『中東研究』 No.451, pp.18-25, 1999/6
「法学者の統帥権と人民主権 − ハーメネイ師のイスラーム国家論を中心に」
1.序
イラン・イスラーム革命は「ウィラーヤ・ファキーフ(法学者の統帥権)論」を掲げるホメイニ師を指導者と仰ぐ「イスラーム革命」であると同時に、民衆蜂起によるパフラヴィー帝政の打倒によって成立した典型的な「人民革命」でもあった。
革命時、そして共和国成立当初、革命の象徴として超党派的支持を集めていたホメイニ師を、圧倒的多数の人民が指導者として受け入れたことにより、ホメイニ師が体現するファキーフ(法学者)のウィラーヤ(統帥権)と人民の意志との間に「事実の上」では対立は存在しなかった。
しかし革命が成功して、共和国の樹立された後、ウィラーヤ・ファキーフと人民の地位の整合性の理論化の必要が生じたが、結局ウィラーヤ・ファキーフを明記する憲法を制定することでこの問題は一応の解決を見た[1]。
ホメイニ師の場合、その最高指導者としての権威が憲法に由来するのではなく、むしろ革命の指導者たる彼の裁可によってこそその憲法自体成立したのであり、憲法成立後も、彼が憲法を超える言わば「憲法制定権力の担い手」であることには疑いを挟む者はなかった[2]。
「指導者の選出において人民が果たすべき役割は、ホメイニに関する限り、大きな問題にならなかった。革命の指導者かつ宗教的権威としての彼の地位は犯し難いものであった」[3]のである。
しかし、ホメイニ師の後継者問題が浮上すると、後継者は最高指導者としての権威を憲法上の規定から引き出すことになり[4]、問題が再燃することになり、イスラーム共和国体制の正統性の根拠としてのファキーフのウィラーヤと人民の政治的役割の関係をめぐって議論が積み重ねられてきた。
開会演説でハータミー大統領が、「民衆が選ぶ専門家評議会が法学者統治者(最高指導者)を選ぶ。それ故最高指導者は民衆により選ばれ、それによってその統帥権は憲法によるものとなり、その上に立つのでも外部にあるのでもなくなる。」と述べたのに対して、次の演者のアーヤットラー・ミスバーフ・ヤズディー(イマーム・ホメイニ学術研究所所長)が反対演説を行った1998年の「イマーム・ホメイニと宗教思想の再生」第二回国際会議は、現代イランの政治思想状況を端的に物語っている[5]。
本発表では、議論の枠組みと争点を明らかにした後、現最高指導者ハーメネイ師が大統領の地位にあった時点でホッジャト・ル=イスラーム・ワ・ル=ムスリミーンの資格で執筆した『イスラームにおける国家(Åuk¹ma dar Isl±m)』[6]に主として依拠し、ウィラーヤ・ファキーフに統治契約論を組み込んだ彼のイスラーム国家論を紹介する。
2.シーア派古典政治論
古典シーア派神学の政治論、即ちイマーマ(イマーム制)論は、一種の王権神授説であり。イマームは決して誤りを犯すことのない無謬の、ある意味で「神的性格」を帯びた存在であり、また人類が正しく導かれるようにと神から下された恩寵である。またイマームの擁立は人間の任ではなく神御自身の義務であり、イマームは神の指名(na)によって直接親任(nab)され、それゆえイマームの権威は直接神に由来することになる。本稿では統治者の神による直接の任命を特に「親任」と呼ぶ。
シーアの理論構造はスンナ派の政治論と比較することでより鮮明になる。
スンナ派もシーア派も、預言者がイスラーム国家を樹立し、その国家が彼の逝去後も存続すべきことでは合意する[7]。しかしシーア派がイスラーム国家の統治者(イマーム)が預言者と同じく無謬の存在で神の親任になる、との王権神授説を唱えた。それに対してスンナ派は、イスラーム国家の統治制度(ヒラーファ)自体は神の定めた制度であるが、統治者個人(カリフ)は過ちを犯す通常の人間に過ぎず、その職に誰が就くのかの選定はウンマに委ねられる(ヒラーファにおける人格と職務の分化)、とする統治契約(君臣契約)説を採った[8]。
スンナ派はカリフの正当性の基礎をウンマの自由な選挙に基づく統治契約であることを原則としながらも、武力により領土を制圧した霸者の覇権を正当化し、実効支配を統治の正当性の本質とする現実主義的な権力国家観に限りなく近づいていった。一方で長年政権から遠ざけられてきたシーア派は、実効支配と支配の正当性を峻別し、統治権を純粋な「理念=規範的」概念とする理想主義的政治理論を展開してきた[9]。
ウィラーヤ・ファキーフもまた外界に客観的に存在する事実ではなく、「その規範的妥当性を認める者の認識の中にのみ存在する(mauj¹dµyat-i ±n-h± maÆd¹d beh Æauzah-i iØtib±r-i muØtabir ast)」「理念的=規範的(iØtib±rµ)」事柄なのである[10]。
3.ワリー・ファキーフ親任説
イランでは立憲革命期に西欧政治思想がウラマーの知るところとなったが、ウラマーの理解は民選議会の立法権のレベルに止まっており、西欧政治哲学の人民(国民)主権の論理構造を十分に理解していたわけではなかった[11]。
ホメイニ師は、その著『法学者の統帥権』の中で、数々のハディースを引用してファキーフがイマームからウィラーヤを委任されたことを論証したが、そこにはまだ西欧的な主権論への配慮は全く見られない[12]。
一方でホメイニ師は、革命の過程では「私はこの国民(milla)の支持を伴って国家(の形態)を特定する(b± poshtµbanµ-i µn millat daulat taØyµn mµ-konam)」[13]等とも述べており、彼が革命に果たした人民の役割を十分に認識するに至っていたことは間違いない。にもかかわらずこれらの発言には多様な解釈の余地があり[14]、ホメイニ師は遂に人民の地位を理論化することはなかったものと思われる。
イスラーム共和国体制の下でイスラーム法学者たちの中に、ファキーフのウィラーヤをイマームからの委任によって基礎づけるホメイニ師のウィラーヤ・ファキーフ論に基づき、ワリー・ファキーフの権威をイマームの権威の直接の延長とみなす立場が生まれた。この立場では、イマームの親任を受けた「統帥権を有する法学者」即ち「ワリー・ファキーフ」はイマームが神の親任を受けているのと同様に神の直接の親任を受けていることになり、その権威は神に由来することになる。
故ムタッハリー師、ハビーブ・アッラー・ターヒリー師、ミスバーフ=ヤズディー師、アサド・アッラーフ・バヤート師、ジャワァーディー・アーミリー師などがこの親任説を採っている[15]。親任説には様々なヴァリエーションがあるが、最も典型的な例としてジャワード・アーミリー師の言葉を以下に引用しよう。
「シーア派ではバイアは発見的機能(k±shifµyat)しか有しない。」[16]
「専門家評議会は、ただ有資格のファキーフが親任されていること、あるいは解任されていることの判定を専門とするのであり、親任の原因、解任の理由ではない(na sabab-i nab y± m¹jib-i Øazl)。イスラームの指導者は決して人民によっても専門家評議会によっても任命も解任もされはしない(man¹b y± maØz¹l namµ-gardad)。」[17]
つまり人民による特定のファキーフの選出は、あくまでも神によって親任された統治者の発見とそれに伴う忠誠誓約の儀式に過ぎず、正当性の根拠はあくまでも神による親任であり、人民による選出自体はその表現に過ぎず、その権威にいかなる正当性をも新たに付け加えることはないのである。
4.人民主権説
神の信任をイマームに限定する立場では、イマーム不在時にはウンマが主権を有し、有資格のファキーフはウンマによる選出によって初めてワリー・ファキーフとなるため、ワリー・ファキーフはウンマの選出を権威の正当性の源泉とする。
西欧政治論をはっきり意識して、イマームの大隠蔽の時代の人民主権説という折衷説を定式化したのはモンタゼリー師である。彼は『ウィラーヤ・ファキーフとイスラーム国法学の研究』の第5章第1節「主権(siy±dah)と政府の源泉はアッラーフかウンマか」の問題設定の下で、以下のように述べている。
「真理は両説(アッラーフ主権説とウンマ主権説)の直列的(時間的)結合にある。
預言者や、我らの信ずるとことでは12イマームの場合のようにアッラーフからのその親任があれば、その者がイマームに決定し、その者が存在し可能である限り、イマーマは他者には締結されないが、そうでなければウンマに選挙権がある。
但し無条件的にではなく、顧慮すべき諸条件、資格を満たす者にのみである。後述の通り法学者のウィラーヤはこの類いなのである。イマーマは先ず本質的(bi-dh±t)には親任によって締結されるが、その後には、一つ、あるいはいくつかの段階を経てウンマの選挙によって(締結される)。」[18]
モンタゼリー師によるとホメイニ師が典拠とする聖典の意味するところは、法学者の(一般的)親任(ホメイニも専門用語としての「親任」ではなく任命(taØyµn)の語を使っている)ではなく、統治者の資格規定でしかないことになる[19]。
モンタゼリー師のウンマ主権論は、ナジャファバーディー師によってより発展させられるが、現代イランの法学者の人民主権説については多くの先行研究が存在する[20]。
5.ハーメネイ師の人民国家論
以上のような理論状況でシーア派政治論を集大成し、親任説に人民主義的要素を組み込んだのが、ハーメネイ師である。
彼は先ず以下のように述べ、預言者とアリーの政府、現在のイラン・イスラーム共和国をイスラーム国家とし、イスラーム国家が(1)人民のための政府、(2)人民による政府、の二つの意味に於いて、人民の政府であると、イスラーム国家における人民参加の要素の存在を確認し、イスラーム国家が人民による国家(Æuk¹mat-i mardom)であることを強調する[21]。
「統治者(h±kim)はイスラーム社会では、人民の信仰に則りその意見に従って選挙される(intikh±b)。イスラーム初期時代には、統治者として選挙された者は誰でも、最も高貴な預言者のように人民全ての信(µm±n)を受けていた。」[22] 「イスラーム政府は神的政府であると同時に人民政府であり、その第一の模範例は最も高貴な使徒とその初期の後継者たちの初期イスラーム時代であり、第二の模範例はイスラーム共和国政府であり、人民の愛する政府、人民の意見に則る政府、人民の選挙による政府、人民の諸要素から成る政府なのである。」[23]
その上で、彼はモンタゼリー師と同じく、神の親任を預言者とイマームに限定し、大隠蔽の時代には親任はなく、ワリー・ファキーフの任命権が人民にあるとした上で、「預言とイマーマの時代には、イスラーム社会の統治者は神によって任命されており、人民は知っていようといまいと、望もうと望むまいと、何の役割も演じない。」[24]と述べ、親任の預言者とイマームの統治権には、人民の役割がないとのシーア派的王権神授説を再確認した上で、それとの対比においてワリー・ファキーフについては人民による選挙をその統治権の締結の要件であると明言する。
預言者やイマームは神に任命されるが、 「無謬のイマーム時代の後、社会の為政者として神に親任された特定の人物がいない場合は、為政者の特定の支柱、あるいは要件は二つ(1)彼がイスラームの統治者に定める資格を備えること。 ・・・(2)人々の彼の承認と受容。もし人々が政権につく諸条件を備えたその人物を知らないか、彼の政府を認めなければ彼は為政者ではない。・・・ それゆえウンマの承認と受容が為政者性の条件の一つである。(Rukn dovvom qab¹l wa padhµresh-i mardom ast. Agar mardom ±n Ʊkim wa shakhµ r± keh d±r±y-i mil±k-h±-i Æuk¹mat ast, na-shen±khtand wa beh Æuk¹mat na-phadhµraftand, ¹ Ʊkim nµst. ・・・ Pas qab¹l wa padhµresh-i mardom shar» dar Ʊkimµyat ast.)」[25]
ワリー・ファキーフの親任説が有力な今日のイラン宗教界においては、ハーメネイ師は、人民主義陣営に近い立場を取っている、と言うことができよう。
6.ハーメネイ師の理論的貢献
但しハーメネイ師の独創はその先にある。
第一に彼は「理念的ウィラーヤ」の概念を踏まえて、ワリー・ファキーフの統治権とイスラーム国家、即ちウィラーヤ・ファキーフ体制自体の正当性を区別し、人民の役割を事実の次元に還元し、イスラーム国家の理念自体とは無関係とする。ここに彼の人民国家論が、社会契約論ではなく君臣契約論であることが明らかになる。
「人民が望まなければ政府が成立しないため、人民がイスラーム体制の選定に役割を有すると言うことができる。しかしこれが真の条件とは述べられない。つまりたとえ人民がイスラーム体制を承認しなくとも、その規範的妥当性が消滅するわけではなく、事実上のことだからである(mµ-tav±n goft keh mardom dar al taØyµn-i niñm-i isl±mµ ham d±r±y-i naqsh hastand, t± mardom na-kh±hand Æuk¹mat shakl namµ-gµrad. Albattah µn r± bi-Øunw±n-i yak shar»-i Æaqµq bay±n namµ-konµm yaØnµ agar mardom niñm-i isl±mµ r± na-padhµraftand, Æuk¹mat-i isl±mµ az iØtib±r namµ-oftad amm± q±Øidatan.)。」[26]
「あらゆる時代における社会の指導と社会問題の行政における法学者のウィラーヤは12イマーム派真説の支柱に属し、その根源はイマーマの原則に存ずる」[27]と述べていることからも、ハーメネイ師がウィラーヤ・ファキーフという制度自体についてはイマーマの延長と考えていることは明らかで、それゆえ、上記の言葉は、神の親任によるイマームが人民の支持の有無に関わらず理念的ウィラーヤを有するのに対して、特定のファキーフ個人は規範的(iØtib±rµ)にもウィラーヤは有しないが、制度としてのウィラーヤ・ファキーフ自体は規範的妥当性を有する、と解すべきなのである。
つまりハーメネイ師は、為政者の人格と体制を分離し、人民の承認を人民の支持を欠くファキーフのウィラーヤを否定する一方で、ファキーフのウィラーヤに基づくイスラーム体制そのものの正当性は人民の承認の有無に左右されない、との君臣契約論によってファキーフのウィラーヤに人民の意志を組み込んだのである。
ハーメネイ師のシーア派政治論への第二の理論的貢献としては、イマーマから統治権を分析的に区別したことがあげられる。彼によると、政権を握ったイマーム・アリーの政治的権威は、親任の無謬のイマームであることではなく、人民の支持に基づく君臣契約に由来する。
「人々よ、私にはあなたがたに対して権利があり、あなたがたにも私に対して権利がある。
あなたがたが私に対して有する権利とは、あなたがたへの忠義誠実。あなたがたのファイ(戦わずして得た戦利品)をあなたがたに十分に分配すること、無知に陥らないようにあなたがたを教育すること、学問を習得するよう訓育することである。
私があなたがたに対して有する権利とは、忠誠誓約の履行、面前でも見ていないところでも忠義誠実を尽くすこと、私があなたがたを呼べば応え、私が命じたことには服従する事である。」[28]とのアリーの言葉を手掛かりに、ハーメネイ師は以下のように統治権をイマーマから析出する。
「これについては、これが服従が義務であることは、『無謬のアリー・ブン・アビー・ターリブがイマームであるが故に』、とは言えないことは明らかであ。なぜならもし問題が『無謬のアリー・ブン・アビー・ターリブがイマームであること』であるとすれば、彼の政権在位時に限られないからである。(ここでは)アリー・ブン・アビー・ターリブは一人の為政者として発言しているのであり、一人の無謬のイマームとして(の発言)ではないのである(yaqµnan dar µnj± namµ-tav±n iddiر kard keh µn w±jib al=i »±Øah b¹dan beh kh±»ir im±mat-i maعm-i ØAlµ bn Abµ º±lib ast bar±ye kh±»ir µn-keh agar masÙalah im±mat-i maعm-i ØAlµ bn Abµ º±lib b±shad makh¹ daur±n-i Æuk¹mat-i ¹ nµst ØAlµ bn Abµ º±lib bi-Øunw±ne yak Ʊkim Æarf mµ-zanad nah bi-Øunw±ne yak im±m-i maعm)。つまり全てのムスリムにとって、彼らが彼を認めていようといまいと、また彼が政府の長であろうとなかろうと服従が義務である無謬のイマームとしてではなく、イスラームの為政者としてであり、これはイスラームの為政者の大権である。イスラームの為政者は人民に何かを望み、人民に命じた時、人民は服従しなくてはならないのである。」[29]
こうしてハーメネイ師は、イマーマを、神の親任と無謬性のみに妥当根拠を有する狭義のイマーマとしての宗教的(霊的/法的)権威=教導権[30]と、その親任の無謬のイマームが人民と統治契約を交わすことによって初めて生じる「正当な」政治的権威=統治権の重層構造を有する概念として分析した。その結果、イスラーム国家をも、神権的正当性の中核を成すイマーマの延長の規範的な教導権たるウィラーヤ・ファキーフ体制それ自体と、統治契約的正当性を付与する特定のファキーフの人格への人民の支持の事実に基づく統治権の複合として把握することが可能となり、イスラーム共和国における伝統シーア派的イマーム親任説と人民の役割の理論的調停に成功しているのである。
またハーメネイ師自身は特に言及していないが、国家の権威を宗教的権威=教導権と政治的権威=統治権に重層化することにより、彼の国家理論は、シーア派の教導権を認めない他宗派、他宗教に属する非シーア派イラン国民に対しても選挙制度に法制化された統治契約論によって政治的支配の正当性を基礎づけるものとなっている。
7.結論
伝統シーア派政治論では、イマーマは親任の無謬のイマームの人格と不可分であり、カリスマ的指導者であったホメイニ師にあっても事情は似通っており、そのウィラーヤ・ファキーフ論は彼個人の人格に大きく依存しており、一般理論としての分析に困難があった。ウィラーヤ・ファキーフの性格の客観的分析は、ホメイニ師の後継者の世代、即ち、カリスマの日常化、人格カリスマから官職カリスマへの移行期の課題であったとも言える。そしてシーア派伝統法学/政治神学の枠組におけるウィラーヤ・ファキーフ論と、専制君主制を打倒した人民革命に参加した人民の役割の理論化の整合の課題は、ホメイニ師の後継者であるハーメネイ師によって、ワリー・ファキーフの親任説が有力な今日のイランの宗教界にあって現最高指導者ハーメネイ師自身が「民主主義」陣営に与する形で、一応の完成を見たものと評価することができよう。
次いでシーア派法学/政治神学はハータミー大統領を中心に現在、憲法の権威の妥当性根拠とその範囲の確定という、シーア派伝統法学/政治学の枠組の中では解決できない立憲革命以来の宿題に取り組みつつあるように見えるが、その問題については稿を改めて論じたい[31]。
尚、本稿は1999年3月7日に東京外国語大学で開催されたイラン・セミナーでの発表の草稿に加筆・訂正したものである。
[1] この間の議論については、cf., AsgharSchirazi, tr.by John O'Kane, The Constitution of Iran - Politics and the State in the Islamic Republic, London - New York, pp.35-38.
ペルシャ語では人民はmardom, khalq、国民はmilla であり、意味、用法が異なる場合もあるが、本稿では必要がない限り特に区別せず、人民の語を用いる。
またwil±yaは、監督権、後見権等、広い意味範囲を持つ言葉であるが、本稿では、統治権の意味で用いる場合には統帥権の訳を当てる。
[2]憲法制定権力とはカール・シュミトによると以下の通りである。
「憲法制定権力は政治的意志であり、この意志の力または権威により、自己の政治的実存の態様と形式についての具体的な全体的決定を下すことができる。すなわち政治的統一体の実存を全体として決定することができる」 阿部照哉・村上義弘訳 カール・シュミット『憲法論』、みすず書房、1982年、98頁参照。.
ホメイニ師は、宗教的権威を背景に憲法に裁可を与える実質的な最終権威であると同時に、「人民の直接的意思表示の自然な形式」(同上、107頁)である「集合した多数人の同意または拒否の歓声、喝采」(同上、107頁)によって革命の指導者に迎えられた人民の意志の体現者として、典型的な「憲法制定権力」
の担い手と呼ぶことができよう。
[3] The Constitution of Iran, p.35.
[4] 芦部の整理によると、シュミットの憲法制定権力論によると、憲法制定権力 - 憲法 - 憲法律 - 憲法によって作られた権力、という位階秩序が存在することになるが、ホメイニ師が憲法制定権力の担い手として、憲法の上位にあったのに対して、ハーメネイ師の権力は、憲法律の定める手続きによって擁立された「憲法(律)によって作られた権力」に当たる。芦部信喜『憲法制定権力』東京大学出版会、1983年、37頁参照。
更にハーメネイ師が宗教的最終権威(マルジャア・タクリード)たるに相応しい学識を欠くことが、彼の最高指導者としての権威/権力を制限しているが、この問題については既に多くの先行研究がある。例えば、富田健次『アーヤトッラーたちのイラン』第三書館、1993年、269-278頁参照。
[5] AsØad Åaidar(Tehran), “Yantakhib al=Walµy wal=Faqµh wayamlik Åaqq ØUzl-hi - Maµr ´r±n al=Madanµyah fµ MaØarakah Majlis la=Khubar±Ù", al=Wasa», No.334, 1998/6/22, p.10.
[6] 『イスラームにおける国家(Åuk¹mah darIsl±m)』は、ハーメネイ師がテヘランでの金曜集合礼拝で、「イスラームにおける国家」と題して行った連続講義をそのままの形で単行本に纏めたものである。RaØd H±dµ Jab±rahによるアラビア語訳al=Åuk¹mah fµ al=Isl±mは理論書として編集し直したものであるが、内容には大きな変更はない。このアラビア語訳は1995年に出版されていることから、ハーメネイ師自身の翻訳に寄せる序文がないことから、確定的なことは言えないものの、『イスラームにおける国家』におけるハーメネイ師の立場は基本的に最高指導者就任後も大きな変化はないものと考えられる。
[7]預言者亡き後のイスラーム共同体の統治者は、スンナ派法学でも、シーア派法学でも、イマーム、統治制度はイマーマと呼ばれるが、本稿では慣例に従い、スンナ派の統治者をカリフ、統治制度をヒラーファ、シーア派の統治者をイマーム、統治制度をイマーマと呼ぶ。
[8]広義には社会契約に含まれるが、狭義には、原子化したばらばらの個人が社会を創設する社会契約に対して、既存の支配・服従関係を前提としそれを正当化する契約を統治契約、あるいは君臣契約と呼ぶ。有賀弘・内山秀夫・鷲見誠一・田中治男・藤原保信編『政治思想史の基礎知識』有斐閣、昭和60年、130-131、152-153頁参照。
[9] シーア派の古典的イマーマ論については、鎌田繁「アッラーマ・ヒッリーのイマーマ論」『東洋文化研究所紀要第118冊、平成4年、参照。ヒッリーによるとイマーマの恩恵の実現には、(1)神によるイマームの創造、指名、(2)イマームによる就任承諾、(3)臣下による支援と服従、の3条件があり、臣下が支援、服従の義務を怠った場合には、臣下が恩恵を失うのは云わば「自業自得」あり、神とイマームは無答責であることになる。同上、140頁参照。
[10] cf., °yat All±h Jaw±dµ °milµ, Wil±yat-i Faqµh waRahbarµ darIsl±m,
iØtib±rµは動詞「yaØtabiru(見做す、措定する、尊重する)」から派生形した動名詞の形容詞型である。「理念的=規範的ウィラーヤ(wil±yat iØtib±rµ)」については、松本耿郎『イスラーム政治神学』、未来社、1993年、189-191頁、参照。
[11]立憲革命については、cf., Åasan °b±dµyµn, Mab±nµy-i NaÃarµy-i Åuk¹mat- iMashr¹tah waMashr¹Øah, 1374(h.sh),
Tehran.
[12]皆無とは言えないが、せいぜいイスラーム政府を(神)法治政府に分類し、他の政体との違いを、人間ではなくアッラーフの立法権Ʊkimµyatにあると述べる程度であり、主権の訳語としてもsiy±datは用いていない。ちなみにアラビア語訳でも、主権の意味で用いられることもある上記のƱkimµyatも、政治学用語としてのƱkimµyahではなく、「Ʊkimであること」と訳している。 Im±m Khumainµ, Wil±yat Faqµh, p.47, al=Im±m al=Muj±hid al=Saiyid R¹Æ All±h al=Khumainµ, al=Å
[13] °yat All±h
[14]例えばアーヤトッラー・マフダヴィー・カニーは、以下のように述べ、ホメイニの発言が、あくまでも人民がウィラーヤ・ファキーフを支持するとの前提の下でのものとし、ホメイニ師が人民の意志を無条件に尊重したとの解釈を退ける。
「疑い無くイマーム(ホメイニ)は国民の意見、人民(mardom)の支持に依拠(muttakµ)していたが、いかなる人民か。イスラームを全身全霊(j±n wa del)受け入れており、その大多数はアリー様(彼に平安あれ)の党派シーア派であり、無謬(彼らに平安あれ)のイマームたちのウィラーヤと資格完備の法学者たちの代理(niy±bat)を全身全霊受け入れている人民である。」 ibid.,p.5.
[15] Murta½± Mu»ahharµµ, Im±mat waRahbar ,
[16] Jaw±dµ °milµ, Wil±yat-i Faqµh waRahbarµ darIsl±m, p.19.
[17] ibid., pp.20.
[18] °yah All±h al=ØUÃm± al=MuntaÃirµ, Dir±s±t fµ Wil±yah al=Faqµh waFiqh al=Daulah
al=Isl±mµyah, vol.1,
[19] ibid. p.489.
[20] cf., T.M.Aziz, “Popular Sovereignty in Contemporary ShµØµ Political Thought”, The Muslim World, vol.86, No.3-4, July-October, 1996, pp.273-293, ShahroughAkhavi,
“Contending Discourses
in ShiØi Law on the Doctrine
of Wil±yat al=Faqµh”, Iranian Studies, No.3-4, Summer/Fall, 1996, pp.229-268, Ahmad KazemiMoussavi, “A New Interpretation of the Theory of Vilayat-iFaqih”, Middle Eastern Studies, vol.28, No.1. January 1992,
pp.101-107, 岩井秀子「イスラーム社会におけるウィラーヤの法的・政治的展開 - イラン12イマーム・シーア派を中心として」 AJAMES, 1989, No.4, , pp.85-117.
[21] cf., Åujjat al=Isl±m wa al=Muslimµn Saiyid ØAlµ Kh±miniÙµ , Å
[22] ibid., p.32.
[23] ibid., p.33.
[24] ibid., p.53.
[25] ibid., p.53.
[26] ibid., p.54.
[27] al=Im±m al=Kh±miniÙµ , Ajwibah al=Istift±Ù±t, vol.1, 1996,
[28] al=Im±m al=Kh±miniÙµ , al= Å
[29] Å
[30] イスラームにおいては狭義の宗教的領域も霊的事柄のみならず、狭義の政治である行政を除いた立法、司法の領域も含む。