幻想の自由と偶像破壊の神話 - 預言者風刺画問題報道をめぐって
中田考(同志社大学神学部教授、一神教学際研究センター幹事)
序.
「事件」の発端は2005年9月末にデンマークの「ユランズ・ポステン」紙が預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことにあった。デンマーク国内のムスリム諸団体は同紙に抗議し、冒涜罪で訴えたが却下され、欧州人権裁判所に提訴することを発表した。またトルコ、イラン、パキスタン等のムスリム諸国のデンマーク駐在大使たちもデンマーク政府に抗議したが、満足すべき対応がえられなかったことから、問題をイスラーム諸国会議機構(OIC)やアラブ連盟といったより高いレベルに格上げし、一挙に問題が国際化した。
2月4日はシリアの首都ダマスカスでデンマーク大使館とノルウェー大使館が放火され[1]、パキスタンでは連日の抗議デモにより死傷者がでるに至っている。ナイジェリアではキリスト教徒が襲われて死者がでる事件が起きている。またインドからはウッタルプラデシュ州政府のクレシ・イスラム巡礼相が、風刺画の作者の首を切り取った者に5億1000万ルピー(約13億6000万円)の賞金を出すと発言したとの報が伝わっている。
本邦では、大手新聞各紙が、この「事件」をイスラームの偶像崇拝の禁止によって解説し、西欧の表現の自由の対立として捉える見方を示している。
本稿は、イスラーム学の立場から、本邦の報道の問題点を指摘した後、事件がイスラームと西欧の文明/価値観の衝突ではなく、西欧文明の内部矛盾の発現であることを明らかにすることを目指す。
1.イスラームにおける偶像崇拝の禁止
偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームのセム系一神教全てに共通しており、イスラームだけの教えではない。偶像崇拝が禁止されているとしても、全ての「像」が偶像として崇拝されるとはかぎらない。偶像崇拝の禁止は、「像」を描くこと、彫ることの禁止に必ずしも直結しない。ユダヤ教とキリスト教が共に聖典とするヘブライ語聖書は、有名な十戒の冒頭で、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も作ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形を造ってはならない。」(出エジプト記20:3-4)と述べ、偶像崇拝に限らず、そもそもいかなるものであれ、像を作ること自体を厳格に禁じている。にもかかわらずキリスト教の歴史においては、イエス像、マリア像などの聖像が「偶像」として排斥されることは、歴史的に例外で、むしろ信仰の強化のために積極的に利用されてきたことは広く知られている。
一方、イスラームについては、すでに若林啓史が既に「イスラームに対する通俗的理解によれば、人物などの画像は偶像として厳しく禁止されており、キリスト教の聖像画も例外でなく破壊の対象となる。その結果イスラーム芸術においては植物や幾何学文様、あるいは書による表現が発達を遂げたと説明されている。」(若林啓史『聖像画論争とイスラーム』知泉書館2003、85頁)と指摘している通り、人物の像が全て禁止されているかのような俗説が蔓延している。
聖書において作像の禁止が、戒律の要諦である十戒の冒頭におかれているのに対して、クルアーンにはそもそも作像の禁止を示す章句は存在しない。作像の禁止は、ハディースのレベルになり、ハディースのレベルでは、「絵を描いた者はすべて火に投ぜられ、自分の描いたすべての絵に命を吹き込まれ、地獄で罰を受ける」などの伝承群が存在し、人物を含む動物の像を描く、彫ることは禁じられている、との法判断が演繹される。
但し、作画を禁ずるとのこのハディースの解釈は通説ではあるが、イスラームの行為規範体系であるフィクフ(≒イスラーム法学)の標準的な教科書の中では、作画の禁止が主題的に論じられることはなく、「礼拝の条件」などの章の中で、絵を描いた服の着用の禁止のような形で簡単に触れられるのみに過ぎない。また15世紀に書かれた古典クルアーン注解『タフスィール アル=ジャラーライン』は、クルアーン34章13節「彼らは彼のために高殿や、彫像、湖のような大皿、不動となった大鍋など彼の望むものを製作する。『ダーウードの一族、感謝をなせ』。だが、わがしもべのうち深謝する者はわずかである。」の『彫像』(tam±thµlはtimth±lの複数形)の語を注釈して「それは、あるものを真似て作ったものすべてである。つまり、銅、ガラス、大理石などの像である。彼(ダヴィデ)の聖法においては像を作ることは禁じられていなかったのである。」と述べており、18世紀の脚注は更に「アッラーの御使いは『それらの者は、彼らの間で義人が亡くなると、その墓の上に礼拝堂を建て、そこにその姿の像を作った』と言われている。つまり、それは、彼ら(義人)の崇拝行為を思い出し、崇拝に精を出すためであった。」と述べており(al-Jamal,
al-Futūh±t
al-Il±hµyah
bi-Taw½µÆ Tafsµr al-Jal±lain,
Beirut, 1994, vol.6, p.220)、以前の預言者たちの聖法では作像は禁じられていなかったとしている[2]。
イスラームの自己理解によると、イスラームとは預言者ムハンマドの教えではなく、アダム以来の預言者たちの教えあり、アブラハム、モーゼ、ダヴィデ、ソロモン、イエスらは皆、アッラーの預言者であり、彼らの教えは全てイスラームなのである。但し、イスラームの教えの中でも、「信条」が永遠不変であり、すべての預言者の教えに共通する教えの中核を成すのに対し、行為規範は時代と場所により異なり、それぞれの預言者のもたらした「法」の間には差異が存在する。それゆえイスラームの教義学においてはキリスト教とは異なり、信条を扱う神学と行為規範を扱う法学が別個の学問として存在するのであるが、作像の禁止が預言者ムハンマド以前の法においては許されていた、ということは、作像の禁止が、神学の主題、つまりイスラームの永遠普遍の中核的メッセージである偶像崇拝に係わる問題ではなく、身体的な行為の決疑論、即ち法学の主題であることを示しているのである。また法学においても像の禁止は決して厳格なものではない。像の作成、所有などに罰則規定がないだけでなく、預言者ムハンマドが幼な妻のアーイシャが人形で遊ぶのを黙認したとの、人形の存在を容認するハディースの明文が存在するからである。(『日訳 サヒーフ ムスリム』日本サウディアラビア協会、1989年、3巻、421頁参照)
2.預言者の肖像
後に見るイスラーム世界の宗教学者たちの連盟の声明の中にも、「偶像崇拝」への言及は全くなく、風刺画問題が偶像崇拝の禁止への抵触による、といった報道はイスラーム圏には全く存在せず、本邦に特徴的な「誤解」である。
とは言え、預言者の風刺画問題の原因がイスラームの偶像崇拝の禁止への抵触にあるのではないにしても、預言者の肖像画が問題視される、という事実は別途に存在する。かつて日本でも、漫画の世界の偉人伝のシリーズの預言者ムハンマドの巻が、あるムスリム団体による抗議によって発売取りやめになり、絶版にされたケースもある。預言者ムハンマドの肖像を描くことがイスラームでは禁じられている、という俗説が流布しているのも故無しとはしないが、実はそのような規定はクルアーン、ハディース、イスラーム法のどこにも存在しないのである。
クルアーンには作像の禁止の規定がなく、作像の禁止の根拠はハディースにあることは既に述べた。しかしハディースには預言者ムハンマドであれ、他の諸預言者であれ、特定の人物についての肖像を描くことの禁止はない。それどころか人物像の禁止すらなく、禁止されているのは動物一般の像なのであり、イスラーム法学においても同様である。
つまりイスラームにおいては動物一般の像が禁じられているのであれば、預言者ムハンマドの肖像も禁じられていることになるし、もし動物一般の像が許されているなら預言者ムハンマドの肖像もまた許されているのである。預言者ムハンマドの肖像だけが禁じられる、などという議論はナンセンスでしかない。
筆者はかつてこの問題について、インドネシア・イスラーム学者協会の事務局長と議論したことがある。預言者の肖像画の禁止には、クルアーンにもハディースにも根拠がない、との筆者の指摘に同意しつつ、彼が挙げたのは、「私について嘘をついた者は火獄に住処を得る」とのアル=ブハーリーが伝えるハディースであった。つまり、預言者の肖像を書くこと自体に問題がないにしても、その肖像が預言者の実像と違うなら、預言者について嘘を述べたことに準じる、との立論である。つまり禁じられるのは預言者の肖像を描くことではなく、預言者について間違ったイメージを与えることなのである。この論点については後にまた立ち返ることになる。
イスラームにおける像の禁止が必ずしも厳格なものではなかったことしても、イスラームが、動物の絵や彫刻を嫌う傾向があったのは歴史的事実であり、前近代において、西欧だけでなく、中国、インド、日本などの諸文明に比しても、絵画や彫刻などが少なかった、と述べることはできよう。特に礼拝の場であるモスクにおいては、他の宗教の礼拝施設と比べて、肖像の不在は、特徴的でもある。
しかしそれは前近代のイスラーム世界においても宗教画がなかったことを意味しない。そしてそうした宗教画の中には預言者ムハンマドの肖像も含まれている。なかでも有名なものとして、預言者ムハンマドの昇天に題材をとった「預言者昇天物語」として知られる絵物語がある。ちなみにこの絵物語を収録した研究書はエジプトで出版されて市販されている
また現代イランにおいても、預言者がシリアとのキャラバン貿易に参加した若年時に出会ったキリスト教徒の修道士によって描かれたとされる肖像のコピーが市販されている。
預言者の肖像画は珍しいものではあるが、現代のイスラーム世界でも見ることが出来る。
今回の預言者風刺画「事件」が、預言者ムハンマドの肖像が描かれたこと自体に起因するのではないことはこの事からも明らかであろう。
既述の通り法学的には動物一般の像の禁止が通説であるが、現代イスラーム世界の現状は、
預言者ムハンマドの肖像画ですら存在し、動物や人物の絵が巷に溢れていることにおいて西欧や日本と全く異なることはない。紙幣を例にとっても、最もイスラーム法の適用が厳格であると言われるワッハーブ派のイスラームを国是とするサウジアラビアですら歴代の国王の肖像画が描かれているの。また文字通りの「偶像」も日常的な光景であり、エジプトでは古代エジプトの様々な神像が観光の目玉になっているし、マレーシアにはヒンドゥー寺院にムルガン神の神像としては世界最大の黄金の像が聳え立っている。
偶像崇拝の禁止のために、イスラーム世界では絵画や彫像が存在しない、といった言説は他者の想像力の産物であり現代の「神話」に他ならない。
3.預言者風刺画の問題性
預言者ムハンマドの肖像画を描いたことでないとすれば、風刺画がムスリムたちの怒りをかった原因は何であったのか。それは預言者の誹謗である。
ここでは例としてエジプト、シリア、レバノン、ヨルダン、オマーンの最高ムフティー(イスラーム教義諮問官)ら著名なイスラーム学者たち42人が連名で署名した8項目からなる声明文を取り上げよう。(アラビア語版http://www.duaatalislam.com/arabic.htmがオリジナルだと思われるが英語版http://www.duaatalislam.com/english.htmもウェッブ上で読むことが出来る)。
この声明文でも、「偶像崇拝の禁止」への言及はない。声明の第6項目は、「我々はイスラーム諸国会議機構(OIC)及びムスリム諸国、政府、そして国際社会に、国際連合がアッラーの預言者ムハンマド、アッラーの預言者イエス、アッラーの預言者モーセ等、全てのアッラーの預言者への誹謗(Õis±Õah)を犯罪とする法の制定を求める。」と述べ、預言者ムハンマドの誹謗が刑事犯罪であることを示唆している。
既述のようにイスラーム法は、クルアーンとハディースから演繹された行為規範の束であるが、この声明は、なぜ預言者の誹謗が罪でありいかなる刑罰が課されるべきであるかについては語ることがない。
この問題について、非常に明晰に述べているのが、インドネシア解放党(HTI)の声明である。
インドネシア解放党のオンラインマガジンBuletin al-Islam の「預言者への侮辱(menghina) ‐ イスラームとムスリムに対する西欧の文化戦争」と題した2006年2月17日付292号(http://hizbut-tahrir.or.id/main.php?page=alislam&id=292)は「アッラーの使徒への侮辱は死罪」との小見出しを掲げ、預言者ムハンマドへの侮辱が死罪であると論じている。HTIは、預言者ムハンマドがマディーナにヒジュラ(聖遷)を行う以前のマッカ在住時には侮辱を放任したことを認めながら、ヒジュラ以後は侮辱には断固とした態度を取ったとする。そして預言者ムハンマドが、彼を侮辱したユダヤ教徒の女性を殺害したムスリム、及び彼を侮辱した妻を殺害したムスリムの夫を無罪放免とした、とのアブー・ダーウードの伝えるハディースを典拠に、ユダヤ教徒やキリスト教徒などの庇護民が預言者を侮辱した場合、悔い改めてイスラームに入信しない限り死罪に処され、ムスリムの場合は改悛の余地なく処刑される、とのアル=シャウカーニー(1834年没、ザイド派出身のイエメンのイスラーム学者)の学説と引いて、異教徒であっても預言者への侮辱が死罪に値すると述べる。
そしてHTIは、問題は預言者への侮辱が死罪であるにも係わらず、それを執行する国がどこにもないことであり、カリフ国家が樹立されない限り、イスラームとムスリムの尊厳が守られることはない、と論ずる。
HTIの議論は、前述のイスラーム学者たちの声明文がなぜ預言者の誹謗が犯罪とされる根拠と量刑について曖昧であるのか、を明らかにしている。イスラーム学者たちが、イスラーム法の預言者誹謗罪について明言を避けているのは、イスラーム世界にイスラーム法を執行するイスラーム国家(HTIの表現だとカリフ国家)が存在せず、またそのことを指摘し、批判する自由が存在しないからである。ではなぜHTIだけにこのような発言が可能となるのか。それはスハルト独裁政権崩壊後のインドネシアが、イスラーム世界で唯一政治的自由を享受する国であり、解放党が合法的に活動できる唯一の場であるからである。
それゆえHTIだけが、預言者ムハンマドの誹謗のイスラーム法上の規定を述べ、そのイスラーム的対応がイスラーム法を施行するイスラーム国家、即ちカリフ国家の樹立と不可分であり、イスラーム世界の政治的現実がイスラームから逸脱していることを以下のように明言しえたのである。
「この悲劇(預言者の誹謗)への対応は(デンマーク)大使の追放、商品のボイコット、抗議デモ、謝罪要求では不十分である。それらのことは良いことであるとしても瑣末事でしかない。これらの悲劇の全てを終わらせる方法と決断は、ムスリムをアッラーから啓示された聖法に則って統治し、彼らと共にアッラーの道においてジハードを遂行するカリフ国家によるしかないのである。カリフは彼らを管理、指導する。イスラームを誹謗する者に対しては、その舌より先に、その剣が物を言うのである。彼はその敵たちの誹謗に対して、単に耳に入るだけの言葉によって応えるだけでなく、目に見える断固たる行動をもって応えるのである。」(Buletin al-Islam, 2006/2/10, Edisi 291, “Tragedi
Penghinaan Terhadap Rasulullah. ‐ Memanggil Kaum Muslim:Dirikanlah Khilafah
Untuk Islam dan Untuk Menjaga Islam dan Muslim!(アッラーの誹謗の悲劇 - ムスリムに呼びかける。イスラームとムスリムの庇護のためにカリフ制度が樹立されねばならない!)”)
HTIの議論はイスラーム学者たちの声明が隠蔽しているものを照射するものではあるが、聖遷以前の預言者ムハンマドが誹謗を黙殺した事実を十分に説明できない、など法学的議論としては十全なものではない。
我々はHTIの議論を手がかりに、預言者風刺画事件をより法学的に整合的な再構成を試みたい。しかしその前に、西欧の法学とは前提を大きく異にするイスラーム法学の基本的な概念の必要最小限の説明が必要であろう。
4.イスラーム法学の基本的特徴
イスラーム法学は、来世での楽園での報償と火獄での懲罰をもって行為を定義し、人間のあらゆる行為をクルアーンとハディースに照らして決疑論的に以下の5範疇に分類する。
(1)義務行為:それを行うことで来世で報酬を得、それを行わないことで来世で罰を受ける行為。たとえば一日5回の義務の礼拝、ラマダーン月の斎戒など。
(2)推奨行為:それを行うことで来世で報酬を得、それを行わなくとも来世で罰されることはない行為。結婚、奴隷の解放など。
(3)禁止行為:それを行わないことで来世で報酬を得、それを行うことで来世で罰される行為である。飲酒、利子など。
(4)自粛行為:それを行わないことで来世で報酬を得るが、それを行っても来世で罰されることはない行為。さしたる理由の無い離婚、土曜だけ斎戒することなど。
(5)合法行為:それを行っても来世で報酬を得ず、それを行わなくとも来世で罰されることはない行為。上記の4範疇に属さず特に規定のないもの。
イスラーム法は来世での報償と罰によって定義される行為規範の体系であるため、その行為主体は、自然人に限られる。イスラーム法には国家や会社などの法人概念が成立する余地はない。法人が来世で報償あるいは罰を受ける、という事態は想像もできないからである。
またイスラーム法の行為主体はムスリムに限られる。イスラーム法は、イスラーム教徒が来世での救済に与るための行為規範のマニュアルであり、来世での楽園の報償はイスラームの信仰を条件とする。それゆえ異教徒はイスラーム法の主体となることはできない。この意味で、イスラーム法は属人法であり、イスラーム教徒にのみ妥当する。
西欧法が、国家の暴力による刑罰と強制執行によってその実効性を担保されているのに対して、イスラーム法の妥当は、来世でのアッラーによる応報の信仰にのみよっている。イスラームによって禁じられている行為の殆どには現世での罰則規定は存在しない。たとえばイスラームでは豚を食べること、利子をとることが禁じられていることは有名であるが、それらには特に現世での罰則規定はない。例外的に現世での罰則が定められているのが、ハッド(法定刑)と呼ばれる禁止事項で、通説では窃盗の手首切断、強盗の手足切断、磔刑、所払い、飲酒の鞭打ち、既婚者の婚外交渉の石打刑、未婚者の婚外交渉の鞭打ち、所払い、
姦通誣告の鞭打ち、背教の死刑である。しかしこれらの現世での罰則規定のある禁止事項も、イスラーム法の概念構成により忠実に正確に述べるなら、上記の犯罪者に対して上記のそれぞれの罰があるのではなく、上記の犯罪が裁判官により確定された時には犯人に対してその罰を課す義務が為政者に課されるのであり、その義務を怠れば、その為政者が義務の不履行により来世での罰を受けることになるのである。
既述の通りイスラーム法は属人法であり、イスラーム教徒であれば、居住地がどこであれ妥当するのが、基本である。しかし例外的に、イスラーム教徒の為政者が治める領域でしか妥当しない規定が存在する。このイスラーム教徒の為政者が治める領域を「ダールルイスラーム(イスラームの家)」と呼び、その外の領域を「ダールルハルブ(戦争の家)」と呼ぶ。ダールルイスラームでしか妥当しない規定の代表的なものが、上述のハッドである。窃盗、強盗、飲酒、婚外交渉、姦通誣告、背教はどれも罪であり、通説ではたとえダールルハルブで犯されようとも、来世の懲罰には値するが、ダールルハルブ内ではイスラーム教徒が罰則規定を執行する政治的権力を有さないため、犯人がダールルハルブ内に居住する限りハッド執行の義務は、イスラーム教徒から免除される。前述のようにイスラーム法は属人法であり、異教徒はイスラーム法の行為主体となることはできない。しかしイスラームの公秩序を守るとの誓約を交わして税を納めることによって異教徒はズィンマ(庇護)を与えられ、ダールルイスラームに居住することができる。この誓約を交わした異教徒はズィンミー(庇護民)と呼ばれるが、ズィンミーはイスラーム教徒に課される喜捨やジハード参戦の義務は免じられる一方、この誓約を守る限りイスラーム教徒と同じくその生命、財産、名誉の安全、及び宗教的自治を保証される。この庇護民が子々孫々にわたってダールルイスラームの永住権を持つのに対し、アマーン(安全保障)を得て1年以内の短期滞在者をムスタゥミン(安全保障保有者)と呼ぶ。なお、ズィンミーの認定はカリフの大権であるのに対して、ムスタゥミンについては、ダールルイスラームに住むムスリムであれば誰でも受け入れ保証人としてアマーンを与えて招聘することが出来る。
ジハードによってこのダールルイスラームを防衛、拡大し、ハッドを執行しその治安を維持し、イスラーム教徒の納める喜捨と異教徒の治める税、ジハードによる戦利品などを分配し、イスラーム教徒と異教徒の住民の福利厚生を掌る職務を負うのが、カリフ(法学用語としては「イマーム」)である。
「ダールルイスラーム」とはカリフの下にイスラーム教徒が主体となりイスラーム法を実践することにより、イスラーム教徒と異教徒が共に生命、財産、名誉の安全、宗教的自治を享有しつつ共存する法的空間ということになる。ただしそこではあくまでも法の行為主体はイスラーム教徒のみであり、異教徒も「権利」、「義務」を有するが、それはイスラーム教徒の義務と「権利」の反射に過ぎない。
ダールルイスラームとダールルハルブは排他的概念であり、潜在的な敵対・緊張関係にある。しかしかならずしも現実に軍事衝突が生ずるとは限らず、講和により平和的共存関係が築かれることもあれば、敵対が顕在化しジハードが宣戦され交戦状態に陥ることあり、また安定した講和も結ばれず、かといって全面的な武力衝突も生じない「冷戦」状態となることもある。両者の関係の現実は、イスラーム法ではなく、政治によって決まる。ただしイスラーム法は戦時国際法も含む法体系であるため、ダールルハルブでの戦闘においても守るべき規則が存在する。ダールルハルブとの戦争、講和などの規則は、イスラーム法において、「ジハード」章、あるいは「スィヤル」章と呼ばれる法領域を構成している。
以上、預言者風刺画問題を理解する上で必要最小限のイスラーム法の基本的特徴は概略した。次章では、風刺画問題をイスラーム的にいかに位置づけるべきか、を示すことにしたい。
5.イスラームにおける預言者誹謗の規定
預言者の誹謗は背教罪で死罪となる。背教罪は一般的に以下のように規定される。次の例は16世紀に書かれたハンバリー法学派の古典教科書『満足を求める者の糧(Z±d al-MustaqniÔ)』の規定である。
「男性であれ女性であれ責任能力のあるムスリムが自らの意志で背教した場合は、3日間にわたって改悛しイスラームに戻るように呼びかけ圧力をかけ、それでもイスラームに戻らなければ斬首される。ただしアッラーとその使徒(ムハンマド)を誹謗した者、及び背教を繰り返した者の改悛は受け入れられない。」(al-Huj±wµ, Z±d al-MustaqniÔ, p.94)
既述のようにイスラーム法は来世の応報によって定義されており、現世での罰則規定を伴うものは少ないが、背教はそのような例外的な現世の罰則規定の中でも最も重い極刑が課される大罪である。そして背教は大罪であるがゆえに3日間の改悛のための猶予が認められているのであるが、預言者の誹謗にはこの改悛の余地が認められていない。つまり預言者の誹謗はイスラーム教徒にとって最悪の罪である背教の中でも最も悪質な大罪なのである。
既述の通り、ズィンミーはイスラーム法の行為主体ではなく、イスラームの信仰を強制されることがないのは勿論、イスラーム法を課されることはない。ズィンミーはムハンマドを預言者だと信ずる必要もなく尊敬する必要もない。イスラームは異教徒の宗教の自治を認めており、内心の信仰には一切興味を有さないからでる。しかし内心の信仰が一旦口外され、イスラーム教徒の耳に入るようであれば、それはもはや内心の信仰の問題ではなく、治安の問題となる。それが公秩序を乱すと判断されれば、ズィンマ(庇護)取得のための契約に違反したとみなされ、ズィンマを取り消される。『満足を求める者の糧』は述べる。
「アッラー、その使徒(ムハンマド)、その啓典(クルアーン)について誹謗した者は、そのズィンマ契約は失効し、その生命と財産(を奪うこと)は解禁される。但し彼の妻子は別である(不可侵である)。」(al-Huj±wµ, Z±d al-MustaqniÔ, p.37)
つまり預言者の誹謗は、イスラーム教徒にとって死刑に値する背教罪であるばかりでなく、異教徒のズィンミーにも許されない。ただし、『満足を求める者の糧』が「死刑が課される」、ではなく、「生命と財産(を奪うこと)は解禁される(Æalla damu-hu
wa m±lu-hu)」との表現を使っており、現代の代表的なイスラーム法学書である『イスラーム法とその典拠(al-Fiqh al-Isl±mµ wa
adillatu-hu)』も「(ハナフィー派法学者の多くが)政治的判断(行政裁量)によって(siy±satan)殺害される」(Wahbah al-ZuÆailµ, al-Fiqh
al-Isl±mµ wa
adillatu-hu, vol.6, p.184)と述べていることから、死刑が義務ではなく、殺害も許される、と考えるほうがより適切であろう。2章で挙げたHTIが預言者を誹謗した異教徒の死刑の典拠としたハディースも、それぞれ「預言者は彼の血(を流すこと)を合法化した(menghalalkan darahnya)」「預言者は『その女の血(を流すこと)は合法であるdarah
wanita itu halal』と言われた」字義通りには殺害が合法(halal)であると述べているのみである。3章で述べたとおり、イスラーム法学の範疇では、義務と合法は別の範疇であるので、このハディースも預言者を誹謗したズィンミーの殺害の義務ではなく許可を示している、とみなすべきであろう。
以上は、いずれもダールルイスラーム内部の場合の規定である。次にダールルハルブにおける預言者ムハンマドの誹謗について論じよう。3章で述べたとおり、ダールルイスラームの外ではイスラーム法の罰則は執行されず、罰則規定は効力を停止するため、イスラーム教徒が預言者を誹謗してもダールルハルブに留まる限り、処刑はされないのが原則である。またダールルハルブの異教徒に関しては、法的には交戦状態にあるとみなされるため、そもそも誰であれ生命、財産、名誉の安全が保証されていない。但しイスラームの戦争法は、婦女子、子供、老人、修道士などの非戦闘員の殺害を禁じているため、それらの者は積極的に戦争に加担したのでない限り生命の安全だけは保証される。但しダールルハルブとの間に講和が成立している場合には、イスラーム教徒には講和の条件の遵守が課されるため、講和条約がある国の住民を襲撃することは許されない。
ダールルハルブの異教徒による預言者の誹謗の例については、『アル=ブハーリーの正伝集』の伝えるカゥブ・ブン・アル=アシュラフの暗殺に関するハディースが存在する。
イブン・ハジャル・アル=アスカラーニー(ハディース学者、1449年没)による『アル=ブハーリーの正伝集』の注釈書によるとカゥブはユダヤ教徒の詩人であったが、預言者ムハンマドを誹謗する風刺詩を作り、預言者とイスラーム教徒たちに害をなし(±dh±)、預言者を多神教徒のクライシュ族に預言者との敵対をけしかけていた。そこで預言者はカゥブに刺客を差し向けて彼を謀殺させた。ヒジュラ暦3年ラビーウ・アル=アウワル月のことであった。この謀殺について、アル=アスカラーニーは、講和条約を結んだ民に属していても立法者(預言者ムハンマド)を誹謗した者は殺害することの典拠であると述べるアル=スハイリー(預言者伝の注釈者、1185年没)の学説を紹介した後、それに疑問を呈し、アル=ブハーリーが『正伝集』の「ジハード」章においてこのカゥブの謀殺の伝承を「交戦国の民(ahl al-Æarb)の暗殺(fatk)」、「戦争における欺き」の小見出しの下に伝えていることから、カゥブは交戦国民(muƱrib)であったとして、この伝承からは一般的な宣教が届いていればイスラームへの入信を呼びかけることなく多神教徒を殺害することが許されること、及び戦争中であれば必要があれば嘘をついて敵を謀殺することも許される、との法判断が演繹できる、としている。(al-ÔAsqal±nµ, FatÆ al-B±riÕ, vol.7, pp.269-270,272.)
つまりダールルハルブにあって預言者を誹謗者する異教徒に対しては、交戦状態にある場合には、刺客を送って謀殺することが許されるが、講和状態にあってさえ謀殺が許されるとの学説も存在する、ということである。しかし既述の通り、イスラーム法学では義務と合法性は別の概念で、謀殺のために刺客を送ることが合法であることは、それが義務であることを意味しない。預言者ムハンマドは8年に及ぶマッカの多神教徒たちとの戦争の間も、自分を誹謗したのみならず物理的な暴力さえも加えた多神教徒の指導者たちに刺客を送ってはいない。誹謗者の刺客による謀殺はカゥブ・アル=アシュラフら数例の極めて例外的なケースである。誹謗者の刺客による謀殺は義務ではなく、政治状況に応じて特定的に合法と認められるに過ぎないのである。[3]
以上、整理すると、異教徒が預言者ムハンマドを誹謗しイスラーム教徒に害をなした場合については、4つの異なる規定があることになる。
第一に、イスラーム教徒が政権を握りイスラーム法が施行されるカリフ国家が存在しない場合には、放置される。
第二に、カリフ国家に居住するズィンミーであれば、安全保障が解除され、殺害が許される。
第三に、カリフ国家と講和条約を結んだ国の国民の場合は、刺客を送って謀殺することがカリフに許されるかどうかについて見解が分れる。
第四に、カリフ国家と交戦状態にある国の国民であれば、刺客を送って謀殺することもカリフには許される。
2章で紹介した著名なイスラーム学者たちの声明は、イスラーム法を施行しジハードによってダールルイスラームを防衛するカリフ国家の不在のイスラーム世界の現状について口を噤んでいるため、カリフ国家との関係によって4つの異なった扱いをうける預言者を誹謗する異教徒に対するイスラームの規定について語ることができないのである。
HTIは、預言者を誹謗した異教徒の規定について明らかにした功績は認めるべきであるが、ズィンミーとダールルハルブの住民では規定が異なることを無視している。また折角イスラーム国家樹立以前のマッカ期には、異教徒の預言者への誹謗は放任されていたことを指摘しながら、カリフ国家不在の現状では、それがモデルとなり、誹謗者は放任して、イスラームの教えの宣教とカリフ国家の樹立すべきことを論じず、イスラーム国家樹立後の話であり現状とは無関係なズィンミーによる預言者の誹謗に対する規定について詳論しているのは、一貫性を欠く態度と言わざるを得ない。
6.風刺画問題への対応の非イスラーム性
預言者ムハンマドの風刺画に対して、大使館の焼き討ちにまで至る抗議が沸き起こったのは、イスラーム教徒の間だけである、という事実がある以上、風刺画問題が、イスラームと無関係である、と言うことはできない。
考えなくてはならないのは、その風刺画問題への対応とイスラームがいかなる関係になるか、である。
本邦でのメディアの報道や一部の「専門家」たちの論評にある「イスラームにおける偶像崇拝の禁止」が、風刺画問題とは無関係なことは既に明らかにした。問題は、預言者への誹謗である。しかしイスラームにおいて預言者ムハンマドへの誹謗が大きな罪であること、そして預言者ムハンマドの風刺画が預言者を誹謗するものであったとしても、だからと、言って今回のイスラーム世界での反応はイスラーム的である、とは必ずしも言えない。
より分かりやすい例で説明しよう。
たとえば日本でも刑法によって窃盗は罪とされている。しかしたとえばコンビニで店長が万引きをした少年の手首を切り落としたとしたら、それは日本では窃盗が罪であるから、とは言えない。適法な裁判によって窃盗罪での有罪が確定して、刑法第235条の定める十年以下の懲役刑が科された場合にのみ、それは日本では窃盗が罪であるから、と説明することができるのである。
別の例として、中東で今も行われる「名誉殺人」を例に挙げよう。「名誉殺人」とは、結婚前の娘が処女を失った場合、家の恥として父親か兄弟がその娘を殺害することである。この名誉殺人がイスラームに関係付けて説明されることがあるが、前の例と同じ意味で、それは誤りである。確かにイスラームは婚外交渉を禁じているが、未婚者と既婚者では刑罰が違い、既婚者が男女を問わず石打による死刑なのに対して、未婚者は男女を問わず鞭打ちの上で所払いのみであり死刑にはならない。また刑の執行はカリフあるいはその代理人のみの大権であり、家族に処分権はない。従って中東における「名誉殺人」はイスラームの教えによってではなく、イスラームの教えが守られていない例として、説明されねばならないのである。
以上の例から風刺画事件へのイスラーム教徒の対応も、イスラームの教えによって説明することが適切でないことが理解できよう。
風刺画事件へのイスラーム教徒の対応としては、イスラーム世界における大使館への襲撃、デモ、風刺画の作者の殺害者への賞金の提示、西欧でのデモ、訴訟などはいずれも前章で説明した預言者誹謗者への規定と無縁であることが分かるであろう。イスラームの規定では、預言者誹謗者への規定は、預言者誹謗者当人にのみかかわることであり、拡大解釈をしても新聞社の編集委員までしか対象とはならない。イスラーム世界にある大使館の襲撃や、国内の無関係なキリスト教徒の殺害は、ズィンミー、あるいはムスタゥミンの安全を犯すことであり許されない。デモや訴訟などもイスラーム法とは無縁な西欧人の行動様式に過ぎない。風刺画作者の殺害者への賞金の提示も、カリフの大権であり、世俗国家インドの役人に許されることではない。
従って、今回のイスラーム教徒の風刺画事件への反応は、現代におけるイスラーム教徒のイスラームからの逸脱現象の一つとして把握すべきものなのである。しかしそれでは、そのようなイスラームからの逸脱現象は、一体何に由来しているのか?
勿論、あらゆる社会にとって、社会規範からの逸脱の一定の存在は常態であり、デュルケームが指摘した通り、むしろ社会の健全さの証左ですらある。イスラームにおいても同様であり、理想の時代とされる預言者ムハンマドの時代も例外ではなく、偽信者や殺人、姦通などの大罪を犯す信者も存在して、それを認めた上で、預言者ムハンマドの時代が最善の時代である、というのがイスラームの考える理想の時代である。イスラームの考える理想国家は、犯罪者が存在しえない聖徒の集団が相互に監視しあう全体主義的警察国家のようなものでは決してない。
イスラームの正しい理解と知識の欠如、あるいは信仰の弱さと煩悩に由来するイスラーム教徒のイスラームからの逸脱はどの時代にも存在する。現代におけるイスラームからの逸脱もこの一般的な逸脱のパターンの一変種であることに変わりはない。しかしそれでもなお、現代の逸脱には、他の時代にない特殊な「現代性」が刻印されていることも指摘しておかねばならない。その「現代性」を一言で言い表すなら、それは「西欧による文化的植民地状況」である。
7.イスラーム世界の「文化植民地状況」
「近代」とは、アジア、アフリカの大半が欧米によって植民地支配された時代であった。イスラーム世界もその大半が欧米によって直接的な軍事・政治的植民地支配を蒙った。わずかに直接支配を免れたトルコ、イラン、サウディアラビアも財政破綻を理由に欧米の管理に服し、間接的な形で経済・文化的な植民地となり、イスラーム世界の全域が欧米による植民地支配のイデオロギー的表現である「領域国民国家」の植民地分割の国際秩序に組み込まれることになった。
現在の世界は、欧米の植民地支配の直接の産物である。工場製品のような「モノ」に限らず、領域国民国家、常備軍、官僚制度、大使館、徴税制度、不換紙幣通貨制度、24時間の時刻、グレゴリオ暦、メートル・グラムの度量衡、学校教育制度、国旗、国歌等々、政治、経済、文化の全ての領域に欧米の植民化支配は貫徹されており、イスラーム世界もその例外ではなく、制度、生活様式、世界観の全てにおいて、欧米の影響が圧倒的に大きい、という事実を我々は再確認しておく必要がある。
イスラーム世界(かつてのダールルイスラームの跡地)に住むイスラーム教徒であれ、欧米に移住したイスラーム教徒であれ、現代のイスラーム教徒は先ず我々と同じく西欧の文化植民地の住人である、ということを忘れてはならない。
預言者の風刺画を描いたある個人が、「デンマーク人」として表象され、同じ「デンマーク」に帰属するものとして無関係なデンマーク大使館が襲撃の対象となったことは、イスラーム教徒の間にも欧米の領域国民国家の概念が深く浸透していることを物語っている。[4]また自分たちが欧州に住む「権利」があり、預言者ムハンマドの誹謗が、宗教的マイノリティーへの差別であり権利の侵害である、として欧州人権裁判所に訴える、との発想は欧米流の「権利」意識からしか生じない。そもそもイスラームはイスラーム教徒がダールルハルブに住むことを原則的に禁じている。預言者ムハンマドがマディーナにヒジュラし、マッカの多神教徒たちとのジハードの交戦状態になった後、マッカに居残ったイスラーム教徒たちについてクルアーンは「自らに不正を為した者として天使が召し上げる者たちには、天使が『おまえたちはどこに居たのか』と問い詰め、『我々は地上で権利を奪われた弱者でした』と言い訳しても、『アッラーの大地は広大であり、その中で移住すべきではなかったのか』と言われる。そうした者は、その帰り処は火獄である。なんと悪い行き先か。」(4章97節)と、火獄の罰を告げている。19世紀末に書かれたシャーフィイー派の法学書は『導きを求める者の目標(Bughyah al-Mustarshidµn)』は「その地を不信仰者の支配者が占拠し、それをイスラームの規定に委ねず、宗教(イスラーム)とハッド(イスラーム法定刑)などのムスリムの諸規定を堂々と行えば、ムスリムの居住地が破壊されたり、ムスリムが殺されたりする場合には、彼ら(異教徒)の許に住むことは禁じられる」と述べ、
イスラーム法定刑を実施することが許されない環境に住むことを禁じている。B± ÔAlawµ, Bughyah
al-Mustarshidµn,
3章で見たとおり、イスラーム法は義務と禁止の体系であり、「権利」とは義務の反射でしかなく、人間に固有の権利、といったものは存在しない。現代アラビア語における西欧の「権利」の訳語は「ハック(複数はフクーク)」であるが、古典イスラーム法学の「ハック」は意味論的枠組みが全く異なる。古典イスラーム法学は、「ハック」を「アッラーのハック(Æuq¹q All±h」」と「人間のハック(Æuq¹q al-±damµ)」に分ける。この「人間のハック」は言葉としては、「人権」の訳語「人類の権利(Æuq¹q al-ins±n)」に対応するが、意味は全く異なる。古典イスラーム学の「アッラーのハック」と「人間のハック」の区別は、むしろ我々の考える「刑事」と「民事」の区別に近いものである。「アッラーのハック」とは3章で述べたハッドであり、被害者にも為政者にも赦す権利がなく、アッラーの定め通りに処刑が執行されなくてはならないものを指す。裁判で窃盗が確定されれば、被害者が赦す、と言っても、手首切断刑が執行されねばならないし、夫が不貞をはたらけば、妻が赦そうとも石内で死刑に処される。一方、「人間のハック」とはそれ以外のもので、借金を踏み倒した者、債権は人間のハックであるので、貸し主が債権を放棄すれば、その者は現世では罰せられることはない。またイスラーム法では、殺人も「人間のハック」とみなされるので、殺人犯の現世での処罰は、一義的には遺族に選択が委ねられ、遺族は(1)カリフに同害報復刑による死刑の執行を要求するか、(2)賠償金を請求するか、(3)放免するか、のいずれかを選ぶことが出来る。[5]この「人間のハック」が「人権」とは全く異質であることは多言を要すまい。
イスラームとは「帰依」を意味する。イスラーム学は、アッラーに帰依する、つまりその御意思に適って生きるためには自分は何を為すべきか、を問題にしてきた。言い換えれば、「人は何を要求できるか」との「権利の言語」を語る欧米の人権思想に対して、イスラームとは「人は何をなすべきか」との「義務の言語」に基づく教えなのである。そして今回の風刺画事件へのイスラーム世界の対応は、イスラーム的反応というよりは、むしろ欧米的反応なのであり、イスラーム的な「義務の言語」の準拠枠が失われ、「権利の言語」を教える欧米思想が広まりつつあること、つまりイスラーム世界の欧米による文化植民地化の深化を表現しているのである。
ダールルハルブに生まれ育った者ですら、故郷と財産を捨ててダールルイスラームに移住しなければならない。それなら自らダールルイスラームを去ってダールルハルブに移住した者の罪はいかばかりであろうか。そのような者たちが自らの罪には口を噤んで、欧米から教えられた「権利」を声高に騒ぎ立てる。預言者風刺画事件におけるイスラーム教徒の姿である。
8.幻想の自由
風刺画事件へのイスラーム教徒の対応の中でもユニークなのは、イランの対応である。イランのハムシャフリ紙は、「西側諸国は言論の自由を、米国やイスラエルの犯罪、ホロコーストにも拡大するだろうか。それとも言論の自由は、宗教的尊厳を傷つけることが唯一の目的だろうか」と問いかけ、ナチス時代のドイツで行われたユダヤ人虐殺(ホロコースト)
題材とする漫画のコンテストの開催を発表した。
本章では、ハムシャフリ紙の問題提起を受けて、欧米の「自由」なる概念の虚構性を明らかにしたい。
本邦でも、風刺画事件は「言論の自由」という価値観と宗教を絶対視するイスラームの価値観の文明論的対立という構図で報道された。しかしハムシャフリ紙の問題提起は、そもそも欧米に「言論の自由」などというものが本当に存在するのか、を問い直すものである。日本では「ユダヤ人問題」は馴染みが薄いので、預言者風刺画問題への批判の文脈でのハムシャフリ紙のホロコーストへの言及が唐突と感じられるかもしれない。そこでホロコーストと言論の自由についてここで略述しておこう。
ドイツ、オーストリア、フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されており、2005年11月にオーストリアにおいてホロコーストの事実性を否定してきたイギリス人のDavid Irving氏が「ナチス政策の正当化とホロコースト否定のため」逮捕されている。またイスラエルは2004年、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」を制定し、自国のみならず他国の言論の自由まで抑圧する露骨な内政干渉の立法を行っている。(ホロコーストについては、詳しくは、フリー百科事典『ウィキペディア』を参照。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
)
言論に対して刑事罰を課すことをもって言論の自由の抑圧と呼ぶなら、預言者風刺画に対して刑事罰を課すイスラームも、ホロコースト否定に刑事罰を課すヨーロッパ諸国、イスラエルも同じであり、どちらにも言論の自由など初めから存在しないのである。そもそも欧米に言論の自由が無い以上、欧米の言論の自由とイスラームの宗教の尊重という対立の構図も成立しない。
欧米とイスラームでは、禁じられていることの範囲が違い、言論についても同様で、それぞれが別の禁止のコードを持っているのである。対立があるとすれば、その対立は言論の自由とその抑圧の間にあるのではなく、異なった種類の自由、異なった種類の抑圧の間にあるのである。
人間の情報処理能力も言語も有限であり、世界に生じうる個別の事象の全てを意識に現前化させることはできない。言語は、人間の情報処理能力に対して過度に複雑な世界を縮減する装置であるが、そうして言語の範疇化によって縮減された世界もまた行為する主体としての個我に対しての選択肢としてはなお複雑に過ぎる。有限な情報処理能力しか持たない人間が無限の選択肢の前に呆然と佇み行動停止に陥らないために、人間の前に開かれた行為の選択肢の複雑性を見渡せる範囲の処理可能なレベルにまで縮減する装置として、あらゆる社会はそれぞれ家庭生活、産業、行政、軍事などのさまざな領域で、習俗、道徳、宗教、法律などのさまざまなレベルの行為のコードを発達させてきた。「言論」にもまたそうした行為のコードに服するのであり、先ず、言語自体の制約として、統語論的コード、意味論的コード、語用論的コードがあり、言論は詩などの特殊な領域を除いて、そもそもそれらのコードから自由ではありえない。言語自体に内在する制約を除けば、「言論」における最も広いコードは「嘘」の禁止である。例えばイスラームでは、「夫が妻を喜ばせるために放すこと、戦争の場合の嘘、人々の和解のための嘘の3つの場合を除き、嘘は許されない」のようなハディース(アル=ティルミズィーによる伝承)などが、一般的な嘘のコードを定めている。言論における一般的な嘘の禁止のコードも、「道徳的」と呼ぶべきものから、刑法上の禁止まで様々な範囲が存在する。イスラームでは、既述の通り、姦通の誣告は鞭打ち刑に値するハッド「犯罪」に分類される。それはイスラームにおける姦通罪が既婚者の場合は石打による死刑が定められた極めて重い罪であるため、姦通の誣告が社会秩序に危険を及ぼす悪質な嘘とみなされるためである。預言者の誹謗も同様であり、イスラームの世界観の枠組みの中では、誹謗はまず嘘の一種であり、それが社会秩序を危険にさらす悪質な嘘であるため、刑法上のハッド犯罪に分類されているのである。また経済において商品の虚偽表示(ghurūr)は民法上の解約権を生じせしめる。これも刑事罰によるのではない制裁の例である。またハディース伝承学においては、虚言者は、ハディース偽作者の謗りを受け、その伝承が学問的に否定される、という制裁を受ける。(ハディース偽作の来世での罰については、「私について嘘をついた者は火獄に住処を得る」とアル=ブハーリーが伝えるハディースが告げている)
また現在の欧米ではネチケットのようなインターネット時代の新しい言論のコードが生まれる一方で、ポリティカルコレクトネス、セクシャルハラスメントなど、ますます言論の自由への刑事罰を伴う制限が強化される傾向があったが、9・11以降はテロとの戦いの口実の下に、特にイスラーム教徒を念頭において、反体制的政治的発言を非合法化する言論の自由の弾圧が進みつつある。
言論の自由などというものは実はどこにも存在しないのであるが、自分たちには「言論の自由がある」との「幻想」は確かに存在する。この幻想の存在が、預言者風刺画事件の間違った認識、すなわち言論の自由と宗教の尊重の対立、との誤解を生み出しているのである。
「自由」という概念は特殊西欧近代的な歴史性を帯びており、決して普遍的なものではない。例えばイスラームはヨーロッパによって植民地化されるまで、そもそも「自由」なる概念を有さなかった。西欧近代的「自由」は、現代アラビア語では「フッリーヤ(Æurrµyah)」と訳されるが、古典イスラーム学において、「フッリーヤ」とは「奴隷(Ôabd)」の対義語である「自由人(Æurr)」に由来する「自由人であること」を意味した。イスラームにおいては、西欧と異なり、自由人と奴隷の法的義務と能力の差は小さいが、たとえば、この「フッリーヤ」は、先ず巡礼が義務となる条件、姦通罪の石打刑の義務の条件などの義務の条件となり、奴隷には巡礼は義務でなく、奴隷は既婚者であって姦通を犯しても石打による死刑は課されない。またフッリーヤはカリフ、裁判官、婚姻の後見人などの特定の職務の条件でもあり、奴隷はカリフ、裁判官、婚姻の後見人などになることはできない。ちなみに既述の異教徒がダールルイスラームに入るための身元保証人になりアマーン(安全保障)を与える権限は奴隷も有しており、フッリーヤは条件となっていない。
このように古典イスラーム学における「フッリーヤ」は「自由人であること」即ち「奴隷でないこと」のみを意味し、明確に規定された法的義務と能力によって定義されていた。それは近代西欧の「自由」とは異なり、禁止と義務のコードの制約の不在の幻想を生じせしめる余地を残さない明晰な概念であったのである。欧米に始まり、世界に蔓延したこの自由の幻想から、そろそろ我々は解放されるべき時期を迎えているのではないか。
終わりに
以上の議論を整理しよう。預言者風刺画事件は偶像崇拝の禁止と言論の自由の対立ではない。イスラームはユダヤ教、キリスト教と同じく偶像崇拝を禁じているが、偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教の場合と同じくかならずしも、肖像画の禁止を帰結しない。現実の現代のイスラーム世界は、肖像画に溢れており、預言者ムハンマドの肖像画すら散見される。
風刺画がイスラーム世界で問題とされたのは、それが預言者誹謗の罪にあたるからである。しかしイスラームにおいて預言者誹謗が罪であるとしても、そのことは預言者誹謗に対するイスラーム教徒の怒りの反応が、全てイスラームによって説明できることを意味しない。預言者の誹謗に対するイスラーム的対応と呼べるものは、イスラーム法の規定に則った行為のみである。にもかかわらず、風刺画問題へのイスラーム教徒の対応の中で、預言者誹謗へのイスラーム規定について明晰に述べたものは極めて少ない。それはイスラーム法的に支配の正当性を有するカリフの不在の状況下で、イスラーム世界では政治的言論が厳しく抑圧されており、イスラームと政治をめぐる言説に歪みが生じているからである。風刺画問題をめぐるイスラーム世界の対応は、イスラームの教えに基づくものではなく、イスラームの教えからの逸脱、欧米流の「権利の言語」の浸透を反映している。
他方、欧米には「言論の自由」を享受しているとの自己イメージが存在しているが、それは幻想に過ぎない。いかなる社会も言論の様々なコードを有しており、「自由」と表象される範囲もまたそれぞれ異なる。欧米社会とイスラーム社会の間でも、言論のコードは異なり、それに応じて「自由」と表象されるものも異なる。存在するのは「自由と抑圧の対立」ではなく、「自由、抑圧と表象されるものの、それぞれの社会の間での相違」である。イスラームの価値観と「言論の自由」の対立、といった誤った構図で問題を誤解しないためには、我々は「自由」の幻想を捨てる必要がある。
そして欧米の「権利の言語」は、自ら被害者であると主張し、被害者であることによって、自らの行為を正当化、免罪し加害者を訴え、侵害された権利の取り戻しを請求する。そして現代世界でこの「権利の言語」の最も極端で成功した例が、ホロコーストの犠牲者であることをパレスチナでの侵略行為の免罪符とし、人種差別、反セミテイズム、ナチズムの名の下に、あらゆるイスラエルへの批判を刑事罰に訴えてでも封殺しようとのイスラエルの広報戦略なのである。イランが、預言者ムハンマドの風刺画に対抗して、ホロコーストの批判を取り上げたのは決して偶然ではない。争いによる敵対する者同士の相似化はしばしば生ずる現象であるが、風刺画問題におけるイスラーム教徒の対応は、イスラエルにその典型を見るような欧米流の「権利の言語」の広報戦略を学習し始めたことを物語っている。欧米は、イスラーム世界の文化植民地化の一層の深化・進展を言祝ぐべきであろう。
[1] シリアは旧サッダーム・フサイン政権と同じく世俗主義のバアス党が支配し、サッダーム・フサイン政権崩壊後は、抑圧的体制ばかりのアラブ諸国の中でも最も抑圧的な国で政治的な自由はほぼ皆無である。そのようなシリアで政府の許可、あるいは指示なしに、大使館を目指したデモが行われた、とは考えがたい。この一事だけをとっても中東研究者の目から見れば、今回の風刺画問題は、「宗教問題」ではなく「政治問題」であるのは当初から自明であった。しかし、本稿は、そうした政治的背景の考察は禁欲し、イスラーム学の視点からの分析のみを行う。
[2] また『タフスィール アル=ジャラーライン』によると、アダムは預言者たちの像が納められた聖櫃をアッラーから授かり、その聖櫃はモーゼに至るまで代々受け継がれ、モーゼの死後はイスラエルの民がそれを相続した。『タフスィール・アル=ジャラーライン』日本サウディアラビア協会2002年、第1巻、105-106頁参照
[3] ここでもイブン・カゥブは預言者の誹謗だけが理由ではなく、多神教徒に預言者と戦うように扇動したため、実害が大きいとの政治判断により、殺害命令が下った、とも考えられる。
[4] 一方、ナイジェリアで起きた国内のキリスト教徒の殺害は、人間のアイデンティティーを「国籍」ではなく、宗教帰属に求める点では、イスラームの伝統に近い。しかし、そもそも交戦国の異教徒の罪への報復に、無関係な国内のズィンミーを殺害することは、イスラーム法上許されないため、イスラームからの逸脱であることには違いは無い。
[5] ただし、遺族が犯人を赦し放免しても、カリフはその犯人が社会にとって危険である、と判断した場合は行政裁量で適切な罰を下すことができる。