ムフスィン・キャディーヴァルのシーア派国家類型学
中田考(同志社大学神学部教授)
1.初めに
今日は「ムフスィン・キャディーヴァルのシーア派国家類型学」という演題で発表させていただきます。今日は私の方で発表させていただくわけですが、これまで数回にわたってキャディーヴァル先生の「イスラーム法学者と政治(فقاهت و سیاست)」という作品を読んできました。その流れで彼の政治思想史家としての主著『シーア派法学における国家理論』を取り上げる次第です。本書は「イスラームにおける政治思想」というシリーズの第1巻で、現在までに2巻が刊行されており、第3巻は出すと言っていてまだ出ておりません。彼のホームページのペルシャ語版には彼の最近の諸論考が入っており、一番新しいものとして、同志社で発表してもらった「イスラーム法学者性と政治」が入っていますが、これらが「イスラームのおける政治思想」の第3巻になるものが部分的に発表されたものであると私は理解しています。
今回の発表で扱うのは主として基本的に第1巻です。第1巻を全部最初から順番にまとめました。その後に『ウィラーイー国家』という第2巻の章だてを紹介した後で、この中の第1部の11課と12課の2章に関して纏めました。それとこのホームページの中から「親任国家(イスラーム法学者が神から統治権を委任された国家)」という論文、要するにイラン革命が成立してから、イスラーム共和国から神任国家に変ったというのが彼の結論なのですが、今回はその部分だけを取り出して発表したいと思います。では順番に話をしてまいります。
2.シーア派法学の国家論の発展史
この『シーア派法学における国家理論』の一番最初の章として、イスラーム法学の発展史があります。これはシーア派法学の思想史的説明としては非常にオーソドックスなものだと思います。
第1期は私法の開花期で、イスラーム暦4世紀から10世紀です。この時期にはシャイフ・ムフィードの著作の中でわずかに触れられている部分を例外として、そもそも国家の理論はシーア派の法学にはないということです。
第2期は王制とウィラーヤの並存時期で10世紀から13世紀です。シャリーア(イスラーム法)に規定がある領域に関しては法学者が権能を持って、そうでないウルフ(慣習法)の領域においては覇者、つまり王様、シャーに権威があり、それを一応正当とする、認めるというのが10世紀から13世紀です。これに関しては、最初にそれを理論化したのがムハッキク・カラキー(940年没:没年はすべてイラン暦)です。法学者がイマームの不在期、不特定代理、要するに法学者の個々人を指して、この人を私の代理人にするという形ではなくて、法学者というカテゴリーの人々、一般、全体をイマームの代理とするという形です。そういう理論を初めて創ったのがムハッキク・カラキーということです。次にアフマド・ナラーキー(1248年没)という人が最初に法学者のウィラーヤをはっきり明言しています。ムルタダー・アンサーリー(1281年没)以降は、法学者のウィラーヤについてはイスラーム法学書の「売買の書」の中で論ずるという慣行が確立し、それに則って非常に有名なイマーム・ホメイニーもその著書『売買の書』の中で法学者のウィラーヤの議論をしているわけです。ヒスバ領域の親任代理から親任不特定代理へと、シャリーアの事柄を超えた問題についても法学者が権威を持っていくのはこの辺りということです。第3期は立憲制と監督(نظارة)期です。キャディーヴァルはこの立憲革命の監督の議論を非常に重視しています。この議論を始めたのはキャディーヴァルの先生モンタゼリー師ですが、それだけ重要性を持っております。憲法と権力の絶対権力の憲法による制限などの新思想、要するに西洋の概念ですが、こういう概念がこの時期に初めて入ってきます。この時期の思想家としてはナーイーニー(1355年没)、ヌーリー(1327年没)、ボルジュルディー(1340年没)です。ホメイニーの前のマルジャア・タクリード(宗教界の最高権威)のボルジェルディーは、法学者がヒスバの領域を超えた政治を含む領域においても法学者が代理人であるという理論の論拠としては伝承の根拠、つまりクルアーンとハディースでは不十分であり、理性によって証明されると述べており、この点においてホメイニーに先駆けて言います。
第4期がイスラーム共和国期で、イスラーム暦14世紀後半です。国家形成に最初に成功した法学者としてホメイニーがあげられます。
そしてこのホメイニーの政治論には4つの原則があります。
第1原則はイスラーム法の実施には政府が必要だということです。イスラーム法をきちんと実行するためにはイスラーム国家が必要であるということです。
第2原則はイスラームの樹立あるいはイスラーム国家をたてるためには、不義不正な為政と公然と対決し、そして正義の法学者に服従し援助するという「勧善懲悪امر بالمعروف ونهى
عن المنكر 」が人民の義務となるということです。
第3原則は、そこで言うところのイスラーム国家とは何かというと、親任のつまり預言者あるいはイマームから任命された法学者のウィラーヤ(統治権)であり、法学者がウィラーヤを持つとそれがイスラーム国家なのであり、その国家は政治的には服従の義務があるという点において、預言者とイマームの国家と同じであるということです。
第4原則は、イスラーム国家はイスラーム法の第1次規定であって、礼拝を含む全ての第2次規定に優先することになります。
この4つがホメイニーの国家論の中心となる4原則であると言っております。そして他の誰でもなくホメイニーのみがイスラーム国家の樹立に成功したのは、4つのうちの2番目の「勧善懲悪」論に依存している、というのがキャディーヴァルの分析です。従来の西欧でのイラン革命の分析では、法学者の統治権(ولایت فقیه)、ムジュタヒド(高位イスラーム法学者)にはシーア派の平信徒は従わなければいけないというイスラーム法学基礎論の議論がなされるのですが、実はそれだけでは革命にはならないわけです。イスラームの政府をつくるためには現実に存在する政権に対して武力で戦わなければいけないという思想は、イスラーム政府の樹立の義務とは全く別の議論であり、これがなければ革命は起きないわけです。しかしこの議論は、私が知る限り誰もまともに法学的に扱われておりません。この勧善懲悪による革命論は、ホメイニーの書いたアラビア語の『タハリール・ワシーラ』とペルシャ語の『タウディーフ・マサーイル』のどちらのシーア派法学提要にも記されており、キャディーヴァルはそれをきちんと抑えています。彼以前の他の法学者たちの中にもイマームによる法学者の親任の議論をしていた人はたくさんいたのですが、そういう人たちではなくてなぜホメイニー師によって初めて革命が成立したのか、という問題に答えるのが実はこの勧善懲悪論にあるということです。フクーマト・イスラーミー(イスラーム国家)という言葉もホメイニー師が最初に使ったそうです。このイスラーム共和国の成立を契機に、レバノン、イラク、イランでシーア派法学に、政治国家論が開花します。ホメイニーの生前から、イスラーム政府の必要を認めながらもホメイニー理論と異なる様々な理論が出現してきたということです。キャディーヴァルはその著作の全体を通じてのテーマ・方法論として、ウィラーヤト・ファキーフ(法学者の統治)論を相対化しようと試みています。ウィラーヤト・ファキーフ(法学者の統治)が決してコンセンサスの成立している事項ではなくて、過去においても現在においても数ある理論のうちの一つでしかないということを論証するというのが一貫した彼の姿勢です。ですから、本発表では、類型論と名づけましたが、実は殆んどは「類型」と呼べるようなものではなく、一人いればそれで一つの類型という形で、とにかくたくさんの類型があるのだという言い方をしているのです。
ここまでが第1章であり、シーア派イスラーム政治論のスケッチでここから後が類型論になってきます。
3.国家類型論
ウィラーヤというものの(政治宗教的)正当性の最終的自体的な根拠は神にあるということにはシーア派の学者の間で異論はありません。問題は、神が、そのウィラーヤを誰に委任するのかということです。それは個人なのか、特定の人なのかあるいは特定の階層なのかウンマ全体なのかということで見解が分かれます。直接的神的正当性、神的ウィラーヤの直接委任により預言者がウィラーヤを持つことにはシーア派もスンナ派も合意します。その後のイマームは、シーア派によると神によって直接、委任されます。シーア派内ではこれにも異論はありません。問題は、そこから先であり、公正な法学者がイマームから親任されるとする考えがあり、これがシーア派国家論の第1類型の親任国家論です。
代表としてはナラーキー、ホメイニーであって、それにはさらに4つのサブタイプがあります。
第1が、「ヒスバ事項法学者親任ウィラーヤ」です。これは前述の通り、ヒスバ事項というのはシャリーアに規定のある問題ということです。狭い意味での宗教事項、法学に出てくるような話に関しては法学者が親任されている。しかしウルフの領域あるいは慣習法の領域でもよいのですが、スルタン、王、シャーといった人たちが一応合法性を持つという、「合法スルタナ」というタイプです。
第2の法学者の「不特定親任ウィラーヤ」は、法学者全体がそういうウィラーヤを持っている、ということです。
第3の「マルジャア協議不特定親任ウィラーヤ」とは、不特定親任の部分は第2と変わらず、法学者全体がウィラーヤを持つのですが、その内の誰か一人が最終的にウィラーヤを行使するのではなく、マルジャア(高位イスラーム法学者)たちが協議しながら集団でウィラーヤを行使する形態です。
最後の第4が「イスラーム法学者の無条件(مطلقه)の親任ウィラーヤ」、これが現在のイランの現行の憲法にある公的な公式イデオロギーです。ホメイニー師の晩年に出てきた概念です。これは国家運営を含めてウルフに関しても法学者がウィラーヤを持っているだけでなくて、さらにその上に、シャリーアに関してもシャリーアの法規よりも上にあると、これが無条件の意味です。そういう意味があります。
ここまでの4つのサブタイプが、法学者の親任国家という第1類型です。これに対して、宗教とシャリーアに反しない限りという限定がつきますが、人民が元首を選ぶことにより、人民の意志が正当性(مشروعية)の中に組み込まれる「人民-神的正当性」が第2類型となります。この理論の代表はナーイーニーとモンタゼリーであって、5つのサブタイプがあります。
第1は「立憲制限国家(مشروطه)」です。これはもともと立憲革命の時の議論です。立憲革命憲法ではイスラーム法学者の許可と監督によってイスラーム法的正当性を与えます。そういう条件で国家を正当化することができるわけです。
第2の「マルジャア監督人民ヒラーファ(カリフ制)」は、これはバーキル・サドルの用法をそのまま使っているのですが、後述します。
第3は「法学者の制限選挙国家」、第4は「イスラーム選挙国家」、第5は「共同所有者代理国家」で総計9つになります。要するにシーア派の国家論は9つあって、その内の4つは神によって直接任命された預言者とイマームが任命したところの法学者がウィラーヤをもつという議論です。残りの5つは基本的にイマームのお隠れの時代には、イマーム不在の時代に関しては人民が自分たちの運命を決める権利がある、という「人民-神的正当性」の議論です。ただしそれはイスラームの法に反しないという条件がはいるので、そこのところで法学者にある程度の役割が与えられるということで、ほとんどスンナ派と変らない議論になってきます。特にモンタゼリーがそうで、非常にスンナ派の議論の影響を受けています。こうやってみると人民-神的正当性の方が数が多くて5つあります。親任国家論の方は4つしかないわけで、数からいっても人民の正当性をもつ方が多いという仕組みになっています。
第1のサブカテゴリーの「ヒスバ事項法学者親任ウィラーヤ/慣習領域覇者の合法王制」に関しては、先ず2つの構成要件があります。1つはヒスバの事項に関してはウィラーヤは法学者にあるということです。二つ目は、ウルフに関しては王様、シャーが正当性をもっているという議論です。ヒスバというのは例えばイフター(イスラーム教義回答)、イスラーム法の弘布、勧善懲悪の最終段階、つまり実力行使です。そして金曜礼拝、集団礼拝あるいはイスラーム法裁判、裁判、法定刑、行政裁量刑、宗教的財源、寄進地管理、5分の1税等に関しては法学者がウィラーヤをイマームから授かっており、彼らの許可なくしては処理が不可能である。それ以外のことは全部ウルフになるわけです。こういう議論はマジュリースィー(ヒジュラ暦1111年没)、ミルザー・クッミー(1231年没)、カシュフィー(ヒジュラ暦1267年没)、ファドゥルッラー・ヌーリー、アブドゥルカリーム・ハーイリーといった人たちがしていました。ただしこれはそういう理論書があるわけではなく、むしろマジュリースィーの手紙・書簡といったものから組み合わせていくとこういう話になるだろうということで、明確な理論はまだないわけです。マジュリースィーは例えばサファヴィー朝のシャーを「イマーム国家と接続した覇者」であるという言い方をしていまして、公式承認にも関わらず無謬ではないので正統統治者(ولی امر)ではなくその服従と反抗はイマームへの反抗にはならないということになります。つまり、逆らったからといっても宗教の根幹には関わらないのです。こういう議論をマジュリースィーがやっているということです。これが合法王制です。
第2番目が「法学者の不特定親任ウィラーヤ」で、第1構成要件はもちろんウィラーヤです。ここでウィラーヤとは何かというと先ず他人事の管理です。他人の事に対して口出しするのがウィラーヤなのですね。これは「アスル・アダム・アル・ウィラーヤ(原則はウィラーヤの不在)」、ウィラーヤを誰に委ねるということが明文で明記されていない限り、ウィラーヤはない、という原則です。イスラームにおいて他人に対する支配権はないわけです。人は自分のことは自分で決めるというのがイスラームですから、基本的に他人に対する支配権・口出しする権利はイスラームにはないのです。ただしクルアーンに書いてある場合は別です。親が子どもにウィラーヤをもつとか、夫が妻にウィラーヤをもつとか、書いてあればウィラーヤが存在する。こういうものです。預言者とイマームのウィラーヤは神から授けられたもので、これはシーア派の考え方だとクルアーンとハディースにもありますし、それだけでなくアクル(理性)によってもそれは論証されます。そして全ての国家がウィラーヤ国家ではない。これはキャディ-ヴァルが強調するところなのですが、すべての国家がウィラーヤ国家ではありません。ウィラーヤ国家というのは、要するに西洋的には家父長制、あるいは権威主義的国家です、それに非常に近い感じです。お前たちは黙っていろ、俺たちの方が知っているのだから、というそういう国家です。全ての国家がこういう国家ではなく、家父長制国家、権威主義的国家というのは国家の一つの形態でしかない、というのが彼の主張の基調です。ウィラーヤ的国家を定義すると、社会の公共事項の執行者が立法者から人民へのウィラーヤを親任された国家であると、これが1番目の定義です。
第2番目の構成要件は親任です。特定個人ではなく、法学知識、公正、政治力の条件を兼備した有資格者の法学者の全てがイマームの伝承により親任されているということですね。第3構成要件は、法学者ですからもちろんイスラーム法学の知識になるわけです。第4番目の構成要件として、ウィラーヤの領域が公共問題、社会福祉、国家事項であること。しかしシャリーアの第1次、第2次法規を超えません。ですからこれはムトラカ(無条件)とは違います。もちろんこれによっては礼拝とか断食を否定する権限はないわけです。当然これはイスラーム法の下にあるという議論です。これはナラーキー、ナジャフィー、ゴルパーイガーニー、そして共和国実現前のホメイニーですね。この時点ではまだ無条件ウィラーヤではなかったんですね。
第3のサブカテゴリーが、「マルジャア協議不特定親任ウィラーヤ」です。シーア派法学史上、政治権力のトップは常に一個人でしたが、マルジャアが協議をする集団指導体制という議論が初めて現れたのは、ホメイニー師が死ぬ前に後継者のモンタゼリー師を解任した時の議論です。モンタゼリー師を解任した時に、一人の適当な後継者がいなくなってしまったのです。困ってしまって、ここで非常に柔軟にマルジャアが協議をして決めなさいと、専門家評議会で決めればよいという議論で、憲法を改正したわけです。それが「マルジャア協議不特定親任ウィラーヤ」です。シーア派というか、もともとスンナ派の方でもそうですが、イスラームの政治論は全て個人のリーダーシップの議論であったわけです。カリフ論でもイマーム論でも同じです。カリフとはどういう条件を備えるのか、イマームはどういう条件を備えるのか、こういう議論をずっとしてきたのですが、ここで初めて集団指導性のようなものが入ってくるということです。これも特殊ケースで類型というほどのものではありませんが、キャディーヴァルは「マルジャア協議不特定親任ウィラーヤ」と命名しています。
第4が、「法学者の無条件親任ウィラーヤ」で、先ほどから説明している通りです。ムトラカですが、完全に絶対的な権限を有するわけではなく、(a)公共政府政治限定、(b)イスラーム社会の福利限定、(c)ヒスバ事項に限定、という制限があります。つまりウィラーヤは先ず不可視界の出来事、超常現象には及びません。学者はただの法学者であり、イマームのように神から啓示を受けて人の心を見渡したり未来を予知したりということではありませんので、あくまでも政治の話です。それからマスラハ(公共の福利)です。イスラーム社会のマスラハにも限定されます。公共の福祉に反することを行ってはいけない。そしてヒスバの事項、つまりシャリーアにも限定されます。しかしシャリーアの根幹、つまりイスラームの教義の根幹による制限は受けても、イスラーム法の1次、2次法規には限定されない。よく使う例としては礼拝と断食です。例えばイスラーム共和国を守るための戦争の時には礼拝もしなくてもよい。あるいは断食もやらなくてもよい。とにかくイスラーム国家を守ることの方が最優先であるという意味でイスラーム法規には優先するということです。政治は1次法規で礼拝を含む全ての2次法規に優先し、当然憲法を含む全ての実定法に優先します。クルアーンは憲法より上ですので、これは当然です。イスラーム法学の知識の意味は、非イスラーム世界の問題解決に至るあらゆる政治、社会事項に拡大します。これは面白いところです。ファカーハ(イスラーム法の知識)というのはもともとの意味から非常に拡大されて単に政治というだけでなく、被抑圧者の解放とか世界革命というような、イスラームとは全く関係のない中南米の解放までファカーハの中に入ってきて、とてつもなく拡大する。これがホメイニーのこの時期の特徴であるとキャディーヴァルは定義しています。
そして第5のサブカテゴリーがマシュルーテ(立憲王制)です。これは法学者のナザーラ(監督)理論ですが、立憲革命の時の議論です。シーア派史上初めて基本権、人権、あるいは憲法とか政府に対する監督などの概念が論じられました。あるいは多数決の採用許可というような全く新しい概念が入ってきました。ここで成文憲法とか議会の議員による監督という議論がでてきました。ナーイーニー、マハッラーティーがこれを唱えています。第6のサブカテゴリーのマルジャア監督人民ヒラーファ(カリフ制)はバーキル・サドルの議論で、バーキル・サドルには議会選挙国家論(1378年)、法学者不特定親任ウィラーヤ論があって、最後の段階に到達したのがこのマルジャア監督人民ヒラーファで、『イスラームは生を導く』という作品の中に現れます。ここでマルジャア監督人民ヒラーファ論が出てくる。人民ヒラーファというのは、クルアーンの聖句(9章71節参照)に基づき信徒は相互にウィラーヤを有し、協議(シューラー)し、元首は選挙をする、立法府の議員も選挙をする、こういう議論です。これが人民のヒラーファです。これも彼の言葉、ヒラーファという言葉はスンナ派ではよく使いますが、シーア派ではあまり使いません。全く使わないわけではありませんが、あまり使わない言葉ですがここで使っているわけです。マルジャア制による監督というのは、人民ヒラーファ逸脱の予防のための3シャヒード(証人)、つまり預言者とイマームと宗教学者が、人民のヒラーファの逸脱を証人として見張っているのだという議論をしています。そこで預言者とイマームがあって宗教学者がある。これがバーキル・サドルの最後の議論ということです。キャディーヴァルはこういう議論をする時に決して当時の政治状況について言わないわけです。イラクのサッダーム・フサイン政権の下ではサドルはこの程度のことしか言わなかったにもかかわらず処刑されてしまうわけですが、この時、こういう議論が、イスラームと政治の議論をすると殺されてしまうという限界があった中で語っているということは、全て抜け落ちています。これはもちろんイランが実際にはイスラームの学問のレベルという点では、ナジャフに比べて劣る。こんなことは誰でも知っているわけですが、それにもかかわらずマルジャアはイラクに対しては認めないと言っているのは、つまりナジャフなどのイラン以外の地ではイスラーム国家がなく、イスラームと政治について自由に発言が出来ず、正しいことを言えない。だから彼らは確かに学識はあるかもしれないけれど、政治に関しては本当のことを言えないので、彼らはマルジャアになれないのであるという議論をずっとやってきたわけです。こういう議論はみんな知っている筈なのですが、それをキャディーヴァルは一切語らないわけです。そういう背景には一切触れずに、サドルの議論とは「マルジャア監督人民ヒラーファ」論である、というような議論をするわけです。
7番目のサブカテゴリーは「法学者制限選挙ウィラーヤ」です。この理論によると、イスラームの元首には(1)イスラーム法の知識、(2)人民による選挙による任命、(3)権力の憲法による制限という3つの条件が存在します。イスラーム法学者を選挙人の名簿に並べて人民が選ぶということで、人民には選挙をするという意味での役割があるのです。イラン・イスラーム共和国憲法でも、人民が専門家評議会議会の議員自体を選挙し、その専門家評議会が最高指導者を選ぶわけですから、アメリカの間接選挙と同じで、間接選挙により最高指導者を選ぶことができるという議論もあります。ただし現在の公式な説明はそうではなくて、あれは選挙をしているのではなくて、専門家評議会はあくまでも最高指導者の最適任者を発見しているのである、誰が最もふさわしいのかを調べているのだ、発見するのであって、自分の意思で選んでいるのではないので選挙ではない、ということになっています。イスラーム法学者の中からしか選べないのですが、それにしてもこの場合は、人民が選んだらそれはその人民の選挙によって選ばれたことが正当性を与えるという点で、発見するのとは理論的には明らかに違います。3番目の要件が権力の憲法による制限。つまりこの理論ではイスラーム法学者である最高指導者の権力の権限は憲法を超えません。元首は憲法の上にあるのではなく憲法の下になります。それではイスラーム政府のメルクマールとして何があるかというと、イスラーム法による制限、もちろんイスラーム法を守るということです。つまりイスラーム法に反する立法は出来ないということです。次の元首の8条件、これも実はモンタゼリーからの借用で、スンナ派のカリフの条件の影響を色濃く受けており、1) 理性 2)イスラーム3)正義 4)法学知識 5)行政知識 6)非吝嗇強欲 7)男性 8)非私生児、の8条件です。最後の私生児でないというのはシーア派の特徴で、スンナ派はこういうことは言いません。これが「法学者制限選挙ウィラーヤ」です。選ばれる被選挙人はイスラーム法学者ですが、選挙権は国民(ملت)にあります。
第8のサブカテゴリーがイスラーム選挙国家で、バーキル・サドルのヒジュラ暦1378年の著、ムハンマド・ジャワード・マグニーヤ及びシャムスッディーンというレバノンのシーア派の高名な学者の説です。マグニーヤは『5法学派のイスラーム法』というスンナ派4法学派とシーア派ジャアファリー法学派の比較法学総覧の著者であり、またイラン革命の直後にシーア派の立場からかなりホメイニーに同情的ではあったのですが、ウィラーヤテ・ファキーフを最初に批判した一人でもありました。シャムスッディーンというのはレバノンのヒズブッラーの指導者です。この議論、預言者とイマームという無謬者の不在時のイスラーム法学者の役割はイスラームの教義回答、規範の演繹発見、裁判、善導に限られている。不在時の政治は人民自身に委任されており、協議国家形態=元首多数決選挙となります。では国家のイスラーム性はどうやって確保されるのかというと、法律がイスラーム法に則るということであって、体制の宗教との整合性であり、国家体制が政教分離などではないということです。宗教的目標、これは法律のレベルよりも抽象度の高い正義などの宗教的な目標、イスラームの目標にかなう目標を立てることです。
最後の第9のサブカテゴリーが共同所有者の代理の議論です。これには(1)市民の共同所有権(2)市民による国家の代理(3)政治における宗教と法学の地位、の3つの構成要件があります。共同所有者代理はマフディー・ハーイリー・ヤズディーの理論ですが、公共サービス当局代理理論は故ムルタダー・ハーイリー・ヤズディーにより40年前にシーア派法学に初導入されました。イスラーム民法には共有(ムシャーウ)、共同所有権というものがあります。例えば100頭の羊を2人で持っているというような場合です。代理(ウィカーラ)もイスラーム民法の概念ですが、権力関係であるウィラーヤと異なり対等な関係です。ウィラーヤとは例えば親の子に対する親権が典型的な例ですが、一方的な権力関係であり、親の子どもに対するウィラーヤは子どもの依頼を受けて発生するわけではありません。これは立法者、即ち神から委託されたものであって、2人の契約関係では全くない。ところがウィカーラというのは代理人をたてる、こちらが頼んで向こうが受ける、という関係であり、ウィカーラ(代理契約)はイスラーム民法では片務契約ですので、片方だけが一方的に破棄することができる、つまりいつでも代理人の罷免が可能である、ということです。政府というのは国民の代理人であるというわけです。政府とは国民の共同所有物であり、国民が全体として代理を立てて運営しているので、政府の罷免権が国民にあるということです。この罷免権の存在というのが非常に重要なところだと思います。共同所有者代理、マフディー・ハーイリー・ヤズディーは、例のコムを作ったハーイリーの子孫ですが、このハーイリー一族がこういう議論をしています。
4.ウィラーイー国家
イスラーム革命前後のイランのイスラーム国家学の重要な展開を抜き出した部分が「イスラームにおける政治思想」第2巻の『ウィラーイー国家』(Tehran, 1376)です。同書は、第1部がウィラーヤの概念分析、第2部がイスラーム法学上のその基礎付けの典拠の論証、という以下のような2部構成になっています。
第Ⅰ部 ウィラーヤの概念的諸原理
(1)語源的意味 (2)神智的ウィラーヤ (3)神学的ウィラーヤ (4)法学的ウィラーヤ (5)クルアーンにおけるウィラーヤ (6)スンナにおけるウィラーヤ (7)法学者の合法的ウィラーヤ (8)ウィラーヤと処理許認 (9)法学者の監督 (10)人民の代理 (11)イスラーム共和国期におけるウィラーヤ小史 (12)ウィラーヤと共和国
第Ⅱ部 ウィラーヤの立証根拠
(13)法学者のウィラーヤの理性の必然と自明性 (14)法学者のウィラーヤの聖法の必然 (15)法学者のウィラーヤと信条と宗派の基礎 (16)ウィラーヤの不在原則 (17)法学者のウィラーヤの預言者からの根拠 (18)法学者のウィラーヤのアリーからの根拠 (19)法学者のウィラーヤのサーディクとカーズィムからの根拠 (20)法学者のウィラーヤのマフディーからの根拠 (21)ウィラーイー国家のクルアーンの根拠 (22)ウィラーイー国家のイジュマーゥの根拠 (23)ウィラーイー国家の純粋理性の根拠 (24)ウィラーイー国家の非独立理性の根拠
本日は第1部の11章と12章の内容をかいつまんで説明します。
最初にキャディーヴァルは、ウィラーイー国家というのは王制の継承であり、イランは昔からずっと王制であったと言います。アケメネス朝以来、宗教がイスラームに変っても、スンナ派のセルジューク朝でも、シーア派になってからのサファヴィー朝もカージャール朝もみな同じで、立憲革命期という僅かな期間で例外的に中断され、その後もパフラヴィー朝が復活し、全て王制だったのです。宗教イデオロギーが何であれ、ゾロアスター教であれ、イスラームのスンナ派であれシーア派であれ何であれ、全て王制であり、そういう連続性の中で、今のイラン革命政府もやはり同じウィラーイー(権威主義、家父長主義)国家であるというのが彼の議論です。
『秘密の開示』を代表作とする1332年から1356年のホメイニーの政治思想には、(1)イスラーム法は国家を必要とする、(2)イスラーム国家樹立と暴君反対明示等前提準備は法学者の義務、(3)イスラーム政府とは親任された正義の法学者のウィラーヤ、という3つの原則が現れています。イスラーム法規の多くは、その実現には国家の樹立を必要とします。それゆえイスラーム国家の樹立と暴君の反対の明示で、暴君に対する反対を明示してイスラーム国家の樹立の準備段階をすることは法学者の義務となります。そしてそのイスラーム政府とは正義のイスラーム法学者のウィラーヤであり、彼は人民へのウィラーヤをイマームを通じて神から親任されていると。その意味ではホメイニーはずっと前から変らないわけです。1358年メフル22日、フランスでイスラーム国家(フクーマテ・イスラーミー)とは何かということをフランスで聞かれて、イスラーム共和国(ジュムフーリーヤテ・イスラーミー)だと言うわけですが、ではイスラーム共和制とは何かというと、憲法や法律がイスラームである国家である、人民の多数意見に基づく国家である、普通の意味の共和国、つまりフランスが共和国であるというのと同じような意味で、共和国は共和国なのだということです。そして西にも東にも属さない独立国家である、社会正義に立脚している、自由に立脚している、法学者の役割はナザーラであるということです。パリでは、共和国である、そして普通の意味の共和国だと、そこまで念を押しているのですが、実はキャディーヴァルによると『ウィラーテ・ファキーフ』の中ではイスラーム国家というものはマシュルータ(立憲王制)でもなければ、ジュムフーリーヤ(共和制)でもないと明言しているので、このパリでの発言はタキーヤ(方便の嘘)ということになります。キャディーヴァルによるとホメイニーは全政治生涯に渡って一貫してイスラーム法学者のウィラーヤを唱導していることになります。最初から最後まで、一番初期の頃ボルジュルディーの下にいてあまり政治的な発言をしなかった頃から、彼はずっとイスラーム法学者のウィラーヤを信じていた。パリ在住時にはホメイニーはイラン国内向けにも海外向けにもイラン向けの放送の中でも、声明中で一度もイスラーム法学者に一言も触れていません。キャディーヴァルの解釈では、ホメイニーは1979年時点の現状ではイランの人民は法学者のウィラーヤを言ったら拒否する、法学者のウィラーヤを受け入れる準備がないと思っていたのです。だからタキーヤで共和制を言ったのです。これはキャディーヴァルがホメイニーを嘘つき呼ばわりしているのではなく、あの状況下ではタキーヤを言うことが正しかったと言っているわけです。革命が成功しても、憲法の承認レファレンダムの前に、専門家評議会で草案の最終案を作るところまで以前には、法学者のウィラーヤというものはイスラーム共和国の原則の中には数えられていませんでした。専門家評議会が憲法の法学者ウィラーヤ条項を承認する、つまり法学者のウィラーヤを承認して1週間後に初めてホメイニー自身がはっきりと、イスラーム共和国とはイスラーム法学者の統治なのだということを言ったそうなのです。彼は演説の中で法学者のウィラーヤというものは、別に専門家評議会が議論をして決めたというものではなくて、神が決めたものであり、国民は神が命じたイスラームの定めである法学者のウィラーヤを自らの意思で選択したのであると言っています。法学者のウィラーヤは神が命じたものなのだけれども、国民はそれを自発的に受け入れたのである。さらに法学者のウィラーヤがないような、そういう政府はターグート(邪神・暴君)の政府なのであるということをここではっきりと打ち出しました。正義のイスラーム法学者の統治、イスラームか、そうでなければターグートか、どちらを取るかという選択しかないのだという議論がここで初めて出てくるわけです。革命が終わって憲法がもう出来上がるという時点でこれを言い始めたということです。
第12章ではウィラーヤと共和国の概念を比較しますが、両者の共通点としては①社会は国家を必要とする、②人民の福祉顧慮、の2点が挙げられます。相違点としてはウィラーヤと異なり共和国では①公空間では市民平等、②公共空間では市民は治産権、③為政者は人民の代理、④為政者は人民が選出、⑤為政者に任期、⑥為政者は人民に対して責任、⑦為政者の権限は法により制限、⑧イスラーム法の知識は為政者の条件ではない、⑨為政者と人民の契約、⑩為政者は委任者の集合理性の執事、であることの10点が挙げられます。
キャディーヴァルによるとウィラーヤ国家と共和国の概念は根本的に矛盾対立するものであり、その両者の折り合いをつけるには、(1)法学者の無条件親任ウィラーヤを変更する、(2)共和国を変更する、(3) 時差的に法学者のウィラーヤを共和国に接合する、という3つの方法がありました。ホメイニー自身は、イスラーム共和国はイスラーム国家(=ウィラーヤ・ファキーフ)の実現のための一過程と考えており、漸進的に共和国をイスラーム国家に改良していくつもりでいたところ、イスラーム革命が予想外に急速に進み、ウィラーヤ・ファキーフは受け入れられないと思っていたので妥協してイスラーム共和制と言っていたものが、帰国してみると熱狂的な大歓迎を受け、状況は良さそうだ、ではこの際入れてしまえということで憲法の中にウィラーヤ・ファキーフを入れてしまったのです。ですから本当はイスラーム共和国から少しずつウィラーヤ・ファキーフの方へ移行していこうと思っていたのですが、調整する必要がなくなってしまって、政敵がみんな消えてしまって一挙に100%イスラーム国家=法学者の無条件親任ウィラーヤにまで移行してしまった。しかしイスラーム共和国の名前だけは残っています。そういうのが現状で、矛盾の解決の3つの方法のうち、実際に起きたことはこれなのです。残りの二つとも一応試みた跡はあるのですが、結局はなし崩し的に3番目の以降を済ませてしまったというのが、キャディーヴァルによるイラン・イスラーム共和国革命の4半世紀の歴史の総括ということかと思います。
5.イスラーム共和国における親任国家の起源
最後にキャディーヴァルのウエッブサイトの「親任国家(9)―イスラーム共和国における親任国家の起源発見」について論じます。ウエッブサイト上では8も7も6もなくていきなり9が出てきます。彼は革命前のホメイニーの政治思想を(1)イスラーム法学者の人民に対する不特定ウィラーヤによる親任国家が理想イスラーム国家であるが、(2)人民に神権制の受容の準備がなくイスラーム法学者に実験がなくやむをえない場合には、法学者の許可監督を条件に立憲王制を含む選挙政府の合法性を認めていた、と要約します。『秘密の開示』を代表作とする第1段階では、(1)国家‐立法は神の大権、(2)神権国家の前提条件不在なら立憲王制可、(3)立憲王制の正当性根拠は法学者の監督、(4)法学者のウィラーヤは人民に拠らず親任ですが、法学者のウィラーヤは教義の根幹である神学ではなく枝葉の法学の主題であり、その典拠も範囲も合意がなく自明でない、とされています。つまり法学者が力をもっていない場合には、法学者の許可監督を条件に立憲王制を含む選挙政府の合法性を認めます。本当は法学者が政府を握るべきだが人民がそれを受け入れる用意がない時には、イスラーム法学者が監督をするという条件でとりあえず次善の策として立憲王制を含む選挙による政府の合法性を認めます。国家-立法は神の大権ですが、神権国家の前提条件不在なら立憲王制も可であり、本当であれば神権国家、神の国家なのですが、それの前提条件が整わない時には立憲王制も可であり、その場合の立憲王制がなぜマシュルーア(合法)なのであるかというと、それは法学者の監督があるからです。法学者のウィラーヤは人民に拠らず神の親任です。また法学者のウィラーヤはこの段階では法学者のウィラーヤの議論は「フルーウ(枝葉)」(イスラーム法学)の議論なのですね。ですからこれは「ウスール(イスラーム神学)」ではない。ウスールではないわけですから、それに背いたからといってイスラームから背教する、シーア派でなくなるということではありません。
『方途の校正』(1343年)、『イスラーム政府(1348年)』、『売買の書』(1352年)を代表作とする第2段階(1331-1356)においては『方途の校正』で初めて勧善懲悪が政治化され、また第一段階と違い、立憲王制の支持がなくなり、法学知識と正義を欠く政府は懲悪とジハードの対象となる邪神の政府であるとされ、また法学者のウィラーヤの典拠は自明で既知であり、見解の相違があるのはその権限の範囲についてのみ、と述べられるようになります。
この第2段階では第1段階と違い、立憲王制の支持はしません。パフラヴィー朝に対して、もう憲法を回復するという話ではなくなり、対決姿勢を明確にし、ジハードの対象とします。憲法によって制限しようというのではなくて、倒そうという話になってきます。イスラーム法学者のウィラーヤの典拠は第1段階ではイジュマーゥ(合意)はないとされていたものが、自明、議論するまでもなくイスラーム法学者がウィラーヤを持つのは当たり前ではないかということになってきました。確かに意見の相違はあるけれども、それはイスラーム法学者のウィラーヤの範囲がどこまでなのかという、それだけの話になってきます。
革命時のホメイニーの政治思想は、一言で纏めると「イスラーム共和国」ということになります。イスラーム革命の指導者には二重正当性が与えられます。それは(1)宗教的(دینی،
سنتی)な聖法的権利(حق شرعی)である神の親任と、(2)理性的実定法的(عقلی
قانونی)な実定法的権利(حق قانونی)の人民の多数決による選出であるわけです。つまり神から選ばれている、宗教的に神から信託を受けているという正当性と、法律によってあるいは人民の多数決によって憲法レフレンダムによって選ばれたという二つの正当性がある。しかしそのうちの真の(واقعی)正当性は、シャルイー(聖法に基づく)である宗教的ウィラーヤであり、人民選出による正当性は「自己決定を守れ」、つまり革命の際に自分たちでイスラーム法学者のウィラーヤを憲法とする政体を選んだのだから自分で決めたことは守りなさいという国際社会向けの見せかけの口実のレトリック(ظاهری جدلی)に過ぎません。人民による選出による正当性は外向けのものであれ、真実がどうであれ相手が認めたことはそれを前提に話を進めていくというギリシャ修辞学の伝統だということです。
以上のように、キャディーヴァルによると、ホメイニーの政治思想は革命の以前も以後もイスラーム法学者の親任説で一貫しており、そこには人民の役割の余地は存在しないことになります。
6.纏めに代えて
以上、駆け足でキャディーヴァルのシーア派イスラーム国家論の思想史的類型論を紹介し、彼の類型論が、イスラーム法学者のウィラーヤ論を人民主権論と対置させ、イスラーム法学者のウィラーヤ論をシーア派思想史的に相対化した上で反証し、人民主権を論証する、という明確な問題意識の産物であることを明らかにしました。その結果として、彼の類型論はシーア派の国家論の理論構造とその展開を網羅的でありながら極めて明晰に描き出すことに成功していると同時に、現在のイランの最高指導者ハーメネイーが『イスラームにおける政府』において展開した神権制と人民主権を折衷する神と人民の二重主権論のような彼の意図に反する重要な理論的展開を捉え損ねるという限界を有していると考えます。(了)