3月8日米英占領当局の会議ホールでイラク国民不在のうちにイラク統治評議会によってイラク基本法が調印された。イラク統治評議会とは、2003年8月にアメリカの提案により国連安保理事会の承認によって設立されたもので、イラク国民はその設立に全く関与しておらず、形式的にも実質は米軍である連合軍暫定当局(CPA)の下部組織であり、アメリカによる間接統治の道具、傀儡政権に過ぎない。基本法制定はアメリカの傀儡政権による茶番に過ぎないが、この茶番が「民主化」の美名の下に演じられていることを我々は直視しなくてはならない。

イラク国民不在のままにアメリカによってアメリカの都合に合わせて統治評議会が組織され、その統治評議会によって、アメリカの都合に合う基本法がイラク国民に諮られることもなく作成される。そしてその基本法の下にアメリカの都合に合う選挙区が作られ、アメリカの都合に合う候補者が立てられ、アメリカの都合に合う議会が成立し、その議会がアメリカの都合に合う恒久憲法を制定し、民主化の完了が宣言され、イラク国民の意思の名の下にイラクにおけるアメリカの利権の永続化が正当化される。これがイラク「民主化」のシナリオである。

「イラクの民主化」が欺瞞、虚妄なのではない。「民主化」そのものが問題なのである。アメリカのイラク占領のモデルが第二次世界大戦後の日本の占領であることを思い起こそう。日本の「民主化」も日本国民不在のもとに連合軍総司令部、即ちアメリカの手によって進められながら、「国民の総意」の美名によって粉飾された憲法が制定されることによって遂行された。またアメリカ合衆国の「民主化」自体、黒人奴隷の労働力を搾取し先住民を殺戮し土地を奪う白人支配の異名でしかなかった。他者を殲滅、無力化し自己の支配権が確立した後に、

アメリカの謳う「民主化」、「民主主義」なるものの本性は、「国民の意思」の名による支配階級の利権確保の粉飾にすぎない。今イラクにおいて我々の現前で繰り広げられていることこそ、「民主化」そのものに他ならないのである。

「民主主義」の数ある欺瞞のうちでも最もあからさまなものが、「国民国家」というヒューマニティーに反するイデオロギーである。生まれによって人を差別し、人為的な国境によって人の移動の自由を禁ずるこの「国民国家」のイデオロギーこそが、世界の貧富の差の固定化、独裁政権の存続の最大の元凶に他ならない。イラク人も日本人も、自らの運命をアメリカに握られていながら、アメリカの大統領の選挙権すら有しておらず、それが理不尽であることを意識化することすらできない。幼少期からの学校教育による国民国家イデオロギーの洗脳の恐ろしさである。

イラク基本法は、他の全てのアラブ諸国の憲法がイスラームに反する西欧のお仕着せ憲法であるのと同じく、西欧のお仕着せにすぎない。「イスラームを法源とする」とのリップサービスが全く無意味であるのは、サッダーム・フサインが制度上は国民の100%の信任を得た大統領であった、と述べるのが無意味であるのと同じである。

イラクの「復興」は、アメリカの推進する「国民国家化」と「民主化」の成功にかかっているが、その成功は極めて疑わしい。イラクが「民主化」されるためには、イラクの住民の過半数を占めるシーア派アラブ人の意向が尊重されねばならないが、同宗の隣国イランの影響力強化を警戒するアメリカは、それを受け入れることはできない。またイラク、シリア、イラン、トルコに分かれ住むクルド人は、アラブ人との共存はともかくイラクという「国民国家」に統合される意志は有さない。またこれまでイラクの支配権を握ってきたスンナ派アラブ人の間には激しいシーア派敵視を特徴とするワッハーブ主義が急速に浸透し、スンナ派内の宗派対立を煽っている。イラクがこの三つ巴の対立を克服して「民主化」し、「国民国家」を創設する見通しは今のところ存在しない。

アメリカの侵略によりイラクでは4万人を超す民間人が犠牲者となっている。日本はアメリカのイラクの破壊に加担した以上、その復興の責を負うのは当然であるが、イラクに限らず第三世界において平素から腐敗した独裁政権以外と殆どパイプを築いてこなかった日本政府が取りうる選択肢は極めて少ない。イラクの復興の美名の下に、アメリカ、日本の企業とイラクの一部の政治家の私服を肥やさせるために日本国民の血税を浪費するだけに終らないことを祈るのみである。