中田考、「リアル・イスラーム:『近代』を破す原理主義」、阿願宗総本山出版局、『月刊アガーマ』、No.120, Ù91年5月号、pp. 30-50。

特集・・・・・中東事変變

 

リアル・イスラーム

「近代」を破す原理主義

 

ハサン中田考

(聞き手・田中真知)

 

はじめに

 

今回のインタビューは、カイロ在住のイスラーム古典文献学者ハサン中田考氏とのおりにふれた対話がもとになっている。もともとは聞き手である私へのイスラーム入信の勧めを意図されてもたれた私的な対話であったが、原稿化にあたってはかなり構成の手をくわえた。

イスラーム世界をめぐる情勢の変化は、このところあわただしい。にもかかわらず、イスラームにかんする理解の質は相変わらず深いとはいえない。本文の冒頭でも述べたことだが、それはイスラームの知識の欠如というよりも、われわれ自身の世界観・宗教観の枠組そのものがイスラームにたいして排斥的にはたらきかける面があるせいではないか。

そう感じたのは、個人的な話になるが、この夏、人智学系の知人たちに会うためにドイツを訪れたときのことだった。そこでは何かアイデンティティーの確立への脅迫めいた衝動が渦巻いていた。インディヴィジュアリテート(個性)に向けてのたえざる自己啓発、隠れた才能の探求、自己実現への努力等々。けれども印象的だったのは、逆にそのような個性化への重圧に疲れ、苦しみ、なかには神経症に陥る人も少なくないという事実だった。

たとえば、女性に個性を生かした活躍の場がひらかれているというと、一見聞こえはよいけれど、逆にいえば個性がその女性の評価の基準になるわけで、個性を発揮できない女性にとっては苦痛になるケースも出てくる。もちろん個性の発現というのが、一人ひとりの内的衝動に基づいて起こるのならよいけれど、ドイツで感じたのは個性化という傾向に自分を無理にアイデンティファイさせているがゆえの苦しげな歪みのほうだった。ハサン氏の言い方を借りれば「一匹の羊を救うために他の九十九匹を犠牲にする」ような空気を感じなかったとはいえない。

異論はあるかもしれないけれど、イスラームでは、女性は基本的に子どもが産めればよいとされる。容姿がどうあろうと、能力がどうあろうと、大切なのは子どもが産めることで、一つまり女性であること一それさえできれば社会のなかで堂々と生きていける。

なにもその女性の個性を評価しないというのではない。個性は大いにあってかまわない。重要なことは、個性や能力のあるなしによってその人間の価値や評価が決まるわけではないということである。よく、イスラームでは女性は抑圧されている、との言い方がされるが、むしろたえず個性を発揮していないと存在を許されないような西欧の女性のほうが、逆に抑圧されている気さえした。現にエジプトやスーダンにかんしていえば、女性は本当に生き生きしているし、存在感があるし、素直な意味で個性的である。

おそらく西欧的価値観と比べた場合、イスラームを特徴づけることのひとつは、その人間がムスリムであるという理由だけでとりあえずは肯定され尊重されるという懐の深さではないか。

何かを考えたから、何かを達成したから、あるいは何かを創ったからすばらしいという発想は、基本的にイスラームにはない。すべての価値はアッラーフに帰するからである。また逆に、そのあたりが西欧のイスラーム・アレルギーの源になってもいるのだろう。

象徴的だと思ったのは、ドイツの人智学の一部の人たちがイスラームを極端に嫌っているという話だった。人間の営みに価値を見出さないイスラームは、悪魔の申し子だというわけだ。しかしイスラームの立場からすれば、人間の営みに価値がないのではなくて、それが最終的な価値ではないという点こそ重要なのである。

もうひとつ象徴的な例として、イラクのクウェート侵攻に対する周辺アラブ諸国の反応がある。日本や欧米諸国のマスコミは、自国の利益がからんではいるにしても、この事件を表向きには人道的な立場から弾劾するという姿勢で報道してきた。一国家の主権を武力によって侵害するとは許されない行為だというわけである。

しかしエジプトをはじめ、現実の周りのアラブ人たちの反応は、驚くほど冷ややかなものだった。たしかにカイロの街中でも"Free Kuweit"と書かれたTシャツが売られていたりするけれど、この民主主義的イデオロギーほど、一般のエジプト人の意識とほど遠いものはない。

彼らのイラクに対する非難とは、実際の失業とか諸物価の上昇という現実的な損失に対する不満の表明であって、武力的侵攻に対するヒューマニズム的見地からの批判ではまったくない。一国家の主権などという観念は、ここでは文字どおり"観念"でしかない。

もともとクウェートをはじめとする湾岸諸国はたまたま石油が出たから国家の体裁を整えられただけであって、西欧的な意味での国家とは成り立ちがちがう。それが侵されようが滅ぼされようが、本人の意識にしても周りの意識にしても、それほどたいしたことではないのである。体制やシステムの価値は、状況に応じて変幻してやまない。それをイスラーム的な価値観といえるかどうかは意見の分かれるところであろうが、少なくとも、この世の価値観という物差しを、イスラームにあてることができないのは事実である。

さて、本文で展開された議論について、私自身もふくめて異和感をおぼえる人もいると思う。原理主義の立場に立つハサン氏のイスラーム観が、唯一のイスラーム観とはいえない。具体的には、イスラームというものをムハンマドにくだされた啓示の理念に限定してとらえるか、あるいは聖者崇拝やザールなど民衆の生活意識に根ざしたものとしてとらえるかである。ここでは、前者の立場から後者を照射するようなかたちで話が展開されている。それもまた、現代社会のなかでイスラームをひとつの生き方として意識化した、生きられた視点であろう。逆に、それが生きられた視点でなければ、どんなに口当たりがよくても、所詮は「宗教思想」、「宗教哲学」でしかない。

カイロで知り合ったオランダ人のスーフィーの言葉が印象にのこっている。

「屋根にのぼるのに、どの梯子を選ぼうかとか、どの梯子がどの梯子よりいいというのはどうでもいいことです。大切なのはどれでもいいから梯子を登ることです。たまたま私の梯子はイスラームだったというわけです」

(9011月、田中真知)

 

今、イスラーム国家は存在しない

 

ー日本人としての偽らざる感想として、イスラームという宗教だけは、どうもわからないという声がよく聞かれます。これはおそらくイスラーム世界をめぐって起こるできごとが、通常のわれわれの宗教観からすると大きく逸脱して見えるせいかと思われます。

たとえば、八年つづいたイラン.イラク戦争、今年八月のイラク軍のクウェート侵攻にはじまる「湾岸危機」など、中東世界は戦争ばかりやっていて危険だという印象持たれがちです。またイスラーム圏を初めて旅する人は・買物の際にとんでもない値段をふっかけられて驚かされることはしばしばだし、女性の一人旅にいたってはほとんどの人が一度ならず嫌な目にあっている。もちろん、そうでない場合もありますが、一部の表面的な印象によってつくられたイスラーム観が、イスラームの内実を曇らせ、見えにくくしているのは事実です。ただし、それはイスラームの教義に対する無知のゆえというよりも、むしろわれわれ自身の世界観・宗教観の内にイスラームを包摂するゆとりがないことの方に問題があるような気もします。いいかえれば、いくらイスラームについての知識が広まろうとも、その知を包含しうる世界観の確立なしには真の理解はないわけです。

われわれがイスラームに冠している偏見が何なのか、またイスラームをとおして見えてくる風景はどのようなものなのか。イスラーム古典文献学者にして原理主義者であるあなたへのそうした問いかけをとおして、われわれ異教徒の世界観のありかたを検討しなおしたいというのが、このインタビューのねらいです。

 

ハサン 他人にイスラーム[1]ヘの入信を勧めるとき、かならず私がいうことがあります。それは「ムスリムになろうと考えるとき、今までイスラームの国で見てきたことはすべて忘れてください。周りのエジプト人のこともいっさい忘れてください」というのです。

イスラームと、今の実際のムスリム[2]とはちがうんです。さらにいうならば、今、イスラーム国家と呼べるものはひとつもありません。これには国家システム自体が西洋のつくったものであるという問題もあるのですけれど、それはさておいてもイスラームが実現されている国というのは現在ひとつもありません。

ですから今の中東アラブ世界を見て、イスラームを判断してもらっては困るんです。イスラームのあるべき姿からすれば、今の世の中は絶望的にひどい状況なん.ですから。ましてイラクのサダム・フセイン[3]を指して「彼がイスラーム教徒だから、イスラーム教徒というのはすべてとんでもない」というのは見当はずれの話です。フセインの悪業は、イスラーム教徒である以前の問題です。たとえば彼はイラクの独裁者という立場であり、イスラーム法(シャリーア)[4]を施行する権限をもちながらも実際にはそれをしていません。これだけとってもフセインを不信仰者と呼ぶ理由にはなるんです。

 

ーしかし実際にはサダム・フセインを英雄視したり賞賛したりするムスリムは少なからずいますね。ヨルダンやアルジェリア、チュニジアなどでは、彼は救世主のように崇められているといいますけれど。

 

ハサン だから問題なんです。イスラーム国家がひとつもないというのは、そういう意味なんです。何が善であり、何が悪であるかがムスリムにさえもわからなくなっている。ムスリム全体の自覚が絶望的に低迷しているのがこの時代なんです。他の宗教と同じく、形骸化の問題はイスラームでも深刻です。

 

ーそれにもかかわらず、われわれ異教徒にしてみると、イスラームほど信仰と生活が緊密にむすびついている宗教はないという印象を受けますね。大都市でも小村でも、かならずモスク[5]があり、一日に五回の礼拝[6]の呼びかけがあり、かなりの人が礼拝の務めをまじめに守っている。日常の会話のなかにも「アッラー(アルハムド・リッラー)[7]に讃えあれ」とか「アッラー(アッラーフ・アクバル)は偉大なり」という言い回しが頻繁に出てくる。カイロ市内でタクシーを拾えば、フロントグラスといわず車内といわずクルアーンの文句を書いたステッカーが貼られているそうした意味では、イスラームがキリスト教のように衰退しているふうには見えませんね。

 

ハサン 逆にいえば、この程度しか残っていなくてもイスラームが世界宗教のなかでいちばん活発に見える。これはイスラームの問題というより、今の世界がいかに病み、世俗化しているかの反映です。信仰の力はどんどん衰えています。にもかかわらず世界中のムスリムの数は増加の方向にあります。今、世界のムスリム人口は約八億といわれています。つまり世界人口のうち約六人に一人はムスリムですけれど、今後はもっと増えるはずです。

 

ー増えているんですか。

 

ハサン そうです。これは単純なことで、イスラームの場合、親がムスリムなら子は自動的にムスリムになるんです。しかも、だいたいイスラーム圏というのは子だくさんですからね。それに加えて、イスラーム教徒というのは一度なったらやめられないんです。イスラーム教徒をやめるというのは死に値する重罪[8]です。だから単純に計算しても、人口減少傾向にある欧米のキリスト教徒と、イスラーム教徒とを比べてみれば、将来的な状況は予想がつくはずです。少なくとも人口のうえでは、ム人リムは増えつづける一方です。

 

神の慈悲としてのイスラーム

 

ーイスラーム圏に身を置いてつくづく驚かされることは、人々の自分たちの信仰に対する絶対的な信頼です。どんなに時代が変わろうとも、物質文明が浸透しようと、イスラームという価値そのものが完全に否定されることはないような気がします。西欧におけるような「神の死」という事態は、イスラームでは将来的にも絶対ありえないのでしょうか。

 

ハサン 「神の死」とは、たんにキリスト教の堕落ーすなわち神のための宗教から人間のための宗教へーの結果にすぎません。セム系一神教[9]においては、宗教はあくまで神中心のものです。キリスト教でもかつてはそうだったはずなんですけどね。聖書のマタイ伝のなかにも、イエスが十字架にかかることを予言したとき、ペテロが「そんなことはあってはなりません」とイエスにいう場面がありますが、そこでイエスはペテロにむかって、「おまえは神のことを考えずに人のことを考えているのか[10]」と叱責します。ところが後世、神中心主義であるはずの宗教が、人間中心主義に変わっていってしまった。そこにキリスト教の堕落が始まります。

 

ーイスラームにおける神中心主義とは、どういうことですか。

 

ハサン イスラームという教えは、唯一絶対の神アッラーフが預言者ムハンマドをつうじて人間にもたらした「慈悲」なんです。全知全能であるアッラーフにしてみれば、この世が存在しようがしまいが、たかが、一被造物にすぎない人間がどうなろうといっこうにかまわないわけです。にもかかわらず、こうして万物が存在しているというのは、ひとえにアッラーフが慈悲をかけてくれたゆえんです。存在するとは、それだけでアッラーフに慈悲をかけられているということです。逆にいえば、存在するものは、存在することによってひたすらアッラーフを讃美しているのです。動物にせよ植物にせよ、存在することによってアッラーフを讃美している。それがイスラームの世界観の基本です。

では人間はどうなるのか。人間もまた万物と同様、アッラーフの慈悲によって創られた存在ですが、他の存在とちがうのは自由意志を与えられているという点です。自由意志というのはアッラーフを信じ・讃美するか否かを選びとれる自由意志です。いいかえればムスリムになるか否かを自分で選択できる自由意志です。人間にとって自由意志の存在理由はこれ以外にありません。そして、そこでムスリムになることを選びとった者は最後の審判の後で天国[11]に行き、そうでない者は地獄[12]に落ちるわけです。ひじょうに明確でしょう。

 

ーしかし、なぜ人間だけにそんな選択が与えられたのですか。人間存在そのものがアッラーフヘの賛美であるならば、全員天国へ行けてもいいはずなのに。

 

ハサン イスラームでは、この一回かぎりの人生において人間が自らの意志によってムスリムになる[13]のが大切なんです。これは信仰の度合いを見るうえでアッラーフが人間にくだした大きな試練です。この点、仏教や神道の場合とは異なります。仏教や神道では、その教えを信じることと仏教徒や神道の徒になることとはあまり関係がない。たとえ仏教の教えが仮に真理であったとしても、信徒になるならないはそれとは直接かかわりません。ところがイスラームでは、イスラームの教えを信じることは、ムスリムに「なる」という行為を通じてしか表わされえません。もちろん、それは第一段階であってムスリムとしての徳を高めていくためには先の段階があるのですけれど、とりあえずムスリムであれば天国に行くことは保証されるんです。それはアッラーフの慈悲としかいいようがありません。

 

ーサダム・フセインのようなムスリムでも天国に行けるのですか。

 

ハサン 誰であれムスリムでありさえすれば最終的には天国に入れます。イスラームが、アッラーフが人間にくだされた慈悲であるとは、そういう意味です。

 

-でも、それは不当な気がしますよね。どんなに悪業を積もうとムスリムであれば天国に行くことができ、逆にどんなに善行を積んでもムスリムでなければ地獄に落ちるというのは。

 

ハサン ムスリムでないということは、すでにそれだけで、たいへんな悪業です。ムスリムでないとは、アッラーフを信じないということですからね。それを不当だと考えるのが、すでに人間中心の発想です。

何度もいってますように、イスラームとは慈悲の教えなんです。どんなに愚かであろうともムスリムでありさえすればとりあえず天国に入れる一そこにアッラーフの慈悲深さを見なくてはなりません。ムスリム以外の人間については、天国に行けるかどうかはアッラーフ以外にはわかりません。その人の信仰の度合にしたがってアッラーフが決められることです。ですからイスラームを知った以上は、ムスリムになるのは、ごく自然のことです。とりあえずはその慈悲にすがって天国に入れることは保証されるわけですからね。アッラーフは慈悲深い方なんです。

 

ーそれでは人間の側の努力とか修行といったことは救いの条件にはならないわけですか。そうした努力には意味がないわけですか。

 

ハサン そんなことはありませんけれど、イスラームの特徴は、そのような努力なしに、救いを求めるものには誰にでも救いの道が説かれているということなんです。仏教や神秘主義のように個人の意志的な努力とか、天才的な才覚に依存するシステムではありません。かといって天才がいないわけではないんですよ()。必要としないだけなんです。自分で真理に到達することなしにも、真理自体が人間を支えてくれる。そこがイスラームのすごさといえると思います。人間の存在する意味は、イスラームからすればただ一点しかありません。つまりアッラーフを讃美することです。それ以外に人間の存在理由はありません。

こういう話をすると、だからイスラーム教は窮屈なんだとか、不自由なんだという人がいますけど、それはたんに人間的な反応であって神の意志とは関係ありません。逆にいえば、個人が意志的に努力したり修行しなければ救われないシステムのほうがどれだけ不自由かわかりません。結局、それはエリート主義です。個人が意志的に霊性を目覚めさせなければ救われないのであれば、救われたくてもその人に能力がないばかりに救われない人がかならず出てくるわけです。イスラームからすれば、そのほうがどれほど不当で無慈悲な話かわかりません。

 

一匹の羊か、九十九匹の羊か

 

ーそうなるとイスラームには自己実現という発想はないわけですか。

 

ハサン 自己実現というとー。

 

東洋の神秘主義的な思想には、かならず自己実現的、ないし自己成長的な視点があると思うんです。つまり自分がかかえている葛藤から解放されるのに、外からのドグマではなく自分の心を見つめなおし、それを内面的に解決する道を探る。コンプレックス、疎外感、虚無感、息苦しさ、生きていることの無意味感といったことが、実は内面的な束縛に由来しているがゆえに、その束縛を解きほぐしていくプロセスを大切にする。それによって個性的な真の自己を確立するーおそらく今、日本で宗教にもとめられているものは、そのような自己実現的な欲求の充足という面がつよいと思うのですが、イスラームではそのあたりはどう考えられているのですか。

 

ハサン スーフィズム(イスラーム神秘主義)[14]にはそうした発想がないわけではありませんけれど、オーソドックスなイスラームには自己実現という発想はないですね。自己実現に価値を置ける社会というのは、結局、裕福な社会なんです。いったい今の世の中で、どれだけの人問に自己実現などということが可能だと思いますか。欧米や日本のようなごく一部の地域の人たちだけですよ。その他のほとんどの人たちは生活するだけで精一杯で、自分のくだらぬ悩みなどに浸っている暇なんてありません。自己実現とは、私にいわせれば百匹の羊のうち優秀な一匹を救わんがために他の九十九匹を犠牲にしてしまう[15]考え方です。自己実現に価値を置く以上、自己実現された個性なり能力なりによって人間が評価される。つまりはエリート主義です。自己実現という発想は西欧の局所的な状況から生まれた考え方にすぎません。それを普遍化しようとするのは傲慢という以外にありません。

イスラームのめざす方向は、まったく逆です。それはよしんば一匹の優秀な羊が犠牲になろうとも、他の九十九匹を救済するものです。イスラームのすごさは万人のための教えである点です。

 

ーしかし個人の内面に芽生えつつあるものを否めずに育てていくことが、そんなに悪いことでしょうか。現に日本の教育でほ、外から規制をあたえて個性を摘みとってしまう教育制度が問題化していますよね。

 

ハサン イスラーム的な観点からすれば、日本の教育の問題点は、没個性的とか画一的といった点にあるのではありません日本の教育制度のみならず、あらゆる教育の最大の問題点は何か。それは内的な整合性がないことに尽きます。たとえば、なぜ学校に行くのか、なぜ勉強しなくてはならないのか、なぜ親のいうことをきかなくてはいけないのか、なぜ友人と仲良くするのかーそういうことにかんして今の教育はなんの根拠づけもできない。それが問題なんです。

この点について正しい根拠づけ一つまり善悪の整合的な根拠づけーができるのはセム系一神教だけなんです。ただしユダヤ教、キリスト教にはその基礎はあるものの、イスラームだけがシャリーアというかたちで包括的なプログラムを提出することができるんです。すなわち「善いこと」とはアッラーフの意志にかなうこと、「悪いこと」とはアッラーフの意志に背くことです。アッラーフの意志にかなうかどうか、要はその一点です。アッラーフそのものについては人智を超えているので、これ以上に還元して説明することはできません。セム系一神教以外の宗教・思想は、仏教であろうと何であろうと、こうした善悪の根拠づけはいっさいできません。しかもイスラームは、シャリーアというかたちでアッラーフの意志にかなうための具体的な方法が定められています。しかし実際に今のイスラーム社会で、そうした教育が行なわ

れているわけではありませんけどね。

 

ー善悪の根拠づけの問題はさておいても、それぞれの人問のなかにひそんでいる、その人ならではの持ち味を引き出すということは教育の重要なテーマにはなりえませんか。外から型にはめていくという性悪説的な発想ではなく、内面の衝動を引き出してやるという性善説的な発想シュタイナー教育などに見られる人間観の基本はそのあたりにあるように思うんですけれど。

 

ハサン それこそ、先ほどいったエリート主義ではないでしょうか。眠っている個性をめざめさせることに価値を見出すのだとしたら、今のままの人間は無能ということになりますよね。引き出すことができた人間は偉い、それができない没個性的な人間はダメというのは能力主義にほかなりません。もっともエリート養成のためのシステムと割り切るのならそれでもかまいませんけれど、それはけっして万人のためのシステムにはなりえません。性善説とおっしゃいましたが、それはむしろ裏返しの性悪説ではないでしょうか。もし人間が本当に性善なのであれば、そのままであろうとビシビシやろうと人間は善くなっていくはずです。しかし、そこに個性という価値観を持ち出すことによって、かえって人間を枠にはめる結果になる場合もあります。個性というのは、べつに引き出してやらなくても自然に現われるものです。人間が一人ひとりちがうのはあたりまえですからね。問題は、そこに価値の物差しをあてることです。個性そのものにはなんの優劣差いのに、それを重視した瞬間に個性は人間の能力を測る物差しになる。おのずとそこにはエリート主義が生まれてきます。

けれども、このエジプトでは個性重視の教育もなにもあったものではありません。悪いことをすれば先生は子供をビシビひっぱたきます。それでもここの子どもは日本の子どもなどよりはるかに行きいきしているし、個性的だし、子どもらしい活気、満ち溢れています。個性重視などという発想は、教育や学校に比重をかけすぎている西欧型の社会システムの歪みのもとに生まれた考え方でうす。問題は教育の内というよりむしろ西欧型社会システムの歪みの方にあるのではないでしょうか。

 

イスラームと西欧

 

ーイスラームにとって西欧とはいったい何なのでしょう。

 

ハサン 近代以前はイスラームにとって西欧は、たいして意識すべき対象ではありませんでした。植民地化のはじまった近代以降になると、西欧はイスラームの価値を破壊する悪魔として立ち現れてきたといえます。

 

ースラームの価値が破壊されるとは、具体的にどういうことでしょう。

 

ハサン 西欧的価値観はすべて反イスラーム的ですから、特定できるものではありません。けれども、とりわけ大きな問題は「時間」が破壊されたことといえるかもしれませんね。

 

ー「時間」というと。

 

ハサン イスラームにとって時間とは一日五回の礼拝によって計られるものでした。日が昇る前に起きて礼拝をしてクルアーンを読む[16]。かけ、昼はまた礼拝する。昼食をとり、昼寝をし、起きたらまた礼拝しクルアーンを読む。日が昇ったあとでまた礼拝するのもいい。それから朝食をとり、商売に出かけ、昼はまた礼拝する。昼食をとり、昼寝をし、起きたらまた礼拝しクルアーンを読む。日没のときまた礼拝し、夜は友人や家族と語らい、夜食をとり、就寝前にまた礼拝する。このように一日五回もちろんそれ以上するのはさらに善いことなのですがーの礼拝によって、一日の時間が区切られていました。

ところが西欧が侵入し、植民地化をすすめるため近代的な工場をつくったり、富国強兵型の近代的な労働制を敷いたわけです。これによってなんの権威もない上司・上官の命令が絶対になったり、なんの権威もない規律や時間を守らなくてはならなくなった。礼拝によって計られていた時間は断ち切られ、意味のない始業・終業の時間に人間は縛られるようになったわけです。これは敬虔なムスリムにとっては、まった

く耐えがたい屈辱でした。アッラーフの前に平等であるはずのムスリムが、異教徒の命令にしたがわなければならないうえ、もっとも重要とされる礼拝の時間が危機にさらされたわけですからね。

しかも植民地化によって、近代的な国家システムとか民族主義というものが、新たな枠組みとしてイスラーム世界に植えつけられた。これがムスリムのアイデンティティーを歪める原因になっています。イスラームの国は戦争ばかりしているといわれますが、国家間の戦争という枠組、あるいは民族間の闘争という枠組そのものが西洋による押しつけに由来しているんです。

 

ーそのようなイスラーム的価値の破壊に対して、イスラーム世界は何をなしうるのでしょうか。

 

ハサン 実際に今のヨーロッバに経済的な競争原理で立ちむかったところでかないっこない。現在の世界経済は、発展途上国に商品作物をつくらせて国内食糧の自給率を低めて外国依存型の国家をつくるシステムですから、このシステムが壊れないかぎり競争原理で勝つということは不可能です。あるいは戦争でやっつけるという手段もありますが、これもあまり勝ち目がない。となると、勝つとか負けるといった競争原理を超えて、自分たちが干渉されないシステムをつくるしかないんです。シャリーアにもとづいた原理主義ですね。それは、経済的・権力的には負けつづけていても、内部ではイスラーム的な倫理がしっかり守られているような社会です。

 

ーそのような社会は今、現実には実現されていないわけですか。

 

ハサン サウジアラビアの一部では、それに近いかたちはあると思いますけれどね。

本来イスラーム経済では現物のないところで交換を行ったり、利子をとったりしてはいけないことになっています。だから今の資本主義システムそのものが反イスラームなんです。にもかかわらずクウェートのように原油で得たお金で株式など直接性のないものに投資をするーこれは直接性を重んずるイスラーム経済の倫理に反したとんでもないことなんです。今、イスラームの国がひとつもないとは、そういう意味です。今はカリフ[17]もイマーム[18]もいませんしね。このエジプトでも政府による原理主義狩りが行われているくらいですからね。時代がどんどん悪くなっているんです。

 

ー時代がどんどん悪くなるというのは、押しとどめようもないことなんですか。

 

ハサン そうです。イスラームでは、預言者ムハンマド[19]の時代を頂点として、以降、人間の霊的なものがどんどん下降しているという歴史認識にあります。かつては誰にでも感じられた聖なるものが感じられず、たくさんいた天使も遠ざかってしまった。これは最後の審判にいたるまでつづきます。

 

ーすると人間の内にある種の霊性が目覚めるという発想はないわけですね。

 

ハサン それはありえません。人間がそういうふうになることはできないんです。

 

聖戦のめざすもの

 

ー先ほど聖戦の話がでてきましたけれど、イスラームに対してわれわれが過激な印象を抱きがちなのは、まさに聖戦という概念だと思うんです。聖戦(せいせん)、つまりイスラームの拡大・防衛のための戦争を宗教的義務として定めている。戦争というのは基本的に人を殺すことですから、人を殺すことを宗教的に肯定しているという印象を受ける。そのあたりに違和感をおぼえる人も多いと思うのですが。

 

ハサン いかなる宗教であれ、人を殺したり殺されたりということをつねにつきまとっているのであって、死ぬことをそんなに気にしません。実際、キリスト教でも十字軍というかたちで法王みずから人殺しを命じている。あれがキリスト教の教義でないというのは無理があります。旧約聖書にも人を殺す場面がたくさん出てきますからね。イスラームの国は戦争ばっかりやってといいますけれども、だいたい二〇世紀に入って誰がいちばん人を殺しているか考えてみればわかることです。イスラームが好戦的だというのは、イスラームに対する偏見です。

 

ーしかしイラン・イラク戦争にしても、ともに聖戦(せいせん)を掲げることで自国の立場を正当化しようとしましたよね。そこでは聖戦という概念が存在することで戦争に拍車がかかる原因をつくりだしていた気がするんですが。

 

ハサン そんなことはありません。サダム・フセインについては聖戦もなにもあったものではないし、最初から論外です。イスラーム以前の問題です。

一方、イランのシーア派については事情はちょっと複雑なんです。一九七九年のイラン革命の話になりますが、イランのシーア派十二イマーム派に[20]はもともと聖戦はありえませんでした。十二イマーム派の議論では十二代目イマームは千年以上「隠れ(ガイバ)」の状態に入っている。聖戦はイマームの大権ですから、イマームがいない以上、聖戦はありえなかった。ところがホメイニは、イマームが隠れているときには法学者がイマームに代わって聖戦を指揮しうるのだという議論を展開したのです。

なぜ、そんなことをいい出したのかというと、これにはタキーヤ[21]という概念がからんでいます。タキーヤとは「危害の加えられる恐れのあるときに信仰を隠すこと」で、要するにイマームのいない時代に悪い為政者のもとで、シーア派の信徒が自己防衛のために信仰を隠すことを意味しました。シーア派では初代イマーム、アリーの時代をのぞいて、イマームたちは当時の為政者から迫害されていました。為政者はイマーム位の纂奪者だった。それゆえシーア派では、為政者が不正なのは当然という見方がされています。そのため信徒たちは信仰を隠して為政者に干渉せずに生きることで身を守ったわけです。そこでは当然、聖戦もありえません。

ところがホメイニは、タキーヤが許されるのは、タキーヤによってイスラームの利益が守られる場合にかぎるのだといった。タキーヤが許される時代の為政者とは、私利私欲に目がくらんで悪いことはするのだけれども、イスラームの正しさは認めるというタイプの為政者でした。   

ところがパーレビ王朝は、そういうタイプの為政者ではなく、イスラームに真向から対立し、これを滅ぼそうとする敵なのだとホメイニはいった。だから、いまやタキーヤをしつづけているとイスラームは滅ぼされてしまうとして、聖戦つまり「イラン革命」に踏みきったわけです。実際パーレビがやろうとしたことは、アラビア語彙の追放やイスラーム的シンポルを排除して、西洋化とペルシア文化への回帰を図ることでした。先日テヘランに行って驚いたのですが、テヘランのモスクにはミナレット[22]がないんです。だからどこにモスクがあるかわからない。そういうことをやる為政者に対しては、タキーヤは許されないとホメイニはいうわけです。そんな事情でイラン革命は、聖戦といってもイスラームの歴史のなかではかなり特殊なケースなんです。

 

ー西洋化の政策をとったイスラーム国家としてはトルコもそうですね。解放運動の指導者だったケマル・アタチェルク[23]もたしかアラビア文字を追放しましたね。教国の活動もトルコでは表向きには禁じられているようだし。

 

ハサン そうなんです。ケマル・アタチュルクというのはイスフームの最大の敵なんです。自由化といいますけど、実際はちっとも自由ではない。服装の自由というのもからくりです。女性のヴェールをとるのが自由がというととんでもない。あれは無理矢理ひきはがす行為であって自由でも何でもない。事実、最近フランスでは、イスラーム教徒の女学生が学校にヴェールをつけて登校することを禁じられるという事件があり、問題になりました。西洋化はあくまで西洋化であって自由化ではありません。西洋で自由といわれていることを真似させることを自由化と呼んでいるにすぎません。

 

ーしかしイスラームだから自由がというと、そんなことはないですよね。

 

ハサン ええ。イスラームはべつに自由ではありませんから。イスラームには自由という発想がもともとありません。奴隷でないのが自由ということですからね。

 

ー聖戦の話に戻りますが、戦闘に用いる武器には規定はあるんですか。

 

ハサン 本来は剣だけです。エジプトでも一部のジハード系原理主義者グループは、今でも剣以外の武器をもたない。だから現実には戦えない()。ただ彼らはマフディーという救世主の到来を信じていますから、最終的には自分たちが勝利すると確信しています。

聖戦では、戦争のありかたが法的に定められています。たとえば女子どもや非戦闘員を傷つけてはいけないとか、木を笩ってはいけないというふうにです。戦争そのものは起こるものなんです。ただ、そこで何をやってはいけないかをイスラーム法ではちゃんと規定している。非戦闘員を殺してしまうような空爆とかミサイルによる無差別攻撃などはイスラーム法上明らかにまちがっている。ましてや核とか化学兵器なんてとんでもない。許されるとしたら、せいぜい戦闘員だけを狙える銃か大砲くらいまででしょう。良い悪いは別として戦争はあるものなんです。イスラームはそれに対する法的な規定を明確にしているだけであって、好戦的というのはあたっていません。戦争はよくないといいながら核や化学兵器を歯止めなく製造し、売りさばいている西欧諸国の方がずっと好戦的といえるのではないですか。

 

ーしかし現在はイスラーム諸国もそうした近代兵器を購入していますよね。

 

ハサン 今のイスラーム諸国の為政者はイスラームに興味をもっていません。彼らが興味をもっているのは、いってみれば現世の富と権力であってイスラームではない。だからイスラームの議論では、中東国際政治はわかりません。現代の為政者たちはイスラームの原理で動いているわけではないんです。イスラーム勢力の動きが重要になってくるのは、むしろ国内政治の場合です。ムスリム同胞団[24]が政権を掌握する場合もありますからね。国際政治をイスラームの観点から見ることはできません。そこが誤解されやすいところです。

 

ー歴史的に見た場合、イスラームには初めから軍隊はあったのですか。

 

ハサン 二代目のカリフ、ウマルの時代にディーワーン[25]という役所ができ、そこに陸軍省のようなものがつくられました。

 

ー徴兵制はあったのですか。

 

ハサン 徴兵制というかたちはありませんね。基本的には志願兵です。陸軍省自体が戦利品によってまかなわれていたので、まあ戦利品が欲しい人たちが兵士になったのです。イスラーム軍は初期の頃は破竹の勢いで勝っていたので戦利品がどんどん入ってきた。それを財源にして勢力を広げていった。そうしてまたたく間に西はイベリア半島、北アフリカから東は中央アジア、西北インドにいたる広大な領域を征服したわけです。

 

ー戦利品とは、要するに略奪したものですよね。ということは聖戦とは、その初期においては、かたちを変えた略奪行為だったわけですか。

 

ハサン 遊牧民にとって略奪はもともと仕事のひとつでした。略奪に聖戦という大義名分を与えたわけではありません。略奪は略奪、聖戦は聖戦です。イスラームには建前と本音という区別がないんです。現世でも来世でも幸せになるのがイスラームの基本的な考え方ですから。

 

ーでも結果的に見ると、略奪と聖戦は同じものだったとはいえませんか。

 

ハサン 結果的に見れば同じといえるかもしれませんが、別にどちらが本音でどちらが建前ということはありません。イスラーム国家の最大の財源は本来、戦利品でした。イスラーム国家には税金がないんです。だから財源は戦利品、喜捨(さだか)、そして降伏した異教徒たちが払うお金から成り立っていた。それがアッバース朝までの時代です。ところが近代になってからは、イスラーム世界は戦争に勝てなくなった。戦えば負けるし戦利品は手に入らない。かといってイスラーム国家は貧しいので喜捨もたいした額にはならない。困ったものです。略奪が聖戦でありえたのは近代以前の話です。今は防衛もしくは為政者に対する聖戦が精一杯で略奪どころではありません。

 

ーすると聖戦の将来はどのようなものになるのでしょう。

 

ハサン そうですねえ。やはりイスラエルとの戦いになるのではないでしょうか。

 

ーイスラエルがいけないという根拠は何ですか。

 

ハサン ユダヤ人がいけない。イスラーム的立場から見ればユダヤ人は全体として悪なんです。もちろん一人ひとりをとってみれば例外はあるでしょうが、ユダヤ人は悪いというのはイスラームの一致した意見です。実際、預言者を殺してきたり黄金の仔牛を拝んだりしていた。

 

ーするとナチスのやったことなどはイスラームではどう評価するのですか。

 

ハサン イスラーム世界ではナチスの評価はわりと高いですよ。英米帝国主義と戦ってユダヤ人をやっつけた軍団としての評価ですけどね。ただイスラームではユダヤ人だからといって死刑にしたり虐殺をしていいという規定はないので、ナチスのやった残虐行為まで肯定するわけではありません。イスラームは寛容な宗教ですから改宗すれば平等に扱われるし、改宗しなくても敵対しないかぎり差別されたかたちではあれ財産権などの権利は守られます。

クルアーンの冒頭の「開扉(ファーティハ)[26]の章には「われらを正しい道に導きたまえ/あなたが怒りをくだされた者の道ではなく/また迷い誤れる者の道ではなく」という一節がありますが、ここでいう「正しい道」とはイスラーム、「怒りをくだされた者の道」とはユダヤ教、「迷い誤れる者の遺しとはキリスト教を指すんです。

これは正当な解釈です。ムスリムは一日五回の礼拝のたびに、この「開扉」の章を読諦しなくてはなりません。そのたびに、ああユダヤ教徒は悪い、キリスト教徒は愚か者だと感じるわけです。

 

 

ハサン中田考 一九六〇年生まれ。一九八二年イスラーム入信。東京大学で宗教学を学び、八六年よりエジプト・カイロ在住。

現在カイロ大学文学部哲学科博士課程。論文「イブン・タイミーヤのイジュマー論」「イスラーム法学における内乱概念」「ハディース遵奉者の論理」等。翻訳に「イスラームの信条し(イスラミックセンター・ジャパン)がある。

 

田中真知サイエンス・ライター現在、

アフリカ大陸探険中。

 



[1] イスラームal-Isl±m  アラブの預言者ムハンマドが六一〇年に創唱した一神教。アラビア語の原義は「唯一神アッ一フーへの絶対的帰依」。聖典クルアーン(コーラン)によれば、イスラームは天地創造以前から存在していた。アダムやノア、アブラハム、イエスらの預言者をつうじてその教えは地上にもたらされたが、最後の預言者ムハンマドによって最終的な確認をみたとされる。

[2] ムスリムmusulim 「神に絶対的に帰依する者」の意のアラビア語で、イスラーム教徒のこと。女性のイスラーム教徒はムスリマ(muslima)という。

[3] サダム・フセインSaddam Hussein(一九三七~)現イラク大統領。バグダッドの中学在学申に汎アラブ主義・社会主義を掲げるバース党入党。五九年当時のカセム首相暗殺の企てにより死刑宣告を受け、エジプト逃亡。六三年のクーデター後帰国。七九年バクル大統領引退後、大統領就任。八O年、イスラーム革命後のイランに宣戦布告。以来八年にわたるイラン・イラク戦争を指揮。九〇年八月にクウェート侵攻。九一年二月、「湾岸戦争」終結。十三年間の大統領在任中、戦争をしていないのは二年間だけである。

[4] イスラム法(シャリーア)Sharµa 神の啓示に基づいてムスリムの生き方を規定する法。シャリーアとは、アラビア語では「水場に至る道」を意味した。人間はそれに従って生きることで神の意志を実現するとされる。聖俗の分離のないイスラームでは、シャリーアは宗教的生活だけではなく、世俗的生活の多岐にわたっても具体的に規制する。その内容は、浄め、懴悔、礼拝、喜捨、断食、巡礼などにかかわる儀礼的規範と、婚姻、離婚、親子関係、相続、奴隷、裁判、戦争などにかかわる法的規範とに大きく分かれる。

[5] モスク(マスジド)masjid ムスリムの礼拝堂。モスクにはメッカの方向を示す壁龕(ミフラーブ)と祈りの呼びかけが行なわれる尖塔(ミナレット)と洗浄のための泉亭があるが、祭壇、聖画、聖像の類はいっさいない。預言者の一言行録には「神は大地すべてをモスクとなしたもうた」との言葉があり、礼拝そのものの価値は立派なモスクだろうと、一枚の絨毯の上だろうと同じである。その意味でキリスト教の教会や、仏教の寺院などとは異なる。

[6] 礼拝(サラート)ªal±t イスラームの五つのぎむ(五柱)のうち、信仰告白についで重要なもの。神への服従と感謝の念を表わす行為で、義務としての礼拝は夜明け、正午、午後、日没、夜半の一日五回。他に自発的礼拝を行なうことがよりよいとされる。金曜日にはモスクに集まってイマームの指導のもと昼の礼拝をささげる。

[7] アッラーAll±h イスラムにおける唯一絶対神の呼称。アラビア語で神を意味するイラーフに定冠詞アルが加わってアッラーフ(アッラー)になった。アッラーには神の性質を表わす呼称として「慈悲深きお方」とか「慈愛あまねきお方」といった九十九の名がある。日本ではしばしば「アラーの神」といった言い方がされるが、神は唯一であるイスラームでは、この言い方は同義反復であり誤りである。

[8] ブハーリーのハディース集(預言者の言行録)のイブン・アッバースの伝えるところによる

と、アッラーは「彼の宗教を変える者はそいつを殺せ」と言ったとある。

[9] セム系一神教 旧約聖書、創世記に出てくるノアの息子セムにつらなる一神教の意。ユダヤ教、キリスト教、イスラームを指す。セムには宗教的に意味がなく、具体的にはセムの子孫であるアブラハムにもたらされた教えにつらなる宗教を意味する。ユダヤ教もキリスト教もアブラハムの宗教に由来し、イスラームにいたってアブフハムの宗教が完成したとされている。

[10]新約聖書「マタイ伝」第一六章二二、二一二。「ペテロ、イエスを傍にひき戒め出でて言う『主よ、然あらざれ、此の毒なんじに起こらざるべし』イエス振り返りてペテロに言い給う『サタンよ、我が後ろに退け、汝はわがつまづきなり、汝は神のことを思わず、反って人のことを思う』(日本聖書協会釈)

[11] 天国 クルアーンでは一般に「楽園」と呼ばれる。最後の審判の後、ムスリムはアッラーフに許されてここに住むことを許される。そこには水の豊かに湧き出る泉があり、涼しい木蔭があり、美しい乙女がいて、酒や飲み物が豊富にあり、人は何ひとつ不自由ない生活を送ることができる。

[12]地獄 最後の審判後、イスラームを信仰せず不義をはたらいた者がその罰として送られる永劫の責め苦の場所。クルアーンに説かれる地獄は、ひたすら炎に焼きつくされるイメージである。

[13] イスラームヘの入信は、ふつう二人のムスリムを証人にした信仰告白によってなされる。証人を前に、「ラー・イラーハ・イッラッラー・ムハンマド・ラスール・アッラー」(アッラーの他に神はなく、ムハンマドは神の使徒である)と唱える。

[14] スーフィズムSufism  イスラーム神秘主義。スーフィーとはもともと「羊毛の粗布(スーフ)をまとった者」の意で、清貧のなかに生きる禁欲的なムスリムを意味したが、後に神秘家を指すようになる。スーフィーの修行や思想のありかたをスーフィズムという。スーフィズムは内面的に自己と神を隔てるいっさいを消し去ろうとする。具体的にはジクルなどの行によって自我意識を消滅させ、神の意志とひとつになることを究極の目的とする。

[15]新約聖書「マタイ伝」の次の章句と対応。「汝等いかに思うか、百匹の羊を持てる人あらんに、もしその一匹迷わば、九十九匹を山に遺しおき、往きて迷えるものを尋ねぬか。もしこれを見出さば、まことに汝らに告ぐ、迷わぬ九十九匹に勝りてこの一匹を喜ばん。かくのごとくこの小さき者の一人の亡ぶるは天にいます汝らの父の御心にあらず」(第一八章一二、一四)

 

[16] クルアーン(コーラン) イスラームの根本聖典。アラビア語で「読み唱えるもの」の意。ムハン々ドが最初の啓示を受けた六一〇年から六三二年にかけて神よりくだされた啓示をもとに、第三代カリフのウスマーンのもとでまとめられた。啓示にも編纂者の手がいっさい加えられず、神の言葉がそのまま集録されていると信じられている。

[17] カリフ(ハリーファ)Khalµa アラビア語ではもともと「継承者」「代理者」の意。通常は初期イスラームの最高権威者を指す。初代正統カリフはムハンマドの旧友であったアブー・バクル。シャリーアでは、カリフはイスラームの政治制度の中心をなすものとされ、知識、誠実、能力、感覚と肢体の健全、クライシュ族出身者の五つの条件を備えねばならない。しかし歴史的に見れば、アッバース朝がウマイヤ朝カリフの正統性に疑義をはさんだり、ファーテマ朝とイベリア半島の後期ウマイヤ朝がそれぞれカリフを称したりとカリフの権威は安定しなかった。

[18] イマームim±m ムスリムの集団の指導者を意味するアラビア語だが、いくつかの意味で使いわけられる。一般には集団礼拝の際の指導者であり、モスクにはそれぞれ専属のイマームがいる。シーア派では最高指導者を指す。その勘合、イマームはムハンマドの従弟アリーの子孫でなければならない。シーア派の十二イマーム派では、アリー以来、十二人のイマームが立ったが十二代目イマームは今「隠れ」の状態にあり、世の終末に「時の主」として再臨すると信じられている。

 

[19] ムハンマドMuhammad (五七二、六三二)イス一フームを説いた預言者。アダム、アブラハム、モーセ、イエスなどの預言者の系列において最後の預言者とされる。メッカのクライシュ族のハーシム家に生まれ、二十五歳のころ富裕な未亡人ハディージャと結婚。商人として安定した暮らしを送っていたが四十歳のころ、「誦め」と命ずる最初の啓示を受ける。以後、死ぬまでの二十数年にわたり啓示は断続的につづいた。六二二年には七十余名の信徒とともにメッカからメディナに移住。これが教団国家建設の契機となり、この年を紀元とするヒジュラ暦が成立する。ムハンマドにくだされた啓示はその後クルアーンとして集成され、彼自身の言葉(スンナ)も神の意志を知る手がかりとされ今日に至るまで尊重されている。

[20]18を参照。

[21] タキーヤ 元来はア一フビア語で「恐れ」「警戒」の意。転じて「危険の恐れに際して意図的に信仰を隠すこと」を表わす。シーア諸派によって発展をみた概念で、信者の生命財産に危険の及ぶ場合にかぎり言葉と行為による信仰の表現を隠してもよいとする。少数派として弾圧を経験してきたシーア派特有の自己防衛手段だが、スンナ派にもタキーヤを認める見解もある。

[22] ミナレット ムスリムに礼拝の時間を告げ知らせるためのモスクの塔。アラビア語ではマナーラという。

[23] ケマル・アタチュルクMustafa Kemal At-atŸrk (一八八一、一九三八)第一次世界大戦後のトルコ解放運動の指導者。オスマン朝スルタン政府に反乱を起こし、一九二二年スルタン制を廃止、一九二四年にはカリフ制を廃止し、近代国家トルコ共和国の基礎を築いた。トルコ建国の父として現代もなお国内では絶大な権威を誇っているが、礼拝の呼びかけのトルコ語化など反イスラーム的な近代化は揺れ戻しを被り、現在は廃止されている。

[24] ムスリム同胞団 一九二八年にエジプトでハサン・アル・バンナーによって創設された原理主義的立場をとる組織。ファルーク王制下の腐敗政治に対して、クルアーンとハディースに立ち帰ることを主張。第二次大戦末までに約一〇〇万人の支持者をもつ一大勢力

となり、五二年のエジプト革命の原動力となった。ムスリム同胞団はサダト、ムバラク政権下では非合法組織とされているが、七〇年代以降、同胞団系の原理主義グループがいくつか現われている。

[25] ディーワーン イスラーム帝国の行政機関、二代目カリフ、ウマルのときに教団の有力者や戦士たちに俸給を支払うための登録簿にこの名がついたが、のちにそうした業務を扱う役所を意味するようになる。ウマイヤ朝、アッバース朝下では官僚機構の複雑化に伴い、

ディーワーンの数も増えていった。

[26]開扉(メッカ啓示、全七節)慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において①讃えあれ、アッラー万世の主、②慈悲ふかく慈愛あまねき御神、③審きの日の主宰者。④汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。⑤願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え。

⑥汝の御怒りを蒙る人々や、踏み迷う人々の道ではなく、⑦汝の嘉し給う人々の道を歩まじめ給え。(『コーラノ』井筒俊彦訳・岩波文庫より)本号扉に、大川周明記の「開扉の章」が掲載されている」