中田考、「宣教国家サウジアラビアのイスラーム対外支援」、中東調査会、『中東研究(月刊)』、1994年10月号、第395号。

 

宣教国家サウジアラビアのイスラーム対外支援

中田考

 

序.

 

サウジアラビアを一言で言い表すとすると、いくつかの呼称が思い浮かぶ。

「立憲君主国」、「産油国」、「官僚国家」、「高福祉国家」、「祭政一致の宗教国家」、「砂漠の国」…。いずれもサウジアラビアの一つの側面を言い当てている。しかしサウジアラビアには今一つの顔がある。それは「宣教国家」としてのサウジアラビアである。

イスラーム生誕の地マッカ、マディーナ両聖都の存在という地理的事情が、イスラーム世界におけるサウジアラビアの権威の源泉となっていることは事実である[1]。しかしサウジアラビアが現在のイスラーム世界で占める指導的地位は、単にその両聖都の領有という地理的要因に還元できるものではない。

サウジアラビアをしてイスラーム世界の盟主たらしめているものは、宣教志向の極めて強い建国の原理ワッハーブ主義イスラームと[2]、潤沢な石油収入に裏打ちされた[3]有形無形のイスラーム対外支援に他ならない。

本稿の目的は、イスラーム対外支援に焦点を絞り、従来組織的な研究を欠いていたサウジアラビアの「宣教国家」としての側面に光を当てることにある。

これまでサウジアラビアの対外支援は主体を曖昧にしたままで論じられることが多かったが本稿は援助主体を国際機関、政府機関、民間に大分したうえで、1章でサウジアラビアの宣教国家としてのイデオロギーを要約し、2章でその海外イスラーム財政支援の規模と内訳を概観し、3章ではサウジアラビアの海外支援の媒体となる国際機関、4章では同じくサウジ政府機関、5章では同じく民間の援助の形態を整理し、終章でサウジによるイスラーム対外支援の「問題点」を指摘する構成を取る。

 

1.「宣教国家」サウジアラビア

 

本稿ではワッハーブ主義の教義の詳細には立ち入ることはしないが、宣教国家としてのサウジアラビアの行動を理解するために最低限必要なワッハーブ主義の基本的特徴だけは確認しておく必要がある。

現在のサウジアラビア王国は、ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブ(d.1798)の樹立した第1次ワッハーブ王国から数えると第3次ワッハーブ王国となる。そしてその連続性は、1992年のいわゆる統治3法発布に当たってのファハド国王の演説の以下の言葉の中に、現王国の統治の正統性の基礎としてイデオロギー的にも確認されている。

「現代史上、2世紀半以上前、イマーム・ムハンマド・フン・サウード公(im±m)とムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブ師(shaikh)の二人の公正な改革者(rajl±n ­±kiƱn mu­liƱn)が、イスラームに基づく盟約を結ぶことによって、第一次サウジアラビア王国はイスラームを基礎として成立した」[4]

ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブに対する「改革者」の呼称は、「ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブの解釈に基づくイスラーム、即ちワッハーブ主義イスラームこそ、イスラームの堕落、歪曲を糾す真のイスラームである」、とのサウジアラビアの宗教的立場を端的に表現している。この徹底した「真理性要求」こそ、ワッハーブ主義イスラームの特徴である。

「その(サウジアラビア王国の)宗教はイスラームである」[5]とのサウジアラビアの憲法に当たる統治基本法1条、また「この国家(サウジアラビア)は、政治、統治、宣教、社会結合において明確な原理に立脚している。その原理とはイスラームである」[6]とのファハド国王の演説に言う「イスラーム」とは、「ワッハーブ主義イスラーム」に他ならない。

サウジアラビアが、正しいイスラームが実践されている唯一のイスラーム国家であるとのワッハーブ主義の「真理性要求」は宗教界のみならず、以下の言葉に明言されている通りファハド国王自体にも共有されるサウジアラビアの「公的」見解である[7]

「この国と為政者の誇るべき事柄の中で最も重要な事は、この国がアッラーフのシャリーア(イスラーム法)が施行され、勧善懲悪が実践されている唯一の国であることである。そしてこれこそイスラームの信仰が依拠する基本原理なのである。」[8]

また統治基本法23条の「国家は、イスラームの信条を庇護し、そのシャリーア(イスラーム法)を施行し、善を勧め悪を諌め(勧善懲悪)、イスラームの宣教(daØwa il± All±h)の義務を果たす」[9]との文言も、ワッハーブ主義イスラームの宣教志向を如実に表わしている。

イスラームは本来的に政治と宗教の分離を認めない。そしてサウジアラビアは(a)イスラームの信条を保護するのみならず、積極的に宣教をも自らに義務として課し、また(b)イスラーム法を施行するにとどまらず、法の領域を越えた道徳・風紀の改革、即ち「勧善懲悪」をも国家目的として掲げる紛れもない宗教イデオロギー国家なのである。

サウジアラビアのイスラーム・アイデンティティーは、非ムスリムに対してのムスリム・アイデンティティーと、イスラーム内部でのワッハーブ主義アイデンティティーという二重構造を有する。

サウジアラビアはそのイスラーム・アイデンティティーに基づき世界のムスリムと連帯し非イスラーム世界の少数派ムスリム同胞、第三世界のムスリム国家の困窮する同胞を支援する。他方サウジアラビアはワッハーブ主義アイデンティティーに基づき、非ムスリムに対してワッハーブ主義イスラームを宣教すると同時に、非ワッハーブ主義ムスリムに対してもワッハーブ主義に基づく善導、異端的歪曲(ビドア)の矯正を目指している。サウジアラビアの対外イスラーム支援は、宣教国家としてのこの2重のアイデンティティーの枠組において理解されなければならないのである。

 

2.対外財政支援概観

 

サウジアラビアは、その海外イスラーム支援の実態を必ずしも組織的に公表しているわけではないが、新聞報道や研究書などに散見される数字を以下に纏めてみよう。

(1)0PECの下部機構である国際開発基金のレポートによると、1973-1989年にサウジアラビアは246億8300万ドル以上の海外財政援助を行っているが、これはGNPの14.38%に当たり、また額としては米国に次ぎ世界第2位であるという[10]

またサウジアラビアは1970-1984年の15年間にOIC加盟アラブ・イスラーム国家35ヵ国に770億ドル、1970-1988年には59の発展途上国に450億ドルを供与し、また15年間にイスラーム開発銀行(0IC下部機構)を通じてこれらの国々の279のプロジェクトにソフトターム・ローンの形で55億6200万ドルを貸与している[11]

1979年以来のパレスチナ難民への援助額は約10億ドルに達しているが、1987年のインティファーダ勃発以来増額されている[12]

また1988年度までで、サウジアラビアの奨学金を受けた学生は4809人、海外に派遣された宣教師、教師数は3884人にのぼっている[13]

(2)また近年行われたイスラーム諸国97ヵ国への29億リヤル(1ドル=3,74リヤル)の援助の使途の内訳は①イスラミックセンター(210)、②モスク(1259)、③イスラーム学校(1069)、④イスラミック・インスティチュート(200)、⑤大学(134)、⑥クリニック(48)、⑦病院(76)、⑧イスラーム協会(875)となっており[14]、1409年(イスラム暦)までに海外イスラミック・センターに与えられた援助は30億リヤルである[15]

サウジアラビアの海外の高等教育・研究機関への建設費等の財政支援としては、①ドイツのフランクフルト・アラビヤ語歴史研究所、②フランスのパリ・アラブ世界研究所、③アメリカのハーバード大学・イスラーム法学研究学科、④ジョン・ホプキンス大学中東研究センター、⑤ハーバード大学・アラブ・イスラーム研究センター、⑥ノースカロライナ州ショウ大学イスラーム研究センター、⑦コロラド大学エネルギー・経済開発研究センター、⑧ノースカロライナ州ショウ大学イスラーム研究センター、⑨マレーシアのクアラルンプール・国際イスラーム学研究所などへの援助があり、総額7000万リヤルを供与している[16]

サウジの援助によるイスラーム関係施設の1例として、ファハド国王による約2000万ドルの献金により設立され、1992年9月19日に落成した18,000㎡の規模を有するマドリード・イスラーム文化センターを取ると、同センターは①イスラーム・アラブ文化の普及、②アラブ・イスラーム系移民、スペイン人来訪者に対するイスラームの社会的、文化的サービスの提供、③文化、学問、社会分野に於けるスペインの公共諸機関との対話強化を目的とし創立され、①モスク、②予備校、小学校、中学校(生徒数300人)、③語学ラボ、④展示会場、⑤イスラーム遺産博物館、⑥図書室(図書3万点)、⑦会議室等の設備を有している[17]

(3)またサウジアラビアは以上のようなイスラーム普及に直接に関わる諸施設への財政支援に加えて、1993年4月25日現在でボスニア・ヘルツェゴビナに対して総額8000万ドル(食料、衣料の現物輸送を除く)の援助を与え[18]、また1992年のエジプトの地震に際してはファハド国王が政府に5000万リヤルの緊急支出を命じたほか、アブドッラー皇太子が2000万リヤル、国王の呼び掛けに応じた国民が1700万リヤルを寄附するなど、イスラーム諸国への緊急人道援助をも行っている[19]

 

3.対外支援一関連国際機関

 

(1)国際政府機関

サウジアラビアのイスラーム支援の媒体として最も重要な国際政府機関はOIC(イスラーム諸国会議機構)である。

OICは、ファイサル国王のイニシアチブの下に[20]、「イスラーム諸国」の連帯の強化を目指して1969年モロッコの第1回イスラーム諸国会議で創立が決議され、翌1970年ジェッダで開かれた第1回外相会議でジェッダに本部を置くことが決まった。

0ICは、1993年8月現在51の加盟国を有し、イスラーム連帯基金、イスラーム法アカデミーなどの9つの下部機関、イスラーム開発銀行など5つの専門機関、イスラーム商工会議所などの5つの関連機関、ナイジェリアとウガンダの2つのイスラーム大学を傘下に置くイスラーム世界最大の国際政府機関である。

サウジアラビアは、OICに対しジェッダに事務総局の本部を提供しているほか、4つの下部機関、3つの専門機関、3つの関連機関がサウジ国内に本部を置いている[21]。またOICは、加盟国からの拠出金によって運営されているが、サウジの拠出分は、1O%で加盟国中最大であり、サウジ人職員の比率も拠出分に応じて全体の10%となっている[22]。またサウジアラビアの0ICへの寄附金は、1国のみで他の加盟国全体の寄付総額の1O倍に達している[23]

 

(2)非政府国際機関

サウジアラビアの海外イスラーム支援媒体として重要な非政府国際機関としては、メッカに本部を置くラービタ(世界イスラーム連盟)とリヤドを本拠とするWAMY(世界イスラーム青年会議)がある。

(a)ラービダ

ラービタは、ファイサル国王のイニシアチブのもとに[24]イスラームの宣教、ムスリムの連帯を目的に、メッカを本部に1962年に設立され、世界モスク最高会議、世界イスラーム救援機関、導師・宣教師養成インスティテュート、イスラーム法アカデミーなどの付属機関[25]、1992年現在27の海外事務所を有する[26]世界最大のイスラーム団体である。

1992年度を例に取ると、ラービタの総支出は34,526,266リヤルであり、世界各国に計1069人の宣教師を派遣している[27]

サウジアラビア政府がラービタの下部組織「モスク最高会議基金」に年間1500万~2000万リヤルを寄附しているほか、ファハド国王も個人として300万リヤルを寄付しているなど[28]、ラービタは予算の9割以上をサウジ一国に依存している[29]

(b)WAMY

WAMYは正統イスラーム思想の正しい基礎付け、世界各地のムスリム青年組織の援助等を目的に高等教育省の監督下に1972年に創立された[30]。世界の450のムスリム青年団体が加入し[31]、リヤドに本部を置き、1993年7月現在7つの海外支部を有している[32]

主な活動としては(a)国内外でのイスラームに関する講演会、研究会、討論会、キャンプなどの組織、(b)世界のムスリム団体の相互交流のコーディネート、財政援助、(c)イスラーム関係出版物の出版、配布などがある[33]

1410/1年度には144の奨学金に44万9000リヤル、32のイスラーム団体に31万7000リヤル、71人の個人に18万7000リヤル、78人の学生に38万9000リヤル、5人の宣教師に5万リヤルの援助を提供している[34]

 

4.対外支援一政府機関

 

イスラーム海外援助に直接係わっているサウジの主要政府機関には、(1)宣教・善導・ワクフ・宗教問題省、(2)イマーム・ムハンマド・イスラーム大学、(3)サウジ海外公館、(4)教育省、(5)イスラーム宣教最高委員会事務総局などがある。

(1)宣教・善導・ワクフ・宗教問題省

同省は、イスラーム学研究・イフター・宣教・善導総局と、巡礼・ワクフ省を前身に、前者の宣教・善導局と後者のワクフ部門を発展的に統合して1993年に新設されたものである。

同総局の宣教局は(a)アフリカ宣教局、(b)アジア宣教局、(c)欧米宣教局の構成を有し、海外に事務所を置き、2,OOO名の専属・非専属の宣教師を抱えていたが[35]、改組後の宣教・善導・ワクフ・宗教問題省もアフリカ、ヨーロッパ、東アジア、米国に約5,O00名の宣教師を派遣している[36]

(2)イマーム・ムハンマド・イスラーム大学

サウジアラビアの海外宣教活動の最も重要かつ直接的な媒体は、「ナジュドのワッハーブ派原理主義の牙城」[37]とも呼ばれるイマーム・ムハンマド・イスラーム大学であろう。

イマーム・ムハンマド・イスラーム大学は本校にイスラーム諸国からの奨学生60国籍554名(アラブ45,66%、アジア34.84%、アフリカ16.43%、西欧3.07%)を受入れている[38]他、①ラアスルハイマ(アラブ首長国連邦)分校、②インドネシア分校、③モーリタニア分校、④ジブチ分校、⑤日本分校、⑥北米分校の6つの海外分校を有し[39]、海外分校で学ぶ学生総数は1990/1学年度で2218人を数える[40])。

海外分校の1例として1993年に完成したイマーム大学アメリカ分校イスラーム・アラブ学アカデミーを取り、その活動、組織を概観すると以下のようになる。

同校の目的は、(a)米社会へのイスラーム・アラブ文明の紹介、(b)サウジと米国の間の学術交流センターとしての機能、(C)イスラーム・アラブ語学の、大学・高等・社会人継続教育の充実、(d)希望者へのアラビア語教育、及び米社会の(ムスリム)移民へのアラビア語の普及、(e)米その他のイスラーム・アラブ語学に携わる諸機関との協力、(f)イスラーム・アラブ語学、イスラーム・アラブ文明の研究活動、(g)サウジアラビアその他の(アラブ・イスラーム諸国の)留学生の文化・社会センターとしての機能、などの多様な宗教・文化・教育活動にある。

また同校の組織は(a)イスラーム学科、(b)アラビア語学科、(c)社会人継続教育、社会奉仕科、(d)補助研究学科、(e)学術研究センター、(f)広報、出版センター、(g)翻訳センター、(h)イスラーム技術センター、(i)イスラーム文明・遺産センター、(j)コンピューター・センター、(k)図書館という構成で、学生数は331人であり、17人の教師、12人の職員、5人の用務員を擁している[41]

(3)サウジ海外公館

サウジアラビアの海外公館の多くには、(旧)イスラーム学研究・イフター・宣教・善導総局の宣教局の出張事務所が置かれているが、在米大使館のように、同総局事務所の他にイスラーム間題担当局を設けている公館もあり、同館はイマーム・ムハンマド大学と協力し、北米・南米でイスラーム学・アラビア語などの種々の研修コースを開講している[42]

(4)教育省

サウジの教育省内には、イスラーム普及(tauØiya isl±mµya)事務総局があり[43]、非イスラーム諸国での初等・中等教育レベルでのムスリム子女の教育のために海外に教師を派遣している[44]

またサウジアラビアの運営になる海外非イスラーム国のイスラーム学校としては、米国ワシントンのイスラーム・アカデミー、英国ロンドンのキング・ファハド・教育アカデミー、独国ボンのキング・ファハド・アカデミー(1995年開校予定)などがあり、普通教育に加えてアラビア語教育、イスラーム教育を行っている[45]

(5)イスラーム宣教最高委員会事務総局

またこれらの政府機関とは独立に、サウジアラビアの海外宣教政策の最高意思決定機関として、スルターン第2副首相を総裁とするイスラーム宣教最高委員会事務総局が存在する。同委員会には、サウジアラビアの高位の宗教学者がメンバーとして名を連ねている[46]

 

5.対外支援一民間

 

1章で既に述べた通り、ワッハーブ派は強い宣教志向を有し、サウジアラビアの海外支援は政府機関のみではなく、民間の様々なチャンネルを通じても行われている。

(1)公益法人

サウジアラビアには労働・社会問題省の管轄下に107の公益法人があるが、その中にはイスラームの宣教を主目的の一つに掲げるものがある[47]

(a)キング・ファイサル財団

キング・ファイサル財団は、故ファイサル国王を記念して8人の遺児により、サウジアラビア内外のムスリムの福祉と進歩のために教育、科学、慈善活動に対する資金提供を目的として、1976年に勅許を得て設立された。財団の基金はファイサル国王の遺児を初め、その他の王族等の寄附によって賄われたが、1981年現在同財団の資産は10億リヤル(2億7000万ドル)であったが、目標額はその倍の20億リヤル(5億4000万ドル)である[48]

①キング・ファイサル国際賞

同財団は1977年、(イ)イスラーム貢献、(ロ)イスラーム研究、(ハ)アラビア文学の3つの部門のキング・ファイサル国際賞を設け、1980年には(ニ)医学、(ロ)科学の2部門が加わった。受賞者には35万リヤル(93,333ドル)が与えられる[49]

②プロジェクト援助

同財団は、科学・医学研究、モスク、学校、大学建設等のプロジェクトに財政援助を行っているが、30%が国内の公益事業、30%が国際公益事業に、30%が科学・医学プロジェクトに、10%が癌研究に配分されている[50]。1993/4年度には、(ア)キング・ファイサル大学の学部校舎建設(チャド)、(a)慈善診療所・上水道整備(パキスタン)、(b)農地開墾(マリ)、(C)イスラーム連合大学教員学生寮・教室建設(インド)、(d)ファイサル学院校舎購入(デンマーク)、(e)コンピューター・技術研究所設立(インド)など16のプロジェクトの助成を決定している[51]

③また財団は各種イスラーム機関の推薦に基づきイスラーム世界の優秀な学生に奨学金を支給しており、1993/4年度には、欧米の大学院・大学での医学、理化学、工学の分野の研究のために13人の学生に対する奨学金の支給を決定している[52]

④キング・ファイサル・リサーチ・イスラーム研究センター

同センターは1983年にイスラームとイスラーム文明に奉仕する科学研究・文化活動の助成を目的にキング・ファイサル財団により設立された独立の研究機関である。

同センターの構成は、(イ)リサーチ・研究部、(ロ)伝統遺産・文化部、(ハ)情報センター、(ニ)技術サービス部、(ホ)人事・財務部となるが、(イ)リサーチ・研究部は、研究計画の立案、学術資料編集の他に、イスラーム学、イスラーム史、イスラーム文化等の出版、翻訳を担当し、(ロ)伝統遺産・文化部はイスラーム文化に関する展示、講演会などを組織しており、(ハ)情報センターは、中央図書館、写本図書館、視聴覚図書館、小児図書館の4つの図書館施設を管理している[53]

(b)イブラーヒーム(ブン・アブド・アル=アズィーズ・アル=バラーヒーム)慈善機関イブラーヒーム慈善機関は、1409年9月26日に勅許を得て設立され、31ヵ国に跨がる世界、アラブ、サウジ国内のどのレベルをとっても最大の慈善財団の一つであり、投資部門を持ち独立採算制を取

り、63%をサウジ国内、37%を海外で支出している。

同協会は海外では以下のような活動を打っている。

①独立国家共同体:(イ)モスクワ中央モスクを除き、70のモスクの建設を予定。うち20は既に着工しており、1992年度中に更に20の着工予定。(ロ)モスクワ及びクシュケントにアラビア語・イスラーム学研究センター建設予定。

②ミャンマー:(イ)3,000人収容のムスリム病院、(ロ)学校2軒、(ハ)モスク2軒を建設。

③ボスニア・ヘルツェゴビナ:食料5,O00トン、薬品30種を送付。

④ソマリア難民:(イ)食料3,000トン、テント3,000、パラソル7,OOO送付、(ロ)23の井戸を採掘、(ハ)医療センターを5軒(1日に1,000人の診察可)設立、(ニ)食料センター9軒(1目当り小児7,000人、大人4,OOO人分に食料支給可)設立、(ホ)難民収容所4軒(孤児1,O00人収容可)設立、(へ)孤児6100,000人に対する衣料品支給計画(うち1O,000人分は既に支給)、(ト)学生700人に奨学金、各種領域で博士課程学生にも奨学金支給。

⑤アフリカ:(イ)医療キャンプ8軒設置{16ヵ月に55,OOO件診察、手術4,000件(成功率97%)/、(ロ)12,OOO眼鏡供与。

⑥カラチ:眼科病院設立(36ベッド)。

⑦セネガル:眼科病院設立計画[54]

(c)アル=ハラマイン慈善機関

アル=ハラマイン慈善機関は対外活動のみの公益団体として1989年に設立された。

同機関はアジア、アフリカ、ヨーロッパに10以上の海外事務所、アブドッラー・アル:ジブリーン師を議長とし、サーリフ・アル=サドラーン師、サアド・アル=フマイド師からなるイスラーム法評議会を有し、異端的教義、迷信の撲滅、教義の矯正と人道援助を目的とするが、主要な活動としては、①ビルマ難民キャンプ建設(1000家族以上収容)、②小児教育指導(2万人以上)、③イスラーム関係書籍出版、配布、④宣教師給与支給(400人以上)、⑤障害者扶養(約2000名)⑥孤児、未亡人扶養、⑦カシミール、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ソマリヤ、タジキスターン等のムスリム支援などがある[55]

(d)カスィーム居留民教化センター

サウジアラビアには総人口16,929,294人の約27.3%にあたる4,624,459人の外国人が居留している[56]。この国内の非サウジ人への宣教を主目的とするカスィーム居留民教化センターの活動もまたサウジのイスラーム海外支援のヴァリエーションの一つと言うこともできよう。

同センターは①非ムスリムヘのイスラームの宣教、②新イスラーム入信者の教育、③ムスリムのイスラーム理解の誤りの矯正、④イスラームヘのイデオロギー攻撃への抵抗、⑤非ムスリムヘの宣教のためのムスリムの訓練、⑥右の目的達成のための資金調達、計画立案、⑦国

内外のイスラーム関連諸機関との協力、調整を目的に1987年ブレイダを本部に設立された[57]

1993年10月現在、同センターは専従職員45名、宣教師16人[58]、中央図書館及び移動図書館を有し、①クルアーン、クルアーン釈義、ハディース、法学、イスラーム文化、比較宗教学、アラビア語学、英語(宣教師養成用)の講義などの教育活動、②イスラーム書籍・パンフレット出版、配布などの活動を行っており、1411年7月(h)~1412年6月(h)の1年間に同センターでイスラームに入信した外国人の数は340人となる[59]

 

(2)募金機関

サウジアラビアではイスラーム諸国の特定の問題に関する民間の募金活動も、国家の監督下にあり、サルマーン・リヤド州知事が、この部門の責任者となっている[60]

(a)パレスチナ闘士支援民間委員会

サルマーン・リヤド州知事が主宰する同委員会の1388年-1410年(h)の23年間のパレスチナ闘争支援の募金送金総額は1,313,893,275リヤルに達している[61]

(b)アフガニスタン闘士支援募金総合機関

同機関は1400年、サルマーン・リヤド州知事を総裁に発足し、1403年にはペシャワールにサウジ救援委員会を設立し、1408年には募金活動実務事務所が設置され、その後サウジ国内主要都市に募金事務所が設置された。

同機関はペシャワール・サウジ救援委員会設立までの1400年一1403年に133,926,666リヤル、設立後の1403年-1409年には538,483,489リヤルの募金を集めている[62]

(c)ボスニア・ヘルツェゴビナ・ソマリア・ムスリム募金最高委員会

同委員会は1992年夏、ファハド国王の指示により、窮状にあるボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムヘの募金の管理のためにサルマーン・リヤド州知事を総裁に設立されたが、後にソマリヤ問題が深刻化するに至ってソマリヤ募金も同最高委員会が担当することになった。

同最高委員会は1993年9月15日現在までにボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムのために約5億リヤル、ソマリアのムスリムのために約6,500万リヤルにのぼる金銭・物資援助を行っている[63]

なお同最高委員会は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」のサラエボ、ズィンツァー、フィーナ、クロアチアのザグレブ、サブリート、ソマリアのモガデシュ、ケニアのナイロビに海外事務所を置いている[64]

 

(3)個人篤志家

サウジによる海外支援の担い手としては、個人篤志家が存在し、その役割は既述の政府機関、非政府機関と並んで無視できない。

個人篤志家の活動の実態の把握は困難であるが、サウジの国内紙も報じた例をあげれば、ウズベキスタンでサウジの実業家有志が建設資金100万ドルの提供を申し出て、クシュケントに建設用地2万㎡のイスラーム・センター設立の許可をウズベキスタン大統領から得たと、『アル;リヤド』紙が伝えている[65]

またサウジのビン・ラーデン財閥の一員ウサーマ・ブン・ラーデンは、アフガンのジハードを支援し、ペシャワールに「ジハードと救済」事務所を設立すると同時に、同地のイスラーム救援機関他、15の世界的保健機関を援助し、またエジプトなどアラブ諸国のイスラーム主義者のペシャワールの救援機関、及びアフガンのジハードヘの移送の経費を負担しているほか、「ムスリム同胞団」、エジプト・イスラーム武闘派諸集団、レバノンのイスラーム諸集団、パレスチナの「ハマース」などのイスラーム運動にも援助を与えていると言われており、またスーダンでも「北部銀行」設立に出資するなどの投資活動を通じてハサン・アル=トラービー率いるrイスラーム国民戦線」への支援を行っていると言われている[66]

サウジアラビアが対外イスラーム支援のために国家として海外に派兵した例はない。

しかし民間人に関しては、アフガニスタンのジハードでは、ウサーマ・ビン・ラーデンが私財を投じて資金援助を行ったのみならず自らも義勇兵として戦地に赴いているほか[67]、ウサーマ以外にもサウジアラビアからの青年義勇兵の参加が伝えられている。また現在では、ボスニア・ヘルツェゴビナでもムスリム軍と共に戦うサウジアラビアからの義勇兵の存在が確認されている[68]

 

結びに代えて

 

以上、我々は0ICやラービタなどの国際機関、イスラーム問題・宣教・善導・ワクフ省やイヤーム・ムハマド・イスラーム大学などの政府機関、キング・ファイサル財団などの民間団体など、サウジアラビアの対外イスラーム支援の担い手となる機関及び、その資金規模、援助活動

の内容などについて概観し、サウジアラビアが財政的に海外イスラーム支援に大きく貢献していることを明らかにすることができたと思う。

しかし1章で触れたように、サウジの対外イスラーム支援は、イスラーム・アイデンティティーからの同胞支援の側面と、ワッハーブ主義に基づくワッハーブ主義イスラームの宣教、つまりワッハーブ派以外の宗派への折伏の側面を合せ持つが故に、サウジの対外イスラーム支援に対しては、財政面でのその多大な貢献にも拘らずイスラーム世界内部ですら否定的な評価、反発が存在することもまた指摘されねばならない[69]

またサウジアラビアは世界にワッハーブ派の宣教師を派遣するのみならず、同派に近い立場を採る世界の学者たちをサウジアラビアに招聘している。彼等の中にはサウジアラビア国内の宗教関係の要職についている者も多いが[70]、中にはエジプトの「ムスリム同胞団」のイデオローグでナセルに処刑されたサイイド・クトゥブの実弟ムハンマド・クトゥブ(現ウンム・アル=クラー大学教授)や、1977年から数年間イマーム大学に籍をおいていたエジプトの「イスラーム集団」のイスラーム法学最高顧間ウマル・アブド・アル=ラフマーン[71]などのように本国でのイスラーム主義弾圧の迫害を逃れてサウジアラビアに移住した者もあり[72]、サウジアラビアによる彼等の「庇護」がイスラーム主義に敵対する諸国を苛立たせている場合もある[73]

研究者の中にも、サウジのエジプトのイスラーム主義者への援助がエジプト国内では公然の秘密であり、その目的は第2のナセルの出現の阻止にあるとし、「サウジアラビアの『国家原理主義』がエジプトの『反体制原理主義』を過激化させてきた」と論ずる南イリノイ大学政治学部のマームーン・ファンディー[74]のようにサウジアラビアとエジプトの反体制イスラーム主義運動の関連を指摘する者も存在する。

また国連サウジ大使館の一等書記官ムハンマド・アル=ヒレウィーはサウジ政府がパレスチナのイスラーム主義武闘派組織「ハマス」に資金と武器を提供していると告発しており[75]、サウジアラビア政府が直接的に世界のイスラーム主義武闘派組織を支援している可能性も否定できない。

サウジアラビアは官民をあげてイスラーム=ワッハーブ主義の宣教を志向する宣教国家であり、そしてサウジアラビアのワッハーブ主義イスラームは他の「イスラーム」諸国には存在しない高度の同質性・一体性を有する[76]、と筆者は考える。にもかかわらずワッハーブ主義者の間にも力点の相違、現実認識の食い違いによる宣教の方針の違いは当然存在する。またサウジ政府は往々にして国家の安全保障をワッハーブ主義の理論的要請に優先させがちであり[77]、またサウジ王家が現サウジ王制を危うくすると判断する限りにおいてワッハーブ主義の「過激化」に対して警戒の念を隠していないことも事実である[78]

それゆえ世界イスラーム主義運動の中でサウジアラビアの果たしている役割を正しく理解するためには、本稿で行ったような制度面の研究に加えて、ワッハーブ派の教義と歴史と国民各層に於けるその受容の現状のより詳細な研究、そして「イスラーム伝統主義」、「イスラーム

復興主義」の諸潮流の間でワッハーブ主義の占める位置を正確に明らかにする必要があるが、それについてはまだ稿を改めて論じたい。

(宝積比較宗教・文化研究所研究員)

 

付記:本稿は1994年度・宝積比較宗教文化研究所奨学金による研究助成プロジェクト「ワッハーブ派イスラーム研究」の一部を成すものである。



[1] 1988年の0IC(イスラーム諸国会議機構)外相会議で、国別に人口1,000人当り1人の巡礼の受入の取決めがなされている。Cf, al=Åay±,1994/4/17.

サウジアラビアは過去20年にわたり、毎年100万人近く(1993年度は992,813人)の外国からの巡礼を受入れている。Cf, Arab News(国際英語紙),1993/5/30.

[2] サウジアラビアには人口の10%とも言われるシーア派が存在するほか、ヒジャーズ地方を中心に、現在も非ワッハーブ主義のスンナ派伝統主義も残存しているが、本稿では少数派である非ワッハーブ諸宗派については論じない。

[3]因みに1993年度版『中東・北アフリカ年鑑』によるとサウジアラビアはGNPでは1051億3300万ドルでイラン(1273億6600万ドル)に次いで中東第2位、1人当りGNPでは7070ドルでUAE、クウェイト、カタルに次いで第4位となっている。

[4] Ø´id Masعd al=Juhanµ, al=Sh¹r± wa Fann al=Åukm fµ al=Mamlaka al=ØArabµya Saعdµya(『サウジアラビア王国の諮問評議会と統治術』), n. p.,n.d,pp. 423-424.

[5] Ø´id, op. cit,p.436.尚、サウジアラビア統治基本法全文の日本語仮釈は、『日本サウジアラビア協会報』、1992,No.158,pp.4-8を参照。

[6]  Ø´id, op. cit, p.424.

[7] ファハド国王とワッハーブ主義のパトロン関係については、Mordechai Abir,Sadi Arabia, New York.1993, pp.11O-111参照。

[8] al=Daawah(サウジ国内週刊誌),1413/6/30(h),p.13.

[9]  Ø´id, op. cit, p.442.またBakr ØUmar al=ØUmarµ, W±Æid Hamza H±shim, al=Siy±sa al=Kh±rifµya(『サウジアラビアの外交政策』)(Jedda,1990)も「サウジアラビア王国が高貴なイスラーム法を施行している唯一の国家である」と断言している。Ibid.,  p.178.またal=Saiyid AÆmad Åasanm AÆmad RaÆl±n, Dir±sa fµ al=SaØudiya(『サウジアラビア王国の内政研究』)(Jedda,1984)は「サウジアラビア王国の第一の使命は、イスラームの教えを地上の東西に広めること及びイスラームの教義と価値の守護である…この意味で(ファハド)国王はただサウジアラビア王国の地理的国境内のムスリムの守護者であるだけではなく、世界中のムスリムの守護者であり、…ムスリムのカリフである。」と、ファハド国王をムスリムのカリフとまで呼んでいる。Ibid.,  p.149。

[10] ØAbd al=MuÆsin bn SaØd al=D±w¹d, al=Mamlaka al=ØArabµya al=SaØudiya wa Humum al=Aqallµy±t al=Muslima fµ al=ذlam (『サウジ・アラビア王国と世界の少数派ムスリムヘの留意』),

Riyadh,1992, pp.265-266.また1994年5月16日付『アル=ヤウム紙』(サウジ国内紙)の報ずるところでは、ウサーマ・ファギーフ・イスラーム開発銀行総裁によると、イスラーム開発銀行は22ヵ国の200以上のプロジェクトに11億ドル以上の出資を行っているが、サウジ銀行による出資額が約10億ドルを占めている。

[11] Saudi Gazetteサウジ国内英字紙),1992/9/23.

[12] ØAbd al=MuÆsin, op. cit,pp.279-280.

[13] ØAbd al=Ja1µl Tashkdµ, al=Mamlaka al=ØArabµya al=Saعdµya wa DaØm al=Aqallµy±t al=Muslima fµ al=ذlam (『サウジ1アラビア王国と世界の少数派ムスリムの支援』),Jedda,

1992, p. 19.

[14]  ØAbd al=MuÆsin, op. cit,p.268.

[15] ØAbd al=Ja1µl op. cit,p.29.

[16]  ØAbd al=MuÆsin, op. cit,p.311.

尚、ハーバード大学ロースクールに関しては、イスラーム研究助成のためのイスラーム法研究ファハド記念講座設立に500万ドルを寄附。Arab News,1993/6/12.

[17] al=Jazeera(サウジ国内紙),1992/9/19.

またサウジの援助になるモスク、イスラミック・センター等イスラーム関連施設について、1992年11月22目付『リヤド紙』(サウジ国内語紙)に、アブド・アル=ワッハーブ・アブド・アル=ワースィウ巡礼相(当時)が明らかにしたところによると、サウジアラビアは世界各地のモスク、イスラミック・センター等イスラーム関連施設に対し、以下のような財政援助を与えている。

1.アジア・アラブ

(1)パキスタン1キング・ファハド・モスク;1億3000万リヤル、他50の小モスク(金額無記)

(2)モルディブ:キング・ファハド・イスラミック・センター;700万リヤル

(3)アラブ首長国連邦1モスク;300万リヤル

(4)日本:イスラミック・センター(金額無記)

(5)インドネシア:イスラミック・センター(金額無記)

(6)台湾:イスラーム文化センター、モスク2ヵ所等(金額無記)

2.アフリカ

(1)チャド:キング・ファイサル・モスク;6000万リヤル

(2)ギニア:キング・ファイサル・センタ』;5800万リヤル、同センター付属広報センター;1400万リヤル

(3)ガンビア:バンジュル・モスク;1125万リヤル

(4)カメルーン:カラウィー・モスク;1560万リヤル

(5)マリ:バマコ・モスク;2375万リヤル

(6)ボルキナファン:エグバワヌガーン・モスク;850万リヤル

(7)ガボン:ポルトジャンティル・モスク;4000万リヤル

(8)タンザニア:ザンジバル・モスク;lOOO万リヤル

(9)セネガル:テファーワーン・モスク;1200万リヤル

(1O)ナイジェリア:オニチャ・イスラミック・センター;1億リヤル(部分負担)

(11)アルジェリア:アブドルカーディルモスク;1026万リヤル(部分負担)

3.ヨーロッパ

(1)スイス:ジュネーブ・イスラミック・センター設立;1600万リヤル、土地買収・運営資金2838万4500リヤル

(2)ベルギー:ブリュッセル・イスラーム文化センター;1916万リヤル

(3)スペイン:マドリード・イスラーム(文化)センター13750万リヤル

(4)オーストリア:ウィーン・イスラーム文化センター;1262万5000リヤル(部分負担)

(5)イギリス:ロンドン・イスラーム文化センター;1445万リヤル(部分負担)

(6)クロアチア:ザグレブ・イスラミック・センター;140万リヤル(部分負担)

(7)ポルトガル:リスボン・イスラミック・センター:413万8000リヤル(部分負担)

(8)イタリア:ローマ・イスラミック・センター;2550万リヤル(部分負担)

4.北米(全て部分負担)

A.米国

(1)ワシントン:イスラミック・センター;219万6千リヤル

(2)ニューヨーク:イスラミック・センター;550万リヤル、ハドソン河畔イスラーム文化センター;100万リヤル、サウジ国内募金2440万6276リヤル

(3)カリフォルニア:ウマル・モスク;800万リヤル、フラゾノ・モスク;1OO万リヤル、ロスア

ンジェルス・イスラミック・センター;277万6千リヤル

(4)コロラド:ホルダー・イスラミック・センター;66万8千リヤル

(5)メリラーンド:バティーラー・イスラミック・センター;68万リヤル

(6)イリノイ:南西シカゴ・モスク;500万リヤル

(7)シカゴ:イスラーム文化センター;500万リヤル

(8)インディアナ:トレド・イスラミック・センター;1OO万リヤル

(9)アメリカ・ダール・アル=イスラーム機関;1OO万リヤル

(1O)ニュージャージー:ニューポートスィール・イスラミック・センター;66万リヤル

(11)ミシガン:イーストランシュ・イスラミック・センター;62万リヤル

(12)バージニア:バージニア・イスラミック・センター;112万5千リヤル

B.カナダ

(1)トロント・イスラミック・センター;35万リヤル、同付属学校;15万リヤル

(2)ケベック・イスラミック・センター;66万リヤル

(3)オタワ・モスク;33万リヤル

(4)カールジュリー・モスク;50万リヤル

5.南米

(1)ブラジル:ブラジリア・イスラミック・センター;700万リヤル(全額負担)、フォスドイ・

フォワン・イスラーム文化慈善センター;20万リヤル、カンビナス・イスラミック・センター;23

万6500リヤル、パラナゴヤ・モスク;33万4千リヤル、サンパウロ慈善協会モスク;33万6千リヤル、ラージユース協会モスク;33万4千リヤル、サントス・モスク;66万8千リヤル、(2)アルゼンチン:サントワマロ・モスク;25万2千リヤル、ブエノスアイレス・イスラミック・センター;450万リヤル、ムスリム墓地維持;40万リヤル、イスラーム大学付属学校・モスク;32万5千リヤル、マンドーサバ・モスク;33万5千リヤル

6、オセアニア(部分負担)

(1)オーストラリア:クイーンズランド州タウンズビル・イスラミック・センター;20万リヤル、

ビクトリア州イスラミック・センター;26万4千リヤル、イスラーム諸会議オーストラリア連

合;1125万リヤル

(2)ニュージーランド:80万リヤル

(3)フィジー1フィジー・イスラーム連盟;150万リヤル。al=Riyadh,1992/11/22.

右はサウジアラビアの国家としての援助であるが、ファハド国王個人のイスラーム関係機関への寄附としては、(1)1399(1979)年;米インディアナ州イスラミック・センター、モスク建設に29,686ドル、(2)1404(1984)年;オーストラリアのイスラーム活動のため100万ドル(うち20万ドルはシドニーとメルボルンのイスラーム学校に)、(3)1404(1984)年;ロスアンジェルス:モスク建設のため20万ドル、(4)1405年:ラービタ(世界イスラーム連盟)に7万5千ドル、5)1405(1984)年;モーリシャス、イスラーム協会に1万7千ドル、(6)1405(1984)年;北米イスラーム連盟に25万ドル、(7)1405(1985)年;オランダ・アムステルダム「勝利」モスクのために20万ドル、(8)1405

(1985)年;オーストラリア・イスラ』ム連盟に6万ドル、(9)1405(1985)年;パリ・イブリー・イスラミックセンターに25万リヤル、イブリー・イスラーム文化協会に約50万フラン、(10)1405

(1985)年;米ビクトリア州イスラーム協会に3万ドル、(11)1405(1985)年;シンガポール「マンダーキー」協会に50万リヤル、(12)1405年;ワシントン・アメリカ大学特別講座に100万ドル、(13)

1405(1985)年;英東ロンドンイスラミックセンター建設のため100万ポンド、(14)1406(1986)年;オストン協会に55万ドル、(15)1407(1986)年;米「難民の家」に30万ドル、(16)1410年;マドリード・イスラミックセンター建設に1600万ドル、(17)ビルマ・イスラミック・センターに150万ドル、(18)世界のイスラーム機関への援助700万ドル(以上ØAbd al=Ja1µl op.cit,pp.

30-33.)、(19)英国;モスク建設補助に8000万リヤル、(20)米国;テキサス州イスラーム協会付属モスクに200万リヤル(a1=Riyadah,1992/l1/12)、(21)エジプト;アズハル・モスク修復に1000万ドル{al=Yaum(サウジ国内語紙),1992/9/1}、(22)チュニジア;アブドルアズィーズ・モスク建設費200万リヤル(al=Riyadh,1994/2/28)などが知られている。またエルサレムのアクサー・モスク及び岩のドームの修復に関しては、修復を担当しているUNESC0に1,180万ドルの資金援助を行っている。(al=Riyadh,1994/4/20)

[18] Riyadh Daily(サウジ国内英字紙),1993/4/25.

[19] al=Jazeera.1992/6/16.

[20] cf,Bakr ØUmar al=ØUmarµ, E±Æid Hamza H±shim, al=Siy±sa al=Kh±rijµya(『サウジアラビアの外交政策』),Jedda,1990,p.180.

[21] A.下部機関は、

1.イスラーム法アカデミー(ジェッダ)、2.貿易振興イスラームセンター(モロッコ;カサブランカ)、3.職業技術訓練研究イスラームセンター(バングラデシュ1ダッカ)、4.イスラーム歴史・芸術・文化研究センター(トルコ;イスタンブール)、5.イスラーム諸国統計・経済・社会研究訓練センター(トルコ;アンカラ)、6.イスラーム遺産保護国際コミッション(トルコ;イスタンブール)、7.イスラーム協力基金・ワクフ(ジェッダ)、8.エルサレム基金・ワクフ(ジェッダ)、9.科学技術開発イスラーム基金(ジェッダ)

B.専門機関は、

1.イスラーム国際ニュース・エージェンスィー(ジェッダ)、2.イスラーム開発銀行(ジェッダ)、3.国際赤十字イスラーム委員会(リビヤ;ベンガジ)、4.イスラーム教育一科学・文化機関(モロッコ;ラバト)、5.イスラーム諸国ブロードキャスティング機関(ジェッダ)

C.関連機関は、

1.イスラーム船主協会(ジェッダ)、2.イスラーム商工会議所(パキスタン;カラチ)、3.イスラーム連帯スポーツ連合(リヤド)、4.イスラーム諸国首都機関(マッカ)、5.国際アラブ・イスラーム学校連合(リヤド)である。

0rganization of the Islamic Conference, Handbook of the Organization of the Islamic Congerence,n.p,1990.(但し、加盟国リストは1993年作成ANNEX)

[22] 1993年7月に筆者が行ったアブー・バクル・ファル0IC事務局広報課長とのインタビューによる。

[23] 1978年に2370万ドルを寄附、うち100万リヤルをエルサレム基金、550万リヤルをナイジェリア・イスラーム大学、500万リヤルをウガンダ・イスラーム大学、320万リヤルをイスラーム・ニュース・エージェンシーに、1985年には0IC諸施設のために1000万リヤル、1986年にはジェッダ本部改修のために150万リヤルを寄附。

また1984年にはイスラーム連帯基金の1746万リヤル中、1000万リヤルを拠出。創立以来、同基金には6750万リヤルを寄附しているが、それは基金の総収入の54.47%に相当。

cf,ØAbd al=Jalµl, op. cit.,pp.28-29.

[24] ラービタの設立は、ナセル主義やバアス主義などの世俗アラブ民族主義の脅威からイスラーム世界を防衛するためのファイサル外交の成果の一つと見放される。cf, Said K. Aburish, The House of Saud,London,1994, p.130

[25] cf., ØAbd al=RaÆm±n bn Ibr±hµm al=Duhiy±n, al=Munazzamat al=Dawaliya al=Islamiya wa al=Tanõm al=Dawalµ (『国際イスラ』ム機関と国際機構』),Abha,1991,pp.361-403.

因みにラービタの下部機関であり1398年に創設された世界イスラーム救援機関は、1.70ヵ国の援助、2.135千人の孤児扶養、3,150の孤児院援助、4,747のモスク建設、5.クルアーン暗唱コースの援助などの活動を行っており{(al=Taqrµr al=Sanawµ al=Muqaddam li-al=Majlis al=TaØsµsµ li-R±bi»a al=°l±m al=Isl±mµ(『世界イスラーム連盟定礎会議提出年次報告』),Makka,

1993,p.1511、世界に散らばる数百万人のムスリム難民に援助の傘を広げている。al=Jazeera,

1993/12/6.

[26] 1.ヨルダン、2.インドネシア、3.ガボン、4.モーリシャス、5.米国、6.トリニダード・ト

バゴ、7.モーリタニア、8.デンマーク、9.仏国、10.ザイール、11.セネガル、12.南アフリカ、

13.ソマリア、14.英国、15.モルディブ、16.タンザニア、17.シル・レオネ、18.ウガンダ、19.

バングラデシュ、20.ボルキナファン、21.ブルンジ、22.ブジュンブラ、23.カナダ、24.コモ

ロ、25.ケニア、26.マレーシア、27.パキスタン(イスラマバード、ペシャワール)Cf., A Guide to Islamic Organizations and Institutions,Makka,1992,pp1584-584.尚1992年現在、モスク

ワ(ロシア)、クシュケント(ウズベキスタン)、アスハーバード(トルクメニスタン)にも事務所開設予定。al=Riyadh, 1992/12/10.

[27] オーストラリアに18人、南米に21人、北米に32人、ヨーロッパに53人、アフリカに438人、

アジアに503人を派遣。

1992年の総支出の内訳は以下の通り。

1.イスラーム関連組織援助:5,540,737リヤル

(1)アラブ諸国:734,794リヤル

(2)アジア諸国:1,959,925リヤル

(3)アフリカ諸国:1,047,513リヤル

(4)ヨーロッパ諸国:1,309.3280リヤル

(5)アメリカ諸国1489,177リヤル

2.宣教師給与:11,864,761リヤル

(1)オーストラリア諸国:184,114リヤル

(2)アジア諸国:3,176,003リヤル

(3)アフリカ諸国:5,516,236リヤル

(4)ヨーロッパ諸国:1,228,304リヤル

(5)アメリカ諸国11,760,104リヤル

3.奨学金:1,297,404リヤル

(1)ラービタ海外事務所維持費17,612.9672リヤル

(2)イスラーム報道支援・購入費:496,231リヤル

(3)交通費・会議費1386,619リヤル

(4)十字軍対策費1116,462リヤル

(5)巡礼援助費1687,441リヤル

(6)出版費1754,917リヤル

(7)病院維持費:3,369,764リヤル

(8)イスラーム学校援助11,819,471リヤル

(9)職業訓練センター維持費1240,075リヤル

(1O)宗教書籍出版費:339,417リヤル

計134,526,266リヤル

[28] ØAbd al=Jalµl,op.cit.,pp.28-30.

[29] ØAbd al=MuÆsin, ,op.cit.,p.346.

[30] cf., ØAbd al=RÆm±n,op.cit., pp.405-406, Aiman a1=Y±sµnµ,al=Isl±m wa al=ØArsh al=Dµnwaal=Daula fµ al=Saعdµya (『イスラームと玉座サウジアラビアの宗教と国家』),

Cairo,1990,p.111.

WAMYは当初はサウジ教育省の管轄として発足し、ワッハーブ派の専門のイスラーム学者で

はなく世俗高等教育を受けた「俗人」によって運営されており、サイイド・クトゥブ、ムハン

マド・クトゥブ、アブドルカーディル・アウダなど「ムスリム同胞団」系の書籍を多く配布し

ている。cf, Ibid., p. 111.

[31] al=Jazeera,1992/9/4.

[32]海外支部としてはクウェイトにアラブ支部、マレーシアにアジア・オーストラリア支部、米国(インディアナ)に南北アメリカ・カナダ支部、英国(ロンドン)にヨーロッパ支部、①北アフリカ:ケニア、②スーダン、③南アフリカにアフリカ支部を有する。`ØAbd al=RaÆm±n, op. cit.,p.412。

[33] cf., al=Daawa, pp.22-25.

[34] al=Jazeera,1992/9/4.WAMYは過去数年間に65ヵ国のムスリム青年に950の奨学金(内訳;博士課程90、修士60、学士40、一般教育650、職業訓練110)を支給しているが、1993年の5-7月の3ヵ月間を見ると25ヵ国109人の学生に計108,498リヤルの奨学金を支給している。al=Riyadh,1992/7/27。

 

[35] (旧)イスラーム学研究・イフター・宣教・善導総局は、(1)国内・アラビア半島宣教局と(2)対外宣教局を有し、(1)国内・アラビア半島宣教局は21のセンターに370名の宣教師を派遣する一方、(2)国外宣教局のうち①アフリカ宣教局はモーリタニア、ナイジェリア、ケニア、スーダン、ジブチ、②アジア宣教局はパキスタン、インドネシア、マレーシア、バングラデシュ、ヨルダン、③欧米宣教局は英米に宣教事務所をおいていた。ØAbd al=MuÆsin, op. cit.,pp.310-317。

また宣教・善導局の傘下の国内34ヵ所の外国人居留民宣教・善導協力事務所(1986年開設)はイスラームに関する講演会、イスラーム学の講義などを催すほか、各国語の書籍、カセットを配布するなどの活動を行っており、総計4892人の外国人がイスラームに入信している。al=Riyadh,1994/3/1。

[36] al=Dawwah,1413/8/2(h),p.4.

[37] Mordechai Abir, op. cit.,p.19.

[38] al=Jazeera,1992/1O/18.

[39]各分校の活動の詳細については、ば,ØAbd a1=MuÆsin, op. cit.,pp.318-322.

[40] al=Jazeera,1992/1O/18.

因みにイスラーム学徒の留学生の受入れにおいては最も重要なのはイスラーム大学(マディーナ)である。同大挙はサウジアラビアの国立大学ながら、趣旨からして国際大学であり、75%は留学生で1412(1992)年度は107ヵ国からの1000名の留学生が同大学で学んでいるが、1381/2

(1962)年創立以来1411(1991)年までに学士92国籍8087人、1395(1975)年大学院開設以来修士50国籍371人、博士50国籍192人を輩出している。cf, ØAbd asl=Jalµl, op. cit.,p.28.また同大学は宣教・宗教基礎論学部(1966年開講)の他、宣教間題担当センターを有しており、(1)大学院生には900リヤル(月額)、(2)クルアーン学部、イスラーム研究学部学生には775リヤル、(3)その他学部学生には525リヤル、(4)高校生には375リヤル、(5)語学研修生には300リヤルの奨学金の他、(6)衣服費1500リヤル〈年額)、(7)到着手当620リヤルを支給している。

cf, al=Riyadh,1993/8/4.

「マディーナのイスラーム大学は1961年、外国の『原理主義者』、ワッハーブ派のイスラー

ム学者、サウジ当局の協議の結果設立された。国際イスラーム大学としてアル=アズハル大学にとってかわることを目指していたため(1961年のナセルによるアル=アズハルの改組をうけて)、そのスタッフと学生は多くが外国人ムスリムであった。」Mordechai, op. cit.,p.19.

[41]正規学生の他にアラビア語コース、イスラーム学短期集中コースの参加者がそれぞれ約600名、4450名を数える。al=Bilad,1993/1/12.

その他にもイマーム・ムハンマド大学は1992/3年度には、1.モスクワ(3週間)、2.カフカーズ(3週間)、3.コーカシア(3週間)、4.タダルスタン(3週間)、5.米国(1ヵ月)、6.米国(1ヵ月)、7.タイ(3週間)、8.バングラデシュ(3週間)、9、マレーシア(3週間)、10.フィリピン(3週間)、11.インド(3週間)、12.アルバニア(16日)、13.南アフリカ(3週間)、14.象牙海岸(3週間)、15.マリ(3週間)、16.ギニア(3週間)、17.マリ(3週間)、18.クルディスタン(3週間)の18ヵ国でイスラーム学の短期講座を開講している。al=Dawwa,1414/3/17(h),p,41.

[42] ØAbd al=MuÆsin, op. cit.,pp.328-330.在米サウジ大使館は1988年から1992年の間にモスク、イスラミックセンター、イスラーム諸団体に2300万ドル以上の援助を行っており、またアメリカ大陸内外で開催された1OO回を越えるイスラーム会議に参加している。al=Riyadh,1994/5/16.

またサウジ在外公館が、イスラーム主義武闘派組織に資金援助、軍事物資を行っているとの説もある。注75参照。

[43] H±nµ Y¹suf Kh±shaqjµ, Tanõm al=Id±eµ fµ al=Mamlaka al=ØArabµya al=Saعdµya (『サウ

ジ・アラビアの行政機構』), al=Riyadh,1993,p.233.

[44]数百人単位の教師を派遣。ØAbd al=MuÆsin, op. cit.,p.310.

[45]米ワシントンのイスラーム・アカデミーは1405年開校、26国籍の950名の学生。英ロンドンのキング・ファハド・教育アカデミーは1985年開校、270名の学生で出発したが、1989/1990年度には70名以上の教師を擁し、26国籍の1000人を越える学生が学んでいる。Ibid.,pp.330-332.

また1995年にはドイツ在住のアラブ・ムスリム子弟を対象とするキング・ファハド・アカデミー(小・中・高等学校)がボンに開校される予定であるが、同校の設立資金はファハド国王の個人的寄付によって賄われる。asl=Riyadh,994/1/12.

[46] ØAbd al=MuÆsin, op. cit.,p.317.

その他ファハド・クルアーン出版アカデミーは1415年開設以来1411年迄にクルアーン50,073,756部を出版しているが、うち約2500万部を海外に贈呈している。ØAbd al=Jalµl, op. cit.,p.17.

[47]公益法人とは慈善協会(jamصya)と慈善機関(muØassasa)に分類されるが、慈善協会は募金、政府の援助を受けることができるが、慈善機関は募金、政府からの援助を受けることは許されず、寄贈、及び遺贈の受領のみが許可される。

因みに1410年度の諸慈善協会に対する国家援助総額は56,523,119リヤルである。

cf, al=Riyadh,1994/3/5.

[48] cf., The King Faisal Foundation(ファイサル財団発行広報資料), n.p., n. d.

尚総会の役員には、イブラーヒーム・アール・アル=シャイフ、アブドッラー・アル=トルキー、ムハンマド・ブン・ジュバイル、アブドッラー・アール・アル=シャイフらの最高ウラマー会議のメンバーが名を連ねている。Ibid.

[49] cf., The King Faisal International Prizes (キング・ファイサル財団発行広報資料)

,n.p.,n.d.

1979年一1990年のイスラーム貢献賞の受賞者は、1979年;マウトゥーディー(パキスタン)、1980年;アブー・アル=ハサン・アル=ナタウィー(パキスタン)、1981年;ハーリド国王(サウジ)、1982年;アブド・アル=アズィーズ・ブン・パーズ(サウジ)、1983年;ハサナイン・マフルーフ(エジプト)、1984年;ファハド国王(サウジ)、1985年アブド・ラップ・アル=ラスール、サイヤーフ(アフガン)、1986年;アフマド・ディーダード(南アフリカ)、1987年;アブー・バクル・グーミー(ナイジェリア)、1988年;アフマド・アラント(フィリピン)、1989年;ムハンマド・ガザーリー、1990年;アリー・アル=タンターウィー(サウジ)、ホルシド・アフマド(パキスタン)である。Ibid., al=Khairiya(キング・ファイサル財団機関紙),1990,,Vo1.2,No.2.

[50] cf., The King Faisal Foundation Philanthropic Grant Program (キング・ファイサル財団発行広報資料),n.p., n. d.

[51] cf., al=Riyadh,1993/4/22.

[52] Ibid.

[53] King Faisal Center for Reserch and Islamic Studies(キング・ファイサル財団発行広報資料), n.p.,n.d.

[54] cf., al=Yamama(サウジ国内週刊誌),1413/9/24(h),pp.6-1O。

[55] cf., Nubdha TaØrifiya Ùan MuØassasa al=Haramain al=Khirµya (ハラマイン慈善協会一口紹介), al=Riyadh,1993/4.

同協会の活動、予算の例としては、以下の中東地区委員会の年次会計報告を参照。

(a)宣教師訓練学院(エジプト)、教師一学生の給与等25,000リヤル

(b)クルアーン暗唱教師給与(エジプト)(月額)200リヤル

(c)クルアーン暗唱センター(エジプト)、教師給与他2,500リヤル

(d)イスラーム学生図書館設備

①エジプト10,OOOリヤル

②イエメン10,000リヤル

③ヨルダン10,000リヤル

④レバノン1O,000リヤル

(e)修士、博士論文出版(3,OOO部、エジプト)15,000リヤル

(f)モスク・マイクロフォン

①エジプト3,500リヤル

②イエメン3,500リヤル

③ヨルダン3,500リヤル

④レバノン3,500リヤル

(g)書籍出版不定

(h)宣教師給与

①エジプト(月額)300リヤル

②イエメン(月額)350リヤル

③ヨルダン(月額)600リヤル

④レバノン(月額)400リヤル

(i)小モスク(50人収容)

①エジプト50,000~60,OOOリヤル

②イエメン20,OOO~30,000リヤル

③レバノン1OO,000~120,000リヤル

(j)中モスク(120人収容)

①イエメン50,000~60,000リヤル

(k)大モスク(200人収容)

①イエメン80,O00~1OO,000リヤル

②ヨルダン90,000~110,000リヤル

③レバノン180,000~200,000リヤル

(1)中央モスク(500人収容)

①イエメン150,000~200,O00リヤル

②ヨルダン165,000~215,OOOリヤル

③レバノン250,OOO~350,OOOリヤル

(m)学校建設

①イエメン100,000~120,000リヤル

②ヨルダン200,000~250,O00リヤル

③レバノン200,000~250,O00リヤル

(n)宣教師移動用車両

①イエメン30,000リヤル

②ヨルダン35,000リヤル

③レバノン20,000リヤル

(o)ムスリム学生奨学金

①イエメン(月額)300リヤル

②ヨルダン(月額)300リヤル

③レバノン(月額)300リヤル

cf., Bay±n bi-Taklifa Bau½ al=Mash±rµØ al=Khairµya al=T±bµØa li-Lajna al=Sharq al=Ausat (『中東委員会管轄慈善事業経費部分報告』), al=Riyadh, n.d. (1993年入手).

[56] Arab News,1992/12/13.

[57] cf., LamÆat SarµØa Øan Markaz TauØiya al=J±lµy±t bi-l=Qa­µm (『カスイーム居留民教化センターへの一瞥』),1992,Buraida,p.5,裏表紙。

[58] 1993年筆者の行ったアブド・アル=アズィーズ・アル=トワイシリー所長とのインタビューによる。

[59]新入信者の国籍別内訳は、フィリピン人174人、米人90人、インド人29人、タイ人17人、スリランカ人17人、アフリカ人4人、ドイツ人1人となっている。

また所蔵図書は30言語(1.アラビア語、2.英語、3.ウルドゥー語、4.仏語、5.スペイン語、6.ポルトガル語、7.ノルウェー語、8.ユーゴスラビア語、9.マリバリ語、10.タミール語、l1.ヒンディー語、12.ネパール語、13.マラシ語、14.ベンガル語、15.シンハラ語、16.韓国語、17.タイ語、18.タガログ語、19.マラナオ語、20.インドネシア語、21.スワヒリ語、22.トルコ語、23.ソマリア語、24.中国語、25.独語、26.伊語、27.シンガポール語、28.マレー語、29.コジュラト語、30.カザフスタン語)のイスラーム、比較宗教関連図書書籍からなり、1411年7月から1412年6月までに6,325人の利用者、18,088冊の図書貸出があった。

また1411年7月から1412年6月までに同センターが配布した書籍は317,975冊、パンフレットは103,635冊に達する。cf., Ibid.,pp.5-11.

因みに同センターの1412年6月現在の総資産は4,262,353リヤルとなっている。cf., Ibid.,

p.15.

[60] al=Quds al=Arabi (国際アラビア語紙)1993/5/6.

サルマーン第2副首相はサウジ全土に支部を有する公益法人「敬度協会」の総裁であり、またボスニア・ヘルツェゴビナ・ソマリア・ムス25リム募金最高委員会、エジプト地震被災者募金最高委員会など、緊急援助に関する多くの募金機関の総裁を兼任している。

[61] 1,313,893,275リヤルの年度別の内訳は以下の通り。

1388年 10,488,522(S.R)

1389年 16,588,261(S.R)

1390年 19,482,516(S.R)

1391年 14,093,476(S.R)

1392年 14,273,868(S.R)

1393年 12,635,948(S.R)

1394年 16,380,285(S.R)

1395年 17,288,212(S.R)

1396年 28,727,164(S.R)

1397年 26,245,967(S.R)

1398年 44,652,859(S,R)

1399年 42,420,037(S.R)

1400年 54,064,420(S.R)

1401年 54,285,991(S.R)

1402年 163,336,609(S.R)

1403年 89,558,306(S.R)

1404年 87,272,731(S.R)

1405年 80,042,175(S.R)

1406年 75,321,025(S.R)

1407年 97,774,207(S.R)

1408年 138,700,496(S.R)

1409年 94,522,277(S.R)

1410年 115,728,314(S.R)

cf., ØAbd al=MuÆsin, op. cit.,pp-265・266。

[62] Ibid.,p.327.ちなみにサウジ政府はアフガニスタンのジハードの支援に赴くサウジの青年のために、国営サウジ航空のチケットの75%の割引を行っていた。cf., ØIs±m Dar±z, al=ذØid¹n min Afghanistan (『アフガニスタンからの帰還兵たち』),p.96.

[63] al=Riyadh,1993/12/26.

[64] al=Dawwa,1414/8/2(h).

[65] Ibid,1993/1O/10.筆者が1993年7月にアブド・アル=イラーフ・ラービタ・リヤド事務所長と行ったインタビューで同所長が語ったところによると、ラービタは国内外のサウジ人実業家篤志家から海外イスラーム関連団体の照会の要請があると、ラービタ公認のイスラーム団体を推薦し、その推薦に基づいて、篤志家から当該団体への寄附が行われる。

[66] エジプトのイスラーム主義者の募集は①ビン・ラーデン商会・カイロ事務所、②イスラーム救援機関・カイロ事務所、③ラービタ・カイロ事務所を通じて行われているが、カイロのイスラーム救援機関事務所は「ビン・ラーデン商会」が管理しており、渡航者には300ドルの渡航費用が支払われるほか、ペシャワールのイスラーム救援機関での諸事務所での職が斡旋される。尚、ペシャワールのイスラーム救援機関の年間予算は4,500万リヤルである。

またウサーマは1993年の4/5月には、パキスタン在住のエジプトのイスラーム主義者380人のスーダンヘの輸送のために、総額100万ドルの渡航費を負担している。

スーダン援助に関しては、ビン・ラーデン商会が「新ホートースーダン空港」建設しており、ウサーマは5,OOO万ドルを出資し、イスラーム国民戦線の金満家と共同出資でハルツームに「北部銀行」設立し、出資の見返りとしてカルトファーン、スーダン西部に100万フィッダーンの土地を獲得、農業・牧畜に投資し、また道路・橋の建設会社も設立している。cf,Rossel Yossef(エジプト発行の週刊誌),1993/5/17,pp.8-12.

[67] cf., ØIm±m Dar±z, op. cit.,pp.93-96.

[68] cf., al=Sharq al=Ausat,1994/4/3.

[69]例えばエジプトの左翼政党「連合(tajammuØ)」党事務局長リファアト・アル=サイードのような反イスラーム主義者は、サウジ・アラビアのイスラーム支援について以下のように論じている。

「サウジアラビアは、我々(エジプト人)やそれ以外の国民に彼等ベドウィンのイスラーム観を押し付けようとし、その後進的なイスラーム観の押し付けのために、財貨を利用している。

それはサウジの取り巻き、その投げ掛ける影に擦り寄っている坊主(kahana)、宗教家(shuy¹kh)、学者(Øulam±Ø)、学者(mutaرlim)どもが、威嚇と強制によって、また小児的なテロリストたちが銃弾によって、この同じイスラーム観を押し付けようとしているのと全く軌を一にしている。…中略…

サウジアラビアはそのベドウィンのイスラーム観を金のカで個々人に押し付けようとする一方で、巨富をもって各種マスコミに投資し、ベドウィンのイスラーム観でイスラームの文明化された理性を曇らせ、またその理性を貶めようと企てている。

近年サウジは新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、衛星放送、カセット、ビデオ…ターバン、またそれ以上のものによって我々に攻撃をかけているのである。」al=Quds al=Arabi,1993/11/19

{1993/11/18付al=Ahali (「連合」党発行の日刊紙)に掲載されたアル=サイードの論説からの抜粋転載}。

また注66の『ローゼルユースフ』紙の記事も、ビン・ラーデンのイスラーム支援を「過激派」への支援であるとする反イスラーム主義の立場から書かれたものである。

ちなみに1994年2月19目付『リヤド』紙は、ビン・ラーデン財閥当主が、ウサーマの行状を非難する絶縁声明を発したと報じており、それを受けてエジプトの著名なリベラリスト・ムスクファー・アミーンが2月21目付『アル=シャルクアル=アウサト』紙の「思索(fikra)」欄に、ビン・ラーデン財閥によるウサーマとの絶26縁の声明を賞賛するコラムを寄せている。

[70]例えばアブド・アル=ラッザーク・アフィーフィー最高ウラマー会議初代メンバー(エジプト出身)、マンナーウ・ハリール・アルカッターン司法高等学院院長(エジプト出身)、アブー・バクル・アル=ジャザーイリー聖預言者モスク説教師(アルジェリア出身)、サイイド・サービク・ウンム・アル=クラー大学大学院イスラーム学科長(エジプト国籍)など。他にもエジプト、シリアの「ムスリム同胞団」などのイスラーム主義団体の活動家の多くが本国での迫害を逃れてサウジに移住し教職などの職を得ている。

[71] The New Yoker,1993/4/12.

[72] 「(エジプトに於ける;筆者注)弾圧の結果、『同胞団』指導者の一部はサウジアラビアなど半島湾岸諸国への亡命を余儀なくされたが、皮肉なことにこの亡命はおよそ20年後の『門戸開放』政策採用時に意外な効用をもたらすことになった。すなわち、これら亡命者はサーダート政権による弾圧緩和に応じて帰国するまでに、亡命先で相当の財をなすに至っていたのである。1976年の復刊以降『同胞団活動』の柱となった『ダーワ(a1=DaØwa)』誌掲載の全広告のうち、40%を占めたシャリーフ・プラスチックや日本車輸入のモダン・モータースなど3社は、このようにして財をなした旧『同胞団』員の支配する企業だったことが確認されているのである。」飯塚正人、「イスラム復興主義の社会的基盤一エジプト」、『イスラム復興主義運動の諸組織と実態』、平成5年、日本国際間題研究所、56頁。

[73] 1993年夏、サウジアラビア治安当局はエジプト人イスラーム主義者をエジプト政府に引き渡した。Saudi Gazette,1993/7/26.引き渡されたエジプト人イスラーム主義者の中には、「ジハード団」の最高幹部の一人ハサン・アル=ハラーウィーが居た(Rosesl Yossef,1993/8/1)が、長年にわたり彼の国内での活動を黙認していたサウジアラビア当局が、今回の引き渡しに踏み切ったのは1993年春のムバーラクの湾岸訪問以降のエジプトからの強い圧力によるものと見られている。

[74] 「サウジ政府の経費負担によるウムラ(小巡礼)でアシュート大学のイスラーム主義者(の学生)の多くがサウジを訪れた80年代を通じて、『タクフィール(棄教者死刑宣告)』の思想が強化された。彼等は金と書籍の両方を持ち帰ったのである。

…サウジの金とワッハーブ派の書籍もイスラーム運動の強化に貢献しているが、ナセル時代にサウジアラビアに逃亡したムスリム同胞団員のイデオローグたちのエジプトヘの帰国も『暴力』のイデオロギーを偏ることになった。」

Mamoun Fandy, The Tension behind the Violence in Egypt, Middle East Policy,Vo1.2.

1993,No.1,p.32.

[75] 「アル=ヒレウィーは、ヨルダン在住のハマスの指導者たちに贈った何百万ドルもの小切手の写しを所有していると主張している。またアル=ヒレウィーはサウジアラビアの諜報機関がハマスの活動家に爆弾の部品を含むハイテク軍事物資も提供していたことについても情報を有していると述べた。」Sunday Times,1994/6/12,p.16.

[76]小杉泰、『現代中東とイスラーム政治』、1994年、昭和堂、296頁参照。

[77]例えば、アブーリーシュはサウジアラビアのイスラーム外交政策は、ただ周辺国の対立を煽ることのみを目指していると言う。「アラブ・ムスリム諸国の援助のために支払われているサウジアラビアの金は、分割統治政策に基づいて与えられている。…これらの政策全ての核心となる目的は地域の不安定性を高め、中東の他の諸国の民主化を遅らせることにある。」Said K.Aburish, op. cit.,pp.2-3.

[78] ワッハーブ主義は本来的に人格や行為ではなく、聖者、聖跡崇拝の有無を信徒と不信仰者を分けるメルクマールと考える「信条中心主義」である。論者の中にはこのワッハーブ主義の基本理念を理解せず、不行状を理由にサウジ王族の「イスラーム政策」がワッハーブ主義の理念からのものであることを全面否定し機会主義的に解釈しようとするアブーリーシュのような者もあるが、サウジ王族の私的生活と王族の信条がワッハーブ主義であることは全く別問題であり、サウジ王族の信条がワッハーブ主義であることを疑うべき理由は存在しない。また王家の中にも例えば「アラブ諸国における現代の物質主義思想の潮流とそれに対するイスラーム思想の立場」をテーマにイマーム・ムハンマド大学シャリーア学部で博士号を取得したサウード・ブン・スルターン・ブン・ムハンマド・アール・サウード(スルターン国防大臣の息子ではなく王位継承権の無い傍流プリンス)のようなイスラーム学者も存在することが知られている。cf., al=Madina,(サウジ国内紙),1993/12/24.