鈴木沙和
ここ2年ほど前から市町村合併をする市町村の数が全国的に増加し、特に今年に入ってから合併した新市町村の数は20市町村(旧市町村の数は57市町村)に及んでいる。まさに今、明治の大合併、昭和の大合併に続く、平成の大合併が行われている。そのような中で、私のふるさとである宮城県中新田町も今年の4月1日から隣町の小野田町、宮崎町と合併し、加美町という新しい町となった。
私は小学生までは中新田町で過ごし、中学時代は宮崎町の中学校に通ったのだが、すぐ隣の町なのに言葉の意味が理解できないという経験をしたことがある。友達と話していると今までに聞いたことのない単語が出てきたり、ジャンケン等の遊びの掛け声も全く違かったり……。中学生の私にとって、それはまるでとても遠い国に来てしまったようにも思えた。まさかこんなに近い距離でカルチャーショックを受けるとは思ってもみなかった。
このような経験をしたことから、私はこの2つの町が同じ町になるということにとても興味を抱いた。そして、本研究ではこのようにそれぞれ異なる文化を持った町が一つの町としてまとまっていくには、どのような障害を抱えており、またそれはどのような原因から生じるのかを明らかにしていきたい。
明治時代の初め、日本にはまだ市は存在せず町村の数は71,314もあった。日本に現代の市町村の原型が作られたのは、1889年(明治22年)の市制町村制の執行からである。これによって日本で初めて町村合併が行われ、7万余あった自治体は15,859になり、およそ5分の1に減少した。これが明治の大合併である。続いて次に大きく市町村数が減少したのが、1953年(昭和28年)から1961年(昭和36年)にかけてである。この8年間で9,868あった市町村は3,472まで、およそ3分の1減少した。これが昭和の大合併である。これら2回にわたる大合併によって全国の市町村数は25分の1に減少した。そして現在、明治、昭和に続いて、平成の大合併が始まっている。(佐々木 2002)(図1-1参照)現在(平成15年10月1日現在)の全国の市町村数は3,181で、そのうち2,152(全市町村数の67.7%)の市町村が合併に向けての法定協議会、または任意協議会を設置している。研究会程度のものを含めれば、合併を検討している市町村は2,563(全市町村数の80.6%)に及んでいる。(総務省自治行政局合併推進課ホームページより)
図1-1 市町村数の変換
(出典:佐々木信夫『市町村合併』2002: 28)
それではなぜ、今のこの時期に大合併が行われるのか。それは、政府の出した市町村合併特例法の期限が2005年(平成17年)3月31日に迫っていることが影響している。この市町村合併特例法では、期限までに合併すれば、1)起債発行額の70%を国が地方交付税で措置し、自治体は30%だけを負担すればよいという有利な起債を許している。また、合併した年から10年間は合併しなかった場合の交付税の全額を保障し、11年目から15年目にかけて少しずつ減額するという特例も認めている。(図1-2参照)政府はこういった有利な財政制度を用意して、市町村の数を2005年までに約1,000まで減らしたいとしている。
図1-2 地方交付税額の算定の特例
(出典:加美郡町村合併研究会「新しいまち未来づくり」2000: 6)
では、なぜ政府は市町村合併を進めるのだろうか。国民に対して、政府は市町村合併の必要性を主に5点挙げている。
@ 地方分権の推進
A 高齢化への対応
B 多様化する住民ニーズの対応
C 生活圏の広域化への対応
D 効率性の向上
(総務省自治行政局合併推進課ホームページより)
地方分権の推進というのは、わかりやすくいうと住民にもっとも身近である市町村に行政の権限を移し、それぞれの地域で創意工夫を凝らした行政運営を推進するということである。これを円滑に進めるためには地方自治体の行財政基盤を強化する努力が必要であるし、高齢化へ対応するためにも市町村の財政の確保が必要である。また、効率性の向上を図るには、隣接市町村で類似の建設物を建てたりせずに、広範囲で効率のよい行政運営することが求められる。要するに、もともと財政難で苦しい地方自治体の行財政を建て直す必要性のあることが、市町村合併を進める大きな要因になっていると考えられる。また、地方自治体だけではなく、国も深刻な財政危機下にあり、双方とも効率的な財政運営への切り札が求められていることが背景となっている。(佐々木 2002)
本稿で取り上げる合併事例は、宮城県加美郡旧中新田町・同郡旧小野田町・同郡旧宮崎町の3町合併による加美郡加美町である。まずは、旧中新田町、旧小野田町、旧宮崎町の基本情報を見ていく。旧3町は宮城県の北西部に位置し、船形連峰をはじめとする奥羽山脈を背に、そこに源を発する鳴瀬川、田川などが町を貫流している。(図1-3参照)
図1-3加美町の地図
(出典:中新田町・小野田町・宮崎町合併協議会「新町県建設計画」2002: 7)
旧小野田町には、加美富士と呼ばれる薬莱山がそびえており、広大な扇状形に開けた平坦地は、日本有数の穀倉地帯といわれている大崎耕土の一角をなしている。このように、旧3町は地帯、高原、平野部などの豊かな自然環境に恵まれている。(「加美町町勢要覧」より)
図1-3旧3町の地図を見てもわかるように、旧中新田町の面積がもっとも小さい。しかし、表1-1を見ると、旧中新田町の人口は、13,975と旧小野田町や旧宮崎町のおよそ2倍になっている。人口密度からもわかるように、旧3町の中では旧中新田町にもっとも人口が集中しており、旧小野田町・旧宮崎町は森林部分が広いことから、面積の割に人口はとても少ない。図1-3を見ると、旧3町には鉄道が通っておらず、このことが起因してか、旧中新田町に人口が集まっているとはいえ、旧3町とも過疎化に悩まされている。
表1-1 旧3町の人口・面積・人口密度
(宮城県加美町「加美町町勢要覧」2002: 6より作成)
農家人口に注目すると、旧小野田町と旧宮崎町のどちらも全人口の半数以上を占めている。しかし、第1次産業の衰退を考えると、このように農業中心の地域は経済情勢が厳しいことが予想される。
表1-3 旧3町の商業の状況
(宮城県加美町「加美町町勢要覧」2002: 6より作成)
商業については、表1-3を見ると、小売業では、旧中新田町の年間販売額が旧小野田町と旧宮崎町の合計額の約2倍となっており、卸売業においては、全体の95%も占めている。よって、旧3町の中では、商業の中心は旧中新田町であるといえる。しかし、隣には古川市という、2)大崎地方唯一の市があるため、広域的に見ると商業が栄えているとはいえない状況である。したがって、旧3町とも、経済情勢は厳しいということがいえる。
旧3 町は、第1章の1-1で見てきた2度の大合併の時期に、全国的な流れにそって合併してきた。明治22年には、「明治の大合併」により、27村が1町5村に統合された。そして、昭和29年には、「昭和の大合併」により、中新田町、広原村、鳴瀬村が中新田町に、宮崎村、賀美石村が宮崎町になり、昭和18年に調整を施行した小野田町を含め、現在の加美町の基となる3町が構成された。そして、平成15年に「平成の大合併」により、中新田町、小野田町、宮崎町が加美町に統合された。(図1-4参照)(「加美町町勢要覧」より)
図1-4 加美町の合併の歴史
(出典:中新田町・小野田町・宮崎町合併協議会「新町建設計画」2002: 8)
中新田町・小野田町・宮崎町合併協議会で作成された「新町建設計画」では、加美町の合併の必要性として次の5点を挙げている。
@ 生活圏の拡大に応じたまちづくり
A 新たな行政課題に対応するための行政体制の整備
B 少子・高齢化の進展に伴う社会構造の変化
C 地方分権の推進
D 財政の危機的状況
このように、加美町の合併の必要性も1.1.2で見てきた総務省が公表している市町村合併の必要性とほぼ同じ内容となっている。それでは、加美町には本当に合併が必要だったのだろうか。上記の5点の中から、ここでは特にBとDについて見ていく。
まず、Bについてだが、図1-5を見てほしい。加美町の老齢人口の割合は、すでに25%を超えており、4人に1人がお年寄りという状況である。また、それに対して、年少人口は15%を割っており、少子・高齢化が特に進んでいるということがわかる。このような状況から考えると、より早くに医療・福祉面の充実を図る必要性があり、そのためには合併して人的・財政的な基盤の整備をすることも重要であると考えられる。
次に、Dについてであるが、3)図1-6を見てほしい。旧中新田町の地方債等の総額は、148億1,200万円、同じく旧小野田町は114億1,300万円、同じく旧宮崎町は87億4,800万円であるが、平成17年3月31日までに合併すれば、その一部を交付税で措置することができる。その額を引くと、旧中新田町の地方債等の実質負担見込額は90億5,400万円、同じく旧小野田町は53億600万円、同じく旧宮崎町は41億3,100万円と大幅に少なくなる。このようなことから、今の時期に合併することは、旧3町にとって行財政の建て直しを図る大きなチャンスであると考えられる。
以上、加美町の特に特徴的な部分である2点のみしか見なかったが、これらだけで考えても、旧3町の合併をしていなければ、さらに厳しい状況になっていただろうということが予想できる。よって、旧3町の合併は財政上必要とされていたと考えられる。
加美町合併の動きは、平成10年5月29日に加美郡町村合併研究会が設立されたことからはじまる。その後、平成13年4月2日に加美郡四町合併推進委員会(任意協議会)、平成14年2月1日には加美郡四町合併協議会(法定協議会)が設立される。実は、加美郡は4町から成っており、色麻町という町も一緒に合併する予定だった。しかし、平成14年10月15〜25日に色麻町で「加美郡四町合併に対する住民意向調査」が実施され、その結果、反対多数により色麻町は脱退する。これを受けて中新田町、小野田町、宮崎町の全9ヵ所で住民座談会を開催し、3町でも合併を目指すべきとの意見が多数を占めたので、平成14年11月8日に中新田町・小野田町・宮崎町合併協議会(法定協議会)を新たに設立した。その後、5回の協議会を開催し、平成15年4月1日に加美町が誕生した。(宮城県総務部市町村課ホームページより)
それでは、簡単に新町加美町の概要を見ていく。市町村合併の形態には2種類あるが、加美町は、「2つ以上の市町村が一緒になって新しい市や町をつくる」(佐々木 2002: 95)というかたちの新設合併である。もう一つは編入合併といい、「ある市町村の区域の全部または一部を、他の市町村に編入する合併のことを指す」。(佐々木 2002: 97)(図1-7参照)
図1-5市町村合併の形態
(出典:佐々木信夫『市町村合併』2002: 96)
本庁舎は、旧中新田町役場に置かれ、旧小野田町役場は小野田地区支所、旧宮崎町役場は宮崎地区支所となった。
新町建設計画によると、加美町の基本理念は、「ゆとりと豊かさを享受でき、子どもから高齢者まで生きがいを持って、創造的な文化活動や産業活動が活発に行われる地域社会の創造」であり、キャッチフレーズは、「美しい自然、こころやさしい人々、活力ある生活文化のまち・加美」である。
市町村合併とは、シンプルに捉えると異なる組織と組織の統合と見ることもできる。そうすると、銀行の合併のような企業の合併によって起こっている問題と同じようなことが市町村の合併によっても起こっていると予想することができる。桑田・田尾によれば、「組織の中では、人と人、部門と部門、もしかすると、組織と組織さえ、立場が相違すれば、それぞれの立場から利得を奪い合うことになる」(桑田・田尾 1998: 249)と述べており、私はこれをコンフリクトと解釈する。そうすると、異なる組織と組織が一つの組織になるときには、コンフリクトは付き物であると考えられる。
Pondy(1967)は、一般的にコンフリクトが発生しそうな可能性として潜在的に、それを生み出す条件として、以下の3つをあげている。
@ 資源の希少性
A 自立性の確保
B 意図関心の分岐
はじめに、資源の希少性とは、「組織が活用できる資源が不足している場合、コンフリクトは生じる」(桑田・田尾 1998: 252)というものである。市町村合併において考えると、財政難で合併したのならば、まさにこの条件に合致する。それまで各自で行政を行ってきた市町村同士が一つの市町村になるのだから、行財政の配分をめぐって意見が合わないことも十分考えられる。
次に、自立性の確保とは、「互いが自立を求めて、他者を統制したり自らの管轄下に置きたいと意図した場合である。」(桑田・田尾 1998: 252)市町村合併には、新設合併と編入合併の2種類があると前にも述べたが、特に後者の場合は明らかに支配と応諾の関係ができてしまい、互いに自立性を確かにしたいというときに、コンフリクトは起こると考えられる。
最後に、意図関心の分岐とは、「組織内の個人や作業集団間で、共通の目標を確立するにいたらず、協力関係のコンセンサスが成り立たない場合である。」(桑田・田尾 1998: 253)市町村合併によって一つの市町村になったからといって、それまで各自で作り上げてきた文化が異なれば、すぐにどの市町村も同じ目標に向かっていくということは難しいと考えられる。
このように、市町村合併の状況はコンフリクトを生み出す条件に当てはまっていることから、合併後の市町村ではコンフリクトは避けがたいと考えられる。市町村合併を住民側から見ていく場合にも、何らかのコンフリクトは存在するはずであり、これを軸として調査を進めることにする。
それでは、市町村合併を住民側から見つめて何を追究したいのかという芯の部分にふれていく。この論文では大きく2つの問題を明らかにしていきたいと考えている。1.2.1で加美町の合併の現状を述べたとおり、旧中新田町は商業中心の町、旧小野田町と旧宮崎町は農業中心の町と、大きく特色の異なる町が合併している。そして、1.3で述べたように、組織と組織が一つになったときには、コンフリクトが起こりやすい。これらのことから、加美町が一つの町として本格的に軌道に乗るまでには、異なる文化を持った旧3町の間で互いに問題が生じることがあると予想される。まず、そのような場合に起こるコンフリクトにはどのようなものがあるのかを検討する。そして、それらの要因として、旧3町の間にどのような意識や事柄が働いているのかを明らかにしていく。
では、この研究をすることによってどのような社会的意義があるのだろうか。この研究のポイントは住民側から検証していく点にあると思われる。なぜなら、市町村合併について多くの議論がなされているが、そのほとんどが国や市町村の立場から見たものだからである。つまり、住民にとって市町村合併はどのような意味を持っているのかということがまだあまり公表されていない今、それを明らかにすることは非常に意義があると考えられる。そういったことから、この研究は2つの社会的な意義を持っているということができる。まず一つ目は、加美町で住民の市町村合併に対する意識を調査して3町が円滑にまとまる方法を導き出すことができれば、私のふるさとである加美町の推進に役立てることができるということである。そして二つ目は、加美町に限らず、これから合併を進める他の市町村や企業に対しても、参考となる論点を指摘することができるということである。
1.4.1で述べた2つの問題を検証する方法として、中新田町・小野田町・宮崎町合併協議会に参加していた加美町議会議員と加美町の住民にインタビューを実施する。合併協議会に参加していた加美町議会議員に対しては、加美町誕生までの流れや合併後の状況など基本的なことを知るため、1名にインタビューを行う。また、加美町の住民に対しては、旧中新田町からは6名以上、旧小野田町、旧宮崎町からは各3名以上サンプリングした。そして、住民にとって3町の合併がどのような意味を持っているのかを考察するためにインタビューする。旧中新田町と旧小野田町、旧宮崎町でインタビュー予定の人数が異なる理由は、表1-1で見たように、旧中新田町の人口は旧小野田町と旧宮崎町の約2倍となっていることから、旧3町の人口比と同じ割合で人数を設定した。また、本調査でのサンプリング方法は、ランダムサンプリングではなく、知人による紹介の便利サンプリングである。インタビューは、平成15年9月14〜19日に実施した。そして、インタビュー結果から、出身地ごとの特徴や共通点を探し出し、合併直後の加美町で起こっているコンフリクトの原因を探っていく。インタビュー項目は、文末に付録として載せている。
第1章の2.3では、一般的に公開されている3町合併の背景について見てきたが、実際の3町合併の裏側では、どのようなことが合併を進める原動力となっていたのだろうか。この節では、3町合併について詳しい知識を持つ、ある加美町議会議員にインタビューした内容を記述しながら、加美町誕生の裏側に迫っていく。
3町合併の話は、第1章の2.2でも述べたように、はじめは加美郡の4町で合併し、加美市にするという計画からはじまった。4町合併を進めようという動きが生まれた最初の要因は何だったのだろうか。「はじめは県の勧めにより、町のイメージアップを計るために市政執行を目指し始めた。この合併の一番の目的は市政執行することにあった。」(加美町議会議員、以下議員)行政から住民に対して作られた4町合併に関するパンフレットの中では、4町合併が進められた要因は、日常生活の行動範囲の拡大、少子高齢化社会の進展、地方分権の推進、厳しさを増す財政状況の4点に対応するためと書かれていたが、本当のねらいはそのうちのどれでもなく、しかも3町合併の発想と全くかけ離れたものであった。
当初、加美郡四町合併協議会は、市政執行を実現させることに非常にこだわっていたようだが、市政執行をすることによって、町のイメージアップの他にはどのような利点があったのだろうか。「まず加美郡4町で合併して市になることで、周りの市町村に対して市に昇格したという印象付けを行う。そしてその後、隣の市と合併することになれば、吸収合併ではなく対等合併ができるのではないか、対等合併が無理だったとしても町のままよりはよい条件で合併することができるのではないかという考えがあった。つまり、この合併が最終目標ではなく、今後の合併を視野に入れた一つのステップとして、4町合併は位置付けられていた。」(議員)
順調に進んでいたかのように思われたが、色麻町は住民アンケート調査を実施し、その結果から色麻町長は合併期日の延長を要請する。しかし、加美郡四町合併協議会では却下され、協議会は休止される。では、色麻町のアンケート調査から得られた住民の声はどのようなものだったのだろうか。「将来的には合併は必要かもしれないが、今の段階では合併する必要性がない。そんなに急いで合併を進めなくてもよいのではないか。」(議員)これが色麻町住民の代表的な答えだった。
ほとんど話がまとまりかけていた段階での色麻町住民の反対に、残りの旧中新田町、旧小野田町、旧宮崎町は、3町緊急合併住民座談会を開催した。その座談会とは一体どのようなものだったのだろうか。「座談会とは名だけで、実際は報告会と言ってもいいほどのもので、住民の意見を聞くものではなく一方的に合併を進めることを前提に意思確認をするというものだった。」(議員)そして、3町だけでも合併を進めていくことが決定した。加美郡四町合併協議会が休止されてから、わずか1週間のことであった。
3町で合併を進めるようになると、合併期日が平成16年3月までから平成15年4月1日に変更された。その背景には、何が隠されていたのだろうか。「合併特例法の一つに議会の議員に関する特例がある。その内容は合併後の一定期間に限り、引き続き合併市町村の議員として在任できるというもの。実は、平成15年4月には旧中新田町と旧小野田町、平成15年6月には旧宮崎町の議員選挙があった。」(議員)つまり、合併した時点で議員をしている人は、選挙をせずにそのまま議員を続けることができるのである。
このように、加美町の誕生は行政主導であったため、住民の意思によるものではなかった。こういった経緯によって加美町がスタートしたが、そこに住んでいる加美町住民はどのようなことを感じ、またどのような変化が起こっているのだろうか。加美町住民の中から、旧中新田町住民8名、旧小野田町住民3名、旧宮崎町住民6名の計17名にインタビュー調査を実施した。インタビュー項目は第1章の4.3にある質問項目で行った。次の第2節から第4節にかけて、17名の特に特徴的な意見をまとめている。また、インタビュー結果すべての一覧表は文末に付録として載せている。本稿では、インタビューをした17名の住民をアルファベットの仮名で呼んでいく。
Aさんは、合併による生活面、仕事面での変化が全くないため、3町が1つになったという実感はないと言う。合併による不安については、税金の値上がりがあるかどうかを心配している。旧町の誇れるところは田舎のよさと回答した。将来の加美町に対して、旧3町のよいところが全体的に広まっていくことを望んでいる。家族が防火クラブに入っていて、この団体も合併を進めているが、現段階では互いに協力していこうというところまでは達していないようである。
Bさんは、普段の生活に変化はないが、仕事の面でデメリットがあり、それによって合併を実感しているようである。そのデメリットとは、町のシステムが4)例規どおりに行われていないために事務処理などで時間がかかることだそうである。旧町の誇りは、住民の参加しやすいイベントや催し物が多いことだと言う。合併による不安は、町政が町全体に広く行き届くかということであり、住民一人一人から関心を持たれるような町づくりを望んでおり、職業柄から行政に関心のあることがよく表れているように思われる。
Cさんは、商工会に参加し、商工会の合併も進められている状況であることから3町が1つになったことを実感しているようである。商工会の合併を進める中で、自分たちは旧3町で協力し合っていかなければならないと考えているのに対して、旧小野田町・旧宮崎町からは旧中新田町に対する競争心のようなものを感じ、考え方の違いを痛感していると言う。これからの加美町に対しては、それぞれの町のいいところを出していけることを期待している。合併による不安については、旧小野田町・旧宮崎町の新設施設の建設費・維持費の問題を挙げている。
DさんもCさんと同じく商工会に参加しており、商工会が合併するための会合に3町の人がいることによって3町が1つになったことを実感しているようである。また、Dさんは、合併協議会町民部会でも活動し、合併後の旧3町の関わり方に対する独自の勉強会を開いていたことから、合併に対する前向きな姿勢が窺える。その活動を通して、旧3町の合併に対する温度差、意識の違いが感じられたようだ。生活面では、電話帳を調べるのが大変になったこと、住所を見ただけでは土地の場所が理解できなくなったことを不便に感じていると言う。加美町の望ましい将来像としては、人、システム、産業や環境などを主張していくことのできる町を求めている。
EさんはAさんと同じく生活面でも仕事面でもあまり変化がないため、合併したという実感はないようである。生活の中で不便に感じていることは、住所だけでは土地の場所がわからなくなったことを挙げている。合併による不安については、旧小野田町の施設の建設費・維持費のことを心配している。これから加美町に期待することはお客さんの流れを作ること、また人が集まる施設の充実を望んでおり、商売をしていることから人の流れには敏感のようである。
Fさんは、役場に行ったときに今までよりも混雑していることから合併したことを実感しているようである。仕事面では、合併によってほんの少し客が増えて売上が上がったようだが、それよりもここ数年で大型店が町内に入ってきていること、また新しい道路ができて町内を通っていく車が減ったことで客が減少するダメージの方が深刻になっていると言う。また旧中新田町商店街は、各店の経営者に若者が少なく、後継者がいないお店が多いという問題も抱えているようである。旧小野田町・旧宮崎町の飲食業をしている人たちには、旧中新田町の商店街だけが得しているように思われていると感じているそうだが、実は旧中新田町の商店街も同じように苦しい状況のようである。Fさんは、工業施設、文化施設をいかにアピールして、より多くの人に加美町に永住してもらうかということを加美町に期待している。
GさんもAさんやEさんと同じく、普段の生活に変化がないことから合併の実感はないようである。旧中新田町の誇りについては、自然が豊かなことを一番に挙げている。合併による不安では、Eさんと同じように財政面のことを心配しているようである。今後の加美町に対しては、旧3町の交流が深まっていくことや観光面でのPRをしていくことを期待しており、また、文化・福祉面の強化をして高齢者が安心して住める町になることを望んでいる。
Hさんは、合併により勤務地が旧宮崎町に移ったため、旧中新田町では珍しく普段の生活の中でも合併による変化を感じている。合併による生活面でのメリットには、必要な書類が自分の住んでいる地域以外でも取れるようになったことや旧小野田町、旧宮崎町にも関心が持てるようになったということを挙げている。仕事の面でのメリットには、いろいろな人と交わり、地域性の差を感じることができるということを挙げている。またデメリットとしては、仕事の中での混乱が多いがそれを解決するには何度も話し合いをするしかないと言っていることから、合併後の他の2町との交流に前向きな姿勢を感じられる。やはり、行政側にいることから、合併によるメリットを他の住民よりも多く見出している。
旧中新田町については、加美町に期待することや望ましい将来像を訪ねると、「旧3町それぞれのよいところを出し合っていくこと」(自営業Cさん)、「旧3町の交流」(公務員Gさん)、「旧3町のよいところを全体的に広める」(非規制雇用者Aさん)、と旧3町の交流を求める声が他の旧2町に比べて多かった。また、仕事面のメリットとして、「旧小野田町や旧宮崎町の人とも交わることが出来るようになった」(公務員Hさん)ということを挙げている人もいる。そして最も特徴的なことは、「独自の合併に関する勉強会を実施した」(自営業Dさん)と、住民自らが合併に対する行動を起こしているということである。一方、合併による不安を訪ねると、「旧小野田町の文化会館建設費の問題」(自営業Eさん、飲食業Fさん)、「旧小野田町の文化会館建設費と旧宮崎町の運動公園維持費の問題」(自営業Cさん)、「旧小野田町と旧宮崎町の財政面の問題」(公務員Gさん)、と半数の人が旧小野田町と旧宮崎町の新設施設の財政面を心配している。
Iさんは、生活面でも仕事面でもあまり変化がないため、まだ合併したことを実感していないようである。しかし、生活面では、水道の手続きが小野田支所(旧小野田町役場)ではできずに、加美町役場(旧中新田町役場)までわざわざ行かなければならなかったことをデメリットとして挙げている。Iさんは、旧小野田町に対して自然が豊かであることを誇りに思っていたようである。合併による不安は、税金が高くなるかどうかを心配している。今後の加美町には、老後のサービスがよくなることを期待し、豊かな自然を大切にして住みやすい環境にしていってほしいと望んでいる。
Jさんは、合併の実感はないが、生活面のデメリットとして、電話帳で調べるのが大変になったこと、広報に載っている情報が広すぎて理解できないこと、住所だけでは場所がわからなくなったことを挙げている。Jさんは飲食業を営んでいるが、売上の変化はないと言う。Jさんによると、旧小野田町の人々は合併前から旧中新田町へはよく行っていたそうである。旧小野田町の誇りでは、薬莱山(旧小野田町にある山)、高原などの自然、独特なものを作れる環境があること、ユニークな人がたくさんいること、……等と、最も多く回答してくれた。今後の加美町には、文化的なものの大きな組織となることを望んでいる。
Kさんは、町役場に勤めていることから仕事を通して合併したことを実感しているようである。生活面では変化はないが、仕事面では競争心が生まれることや、旧中新田町、旧宮崎町の人と接するようになったこと、それを通じて風習の違いを知ることができたことをメリットとして挙げており、デメリットとしては、通勤距離が遠くなったことを挙げている。Kさんによると、旧小野田町の商店街でも、旧宮崎町と同じく売上が減少しているそうであり、Kさん自身も合併によって旧小野田町が衰退していくのではないかということを心配している。今後の加美町に対しては、自然と共存できる町になっていくことを期待している。
旧小野田町については、旧小野田町の誇りを訪ねると、「自然の豊かさ」(農業Iさん)、「自然」(飲食業Jさん、公務員Kさん)と全員が真っ先にそう答えた。旧小野田町には薬莱山があり、町のシンボルであり、観光地にもなっていることからだと考えられる。また、「商店街(役場の近くにある)の売上が下がっているという話を聞いている」(公務員Kさん)という事実もあるようだが、薬莱山付近で飲食業をしているJさんによると「売上に変化はない」という。旧小野田町は、役場付近の商店街と薬莱山付近では、状況が異なるようである。
Lさんは、合併の実感はないが、生活面では町の用事をするのに旧中新田町まで行かなければならなくなったことをデメリットとして挙げている。仕事面のメリットとしては、旧中新田町、小野田町の人と交わるようになったことを挙げている。Lさんは、今のところはまだ仕事面のデメリットはないが、合併によって中央(旧中新田町のこと)に人が吸い取られてしまい、この先商売がやっていけなくなるのではないかという不安感を抱えている。今後の加美町には、後継者に残りたいと思われるような町づくりを期待しており、職業の関係上、過疎化に対して敏感なことが感じられた。
Mさんは、家族の方が役場に勤めており、その方から仕事の話を聞いたりする中で合併を実感しているようである。しかし、実際には普段の生活で変わったことと言えば役場が遠くなったことだけなので、合併したからといって普段の生活に変化はないと言う。合併によって、旧宮崎町が寂れてしまうのではないかということを不安に感じている。
Nさんは、生活面でも仕事面でも合併による変化が何もないため、合併の実感はないようである。Nさんの住んでいる地域は賀美石地区であるが、この地区に住んでいる人々のほとんどの人は、合併する前から生活圏は旧中新田町だったと話してくれた。Nさんは、仕事をするのにとても環境がよいため、加美町にずっと住み続けたいと言う。今後の加美町に対しては、市になることを望んでいる。
Oさんは、町の広報に旧3町の情報が載るようになったことによって合併を実感しているようである。合併による生活面のメリットでは、役場に行く用事も旧中新田町で他の用事と一緒に済ませることができるようになったことや、加美町立図書館(旧中新田町立図書館)でビデオの貸し出しができるようになったこと、水道料金の値下げを挙げており、デメリットとしては、公共料金(水道以外)、中でも汲み取り料金の値上げがあったことや住所だけでは場所がわかりにくくなったことを挙げている。今後の加美町に対しては、税金の安い町になることを望んでいる。
Pさんは、Nさんと同じく普段の生活にほぼ変化がないため、合併の実感はないようである。しかし、生活面のメリットとしては、広報でより広い範囲のことを知ることができるようになったことや、役場に行く用事も旧中新田町で他の用事と一緒に済ませることができるようになったことを挙げている。Pさんも賀美石地区に住んでおり、Nさんが言っていたように、生活圏は合併前から旧中新田町であったと言う。加美町に対する不安や望むことは、特にないようである。
Qさんは、合併の実感はないようであるが、合併によるデメリットとして、生活面では旧宮崎町の主要なものが旧中新田町に移動したこと、仕事面ではお店の場所が旧宮崎町の中心にあるだけに、平日は益々人が少なくなって収入が減ってしまったことを挙げている。Qさんのお店だけではなく、近くにある他の飲食店やタクシー会社でも収入が減少していると言う。旧宮崎町は、小さい分合併による影響は大きいそうである。合併による不安では、財政面のことや旧宮崎町が寂れてしまうのではないかと回答している。加美町に対して期待していることとして真っ先に挙げたことは、働きやすい場所をもっと増やしてほしいということだった。
旧宮崎町については、合併による不安を訪ねると、「旧宮崎町が寂れてしまうのではないか」(無職Mさん、飲食業Qさん)、「6)中央に人が吸い取られるのではないか」(自営業Lさん)というように、不安があると答えた人全員が旧町の衰退を心配している。そして、加美町へ期待することを訪ねると、「後継者に残りたいと思われるような町づくり」(自営業Lさん)、「働きやすいところを増やしてほしい」(飲食業Qさん)、という意見があり、若い人が働ける場所を増やして後継者を増やしていきたいということを求めているようである。生活面のメリットでは、「役場の場所が変わったことによって、旧中新田町ですべての用を足すことが出来る」(会社員Oさん、自営業Pさん)と役場が旧中新田町になったことを便利に思っているという旧3町で唯一の意見があった。この2人に共通するのは賀美石地区に住んでいるということである。そして、「賀美石地区の人々の生活圏は、元々旧中新田町である」(農業Nさん)という証言から、賀美石地区からは、旧宮崎町の中心部よりも旧中新田町の中心部の方が近く、合併前から旧中新田町によく来ているようである。
インタビューをしてみて全体的にいえるのは、まだ合併をしてから5ヶ月しかたっておらず、それほど日常生活に大きな変化を感じていないため、合併の実感が湧いていない人が多いということである。しかし、そういう状況の中でもこれまで見てきたように旧町によって多少の違いが見受けられた。それでは、旧3町に共通していることはどのようなことだろうか。インタビュー結果のまとめとして、第5節では旧3町の共通点を述べていく。
旧3町共通の意見は、大きく2つに分けることができる。一つ目は生活面のデメリット、二つ目は加美町に対する誇りや住居願望といった町に対する思いである。
まず、一つ目の生活面のデメリットについては、「住所だけでは場所がわかりにくくなった」(旧中新田町D、E、Gさん、旧小野田町Jさん、旧宮崎町Oさん)という声が旧3町に共通して多かった。これはどういうことかというと、新しい住所には旧町名が入っていないために、大体の場所が理解できないということである。他にも、「役場が遠くなった」(旧宮崎町L、Mさん)、「統計委員会の会場が遠くなった」(旧中新田町Fさん)、「水道の手続きが7)加美町役場のみでしかすることができないようになった」(旧小野田町Iさん)というように距離の問題も旧3町で共通している。
次に、二つ目の町に対する思いについて見ていく。旧町の誇りに思うものはと訪ねると、「自然の豊かさ」(旧中新田町F、Gさん、旧小野田町Iさん)、「自然」(旧小野田町J、Kさん)、「空気・水がきれいなこと」(旧宮崎町L、Qさん)と自然をキーワードとした回答がとても多かった。それから、加美町への期待や望ましい将来像を訪ねると、「高齢者が安心して住める町」(旧中新田町Gさん)、「福祉・教育など様々な面で暮らしやすい町」(旧中新田町Cさん)、「老後のサービスの向上」(旧小野田町Iさん)、「高齢者の暮らしやすさ」(旧宮崎町Qさん)と、高齢化を意識した福祉面のサービス向上を求めている。そして、もっとも共通していたのは、加美町への住居願望である。これは、旧3町すべてで「ずっと住みつづけたい」と答えた人が半数以上、「出来るだけ住み続けたい」も合わせるとほぼ全員が今後も住み続けたいと回答した。合併直後で多少のデメリットはあっても、豊かな自然に囲まれた加美町に住み続けていきたいというのが、旧3町に共通した意識といえるのではないだろうか。
インタビューを進めていくにつれて、人の流れの変化に関する意見がとても多いことに気付いた。人の流れに関する住民の発言を追いながら、まずは加美町全体の変化を探っていきたいと思う。
「旧宮崎町の商店街は合併してから平日の人出が少なくなった。自分の店もその影響で売上が合併前よりも1割減少した。他の飲食店や宴会場、タクシー会社も売上に悪影響を受けている」(旧宮崎町Qさん)、「(役場の近くにある)商店街の売上は、旧小野田町も下がっているという話を聞いている」(旧小野田町Kさん)、「旧小野田町も役場が支所になり、役場に来る業者が少なくなったそうだ」(旧中新田町Gさん)。これらの発言から予想されることは、合併後に旧中新田町役場が加美町役場になり、旧小野田町・旧宮崎町役場が支所となったことによって、旧小野田町・旧宮崎町役場の周辺は、平日の人の数が減少してしまったということである。では、実際にはどのくらいの役場職員の移動があったのだろうか。表3-1の特に「役場・支所に勤めている町職員数」に注目してほしい。加美町役場(旧中新田町役場)に勤めている町職員数は、合併前の平成14年から合併後の平成15年にかけて、71名増加している。一方、小野田地区支所(旧小野田町役場)に勤めている町職員数は、平成14年から平成15年にかけて55名減少、同じく宮崎地区支所(旧宮崎町役場)に勤めている町職員数は、21名減少している。職員数の変化だけ見れば、あまり大きな変化はない。しかし、図3-1のように、小野田支所、宮崎支所には住民生活課、産業建設課があるだけで(
表3-1 合併前後における旧3町間の町職員数の変化
(「合併協定書協定項目参考資料集」、「加美町公報4月号」より作成)
)、他の部署はほぼ加美町役場にあるために、Gさんの証言どおり、小野田地区支所、宮崎地区支所に行く必要がなくなった業者も少なくないだろう。また、「水道の手続きが加美町役場のみでしかすることができないようになった」(旧小野田町Iさん)というように、支所では無理な手続きもあるということも視野に入れて考えると、確かに小野田・宮崎地区支所周辺の人通りは減少したと考えられる。図3-1 加美町行政組織・機構図
(出典:宮城県加美町「加美町町勢要覧」2003: 5)
それでは、旧小野田町、旧宮崎町の人通りが減少した分、旧中新田町の人通りは増えているのだろうか。「合併によってほんの少し客が増えて売上が上がったが、それよりもここ数年で大型店が町内に入ってきていることや新しい道路ができて町内を通っていく車が減ったことで客が減少するダメージの方が深刻になっている」(旧中新田町Fさん)、「お客さんの流れを作ってほしい。8)古川市に流れていっている」(旧中新田町Eさん)ということから考えると、旧中新田町だけに流れているとは考えにくい。
表3-2 旧3町の夜間・昼間人口
(国勢調査結果から作成)
そもそも、この現象は合併後に起こりはじめたものなのだろうか。表3-2は合併前の旧3町の夜間人口と昼間人口を示している。夜間人口と昼間人口を見比べると、昼間に人口が増加しているのは旧中新田町だけで、旧小野田町、旧宮崎町は減少しているのがわかる。「夜間人口と昼間人口の差」を見ると、一目瞭然である。それでは、旧小野田町と旧宮崎町の昼間に減少している人口はすべて旧中新田町に流れているのだろうか。実は、平成7年の旧小野田町と旧宮崎町の昼間に減少している人口を合わせたうちの約43%しか旧中新田町の人口は増えていない。同じように平成12年も計算すると、約35%と平成7年よりもさらに少なくなっている。これは、どのようなことを意味しているのだろうか。まず考えられるのは、旧小野田町と旧宮崎町からは旧中新田町だけではなく、他の市町村へも人口が移動しているということである。そして、もう一つ考えられるのは、旧小野田町・旧宮崎町から旧中新田町に人が流れ、さらに旧中新田町から他の市町村へも流れているということである。これらは、どちらも平行して進行していたと考えられるのではないだろうか。
(国勢調査結果から作成)
これまで述べてきたことをまとめると、人の流れについては以下の2点のことがいえる。
@ 旧小野田町・旧宮崎町から旧中新田町への人の流れは合併以前からあり、今回の合併によって一時的に多少増加しているようである。
A 旧中新田町・旧小野田町・旧宮崎町それぞれから、旧3町以外の市町村への流れがあり、これは年々増加している。
合併後のデータはまだないので、合併後についてははっきりしたことはわからないが、少なくとも住民が感じていた人の流れは実際のものであったということができる。また、図3-2を見ると、前述の現象と平行して旧3町とも過疎化が進行していることがわかり、このことから住民の不安がより深刻なものであることが窺える。
それでは、旧3町間で人の流れが見られる中で、住民意識にはどのような違いが見られるのだろうか。表3-3に、他の2町を受け入れる姿勢があるか、それとも旧町を守る気持ちが強いかを旧3町ごとにまとめた。ここでの「受け入れ型」と「旧町愛着型」の定義は、表の右に書いたとおりであり、両方に解釈できる発言をしている人は、それぞれでカウントされている。
表3-3 旧3町の住民意識の特徴
この表からわかることは、旧3町の交流を求める「受け入れ型」は旧中新田町に多く、旧町を守ろうとする「旧町愛着型」は旧宮崎町に多い。旧小野田町は、「受け入れ型」と「旧町愛着型」のどちらも少数であり、どちらかに片寄ってはいない。そして、注目すべきポイントは、旧中新田町には「旧町愛着型」が一人もいないということである。
この結果は、どのようなことを意味し、またどのようなことが関係しているのだろうか。第1節の事実関係を整理すると、新しい加美町役場は旧中新田町に置かれ、そのため旧小野田町と旧宮崎町の昼間人口は減少し、商店街の売上に影響を及ぼした。ただし、第2章の5-2にも記述したように、薬莱山付近で飲食業をしているQさんによると「売上に変化はない」ということから、旧小野田町は、薬莱山付近は影響を受けていない。これらから単純に考えると、旧3町の中で合併によって経済的なマイナスの影響をもっとも受けているのは旧宮崎町、続いて旧小野田町、そして旧中新田町は合併によってはあまり影響を受けていないということがいえる。したがって、旧3町の合併に対する住民意識には、合併による経済的な要因が密接に関わっているのではないだろうか。
第3章では、合併前から旧小野田町・旧宮崎町から旧中新田町への人の流れがあり、合併によって商店街の売上に目に見える変化が起こるという経済的な要因によって、旧3町の住民意識に違いが見られたということを述べてきた。そもそも、経済的な変化が生じる原因となったのは、新庁舎(加美町役場)を旧中新田町に置いたことである。このことを踏まえてインタビュー結果を見ていくと、新庁舎の置かれた旧中新田町と新庁舎の置かれなかった旧小野田町、旧宮崎町という対立関係が見られるのではないだろうか。March and Simon(1958)の記述に関して、桑田・田尾は「組織における相互作用は、必ずしもプラスの効果を生むとは限らない。ときには利害の対立や意見の不一致が起こり、組織が機能しなくなることもある。『コンフリクト』と呼ばれる現象がそれである」(桑田・田尾 1998: 22)と述べている。要するにコンフリクトとは、対立や競合のことであるが、加美町で起こっている現象はコンフリクトといえるのではないだろうか。そこで、第4章では、現在加美町で起こっている現象を、1.3に書いたようにPondy(1967)のコンフリクトを生み出す条件と照らし合わせ、本当にコンフリクトが起こっているかを検証する。
桑田・田尾によると、資源の希少性については次のように記述している。「組織が活用できる資源が不足している場合、コンフリクトは生じる。というよりも、原材料や機材、生産設備、人員なども含めて、これらの資源は慢性的に不足しているのが常態というべきであろう。その配分をめぐって関係者の間で合意がなければ、少ない資源をめぐって互いに競合することになる。」(桑田・田尾 1998: 252)
加美町の合併後の状況にこのような場面はなかっただろうか。「商工会の合併で難しいのは、どの町から役員を何人出すかという人数割りの問題である」(旧中新田町Dさん)という話は、役員数の上限が決められた中で各旧町から何人出すかをもめたということから、まさしく桑田・田尾の言っているような少ない資源をめぐった争いがあったといえる。旧中新田町の住民に合併による不安を訪ねると典型的なものでは、「旧小野田町の文化会館建設費の問題」(自営業Eさん、飲食業Fさん)、「旧小野田町の文化会館建設費と旧宮崎町の運動公園維持費の問題」(自営業Cさん)、「旧小野田町と旧宮崎町の財政面の問題」(公務員Gさん)、と述べ、半数の人が財政面を心配していた。これは、他の旧2町による財政面の圧迫によって自分の町が損しないかという不安であり、限られた行財政の配分を気にしていることがわかる。これらの証言から、加美町ではコンフリクトの生じる1つ目の条件に当てはまっているということができる。
続いて、2つ目の自立性の確保について見ていく。桑田・田尾によると、自立性の確保とは、「互いが自立を求めて、他者を統制したり自らの管轄下に置きたいと意図した場合である。自律性を確かにしたいのである。パワーを獲得しようとの動機づけも強く働くことがある。支配と、応諾の拒否が、つまり、広い意味でのパワーの再配分に動機づけられた行動がコンフリクトを引き起こすことになる」(桑田・田尾 1998: 252)と述べている。
これについては、私は新設合併ではこのような場面があるとは想定していなかった。しかし、「合併を進める上で庁舎の位置を決定することは難しかった」(加美町町議会議員)というように、いくら同じ条件で新しい町をつくる新設合併であっても、庁舎のあるところが新町の中心になるということから、庁舎を自分の町に置くことはパワーの獲得をしたと考えることができる。庁舎は町に一つしか置けないが、このように周辺地域に大きな影響を及ぼすものであるので、庁舎の置けなかった町では、「旧宮崎町が寂れてしまうのではないか」(旧宮崎町M、Qさん)、「9)中央に人が吸い取られるのではないか」(旧宮崎町Lさん)、「旧小野田町が衰退するのではないか」(旧小野田町Kさん)という意見が聞かれた。このことから、旧中新田町の支配に対して、旧小野田町、旧宮崎町は拒否までは行かないが、すんなりと応諾しがたいものがあるようだ。よって、2つ目の条件にも当てはまっているといえる。
そして、最後の意図関心の分岐について見ていく。桑田・田尾によると、意図関心の分岐とは、「組織内の個人や作業集団間で、共通の目標を確立するにいたらず、協力関係のコンセンサスが成り立たない場合である。関心がはじめから同じであるということはない。それぞれが自分の都合で行動すると軋轢が生じる。コンセンサスにいたる過程では、当然のことながら、それを得るためにもコンフリクトは避けがたい」(桑田・田尾 1998: 253)と述べている。
コンセンサスとは、同意や合意のことであるが、そこにたどり着くにはコンフリクトを避けがたいということから、この3つ目の条件は、コンセンサスを得るためには必ず通る道である。加美町では旧3町間で共通の目標を確立して協力関係を築けているのだろうか。第3章第2節で述べた住民意識の違いをここでもう一度思い出してみると、旧中新田町の住民は半数以上が旧3町で協力しあっていきたいと思っているのに対し、旧小野田町・旧宮崎町ではそう思っている住民はまだ少ない。しかも、旧宮崎町は旧町を守る意識がとても強いということがわかった。このことから、加美町ではまだ旧3町で共通の目的を目指して協力関係を築くところまではいっていないということがいえる。また、その縮図として「防火クラブの中では、旧3町で協力していこうというところまではいっていない。旧町ごと張り合っている状態である」(旧中新田町Aさん)というように、各種団体の合併でも同じようなことが起こっている。
以上、コンフリクトを生み出す条件3つを加美町の状況と照らし合わせてきたが、加美町は合併後間もないということもあり、すべてに該当していた。よって、加美町でもコンフリクトが生じており、それは特殊なものではなく、組織が合併するときに生じる現象の一つであることがわかった。そして、加美町では旧3町間で対立関係が生じていたことから、Pondy(1967)のコンフリクトが生み出される条件は、加美町の合併の場合でも正しいということが実証できた。
第4章では、コンフリクトが加美町でも生じているということを述べ、主に住民間のコンフリクトを取り上げてきた。そこで、第4節では、住民の行政に対するコンフリクトを取り上げ、なぜこのようなコンフリクトが生まれたのか、またこのコンフリクトは、どのような意味を持っているのかを考察していく。
インタビューの中で、生活面のデメリットとして、「住所だけでは場所がわかりにくくなった」(旧中新田町D、E、Gさん、旧小野田町Jさん、旧宮崎町Oさん)という意見や、合併による不安として、「税金が高くなるのではないか」(旧中新田町Aさん)、「税金の値上げがあるかどうか」(旧小野田町Iさん)という意見があった。
まずは、これらの問題について簡単に説明する。はじめの住所の問題については、これまで住民は、自分の町内の地名とその場所は大体イメージできていた。しかし、合併後に新しい住所から旧町名が消えたことによって、自分の住んでいる町以外の旧2町に関しては、地名だけでは場所が理解できなくなってしまったということが問題となっている。もう一つの税金の問題とは、合併後にどの町の基準に合わせて税金の金額が決定されたのかをまだ知らされていないという問題である。
それでは、住民たちはなぜこのようなことを不安に感じているのだろうか。住所の問題で考えると、これまでは町全体のことが感覚的に把握できていたが、合併したことにより、知らない地名のところまで自分の町になってしまったことで、町内での自分の位置付けがわからなくなってしまったということが不安感を生み出しているのではないだろうか。つまり、これまで住民たちは、自分の住んでいる町のことを感覚的に把握して生活してきたが、合併後に不確定要素が増えたことによってコンフリクトが生じたと考えられる。
この問題は、住民と行政の間に起こったコンフリクトであるが、これは住民がどのようなことから不安を抱くかということを行政が把握していないということを意味しているのではないだろうか。そして、その要因としては、住民と行政のコミュニケーションが不足しているということが考えられる。
それでは、行政側は住民に対してどのような情報が欠けていたのだろうか。加美町の行政から住民に対して情報を流すツールは、月に一度発行される広報とホームページのみである。住所の問題に関しては、行政側は広報でもホームページでも住民に対して加美町全域の地名の位置に関する情報を提供していない。もし、行政側が住民にもっとも身近な存在の広報の中で加美町全体の地名と位置を一目でわかるような記事を載せれば、この問題はすぐに解決されるであろう。もう一つの税金の金額に関する問題については、「合併協定書協定項目参考資料集」に税金の詳細が載っていることから、合併前から税金の金額は決まっていた。それにも関わらず、税金の値上がりを心配している住民がいるのはなぜなのだろうか。広報とホームページを調べたところ、広報には一度も税金や公共料金の金額についての報告はされておらず、ホームページでは、一応載せてあったが、紙の資料をスキャナで取り込んでそのまま載せてある状態で、見やすい工夫はされていなかった。加美町では高齢化が進んでおり、パソコンを一通り使いこなせる人が少ないことが予想されるので、誰にでも分かりやすいアナウンスのしかたを考える必要があるだろう。
これらの2つの問題は、どちらも行政側が住民に対して適切に情報を発信すれば解決される問題であると考えられるが、なぜこのようなことが起こってしまうのだろうか。その原因の一つには、人材不足が考えられる。加美町では、4年制の大学を卒業している人が少なく、しかもその大部分が大都市圏に流れてしまうため、高度な情報知識を持っている人は極少数しか残らない。加美町では、そのような限られた人材で行政をしていかなければならず、細かいところまで手が回らないのが現状であろう。地方自治体というと国レベルの要求をしてしまいがちだが、そのような高度なレベルのことを要求する住民にも問題があるのではないだろうか。
そのような状況にある加美町では、自分たちの住んでいる町のことを行政だけに任せているのではなく、住民自ら行動を起こしていく必要があるだろう。もし、住民側でわからないことがあれば、自分たちで行政に対してそのことを伝えることもできるはずである。このように、住民と行政の双方から働きかけ、お互いにコミュニケーションをより深める努力が、今の加美町には必要だと考えられる。
合併から半年後の加美町では、合併によって人の流れの変化があり、その影響で商店街の売上にも変化があった。そのような経済的な要因を背景として、旧3町間では住民意識に違いが見られた。このような加美町の状況を、Pondy(1967)のコンフリクトを生み出す条件にそって検証してみると、加美町でもコンフリクトが生じていることが実証された。そして、そのコンフリクトには、住民間のもの、また住民の行政に対するものがあり、前者は経済的要因、後者は住民と行政のコミュニケーション不足がそれぞれ原因となっていた。
これまでの流れをまとめるとこのようになるが、最後に、これまで述べてきた加美町のコンフリクトを解消する方法を考察して終わりたいと思う。コンフリクトは、対立関係のことを指すため、悪影響ばかりを及ぼすような印象を受けるかもしれないが、桑田・田尾によると、「コンフリクトはコントロールさえ適切であれば、組織の効率や生産性に好ましい影響を及ぼすこともある」(桑田・田尾 1998: 264)と述べている。つまり、加美町のコンフリクトも、処理のしかたによって加美町のプラスにすることができるといえる。
それでは、コンフリクト処理の方法にはどのようなものがあるのだろうか。この方法の一つにSchmidt(1974)の葛藤処理モデルがある。その中には、「競争」、「和解」、「回避」、「妥協」、「協力」の5つの方法が示されている。そのうちの「協力」は、桑田・田尾によると、「自分の利得も相手の利得も大きくなるような方法を一緒に見つけようと働きかけるような方策である。コンフリクト関係を前向きに対処しようとすることであり、統合的な方略であるとされる」(桑田・田尾 1998: 266)と述べている。コンフリクトの前向きな対処の方法が「協力」であるならば、加美町においてもこの手段を使ってコンフリクトを解消できることが望ましいだろう。
しかし、現在の加美町では協力関係を築けるような状況ではない。それでは、加美町ではどのような行動を起こせばよいのだろうか。それは、まず協力関係を築く基盤作りをすることが先決だと考えられる。そのためには、合併したという事実を住民が受け入れることが第一歩なのではないだろうか。そして、加美町に対して住民一人一人が愛着を持つことによって、新しい住民意識が築かれるだろう。
合併によるコンフリクトは、加美町全体だけではなく、商工会や防火クラブなどの各種団体や加美町役場などの小さな組織の中でも起こっていた。したがって、このような行動をもっとも身近な集団の中から始めれば、次第に加美町全体にも広がっていくと考えられる。そうして、住民間で旧3町の絆が生まれることによって住民と行政のコミュニケーションも活発になり、住民主導の住みよい町となっていくであろう。
このインタビュー調査を進める中で、「この合併は失敗である」という声を何度か聞いたが、合併が失敗かどうかは今言えることではないだろう。合併することがゴールではなく、ここからが本当のスタートであり、これから、この合併を活かしてどのように町づくりを進めていくかによって、よい合併にも悪い合併にもなり得るだろう。確かにこの合併は住民の意思を反映したものではなかったかもしれないが、いつまでも後ろを振り返っていても何も変わらない。現実を受け止めて、しっかり前に足を踏み出してほしい。加美町にとって、合併直後である今がもっとも大事な時期であり、そして、合併の成否のかぎを握っているのは、政府でも県でもなく、加美町に住んでいる住民一人一人であるということを住民自身が自覚したとき、加美町は本当の意味で生まれ変わるのだろう。
この論文を書くきっかけとなったのは、小学校時代は旧中新田町で過ごし、中学校時代は旧宮崎町にある宮崎中学校に通ったという自分の生い立ちである。「はじめに」で書いたように、宮崎中学校の生徒たちと学校生活を送る中で、隣町でも言葉や文化の違いがあることを知り、そして今回の合併の中でもきっとそれが問題となるのではないかという仮説のもと、この論文を書き始めた。しかし、私の心の中にはこの合併の話に関心を持ち始めたもう一つの理由があった。それは、「中新田町民なのになぜ住所を変えてまで娘を宮崎中学校に通わせるのか」と町の裏切り者のような扱いをされてまで、私を卓球部の強い宮崎中学校に通わせてくれた父に対する感謝の気持ちである。当時、宮崎中学校の卓球部は、男女とも宮城県でベスト4に入る実力があり、私は小学5年生から宮崎中学校の卓球部の練習に行っていた。中学生の部員とも仲良くなり、2年間もそのような環境にいたため、私は自分も宮崎中学校に入学するのはごく自然な流れだと思っていた。しかし、そんな私の知らないところで、父は田舎町特有の常識と闘っていた。都会では、隣の学区の中学校に行くということに対して周りの住民はそこまで敏感にはならないだろうし、頻繁にあることではないにしてもとりわけ珍しい話ではないだろう。しかし、私の住む町は町内のほとんどが顔見知りであり、周辺の町村は一つの町に一つの中学校が当たり前なため、隣の中学校に行こうものなら、なぜわざわざ「よそ」へ行くのかという意識が働いてしまう。この「よそ」という意識はいったい何なのだろうか。父の選択した行為は本当に裏切り行為だったのだろうか。今までこの答えがわからないままであった。そして、今年の4月、旧中新田町と旧宮崎町は一つの町となった。このニュースを聞いたとき、私は自分の疑問はこれですべて解決されると思った。同じ町になったのなら、もう「よそ」ではないと。そして、旧中新田町と旧宮崎町、2つの町の文化を知っているものとして、この2町の掛け橋のような存在になりたいと思った。
しかし、実際にインタビュー調査をしてみると、同じ町になったからもう「よそ」ではないという考えは甘かったと痛感させられた。これまで、少なくとも100年以上も「よそ」の町であった3町が、合併したからといってたった数ヶ月で仲間として認め合えるわけがない。やはり、「10)おらほ」と「よそ」という区別は根強く残っていた。しかも、経済的な要因が絡むことにより、さらに強化されていた。「おらほ」と「よそ」という区別があることはけっして悪いことではないと思う。その区別があるということは、町内の親密度が高いことの裏付けであるとも解釈できるからである。しかし、あまりにも「よそ」のものを拒絶してしまうのでは、生活になんの変化もなく、つまらない社会になってしまうのではないだろうか。今の加美町に求められるものは、そういった「おらほ」と「よそ」の上手な使い分けであると私は思う。これには、長い時間がかかるかもしれないが、相手を知り、そして自分を知ることで、さらに新しい魅力の生まれる町になっていくことができるだろう。私はこれからも、自分の2つのふるさとが本当に1つになる日が来ることを心から待ち望んでいる。
最後に、この論文が自分のふるさとである加美町の発展に少しでも役立てることができるなら幸いである。丁寧にご指導していただいた藤本先生、TAの森津さん、またインタビューにご協力いただいた住民の皆様には心から感謝を申し上げ、筆を置かせていただく。
1) 地方公共団体が債権を発行する金額。
2) 加美町を含む宮城県北西部を指す。
3) 単位は百万円。
4) 慣例と規則。
5) 自営業の中でも飲食業は特に合併による影響を受けているため、このように記述する。
6) 旧中新田町のこと。
7) 旧中新田町役場。
8) 加美町の隣の市。
9) 6)に同じ。
10) 加美町の方言で自分たちという意味。
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加美町議会議員に対するインタビュー項目
対象者:加美町議会議員
@ 加美郡町村合併研究会が設立されたはじめのきっかけはどのようなものだったのか。
A どのような道のりを経て、加美町誕生にたどり着いたのか。
B 合併を進める上で難しいと感じたこと。
C 合併後に感じているメリットにはどんなものがあるか。
D 合併後に感じているデメリットにはどんなものがあるか。
E この合併で実現したいことはどんなことか。
加美町住民に対するインタビュー項目
対象者:住民 ※括弧内は質問から導き出す事柄
性別:男・女 年齢:20代・30代・40代・50代・60代以上
職業: 職位:
出身地:中新田・小野田・宮崎 住居歴: 代目
@ 加美町がスタートして、3町が1つになったという実感はあるか。(地域アイデンティティ) ある・ない
A (@で「ある」と回答して人のみ)どんな瞬間に感じるのか。(地域アイデンティティ)
B 併前と合併後で利用する役場は変わったか。(生活の変化) 変わった( → )・変わらない
C 合併前と合併後で使用する公共施設は変わったか。(生活の変化) 変わった( → )・変わらない
D 合併したことによって生活の中で便利になったことはあるか。(メリット) ある( )・ない
E 合併したことによって生活の中で不便になったことはあるか。(デメリット) ある( )・ない
F 合併したことによって仕事によい影響はあったか。(メリット) ある( )・ない
G 合併したことによって仕事に悪い影響はあったか。(デメリット) ある( )・ない
H あなたが旧○○町で誇りに思っていたものは何か。(地域アイデンティティ)
I あなたが旧○○町で大切にしてきたことを加美町にも求めるか。(地域アイデンティティ) 求める・求めない
J これからあなたは加美町にどのようなことを期待するか。(目標)
K 合併によって不安に思っていることはあるか。(予想されるデメリット)
L 合併に関する広報はどの程度読んだか。(合併への関心)
毎回欠かさず読んだ・ほとんど読んだ・たまに読んだ・一度も読んでいない
M これから合併の理解を深める集会などがあったら、あなたは積極的に参加するか。(合併への関心)
ぜひ参加する・都合が合えば参加する・参加しない
N これからもずっと加美町に住んでいたいか。(地域アイデンティティ)
ずっと住み続けたい・できるだけ住み続けたい・あまり住み続けたくない・住み続けたくない
O 加美町の望ましい将来像。(目標)
P その他の合併に関する情報。