中田考、「イスラームにおける寛容ークルアーンと法学に基いてー」、竹内整一、月本昭男編、『宗教と寛容ー異宗教・異文化の対話に向けてー』、1993年、pp. 196-219。
イスラームにおける寛容
ークルアーンと法学に基いてー
中田考
序
「宗教における寛容」とは、およそ学問的に稔りある議論の期待できないテーマの一つである。
その一因は「寛容」の概念規定の曖昧さ及び、「寛容」が善であり「非寛容」が悪であるとの末だ証明されない前提にある。そしてこの「寛容が善、非寛容が悪」という価値判断の存在ゆえ、「宗教における寛容」についての議論は学問的議論というよりも護教論の色彩を帯びることになり、論者は自分の属する、或いは共感する宗教の寛容の「証明」に努めることになりがちである。
本稿では1節で「寛容」の概念、特に「宗教的寛容」の概念規定にまつわる困難を明らかにしたのち、2節において「宗教に強制はない」とのクルアーンの章句の解釈、3節ではイスラーム法学の「庇護民契約」、「ジハード(聖戦)」、「背教」の規定に題材を取りイスラームにおける「寛容」を考えることにしたい。
一 「寛容」概念の困難
(一) 「寛容」とは何か
手元の辞書をひもとき「寛容」の語を引くと、「心がひろく、よく人をうけいれること」とある。そこで取り敢えず「寛容」を他人に対する承認を意味すると考えてみよう。
自分と他者だけの二者関係を考えても、自分が能動的立場にあるか、受動的立場に置かれるかで「寛容」の持つ意味合いは全く変わってくる。
能動的立場とは、自分の生活が相手に依存しておらず、なおかつ相手から自分に対する要求が全く存在しない場合である。この場合相手に対していかなる態度を取るかは完全に自分の意志によっているということができる。こうした状況においては、相手の行動様式、人格、信条、趣味などについていかなる要求、干渉、口出しもしないことが「寛容」であるかのように思われる。しかし不干渉が相手の失敗、破滅につながると確信している場合、放任することは「寛容」と言えるであろうか。特に相手が子供の場合や、相手の知らない情報を自分が知っている、と信じられている場合を考えると、普遍主義的人間観の持主には他人に対する承認=不干渉を「寛容」と呼ぶことが出来るかどうかはかなりあやしくなってくる。
受動的立場にあるとは、相手との間に利害関係があり、自分の生活が相手に依存している場合、あるいは相手からの要求に晒されている場合を言う。相手に自分の生活が依存している場合の極端な例は、奴隷と主人、王と臣下などの関係であるが、この場合、奴隷、臣下が主人、王の行動様式、人格、信条、趣味などに口出しをしないことは「寛容」とは呼びにくかろう。相手の要求に晒されている場合というのは、相手が一方的に生命、財産、時間、労働などを要求してくる場合である。この場合相手との力関係が拮抗しているか、あるいは自分が強者である場合に相手の要求を全て無条件に受け入れたなら、なるほどそれは「寛容」と呼べるかもしれないが、長期にわたってこうした「寛容」の態度を一貫して維持することは殆ど不可能に近い。
他者が複数になり、他者どうしの関係も考慮にいれねばならなくなるとき、更に問題は複雑になる。他者間で一方が他方を理由なく迫害しているとき、それを放置することは両者に対して「寛容」と言えるのであろうか。あるいは双方から、互いに両立不可植な要求を持ち出されたとき、どう反応するのが「寛容」なのか。
上記のようなケースを想定してみただけでも「寛容」なる概念の有効性が極めて狭いものであることは予想されるが、現実の社会関係は勿論このような単純なモデルに還元できるものではない。例えば主人と奴隷の関係で言えば、両者の関係は安定したものでありうるためにはその関係を承認する全体社会が存在しなくてはなるまい。また背後に権利侵害に対する制裁を代行する権力装置が存在すれば、その威嚇を背景に局地的に、自らは権利侵害への対処の責任を負わず防衛機構を備えない「寛容」な共同体を維持することが可能となる。これは政教分離を掲げる宗教、あるいは現世から隔離された「修道院」制度を持つ宗教に当てはまる。このような宗教に関しては、その存続を可能とさせている全体社会との連関を考慮にいれずにその宗教の「寛容」のみを論じるのは片手落ちであろう。
与えられた紙数は限られているため、「寛容」概念一般の有する問題点の指摘は取り敢えずこれにとどめ、以下では「宗教的寛容」の問題群の若干に言及しておきたい。
(二) 宗教的寛容
我々はここで大上段に構えて宗教の定義を論ずる必要はなかろう。ただデュルケムに倣い、宗教が個人的営為でなく、社会的営為であり、教団の存在を前提としていることを確認しておけばよい。
一般的「寛容」と区別された特殊宗教的「寛容」なるものがあるとすれば、その領域はどこにあるのであろうか。
直ちに思い浮かぶのは宗教儀礼と信仰であり、「宗教的寛容」とは「他人の宗教儀礼、内心の信仰を容認し、干渉しないこと」を意味するように思われる。しかし実はここでも問題はそれ程単純でもない。
我々の科学的常識からして迷信であるばかりでなく、あきらかに野蛮、生物学的、社会学的に有害と考えられる宗教儀礼、あるいは特定の成員を犠牲の生費に捧げるような儀礼を放置することは宗教的寛容と言えるであろうか。特に社会全体としてはその儀礼の正当性が広く受け入れられていたとしても、その儀礼によって犠牲となる当事者が、それを望んでいないといった場合にはいかなる対応が「宗教的な寛容」なのであろうか(1)。
上の例は我々自身は傍観者の立場にある、即ち前述の意味で能動的立場にあることを措定してのものであるが、我々自身が状況に巻き込まれ当事者の立場となる受動的状況も当然存在しよう。例えば異教徒は不浄な賎民として遇する、という宗教儀礼を持つ人々の間では「賎民」として振る舞うことが寛容なのだろうか。あるいは逆に旅人は神の使いとして饗応する儀礼を有する宗教に対しては「神の使い」として饗応に応じるのが寛容なのか、それとも自分は「人間」であるからとして拒否するのが寛容なのか。あるいは余所者は皆、悪鬼だとして殺してしまう宗教を持つ村に迷いこむ、といった極端な例を考えることもできよう。
このように考えてみると、信仰は内心の問題であるという考え方が、実は宗教戦争、政教分離の歴史に規定された特殊西欧的宗教理解に過ぎず、実際には信仰が内心の問題にとどまる場合はむしろまれで、多くの場合には信仰の違いは行動パターンの違いとなって現れるということが分かろう(2)。
信仰が一定の行為を伴い、なおかつ受動的立場に立たされた場合は、「寛容」に振る舞うことは、時には自己の内心の信仰、或いは信念の放棄を必要とし、時には生命をも危険に晒すことになる。
信仰が純粋に内心の問題にとどまっている場合及び、自分が能動的立場にある場合には、「寛容」はむしろ認識論の問題の様相をおびる。「絶対的価値相対主義」はそもそも自己矛盾であり、真理要求を全く含意しない認識論的立場というものはあり得ない。
宗教的「寛容」を認識論の地平において基礎付けるのが、「相対的」価値相対主義(以後単に、「相対主義」と記す)である、と取り敢えず言ってみよう。宗教的「価値相対主義」とは自己の真理要求を括弧にいれるものであるが、それは様々な形態を取りうる。
第一にそれは、普遍的な「人類」概念の欠如の結果でありうる。他者と自己が本質的に「別種」であると考えれば、牛馬に我々と同じ行動をとることをそもそも期待も要求もしないのと同様に、自己の認識体系と他者の認識体系の相違が問題化することもない。
自己と他者の区別は、血統、地縁など「自然的紐帯」、いわゆる「民族」概念を基礎とする場合がある。「聖別された民族ユダヤ人」、「神国日本」などといった発想はこの例であり、またヒンズー教のカースト制度のような同一宗教共同体内の世襲的階級制度もこのヴァリエーションの一つと言えよう。また区別は「理性」、あるいは「霊性」における「エリート主義」を基礎とすることもありうる。「支配者たるべくして生まれた者」、「霊的に選ばれし者」といった表現がその合言葉となり、グノーシス主義のような秘儀結社がその典型である。
普遍主義を掲げないこのような「特殊主義」の宗教は、自己と他者の「霊性」のレベルの違いを前提とするが故に、「異教徒」に自分たちと同じ信仰、行動様式を期待しない(3)。しかしそれは必ずしも「宗教的寛容」を帰結するものではない。特殊主義宗教は、単に異教徒を自分たちと「同じ人間」であるとは考えないのである。「特殊主義」の他宗教集団に対する位置づけは、価値評価を含まず単に「別種」とみなす場合もあれば、価値評価を伴う場合もある。自集団に「劣位」、異教徒に「優位」を割り振ることは論理的には可能であるが、実際には価値評価を伴い特殊主義は概ね異教徒を蔑視するものであると言えよう。いずれにしても特殊主義は、他者に対する同胞意識を決定的に欠くが故に、他者に対するその一般的態度は「寛容しというよりは無関心に過ぎない。そしてこの「無関心」ゆえ、当該宗教の依拠する価値観自体に絶対的な不殺生主義が内在しているといった偶然がない限り、特殊主義宗教の信徒が異教徒を文字通り虫ケラのように平然と抹殺できることも、歴史の教えるところなのである。
普遍主義宗教は全ての人問は理性を共有するが故に共通の理解に到達し得、従って自らの教義は万人に理解可能であると考える。普遍主義宗教にとって自己と他者の境界は固定したものではなく、万人は潜在的な信徒である。それゆえ普遍主義宗教には宣教の契機が内在し、原理的に「非寛容」である。普遍主義宗教にとっては現実に存在する個々人の信条の相違は、年令及び、自然、社会、文化環境の違いなどに基づく情報の偏差の帰結であり、正しい情報の提供により克服されうるものとされる。
しかし実際には人間存在の生物学的制約、時間、空間的制約により克服されない差異は必ず残存することになり、ここに普遍主義宗教にも「相対主義」が成立する可能性が残されることになる。従って普遍主義宗教の「相対主義」は元来状況依存的、弥縫的であり、その「寛容」度も、「理性」の強度への確信度、自己の教義の特殊性、使信の伝達の重要度、緊迫度の自己評価といった教義体系に内在する論理によってのみ決まるわけではなく、同一の宗教においてもおかれた状況に応じて変わることになる。普遍主義宗教は、「理性」の強度への確信が弱く、かつ宗教との教義上の差異を非本質的なものである、と見做せる場合には高い「寛容」度をもつことができ、時には自己の真理要求を留保することさえ可能となるであろう。
これまで我々は便宜上、「寛容」の問題を自己と他者の関係として扱ってきた。しかし自己と他者の境界設定自体、「寛容」をめぐる議論の主題の一つである。即ち「正統性と異端」の問題である。本稿は紙数の制約もあり、「正統と異端」の一般論に踏み込むことは禁欲し、共同体の境界設定の問題は、内部と外部の関係調整の問題と不可欠でありながらも、別の問題であり、別個の扱いを必要とすることを指摘するにとどめよう。
繰り返すが、我々の目的は決して「宗教的寛容」の一般理論を構築することではなく、逆に具体的状況を捨象して「寛容」を論ずる抽象論の不毛性を明らかにすることであり、既に我々はその目的を達したと思う。いかなる宗教も特定の状況下では「我々」の常識に照らして「寛容」に振る舞いうるし、またいかなる宗教であれあらゆる状況下で全ての人間から「寛容」であるとの評価を得ることは不可能なのであるである。
それは「寛容」という概念が分析概念として用いるに足る明晰性を元来備えておらず、「寛容」が価値評価を伴う概念であり、我々の間に評価基準の合意が存在しないことによる。
また抽象論の不毛さの別の要因として、いかなる宗教体系といえども、信徒の置かれうる全ての状況を想定した完全に包括的な指針を示すことは出来ず、解釈の余地を残すという事実である。
「寛容」はあくまでも近代西欧文明の生み出した概念であり、前近代において世界宗教は「寛容」を独立の主題として取り上げることはなかったのであり、特定宗教における「寛容」を論ずることは、その宗教の生み出した言説の集積に我々の文化的枠組みを当てはめ、我々が「寛容」に関わるとみなすものを切り取り解釈する行為である。
「寛容」に関連する問題群に対して特定の宗教がいかなる規定を与えているとみなすか自体が一義的に確定している訳ではなく、解釈者の解釈枠組みに依存している。即ちある宗教の「寛容」を論ずることは、本来確定していない当該宗教の「寛容」観を、信徒のその宗教についての主体的実践的解釈、更にその信徒の解釈に対する研究者による所謂「学問的」解釈の二重の解釈過程の介在により特定化されたものとして提示することに他ならないのである。
イスラームはクルアーンという聖典テキストを有する点において、そもそも聖典を持たない神道、聖典の範囲が不分明な仏教などに比べると教義の間主観的確定が比較的容易とも言える。しかし二十年にわたって断片的に啓示され主題別配列を欠く韻文テキストというクルアーンの性格に基づく解釈の難しさに加え、「教皇」、「公会議」のような「公的」な教義決定機関の不在というイスラームの特質から、イスラームの教義とは何か、への解答にはかなりな程度の恣意性が伴うことは不可避である。
そこで本稿ではイスラームの聖典であるクルアーンの古典注釈書と、伝統的イスラーム学の中心でもあり、内容の明断さに加えて時代と地域の相違を超えた高度の安定性を有する古典イスラーム法学の綱要を材料に、「寛容」に関わる記述を抜き出し、それに則して議論を進めることにしたい。
二 クルアーンにおける寛容
イスラームには二つの聖典が存在する。アッラーの御言葉であるクルアーンと、使徒ムハンマドの言行録ハディースである。使徒ムハンマドはアッラーの使信を伝える媒体として選ばれた以上、無謬でなければならず、それゆえクルアーンとならび、ハディースもまた無謬の聖典なのである。しかし聖典テキストとしての性格に関しては、両者の間に大きな隔たりがある。
クルアーンは、三代カリフ・ウスマーンの結集になる「ウスマーン本」とよばれる定本の存在によりテキスト批判を要しない(4)。一方ハディースに関しては、シーア派のハディースが使徒のハディースに加えてイマームたちのハディースをも含むという根本的な相違があり、スンニー派の『大正伝』と呼ばれる六つの権威あるハディース集成と、シーア派の『四書』では、伝承者が違うのみならず内容にもかなりの隔たりがある。スンニー派『大正伝」だけをとってもそのいずれもが、収録するハディース全ての無条件に歴史的に正しく使徒に帰すことができるとは言い切れない。現在に至るまでハディース学者の間では個々のハディースについての考証学的テキスト批判が続けられており、厳密に言えばハディースはテキスト目体が確定していないのである。本稿がハディースの引用を最小限にとどめ、専らクルアーンの章句を引用するのはこの理由による。
現代アラビア語で「寛容」にあたる言葉はtas±muÆである。「クルアーンか剣か」の有名な言葉に集約されるオリエンタリズムによる「非寛容なイスラーム」像への反動形成から、現代イスラームはおしなべてイスラームの寛容を喧伝する。その際に必ず引き合いに出されるのが「宗教に強制なし」とのクルアーンの章句である。そこで本章では、この章句を取りあげ、クルアーンの「寛容」を考えてみることにしたい。
(一) 「宗教に強制なし」
「宗教に強制なし」の章句は正確にはクルアーンの、
宗教に強制はない。既に導きは迷誤から明らかにされた。それゆえ邪神を退けてアッラーを信仰する者は、破断することのない固さ絆をしっかり掴んでいる。アッラーは聴者にして、知者におわし給う。(二章二五六節)
との「節(±ya)」の一部である。
スンニー派の標準的クルアーン注釈書であるアルバイダーウィー(ヒジュラ暦七九一年没)の『啓示の光と解釈の秘義』はこの節に以下のように注釈を加えている。
「宗教に強制はないしの句であるが、そもそも「強制(ikhr±h)」とは、他者に、その他者をしてそれを行わしめるいかなるメリットも(その他者が)見出さないところのある行為を強要することである。ところが「既に導きは迷誤から明らかにされた」の句は、「信仰は、明白なクルアーンの諸節に対する不信仰から区別される」という意味である。多くの証拠が、信仰こそ永久の幸福を招く「導き」であり、不信仰は永遠の悲惨をもたらす「迷誤」であることを示している。それゆえおよそ理性を有する者でさえあれば、それ(信仰の真理)が明らかにされたなら、幸福と救済の獲得を求め、自ら信仰へと急ぐので、強制も無理強いも必要としないのである。
また別の説によると、ここでの叙述文は禁止命令、つまり「宗教について強制をするな」という意味であり、その意味にとる場合それは、
(1)一般的意味〔宗教一般について妥当〕であるが、(後に啓示された)「~不信仰者と贋借物と戦え、彼らに過酷に対処せよ~」(六六章九節、九章七三節)の章句によって廃棄されたか、あるいは、
(2)以下の伝承に拠って、啓典の民(キリスト教徒、ユダヤ教徒)にのみ当てはまる特殊な意味であるかのいずれかである。
援助者(メッカから移住してきたイスラーム教徒を迎えたマディーナ氏)の一人には、使徒の召命以前にキリスト教に入信した二人の息子がいた。その後その二人の息子がマディーナにやって来たが、彼は二人の息子に「アッラーに誓って、私はお前たち二人がイスラームに帰依しないまま放置しておかないしと言い、二人に(入信)を強要したが、息子たちはそれを拒んだ。そこで親子は裁定を求めて使徒の許に赴いた。そして援助が「地獄の火が私の子供たちに迫っているのを、見逃せましようか」と言った時、この節が(使徒に)啓示されたため、彼は二人の息子を自由にしたのである。
「それゆえ邪神を信仰せず」とは、悪魔、偶像、その他アッラー以外で崇拝を捧げられているもの、或いはアッラーに対する崇拝を妨げるもの全てを信仰しない、という意味である。»±gh¹tは»aghy±n(暴威を振るうこと)の語のfaØl¹t形であるが、〈.〉ノ位置と〈l〉の位置が入れ替わって»agh¹tの形になっているのである。
「アッラーを信仰する者」とは、「アッラーの唯一性及び使徒たちがアッラーの真の使徒であることを信ずる者」のことであり、「固さ絆をしっかり摑んでいる」の句は、丈夫な綱でできた固い絆を握っているように、と求めているのであり、正しい考えかたと確かな見解の真理の遵奉の隠喩なのである。「破断することのない」とは「切れることのない」ということであり、何かを壊したとき、「それを破断した、それは破断したしというふうに言われる。
「聴者にして」とは人々の言葉について、「知者におわし給う」とは人々の心のうちに秘めた真意についてであり、偽善に対する威嚇を意図していると思われる(5)。
この節から演繹される法規定については、上記の(1)廃棄無効説、(2)啓典の民限定有効説以外に、
(3)剣を突きつけられて入信したスリムを「無理強いされた入信者」、「強制された入信者」と呼ぶことの禁止、
(4)捕虜の処遇に関して、捕虜が捕えられた時点で成人であり啓典の民に属していたならイスラームを強制されないが、マギ教徒〔拝火教徒〕であるか偶像崇拝者であればイスラームヘの入信を強制されること、
を意味するとの学説があり、意見が分かれている(6)。
使徒の宣教は、マッカでの召命からマディーナヘヒジュラ(避難、聖遷)するまでの「メッカ期」と、マディーナにおいて「イスラーム教団国家」を樹立し逝去するまでの「マディーナ期」に大別される。
「メッカ期」においては、偶像崇拝の多神教の支配するメッカ社会の中でイスラーム教徒は少数派であり、アッラーの命により宣教のためといえども戦闘は禁止されていた。
マディーナヘのヒジュラ後に最初に「戦闘」が命じられたのは、「汝らに戦いを仕掛ける者たちとは、アッラーの道において戦え。但し則を越えてはならない。まことにアッラーは則を越える者を愛でたまわない。」(二章一九〇節)の節であり、次いで上記の「預言者よ、不信仰者と贋信者と戦え~」の節、「啓典を与えられた者たちでアッラーを信じず、また最後の審判の日を信じず、アッラーとその使徒が禁じたものを禁じず、真理の宗教を奉じない者とは、彼らが屈従し手ずからジズヤ(人頭税)を差し出すまで戦え」(九章二九節)、「~多神教徒たちが汝ら全員に戦いを仕掛けてくるのと同じように、多神教徒たち全てを相手に戦え。そしてまことにアッラーは敬虔な者と共にあらせられることを知れ。」(九章三六節)、「信仰する者よ、汝らの近隣の不信仰者と戦い、彼らをして汝らの苛酷さを知らしめよ。そしてまことにアッラーは敬虔な者と共にあらせられることを知れ。」(九章一二三節)、「内戦がなくなり宗教が全てアッラーのものとなるまで彼ら(不信仰者)と戦え~」(八章三九節)、「信仰する者はアッラーの道に戦い、不信仰な者は邪神の道に戦う。それゆえ悪魔の仲間たちと戦え。まことに悪魔の策謀は弱いものでしかない。」(四章七六節)、「戦闘は汝らの嫌悪するものであるが、汝らに義務として課された~」(二章二一六節)などの節が下され戦闘の義務が規定されたのである。
つまり「宗教に強制はない」との意味は、
(1)イスラームの真理が明かされれば、分別のある人間なら当然自発的にイスラームに入信するはずである(それゆえ強制は必要でない)、という予定調和的発想であるか、
(2)メッカ期のイスラームの相対的弱体期の暫定的な戦闘の禁止であるか、
(3)教義の本質的部分において多くの共通点を持つキリスト教、ユダヤ教にのみ適用される例外規定であるか、
(4)剣をつきつけられて入信した者を強制されて入信したとして差別してはいけない、つまり強制による入信の有効性を追認する趣旨の啓示であるかのいずれか、
であり、近代西欧的「信仰の自由」の概念とは無縁であることは明らかであろう。
イスラームが異教徒との戦争を容認しているかどうかは実は本質的な問題ではない。歴史の教える通り、キリスト教、仏教、儒教、道教、ヒンドゥー教などの大宗教は全て異教徒との戦闘を容認、あるいは奨励してきた。それは本質的に平和的であるはずのキリスト教、仏教、道教ですら例外でなく、そのオーソドックスな教義の一部として戦争の正当化の論理を構築しているのであり、ただイスラームとの相違点は、イスラームがそれをより実証的に精緻で安定した法学的議論として完成させたことにのみ存する。
(二) クルアーンの普遍主義
より重要な点は「寛容」の問題においてイスラームが典型的に普遍宗教の特質を示している点にある。イスラームは当初より民族宗教の枠を越えて全人類に対するメッセージとして宣教されており、それは使徒の高名な直弟子の中にサルマーン(ペルシャ人)、ビラール(エチオピア人)などの「異邦人」が含まれていることからも明らかであるのである。同時にそれは「異邦人」であること〔アラブでないこと〕によって宣教を免除されず、入信するか拒むかの二者択一を迫られることをも含意する。
またクルアーンが「明白な啓典(al-kit±b
al-mubµn)」と呼ばれることからも分る通り、イスラームは万人に理解可能な単純明快な教えとして提示されており、決して霊的エリートにのみ理解できる秘義、達人宗教ではない。逆に言うとそれはイスラームは人間にイスラームを理解できる天性を認めているということであり、それは聖職者を認めない徹底した在家主義を帰結すると同時に、求道者だけでなく宗教に関心のない者もアッラーを信ずるか拒むかの決断を強いられる、より正確に言えば神に無関心に生きることは許されないということをも意味することになる。なぜなら「我(アッラー)が妖精と人間を創造したのは、ただ我を崇拝せしめんがため」(五一章五六節)とのクルアーンの言葉にあるように、イスラームの世界観において人間の創造はひとえにアッラーを崇拝するためであり、宗教は人生の究極の目的、生の根幹に関わる重大事であり、無関心であることの許される趣味や好みの問題ではないからである。
普遍主義宗教は真理の普遍性を唱えるが故に全て排他的であり、イスラームもまた例外ではない。「まことにアッラーの御許の宗教はイスラームである~」(三章一九節)とのクルアーンの章句が明言する通りイスラームのみが唯一の真の宗教である。にも関わらず制度としてのイスラーム教以外にも救いの可能性が残されていることは、イスラームの正統教義の認めるところである。
イスラームの預言者論は、ムハンマドをノアに始まる預言者の系列の最後の「封印」と考える。そしてそれらの預言者の教えは全てイスラームなのである。従って「イスラーム」の語には、最後の預言者ムハンマドによって制度的に完成された実定宗教としての狭義の「イスラーム」と、時と場所の相違に基づき細部においてはそれぞれ異なる諸預言者の教えの共通する本質としての広義の「イスラーム」という二つの意味があることになり、「まことにアッラーの御許の宗教はイスラームである~」といった場合の「イスラーム」は後者である。
「~もし啓典の民たちが(イスラームを)信仰していれば、その方が彼らにとって良かったものを。彼らの中には信仰者もいるが、大半は不信仰者である。」(三章一一〇節)
この節は、少数とはいえども啓典の民の中にも広義のイスラームの信仰を保持して救いに与かる者があることを明示している。カトリック・キリスト教が、異教徒は言うに及ばず教義的に殆ど差のない異端にすら救いを認めてこなかったこと、大乗仏教が縁覚、声聞の救いを否定し上座部仏教を小乗仏教と蔑んできたことなどを考えあわせると、イスラームは普遍宗教としては相対的に「寛大」であるということもできよう。
では具体的に啓典の民とは誰を指すのであろうか。
クルァーンに名の現れる預言者は二五名を数え、うち二〇名がノア、アブラハム、ダビデ、モーゼ、イエスなど旧約、新約聖書にも名前の挙がっている預言者である。「我々(アッラー)は全ての共同体に対して、アッラーを崇拝し邪神から遠ざかるようにと、既に使徒を遣わせてある~」(十六章三六節)と言われている通り、全ての民族には預言者が遣わされているが、一説によるとその数は一二四、〇〇〇人とも言われる。しかしそれらの預言者の大半については何ひとつ知られていない。
またキリスト教徒とユダヤ教徒が、啓典の民に含まれることはクルァーンを一読すれば明らかであるが、その他の宗教集団についてはクルアーンは僅かにサービ教徒(キリスト教徒の一派、星辰崇拝者と言われる。二章六二節、五章六九節、二二章一七節)とマギ教徒(二二章一七節)の名に言及しているだけであり、啓典の民の外延は曖味なのである。
また背教者については、クルアーンは「~汝らの中で自分の宗教(イスラーム)から背き、不信仰者として死ぬ者は、彼の行いは現世でも来世でも無益となる。彼らは地獄の住人であり、そこに永遠にとどまる。」(二章二一七節)
と述べ、背教者には救済がないこと、永遠の地獄の罰を受けることを明らかにしている。また異端の問題は、使徒の存命中には生じず、クルアーンにも直接の言及はない。
以上我々は、クルアーンの古典注釈に則り「宗教に強制はない」の句の意味するところを、またイスラームにおける他宗教の位置づけの分析からその「普遍主義し的特徴を明らかにした。次章ではカズイスティックな行為規範体系としてよりアーティキュレートされた「イスラーム法」の古典の議論に基づき、共同体と他者の関係、即ち異教徒との関係の規定及び、共同体の境界維持の問題、即ち背教者の規定を紹介することにしよう。
三 イスラーム法学における「寛容」
使徒ムハンマドはアッラーの使信の伝達の媒体の役割を担うために無謬でなければならなかった。少数派のシーア派は、使徒の没後も人類は無謬の指導者(イマーム)を必要とすると考える。他方、多数派であるスンニー派によると、イスラームの教えはクルアーンとハディースにより既に完成され十分明確に示されており、信徒に残されているのは解釈のみであり、その解釈は殊更に無謬性を必要とはしない。使徒ムハンマド以後の無謬の個人の存在を否定するスンニー派は、イジュマーゥ(イスラーム共同体のコンセンサス)の無謬性の教義によって、イスラームの真理要求を掲げることになる。
スンニー派では九世紀には、(1)クルアーン、(2)ハディース、(3)イジュマーゥ、(4)キヤース〔クルアーンとハディースから論理的に演繹されたもの〕を主法源とする行為規範体系=イスラーム法が成立し、一二~一三世紀頃にはハナフィー派、シャーフィイー派、マーリキー派、ハンバリー派の「正統」四法学派が確立された。
スンニー派法学は細部においては学派間に若干の差異があるものの、大綱においては斉一的であり、また現代にいたるまで時代と場所を超えて高度に安定した内容を維持してきたのである。
(一) 庇護契約
イスラーム法学は、「イスラーム国家」あるいはイスラーム法の施行されている土地を「イスラームの家」と呼ぶ。
このイスラーム国家において「異教徒」は「庇護民(ahl al-dhimma)」の位置を占める。即ち庇護民とは、既述の「啓典を与えられた者たちのうちでアッラーを信じず、また最後の審判の日を信じず、アッラーとその使徒が禁じたものを禁じず真理の教えを奉じない者とは、彼らが手ずからジズヤ(人頭税)を差し出すまで戦え」(クルアーン九章二九節)の節に基づき、「ジズヤ」の貢納を条件とする講和により「イスラームの家」に組み込まれた異教徒のこ
とである。
本章では例としてスンニー派法学の中でも最も厳格と言われるハンバリー学派の権威ある法学綱要の古典の一冊であるシャラフッディーン・アルヒジャウィー(ヒジュラ暦九六八年没)著『満足を求める者の糧』の「庇護契約の締結とその諸規定」の全文を紹介しよう。
〔庇護契約の締結〕
庇護契約は、マギ教徒及び、新旧約聖書の氏とその分派以外には締結されない。
またカリフかその代理以外はそれを締結出来ない。
またジズヤ(人頭税)は小児、女性、奴隷、支払い能力の無い貧者には課されない。
ジズヤはその納税義務者から年末に徴収される。
彼らがその所定額を収めれば、それを受領しなければならず、彼らとの戦闘は禁じられる。
その徴収にあたっては、彼らは卑しめられ、身を低くして長時間立たされ、手を伸ばさせられる(庇護民側から卑屈にジズヤを差し出すかたちを取らせる)。
〔庇護民の諸規定〕
カリフは生命、財産、名誉に関しては彼らにイスラームの法規定を適用しなくてはならないし、彼らが合法と信じているもの〔例えば飲酒など〕を除き、彼らが禁止と信じているもの〔例えば姦通など〕についてはハッド刑を執行しなくてはならない。
また彼らにムスリムとの識別を強制しなくてはならない。また彼らは馬以外の乗用獣に鞍ではなく荷鞍を敷いて乗らねばならない。
また彼らには会議で最初に発言することは許されないし、彼らの為に起立することも、彼らに先に挨拶することも許されない。
また彼らは教会の新築、転売、またたとえ不正による破損箇所の改築さえ許されず、ムスリムのものより高い建物、同じ高さの建物を建てることも許されない。
また酒、豚、鐘を人目に晒すこと、彼らの聖典を朗唱することも許されない。
キリスト教徒のユダヤ教への改宗、及びその逆は認められず、イスラームヘの入信か元の宗教(に留まるか)しか受け入れられない。
〔庇護契約の違背行為〕
もし庇護民がジズヤの貢献あるいはイスラームの規定の遵守を拒むか、ムスリムに対し、殺人、性的暴行、強盗、スパイ行為、スパイの蔵匿、あるいはアッラー、その使徒、クルアーンを冒漬する発言をすれば、彼は庇護契約に違背したことになるが、その妻子にまで及ぶものではなく、彼の生命、財産だけが庇護を解除される(7)。
庇護民はイスラーム世界に子々孫々にわたって永続的に定住する異教徒集団であり、イスラーム世界の一部を構成していると言うこともできる。事実今日に至るまでイスラーム世界には、西欧キリスト教世界で異端とされたアリウス派、ネストリウス派、コプト派などキリスト教の古い諸分派、ユダヤ教、ゾロアスター教など多くの宗派が残存している。
庇護民が、イスラーム世界内の定住異教徒集団だとすれば、「戦争の家」からイスラーム世界を訪れ一時的に寄留する異教徒は「安全保証取得者(mustaÙmin)」と呼ばれる。
簡潔な綱要としての性格から、『満足を求める者の糧』は、「安全保証取得者」の規定に言及していないが、その注釈『新緑の牧場』は、一章を設け、「安全保証」の規定を論じている。
「安全保証」の規定は、クルアーンの「もし多神教徒の一人が汝に寄留を求めてきたなら、彼がアッラーの御言葉を聞けるよう傍においてやり、それから安全な場所に送り帰してやれ。それは彼らが悟ることがないからである。」(九章六節)の節に由来し、多神教徒を含む全ての異教徒に適用される。また同注釈によると、庇護契約の締結がカリフの特権であるのに対し、安全保証は、分別を備え成年に達したイスラーム教徒であれば、女性や奴隷ですら保証人となって与えることができる(8)。
安全保証の付与の条件が庇護契約に比べて緩いのは、土地の事情に通じ同信集団を形成している庇護民と異なり、安全保証取得者は旅先の個人に過ぎず、イスラーム共同体の安全の脅威とならないと思われるからであろうか。
いずれにせよ重要なことはイスラームが、異教徒との共存を、状況依存的な政治の問題や、曖昧で拘束力のない心情倫理の問題として処理せず、聖典クルアーンから演繹された自己拘束的な法規定として制度的に保証したことである。
庇護民も安全保証取得者も、「イスラームの家」の内部にあってイスラームの優位、主権を承認した存在であり、異教徒(=他者)でありながらも、西欧帝国主義により植民地化される以前においては、イスラームは彼らとの関係を能動的に律することが可能であった。
一方「イスラームの家」の外、イスラーム法の支配の及ばない「戦争の家」の異教徒の行動については属人法であるイスラーム法は何の規定もないのは当然である。イスラーム法はただ「イスラームの家」と「戦争の家」という二つの共同体の関係について若干の規定を与えているのみであり、それが世に知られた「ジハード」の諸規定である。
(二) ジハード
『満足を求める者の糧』における「ジハードは連帯義務であるが、敵に遭遇した者、或いは居住地を敵に襲われた者、及びカリフから招集を受けた者には(個別的)義務となる」(9)とのジハードの義務規定は、ジハードの防衛的性格を示している。
前節で既に述べた通り、異教徒との戦闘はマッカ期には禁じられており、最初に戦闘を命じた啓示とされる「汝らに戦いを仕掛ける者たちとは、アッラーの道において戦え~」の節は、戦闘対象を明確に「汝らに戦いを仕掛ける者たち」と限定しており、それが防衛的性格であることは明白である。後の啓示ではこの限定は外され、「戦闘は汝らの嫌悪するものであるが、汝らに義務として課された~」(二章二一六節)とのクルアーンの章句、「ジハードは最後の審判の日まで続く」との預言者の言葉は、消極的「自衛」から積極的「聖戦」へのジハードの性格の変化を窺わせる。
このようにジハードはムスリムの義務となったのであり、これをもってイスラームが好戦的であるということも可能であろう。しかし同時にイスラーム法が「敵の襲撃を受けるか、敵の好戦性に危険を感じた場合を除いて、カリフの許可なしには戦闘は許されない」(10)と、ジハードの宣戦をカリフの大権としたことも見逃されてはならない。カリフの命令が下るか、敵襲あるいはその急迫の脅威がある場合以外、つまり平時においては、一般のイスラーム教徒にとってジハードは義務でないばかりか、許されてすらいなかったのであり、その論理的帰結としてカリフの不在時には自衛のジハードのみ許され、積極的「ジハード」による先制攻撃は禁じられることになる。
またイスラーム法の戦争法規は、以下のように非戦闘員の捕虜についてはその殺害を禁じている。
子供、女性、両性具有者、戦闘に賛同、参加せず、その煽動もしなかった宗教者、老人、足の不自由な者、盲人を処刑することは許されず、これらの者は子供と同様に奴隷とされる(11)。
ここで再びイスラーム法が、聖典から演繹された規範体系であり、自己拘束的規範であることを強調しておこう。つまりイスラーム法の戦争法規は、国家間の条約から発展したものではなく、国際情勢や国家間の力関係を反映するものでも、その影響を受けるものでもないということであり、従って最も弱い立場にある戦争捕虜の処刑の禁止は戦略的な配慮を度外視した絶対的禁止であるということである。これはイスラームが異教徒であるというだけの理由による異教徒の物理的抹殺を企図していないことの決定的な証左と言えるであろう。
(三) 背教
『満足を求める者の糧』で述べるところの「背教者の規定」は下記の通りである。
背教者とは、イスラームに入信後、不信仰に陥った者である。
アッラーに多神を配する、アッラーの主性、唯一性、属性のいずれかを否定する、アッラーに配偶者や子があるとする、諸啓典、諸使徒のいずれかを否定するなどのことを行った者、或いはアッラーかその使徒を侮辱した者は不信仰に陥ったことになるのである。また姦通の禁止や万人の認める明白な禁止事項を、同種のことを知っていて更にそれを教えられた上でそれでも無知により、それを否定する者は不信仰に陥ったことになる。
背教者は義務能力者であり、自発的行為者〔強迫により強制されたのでない者〕であれば、男性であれ女性であれ、三日にわたって監禁し説得したうえで、改心しなければ、剣によって処刑(斬首)される。
アッラーとその使徒を冒漬した者の悔悟、また背教を度々繰り返した者の悔悟は認められず、無条件に処刑されねばならない。
背教者及び、全ての不信仰者の悔悟は、「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」と証言することによる「イスラーム(帰依)」である。
不信仰が義務の拒否などによる者については、その悔悟は、上記の証言に加えて拒否した義務を認めるか、あるいは「私はイスラームの教えに反するいかなる教えにも従いません」と述べることである(12)。
既に見たようにイスラーム法は、異教徒との関係を規定したうえで共存を許容しており、戦争のような限界状況においてすら、非戦闘員の捕虜の処刑を禁じていることからも分かる通り、イスラーム法における異教徒の扱いは概して「寛容」である。
一方、背教者に関しては事情は異なり、男女を問わず戦闘員か否か、ムスリムに敵対するか否かに関わらず物理的な抹殺が義務づけられており、とりわけアッラーと使徒を冒瀆した者に関しては悔悟すら認められないとされ、苛酷な印象を与えることは否めない。
にも関わらず、実際の運用面では、背教の内容があらかじめ明らかにされていること、アッラーと使徒の冒瀆者以外に関しては3日間の執行猶予、悔悟の機会が与えられること、そして悔悟の要件が、「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」との証言のみであり極めて簡単であることを考え合わせれば、実際には確信犯以外が処刑されることはあり得ず、中世キリスト教世界の不合理がつ恣意的な異端審問、魔女狩などとは全く性質が異なることもまた明瞭であろう。
四 結語
我々は二節では「宗教に強制はない」の章句の注釈書、三節ではイスラーム法学の「庇護契約」、「ジハード」、「背教」の規定を略述したが、これまでの議論を整理して本稿の結びとしたい。
1イスラームは人類は等しく理性を有すると考える。
2イスラームは普遍宗教を自認し、人類全ての教化を目指す。
3普遍主義の帰結としてイスラームは、聖職者と俗人の区別を設けず、修道院制度を持たず、全ての社会階層を包摂する全体社会〔犯罪者をも含む〕に妥当する規範体系としてのイスラーム法を発展させた。
4イスラーム法はその執行機関としての権力機構の存在を要請する。
5従ってイスラームは全体社会の秩序維持の責任を自ら引き受け、それを「外部」の権力機構に転嫁しない。
6普遍主義の論理的帰結として、イスラームは独占的真理要求を掲げる。
7アッラーの使信の伝達媒体である預言者、使徒が媒体である限りにおいて無謬であるとされるのに対して、使徒ムハンマドの没後は、無謬性はイスラーム共同体全体に相続され、無謬な個人の存在の可能性は否定され、ムスリム個々人には独占的真理要求は許されず、イスラーム共同体全体の合意が確認された場合に限り、異教徒に対する優越が確定する。
8救済の条件としてのイスラームの範囲は、実定宗教としての「イスラーム教」よりも広く、曖昧さを残す。
9イスラーム法学は、この広義のイスラームの理論的探究には興味を示さず、実定宗教としての「イスラーム教」の境界設定、異教徒との関係の規定のみを展開した。
10イスラームは自明な真理であり、その宣教が届きさえすれば入信するのは当然であるとみなされる。
11イスラームの入信手続きは極めて簡単で、アッラーの唯一性とムハンマドの使徒性の信仰告白で足りる。
12教義の中心が唯一神アッラーの崇拝、帰依であることから、イスラームの信仰は自由な人格の主体的な行為としての求道といったものではなく、神命に基づく義務となる。
13全ての民族に預言者が遣わされたとして、広義のイスラームの信仰の普遍的義務が根拠付けられる一方で、実定宗教としての「イスラーム教」の宣教が届いていない地があることは自明視されている。
14宣教から入信までのタイムラグの存在は認められることから、その理論的基礎の上に異教徒との共存関係の法的規定が与えられる。
15異教徒の存在の許容は、あくまでも悟りの遅い愚者への猶予といった性格のものであり、異教徒の信仰がそれ自体価値を有するものとして尊重されるわけではない。
16異教徒の存在の容認はあくまで恩恵的なものであり、普遍的な生存権の発想に基づくものではない。それゆえ異教徒がイスラームに敵対する場合には無力化されるか、さもなければ殲滅されねばならない。
17異教徒はあくまでも劣った存在であることが、服装、住居、乗物の種類にまでいたるムスリムとの差別化の中で不断に強調される。
18異教徒の生存はイスラームの真理を理解するための猶予期間として許されているにすぎないため、イスラーム以外への改宗は禁じられる。
19真理を悟ったのちには猶予は存在せず、従って背教は死罪となる。
20背教は構成要件の明確に規定された法的概念であり、悔悟によって赦される。
以上、我々は権威ある古典のテキストに則し、「寛容」に関わる諸問題についてのイスラームの立場の整理を試みた。
しかし序節で述べたように、伝統的にイスラームは「寛容」の問題を主題的に扱ってきたわけではなく、この整理の妥当性以前に、テキストの選択自体が恣意性を免れえないことは改めて強調されねばならない。本稿が読者がイスラームを考えるための一助となれば、筆者の望外の幸せである。
最後に本稿で論じたものとは全く異なる発想がイスラーム内部には数多く存在することを付記してここに筆を擱く。
(1)例えばヒンドゥー教の幼児婚、カトリック、イスラーム教の避妊の禁止、カトリックの離婚の禁止、ヒンドゥー教の未亡人の殉死などに対する世俗主義者の非難を思い起こせばよい。
(2)例えば豊作を司る川の神に対する灌概農民の信仰は生娘を供物として川に沈めるといった儀礼を生み出しうる。又アニミズムの信仰が自然環境の保護につながることもあれば、最後の審判への信仰が社会秩序の維持に寄与することもある。
(3)勿論「普遍主義」も「特殊主義」も理念型に過ぎず、現実には純粋な「普遍主義」宗教、「特殊主義」宗教は存在しないことは言うまでもない。
(4) もっとも、現在「ウスマーン本」と通称されているものは、ハフスの伝承によるアースィムの朗読法に従って記号を付されたものでオリジナルな形の「ウスマーン本」は一般には流通していない。
(5) al-Bai½±wµ, Tafsµr al-Bai½±wµ, Beirut, 1988, Vol. I, p. 135.
(6)ash-Shaikh MuÆammad Karµm
RajiÆ,
Mukhtaar
Tafsµr
al-Qur»ubµ,
Beirut, 1987, Vol. I,p. 242.なお(3)の「剣を突きつけられて入信した」というのは、信仰を強制するために剣を突きつけた、ということではなく、イスラーム教徒との戦闘において不信仰者が戦い利あらずと見て殺されるのを恐れて信仰告白を唱えた場合を指すと思われる。『サヒーフ・ムスリム』、日本サウディアラビア協会、昭年六二年、第一巻、七六-七九貢参照。
(7)al-Bah¹tµ, al-Rau½ al-MurbiØ [Sharaf ad-Dµn al-Åij±wµ, Z±d al-mustaqniØ (『満足を求める者の糧」)を収録した注釈書]、Beirut, 1985, pp.203-206.『満足を求める者の糧』は庇護契約の締結が許されるのは、キリスト教徒、ユダヤ教徒、マギ教徒だけであるとしているが、ハナフィー派、シャーフィイー派はアラブ人以外の多神教徒との庇護契約の締結を認めており、マーリキー派はアラブの多神教徒であっても庇護契約の対象となるとしている。cf. Wahba as-ZuÆailµ, al-Fiqh al-Isl±mµ wa Adillatu-hu, damascus, 1989, Vol. VI, pp. 442-443.
(8) al-Bah¹tµ, op. cit., p. 203.
(9) ibid., p. 200.個別的義務は全てのムスリム義務能力者がそれぞれ各自で果たさなければならない義務であり、連帯義務とは、イスラーム共同体の誰かがそれを果たせばよいが、誰も行わなければ共同体全体が罪を犯したことになるような義務。
(10)
ibid., p. 201. 尚ジハードについては、詳しくは『サヒーフ・ムスリム』、第二巻、七七一-八六八頁、「聖戦と軍事遠征の書」参照。
(11) al-Bah¹tµ, op. cit., p. 201.
(12) ibid., pp. 455-457.