中田考、「 アラブ修辞学 一「表現論」を中心に一」、日本サウディアラビア協会、『日本サウディアラビア協会報、No. 133, 1987年、pp.1-8

 

Arabic Rhetoric (Øi1m al-bal±gha)                                                                                 アラブ修辞学

focusing on the science of expression (Øilm al-bay±n)                      一「表現論」を中心に一

By Hasan Koh Nakata                                                                                                                  中田考

 

Arabic rhetoric consists of three sciences, science of meaning (Øilm al-maØn±), science of expression(Øilmal bay±n), and science of figure (ØiIm a1-badµØ) .

Science of expression dea1s with three subjects, comparison (tashbµh), trope(maj±z), and meta1eps-is (kin±ya).

Comparison has four pi11ars, the compared (mushabbah), the comparing (mushabbah bi-hi), simil-arity and the word of comparison.

Trope is subdivided into linguistic (lughawµ) trope and reasonab1e (Øaqlµ) trope. The linguistic tropeof which the re1ation between the 1itera1 meaning and the figurative meaning is similarity is ca11edmetaphor (istiرra) and the rest is ca11ed indefinite trope (maj±z mursa1) .

Reasonab1e trope is the one in which the relation between the subject and the verb is figurative.

In case of metalepsis, the 1iteral meaning is true, while the rea1 intention of the speaker is otherwi -se.

 

1.

「近年、レトリックに対する関心が急速に高まっている。言語学をはじめ、哲学、心理学、文化人類学などの広い分野から積極的な、そしてたいていは肯定的な発言が数多く聞かれるようになった。(1)」欧米に於けるレトリックの蘇生現象を反映し、日本でも近年にレトリックに関する書物が相次いで刊行されつつある。しかし残念ながら、レトリックの普遍性が指摘されているにも拘らず(2)、これまでの研究の大半はヨーロッパの古典修辞学を素材にした、現代の欧米の研究に基づく議論であり、異文化圏の伝統に対し目配りが十分いきとどいているとは言い難い。ところがアラブ修辞学 (Øi1m al-ba1agha)もまた、各言語間の文法の相違を越えた「レトリックの普遍科学」たることを日指していたのである(3)

そこで本稿では、独白の発展を遂げ極めて精緻な体系を築きながら、従来日本では殆ど知られることのなかったアラブ修辞学の、その「表現論」を中心とした紹介を試みる。

2.アラブ修辞学の歴史

ジャーヒリーヤ時代のアラブは詩に浸け、詩人はジン(幽精)に懸かれた者として権威を持ち、詩の言葉には超自然的力が宿るものとみなされていた。こうした文化環境に、唯一神アッラーの言葉、即ちクルアーンは啓示された。そしてしてその際クルアーンが神からのものである徴は、人間(あるいはジン)の手になるいかなる詩の追従をも許さないクルアーンの比類ない美しさそのものであり、それこそ奇跡に他ならないとされたのである。

イスラームの布教のためアラビア半島から世界各地へ遠征したアラブ・ムスリム連は、都市に定着したが、そこで彼等の説教師、詩人達は、クルアーンという完壁な模範を前にして、ジャーヒリーヤの詩に萌芽の見られた修辞の技を発展させることになったロイスラームの拡大に伴いマワーリーと呼ばれる改宗者たちが新たにイスラーム文化の担い手に加わったが、彼等によってペルシャ、ギリシャ、ローマ、インドなどの文明が伝えられることになり、マワーリーの支持を受けたアッバース朝(750-1258) がアラブ主義的ウマイヤ朝(661-750)に取って代った。アッバース朝時代になるとササン朝ペルシャを模した官僚国家が成立したが、当初その書記階層を務めたマワーリー連は彼等の洗練された文学的伝統を背景にアラビア語の散文を発展させた(4)。またクルァーンの正しい解釈のためにアラビア語学、文法学(5)の体系化が進み、詩人たちはジャーヒリーヤ時代の詩の研究から美辞法(badµØ)を発見した(6)3世紀に入るとアリストテレスの『詩学』、『弁論術』などがアラビア語に翻訳され(7)、修辞学研究にも哲学の方法が取り入れられるようになり(8)4世紀には評論家達の詩を題材に取った議論が修辞学の発展に貢献した(9)

またこの間神学者達も、先ずムウタズィラ派、続いてアシュアリー派の学者達がクルアーンの文体上の特質を明らかにすることから、その奇跡性を証明しようとする護教論を展開した(10)

こうしたさまざまな潮流を集大成し、古典的アラブ修辞学の基礎を置いたのがアブド==カーヒィル・アル=ジュルジャーニー(d.1078)である。彼はクルアーン、ハディース、詩の分析から『修辞学の秘義』(11)に於いて「意味論」、『クルアーンの奇跡の証明』(12)で「表現論」を確立した。アル=ジュルジャーニーの理論をクルアーン釈義に具体的に適用し『開示』(13)を著したのがアッ=ザマフシャリー(d. 538/ h)であり、この二人によってアラブ修辞学はその頂点に達することになる。

こうした修辞学の発展の歴史の中で思弁学派と文芸学派に大別される二つの潮流が生れた。思弁学派は哲学的、論理的方法を用い、定義、分類、包括的一般法則定立に意を用い、その担い手は主としてペルシャ人ら非アラブ・ムスリムであった。他方文芸学派は修辞学を理論化することにより、作品の正しい鑑賞を目指し、論理よりもむしろ洗練された芸術感覚を重んじたが、彼等の多くはイラク、エジプト、大シリアなどアラブ地域を活動領域とした(14)

アル=シュルジャー二一、アッ=ザマフシャリー以降の修辞学の展開に於いては思弁学派が優勢となり、テキストとの生きた接触を失い、両者の思想を精緻に仕上げた後は、それに新たに何も付け加えることなく徒に整理と注釈を繰り返すのみであり、次第に修辞学は生命を失い、無味乾燥な規則の集まりとなっていった(15)

3.アラブ修辞学の構成

ヨーロッパでレトリックが学問的活力を失い、ペタンデスクな規則の硬直した体系と化していったのと軌を一にし、アラブ修辞学も体系として完成を見た後、その創造性を失っていった。しかしヨーロッパで19世紀末にレトリックが教育制度の中で必修科目から外されていったのに対し、アラブ世界では現在でも修辞学(Øilm al-bay±n)は文法学と並び国語教育の中で確固たる地位を占めている(16)

またヨーロッパのレトリックが、

1.発想 2.配置 3.修辞 4.記憶 5.発表

5科目からなるのに対し、アラブ修辞学は、

1.意味論(Øi1m al-maØn±) 2.表現論(Øi1m a1-bay±n) 3.美辞論(Øilm a1-badµØ)

の三部門から成る(16)

意味論は、話し手と聞き手の間の関係に応じ、話者の意図を伝えるための言葉の用法の法則、表現論は同じ意味をいかに違った表現によって表すことが出来るかの法則、美辞論は、言葉が表意作用の外に美、快を与える諸相を研究する。

アラブ修辞学の意味論は、事態との一致を基準に真偽をいうことが出来るか否かにより、言葉を先ず、

1.叙述文(khabar) 2.非叙述文(insh±Ù)

に分け、更に後者を、

A.要求的非叙述文(»alabµ)

B.非要求的非叙述文(ghair »alabµ)

に分類する。要求的非叙述文に含まれるのは、命令、願望、質問、呼掛けなど発話の時点で、聞き手の反応の生起を求める類の文であり、非要求的非叙述文には、賞賛、非難、契約、誓い、驚嘆、希望など、聞き手の反応を求めない文が含まれる。

また主語(al-musnad i1ai-hi)と、述語(a1-musnad)の種類、省略、また文の限定(qa­r)、連続(wa­l)と中断(fa­l)、簡略表現(µj±z)、冗長表現(i»n±d)、適切表現(mus±w±)などの問題も意味論で扱われる。

また美辞論についていえば、最初に「美辞」について書を著したのはイブン・アル=ムウタッズであると言われるが、彼は18の美辞法を挙げたのみであったが、後には美辞を詩句(バイト)に織り込む方法が一般化し、1880年没のマフムード・サフワ・アッ=サーアーティーになると142の詩句を数えるに至った(17)

アラブ修辞学の美辞論の挙げる代表的美辞には、語呂合せ(jim±s)、押韻(sajØ)、聖典引用(iqtib±s)、対比(»ib±q, muq±bala)等がある。

以上アラブ修辞学の構成を素描したが、次章以下ではその「表現論」を紹介する。

4.比喩

アラブ修辞学表現諭は、1.比喩、2.転義、3.側写の3つの主題を、この順序で諭ずる(18)

比喩(tashbµh)とは、「のような(ka)」などの比喩導入詞によって、ある事物が他の事物と「特定の性質を共有すること」を示す表現をいう。

従って比喩は、

1.たとえられるもの(a1-mushabbah)

2.たとえとなるもの(al-mushabbah bi-hi)

3.比喩導入詞(ad±t at-tashbµh)

4.類似の相(wajh a1-shabah)

4つの基本要素とするが、そのうち「たとえられるもの」と「たとえとなるもの」を「比喩の双極(»arafai at-tashbµh)」と呼ぶ。

比喩の最も基本的な形は次の例文のように、

あなた勇敢さに於いてライオンようだ

「たとえられるもの」=「あなた」

「たとえとなるもの」=「ライオン」

「比喩導入詞」=「ようだ」

「類似の相」=「勇敢さ」の4基本要素が全て揃っている文となる。

ところが比喩表現には、

「あなたは輝きに於いて星である」

のように比喩導入詞が省かれたもの、あるいは、

「輝く太陽は彫金師の槌の打ち出す金貨の如し」

のように、類似の相が省略されたもの、また、

「顔は金貨、指は紅葉」

のように、比喩導入詞と類似の相が双方共に言及されて

いないものが存在する。そこでアラブ修辞学は、「比喩導入詞」と「類似の相」の言及の有無に応じて比喩を、

1.抑制された(mursa1)比喩=比喩導入詞が言及されているもの

2.強調された(mÙakkad)比喩=比喩導入詞が省略されたもの

3.説明された(mufa­­a1)比喩=類似の相が言及されたもの

4.曖昧な(mujmal)比喩=類似の相が省略されたもの

5.極端な(b±1igh)比喩=比倫導入詞と類似の相が共に省略されたもの

と呼ぶ。これらの内、「たとえられるもの」が「たとえとなるもの」そのものである、と言うことにより、比喩導入詞と類似の相の双方の省略された「極端な比喩」で比喩の効果は最大となる。

また「たとえられるもの」と「たとえとなるもの」はそれぞれ、

「あなたの頬はバラのようだ」

のように、ともに五感によって知覚できるもの(Æissµ)であることもあれば、

「知は生命の如く、無知は死の如し」

のようにともに理性によって把握されるもの(Øaqlµ)であることもあり、また、

「芳香は良き性格の如し」、「知識は光の如し」

のように一方が五感により知覚されるもの、他方が理性により把握されるものであることもある。

また「たとえられるもの」と「たとえとなるもの」の類似性が個物と個物でなく、

「人間とは満ちまた欠ける月のようなもの」

という文で、人間の成長、老衰、死を月の満ち欠けにたとえているように、複数のものの織りなす様態(­ura)間にあるとき、これを特に関係的比喩(tashbµh at-tamthµl)と呼ぶ。

また「・・・は・・・のようである」、「・・・は・・・の如く・・・する」といったありきたりの比楡に飽き足らない詩人たちは、形式的にはそれと分らない形で比喩を表現しようと努めてきた。

「気前良き御仁の財乏しきを嘆くなかれ 

高嶺に水は合わぬもの」

この詩は形式的には二つの独立した文章からなっているが実際には、気前の良い気高い人物の手元に金が残らないことを、高い山頂には水が溜まらず、麓へ流れ落ちてしまうことにたとえているのである。このように「たとえるもの」と、「たとえとなるもの」が文に於ける通常の位置関係になく、別々の文章に現れるものを特に「暗示的(½immi)比喩」と呼ぶ。

また比喩に於いては「たとえとなるもの」の方が「たとえられるもの」より共有する性質に於いて勝っているのが通常である。ところが、

「夜は明けん 

暁光、賛辞を受けるカリフ様の御顔の如し」

のように、カリフの笑顔の明るさと暁光にたとえる通常の方法を逆転することにより、「たとえられるもの」に於いて「たとえとなるもの」より性質が勝るという誇張表現が可能となり、聴き手の意外感を与え詩的効果を与えることが出来る。このように通常「たとえられるもの」とされているものを、その性質を誇張して「たとえとなるもの」の比喩に用いることを「逆転された比喩(a1-tashbµh al-maqb¹l)」と呼ぶ。

殊更に比喩表現が用いられるのにはいくつかの理由があるがその主なものを挙げると、1.たとえられるものの可能性の証明。即ち一見不可能に見える事態を、類似の例によって説明するもので、

「王は困窮者には、身近であるが、 

気前の良さでは誰も遠く及ばない

満月が高さの極みにありながら、

その光によって夜の旅人に最も近い存在であるように」

のような詩では、王に「近さ」と「速さ」という相反する性質があるのを満月を比喩にとって説明しているのである。

2.「たとえられるもの」の性質が知られていない場合、比喩によってその性質を明らかにすることが出来る。

3.「たとえられるもの」の性質が知られているとしても、漠然としか知られていない場合、比喩によってその程度を示すこともある。

4.信じ行うべき義務について、比喩によって確信の度を強めることも出来る。

「アッラー以外のものに祈りを捧げる輩は、決して聞き届けられることはない。

それは指を開いた手で水をロへ運ぼうとする者のようなもので、決して届かない。」

というクルアーンの章句などはこれを目的としている。

5.また賞賛、あるいは非難。

「彼等は草木、汝は慈雨をもたらす雲」、「お前が口を開くのを見ると、地獄が口を開いたかと見紛うばかり」

といった比喩を駆使した賞賛詩、あるいは非難詩はアラブ詩の大きなジャンルの一つだったのである。

比喩において、あるものの表現が、別のものにずらされる(intaqala)のであるが、そのずれが大きく、思いがけないものであり、イマジネーションが豊かなものである程、読者に与える感動、効果も大きくなる。従って誰某の身長は、誰某と等しい、あるいは地球の形はボールに似ているといったたとえに於いては、類似性が白明でありイマジネーションの余地が無いため、修辞学も必要とされない。こうした類比は自然科学に相応しいものなのである。

5.転義

アラブ修辞学表現論の第2の主題は転義(maj±z)である。転義は、先ず語義的(1ughawµ)転義と理性的(Øaqlµ)に、更に語義的転義は隠喩(al-istiرra)と無限定転義(a1-maj±z al-mursal)に大別される。

1.語義的転義

a.隠喩 b.無限定転義

2.理性的転義

A.語義的転義、隠喩

「我が身より愛しい人の、

その陰が私を太陽から隠す

その陰が私を覆う、

太陽が私をその陰で隠すとは」

この詩の中で「太陽」の語は二つの意味で用いられている。一つにはそれは、朝東から昇り、夕方西に沈む太陽の本来の意味で使われ、他方では、まばゆいばかりの美しい顔をした人間を指しており、その輝きが太陽にたとえられているのである。

このように語が設定された(wu½iØa la-hu)意味に用いることを木義(Æaqµqa)と呼び、違ったその場限りの意味で用いることを転義と呼ぶ。また「太陽が私をその陰で隠すとは」という句に於いて、ここで言う「太陽」が本義でないことを我々は直感する。なぜならば本当の太陽は人を照らすのみで、影を投げ掛けたりはしないからである。つまりここでは「太陽が私をその陰で隠すとは」と言う句が、「太陽」が本義を意味する可能性を排除しているのである。

このように、語の言わんとするところのものが新奇なその場限りの(رrid)意味であることを示す句を文脈(qarµna)と呼び、それが転義であることが、その言葉の意味さえ知っていれば誰にでも即座に理解されるものが語義的転義なのである。しかし転義が用いられるためには、本義との間に何等かの「連関(Øal±qa)」がなければならない。そしてその「連関」とはここでは類似性(mush±baha)である。つまり美しい顔と太陽との、その「輝き」に於ける類似がこの転義を成り立たしめているのである。

従って語義的転義とは、

「なんらかの連関によって、その語が設定された(wu½iØa la-hu)(意味)と違った意味に用いられ語(lafÃ)であり、それが本義を表意しないことを文脈が示していることを、その語の意味についての知識だけから知りうるもの」

を言う。そしてその連関とは前記の例文では類似性である。このように語義的転義のうち、本義と転義の間の「連関」が類似性である場合、これを特に「隠喩(istiرra)」と呼び、それ以外の「連関」による場合を総称して「無限定(mursal)転義」と呼ぶ。

「人々を闇の中から光の中へと引き出すために、この啓典を下した」(クルアーン)

「私は頭が熟し刈り時なのを見た。そこで私が刈り手となったというわけだ」(アル=バッジャージュの言葉)

この二つの例文はいずれも隠楡を含むが、隠喩とは比喩の双極の一方が省略されているものということも出来る。前者の例では「闇」は「誤謬」、「光」は「真理」の比喩に外ならず、「たとえられるもの」が省略されているのである。このように「たとえられるもの」が省かれた隠喩を、特に直接的(ta­rµhµya)隠喩と呼ぶ。

後者では先ず、語り手は「人の頭」を「農作物」に見立ているのであり、この文章を補完するなら、

(人の頭は農作物のようであった)そして私はそれが熟し刈り時なのを見た。そこで私が刈り手となったというわけだ」

となるであろう。つまりここでは比喩の操作が一旦行われた後、その「たとえとなるもの」が省略されているのである。このように「たとえとなるもの」が省略された隠喩は特に間接的(maknµya)隠楡と呼ばれる。間接的隠楡に於いては省略された比喩の存在を関連語(law±-

zim)が示唆している(ramaza)

「貴方を愛します。おお時代の太陽、満月よ」

ここでは「たとえられるもの」は「貴方」であり、「たとえとなるもの」は「太陽」、及び「月」である。そして「あなた」、「太陽」、「月」はいずれも動詞から派生したのではない不変化名詞(al-ism al-j±mid)である。このように隠喩が不変化名詞間に成立っているとき、これを「一次的(a­lµ)隠喩」と呼ぶ。ところが、

「ムーサーの怒りが沈黙した時、彼は書板を取り上げた」

のような隠喩では、まず作者が「怒り」の終息の状態を、その「静けさ」という側面の共通性から「沈黙(suk¹t)」にたとえ、その後動名詞「沈黙」から動詞完了形「沈黙した(sakata)」を変形派生(ishtaqqa)させた、ということが出来る。このように動詞あるいは動詞派生形が隠喩として用いれられているときこれを二次的(tabaص)隠楡と呼ぶ。

二次的隠職は全て間接的隠喩として分析することが出来る。つまり前述の例文を例にとると、この隠喩を、作者が先ず「怒り」を人間にたとえたうえで、その「たとえとなるもの」を省略したものと考えれば「間接的隠喩」とみなしうるのである。

そしてその省略は「関連語」から推測されるのであるが、ここでは本来動物にのみ使われるべき言葉である「沈黙した」が「たとえとなるもの」の省略を教える「関連語」なのである。

「彼等は導きを値に迷誤を買いこんだ。彼等の商売にはなんの儲けもありはしない。」(クルアーン)

「御簾から姿を現した月を、遠い歓声が迎えた。」

「水が猛り狂った時、

我等は汝等を船に運び入れてやった。」

以上の例は全て隠喩であり、第一の例では、「買いこんだ」は「選んだ」という意味を表し、「迷誤」という単語が、「買いこんだ」が本義でないことを示す「文脈(qarµna)」となっており、第二の例では、「月」は「人」の比喩であり、「御簾」という単語が、それが本義でないことを示し、第三の例では「猛り狂った」は「増水した」の比喩であり、「水」という単語によって「猛り狂った」が本義として使われているのではないことが理解されるのである。

これらの例文を見ると、第一の例には「たとえとなるもの」即ち「買いこんだ」に呼応する表現「彼等の商売にはなんの儲けもありはしない、」があるが、第二の例では逆に「遠い歓声が迎えた」という、「人」つまり「たとえられるもの」に相応しい表現が並存している。また最後の列では「文脈」となっている「水」以外には「たとえられるもの」にも「たとえとなるもの」にも呼応する表現が存在しない。

隠喩表現を含む文章中に、隠喩を示唆する「文脈」以外に、比喩の双極に呼応する語があるか否かに着目した場合、「たとえとなるもの」に呼応する語が存在する隠喩は「選別的(murashshaÆ)隠喩」、「たとえられるもの」に呼応する語が存在する場合、「裸形(mujarrad)隠喩」、どちらも存在しない場合、「絶対(mu»laq)隠喩」と呼び区別される。

故郷に錦を飾った人を形容するのに

「剣は鞘に戻り、獅子はねぐらへと帰った」

と表現した時、彼が帰還した時、実際に剣が鞘に戻り、ライオンが巣に帰ったと主張されているわけではなく、それは比喩として言われているのである。しかしここでは剣自体、ライオン自体が人の隠喩となっているのではなく、この隠楡を成立せしめているのは事態の間の類似性に他ならない。つまり類似性は個物の間にではなく、仕事を仕上げて故郷に帰る商人の状態(Ʊl)と、戦場で敵と切り結ぶ機能を果たした後、鞘に収められる剣、狩りを終え巣へ戻るライオンの状態の間には相通ずるものがある。このようにものの織り成す事態の間の類似性に基づく隠喩を関係的(tamthµlµ)隠喩と呼ぶ。関係的隠喩においては比喩の双極の単位は語(lafÃ)ではなく句(tarkµb)である。

比喩に於いては「たとえられるもの」が「たとえとなるもの」それ自体であると主張する「極端な比喩でさえ、尚それが現実ではなく「比喩」に過ぎないことが常に意識されている。ところが隠喩は、まったく新しいイマジネェーションの世界を現出させることによって聞き手にそれが「比喩」であることを忘れさせる効果がある。隠喩の効果は「選別的隠喩」、「絶対的隠喩」、「裸形隠喩」の順に大きくなる。

B.無限定転義

既述のように転義は、本義と転義の間になんらかの連関(Øal±qa)があるからこそ可能となる。そしてアラブ修辞学は転義のうち、その連関が特に類似性に基づくものを隠喩と名付け、それ意外の転義を総称して「無限定転義」と呼んでいる。

アラブ修辞学が「無限定転義」に於ける本義と転義の間の連関としして数える関係性には次のようなものがある。

1.原因性(sababµya)

「私の上の彼の手は、豊かで行き届き数え切れない」(王を称える詩)

この文例では「手」は下賜品を授ける原因(sabab)であり、四肢の一部ではない。従ってここでの本義と転義の連関は「原因性連関」となる。

2.結果性(musabbabµya)

「我等は天から恵みを降らせた」

天から降るのは直接には雨であり、「恵み」は降雨の結果(musabbab)としての農作物を指す。この種の連関は「結果性連関」と呼ばれる。

3.部分性(juzÙµya)

「我等がいかに多くの軍団、目を派遣したことか」

ここでいう「目」とは文字通りの眼球ではなくスパイの意である。ここでは「目」という一部分(juzÙ)をもってスパイの全体を表現しているのである。このような連関は「部分性連関」と呼ばれる。

4.全体性(ku1lµya)

「彼等は指を耳に突っ込んだ」

この例文では逆に、「指」の全体を耳に入れることは不可能であり、従ってここでは全体をもって部分を意味しているから、この連関は「全体性」である。

5.無限定(i»l±q)

「奴隷女の解放」(クルァーン)

ここでクルアーンの言う「奴隷女」とは「イスラームを信仰する奴隷女」の意味である。このような転義に於ける連関は「無限定」である。

6.限定(taqyµd)

「ザイドのたてがみのいかに豊かなことか」

ここでは本来動物に限定される「たてがみ」が人間に用いられている。従ってこの転義に於ける連関は「限定」である。

7.普遍(Øum¹m)

「彼等は人を妬むのか」(クルアーン)

ここでクルアーンの言う「人」とは「預言者ムハンマド」を指す。このような連関を「普遍」と呼ぶ。

8.特殊(khu­¹­)

「おお、クライシュよ」

ここでは逆に、特定の個人を彼の属する部族名で呼んでいる。この種の転義に於ける連関を「特殊」と呼ぶ。

9.随伴性(l±zimµya)

「光が昇る」

この例では、「光」の語によって、光の放射を必ず随伴する「太陽」を表している。このように、あるもので、それを必然的に伴うものを表す場合の連関は「随伴性」である。

10.附随性(malz¹mµya)

「太陽がその地を満たした」

ここでは逆に「太陽」は、それに附随する「光」の転義となっている。このような連関は「附随性」と呼ばれる。

11.過去指示性(iØrib±r m± k±na)

「孤児に彼等の持分を与えよ一

アラビア語では「孤児(yatµm)」とは父親と死別した幼児の意である。クルアーンのこの句は「幼児」に金を与えよ、と命じているのではなく、「孤児」が成人した暁に、保管していた彼の財産を返却せよといっているのである。従ってこの句の転義は「成人」を「孤児」と呼んでいるところにあるのであり、これは「過去示唆性」連関に基づく

転義となる。

12.末来指示性(iØtib±r m± yak¹mu)

「彼等が生み落とすのは邪悪な不信仰の輩だけ」

この例では逆に、実際に生れるのは無垢な赤ちゃんなの

であり、彼等ガ「邪悪な不信仰の輩」となるのは大人になった後のことである。従ってこの転義は「未来示唆性」連関に基づくものと言える。

13.位置性(mak±nµya)

「彼のクラブを呼べ」

ここでは本来「クラブ」とは人々の集まる「場所」であるのを、そこに集まる人々の意味に用いている。この種の転義は「位置性」の連関に基づいていると呼ばれる。

14.居住者性(Ʊllµya)

「信仰篤き人々は安楽のなかに住む」

本義的には、信仰篤き人々が住むのは、ある一定の場所でなくてはならない。ここではその「居住者」が、その場所自体の意に転義されているのである。ここでの連関は従って「居住者性」なのである。

15.代償性(mubdilµya)

「私はザイドの血を受けとった」

ここでは「血」とは、「血の代償金」を意味している。このような連関を「代償性」と呼ぶ。

16.道具性(±lµya)

「我に真実の舌を与え給え」

この例文では「舌」とは「雄弁」を指し、「舌」は「雄弁」の道具に過ぎない。このような連関を「道具性」と呼ぶ。

17.隣接性(muj±wara)

「私は壁と柱と話した」

ここでは「壁」と「柱」は、「壁にもたれて座っている人」、「柱にもたれて座っている人」を指す。ここでの連関は「隣接」である。

C.理性的転義

語義的転義が、「語」の設定された意味についての知識だけから自ずからその転義が知られるものであるのに対して、転義が「語」と「語」の間ではなく、「行為」の「行為主体」への「帰属」に於けるような転義を「理性的(Ùaqlµ)転義」という。動作の帰属は理性によって把握されるからである。

行為の帰属に於ける転義には以下のような種類がある。

1.「アムル・ドン・アースはフスタートの町を建設した」

フスタートの町を建設したのは実際には労務者達であり、アムル・ビン・アースはその建設の原因(sabab)に過ぎない。

2.「修業者の昼は断食者、その夜は礼拝者」

言うまでもなく「断食」をしているのは「昼」ではなく「修業者」であり、「礼拝」をするのも「夜」ではなく「修業者」なのである、

3.「カイロの街路はごった返している」

「ごった返す」のは「道」ではなく群衆である。

4.「汝の栄光いや栄え、汝の労苦労多し」

動詞「栄える(jadda)」、及び「労多し(kadda)」の主語が本来の行為主体「汝」でなくその動名詞「栄光(jidda)」、「労苦(kidda)」となっている。

5.「その日アッラーの命令から守るものはない」(クルアーン)

能動分詞「守るもの」が受動分詞「守るられるもの」の代わりに用いられている。

6.「汝がクルアーンを読唱するなら、汝と来世を信じぬ者らの間に、覆われた御簾を置こう」(クルアーン)

ここでは逆に、「覆う」という現在分詞の代わりに「覆われる」という受動分詞が「御簾」を形容しているのである。

これらの例ではいずれも行為の行為主体への帰属(isn±d)が本義的でなく、転義的に用いられているのである。

6.側写

側写(kin±ya)とは、文字通りの意味はいずれも真実でありながら、なおかつ発話者の真意はそれに伴う別の事物にあるようなものであり、「語ったこと」によって、それに附随する「語らなかったこと」を示唆するものである。例えば「サイドは刀の吊り帯が長い」と言って、「ザイドの背の高さ」を表すような表現がこれに当たる。

側写はその対象によって、

1.性質(­ifa)に於ける側写

2.基体(mau­¹f)に於ける側写

3.帰属(nisba)に於ける側写に分類される。

例えば、「あの娘は耳飾りが長い」、と言いながら「耳飾りが長い」ということから帰結するその「すらりと伸びた女性の頸の美しさ」という「性質」の賞賛を意図する場合、これは「性質に於ける側写」であり、「直立の爪の広いものが私のところへ向かって来た」と言って、「人間」の到来を意味するなら、これは「基体に於ける側写」である、また詩人が王を称えて「栄光は汝の衣の内に、名誉は汝のマントの中に」と言う時、彼は「栄光」、「名誉」を王に帰属するものに帰しているのであり、このような側写を「帰属に於ける側写」と呼ぶ。

「側写」はまだその表意方法によって

1.婉曲(taØrµd) 2.連想(talwµÆ) 3.(ramz) 4.明示(µm±Ù, ish±ra)に分類される。

「婉曲」とは、「明言(ta­rµÆ)の対義語であり、言葉をコンテキストから理解される別の意味に用いることを言い、はた迷惑な人間に、「最も良い人とは、他人に役に立つ人です」というような場合がこれにあたる。

「連想」とは、「直接言及されたもの」と、「実際に意図されたもの」の関係が遠く間接的なものであり、例えば、

「冬来たりなば、その庵に灰多し」

の詩句で、「灰の多さ」から、「火を頻繁に使うこと」、「来客の多さ」の連想を経て「気前の良さ」を言うようなことを言う。

「謎」とは「直接言及されたもの」と、「実際に意図されたもの」の関係が隠れているものであり、「誰某は項が広い」と言って、その人の「愚かさ」を暗示するような場合で、真意の理解のために熟考を要するものを言う。

「明示」とは、その指示が明らかなものであり、たとえば、

「栄光がタルハ家に足を止め、そこから動かぬのを見よ」

と言う時、それが「タルハ家の人々が高貴である」ことを意味しているのは明らかなのである。

側写はそれが、文字通りの意味をもつことから、繊細な感受性の持主にしか理解出来ないことから、修辞の技を競う絶好の場であった。

7.結語

以上我々はアラブ修辞学表現論の一応の完成を見た姿の概観を試みた。しかしアラブ修辞学が今日の姿を取るまでには多くの議論があったことは言う迄もない。特にアッラーの属性についてのクルアーン解釈に於ける論争は激しく、例えば「アッラーの御手」を「アッラーの恩寵」と転義的解釈を巡る議論の中から、全ての「転義」を根底から否定するイブン・タイミーヤ(d.1328)やイブン・アル=カイイム(d.1350)のような思想も生れたのである。

とはいえそうした論争、個々の学者の間の思想の異同を明らかにすることは本稿の目的ではなく、今後の研究を俟つことになる。

 

(1)瀬戸賢一、『レトリックの宇宙』、1986年、海鳴社、P.9.

(2)瀬戸賢一、『レトリックの宇宙』、P.19-20、佐藤信夫、『レトリック認識』、1984年、講談社、P.13-14参照。

(3)cf.Øabd al-q±hir a1-jurj±nµ(d.1078), asr±r al-bal±gha, D±r al-maØrifa, Beirut, 1982, P, 25-26.

(4)本章の記述は主として、Dr.shauq µ½aif, al-bal±gha tatauwur wa taÙrµkh, D±r al-maØarif,

 Cairo, 1983,によっている。

ジャーヒリーヤ時代からウマイヤ朝にかけてのアラブ文学の発展については

abu Øuthm±n al-j±hµÃ, (d.255/h.), al-bay±n wa al-tiby±n wa ahamm ar-ras±Ùil, D±r al-mashriq, Beirut, 1986.

(5)アラブ文法学の祖sµbawaihi (d.180/h) al-kit±b,に早くも、省略、倒置法など後のアラブ修辞学が「意味論」に於いて扱う問題、類比、直喩、隠喩、暗示など「表現論」の問題、賛辞法など「美辞論」の問題に対する言及が見られる。Dr.Øabd a1-q±dir  Æusain, al-mukhta­ar

 fµ taÙrµkh a1-bal±gha, D±r ash-sh¹r¹q, Cairo, 1982 P. 58.アラブ語学者の著としてはal-mibr±d

 (d.285/h), al-bal±gha, Maktaba ath-thaq±fa ad-dµnµya, Cairo,1985.

(6)最初に美辞法について論じた最初の書はibn al-muØtazz(d.296/h), al-badµ, Kurachqvski, Cairo.と言われる。他に文学者の手になる研究としてabu hi1±1 al-Øaskarµ(d.395/h), kit±b al-­an±Øataini, D±r a1-fikr  a1-Øarabµ, Cairo, 1971, ibn

rashµq(d.463/h), a1-Øumda, D±r a1-jµl, Cairo, 1981, ibn sµna al-khaf±jµ(d.466/h), sirr al-fa­±Æa, D±r     a1-kutub al-Øilmiya, Beirut, 1982,などがある。

(7)Dr.shauqµ ½aif, a1-ba1±gha ta»auwur wa taÙrµkh, D±r a1-maØarif, Cairo, 1983, P. 370.

(8)1例としてqud±ma bin jaØfar(d.337/h), naqd ash-shaØr, Maktaba al-ku11µya al-azharµya, Cairo,

1980.

(9)ムタナッビーの詩をめぐって、al-±midi(d.371/h), al-muw±zana baina abi tam±m wa al-buht-

urµya, D±r al-maØrif, Cairo, 1965, al-q±dµa1-jurj±nµ(d.366/h), a1-was±»a baina a1-mutanabbµ wa khu- s¹mi-hi, D±r iÆyaÙ al-kutub al-Øarabµya, Cairo 1951.

(10)最初の著作はムウタズィラ派のar-rumm±i(d.386/h), an-nukat fµ iØj±z D±r a1-maØrif, Cairo,次いでアシュアリー派のa1-b±qqi1±ni(d.403/h), iØj±z a1-qurÙ±n, D±r al-maرrif, Cairo,がある。またムウタズィラ派のal-qa½ µØabd al-jabb±r(d.415/h) にも同名の書 rØj±z al-qurÙ±n, D±r al-maرrifがある。

(11) Øabd al-q±hir al-jurj±nµ, asr±r a1-ba1±gha .

(12)Øabd al-q±hir al-jurj±nµ, dal±Ùil a1-iØj±z, D±r a1-maØrifa, Beirut, 1982.

(13)al-kashsh±f, Mu­tafa al-b±bµ a1-Æa1abµ, Cairo, 1966, 彼自身はムウタズィラ派に属したがそのクルアーン注解はスンニー派にも参照されている。彼には他にas±s a1-ba1±gha, D±r at-

tanwaµr Øarabµ, Beirut, 1965, がある。

(14)Dr. Øabd al-q±dir Æusain, a1-mukhta­ar fµ aÙrikh al-bal±gha, P. 12-15.

(15)アル=シュルジャーニー、アッ=ザマフシャリーの思想をまとめあげたのはas-sakk±ki

(d.626(?)/h), al-mift±h, Dar al-kutub al-Øilmµya, Beirut, 1983, の第三部であり、彼以後の修辞学の書物は彼の跡をなぞるものに過ぎない。a1-mift±h第三部の注解として最も著名なものはal-khatµb a1-qazwµnµ(d.739/h), shur¹h al-talkhµs, MatbaØa as-saرda, Cairo, 1343(A.H.)である。

(16)本稿で参照したas-sayid ahmad al-Ʊshµmµ, jaw±hir al-bal±gha, D±r a1-kutub al-Øilmµya, も元来大学の教科書、Øalµ al-j±rim, mu­»af± amµn al-bal±gha al-w±diha, D±r al-maرrif, Cairo,1984, は高校の参考書として編まれたものである。

(17)Dr. shauq µ½aif, al-bal±gha ta»auwur wa taÙrµkh, p.358- 367.

(18)尚、本章以下の記述にあたっては、既出のjaw±hir al-ba1±gha, al-bal±gha al-w±½iÆa, の他にmuØujam al-mu­»alah±t al-Øarabµya fµ al-lugha wa a1-±d±b, Maktaba 1ubn±n, Beimt, 1984,'参照した。