Ⅱ.信仰の功徳

 

これらの重要な諸原則を包括する高貴な信条は、それを信ずる者に多くの

貴重な利益を齎す。

 

1.  アッラーの信仰

 

至高なるアッラーの名称、属性に対する信仰は、至高なるアッラーヘの人間の愛を育み、また畏敬の念を呼び覚ますが、それは彼(アッラー)の命令の実践と禁止(事項)の忌避を帰結する。そして個人にとっても、集団にとっても、至高なるアッラーの命令の実践と禁止(事項)の忌避によってこそ現世と来世における至福は達成されるのである。

 

男であれ女であれ善行を為す者は信仰者である。我ら(アッラー)はその者に(現世では)幸せな生活を送らせ、(来世では)行った最善の行為に見合った報奨を授けよう。』(クルアーン第16章〔蜜蜂〕97節)

 

2.  天使の信仰

 

1  天使たちを創造し給うた褒むべき至高なる創造主の偉大さ、威力、大

権の認識。

 

2  これらの天使たちに人間の守護、所業の記帳など、その善導を委ね給

うた至高なるアッラーの御配慮への感謝。

 

3) 至高なるアッラーに完壁な崇拝を捧げ、信者のために赦しを析願す

る天使たちへの愛。

 

 

3.啓典の信仰

 

(1) すべての民族に彼らを正しく導くために使徒を遣わされた至高なるアッラーの慈悲とその被造物への配慮の認識。

 

2) 各民族に最も適した法をそれらの啓典において定め、復活の日に至るまでのあらゆる時代と場所におけるすべての人類に妥当する聖クルアーンを啓典の究極とされた至高なるアッラーの英知の認識。

 

3) そうした至高なるアッラーの恩寵に対する感謝。

 

4. 使徒の信仰

 

1) 正しい導きと司牧のため高潔な使徒を遣わせ給うた至高なるアッラーの慈悲と、その被造物への配慮への認識。

 

2) かくも寛大な恩寵を垂れ給うた至高なるアッラーヘの感謝。

 

3) 至高なるアッラーの使徒であり、アッラーヘの崇拝、人類への使信の伝達と警告、迫害への忍耐を実践した(アッラーの)僕の精華である彼らに相応しい愛と尊敬と称賛。

 

5.最後の審判の信仰

 

1) 最後の審判の日の報奨を期待しての至高なるアッラーヘの服従の志向と、懲罰を恐れての犯罪の忌避。

 

2) 来世での報奨と至福を待ち望み、信仰者が現世での運命の浮沈から超然としていることが出来ること。

 

6.定命の信仰

 

) 行為の結果についてのアッラーヘの信頼。なぜならば因果は共にアッラーの決定と決断に成るからである。

 

2) 魂の安らぎと心の平和。すべてがアッラーの定めであり、忌まわしいものの存在もまた(アッラーの)不可避の定命であることを悟れば、魂は安らぎ、心は平和を得、彼は主の定め給うたことに満ち足りるのである。それゆえアッラーの定命を信ずる者以上に幸福で、心安らぎ、満ち足りた者はいないのである。

 

3) 意図したことを成し遂げたとき心に慢心が生ずることを防ぐこと。なぜなら成功はその原因も緒果もアッラーの決定に成り、従って単にアッラーの恩寵にすぎないからである。(それを知れば)人は至高なるアッラーの恩寵に感謝し、慢心を免れることが出来る。

 

4) 計画の挫折、あるいは災害の折りの失望と嘆きの消滅。それらもまた天と地の主権者の定命に成り、その生起が不可避であったことを悟れば、人はそれに耐え、その報いを期待することが出来るのである。至高なるアッラーの次の御言葉はこのことを指している。

 

地上に起きることにも、汝らの心に浮かぶことにも、我らがそれを(実際にこの世に)創造する以前に(予め天の書板に)記帳しておかなかったものはない。それは汝らが失ったものゆえ悲しまず、またアッラーより授かったものゆえに浮かれることのないためである。アッラーは騎り高ぶる者を愛し給わない。

(クルアーン第57章〔鉄〕22-23節)

 

我らのこの信条を嘉し、信仰の功徳を授け、恩寵を増し加え給うことを我らは至高なるアッラーに祈願し、また彼らを導き給うた後に我らの心を迷わせ給わないよう祈り、慈悲を垂れ給うことを冀い奉る。まことに彼は豊かに与えられる御方におわします。万世の主にこそ称えあれ。

我らが預言者ムハンマドとその一統、教友たちおよび善行をもって彼らに付き従う者たちすべてにアッラーの祝福と平安のあらんことを。

 

ムハンマド・アル = サーリフ・アル=ウサイミーン

 

ヒジュラ暦1404(西暦1984年)年シャウワール月30


解説

 

. ムハンマド・アル=サーリフ・アル = ウサイミーンは西暦1929年、サウディアラビア内陸部カスィーム州のウナイザ市に生まれた。

 アル = ウサイミーンはウナイザの大モスクの導師アブド・アル=ラフマーン・アル=サァディーに師事しイスラーム諸学を学んだ後、首都リヤドのイスラーム学研究学院(アル=イマーム・ムハンマド・ブン・サウード・イスラーム大学の前身)に移り、アブド・アル・アズィーズ・ブン・バーズ(前サウディアラビア最高法官)らに師事して学問を続けた。

 1957年に師のアル=サァディーが没すると、アル=ウサイミーンはウナイザ市の大モスクの導師職を継いだ。また翌年にイスラーム学研究学院シャリーア学部での学業を終了すると、アル=イマーム・ムハンマド・ブン・サウード・イスラーム大学カスィーム分校で教職についた。

 アル = ウサイミーンはアル=イマーム・ムハンマド・ブン・サウード・イスラーム大学カスィーム分校のシャリーア学部と宗教基礎学部で教鞭をとる一方、ウナイザ市大モスク導師として市民の善導に務めた。

 また彼はサウディアラビア大ウラマー会議のメンバーでもあり、1994年にはイスラーム貢献部門でキング・ファイサル国際賞を受賞するなど、彼の師であるイブン・バーズ最高法官と共にサウディアラビア宗教界の最高権威の1人と見なされていたが、2001年にジッダで亡くなった。

 訳者は生前のアル=ウサイミーン師に一度だけお目にかかる機会があった。本書『イスラームの信仰』を献呈すると随分喜んで下さったが、天真爛漫な笑顔が今も記憶に鮮やかである。師の冥福を祈りたい。

 

. アル=ウサイミーンには、彼のファトワー(イスラーム学上の判断)を集めた『ムハンマド・アル = サーリフ・アル = ウサイミーン師のファトワー(Fatāwā al=Shaikh Muhammad al=Sālih al=Uthaimīn)』(現在まで3巻が刊行されている)のほかに、以下のような業績がある。

 

A.      教義学

1)『スンナ派信条』(本書)

2)『アッラーの属性と美名に関する最善の原則』

3)『イブン・タイミーヤ(1328年没)著「アル= タドムル書簡」への手引き』

4)『イブン・タイミーヤ著「ワースィト信条」・注解』

5)『イブン・タイミーヤ著「ハマ信条」・要約-人類の主の神佑』

6)『イブン・クダーマ(1223年没)著「正道への導きの信条の光り」・注釈』

7)『イスラーム信条に関する考察』

 

B.      法学・法学原論

1)『法学原論の達成』

2)『簡便・相続法』

3)『イスラーム学者の間の見解の相違』

4)『アブー・アル = ナジャー(d.1560)著「満足を求める者の糧への喜ばしき注釈」

5)『女性の自然な出血』

6)『礼拝不履行者に関する書簡』

7)『ウドゥーゥ(洗浄)、沐浴、礼拝に関する書簡。』

8)『免責自由を有する者の浄化と礼拝に関する書簡』

9)『礼拝の定刻に関する書簡』

10)『斎戒に関する考察』

11)『巡礼と小巡礼の儀の果たし方』

12)『債務の分類に関する書簡』

13)『装飾品に課される喜捨に関する書簡』

14)『犠牲と屠殺に関する書簡』

15)『頭巾に関する書簡』

 

C.      クルアーン学

1)『クルアーン注釈の諸原則』

2)『クルアーン「台座」節・注釈』

 

D.     説教集

1)『多様な主題の説教の輝く光』

2)『ラマダーン月法座』

3)『青少年の諸問題から』

4)『天性が要請しシャリーアが承認する諸権利』

 

  なお、彼の生前の業績は現在はインターネット上で読むことが出来る(http://www.binothaimeen.com/)。

ここに訳出したÔAqīda Ahl al=Sunnah wa al=JamāÔah は、リヤドの Maktabah al=MaÔārif 書店、Dār Ibn Khuzaima 書店、ベイルートの ÔĀlam al=Kutub書店、ハディースの出典を脚注に記したカイロの Maktabah al=TauÔiyah al=Islāmīyah 書店の版など、多くの版を重ねており、また1987年にはリヤドに本拠を置く「世界ムスリム青年会議」事務局長マーニウ・ハマド・アル=ジュハニーによる英訳が「ムスリムの信仰」の名で出版されている。(Shaikh Muhammad as=Sāleh al=ÔUthaimīn, Trns., Dr. Maneh Hammad al=Johani, Muslim’s Belief, World Assembly of Muslim Youth, 1987, Riyadh.

 

 なお翻訳には、1404年ズー・アル = カアダ月に篤信者たちの手で無料配布用に出版された版を底本に用い、上記の諸版を適宜参照した。

 

. 本書の原題は ÔAqīdah Ahl al=Sunnah wa al=Jamā’ah であり、直訳すると『スンナと連帯の徒の信条』となる。

 「スンナと連帯の徒」とはスンナ派(Ahl al=Sunnah)の別称であるが、邦訳では『イスラームの信仰』を題名とし、副題を「スンナ派信条」とした。

 その理由は先ず、現代のイスラーム世界ではスンナ派がムスリム人口の絶対多数である約9割を占めていることにある。イスラーム世界で無限定に「イスラーム」といえば「スンナ派イスラーム」を指しているのである。

 第2の理由としては、著者のアル = ウサイミーン自身がスンナ派をイスラームの分派の1つとみなす「客観的」立場から本書を著しているのではないことが挙げられる。アル=ウサイミーンはイスラームの真の信仰を明らかにするために、「真理の大道にある」スンナ派の信条を纏めたのであり、従って彼の意図する「スンナ派の信条」とは純正な「イスラームの信仰」そのものに他ならない。

 ちなみに本書の英訳者アル=ジュハニーは、

1)『ムスリムの信仰』のほうが簡潔である、

2)両者ほぼ同義である、

3)原題の Ahl al=Sunna wa al=Jamā’ah の語が翻訳が難しいのみならず、英語圏の読者にとって馴染みのないものである、

4Ahl al=Sunna wa al=Jamā’ah の語には偏見を有する人々がおり、反感を招く恐れがある、

4つの理由を挙げ、『スンナと連帯の徒の信条』の名を避け、英訳の題名を『ムスリムの信仰』としている。

 

.「前近代」のスンナ派世界では、イスラーム学者はアシュアリー派かマートゥリーディー派のいずれかの神学派、ハナフィー派、シャーフィー派、マーリキー派、ハンバリー派のいずれかの法学派、そして1つかそれ以上のスーフィー教団に属して、それぞれの学派、教団の伝統の権威に従う「学派主義」が主流を占めていた。

 しかし「学派主義」に異を唱え、学派の権威を否定し、学派の先人たちの専門技術的解釈の蓄積の介在を排して、クルアーンとスンナの原点を直接かつ字義通りに解釈し現実に適用すべきだと主張する学派もまた一方に存在した。彼らは学派の権威よりハディースを重視することから「ハディースの遵奉者(Ahl al=Åadīth)」、あるいは教友からスンナ派4法学祖らに至るまでの「先達(Salaf)」らの正統な後継者を自認することから「復古主義者(先達に倣う者、Salafīyah)」などとも呼ばれる。

 「前近代」におけるこの「復古主義」の代表はイブン・タイミーヤ(1328年没)であったが、「前近代」と「近代」の端境期にあって、この「復古主義」を唱導したのがムハンマド・ブン・アブド・アル = ワッハーブ(1792年没)であった。

 彼の教えをアラビア半島内陸部のナジド地方の豪族ムハンマド・ブン・サウード(1765年没)が奉ずることにより、「復古主義」を国是とする国家が誕生した。これが現在の(第3次)サウディアラビア王国の母体となった第1次サウディアラビア王国である。

 ムハンマド・ブン・アブド・アル = ワッハーブの教えに従う者たちは自らを「ムスリム」、「純正一神教徒(MuwaÆÆidūn)」、あるいは「復古主義者(Salafīyah)」などと呼ぶが、一般には彼らは「ワッハーブ派」と呼ばれる。

 ワッハーブ派は、雑誌『マナール』(18981940年刊行)に拠って「復古主義(Salafīyah)」の普及に努めたマナール学派の理念を継承する所謂「復古主義者(Salafīyah)」と並んで、現代のスンナ派イスラーム復興運動の本流を形成している。

 本書の著者であるアル = ウサイミーンは、このワッハーブ派の現代を代表する論客の1人である。

 

. ハナフィー派法学の名祖アブー・ハニーファ(767年没)の『大学al=Fiqh al=Akbar)』以来、教義学の分野において多くの『信条』が編まれてきたが、それらは分派間の神学論争を背景としているため、大なり小なり論争的性格を持つことになる。特に「復古主義」は、出自からしてマジョリティーを占める「学派主義」に異議を唱える立場であり、本質的に論争的、攻撃的である。中でもクルアーンとスンナに直接の典拠を有さない儀礼、思想をすべて真正なイスラームからの逸脱であり、また被造物の神化、多神崇拝であるとして断罪するワッハーブ派は、その非妥協的な攻撃性をもって知られている。

 こうしたワッハーブ派の特質に照らして、この『イスラームの信仰』は、他派への批判を極力抑えた節度あるものである点で際立っており、本書には特殊ワッハーブ派的主張はほとんど見出せない。本書の訳出を思い立った所以である。

 とはいえ、本書においてもアル = ウサイミーンはすべての争点を回避してスンナ派の最大公約数的見解のみを纏めたわけではない。本書におけるアル = ウサイミーンの立場は「正統的復古主義」とも言えるものである。

アル = ウサイミーンはアッラーに関する信仰の冒頭で、アッラーの「主性」、「神性」、「美名と完全な属性」の唯一性を宣言するが、ここに「復古主義」の基本理念が集約されている。

(1)アッラーには多くの属性がある。「復古主義」は、アッラーの唯一性への信仰の本質をなすものとして、それらの属性の中で「主性」(rubūbīyah)と「神性」(ilāhīyah)の2つの属性をアッラーの2大属性として析出する。

アッラーの「主性」とは、宇宙の創造を担う属性でありすべての存在者がその存在をアッラーに負っていることを意味する。

一方、アッラーの「神性」とは、アッラーのみが崇拝を捧げられるに相応しい「神」であることを意味する。

アッラーの「主性」における唯一性がイスラームの宇宙論的原理であるとするなら、「神性」の唯一性はイスラームの実践倫理、行為論を基礎付ける。

アッラーの「主性」と「神性」の区別には、アッラーの意志における「存在付与的意志(irādah kaunīyah)」と「規範的意志(irādah sharÔīyah)」の区別が対応する。

「アッラーが唯一の主である」とは、宇宙の生成が、ただひとえにアッラーの「存在付与的意志」のみに因っていることを意味する。

「アッラーが崇拝を捧げるに相応しい唯一の神である」とは、アッラーの「規範的意志」、すなわちシャリーア(聖教)だけが、唯一の従われるべき「法」であることを意味する。

 このように「復古主義」は、アッラーを「主」即ち「創造主」と、「神」即ち「規範定立者(立法者)」の二つの相において把握する。

 宇宙の全存在者の存在がアッラーの「意志」によるとしても、そのすべてがアッラーに嘉(よみ)されるわけではない、つまり人間の行為のすべてがそれもまたアッラーの「意志」によるものであるということによって正当化されるものではない、ということ、これが「存在付与的意志」と「規範的意志」の区分の真の意義である。

世界に生起する事象のすべてがアッラーの意志と力による、との「主性」におけるアッラーの「唯一性」の理論的要請と、シャリーア(聖教)の遵奉の義務を担う行為主体としての人間の自律性の実践的要請の間の緊張関係の鋭い自覚が「復古主義」を特徴付ける。セム系一神教の神義論の中心的主題である「定命」の問題に本書が多くの頁を割いているのも、「復古主義」のこの問題への関心に由来するが、「存在付与的意志」と「規範的意志」の区分もアッラーの全能と人間の自律性のアポリアを解消するための理論装置なのである。

(2)今ひとつの「復古主義」の特徴としては、クルアーン、ハディース解釈の「字義主義」が挙げられる。

 スンナ派はアッラーの美名と完全性を表す属性の存在を認めるが、アシュアリー派、マートゥリーディー派などの神学派は属性を字義通りにとることは擬人神観を帰結するとして、それらを比喩として解釈する。

 アル = ウサイミーンは『正道への導きの信条の光り・注釈』の中で、『尊厳と栄光に満ちた汝の主の御顔は存続する』(クルアーン第5527節)の「御顔」を「アッラーの報奨」、『いや彼の両手は開かれている』(クルアーン第564節)の「アッラーの両手」を「恩寵」と「権能」、「アッラーは彼らを愛され彼らも彼を愛するような民を興される。」(クルアーン第554節)の「愛される」を「報奨を授けられる」と解釈するなどの比喩解釈の例を挙げ、これらの比喩解釈がクルアーンの字義に反し、先達の道に背くのみならず、これらの語にはこうした比喩解釈に汲みつくせないより豊かな意味があるかもしれない以上、理論的にも正しいとは言えないと反論する。

 

 アル = ウサイミーンは、「先達(Salaf)」の1人に数えられるマーリキー法学派の名祖マーリク(795年)の次の言葉を引用して自らの立場とする。

 

 『慈悲深き御方は玉座に座し給う。』(クルアーン第205節)とありますが、「アッラーはいかに座し給うのでしょうか。」と尋ねられ、マーリクは答えた。「座し給うことは、知られないわけではない。しかし『いかに』は理解不能である。それを信ずることは義務であり、それについて問うことはビドア(異端)である。」

 

6. 「復古主義」の理論構造についてのより詳しい議論については、拙稿「イブン・タイミーヤの釈義論」、『日本サウディアラビア協会報』、No.133, 1987, 「ハディース遵奉者の論理」、『オリエント』、Vol.32, No.2, 1989, 「サラフィー主義のタウヒード論」、『日本サウディアラビア協会報』、No.142, 1989,

「規範と存在」、『宗教の言葉』(島薗進、鶴岡賀雄)、大明堂、1993、を参照されたい。

 またスンナ派「伝統主義」の教義学の全体像については拙稿「ムハンマド・アル=アミーン・アル=クルディー『シャーフィイー師の学派(道)に則って宗教学を学ぶ者の悦び』訳注(1)」、『東洋文化研究所紀要』、第127冊(平成73月)、233-267頁、奥田敦著『フサイニー師「イスラーム神学五〇の教理」タウヒード学入門』、慶応義塾出版会、2000年を併せ読まれたい。

万有の主にこそ讃えあれ。預言者と教友たち、そして最善を尽くして彼らに従う者たちにアッラーフの平安と祝福がありますように。アーミーン