中田考、「国際紛争とイスラーム連帯:アフガニスタン、ボスニア、そしてチェチェンへ」、編者小杉泰、『イスラームに何がおきているか』、平凡社、1996。
国際紛争とイスラーム連帯:アフガニスタン、ボスニア、そしてチェチェンヘ
中田考
………民族・国境を超える共同体意識
イスラームは普遍宗教として東西に広がっている。マッカはムハンマドがイスラームの教えを説きはじめる以前から国際的な隊商で栄えた
イスラームの説く人類の平等は、単なる理念、机上の空論にとどまらず、社会のなかで実際に具現されてきた。ムハンマドの高弟のなかにも非アラブ人が含まれていた。サルマーンは、ペルシア人であったにもかかわらず、「預言者の家族」に列せられたといわれており、また、「預言者の礼拝告知者」として知られるビラールはエチオピア人であった。
旅人をもてなすことを命ずるイスラームの教えによって、ムスリムはムスリムの住む土地ならどこにいても、安らぎを覚えることができる。またムスリムなら一生に一度ははたさねばならぬマッカ巡礼は、民族を超えたイスラームの連帯を実感させるものである。現代アメリカのムスリムであるマルコムXが、マッカ巡礼を契機に、民族や肌の色を超えた人類の平等が現実に実現可能であることを知り、ブラック・ムスリム運動の偏狭な人種主義の超克にいたったことは有名な逸話である。
また、ボスニア内戦によって世に知られるようになった「ムスリム人」の命名は、ムスリムにとっては、イスラームが民族という概念にかわって集団アイデンティティの中核を占めていることを明瞭に物語っている。
イスラームの同胞意識は、単なる教義、建前ではなく、現実に強固に存続している。例えば、礼拝も断食もせず、酒も平気で飲むような「ふまじめ」なムスリムであっても、ムスリムの共同体(ウンマ)の一員であるという自覚をもっているのが普通である。ソ連の支配下で、長い年月にわたって反宗教教育を強制されてきた中央アジアのムスリムの、宗教意識に関する調査結果をみると、神への信仰を失っても、ムスリムとしての同胞意識だけは残る、ということさえ起こっている。
それゆえ、今日のイスラーム復興運動を考えるにあたっても、ムスリム個人個人の心のなかに、イスラームに基づく同胞意識が今なお生きつづけているというところから出発しなくてはならない。
共産主義の崩壊によって「仮想敵」を失った欧米社会において、スケープゴートとしてイスラームを新たな仮想敵とする、「文明の衝突論」、「イスラーム脅威論」が喧伝されている。これに対応するかのようにイスラーム世界でも、アフガニスタン戦争によって共産主義"無神論勢力が崩壊したあと、歴史は資本キリスト教世界とイスラームの対決のときを迎えた、との歴史認識が一部で広まりつつある。われわれにとっては非現実的にみえるこうした世界観が、ムスリムにとって一種のリアリティをもちうるのも、社会的レベルで国籍・国境を超えたウンマの連帯がいまだに機能しており、実感されていればこそなのである。
………ネットワーク社会の宗教
ムスリムのあいだの強固な同胞意識が、いかなる形態をとって発現するかを知るために、まずムスリムのあいだでの社会関係の一般的パターンについて考えてみよう。
イスラーム文明はすぐれて都市的文明である。都市的であるということは、都市民だけではなく農民、遊牧民なども、都市を結節点とするモノ、人、情報の流れのネットワークの構成員であることを意味する。
イスラーム文明は世界史上の最初のネットワーク帝国アッバース朝(七五〇-二王八年)を生みだしたが、この王朝は、道路建設、官僚・軍隊の派遣などによる有形の、そして宗教・文化などの無形のネットワークを伸ばしてその範囲網を拡大し、イスラーム法、アラビア語、ディナール金貨、ディルハム銀貨によって、諸ネットワークをシステム化した。アッバース朝の交易ネットワークは、地中海周辺、サハラ以南の西スーダン、北欧、ロシア、東アフリカ、内陸アジア、インド、東南アジア、中国に広がり、日本(ワクワク)、新羅(シーラ)さえ視野におさめるものであった。のちに近代以前の最大のネットワーク帝国としてモンゴル帝国が成立するが、実はその交易ネットワークの中心的担い手も、ムスリム商人であった。
イスラーム文化は、移動文化とも呼ばれ、人間の流動性がきわめて高い。イスラーム世界では、遊牧民も商人も農民も手工業者も、当然のことのように移動する。その行動パターンは、交通手段がラクダから車と飛行機に変わり、イスラーム世界が国境で分断された現在も基本的に変わっていない。そして移動を可能にするのは個々人のネットワークである。つまりネットワーク社会では、社会関係の基本パターンが、組織ではなく個人間のネットワークであり、その意味で、イスラーム社会とは典型的なネットワーク社会なのである。
ムスリムには、欧米や日本のようなかたちでは、個人がまず帰属する対象である第一次集団が存在しない。あるいは、第一次集団の範囲がかぎりなく拡大する。確かにムスリムにも「家族」はある。しかしイスラーム社会における家族の概念は、核家族から、親族、氏族、部族、民族のあいだを伸縮自在に遊動する。またムスリムは通常、日本の会社のように忠誠を捧げ、自己同一化すべき組織も、欧米キリスト教社会のように、生涯にわたって帰属する教会ももたない。
なるほどムスリムの移動に際しても、地縁・血縁は重要な役割をはたす。しかし海外に出ても日本人会をつくってそこに閉じこもり、現地社会と分離しがちな海外の日本人のような行動パターンをムスリムはとらない。ムスリムは異郷にあって、地縁・血縁に自己同一化し、閉鎖的な地縁集団.血縁集団をつくるよりも、むしろ新たなネットワーク創出の契機として地縁・血縁を利用するのである。
また、モスクはコミュニティの中心であるが、それはあくまでも礼拝の「場」としてにすぎない。日本の仏教寺院が檀家、神社が氏子の組織をもち、キリスト教の教会が、建物を指すと同時にその教区の信徒を成員として登録する、メンバーシップの定まった組織であるのとは、モスクは根本的に異なるのである。
イスラームには教義を決定する公式機関としての教皇、公会議、あるいは公的に任命された宗教的権威である聖職者がいないばかりでなく、誰がムスリムであるかを決定する機関すら存在しない。誰がムスリムであるか、誰が宗教的権威であるかについては、いわばなんとなく自然に了解が成立する。つまりイスラームには、宗教共同体はあっても、狭義の宗教組織は存在しない。
このような公的な宗教組織の不在が、イスラームの国家への従属を防いできた。組織化されない無定形の集団は、決して統制することができない。イスラーム文明は、国家のレベルではヨーロッパに先だって高度な官僚機構を発達させており、古来より諸王朝は、イスラームを国家制度に組み込むべくつとめてきた。しかし、宗教権威が公的に組織化されていれば、それを取り込むことによって、国家は宗教を統制下におくことができるが、そもそも組織が存在しないところでは、統制もまた不可能であった。
………今日の国際イスラーム組織
前述のように、イスラーム社会はネットワーク社会であり、組織よりも個人のネットワークが重要とされる。また、イスラームには公的な宗教組織は存在しない。しかしそれでも、もちろん現代になると、イスラーム社会にまったく組織が存在しないというわけではない。
現代のイスラーム社会には、国家を頂点とする世俗の組織が存在するほか、宗教の分野においても、伝統的イスラーム教育を中心とするウラマー(宗教学者)・ネットワーク、聖者廟を中心とするスーフィー(神秘主義)教団ネットワークに加えて、西欧の宣教会、慈善団体、政党などの組織原理に範をとった、各種の非公的な宗教組織が生まれている。イスラーム復興運動の理解にも、これらの組織を含めたネットワークの実態の理解が不可欠である。
個々人を単位とし、つねに流動するイスラーム社会のネットワークには、固定したメンバーシップも境界も存在しないため、その全体の把握は困難である。しかし、右のような非公的な宗教組織がイスラーム・ネットワークの結節点となっていることもまた事実である。したがって、以下に現代のイスラームの主要な宗教組織を概観することは、イスラーム・ネットワーク、ひいてはイスラーム復興運動の理解の一助となるだろう。
✤ イスラーム諸国会議機構(0IC)
国際的組織としては、代表的なものとしてイスラーム諸国会議機構(OIC)がある。OICは一九七〇年に創立され、ジェッダに本部をおく。現在五一の加盟国を数え、イスラーム連帯基金、イスラーム法アカデミーなどの九つの下部機関、イスラーム開発銀行など五つの専門機関、イスラーム商工会議所などの五つの関連機関、ナイジェリアとウガンダの二つのイスラーム大学を傘下におく、イスラーム世界最大の国際政府間組織である。
本来OICは、王制の打倒とアラブ民族主義によるアラブ世界の統一を唱えるアラブ社会主義とのイデオロギー闘争に勝利したサウジアラビア国王ファイサルの主導で、既存の国家体制の維持を目的として設立された。
すなわち、イスラーム的同胞愛の名のもとに、国家問の「友好関係」を唄い、「ウンマ=イスラーム世界」が政治的に分断された状況を隠蔽して、現状の固定を図ることにある。そして、加盟諸国をイスラーム的装いで粉飾することによって、国民の多くを占めるムスリムを慰撫し、現体制による支配の正当性を付与することである。
具体的な活動としては、下部機関のイスラーム開発銀行(一九九四年現在で二二カ国の二〇〇以上のプロジェクトに一億ドル以上の出資を行っている)などを通じて、発展途上の加盟国などのムスリム団体に、医療、教育、宗教プロジェクトなどへの資金援助を行っている。また、イスラエルのパレスチナ占領、旧ソ連のアフガニスタン侵攻、ボスニアでのセルビア人勢力のムスリム人に対する「民族浄化」、ロシアのチェチェン侵攻などに対する、0ICによるたびたびの反対決議採択といった行動パターンも、以上のような目的に沿ってなされている。
もっとも、0ICの実態がイスラーム連帯の促進よりも、むしろ民衆レベルでのウンマの統合へのエネルギーの管理・分散、イスラーム連帯の阻害を目的とする装置であるとしても、キリスト教、仏教、儒教文明圏諸国が、名目的にであれ宗教を紐帯とする国際機構を形成していないことを考えあわせるなら、ある意味ではOICをイスラーム連帯の一形式と呼ぶことも可能であろう。
✤ 政府系機関
つぎに、各国別政府機関としては、エジプトのアズハル大学、サウジアラビアのマディーナおよびリヤドのイスラーム大学のようなイスラーム高等研究機関、エジプトのワクフ・アズハル担当省、サウジアラビアのイスラーム問題・ワクフ・宣教・善導省などのイスラーム関係省庁がある。これらの大学は、ウラマー養成機関として、国内のみならずイスラーム社会全体にウラマーを供給しており、イスラーム関係省庁はウラマーの国内外への配属を決め、国際会議を組織するなど、ウラマー・ネットワークの形成に重要な役割をはたしている。
✤ 世界イスラーム連盟(ラービタ)
民間の国際宗教団体として最大のものは、マッカを本部に一九六二年に設立された世界イスラーム連盟(通称ラービタ)である。世界モスク最高会議、世界イスラーム救援機関、導師・宣教師養成インスティテュート、イスラーム法アカデミーなどの付属機関と、一九九二年現在で二七の海外事務所をもつ。
ラービタの設立も、当初は、イスラームの友愛の名のもとに既成秩序の温存を図るファイサル国王の、アラブ社会主義に対するイデオロギー闘争戦略の一環であった。しかしOICとはちがって、あくまでも民間団体であることから、比較的自由な立場からより積極的にイスラーム運動にかかわっている。
ラービタは世界中のイスラーム諸団体への宣教師の派遣、資金援助、活動の調整などを行っているが、一九九二年ラービタ発行の『イスラーム機関・組織ガイド』が網羅する世界のイスラーム団体の数は、六二〇三に達する。ちなみに一九九一年には、ラービタは宣教師の給与として約二一〇〇万リヤル(一リヤル=約二七円)、イスラーム関係団体への援助として約五五〇万リヤル、奨学金として約二二○万リヤルの支出を行っている。
また、サウジアラビアに本部をおくラービタがもつネットワークは、サウジアラビアのワッハーブ派による世界のイスラーム諸運動への資金援助の重要な媒体ともなっている。例えば、旧ソ連軍の侵攻に対するアフガニスタン戦争に際しては、アフガン難民への人道援助から、現地への医療チームの派遣、また、いわゆるアラブ義勇兵のリクルート・輸送など、広範な分野において、ラービタの人的ネットワークが利用されたのである。
✤ ムスリム同胞団とジャマーアテ・イスラーミー
イスラーム復興主義を代表する国際組織としては、ムスリム同胞団とジャマーアテ.イスラーミーをあげることができよう。ムスリム同胞団は、一九二八年にハサン・アル・バンナーによってエジプトのイスマイリヤで創立され、現在はエジプトに本都をおき、ヨルダン、シリア、イエメン、スーダン、アルジェリア、クウェート、サウジアラビアなどアラブ各国に支部をおく。一九八○年代前半には国際機構も設立されており、一九九四年からは機関誌『ダーワ』もロンドンで発行されるようになっている。
ジャマーアテ・イスラーミー(イスラーム協会とも呼ばれる)は、マウドゥーディーによって一九四一年にインドのラホールで創設されたが、インド、パキスタン、バングラデシュの分離の結果、現在では各国別に独立した組織として存在している。
ムスリム同胞団とジャマーアテ・イスラーミーは、いずれも中央集権的官僚組織をもち、議会制民主主義の枠内での政治参加による国家のイスラーム化をめざす、穏健なイスラーム復興主義団体である。前者はアラブ系ムスリム、後者はインド亜大陸系ムスリムのネットワークを通じて支持者を増やし、イスラーム世界を超えて欧米にも組織を拡大している。
両組織は、いずれもイデオロギー的には体制内での漸進的イスラーム化をめざして政治にコミットする
改革主義団体である。また双方ともに、伝統的ウラマーではなく近代教育を受けた俗人が指導し、都市のインテリ、中産階級を支持基盤とし、中央集権的官僚組織と世界的なネットワークをもつなど、多くの点で共通しており、国際的なイスラーム教育、出版、宣教活動などの分野で協力関係にある。
✤ タブリーグ
最後に、政治に関与しない草の根型イスラーム復興運動の代表的例は、タブリーグ(タブリーゲ・ジャマーア)である。一九二六年にムハンマド・イリヤースがインドのデリー近郊の町メワトで創設したタブリーグは、組織というよりもむしろゆるやかな運動体であり、創立後七〇年を経て、イスラーム世界各地で開催される年次大会に数百万人の活動家を動員するほど急速に成長した。しかし今日にいたるまで、メンバーシップ、意思決定機関、支部組織、機関誌の発行などの制度化をいっさい拒否している。タブリーグはその無定形な組織形態のみならず、教義のうえでも伝統的イスラームに近く、都市部だけでなく農村部にも浸透している。
タブリーグは、インド亜大陸系ムスリムを中心に、世界中に活動のネットワークを拡大しているが、その反政治性ゆえに政治的なイスラーム復興主義を中和させる効果を期待され、イスラーム復興主義の浸透をおそれる各国政府からさまざまな支援、便宜供与を受けているという側面も見逃せない。
………イスラームの世界観と現代世界
今日の世界の国際紛争、地域紛争の多くが、イスラーム世界で発生している。いかなる紛争であれ、背景に社会・経済的要因をもたないものはない。しかし、ソ連の崩壊と冷戦の終結後、一般的にいって、民族、宗教など、エスニシティ、文化的背景を異にする者の共存が、同一文化内での階級のちがう者の共存より、より困難であることが明らかになった。例えば、サウジアラビアの農民は、宗教・文化を異とするアメリカの農民に対してよりも、言葉が通じて信仰を同じくするファハド国王に、より大きな親近感を覚えるのである。
事実、イスラーム世界でも、王党派と共和派が戦った一九六〇年代のイエメン内戦のような、階級闘争のイデオロギーに支えられた紛争は、すでに終焉したようにみえる。トルコのクルド労働者党(PKK)の運動なども、階級闘争の色彩は薄く、クルド人の民族独立闘争というべきであろう。
もとより筆者には、地域紛争の原因がエスニシティと宗教のみに還元される、などという王張をする意図はない。地域紛争の原因の解明には、文化的要因に加えて、マクロな国際政治の力学と、当該地域の社会、経済、政治の綴密なミクロの分析が必要であることは言をまたない。しかし、今日、イスラーム世界で起こっている、あるいはムスリムの関与する地域紛争の理解には、民族と宗教という文化的要因の解明もまた不可欠なのである。
イスラーム法は属人法であり、ムスリムは国籍、民族、居住地のちがいを問わず、イスラーム法にしたがう。イスラーム法は、カリフがイスラーム法に則って統治する地を「イスラームの家」、そうでない地を「戦争の家」として世界を二分している。イスラームの家とは、イスラーム法が施行され、ムスリムと異教徒の庇護民の安全が等しく保障された土地であり、戦争の家とはイスラーム法の支配が存在せず、ムスリムの生命、財産、名誉がつねに脅かされる土地である。かつてのイスラーム共同体(ウンマ)は、イスラームの家のムスリム住民と、戦争の家に滞在するムスリム居留民から構成されていた。
かつて、アッバース朝によるイスラーム世界の政治的統一が破れたのちも、このイスラームの家の理念は、イスラーム法の統一性と人的ネットワークの存続によって、理念的に維持された。そればかりか、イベリア半島は失ったものの、東欧、マレー世界、ブラック・アフリカを席巻し、イスラームの家はアッバース朝滅亡後もさらに拡大していったのである。今日モロッコからインドネシアに広がるイスラーム世界と呼ばれる地域は、かつてのイスラームの家の領域にほぼ相当するといってよいだろう。
しかし二八世紀以降、欧米、ロシアの植民地支配によって徐々に蚕食され、二〇世紀に入って、カリフ制の廃止、西欧型国民国家の成立による西欧法の導入と人為的国境の固定化により、イスラームの家は最終的に崩壊し、世界をイスラームの家と戦争の家に二分するイスラームの世界認識は、妥当性を失うことになった。
………近代国民国家に生きる
イスラーム世界、つまりかつてのイスラームの家の版図は、おおむね、現在ムスリムが多数を占める、西欧型国民国家の領域と一致する。これらの国家群をここでは「ムスリム国家」と呼ぶとしよう。すると現在のムスリムは、ムスリム国家にマジョリティとして住んでいるか、非ムスリム国家にマイノリティとして住んでいるかのいずれかであることになる。
しかし当然のことながら、近代国家の国境と、イスラームの家、戦争の家の区分とは厳密には一致せず、かつてのイスラームの家の一部が、非ムスリム国家に組み入れられる場合も生じた。そのようにしてムスリムが国家のなかでマイノリティに転落した地域としては、インドのカシミール、タイのパタニ、またフィリピンのミンダナオ、ロシアのチェチェン、中国の新彊などがある。
そこで、非ムスリム国家に住むムスリムも、かつてのイスラームの家の住民の子孫たちと、戦争の家の居留者の子孫および新規移住者に大別して考えることができる。したがって現在のムスリムは、その居住地の歴史的特性によって、①ムスリム国家の住民、②かつてはイスラームの家の一部であったが現在は非ムスリム国家に組み込まれた土地の住民、③かつての戦争の家に成立した非ムスリム国家に住む居留民の子孫および新規の移民に大分される。この区分は、今日の地域紛争とイスラームのかかわりを考えるうえでも有効だと思われる。
例えば、ムスリム同胞団は、エジプトやヨルダンのようなムスリム国家では、議会に進出して議会制民主主義の枠内での改革をめざしているが、「異端」アラウィー派のアサドを大統領にいただくシリアや、ユダヤ教徒によって占領されたパレスチナでは、ジハード(聖戦)による反体制武力闘争路線をとっている。
またジャマーアテ・イスラーミーも、インド・パキスタンの分離独立による組織の分裂後は、ムスリム国家パキスタンではイスラーム法の施行によるパキスタンのイスラーム国家化を、ムスリムがマイノリティに転落した非ムスリム国家インドでは国家理念としての世俗主義の堅持を、ムスリムがマジョリティを占める両国の係争地カシミール地方では、インドからの分離独立とムスリム国家の樹立を求めている。以上からもわかるように、同系の民族、同じ団体であってさえも、地域の歴史的特性の相違によって、現実の政治的立場はまったく異なりうる。
戦争の家の居留民の子孫で有名な例としては、中国の回族がある。彼らは内婚集団をつくって宗教的アイデンティティをいまなお保持しているが、独自の言語、孤立した居留地をもたず、中国各地に散らばり、漢族に交じって小さなコミュニティをつくって暮らしているため、文化的にも漢族との同化が進んでいる。
また、今日の欧米のムスリムは、新規の移民と、非ムスリム国家に生まれその国籍を有する二世、三世など居留民の子孫、欧米人の改宗者の混成となっている。日本でも、とくにアジア地域を中心とするムスリム労働者の増大によって、ヨーロッパに似た状況が現出しつつある。
………国際紛争にみる連帯のかたち
宗教は通常、言語、民族とならんでエスニシティの重要な構成要素の一つである。ムスリムにとっては、エスニシティのなかに宗教の占める割合が大きく、個人においても集団においても、宗教がアイデンティティの核となっていることが多い。したがってムスリムの多くが、言語集団や、民族集団、国家などよりも、ウンマ(イスラーム共同体)に対してアイデンティティ帰属を感じているといえる。
言いかえると、旧来の「イスラームの家」のムスリム住民が、異教徒による侵略を受けるといった事態が生ずると、国籍、民族を超えて、すべてのムスリムがウンマの一員としての同胞意識を呼び覚まされ、少なくとも感情のレベルでは、当該地域のムスリム住民と連帯する契機をもつことになる。したがってイスラーム世界では、地域紛争はつねに国際紛争に転じる契機をはらんでいることになる。
例えば、ソ連のアフガニスタン侵攻に際しては、0IC諸国はこぞってソ連を非難した。そして、ラービタの下部機関である世界イスラーム救援機関などが、パキスタンのペシャワールに事務所や病院を開設し、アフガン難民への人道援助を行う一方、ムスリム同胞団などのイスラーム復興主義組織もペシャワールに医療チームを派遣した。また、冷戦構造下における西側自由主義陣営の支持もあって、旧ソ連軍侵攻に対しては、無神論者(共産主義者)である侵略者とのジハードの旗印のもとに、アラブ諸国をはじめ、多くの国々からムスリム「義勇兵」がペシャワール経由でアフガニスタンに集結し、現地のムスリムと連帯してジハードに参加した。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでの内戦の勃発に対しても、これを民族紛争とする欧米や日本での反応とは異なり、イスラーム世界では、内戦はキリスト教徒によるムスリムヘの迫害であると理解される傾向があった。その結果として、サウジアラビアをはじめイスラーム諸国からは、同胞を救うために多くの義損金が集められ、また0IC諸国がたびたびセルビア人勢力に対する非難声明を発し、イスラーム世界各地からアフガン戦争経験者などの義勇兵が参戦したことも、ソ連のアフガニスタン侵攻の場合と同じであった。
一九九四年のロシア軍のチェチェン侵攻においても同様なパターンがくり返された。また、隣国のイングーシ、ダゲスタンのムスリムが、チェチェンの反ロシア闘争に協力的であるのも、このエスニシティとしてのイスラーム、あるいはウンマの連帯意識の発露とい う側面をもつ。
エスニシティとしての宗教とは、生得の宗教である。それゆえ、エスニシティの構成要素としてのイスラームと、自覚的に選びとられた立場としてのイスラーム復興主義とは、明らかに別物である。イスラーム復興主義は、エスニシティというよりは、世俗主義に対立する一種のイデオロギーであると考えるほうが実態に近い。エスニシティとしての宗教・宗派的帰属とイスラーム復興主義は、現実には重複して存在しているとしても、分析的には区別されなくてはならない。そして、今日のイスラーム世界でまがりなりにも機能している連帯は、イデオロギーとしてのイスラーム復興主義であるよりは、むしろ民衆の心にいまなお息づいているエスニシティの一部としての素朴な同胞感情なのである。
こうした視点をふまえたとき、ムスリム地域での紛争でしばしば現われる「ジハード」のスローガンや義勇兵を、イスラームの好戦性のあかしとする「イスラーム脅威論」の認識構造の底に、西欧のイスラームに対する根深い敵意からくる歪曲が存在することがみえてくるのである。
………イスラーム運動は何をめざすのか
以上に概観したように、一口にイスラームの連帯といっても、その内実は多種多様である。イスラーム連帯のもっとも首尾一貫した立場は、かつてのイスラームの家に、民族、国籍を超えて、イスラームの同胞意識のみを基盤とする統一されたカリフ国家を再建することであろう。この立場からすれば、加盟国の主権のうえに立っムスリム国家の連合体である0ICなどは、イスラームの連帯を目的に掲げていても、その実イスラームの連帯を妨げ、イスラーム世界の分断の現状の固定化のために奉仕する反イスラーム組織にすぎないということになる。
こうした考えかたからもわかるとおり、理論的には、イスラームの同胞意識は、民族、国籍、宗派への帰属意識の否定を要請する。そのため、純粋な形態のイスラーム復興主義は、領域国家としてのムスリム国家のみならず、既存の国家の枠組みを前提とする「イスラーム国家化」の運動とも対立することになる。
とはいえ、現実にはこのような純粋形態のイスラーム運動はきわめてまれにしか存在せず、現在のイスラーム運動は、国家主義、民族主義、イスラーム復興主義の混合形態であり、イスラームに関係する紛争は、そうした諸力のせめぎあいである。
イスラーム復興運動の高揚は、エスニシティとしてのイスラームにまどろむ生まれながらのムスリムを、自覚的にイスラームを選びとった「生まれ変わった」イスラーム復興主義者に変えつつあり、また今日の交通・通信手段の発達は、イスラーム復興運動の広範囲なネットワーク形成を促進している。
しかし一方で、冷戦終了後、欧米諸国は、イスラーム復興主義をみずからのヘゲモニーに対する最大の脅威とみなし、その伸張を押さえるために、既成の国家の枠組みを守り既得権益の維持を図るムスリム国家の為政者たちに、軍事、財政援助を与え、治安協力を強化しつつある。そのため、イスラーム復興主義の封じ込めが成功する可能性も否定できない。いずれにしても、イスラーム世界の今後を占うためには、目先のテロ報道にとらわれることなく、イスラーム運動の文化・社会・政治的背景をふまえたうえで、それを国際政治との連環のなかに位置づけて総合的な判断をくださねばならないだろう。