200710月6日 CISMOR部門研究会1・2合同研究会

 

「イスラームにおける共存を妨げるもの」レジュメ

 

同志社大学神学部教授 中田考

 

そもそも「共存」とは何を意味するのか?

時間に関しては、同じ時間を共有しないもの同士については「共存している」とは言えないのは明らかと思われる。歴史を経た木造家屋と現代的な超高層ビルが並んで建っているような場合に、「過去と現在の共存」といった表現が比喩的になされることはあっても、実際には、過去の存在と現在の存在が同時に存在することはないからである。共存しているのは、遠い過去に作られて現在まで存続しているものと近い過去に作られて現在まで存続しているもの、共に現在存在しているもの同士でしかない。共存の有無、あるいは可否を有意味に語りうるのは共時存在者についてのみである。

空間に関しては、別の「物」が同時に同じ空間を共有することはありえない。神学の伝統において、「物」とは「空間を占めるもの」であり、同じ空間に二つ以上の「物」が共存することは範疇的に不可能である。

また一者については、「共存」を語ることはできない。一者は端的に存在しているだけであり、共存を語りうるのは互いに異なる複数の「物」同士についてでしかない。従って「物」の共存についての有意味な議論は、別の場所に同時に存在する互いに異なる「物」についてのみ成立すると取り敢えず言うことができそうに思われる。

しかし共存が別の場所にある物同士についてしか語れないとしても、地球上の物は全て、銀河系の外の存在と「共存している」、と言った表現は、我々が通常思い浮かべるところの「共存」のイメージとはかけ離れていよう。相対性理論に従うならいかなる「物」にも超えることの出来ない光速をもってしても相互作用を行うのに何万年もかかる距離を隔てた「物」同士が、「同時」に「共存している」ということは無意味に思われるからである。

では空間的にどの程度の距離の間隔までであれば、共存が語れるのであろうか。常識的には、相互作用が可能な範囲にある「物」同士であれば、「共存」を語りうるように思われる。しかしそうだとするなら、相互「作用」が行われる以上、そこには時間の経過があり、時間の経過があるなら、そこには厳密な意味での「同時性」が成立し得ないのではないか、との疑問が直ちに生ずる。ある時の一点を共有している物同士は、その時点、その瞬間においては、共に静止しており、時間の経過がなく静止状態にある「物」同士には相互「作用」はないからである。従って「共存」を語る際の同時性は、点としての時ではなく、一定期間の幅を持った時間となる。現在のビッグバン理論に拠る宇宙論では宇宙の存在自体が時間的に有限であると考えられている以上、宇宙の中に存在するいかなる「物」であれその存在が時間的に無限であることはなく、したがってどんな「物」と「物」の間にも、過去において「無限」の時間の「共存」関係が存在したことはかつてなく、未来においても無限に続く共存関係は有り得ない。従って「共存」が成立するとしても、それは一定の有限の期間に過ぎないことになるが、どれだけの期間の間、別個の「もの」が同時に存在していた場合に、「共存」が成立した、と呼べるのかについては、一義的な基準は存在しない。「人間」を対象とする場合には、個体を問題とするならその寿命を考えれば、時間の幅は最大でも100年を大きく超えることはない、と言うことが出来そうだが、宗教、民族、国家などの「系譜的連続性を有する社会集団」、といったものの存在を前提とする議論においては、人類の歴史を超えることはない、という以上のことは言えない。

空間に話を戻しても、時間の幅に「客観的」に一義的な基準が設けられなかったのと同様に、一義的な基準は存在しないように思われる。インターネットや電話によって地上のどこにいても一瞬の間にコミュニケーションが可能となり、政治・経済・軍事の全てにおいて、これらのコミュニケーション手段を有する者は、一瞬にして地上のどこに対しても巨大な影響を及ぼすことができるからである。アメリカやロシアの大統領であれば、その一瞬の決断によって世界のあらゆる都市を数時間のうちに灰燼に帰さしめることができるのである。人間に関する限り、共存の空間的範囲は、差し当たりは「地球上」との限定をつけることのみが有意味と思われる。

これまでの議論は「物」についてであったが、神学の伝統においては、世界内の存在者は、空間を占める「物」と、「物」を基体として「物」に宿ってのみ存在しうる「偶有」である。

宗教、思想、文化などは、それ自体としては「偶有」的存在であり、人間などの「物」に宿ることによって存在する。宗教を例にとれば、宗教は信仰者の形で人間に宿って、また寺社仏閣、教会、モスク、十字架、卒塔婆、宗教画などの宗教的象徴の形を取るか、また賛美歌、時祷のように「物」の発する一連の音となって、あるいは宗教書のように物に記され解読されることによって、人間に作用することによって初めてこの世界の中の存在者となる。但し、神学における「偶有」が「点」的時間において生成消滅する「原子的」性質であるのに対し、宗教、思想、文化などは複合的であり、世界の中で、現実化するためには、一定の時間を要する。宗教音楽が、その要素たる点的時間における個々の音が単独で宗教的意味を担えないのは自明であるが、書物に書かれた教義や思想だけでなく、宗教建築や宗教画でさえ、人間が意識、理解し、宗教的意味が読み取られるためには一定の時間を要するのである。

先に、共存を語りうるのは、複数の「物」同士であり、一者について共存を語ることは無意味である、と述べたが、一つの「物」であっても、その偶有的存在に関しては、複数の性質の共存の有無、可否を語ることは可能である。一人の人間が同時に複数の宗教に帰属することが可能か否かは宗教学にとっては馴染みのテーマである。

理論的には、共存を語りうるのは複数の存在者についてであり、一者については共存の語の使用は不適切であるが、実は、部分の合成による複合体ではない「純粋単体」である「唯一神=アッラー」とは異なり、この世界の中にある存在者は全て合成物であり、どの個体をとってもそれは複数の部分の合成物に過ぎない。通常、個体とみなされる一人の「ヒト」をとっても、それは四肢、五臓六腑などの身体所部位、あるいは細胞、分子・原子・素粒子などが「ヒト」が閉める空間の中で一定の関係を取り結びつつ一定の期間を「共存」することによって成立している事象なのである。個体についてすらそうであれば、そもそもが個体の集合概念である民族、国民、宗派といった概念は尚更であり、「一つ」の「民族」、「国民」、「宗派」と呼ばれるものが、その構成要素が「共存」している状態を示す「名」であることは言うを俟たない。

従って共存を語るにあたっては、取り敢えず、特定のレベルに定位して複数の存在者を切り出し、それらの間の関係を論ぜざるを得ないが、この問題構成においては、それらの個々の存在者は常にその下位のレベルの諸存在者の共存によって成立する事象であり、また逆にそのそれらの個々の存在者の共存の状態は、その総体が特定の空間と特定の時間の集積として上位のレベルの「一つ」の個体としてそのレベルの他の個体との間で共存の関係を取り結んでいることが想定されており、このプロセスは無限に続くことが強調されなくてはならない。一つの宗教集団を例にとれば、ある宗教集団が一つの宗教集団と言えるのは、内部の諸宗派が一定の共存関係を取り結んでいるからであり、宗派もまた信徒の共存関係である。また宗教集団がその存在を維持しうるのは、その宗教集団が、その存在する地域社会なり、国家なりの中の他の集団と一定の共存の関係を取り結んでいるからに他ならない。またその地域社会や国家もまた同様で他の地域社会や国家との共存関係無しには存立し得ないのである。

こうした集団間の共存においては、微視的に見た場合にある集団構成員による別の集団の成員に対して局地的、一時的に物理的殲滅が行われたとしても、必ずしも、巨視的に見た場合に全体システムにおける共生に逆機能となるとは限らない。自然環境におけるライオンとシマウマの例を取ると、ライオンが一定のシマウマを捕食することにより、シマウマが増え過ぎて草を食べつくしての食料の欠如によるシマウマの絶滅を防いでいるケースでは、ライオンによるシマウマの捕食はライオンにとっての一方的な利益ではなく、両者の共存にとって順機能を果たしていることになる。共存の観点からは、当事者の「善意」、「悪意」に対する「倫理的評価」を一旦括弧に入れた上で、当事者の意図とは無関係な客観的な「潜在機能」(マートン)を分析する必要があるのである。但し、こうした共存関係を考える場合にも、関係を成り立たせる時間と空間の設定には、客観的で一義的な基準はなく、恣意的な時空の設定による分析の結果の安易な一般化は慎まなくてはならない。

要約しよう。無限の時間、空間における「共存」を語ることは出来ず、有意味な議論は一定の時間と空間の幅の設定を要するが、その設定に対して予め与えられた普遍的に有効な基準は存在せず、個々の議論に際して妥当な値を探さねばならない。また共存が一定の時空の場における複数の異なる個体の間の関係である以上、議論の出発点においては一定のレベルにおける存在者の個体を措定する必要があるが、そうした個体としての「物」には、無数の偶有的性質の宿る場であり、またその個体自体が、下位のレベルの存在者に対しては共存の場として事象しており、逆に上位のレベルの存在者に対しては、その個体が共存関係を結んでいる他の個体と共に一つの個体を構成していることが忘れられてはならない。

また集団間の共存を考える場合には、異なる集団の個体間の微視的な関係に目を奪われず、当事者の意図とは無関係な潜在機能にも目配りを忘れず、システム全体における諸集団の共存を巨視的に捉える必要があるのである。

以上のような「共存」を語るに当たって注意を要する諸前提を確認した上で、以下にジハードをキーワードとしてイスラームにおける共存の問題を論じていきたい。

「イスラームにおいて共存を妨げるものがあるか」との問題設定が有効であるためには、どのような時空が妥当であろうか?

イスラームの自己理解においては、イスラームとはアーダム以来の全ての人類の宗教であるばかりでなく、宇宙の森羅万象の存在様態でもある。このイスラームの自己理解に即するなら、そもそも「イスラームにおいて共存を妨げるものがあるか」との問い自体が意味を成さない。先ず確認すべきは、「イスラームにおいて共存を妨げるものがあるか」と問う発想自体が、イスラームにとって外部の視点であって、イスラームの内部の視点に立つ者からの応答を期待することは出来ないということである。肯定であれ否定であれ、いかなる答えであれ、このような質問に対してそもそも回答があったとしたなら、それはイスラームの外部の視点に立つものでしかありえない。

イスラームの外部の視点から見るとき、イスラームとは6世紀から7世紀にかけてアラビア半島で預言者として活動したムハンマドの創唱した宗教であり、今日においては世界中に十数億人の信徒を要する世界宗教である。この外部視点に立つなら、問題設定において有効な時空の幅は、差し当たり時間的には預言者ムハンマドによるイスラームの開教以来現在まで、そして現在の我々の世代が生きるであろう近未来を含めた約1450年、空間的には前近代においては南北アメリカとオーストラリアを除く地上のほぼ全領域、近現代においては地表の全て、としておいてよかろう。

先に述べたように本稿では宗教はそれ自体としては存在せず、信徒や宗教建築などの、宗教的象徴などに宿ってのみ存在するとの立場を取る。この立場に立って、宗教の共存を考えるなら、共存とは、信徒および、宗教的象徴の共存を意味することになるが、イスラームは歴史的には1400年にわたって、「啓典の民」と呼ばれる中東のキリスト教、ユダヤ教、及びゾロアスター教のみならず、ヒンズー教、仏教、儒教、道教、そして各地の民間信仰、そして近現代においては、共産主義などの無神論的諸イデオロギーの信奉者、およびそれらの象徴とも共存してきたのが事実である。これはコンスタンチヌス体制とも呼ばれるキリスト教ローマ帝国=カトリック教会の元で、ローマ、ギリシャの宗教、ミトラ教などキリスト教を除く全ての宗教がユダヤ教を除き根絶されたのとは顕著な対象を示している。

但し総論としては、イスラームが他の諸宗教と共存してきたのが歴史的事実であっても、それはそれぞれの信徒集団、宗教象徴などを集合として概観した場合であり、個々の要素を単体で見た場合には、そうは言えない。時間的には、いかなる文明、文化、宗教、国家の下であれ、人は死に、物は壊れるのであり、当然のことながらイスラームもそれと関わる人の死、物の毀滅を押しとどめて永遠の共存を実現することはできない。イスラームの歴史においてもイスラーム教徒であれ、異教徒であれ、過去の人間は全て死に逝き、ムスリムのものであれ、異教徒のものであれ、宗教象徴の多くは消失し今はなく、あるいは遺跡と化している。空間的には、イスラームと他宗教との「共存」には、大きな地域差がある。かつては異教徒が存在したが、現在は殆ど消滅した地域も多数存在する。コプト教が今なお健在なエジプトを除き、北アフリカでは土着のキリスト教徒はほぼ消滅しており(ユダヤ教共同体はイスラエル建国後もなお存続している)、アフガニスタンでは、仏教徒は消滅し、バーミヤンなどの宗教象徴の遺跡が残るのみである。つまりこれらの土地では、一定の期間に亘って共存の状態が続いたが、その間に同時並行的に徐々に消滅のプロセスも進んでいったのであり、これらの事例が「共存」の有無が二項的に一義的に決まるものではないことを示している。

またイスラーム史上、他の宗教との共存の「事実」があった場合、その全てを「イスラームにおける共存」と呼びうるのか否かは検討の余地がある。「民主主義」と呼ばれる、あるいは称するイデオロギーを例に取れば、「民主主義」は、事実として近現代史上さまざまな形で、ナチズム、ファシズム、スターリニズム、共産主義などと共存していたし、今なお、君主制、独裁制、教皇制、貴族性、共産主義、民族主義、国粋主義、軍国主義などと共存している。そうした「事実」をもって、民主主義のそれらの政治体制、イデオロギーとの「共存」を語ることが妥当であろうか。また法治主義を標榜する国家において選挙、行政、司法などに縁故主義が蔓延している「事実」があった場合、法治主義と縁故主義の「共存」を語ること、あるいは平和主義を説く宗教の信徒が殺人を犯す、あるいは戦争を引き起こす「事実」があった場合、平和主義と殺人、戦争の「共存」を語ることは妥当であろうか。

民主主義とナチズム、スターリニズムの「共存」については、スターリニズムは「民主集中制」を採る「スターリニズム」こそが真の民主主義であるとして民主主義を自称しており、ナチズムは「指導者民主主義」とも呼ばれていたが、民主主義はスターリニズムやナチズムと共存していたと言うよりも、ナチズムやスターリニズムの政治体制下では民主主義はなかった、と言う方が常識に適う様に思われる。縁故主義が蔓延する国家は、たとえその国家が法治主義を標榜していようとも「縁故主義と共存する法治主義国家」とは呼ばれず、端的に法治主義国家ではないと言われるべきであろう。また平和主義を説く宗教の信徒が戦争を始めた場合、その宗教が信徒間に平和主義と戦争の共存を実現させた、と述べるより、その宗教の平和主義が機能しなかったが故に戦争が起きた、あるいはその宗教の規範の逸脱者、あるいは「異端」が戦争を引き起こした、と述べるほうが説得力を有するように思われる。「民主主義」、「法治主義」、「平和主義」は、偶有的性質であって、それらが「宿る」ことによって、その宿った「物」が「民主的」「法治的」「平和的」になるのであって、どのような「物」であれ、その「民主主義」、「法治主義」、「平和主義」の自称の「事実」により、その物が「民主的」「法治的」「平和的」になるのではない。

つまり思想、理念、宗教のような偶有的性質の「共存」については、「物」の「事実」のみを語る「客観的」立場からは、共存を有意義に語ることはできず、それらの偶有的性質の主体的な規範的概念規定が不可欠なのである。イスラームに即して言えば、「イスラームと他の宗教、文化の共存の事実」があったとしても、そこで他宗教、他文化と共存していたのはそもそも本当に「イスラーム」であったのか、たとえそこにあったものがイスラームではあったとしても、それは正常に機能していたのか、あるいはそれはイスラームの中の

逸脱的部分だけではなかったのか、が問われなければならないのである

但し、外部的視点から記述する場合に、教義からの逸脱部分をその教義の一部として記述しない規範的アプローチは、必ずしも実践的に逸脱の抹殺を要請するわけではない。逸脱に対する対処法は、それぞれの文化、宗教によって異なるが、逸脱についても明示的なルールを有しているのがイスラームの特徴であり、イスラームは背教にまで達した逸脱には死刑を定めており、共存を決して許さないが、背教の基準は緩やかであり、背教に達しない逸脱には処分はなく、そもそも逸脱を詮索する異端審問のような制度を持たない。したがって逸脱自体はイスラームの一部ではないが、一定限の逸脱の存在を常態と認める醒めた認識に立ち、その逸脱が限度を超えない限りでのその逸脱との共存の許容は規範的イスラームの一部に組み込まれているのである。その点においてイスラームの世界観は、一定量の犯罪の「存在」は社会の健全性の現われだと考えたデュルケームの現実主義と通呈する、とも言えよう。

本発表では、西暦10世紀頃に成立、13世紀頃に確立し、その後、現在に至るまで、ムスリム居住地全域で、高度に均質的に安定して存続しているスンナ派、及び12イマーム・シーア派の法学・神学の規定するところの「イスラーム」あるいは、その「イスラーム」の宿った「物」である、信徒、社会、制度、文化財などを「イスラーム」とし、その規範的な「イスラーム」と他宗教、他文化との共存の可能性を考える立場を取る。

イスラームは時間的にも空間的にも広範な広がりを持っており、その他宗教、他文化との関わり方も絶望的なまでに多様である。しかし規範的イスラームの世界観を参照することで、多様性を一定程度までパターン化、整理することができる。古典イスラーム法学は、地表を、イスラーム法の法治空間である「イスラームの家(d±r al-isl±m)」とその外に広がる無法地帯「戦争の家(d±r al-Æarb)」に大別する。「イスラームの家」とは、ムスリム共同体全体の長であるカリフが、領土を外敵の侵略から防衛すると同時に、イスラーム公法に則り住民の生命、財産、名誉を護り、宗教に関しては、宗教共同体毎にその自治を保障するシステム、即ちカリフ制が実現される場である。実のところ、イスラーム法は二元的であり、全ての市民が従うべき公法(公共法)と共同体法とに分けられ、公法が宗教の違いに関わらず一律に強制されるのに対して、宗教的儀式だけではなく家族法及び服装規定等を含む宗教領域においては宗教を基礎とした各共同体が各自の共同体法に従った自治を行うことを認めるゆえに、多元主義的である、その意味で、イスラーム法による支配たるカリフ制は「世俗的」とも言える。そしてこのイスラーム的法治空間「イスラームの家」を地上全体に広げることがイスラーム的政治、即ちカリフ制の目的・理念となり、「イスラームの家」と「戦争の家」の関係を律する法が、「ジハード」法、あるいは「シヤル」法と呼ばれる戦時外交法である。

「イスラームの家」と「戦争の家」の関係が、「ジハード/シヤル」法と呼ばれる戦時外交法(ジハード/シヤル)によって規定されるのに対して、「イスラームの家」の内部におけるムスリムと異教徒の関係はイスラーム法の「庇護民」の法によって規定される。つまり、イスラームは、その他宗教、他文化の「共存」のあり方について、「イスラームの家」の内部とその外部とで異なる二つの別のルールを有しているのであり、両者がイスラームにおける他宗教、他文化との共存の二つの基本パターンとなるのである。従ってイスラームと他宗教、他文化の共存を考えるにあたっては、先ず、「ジハード/シヤル」法と「庇護民」の法、を参照すればよいことになる。

勿論マックス・ヴェーバーの指摘を俟つまでも無く、法の妥当には、当該社会の全構成員によるその遵守のみならず、支配者によるその施行の貫徹さえも必要としない。

(法命題の妥当という概念にとって)重要なのは、とくにそのことを任務としている一群の人びとが、規範違反という事実が純粋にそれとして存在しているだけの場合にも、したがってこの[規範違反という]形式的な理由を主張することだけによって、介入してくる十分に強力なチャンスが事実上存在しているということのみである。(M.ウェーバー『法社会学』創文社昭和5363010頁)

共同社会行為に参加している人たち ―この共同社会行為に対する事実上の影響力を、社会的に重要な程度に握っている人たち― が一定の秩序を妥当力あるものと主観的にみなし、また実際上、そのようにとり扱う、つまり彼ら自身の行為をこの秩序に志向させる、というチャンスが存在している場合・・・。(同上3頁)

いかなる法秩序であれ、法を破る者の存在だけでなく、法を施行すべき支配者自身による法の蹂躙が存在する。イスラーム法も例外ではない。「事実」としてはイスラーム史上においても、「庇護民」法も「ジハード/シヤル」法がいつでも完全に遵守されたわけではなく、多くの逸脱が存在したが、本発表では、規範的イスラームの共存のパターンを示すことに主眼を置き、逸脱については歴史的に生じたいくつかのパターンの例を挙げるにとどめたい。
既述のように、カリフ制はイスラーム公共法に基づき全市民へ治安を保障し、宗教を基礎とした各共同体に対し自治をゆだねる法治空間「イスラームの家」の実現を目指す「世俗的」支配である。ところがカリフ制が「世俗的」であるのは、イスラームの使命の本質自体に由来する。イスラームの使命は(1)イスラーム的統治、つまりカリフ制の拡張、(2)自由意志によるイスラームの信仰の宣教の2段構えである。なぜならば、武力による強制が実施されるのは、納税を伴うイスラーム公法の遵守が拒絶された場合にのみであり、イスラームの信仰が拒絶された場合ではないからである。イスラームでは、信仰を強制することは無意味と考えるので、信仰を強制することは無く、また内心の信仰の当否を知る者はアッラーフしかいないため、信仰告白の言葉以上に、信仰を詮索することは無い。そして異教徒には、イスラームの統治の理念への思想的にも政治的にも積極的なコミットメントは一切求められず、ただ納税し、イスラーム公法に外面的に従っていれば、「受動市民」として「能動市民」たるムスリムと同じ生命、財産、名誉の安全を保証されるのである。

 1945年にドイツが破れ占領された後で、カール・シュミットはしばらくの間、ソヴィエト支配地と米国支配地句の両方に住んだ。そこは後にドイツ民主共和国とドイツ連邦共和国に変わった場所である。各占領地での経験の比較を基にして、カール・シュミットは、米国のリベラリズムは軍事思想でありソヴィエト共産主義よりもなお妥協を許さぬ傾向を持つものであることに気づいた。米国人たちはシュミットがリベラル民主主義を信奉している証拠をみせろと要求した。一方でロシア人たちは決して彼に共産党宣言に誓いを立てるように求めなかったのだ。この個人的な体験によってシュミットは、近代米国リベラリズムが、イデオロギーの自由や好きな生き方をするといったパラダイムではなく、攻撃的イデオロギーであり彼が非常に嫌った共産主義よりももっと危険かもしれないイデオロギーであると、いう結論に達した。(イズラエル・シャミール「リベラリズムの暴政」『真相の深層』2007年3月15日13号、39-40頁)

イスラームは地上全土をこのイスラーム法の法治空間「イスラームの家」と化すことを使命とするが故に、普遍主義・拡張主義・帝国主義的と呼びうる。そしてこの使命が暴力によって阻止された時点で、法学的意味のジハードが発動する。

「ジハードは私の召命以降、最後の我がウンマ(イスラーム共同体)がダッジャール(偽キリスト)と戦うまで継続する」のハディース(アブー・ダーウード)の示すようにイスラームの戦争観は二重の意味でリアリスティックである。つまり、(1)イスラーム法による統治を武力によって阻止しようとする悪の勢力はいつの世にも存在し、それゆえ世界に戦争がなくなり平和になることはなく、(2)またイスラームは最後のイエスの再臨、救世主(マフディー)の出現、という神の直接的介入がない限り、通常の歴史においてその悪の勢力に勝利することはできない、との醒めた認識がイスラームの戦争観を特徴付けているのである。この意味では、イスラームは、他宗教、他文化との「共存」がやむを得ないこの世の「現実」であることをその世界観の中に組み込んでいる、とも言うことができよう。

「イスラームの家」の拡張は、宣教から始まる。イスラームの宣教はカリフの責務である。カリフは先ず、「イスラームの家」の外部、「戦争の家」にイスラームの教えを伝えなければならない。カリフの使節の宣教に応えて住人がイスラームに入信すれば彼らの土地は「イスラームの家」に編入される。新たにイスラームを受け入れた新入信者には他のムスリムと全く同じ権利と義務が生ずる。

アッラーフは聖クルアーンの中で明瞭に述べている。「啓典を授けられた者たちで、アッラーフも最後の日も信じず、…(中略)…彼らが卑しめられて手ずから税を支払うまで戦え」(クルアーン9章29節)。さらに、教友アル=ムギーラはニハーバンドの戦いの日にペルシア軍に対して「我々の預言者は、我々に対してお前達がアッラーフのみを崇拝するか、税(ジズヤ)を支払うまでお前達と戦えと命令した」と述べたと伝えている。(アル=ブハーリー)

入信を拒んだ者には納税のオプションが与えられる。税の額は学派によって異なるがシャーフィイー法学派、ハンバリー学派によれば、富裕層は年間4ディナール(約5万円)、中間層は2ディナール、貧困層は1ディナール、最貧困層は免除される。

納税のオプションが与えられる異教徒の範疇は法学派によって異なる。マーリキー派では全ての異教徒、ハナフィー派及びハンバリー派の少数説ではアラブの多神教徒を除く全ての異教徒、ハンバリー派、シーア派ではユダヤ教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒、シャーフィイー派では、歪曲されないオリジナルなキリスト教、ユダヤ教の信者の子孫及びゾロアスター教徒のみとなる。

納税を拒んだ場合に戦闘になる。休戦は許されるが、無期限の休戦は許されない。休戦期間の上限は、シャーフィイー派、ハンバリー派、シーア派では10年、ハナフィー派、マーリキー派では上限は無くカリフの裁量による。

休戦協定が結ばれた場合には、ムスリムには協定の遵守が義務となる。休戦協定が結ばれれば、協定が有効な間は、敵国内でムスリムが迫害を蒙ってもその支援のために武力介入することは許されない。

「・・・信仰したが(イスラームの家に)移住しない者は、彼らが移住するまで、お前たちには彼らに対して何の責任も無い。しかし彼らが宗教のことでお前たちに助けを求めるなら、お前たちには支援が義務となる。ただしお前たちとその者たちの間に協約がある民に対しては別である。アッラーはお前たちが行うことに通暁し給う。」(8章72節)

「イスラームの家」の内部での異教徒の恒久的共存は庇護関係によって保障されるが、一次的な滞在は、以下のクルアーンの節による安全保障の付与によって許可される。

「もし多神教徒のひとりがおまえ(ムハンマド)に庇護を求めたなら、彼がアッラーの御言葉を聞くまでは彼を庇護し、それから安全な場所に送り届けよ。それは、彼が知らない民だからである。」(クルアーン9章6節)

安全保障の付与は、「イスラームの家」に住むあらゆるムスリムの権利であり、誰か一人が安全保障を与えたなら、他のすべてのムスリムはそれに拘束される。

安全保障は背教者を除くあらゆる異教徒を対象とするが期間は1年で、1年を超える場合、出国するか、庇護民となって残留するかを選ばねばならない。

イスラーム法の施行される「イスラームの家」の中でムスリムにとって共存が可能な対象を整理しよう。

共存には恒久的共存の対象である「庇護民」と一時的共存の対象である「安全保障取得者」に分かれる。

税の支払い、イスラーム公法の遵守の承認は両者共通の条件である。なお、イスラーム公法の遵守の承認はムスリムにとっても信仰の条件であり、またムスリムには税(ジズヤ)ではなく浄財(ザカー)の支払いが義務となる。

「安全保障取得者」は、イスラームから背教した者を除き、あらゆる異教徒になることが可能である。

「庇護民」の条件は学派によって違うが、最も緩やかなマーリキー派、ハンバリー派の少数説では、背教者以外の全ての異教徒、最も厳しいシャーフィイー派では、本来の教えを保持しているキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒のみであり、実際には現存するキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒のほぼ全てが排除される。

「物」に関しては十字架のような宗教的象徴は人目につく「公的」な場には存在することが許されない。既存の教会、シナゴーグのような宗教施設は、保護されるが、新築はもとより改築も許されない。但し、武力征服ではなく、当初からの講和により庇護契約を結ぶ場合、改築を契約の条件につけた場合はその条件は有効である。

庇護民、ムスリムと同じく生命、財産、名誉を保証され、その意味においてムスリムとの共存が可能であるが、それは庇護民がムスリムと平等な扱いを受けることを意味しない。

例えばハンバリー派によると庇護民に対する差別待遇は以下の通りである。

ムスリムとの識別。馬を除く駄獣には鞍でなく荷鞍を敷いて乗る。集会で最初に発言することは不可。そのために起立することも、先に挨拶することも不可。教会の新築、転売、破損箇所の改築は不可。ムスリムのものよりも高い建物、同じ高さの建物の建築不可。酒、豚、鐘を人目に晒すこと、また彼らの聖典を朗唱することも不可。キリスト教徒のユダヤ教への改宗、およびその逆も不可。

こうした差別待遇が、長期的にはイスラームへの入信の動機付けとなったことは十分に考えられる。イスラーム世界は宗教の博物館と言われるように多くの宗教・宗派が残っているが、徐々に異教徒の数が減り、現在ではムスリムが多数派になっている土地が多いのも事実であり、それにはイスラームの教義に惹かれての自発的な入信だけではなく、差別待遇を解消するための「世俗的」動機によるものもあったと思われるからである。

「イスラームの家」においては、背教者とは絶対的に共存の余地は無いが、それ以外の異教徒との共存は、カリフがどの学説を採用するか、及び、その時点の政治状況に左右されることになる。

序で述べたように「別の物」同士の「共存」を語る文脈は本来的には「同じ場所」では相互作用が可能な程度に近接した「別の場所」である。

たとえ「イスラームの家」において共存できない異教徒であっても、「戦争の家」にいる限り、カリフが休戦協定を結べば、共存は可能になる。無期限の休戦は許されないが、ハナフィー派、マーリキー派では上限無く長期の休戦が可能であり、10年を上限とする他学派でも更新は可能であるため、事実上は無期限に延期が可能である。従ってイスラーム法上は、「戦争の家」に住む異教徒との共存は休戦協定の締結により可能であり、その更新の繰り返しにより、共存の可能性に時間的な限界は無い、ということになる。

但し、休戦は法的に可能である、というだけであり、実際に休戦が選ばれるか、戦争になるかはその時点での政治状況次第ということになる。

イスラームは庇護と安全保障の制度により、宗教的自治権を有する異教徒との共存を組み込んだ「イスラームの家」の概念を発達させた。またこの「イスラームの家」での共存ができない異教徒とも、彼らが「戦争の家」に居る限り、休戦協定を結ぶことによって、彼らの信条、行為に一切干渉することなく共存することが可能となるのである。

ところがイスラームにおける共存が成立するためには、「イスラームの家」にカリフ制が樹立されることが前提条件であり、カリフ制が不在である以上、イスラーム法が施行されること、「戦争の家」との休戦協定の締結も不可能であり、イスラームとの安定した共存関係が構築される可能性も存在しない。

したがって「イスラームにおける共存を妨げるもの」とは現在のカリフ制不在の状況そのものということができる。

但し、「イスラームの家」は不可逆的に拡大するものと仮定されているために、一旦「イスラームの家」に組み込まれた土地は、異教徒に奪回されても理論上は「イスラームの家」のままであり、その再征服が義務になる。特にそこにムスリム住民が残存した場合はそうである。一旦「イスラームの家」に編入された土地は、異教徒に征服された後も、永久にその所有権がムスリムに帰属し、合法的に奪還できるのみならず、奪還が義務であり、征服した異教徒にはいかなる権利を生じないのに対して、ムスリムが征服した土地に対しては異教徒には何の請求権も生じないことは、異教徒にとっては受け入れ難い「不平等」と感じられるかもしれない。

そして現実問題としては、イスラームの家の土地が近過去に異教徒に奪回され主権と土地を奪われたムスリムが今なお存在している問題が、今日深刻な文明間・宗教間の対立・紛争と呼ばれているもの主要な原因となっているように思われる。パレスチナ問題はその最も典型的な一ケースに過ぎない。(アンダルスは当面問題となっていない)

今日の「イスラーム世界」、つまりかつての「イスラームの家」の版図は、おおむね、現在ムスリムが多数を占める、西欧型国民国家の領域と一致する。これらの国家群をここでは「ムスリム国家」と呼ぶとしよう。すると現在のムスリムは、ムスリム国家にマジョリティとして住んでいるか、非ムスリム国家にマイノリティとして住んでいるかのいずれかであることになる。

しかし当然のことながら、近代国家の国境と、「イスラームの家」、「戦争の家」の区分とは厳密には一致せず、かつてのイスラームの家の一部が、非ムスリム国家に組み入れられる場合も生じた。そのようにしてムスリムが国家のなかでマイノリティに転落した地域としては、インドのカシミール、タイのパタニ、またフィリピンのミンダナオ、ロシアのチェチェン、中国の新彊などがある。

そこで、非ムスリム国家に住むムスリムも、かつての「イスラームの家」の住民の子孫たちと、戦争の家の居留者の子孫および新規移住者に大別して考えることができる。したがって現在のムスリムは、その居住地の歴史的特性によって、ムスリム国家の住民、かつては「イスラームの家」の一部であったが現在は非ムスリム国家に組み込まれた土地の住民、かつての「戦争の家」に成立した非ムスリム国家に住む居留民の子孫および新規の移民に大分される。この区分は、今日の地域紛争とイスラームのかかわりを考えるうえでも有効だと思われる。

例えば、ムスリム同胞団は、エジプトやヨルダンのようなムスリム国家では、議会に進出して議会制民主主義の枠内で「イスラーム国家」樹立のための合法闘争をめざしているが、ユダヤ教徒によって占領されたパレスチナでは、ジハード(聖戦)による反体制武力闘争路線をとっている。

またジャマーアテ・イスラーミーも、インド・パキスタンの分離独立による組織の分裂後は、ムスリム国家パキスタンではイスラーム法の施行によるパキスタンのイスラーム国家化を、ムスリムがマイノリティに転落した非ムスリム国家インドでは国家理念としての世俗主義の堅持を、ムスリムがマジョリティを占める両国の係争地カシミール地方では、インドからの分離独立とムスリム国家の樹立を求めている。以上からもわかるように、同系の民族、同じ団体であってさえも、地域の歴史的特性の相違によって、現実の政治的立場はまったく異なりうる。

戦争の家の居留民の子孫で有名な例としては、中国の回族がある。彼らは内婚集団をつくって宗教的アイデンティティをいまなお保持しているが、独自の言語、孤立した居留地をもたず、中国各地に散らばり、漢族に交じって小さなコミュニティをつくって暮らしているため、文化的にも漢族との同化が進んでいる。

また、今日の欧米のムスリムは、新規の移民と、非ムスリム国家に生まれその国籍を有する二世、三世など居留民の子孫、欧米人の改宗者の混成となっている。日本でも、とくにアジア地域を中心とするムスリム労働者の増大によって、ヨーロッパに似た状況が現出しつつある。

イスラームと他宗教、他文化の共存の方向性は、共存とはそもそも別の場所を占める異なる者同士の一定の安定性を有する関係であることを考えれば、基本的に、ムスリムが権力の中心を担いながらイスラームの統治に共鳴する異教徒の庇護民と共存するイスラーム法の法治空間である「イスラームの家」と「戦争の家」が相互不干渉の協定を結び、人間の移動を自由化し、イスラーム法の統治を望む者は「イスラームの家」に移住し、「自由=無法」を望む者は「戦争の家」に無条件に移住することができるシステムを構築することが最善と思われる。そのためには自由、平等を唱導する国家群は国境を完全に開放し、なによりも人間の移動の即時完全自由化を果たす必要があるのである。

最初に指摘した通り、一なる創造主以外の全ての被造物は、複合物であり、その意味において純粋な「単体」は存在せず、万物は共存の場であり、イスラームも例外ではない。本発表では、便宜的に、ムスリム共同体をキリスト教徒、ユダヤ教徒などの宗教集団、あるいは民族、国民などと並ぶ単体として扱ったが、ムスリム共同体自体が、多くの「偶有」を異にするムスリムの単体(個人)の共存の場であり、またムスリム単体自体が無数の「偶有」の共存の場であり、それぞれのレベルで「共存を妨げるもの」を抱えていることは再確認しておかなければならない。

 

参考文献:中田考「宗教学とイスラーム研究」『宗教研究』日本宗教学会 第78341, pp25-52, 2004/9