答えた。このようにO氏・D氏の話から、自分を球団の1商品と位置づけていること、さらにD氏の話からは自分という商品の価値を上げPRしていく、つまり自分を売り出していくことも自己責任であるという感覚を持っている。このことから、プロ野球選手は自身を1商品でと考える独立的な意識を持ち、自己責任の下に選手活動を行っていることがわかった。選手たちは、それぞれに事業者的感覚ともいえる意識を持ってプレーしているのである。
つまり、プロ野球選手は球団との間に契約関係が成り立っているが、実際、事業者扱いであり、また選手自身も強い事業者的感覚を持つ存在であるといえるだろう。
次に、プロスポーツ選手という職業が社会的にどのような評価をされているかについてみていく。ここではSSM調査(社会階層と社会移動(全国))の職業威信スコアを用い、医師、小学校の教諭、プロスポーツ選手、事務員、パン製造工の職業威信スコアを比較する。年度については、SSM調査が始まった1955年度から20年ごとに1975年度、1995年度のデータを用いる。これを示しているのが図4である。
図4 SSM調査による職業威信スコア
図4によると、1955年度の職業威信スコアは、スコアの高い順に医師、小学校教諭、事務員、パン製造工となっている。これらの4種の職業のスコア順位については1995年まで変化は見られない。次に、1975年度より表示しているプロスポーツ選手の職業威信スコアについて見ていくと、1975年度、1995年度の両年とも事務員やパン製造工よりも高いスコアを示し、また両年とも小学校の教諭とほぼ同じスコアを示していることがわかる。このことからプロスポーツ選手は、事務員に代表されるホワイトカラーやパン製造工に代表されるブルーカラーよりも社会的評価が高く、小学校の教諭、つまり教師と同等の高い社会的評価をされているといえる。
ここまで、野球界の制度や性質の面からプロ野球選手が引退時までに置かれていた環境について探ってきた。まず、プロとの接触禁止の規定は入団前選手にメディアを通さない球界情報を与えない環境を作り出していることがわかった。2つめに、プロ野球界の体質は封建的、閉鎖的社会かつ実力主義的であることがわかり、すべてのプロ野球選手がその環境を経験したといえる。3つめに、球団との契約関係によって、選手それぞれが事業者的感覚を持って選手活動を行っているということがわかった。4つめに、プロスポーツ選手の社会的評価は教師と同等であり、ホワイトカラーやブルーカラーよりも高いことがわかった。
これらの環境での経験はプロ野球引退後の将来にも何か影響を与えているのだろうか。入団するまでメディアを通していない球界情報を知らないことは、入団前選手にプロ野球を含めた今後の将来を考えにくい状態を作り出しているといえるのではないだろうか。封建的、閉鎖的かつ実力主義的であるというプロ野球界を経験したこと、またプロ野球界において事業者的感覚を持っていたこと、さらにプロスポーツ選手として高い社会的評価を受けてきたことは、引退後の進路志向にも何らかの影響を与えているのだろうか。
では第4章より実際の引退選手のキャリアパスについて迫っていく。
第4章では実際に5名の元プロ野球選手のキャリアパスから、彼らの引退後の進路選択を規定した要因を探っていく。まず簡単に彼らのプロフィールとキャリアパス、また図2「引退後の進路パターン」においてそれぞれの進路がどのパターンに当てはまるかを示していく。
O氏(満59歳)は高校卒業後の1963年、高卒のテスト入団生として入団し3年後の1965年、1軍を経験することなく戦力外通告を告げられた。「まだやれる」と考えていたO氏は他球団の入団テストを受験したが不合格に終わり、3年間のプロ野球人生を終えた。引退後1年間は無職、2年目からは親戚の喫茶店で見習いをし、26歳で大学の食堂を経営し始めた。その後40歳で駅前にラーメン店を開業し、現在に至っている。O氏の引退後の進路パターンは「未定者」から「家業自営業者」、そして「起業自営業者」である。
K氏(満54歳)は高校卒業後の1967年、ドラフト5位でプロへ入団した。バッターであるK氏は入団2年目まで2軍だったが3年目からは1軍メンバーとなり、打順は2番か3番を務めることが多かった。それから12年間選手としてプレーし、1981年肘の故障が原因で自身から引退を決意する。その翌年から当時の2軍監督の勧めで2軍打撃コーチに就任し1996年まで球団関係者として務め、その間にはコーチの他にスカウトやスコアラーも経験した。その後、2002年より社会人野球のコーチに就任し現在に至っている。K氏のキャリアパスを引退後の進路パターンに当てはめてみると、「中心的球団関係者」から徐々に「支援的球団関係者」に移行し、社会人野球コーチはボランティア的性格を持つことから現在は職業人としての野球関係者からは離れているとする。
D氏(満38歳)は高校卒業後の1983年、ドラフト4位で入団しピッチャーとして11年間の選手生活を過ごした。入団9年目にプロ入り当時から在籍していた球団において自由契約選手となり他球団に移籍、その翌年の1994年に戦力外通告を言い渡された。引退後、D氏には球団からのスカウトの誘いや後援会企業からの就職の誘いがあったがそれらを断り、自ら就職活動を行って生命保険会社(出来高性)に就職した。その中でファイナンシャルプランナーなど数々の資格を取得して、2002年自らコンサルタント会社を設立し独立、現在に至っている。D氏のキャリアパスを進路パターンに当てはめてみると、はじめは「ホワイトカラー」と「それ以外の学業」、その後「起業自営業者」へと移行していることわかる。
現在ゴルフショップを経営するH氏(満38歳)は、D氏と同時期の1983年、高卒後のドラフト3位入団であった。彼は捕手であったが入団の翌年から野手に転向し、17年間現役生活を続けた。その中では2度の転籍経験を持つ。引退後は球団からコーチとしての誘いがあったがそれを断り、引退の翌年の2000年から関西にあるゴルフショップのフランチャイズ店を経営し始め、現在オーナーとして自ら店頭に立つ。彼の進路パターンは「起業自営業者」である。
昨年の2002年、12年間のプロ野球生活を終えたばかりのT氏(満38歳)は、現在接骨院見習いの傍ら大学の野球部コーチを務めている。T氏のプロ入りは1991年、社会人からドラフト4位での入団であった。高校卒業時も数球団からの誘いがあったが大学に進学、大学では思うような結果が残せずプロからの声は掛からなかった。それでもプロに入りたいという一心で社会人野球へ、その3年後のプロ入りだった。T氏は1度の移籍経験を持ち、移籍後2年の昨年戦力外通告を告げられた。彼にはプロ野球界に残るという選択肢はなく、現在接骨院で見習いをしつつ自分の今後を見極めている最中である。彼の現時点での進路パターンは「未定者」もしくは「スポーツ系資格取得志望者」であるといえる。
第1節で挙げた5事例を、図5のように系図化する。まずプロ野球残留の選択肢があったかどうかで、「あり」のK氏・D氏・H氏、「なし」のO氏・T氏に分け、さらに選択肢のあった3名を実際に選択したかどうかで、2軍打撃コーチの話を引き受けたK氏、それに対してスカウトの話を断ったD氏・コーチの話を断ったH氏と分ける。その後、プロ野球界への選択肢がなかったO氏・T氏、選択肢はあったが断ったD氏・H氏は「プロ野球界以外での進路選択」をしていくという系図である。
図5 進路選択の系図
そこで、それぞれの場面での進路選択を規定した要因について検討していく。図5の系図に沿って、まず「プロ野球界に残る選択肢があったかどうか」を規定する要因、次に「それを選択するかどうか」を規定する要因、さらに「プロ野球界から離れた引退選手たちの進路選択」を規定する要因、これらをインタビューで得た情報から検証していく。
まず、プロ野球界への選択肢の有無にはどういった要因があるのだろうか。O氏、T氏にはなぜ野球界に残る選択肢がなかったかということから検討していくと、O氏以外の4名には1軍経験があるのに対し、O氏は2軍経験しかない。このことからO氏にとって現役時代に実績を残せなかったことがその要因となっていると考えられる。よって、プロ野球界残留の有無を規定する1要因は実績であるといえる。次にT氏について検討すると彼には1軍経験があったことから実績だけがその要因であったとは考えられない。そこでT氏にだけ特徴的であった発言として次のような話があった。「バッターと仲良くなってしまったら近めの球とか投げにくいでしょ、だからあまり選手同士で仲良くなろうとはしなかったんだよね」。つまりT氏は勝負に徹したために、あえて人脈を築こうとはしなかったのである。このことから、T氏に球界からの誘いがなかった要因は、プロ野球界での人脈が少なかったことであると考えられる。よって、プロ野球界への選択肢の有無を規定する要因として人脈の広さがあるといえる。これらのことより、球界残留の選択肢の有無を規定する要因は実績かつ人脈であるといえる。
次に、プロ野球界に残留する選択肢あった場合、その進路を選択するかしないかについて規定している要因は何であろうか。まずコーチの誘いを引き受けたK氏は、その動機として「当時の2軍監督からその誘いを受けたからです。野球をした人はずっと現場でやりたいのが本心ですよ」としていることから、本人に球界に残りたいという意思があり本人の考える実力に見合った職業を与えられたことがその要因と考えられる。それに対し、スカウトの誘いを受けたD氏・コーチの誘いを受けたH氏はどうだろう。まずD氏の場合、その理由として「スカウトといってもサラリーマン、決められたお金でやっていくことに魅力を感じなかった」としていることから、結果が給与と結びつかない形式を好まない、つまり実力主義志向であったことがその要因と考えられる。またD氏にとってスカウトという仕事はその実績から考えても彼の実力に見合った処遇ではないと考えられ、そのような評価をされたということが野球界から離れる選択肢を選んだ要因となっていると考えられる。よってD氏はスカウトの仕事が実力主義志向に合わなかったこと、また自分の考える実力に見合わない評価をされたということがスカウトの仕事を選択しなかった要因であると考えられる。
H氏の場合はコーチの話があったがそれを断った理由として「次は違う世界を見てみたかった」と答え、野球界以外の社会への好奇心があったことを挙げた。また、コーチの依頼のあった球団は当時家族の住む関西ではなかったこと、「進路を考える際頼りになった人は誰ですか」という質問に対して「家族かな、家族が一番大事、家族がいなかったら違う選択をしていたと思う」と答えていることから、彼がコーチの道を選択しなかった背景には家庭への配慮があったことがわかる。よってH氏の進路選択を規定した要因は野球以外への好奇心と家庭への配慮であったことがわかる。
ではプロ野球界以外の進路を選択する場合、その進路を規定する要因となったのは何であろうか。
プロ野球界以外の中からの進路選択を行ったのは、D氏、H氏、O氏、T氏の4名である。彼らの進路選択を規定した要因は何が考えられるだろうか。
まずD氏は生命保険会社(出来高性)を経てコンサルタント会社を設立していることから、表2の引退後の進路パターンに当てはめると「ホワイトカラー」から「起業自営業者」である。生命保険会社への就職動機として「給与が出来高性だから結果がすべてであり、目に見えるわかりやすい世界だったから」ということ、「生命保険を売るというだけでなく企業のオーナーさんと話をしていくという仕事に魅力を感じた」ことの2点を挙げている。このことよりD氏が生命保険会社を選択した理由は、結果が収入に直接に結びつく仕事であること、オーナーと直接接することに魅力を感じたこと、この2点が挙げられる。よって就職の際D氏の進路決定を規定した要因はD氏が実力主義的志向であったこと、またオーナーと直接、接することに魅力を感じていることから、彼自身のプライドの高さによるものであったということが考えられる。プライドについては、図4に示すプロスポーツ選手の職業威信からもその高さを予想しうる。さらに、その7年後に独立開業したことから、彼の進路を規定した背景にはD氏が独立志向であったということが影響しており、このことも進路選択を規定した要因となっていると考えられる。
次にH氏の場合について考えると、彼はゴルフのフランチャイズ店を経営することから「起業自営業者」に当てはまる。その動機として「自分で何かやりたかったんですよ」と話すことからも、彼の進路選択を規定した要因は本人の独立志向の考え方であるといえる。
O氏の場合は、引退後1年目は無職、翌年から親類の喫茶店見習いを経て大学の食堂経営、その後ラーメン店を開業したことから、進路パターンに当てはめると「未定者」から「家業自営業者」そして「起業自営業者」という移行したパターンで示すことができる。このようにO氏が自営業の道を必然的に選択していることに対し「サラリーマン(被雇用者)になるという選択肢はなかったのですか」という質問をすると次のような回答であった。1つは「僕みたいな選手でも一般の人の2倍の給料をもらっていたわけで、サラリーマンなんてアホらしくて出来ない」ということ。実際、O氏の入団1年目の給料は月給27,000円程度、1960年当時の製造業の肉体労働系の平均月給が18,319円、金融業のホワイトカラーの平均月給が23,642円(労働省調べ2)『昭和国勢総覧−下巻』より)であったことから考えると、2軍の選手であっても一般就業者と比べると相当高額の賃金を貰っていたことがわかる。
もう1つは、「サラリーマンといっても僕らには技術もないし事務なんて出来へんし、そうなったら営業しかないでしょ。プロやってたもんが人に頭下げてできるわけがない」ということである。この発言からは、プロ野球選手であったという高いプライドにより一般労働市場の就業者として適応できなかったということがわかる。プライドについては、D氏同様、図4の職業威信から予想しうる。このことから、O氏の場合は3年間のプロ野球人生において、一時的に高い給料を貰う経験をしたこと、またプロ野球選手だったという高いプライドを持ったことから、一般労働市場の被雇用者となることを拒み自営業者となったといえるだろう。
よって彼の進路選択を規定した要因としては一時的に高い給与をもらう経験をしたこと、高いプライドを持っていたということが挙げられる。ただし、O氏の進路選択の背景には社会的要因が関わっていたことも考慮に入れる必要がある。それはO氏が引退した1960年代、日本社会は終身雇用に代表される日本型雇用慣行の最も定着していた時期にあり中途採用がほとんど行われていなかったということ、また当時のプロ野球界には現在のプロ野球選手会のような組合がなく、労働者として雇用を保証されることもなかったということである。これらもO氏が引退直後「未定者」となりその後「自営業者」となった背景にあると考えられる。
最後にT氏の場合について検討してみると彼は現在接骨院見習いをしながら今後の進路を見極めていることから「未定者」かつ「スポーツ系資格取得志望者」に当てはめられる。接骨院を考えた動機として「現役時代、ケガを多く経験したので、ケガした人の気持ちがよくわかる。この経験を生かしたいと思った」「野球はもうできないけど野球に携わっていける仕事を考えたかった」と話すことから、彼は野球経験を生かした職業に就きたいと考えていること、またできればプロ野球界に残りたかったということがわかる。しかし、プロ野球界残留は実現しなかったことから、彼はそれ以外に野球経験を生かせる仕事を考えた。その結果、接骨院を考えるに至ったのである。現在進路を思案中であるが、接骨院の仕事が自分に向いていればその技能を身につけ開業しようと考えている。これらのことから、T氏の進路にはプロ野球界に残れなかったことが大きく影響し、それ以外の進路選択では、野球経験が生かせること、ひとり立ちできることを規定要因として職業を選択しているといえる。その結果、T氏は引退後「未定者」から「スポーツ系資格志望者」となった。
プロ野球界から離れた4名の引退選手の進路選択について検討してみると、T氏以外の3名の選手が独立志向であり、T氏についてもひとり立ちするという自立的な意識を持っていた。さらにD氏の要因はD氏自身が実力主義的意識を持っていたこと、O氏は一時的に高い給与を貰う経験をしたこと、プロ野球選手だったという高いプライドを保持していること、これらのことが彼らの進路選択を規定した要因であると考えられる。
事例検証より、彼らの進路は表6「進路規定要因」(26ページ)に挙げる諸要因によって規定されたと考えられる。
引退後プロ野球界に残ったK氏は、野球界に残る意思があり、それに対し球団関係者が実力に見合った職業(コーチ)を提示したことからプロ野球界に残ったといえる。D氏の場合、球団からの誘いはスカウトとしてであり、彼の実績から考えると実力に見合った評価がされていないといえる。本人にこのような気持ちがあったことがプロ野球界から離れることを規定した大きな要因であると考えられる。さらに彼が実力主義志向であったことはプロ野球界から離れたこと、生命保険会社に就職したことのいずれの進路選択において影響しているといえる。
次に、H氏の場合コーチの話はあったがそれを断りゴルフショップを経営することを決めた、このような進路選択をした要因はプロ野球界以外への好奇心、家庭に対する配慮であったと考えられる。さらにプロ野球関係以外では自分で何かやりたかったという気持ちを持っていたことから、その独立志向の意識が「起業自営業」を選択する要因となったといえる。
表6 進路規定要因
続いてO氏の場合、プロ野球界への選択肢がなかった要因は実績を残せなかったことである。その後、「未定者」から「家業自営業者」、「起業自営業者」へと移行したが、彼が無職から被雇用者にならず自営業者となった背景には一時的に高い給料をもらう経験をしたこと、プロ野球選手だったというプライドがあったこと、これらの意識が関係していたことが考えられる。ただしO氏が進路選択を迫られた1960年代は日本的雇用慣行が最も定着していた時代であったこと、当時、選手会のような選手組合が存在してなかったこともその進路を規定した背景にあるといってよい。さらに彼が大学内の食堂経営を経て自身のラーメン店開業に踏み切った背景には独立志向的な意識があったといえる。
最後に、T氏は実績を残しながらも球界に残ることが出来なかったが、その要因は投手として勝負に徹したために球界内での人脈をあえて築かなかったということが考えられる。T氏は野球界に残る意思があったが実現しなかったことから、その後の進路選択でも野球経験を生かせる仕事をしたいと思った。そして、ひとり立ちできる仕事であることを考えた結果、接骨院を選択するに至った。これらのことから、T氏にとってプロ野球界に残れなかったことが、まず野球界以外への進路を規定する要因になり、それ以外では野球経験を生かしたい、ひとり立ちできるようにという気持ちから進路選択を行ったといえる。このように検討を行うと、T氏の進路選択にはプロ野球界に残れなかったことがもっとも強く影響しているといえる。よってT氏の進路を強く規定した要因は人脈が少なかったことであると考えられる。
以上のように彼らの進路規定要因を探ってみると、プロ野球界で培った意識やプロ野球選手であったという気持ち、さらに選手時代に高い社会的評価を受けていたということが引退後の進路にも強く影響しているといえよう。
昨今、プロ野球選手の引退後に対する具体的な取り組みが始まろうとしている。2002年12月4日プロ野球選手会定期大会において、選手会による現役選手の引退後の第二の人生(セカンドキャリア)の支援を始めることを発表した。
2003年度の春季キャンプで現役選手に対し引退後の生活についてのアンケートが行われ、その結果、多くの現役選手が引退後の生活に大変不安を感じ、セカンドキャリアに関する取り組みを望んでいることが明らかになった。このことが具体的取り組みへの原動力となったようである。
プロ野球の長い歴史の中で、すべての引退選手たちが第二の人生を経験してきたわけだが、今回のように組合が中心となって大々的に取り上げられることは今までになかった。このことに関して、現在横浜ベースターズのスカウトを務める宮本好宜氏は3)スポーツ政策シンポジウムにおいて次のように述べた。「昔は引退選手に対して企業側(一般企業)から声がかかった。だけど、この頃は企業が欲しがる以上の選手たちが球界から溢れ出しており需要を満たしてしまうことで、選手の引退後の就職はますます難しくなっている」と。このように、選手たちが将来に不安を感じるようになった背景には日本経済の低迷や商業スポーツへの需要(プロ野球界への入界者の増加)などの社会的背景が影響していると考えられるが、これをきっかけにして現役選手が現実を直視し、将来について考えるようになったという意味では大変意義深いことといえるのではないだろうか。
本論文の調査を通して、プロ野球引退選手の方々と直接会い、さらに本人が自身の人生について語ってくれたことは私にとってかけがえのない経験となった。彼らがどのように将来を選択し現在を生きているかといった話は大変興味深く、私自身の将来について改めて考える機会ともなった。「プロ野球選手になることが人生のゴールではない」、「選手時代があったからこそ今の自分がある」と話す引退選手たち、「信頼関係というのは毎日少しずつ積み重ねて作っていくこと、野球選手でもね」と教えてくれた引退選手、彼らの言葉は来年から社会人となる私の心に強く響いた。
引退後の人生においても、彼らの心にはプロ野球選手であったという気持ちが生き続けている。その気持ちがプラスの意味ではたらいた時、彼らの引退後の人生は満足感にあふれたものとなるのだろう。スポーツを引退した後もずっと輝いていて欲しい、このような気持ちを込めた本論文がスポーツ選手の今後の明るい将来を示唆するものとなることを願ってやまない。
最後に、調査に協力して頂いた方々に深く感謝の意を示し、今後のご活躍を心よりお祈り申し上げたい。
1) スポーツ政策シンポジウムは2003年12月6日、同志社大学にて行われた。テーマは「日本の野球を考える−その法的地位と社会貢献」。まず同研究科の佐藤鉄男教授が「野球と社会」、弁護士の伊藤亮介氏が「プロ野球をめぐる最近の法的問題」と題して講演し、続いてのパネルディスカッションが行われた。パネラーとして、卒業生の田尾安志氏(野球評論家)、杉浦正則氏(日本生命コーチ)、片岡篤史氏(阪神)、宮本慎也氏(ヤクルト)らが登壇、法学部の横山勝彦教授をコーディネーター役に議論を交わした。
2) 『昭和国勢総覧』は日本の経済・産業・政治をはじめ社会のあらゆる分野にわたって主要な統計を網羅するものである。第1回国勢調査の行われた1920年から1980年までのデータを網羅し、使用資料は原則としてその調査や統計を担当した機関が作成した第1次的資料に拠る。本論文で引用した資料は労働省に拠る。
3) 1)に同様
海老原修,1993,「トップアスリートの光と影」『体育科教育』大修館書店,41(1):28-31.
海老原修,1999,「スポーツ選手の現役引退に関する社会学的研究の視点」『スポーツ教育学研究』九州大学・スポーツ学会,13(1):75-84.
尾高邦雄,1995,『社会階層と社会移動』夢窓庵.
コンクリー.J,小椋 博訳,1982,『プロフェッショナル・スポーツ』道和書院.
城丸章夫,1991『体育・スポーツの現在』青木書店.
都築一冶,1998,「職業威信スコアとの問題点と新スコアの提案」『職業評価の構造と職業威信スコア』1995年SSM調査研究会,科学研究補助金特別推進研究(1)「現代日本の社会階層に関する全国調査研究」成果報告書.
豊田 則成,1999,「アスリートの競技引退に伴うアイデンティティ再体制化に関する研究――中年期危機を体験した元オリンピック選手」『スポーツ教育学研究』日本スポーツ教育学会,19(2):117-129.
中井義行,1980,『昭和国勢総覧−下巻』東洋経済新報社.
森川貞夫・佐伯聡夫,1988,『スポーツ社会学講座』大修館書店.
1975年SSM全国調査委員会編,1978,『社会階層と社会移動:1975年SSM全国調査報告』1975年SSM全国調査委員会.
澤宮優,2003,『打撃投手』現代書房.
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森哲志,2002,『不屈のプレイボール』河出書房新社.
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